島から帰りしばらくして、ヒロカワさんから「私は行ってはいけない所に行って
しまったみたい。」とメールが来た。
青春時代に味わった旅の感動や楽しかった記憶を再び沸き立たたせる、そんな旅
をしたのだろう。
やっぱり酔った。
船が聟島列島にさしかかる頃、「う、おかしいぞ」と感じ、そのまま船床に突っ
伏していた。
夏だから船は揺れないと思っていた。
昨日は友人の散骨に行くという目的にはあまりにも不釣り合いの格好をしたヘビ
メタおネーちゃんや、瓦職人のササキさんと飲んだり唄ったりして快適な航海を楽
しんだ。
夜のデッキで波の音を聞きながら潮風を受けて飲むビールは最高だった。
今は到着までの数時間が過ぎるのをひたすら耐えるだけだ。
歓声の混じったざわめきが起こると、迎えのダイビング船に先導されたおがさわ
ら丸は父島・二見港に入った。
島が一番活気づく時で、ターミナルは下船した人々や迎えの島民でしばらくは場
外乱闘まがいの状態だったが、自転車をくみ上げた頃にはそれぞれが宿や家、仕事
場へと散ってしまいすぐに閑散とした。
出航が早まったおが丸だけが荷物の積み込みに忙しそうだった。
何年かぶりにユースの会員なった。この島に9日も泊まるとなるとユースが一番
リーズナブルなのだ。
しかし8畳ほどの部屋に2段ベッドが4台も置かれた寝室は人もすれ違えず、ト
イレや洗面所件シャワールームも同じような作りで居心地はあまり良いものではな
い。
客のほとんどが海で遊んで戻るというのに、なんでシャワー室へ外から直接入れ
ないんだ。
なんで室外機を不快な温風がテラスに流れるような場所に置くのだ。
幸いにも今回のおが丸は台風の接近に備えて予定より2日早く、明日出航して次
にやって来るのは1週間後になるのでその間は客の出入りはほとんどなく、比較的
ゆったりと過ごせそうだ。
ユースとは名ばかりで、宿泊者はおっさん、おばさんがほとんど。かろうじて若
い娘がヘルパーも含めて数人という状況だ。皆あの70年代のカニ族世代で、タク
ローの「落陽」でも流れればすぐにも踊り出しそうな気配だ。
しかしその世代は旅慣れしていてどん欲に島旅を楽しめる達人でもあるのだ。
「これは観光マップにも地形図にも載っていない秘密の灯台なんです。マリオのゲー
ムに出てくるお城に似ていて、ここにはピーチ姫はいないよと書いてあるんです。」
ぼーさんがケータイで撮った写真を見せて得意そうに言った。
秘密の灯台?
マリオのことは知らないが秘密の灯台というところに引っかかった。
灯台なんて自ら光を発しているのだから秘密になるはずはない。俺はここだよと
いうのが灯台の使命だ。
もう少し詳しく教えろと言うと、トンネルの近くというだけであとは内緒だと言
う。
「自分で探して下さい。僕はいい人ではありませんから・・・。」
クソぼーずはニヤついた顔でそう付け加えた。
それなら意地でも探してやろう。
弁当屋のおっちゃんに聞いたがそんなのは知らないという。しかし島では港内の
青灯台、赤灯台の他に3番目の灯台の灯りがここから見えると言う。
それかも知れない。
おっちゃんの指す方向を目指して湾岸線を南に走った。
湾岸道路にトンネルが3つ並んでいる。その1つ目まで来たところで向こうから
歩いてくる人がいた。島の人かと問うと、そうだと返事が返って来た。
