三度、海へ!
伊勢崎〜銚子、利根川徒歩旅 '08.12.25〜'09.01.01


 伊勢崎の街角ステーションをスタート地点に選んだのは、家からそこ
までは普段からよく知った風景なので旅の始まりとしてのテンションを
維持できないと思ったからだ。
 
 12月25日AM8:15
 広瀬川に架かる新開橋を渡っておよそ200kmの旅が始まった。
 まだ太陽はビルの高さを越えておらず、行く手にはコントラストの強
いパッチワークを作っていた。
 今日の目的地、大泉町まではおよそ25kmだ。
 銚子まで7日間で歩くと一日平均30kmになる。しかし初日でもある今日
は初日でもあるし、足慣らしなので早めに宿に入り、いろいろと体調な
どをチェックして明日からに役立てたい。

 東武伊勢崎線・剛志駅で最初の休憩をとる。
  快調に歩いたつもりだが6kmを1.5時間だから時速4kmと普通の速さだっ
たことにがっかりした。
 それに二駅戻れば始発の伊勢崎駅だ。
 銚子までの果てしない距離を思うと気持ちが萎えそうだ。
 駅前商店の看板猫のモカもそっけなく鼻で笑ったように見えた。

 国道354の細い歩道を行く。陽があたるようになって暖かい。
 しかしわずか10km歩いただけなのにもう足が痛くなり、早くも境町駅
で二度目の休憩をすることにした。
 教え子のフミはこんな遠くから通っていたのか。
 駅舎に背を預け、靴を脱いで足を揉んだ。ぽかぽかの日射しが気持ち
を再び鈍らせる。
 ここでこんな調子では銚子どころではない。
 おやじギャグのような語呂合わせに思わず苦笑した。

 
  境町は古い家並みが残り、なかなか風情のある表情をしている。煉瓦 倉庫前の広場ではテントが建てられ、何かイベントの準備をしていた。  幟の並んだ稲荷神社を過ぎ、旧銅街道を横切った。  田んぼの中に臨時の足組が作られ、ヤマザキの赤い旗が括り付けられ ている。  足組に乗った人に駅伝用かと問うと、そうだと答えが返ってきた。  ニューイヤー駅伝のおかげで正月に全国どこにいても前橋の説明が簡 単で助かる。さもないと、前橋なんて日本でも最も知られていない県庁 所在地だ。  そろそろ昼飯の時間なので民家スタイルの店に入ると、望むべきかな そこは靴を脱いで上がるシステムだった。  むくんだ足を休めるには都合が良く、おかげで足は回復した。豚角煮 定食コーヒー付き1000円も満足の質と量だった。  マスターはこれを持って行けとアメを手渡してくれた。  尾島の交差点から右に折れ、県道276をしばらく行くと利根川に出た。 土手に立つと視界が開けて気持ちが良い。 「海から168km」、そんな標識が立っていた。防災用に川に沿って500mご とにこの標識が立っているのだ。  誰かが「海から」ではなく「海まで」にして欲しいと言っていたが俺 もそう思う。そうすれば自ずとやる気も勇気も湧いてくる。  広い河川敷ではネギが青く伸びていて、俺も思わず両手を掲げて伸び をした。 「翼のエンジェルでは漕ぎづらいでしょう。」  コバちゃんに聞かれた。  20数年前、カヌー(カヤック)を買って即一週間後に利根川を銚子まで 下った。  何も分からない未知の旅なので不安一杯だった。  その時自分を励ましたり、恐怖を紛らわしたりするためによく唄った のが当時流行していた「翼の折れたエンジェル」だった。  以来これが旅のテーマソングなっていて、ましてそのきっかけとなっ た利根川に立っているのだ。唄わない訳にはいかない。  歌詞は嵐のドライブだが、唄っている俺は長閑な気分だ。  あとは4,5km先に見える刀水橋からしばらくのビジネスホテルに行くだ けだ。  靴を脱ぎ捨て、土手に寝そべり昼寝をした。  筑波山がぼんやり見えていた。
 
