風邪引きのマヤー
沖縄本島・津堅島 '12.12.31〜'13.01.06


 今年の沖縄は寒い。
 空港を出るとすぐにそう感じた。
 いつものようにいつもの場所で自転車を組み立てると、いつものよう
に那覇市街に向かってペダルを踏んだ。
 このいつものことが3年ぶりというのがいつもではないことだ。

 フリーゾーンを過ぎ、奥武山の橋を渡って旭橋で路地に入った。
 国際通り方向へ見当をつけて進むとなんだか面白そうな立て看板があっ
た。
 そのビルのガラスには若い娘たちの写真がいくつも貼り付けられてい
る。
 リュウキュウアイドル事務所ライブ、108曲ライブ、500円、やってまぁ
すっ、ぴょんぴょんしましょう!
 事務所の前には数人のいわゆるオタクと呼ばれるお兄ちゃん達がたむ
ろしている。
 う〜ん、俺もぴょんぴょんしてみたいが昼メシが先だ。
 
 国際通りでホテルの角を右に曲がり、急な坂を登り下りると猫のオリ
ジナルクラフト専門店「猫の家」がある。
 店の写真をアグネスに送ると珍しくすぐに返信が来た。
 おっ、今日はヒマしているのか?
 「楽しんでおいで・・・。」
 まるで母親のような答えだ。
 それならおっぱいくらい触らせろ!
 猫好きのくせに「猫の家」にはちっとも食いついてこなかった。

 太陽が顔を出したので公園のデッキでひなたぼっこすることにした。
  真冬の群馬から来た身にはありがたい。
 やっぱり沖縄は暖かい。
 ウクレレを弾くと、近くに座った母親に連れられた3兄妹が唄いだし
た。魔女の宅急便、ドラエもん、アンパンマン、ゲゲゲの鬼太郎etc。
 ウクレレの音に次々と歌声が被さってくる。
 これ知ってる?
 知ってるよ。 
 微妙な距離に言葉は交わせないが、音楽でコミュニケーションを取れ
ているのが楽しい。
「ありがとうございました。」
 ひとしきりすると、一番年上のお兄ちゃんがそう声をかけてよこし、
全員が頭を下げて去って行った。
 大晦日に1日早い素敵なお年玉をもらった。  

 夕食は以前から食べてみたかったチャンポンを目当てに、ホテルのフ ロントで勧められたハイウェイ食堂へ行く。ここはステーキがメインの 店だが、言われたとおりメニューは100種類以上もあった。  カウンター席は隣の椅子まで2mも離れて並んでいて、とても恋人どう しが肩を寄せ合って食べるという訳にはいかない。  後から来てひとつ跳ばして隣りに座ったオヤジは、迷わず生ビールに Aランチを注文した。  思わず内容が気になる。  チャンポンは予備知識のとおりご飯にポーク野菜炒めが乗っていた。  美味い。  ランチョンミートや豚肉も入って一見しつこそうだが、パクチーのよ うな野菜がさわやかにそれをやわらげる。味付けは沖縄らしく薄味なの でバクバク食えた。 ついにぴゃじのAランチが運ばれてきた。オードブル皿のような器に飯 やチキン、卵、ポーク、スパゲティーなどのおかず類が乗って強烈な量。 まさにエサという言葉が似合う労働者のメシだ。 もちろん親父は驚きもせず、黙々とスプーンを口に運んでいた。  せっかくの大晦日だが風邪気味なので自重し、缶ビールとじゃがりこを 手にテレビを見ていると年を越す前に眠ってしまった。  格闘技中継のない大晦日はつまらない。  元旦。  今日は沖縄滞在中唯一の晴れ予報なので、新しくなった沖縄県立博物館 に行く予定を変更して海中道路に向かうことにした。  そこはいつか自転車で走ってみたいと思っていた  R58を北上し、緩い坂を上り下りして浦添から宜野湾へ。  大謝名の交差点を右折すればピーちゃんのヒーリング専門店があるが今 回はパス。  伊佐の交差点から普天間に向かうと両側が基地になり、日本領はわずか に道路の幅だけになった。  さすがに今日だけは戦闘機やヘリは飛んでいない。