こうこうこんな灯台があるかとたたみかけると、探しているものかどうか分から
ないが3つ目のトンネルの先に灯台への登り口があるという。
トンネルを出て山側のコンクリートが切れている場所を丁寧に探って行く。
どこもただの崖のようでそれらしき道がない。しかし見上げると木々の隙間から
一本の電線が見えた。
ここだ。
恐る恐る崩れかけた坂を上がるとやがて道はしっかりとしたものになり、不安が
確信に変わった。
電線に向かって左に折れた道はすぐに終点となり、狭い敷地に木々に覆われた小
さな灯台が現れた。
ぼーさんに見せられた写真と同じだ。しかしさっそくピーチ姫がどうたらという
ものを探したがそんなものはどこにもなかった。
だまされた。
額を思いっきり光らせたクソぼーずのニヤついた顔が浮かんだ。
でも、ちっとも悔しくない。それよりもこんなシカケをしてくれ、楽しく半日が
過ごせた。
顔を緩めてノダさんやヒロカワさんと待ち合わせの小港海岸に自転車を飛ばした。
大阪のナミパパは娘のイシガキサナエとのふたり旅。ナミママは透析が必要な身
体のため今回は連れてこられなかったと、夕暮れの海を見ながらナミパパは寂しそ
うに話した。 しかし一日に何度も電話やメールを掛け合って仲の良さを見せつけ
ている。
父娘ふたりはいつもお互いに気遣いをし過ぎて、それが最初のうちは煩わしくも
あったようだが、次第に上手く距離感を掴んで楽しんでいた。
娘のイシガキサナエは少し前まで石垣島に住んでいた。また小笠原から帰ったら
石垣島に戻りたいがナミパパにはまだ内緒だとそっと教えてくれた。どうやら石垣
島に彼氏がいるようだ。
「シショー(俺のこと)、その時はまた石垣に来てナ。」
長身を小さく屈めてそう言った。
ツジアヤは韓国釜山の大学で日本語を教えている。小笠原に来るというのに水着
を持ってこなかったというほどの大物で、つじあやの似の細い身体と眼鏡でいつも
ひょうひょうとしている。
夏休みの残りは東北にボランティアに行くという。
ノダさんは最近会社を解雇されたということを感じさせないほどダンディで、ア
イフォンを使いこなし、一流アウトドアーメーカー品ばかりを身に着けている。ビー
パルやヤマケイはほとんどそろっていると豪語していた。
ヒロカワさんは主婦。子供が大きくなったのをきっかけで、昔旅した頃を思い起
こしてやって来た。歩くことをちっとも苦にせず、毎日せっせと海に山にと通って
いる。
ぼーさんは得体の知れない男でいつも自分を作っている。しかし次第に実態が知
れると、小さいが電子機器会社の共同経営者で大学の準教授、趣味がジャックマイ
ヨールよろしくフリーダイビングという、やはりとんでもない男だった。
自分が設計した放射線線量計を持ってきたが正しく動作せず、ナミパパにインチ
キと言われていた。これは現在8000円で飛ぶように売れているらしい。
「木村さ〜ん!」
大村湾をぐるっと回り、海洋センターからの踏ん張りどころとなる登り坂の途中
で後ろから声がした。
こんな展開は良くある。沖縄や喜界島でも突然見ず知らずの人から声がかかった。
しかしここは小笠原なので相手が誰かは想像が着く。
やはり前回会ったときよりも精悍に日焼けしたサエちゃんがバイクに跨っていた。
那覇農連市場でコーヒーを飲んでいると、店の前を通勤に向かう彼女が自転車を
走らせる後ろ姿を見送ったのが3年前になる。