 昨夜は宿に着くなり眠ってしまい、夕食をとると再び眠り込んでいつ の間にか朝になっていた。  夜半に激しい風雨が窓を叩いたのを夢心地で聞いた。  12月26日AM6:40  足は回復した。マメができそうな所にはテーピングもしてガードした。  しかし今日は40kmを歩かなくてはならない。そんな緊張からか口に含 んだ飯が飲み込めず、いつまでもクチャクチャしていた。  今日は今年最強の寒波に襲われ、強風も吹くとテレビが脅している。 初日の出用に持ったダウンを着込んで出発した。 「銚子までですか。私の夢です。がんばって下さい。」  道を尋ねると、ウォーキングの足を止めておじさんはそう言った。  夢を託された訳でもないが、このおじさんのためにも銚子まで行かね ばと思ってしまう。  利根川の土手に出ると風はまだそれほど強くはなかったが、赤城も榛 名も厚い雪雲のカーテンに閉ざされて裾野さえ見えない。  寒さを忘れようと大きく手を振り、定番の歌を唄いながら早足で歩い た。  宿のおやじは「赤岩の渡し」まで小1時間と言っていたが、地図を見る と7kmもあった。 「もう少し風が吹いたら今日は欠航だ。」  船頭さんにそう言われて渡船に乗り込むとそんな頼りなさを実感した。  船は少しよたよたとしながらも、5分で対岸に着いた。  そこは埼玉県熊谷市で、県が変わったか思うとまた気合いが入った。  荻野吟子記念館で小休止。彼女は日本で最初の女医で、ここ熊谷の出 身だという。じっくりと見ていきたいが何しろ今日は40km歩かなくては ならない。  トイレを済ますとすぐに出発した。
 
 利根川に流れ込む福川の水制門を渡り、やがて利根大堰が見えてくる。  夢中で歩いているので足の痛みは感じない。  そんな時、自転車が脇を後ろからシュッと一瞬で通り過ぎて行き、ボー ッとしていた俺は夢から覚まされたように慌てた。 「自転車に轢かれないようにして下さい。」  出発前、誰かに確かにそう言われたはずだが、それが誰だったかも思 い出せない。    昭和橋の袂、道の駅・はにゅうまで15kmを3時間強となかなか良いペー スで来た。  早めの昼飯をと思ったがまだ営業前だったので、仕方なく風を避けた 建物の陰で缶コーヒーと名物「いがまんじゅう」を食った。  食べるまでイカまんじゅうと信じていたが実は赤飯をまぶしたまんじゅ うだった。  風を避けたはずの場所も時折突風が回り込んで来て寒い。早々に出発し た。  風があまりに強い。真後ろから吹いてくれるなら嬉しいが、そんな都合 良くはいかない。  明後日の方に飛ばされないように大きく手を振り、欽ちゃん走りの要 領で歩く。  ダイレクトに風に晒された左半身だけが冷たい。  とうとう寒さも堪えきれず、サイクリングロードを離れ市街地を歩く ことにした。  県道90を歩くと風がなく、おかげで汗ばんでさえきた。しかし歩道が狭 く、そばをすっ飛ばす車に冷や汗も同時にかいた。  東北自動車道を越えて道の駅から3時間、目の前に再び利根川の土手が 現れ、加須サイクルステーションがあった。  もう目的の栗橋まではあと10kmだ。  そう言い聞かせると、懲りないなと呟いて再び土手に登った。  やはり車の走らない道が良い。  自分だけの道がどこまでも延びている気がする。  いつものイントロが空から聞こえてきた。  両手を広げると唄に合わせて歩き出した。
 