 普天満宮は初詣客で賑わっていた。  手洗い場の前ではおまえはバブルの生き残りかというようなボディコン、 ワンレン、ピンヒールのおねーちゃん達がつけまつげをバサバサさせなが ら缶チューハイを飲んでいる。  一緒にいる男もホストかひと昔前のディスコの黒服だ。  もはや沖縄の未来は風前の灯火だ。  整理にあたっていた警察官に海中道路までの道をたずねると、大変だね と言いながらていねいに教えてくれた。  いやいや俺は好きで走っているのだからちっともタイヘンではないのだ。 それよりも、こんな撃ち殺したくなるような連中を相手にしても、きちん と職務を遂行している警察官のほうがよっぽどタイヘンだとおもう。   中城城址へ曲がると今度は刑事に止められた。  昨日このあたりで窃盗事件がありましたが、昨日の今頃はどこにいまし たか?  何も年末も押し詰まった大晦日に盗みをしなくても良かろうに。  これがよくある地取り捜査というやつか。しかし、残念ながら昨日の今 頃は羽田空港だ。  気がついたことがあったらなんでも良いので那覇警察までお知らせくだ さい。 う〜ん、きっと何も気がつかないだろう。  簡単に言えば丘の上に石の壁があるだけなので、世界遺産とはいえ中城 城址にはあまり興味がなかったが。  まっ、とりあえず気は心、400円を払って入場した。  元旦ということもありあまりお客がいない中、韓国人のカップルが大声 で話しているのが煩わしいのでピッチを早め彼らから遠ざかった。  城址の石壁の上に立つと本島の四方を囲む海が見える。東には神の降臨 した久高島も浮かんでいた。  それよりも気になったのがすぐ隣に立つ、テレビで見た肝試しスポット、 倒産したレジャー施設のコンクリート展望台の朽ちた姿だった。  これもバブルの仇花か。  城址内は数種類の花が咲き、なかでもヤチブキがこれでもかと黄色を目 立たせていた。  昔、4月の知床で凍えながら採ったのが懐かしい。  沖縄ではこれは食わないらしい。    三線を前に正座した集団がいた。  井戸の神様に祈りを捧げるところだそうだ。  はじめに太鼓で神様を呼び出したところで三線を聞かせるという神事は、 わずか3分で終わった。  あまりのあっけ無さで拍子抜けだ。 「背中に背負っているのは何ですか?」  世話役のおじーが俺に声をかけてきた。 「ウクレレ?それならせっかく部落の人間がそろっているのだから何かやっ てくれませんか。」  そんなわけで元旦早々ライブをすることになった。 「内地には新幹線という電車が走っていて、乗るときにはこの歌を唄います よ〜。」  沖縄県中頭郡北中城村荻道集落のおじー、おばーはみんな、「シンカンセ ンの唄」が唄えるようになった。
   道は一気に下って島の東海岸、泡瀬に来た。干拓か保存かで有名になっ た場所だが、結局ここも埋め立てられてしまうのだろうか。  さらに勝連半島の基部を横断して海中道路に着いた。潮の退いた浅い海 に4つの島、浜比嘉島、平安座島、宮城島、伊計島を繋いで橋が延びてい る。  以前大工の平良さんに浜比嘉島までは連れて行ってもらったことがある が、今回は一番先の伊計島まで目指す。  距離にして17km、往復してから平敷屋港にむかうのでどこかで荷物を デポしたい。道の駅にするか、コンビナートの植え込みの陰に置こうか。  そんなことを考えているうちに宮城島に入り、道は急峻な山越えになっ た。  海中道路というから海沿いの平坦な道を想像していたが、それは平安座 島までの話で、残りは島を縦断するアップダウンの連続だった。  汗をしたたらせ、へとへとで伊計島に着いて時計を見るともう午後2時半、 平敷屋港まで2時間ほどかかるのですぐに引き返さなければ津堅島行きの船 に間に合わない。 またもや急坂にあえぐ俺をYナンバーががんばれよと言うように親指を 立てて追い越して行った。  同じ道を戻り平敷屋港から渡船で津堅島に渡る。どこから見てもよそ者 面している乗客は俺しかいない。  船は30分もせずに島に着き、曇天のせいか薄暗くなった港から坂をひと 登りすると「南原旅館」があった。  本当は歌手神谷千尋の実家、「神谷旅館」に泊まりたかったのだが正月 は営業していない。 「今の人は新暦でお正月をしたがるからね。」  乗船券を売っていた千尋のお袋さんが言った。    宿は足の悪いばあちゃんが一人で切り盛りしている。  すぐに夕飯になり、どんぶり一杯の刺身に200gはある牛肉と、島名産の にんじんや大根、ソーセージなどの煮物。  見ただけで腹一杯になる。 「この人はあまりたべないねー。」  おかずは無理矢理全部ビールで詰め込んだが、飯は一杯も食えなかった。     沖縄のバスタブは何故か片面が斜めになっている。  ここに背をもたれて寝そべるためなのだろうか? しかし外へ足を伸ばすには反対側は壁にぴったりと着いているのでその 余地がない。  ビジネスホテルのそれよりも湯船は狭く、どうやっても肩まで浸かるこ とができず、おまけに栓はゆるくて慢性的な漏水状態で、お湯を出しっぱ なしにしていないとすぐにへそまで寒くなる。  浴室は脱衣場と洗い場と洗面所を兼ねているので20畳ほどの広さがあり、 湯船への給湯くらいではとても暖まらない。  そして今年の沖縄は寒い。