数日後の夜、港の公園にサエちゃんとサコちゃん、ダイビングショップのサッちゃ
んとみんなで集まりウクレレを弾いて唄った。
サコちゃんのウクレレはフェイマスFS-0なので、俺は1000km離れた地で自分の手
を経たウクレレに再会したことになる。
サエちゃんは自分で歌を作り、CDまで出している。今回は俺の作った歌を唄って
もらい、それを次期CD化の際には入れてもらおうと、しっかり楽譜を用意して来た。
それなので今日はちゃんと指導しなければいけないのだが、薄暗い東屋なので楽
譜がよく見えない。そのたびに街灯まで走って確認し、また東屋に戻って唄いなが
ら教える。
悪戦苦闘しつつ、それでもやがて、「ウクレレ持って〜」とみんなの大きな声が
港に響いた。
次に小笠原を訪れるときには、きっとこの歌も彼女の歌のように島民が唄うまで
になっていてほしい。
その後、納会を終えて通りがかった校長センセーの乱入もあり、夜遅くまで公園
の一角は賑やかだった。いつの間にか明日はサエちゃんの働く森本農園にボランティ
アに行くことまで決まって、途中参加で要領を得ないノダさんはポカンとしていた。
毎夜ユースでのウクレレ教室も盛況で、なかでもイシガキサナエとツジアヤは熱
心に「メリーさんの羊」を唄っている。
多分これだけ一生懸命に「メリーさんの羊」を唄うのは生涯これが最初で最後だ
ろう。
「僕はやり始めると夢中になるタチのでやりたくないんですよ。」
ぼーさんはそんなことを言いながらも嫌々という素振りでウクレレに手を伸ばす。
しかしいったん始めるとゼンスの良さの片鱗を見せつけた。
その後、カワグチやヘルパーのサトちゃんまでも参加し、俺はいつしかシショー
と呼ばれるようになった。
アグネスからもシショー!とメールがあり、思わずクショーした。
台風は小笠原を中心につかず離れずの位置にあり、一度北上したはずがまた南下
して、おかげで海はずっと時化が続いた。
今はウミガメが産卵に上がる季節で、夜前浜公園へ行くと闇の中からバサッ、バ
サッと砂を掻く音がする。
産卵まではとても時間がかかり、それを最後まで見るには忍耐がいる。しかし産
卵後もたいてい朝までいるようで、早起きして公園に行くと、おばちゃんが今日は
こことあそこと産卵場所やカメの居場所を教えてくれる。
おばちゃんは毎朝花を拾ってはそれをトイレなどに飾っている。
ナミパパは朝晩の公園通いを日課にして、「今朝は3頭おった」と、朝食時に様
子を報告してくれる。
自転車で島一周に出る。
港の最奥で湾岸道路から夜明道路に入るといきなりの急登になった。覚悟はして
いたがすぐに汗がしたたり落ちた。
カエルがカエルそのままの姿で死んでいた。
「ねっ、カエルが死んでるじゃない。でも中には車に轢かれてペシャンコじゃ無く
て、瑞々しいまま死んでるんだけど、あれ何んで?」
ヒロカワさんがそう言っていた瑞々しい死に方をしたカエルがいた。
潰れているのはきっと道路を横断中に轢かれたのだろうと想像は着く。しかしこ
のように今にも飛び跳ねそうな形でボリューム感たっぷりのまま死んでいるのは何
故なんだろう。
アフリカかどこかに、飲み込まれてもそのカエルの胃の中で身体から毒を分泌し
て、カエルが死んだあとから口をこじ開けて悠々と出てくるトカゲがいる。この島
にもそんなトカゲでもいるのだろうか?