 栗橋でひとつしかない旅館に泊まることができた。GWの自転車旅では 満室と断られた宿だ。  古い作りなので床が微妙に歪んでいて、疲れてむくんだ俺の足は水準 器よりも正確にそれを捉え、痛みに替えて表していた。 12月27日AM6:30 「この寒空、毎日30kmも40kmも歩く気にはなれないよな。」  朝食の相席になった職人さんが言った。  外仕事ではこの寒さは堪えるだろう。  俺は遊びだから仕事よりも真剣にできるし、我慢もできるのかも知れ ない。  さすがに3日目、歩き出しからとくに両足の土踏まずのあたりが痛い。 それでも国道4をくぐり利根川の土手に立つと、富士山がくっきりと見え て痛みもいくらか忘れた。  川の反対側には筑波山も対峙している。  左右の名山を眼の端に捉え、朝日に光る河面に沿って行く。  勿論、歌も忘れてはいない。  新利根川橋を越えてしばらくすると関宿のお城を模した博物館が見え てきた。その右手にはクレーン乱立する場所がある。これは前回対岸の 茨城県側を走った時に気になっていた。  サイクリングロードは突然幅広になり、工事用のコーンが並び、ダン プが走るようになった。ここは護岸工事の現場で、3連テラポッドを作っ ており、クレーンはそれを持ち上げるためだった。  江戸川閘門を渡って関宿城博物館へ。初めて眺めた時から20数年して 来ることができた。その時、これが博物館だと教えてくれた女子高生も 今は間違いなくアラフォーだ。  ここはサイクリストの休憩所として人気の場所らしく、いわゆるその 手の格好をしたおじさん、おばさんでいっぱいだ。  う〜ん、どうも俺はこの本格的スタイルってやつが好きになれない。 もっと自由なスタイルで楽しむ人がもっといても良い。  ここから県道17を行けば目的地の野田市愛宕駅まで最短距離だが、あ えてサイクリングロードを行くことを選んだ。
 
 今日も昼を過ぎると風が強くなった。  某音楽大学の山岳部部長だったNは、 「山は午前中にとらなあかんねんで。」と言っていた。  それを聞いていたキノウチもよく真似をしてそう言う。それはいいが、 声色まで似せてアメちゃん、アメちゃんと言うのだけは止めてくれ。  山だけじゃない、川も歩くなら午前中だな。  アメちゃん、・・・か。  自分に言い聞かせるように、アメをひとつ頬張った。  自転車が不自然なほど傾いてやって来て、通りすがりに俺を見てニヤッ と笑った。  俺も笑った。  こんな風の日にお互いバカですね、と言ってるようだ。  言いようもない連帯感が湧いた。  下総利根大橋で土手を下り、風を避けて畑の隅の日溜まりで休んでい ると向いの家から出て来た奥さんと目が合った。  小さいながら川を挟んでいるのでどうしても大声になる。 「まあ、前橋から?ハッハッハッ。えーっ、銚子まで?ハッハッハッ。」  気をつけてと、また大きな声で笑いながら再び家に入って行った。
 
 目吹大橋から野田の市街地を歩いて宿まで6kmもあった。  覚悟していたが、それにしても遠い。  そして宿に着くと今度はボロボロの足を引きずって買い出しに行くの だが、その姿は自分でも笑ってしまうほど情けなかった。  車イス用のスロープがこんなにもありがたいとは。  夜は何度か手が攣って目が覚めた。  たいした重さではないがずっとザックを背負っているからだろうか。  12月28日AM6:30  昨日寝たかと思ったら今はもうこうして歩き始めている。子供の頃の ように一日が早く感じるのはそれだけ充実した日を過ごしているからな のだろうか。  醤油の街・野田なのに駅前のキッコーマンは閉ざされていた。  今日はさすがに芽吹大橋まで戻って歩くのは勘弁で、しばらく県道7を 行き、水関橋でサイクリングロードに合流することにした。 「自転車ですか。」  橋の手前のコンビニでおねーちゃんに尋ねられた。  場所柄そんな客が多いのだろう。しかし俺は徒歩だよと答えると、 「私も成田から歩きました。ここからだと丁度その2倍ですね。」  彼女は俺がここから銚子まで歩くのだと思っているらしい。前橋から だよと答えると半分あきれた顔をされたが、すぐに笑って励ましてくれ た。  毎日ほとんど口を利かずに歩いているのでこんな会話だけでも嬉しい。  今までハンドクリームでごまかしてきたが、どうにも唇が乾いてしょ うがないのでリップクリームを買った。
 