 夜、街に人はひとりも歩いておらず、家々の明かりもまばらで話し声や テレビの音さえも漏れてこない。  2階の俺の部屋と港の自販機の灯りだけが煌々と輝いていた。  オリオンが座はっきりと見える。寒くないのに空が澄み渡っているのが 何とも不思議な感覚だった。   風邪はますますひどくなり、昨夜も激しい咳に悩まされた。起きている ときはそれほどでもないが、仰向けに寝た姿勢が喉の奥を刺激して咳き込 むようだ。  「あなたの風邪はのどから・・・」  仲間由紀恵の声がした、気がした。  天気予報がはずれ、1月2日は好天、ぽかぽか陽気に誘われたのか防波堤 に人が並んでいる。  それとも小さな島なので他に行くところがないのか。  長く延びた防波堤の内側には津堅小中学校の卒業生の寄せ書きが年度ご とに描かれている。それを見ると毎年卒業生は4、5人のようだ。  一列に並んだ釣り人の釣果はどれもいまいちのようで、春のような暖か さが沈殿した海にゆったりとした時間が流れていた。  島は縦長の長方形をしており、平らな島のほとんどが畑になっている。 集落は南の短辺にあたるあたりにわずかにあり、人口はおよそ500人ばかり だ。  島の最高所にあるにんじんの形をした展望台に登ってみる。  津堅島は別名キャロットアイランドと呼ばれ、にんじんが特産になって いる。  ベンチまでにんじんを模して精一杯の観光資源としようとしているのか、 全国共通のお下劣落書きが悲しい。  いまや観光はソフトの時代なのだが、それを考えるべき若者は本島や内 地に行ってしまうのだろう。  ニンジンの季節には早く、そこここの畑ではニンニクの苗植えをしてい た。  島人にはあまり正月は関係ないようだ。  赤土に緑の葉が鮮やかに揺れる向こうに青い海が広がっていた。  宿を去る朝、おばーは台所から塩をひとつまみし、俺の頭にふっておま じないを唱えて旅の安全を願ってくれた。 「気をつけてね。またおいでネー。」  なんだかそれはとても神聖な行為に感じた。
 風が強い。  平敷屋港にもどり旅の最終地、コザに向かって走るとすぐに橋があった。  おっ、ここも島か。  今回5つ目の島へ橋を渡って道をたどるが、どこまで行っても民家がな い。やがてその道もダートになった。  電線が延びているので電気は来ているようだ。  ビニールハウスに人がいたので声をかけてみると、この島の名は藪地島 といい、耕作専用の島になっているそうだ。電気や水は平敷屋から引いて きている。  沖縄本島の東側にあり、毎年台風の直撃を受けるので作柄はあまり良く ないと顔を曇らせた。  映画「裸の島」を思い出した。  海中道路の向こうで小型のパラグライダーがいくつも空を舞っている。 さらに近づくとそのひとつひとつにボードを履いた人間がぶら下がってい た。  カイトボード?  そう教えてくれたのは千葉から来ていたカップルだった。  この海中道路沿いにはサーフボードやウィンドサーフィン、カヤックと その遊びによってそれぞれ縄張りがあると聞いたことがある。  というと、彼らは新参者なのでこんな端っこになってしまったのだろう か。    噂のオスプレイが2機頭上を横切って行った。  いつものように何度も人に尋ね、少し遠回りしたがコザの宿「ごーやー 荘」に着いた。  予報は雨だったが降られずに済んで助かった。  休みなしで走ったのでメシを食っていない。スーパーでごーやー弁当を 買ってごーやー荘の庭で食う。  宮古島のサエコちゃんがごーやーは食べられないと言っていたのを思い 出した。  コザは島の背骨の上にあるからか坂が多い。コザ暴動の中心地、コザ十 字路もこんな坂道だったとは思わなかった。  この宿も坂の中腹にあり、登り詰めると一番の繁華街、パークアベニュ ーがある。この100m足らずの通りにはライブハウスが30軒もある。  ロックもジャズもフォークも民謡も、どんな音楽も楽しめそうだ。  しかし正月休みなのか閑散としている。  夜になれば賑わうかもしれないと思ったが、やはり夜になってもあまり 店は開かず、また「スーパーかねひで」の弁当が夕飯になった。  喉の調子は最悪だ。一晩中咳き込んで、隣の部屋に申し訳ない。