都営住宅、修理工場を過ぎるともう人工物はほとんど何もなかった。
ギアを一番軽くして、車はほとんど来ないので、ジグザグに道幅一杯を使って高
度を稼いだ。
青い海に港周辺の建物が輝いている。
このあたりに溶岩が固まって車輪か菊の花のように見える岩があったはずだが見
つからない。
誰もいない長崎展望台。兄島瀬戸の濃く深い蒼が雄大に流れている。
13年前、あの流れに逆らってカヤックを漕いだ。
稜線高度まで登ったところで旭山登山口があった。深い森に一瞬怯んだが、この
島に危険生物はいないことを思い出して足を踏み入れた。
メジロやウグイスが鳴いている。
植物の様子は全く内地と違い、なんとなく柑橘系と思わせる木々が多い。この季
節は花は少なく、わずかにムニンノボタンの白い花が空に向いて咲いている。
この花は下から見上げても葉に隠れて見えず、高所から見下ろしたときだけ見え
るのだ。
低い灌木を分けると旭山山頂に出た。防波堤や養殖いかだ、ファリーターミナル
と大村湾を一望でき、三日月山の向こうには姉島や兄島があった。
国立天文台では巨大な中華鍋が青空を覆ってそびえ立っていた。
これは電波望遠鏡なんだろう。
夜明山への登山道に入ると大きな壕があった。奥から冷たい風が吹いているので
どこかに通じているのだろう。しかし暗くて何も見えない。先まで行きたいがそれ
も一人では怖い。
俺がこの道に入った時に後ろでバイクが止まった。少し待てばその人が来るだろ
うから、その人を誘って入ろう。
しかし、しばらくするとエンジン音が聞こえてバイクは去って行ってしまった。
なんだよ、と言いながら奥へ行くのはあきらめた。
アカガシラカラスバトのサンクチュアリーを過ぎると中央山。数匹のグリーンア
ノールに迎えられて剥き出しの溶岩台地の山頂に立った。
またまた目の前に広がる大展望だ。
「この島は少し歩いただけですぐに絶景に出会えてしまって贅沢よね。」
ヒロカワさんの言った言葉がよみがえった。
時雨ダムでユースの連中が雨乞いをするというので、今まで稼いだ高度を自転車
で駆け下りた。
島の貯水率は40%程と危機的状況で、毎朝ボーサイオガサワラが本日の貯水率
と、その後必ず「節水しましょう」と放送する。それによると毎日1%ずつ減って
いて、1ヶ月程で完全に島は干上がってしまう。
こんなにずっと台風が近くにいるのに雨は全く降らない。
うん?あまり夢中になって飛ばしたので一気に海まで下りてしまい、時雨ダムは
どこか分からなかった。
結局会場は飲料水目的のダムへの入場は制限されているとのことで小港海岸に変
更され、行っても無駄だったのだが。
今回の旅の一番の目的は南島行き。あれから13年経ち、南島へは人数制限とガ
イド帯同という条件付きになった。そこで去年からガイドのカネコさんと連絡を取
りあって勇んでやって来たのだ。
島に着いたばかりのときには「まあ、この台風が去ってから行きましょう。なん
せ、9日もあるんだから。」と余裕だったが、台風は小笠原を中心に回転している
だけでちっとも去ってくれない。それどころか台風にあるまじき南下などという蛮
行にでた。
滞在日数の半分が過ぎたあたりでもうカヤックを出すのは無理だろうとなった。
それでもう一つの目的、南海岸の奇岩ハートロックへのトレッキングツアーに参加
することにした。
ここもガイド同伴が義務づけられており、入山口には植物の種などを落とすコロ
コロやブラシが置いてある。そして入域理由と目的地を表す色違いの石やサンゴ片
を所定のポットに入れるのだ。
北袋沢の林道を入りしばらく歩いたところが入山口だった。指定の作業を済ませ
て、沢沿いの道を歩き出した。
同行はナガサワちゃん。名前を聞いてすぐにあの福島いわきの長大な峠を思い出
した。そんな話を彼にすると、「それは僕とカンケーないでしょ。」と言う。
確かにそうだ。が、良い思い出のない名前だ。
谷を囲んだ岩壁にはノヤギ(野山羊)が群れをなしていた。
父島はこのノヤギ被害が大きく、駆除に苦慮している。世界遺産になったものだ
から彼らに対する風当たりはさらに強まる。
人間の都合勝手に連れてこられたに良いメーワクだ。
「どれが美味そうに見えますか。」
カネコさんが聞いた。
「白が美味いらしいですよ。」