 水関橋を渡ってサイクリングロードに復帰した。このあたりはほぼ一 直線の道になる。  前回は菜の花が道を隠さんばかりに咲き乱れていたが、今はグレーの アスファルトを茶色の芝が縁取っている。  前方には取手の、右手には柏の高層ビル群が見えてきた。田舎道を歩 いているようだが、すぐそこは大都会なのだ。  柏といえば先日Nの演奏会を見に大阪へ行く新幹線で隣り合わせたピア ノの先生が住んでいる。  彼女は京都に着くまでずっと自分のピアノ教室の愚痴をこぼしていた が、その苦労が分かるだけに俺もずっと苦笑まじりの相槌を繰り返して いた。  Nといえばステージに登場するなりこちらに背を向け、指揮者なのであ たりまえだが、いきなり尻をかいたのでびっくりさせられた。  本人はドレスの乱れを直したのだと言っていたが、以前には背中のファ スナーがはずれていたこともあった。  なんだかそんなにんまりとしてしまう出来事を思い返していたら、い つの間にか我孫子に着いてしまった。  河川敷はゴルフ場になっていて、土曜日でもあり、多くの人であふれ かえっている。  我孫子で昼飯と考えていたが、足を止めるきっかけがつかめずにその まま通り過ぎてしまった。    しばらく行くと面白いことに取手市の飛び地があった。コンビニで店 員に道を訊くとこの辺の人間ではないから分からないと言うので変だと 思った。  そうか、茨城県の人間に千葉県の道を訊いていたのか。   再び我孫子市になり、河川敷の公園では背筋を伸ばして乗馬をしてい た。  焼却場の煙突は白い煙を真横に吐き出していた。  バッタが寒さを堪えるようにじっと地面にへばり付いていた。きっと こいつはそのことことに精一杯で他に何も考えてはいないのだろう。  俺の頭の中も次の500m標識にたどり着くことだけだ。  それを睨みつけて歩いた。
 
 印西市・栄橋の手前で突然サイクリングロードは消える。一般道を歩 くことになるが、道が狭いうえに交通量は多くて恐い。  足が痛くて歩みが遅いので、栄橋交差点は信号を2回も待って渡った。  やがてサイクリングロードが現れ、ほっとしたところで休憩。  今日はもう30km近く歩いていた。  靴を脱いで土踏まずや踝あたりをマッサージをする。  今走っている寛平ちゃんやエドはるみも、こんな時はすぐさまマッサー ジをしてくれる人が現れて丹念に揉みほぐしてくれるのだろうな。  まだ時間は早い。今日の予定は次の街の木下の予定だが、もうすぐそ こに見えている。あと8kmほど歩けばさらに次の安喰だ。  今日そこまで行ければ明日からがぐっと楽になる。  安喰まで行くことにした。  それからは陽が落ちるのと競争だった。  木下でちらっと見た時計が1時過ぎ、安喰には3時半には着けると思っ たが、足の痛みもあって時間を食った。  途中の若草大橋で人に訊くと目当ての安喰駅までまだ5,6kmあるという。  こんな時ケータイでも持っていれば宿に一言遅れると伝えて安心でき るのだが、俺はそんな物など持たない。  ケータイと自販機とコンビニが旅の質を落としている。  陽は暮れかかり、時刻は4時を過ぎていた。  電話を見つけ、一軒しかない宿に電話を入れると泊まれないという。  予約はしていなかった。  泊まるところが決まっている旅も好きではないからこういうこともあ る。  駅まで歩き、電車で確実に宿のある成田に行くしかない。  これくらいのアクシデントは想定内だが、足の痛みが想定外に大きい。  結局5時に安喰駅に到着し、すぐに来た電車で成田駅へ。車窓から富士 山がシルエットで見えていた。
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