 なんと図書館は午後1時のオープンと入り口に張り紙がしてある。  何、それ?  ぶつぶつ言っても仕方ないので博物館で時間をつぶし、マツキヨで喉の 薬を買い、Tシャツ屋で着替えを買い、食堂でみそ汁を食った。  みそ汁も一度食べてみたいメニューだった。  想像通りの内容とボリュームで500円は納得の食事だった。  やっと開いた図書館で郷土誌のコーナーを探すと盛口満の本を発見。沖 縄に移住してきたのは知っていたが、自然誌が専門の彼の本があるとは意 外だった。  そういえば、先日Amazonから届いた彼の本はまだ読んでいなかった。  視聴覚コーナーで以前から見たかった「カメジロー」を発見。早速カウ ンターでビデオを借りて見入った。  アメリカ統治下の沖縄で那覇市市長として民衆のために米政府と戦った 伝説の政治家。  彼は沖縄独立論を唱えていたと本で読んだことがある。  ドキュメント仕立てストーリーは彼の半生が面白く描かれていたが、何 故か最後に琉舞のシーンがある。それも踊っているのが仲村清子ちゃんだっ た。  あの1995年の地位協定見直しの10万人集会で「静かな沖縄を返して下さ い」と演説した、当時眉のきりっとした女子高生だった。  いくら清子ちゃんでもこのよく分からないシーンはいただけなかった。  沖縄で猫はマヤーと言う。  子猫のマヨは俺と同じ日に宿に迷い込んで来た。  いや、俺は迷子ではない。  全体が真っ白な毛で覆われ、長くぴんと延びたしっぽだけが薄茶色をし ている。  人から可愛がられる仕草をよく知っていて、上手に甘えて身体をすり寄 せてくる。  まるで猫界の芦田愛菜というふうだ。  マヨはそのまま当たり前の顔をして住み着いてしまった。
 コザには沖縄唯一といっても良い銭湯がある。「中乃湯」とぱっとしな い名前だが、正真正銘アルカリ性のりっぱな温泉なのだ。  そのせいで肌がつるつるなのだが、温泉に入りつけていない沖縄の人は 石けんが落ちないと騒ぐらしい。  ドアを開けると東北や信州の共同浴場のように脱衣場と浴室の仕切りは なく、洗い場の真ん中に楕円形の湯船が鎮座している。  洗い場にはシャワーはなく、お湯と水、ふたつの蛇口から短いホースが 延び、それが途中でひとつに合わさっている。  お客は微妙な蛇口の開け加減で適当な温水を作らなくてはならないが、 短いホースはいうことを聞かず、自ら頭をホースの下に潜らせる必要があっ た。  さらに鏡は1m以上高いところに据え付けてあるので、髭は立って剃らな くてはならない。  そんなハテナだらけの銭湯だが、異空間が楽しい場所だった。 「頑張ってできるだけ長く続けるからさー。」  去り際に風呂屋のおばーが言った。  奇人、登川誠人が出没するという「姉妹食堂」におでんを食いに行く。 沖縄おでんも食べたいリストのメニューだ。  ごーやー荘の秀さんが、沖縄一美味いと言っていた。  薄暗いドアーを開けるとそこはどこから見ても安スナックだ。  秀さんが、紹介した客の半分が逃げ戻ってくるとも言っていた。   カウンターには数人のおじーやおばーが座り、ひとつのモニターを見な がらみんなでカラオケを唄っている。  いかにも場違いな俺は自分を勇気づけるように、おばちゃん!おでんと 叫んだ。  運ばれてきたおでんは、これも秀さんが言ってたが、てびちがとてつも なくでかくて皿からはみ出さんばかりだ。  まるで足、腕?が一本まるまる皿に乗っている。その他にこんにゃく、 大根、ソーセージ、豆腐、昆布の定番の他にキャベツも盛り合わされてい る。  これで700円、缶ビールは200円。  奇人、登川誠人には会えなかったが、てびちの骨をぺっぺっと吐き出し ながら食らう俺もいつしかカウンターにとけ込み、隣からおごられた泡盛 で良い気分になった。  マツキヨで買った薬は全く効かなかった。 「これは漢方だからね・・・。」  おやじはそう言っていたが漢方だから何なんだよー。    読谷の道の脇にぽつんと「さとうきび畑」の歌碑があった。  開発が進み、そこからの眺めも建物の占める割合が多くなったが、風に 揺れるきびの下にはまだたくさんの魂が眠っているということを改めて肝 に銘じた。    空港に向かう朝、昨夜からの雨は上がったがなんだか肌寒い。  どこからかマヨがやって来て、まるで行かないでと言うように俺のザッ クに座った。  どこまでもかわいいヤツだ。  アグネスも少しは見習え!  冷えた空気を切って走った。 咳は群馬まで持って帰るようだ。