沖縄にもそんな話がある。
しかし父島では駆除したヤギは地中に埋められて食べることはないという。せっ
かくの命を無駄にしないで新しい食文化として食べたら良いのにと思うが、ヤギと
いうものは家畜であって、ノヤギというものは日本にいないことになっている。家
畜は屠殺場で処理されなければならないのでこの島のヤギは市場に出せない。結局
無駄死になのだ。
それでもカネコさんやいくらかの心ある人たちは食ってると言う。
「イヤー島に来て四つ足を捌くとは思いませんでしたよ。」
そう言って彼は笑った。
カネコさんは数年前の南硫黄島調査に参加していた。その様子は「ダーウィンが
来た」で一週間程前に再放送されたばかりだ。
海から突き出た三角の山のような南硫黄島の調査はテレビで見ても過酷そのもの
で、行ってみたいと思ったのは初めのうちだけで、見るに従ってその気は萎えた。
本人から直接聞けたの裏話はさらに面白かった。
浜に釣った魚を置くと石の隙間からたくさんのウツボが湧くように現れてそれに
食らいつくシーンでは、
「我々はそこで知らずにウンコをしていたんです。」
島の環境保護のためすべてのゴミを持ち帰ったというナレーションで番組は終わ
るが、
「カタツムリの研究者が藪コギで眼鏡を無くしたので、それが島に残っています。
さらにすごいのは彼は眼鏡もないのに新種のカタツムリ、直径が1mmくらいのヤツ
を何種も発見しました。」
月桃の香りは清涼作用があり、この葉を持ち歩いて暑いときに嗅いで癒すなどと
いうことを教わりながらのんびりと歩き、戦跡などを巡っておよそ2時間で赤茶け
たハートロックの上部に着いた。
おいしそうな白いヤギやそうでないヤギも高らかに鳴いて迎えてくれた。
眼下に広がる蒼い海、ジョンビーチやジョニービーチとあこがれの南島の間には
いくつもの岩礁帯。
あそこを抜けて漕いだのだ。
砕けた波しぶきが頬に当たる感覚が甦った。
遠く母島は雨雲の中にあった。
街路樹の椰子には実が成っている。
これはどーするんだろう。採って食べたりしないのかなと思っていたら、リョー
タローたち数人の子供がそれを採って遊んでいるところに出くわした。
それを何度もアスファルトに叩きつけている。
食べても美味しくないんだと言う。
やがて割れ目から汁が出てきた。子供たちとそれを手に受けてなめてみる。
「ね。」
確かに青臭い気もするが、薄いポカリのようで全く飲めないものでもなかった。
小笠原水産センターはちょっとした水族館。クーラーも効いているのでソファー
に座って水槽を眺めているのは快適だ。南国の魚は何故かゆったりのんびりして、
泳ぐというより漂うというほうが当たっている気がした。
しかしそれが豹変、餌のイワシが入れられるとそれを追って野生の本性を現し、
矢のようにまっしぐらに追う。
勢い余った一匹は水槽から飛び出してしまった。
数少ない淡水魚の中にはオオウナギもいるが、ネームの書かれた水槽の中には
20cmくらいのエンピツのようなやつしか入ってなく拍子抜けした。
外水槽にはウミガメや色鮮やかなベラなどが泳いでいる。歯ブラシが置いてあ
り、これを水に入れてやるとグレーの魚が寄って来て大きな口を開けて歯みがきを
催促する。こいつはアカバというヤツで、島の小学生がこの行動を発見したらしい。
アカバか、昨日夕飯に出たヤツだな。
意外とどう猛さを見せたのがウミガメで、まだ子供のくせにその歯ブラシに何度
も噛みつき攻撃をした。
明日は出航という日は滞在中最悪の天気になった。
またみんなでウクレレを弾こうと集まったが風雨が強くて弾ける場所がない。し
かたなくビジターセンターの風を避けた軒下で唄っていると、顔見知りになった職
員さんが出て来て、会議室を使って良いと言ってくれた。
最後の日にサイコーにうれしいプレゼントに感激し、歌声はさらに大きくなった。
ヒロカワさんから「私は行ってはいけない所に行ってしまったみたい。」とメー
ルが来た。
でもねヒロカワさん、旅の何かを少しばかり分かっている人間にとってはきっと
「行かなければならない場所」だったんだよ。
旅日記INDEX
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