平和大通りは都市計画街路比治山庚午線4、78kmの一部で、鶴見橋、新己斐橋を含んだ3.93kmの区間です。
昭和21年、広島市復興都市計画において、防災道路を兼ね美観的な緑地を持った道路として計画されました。その後、広島平和記念都市建設法(昭和24年)により、広島市の中央を東西に貫く平和記念道路と位置づけられ、平和記念公園、河岸緑地などと一体化させて整備されることになりました。
「100メートル道路」と呼ばれていましたが、広島市は昭和26年に市民から名称を懸賞募集し「平和大通り」と名付けました。

・初期整備
昭和28年、468本植栽されたがその後はなかなか進みませんでした。
・供木運動
昭和32年、広島市は「広島の地を緑でおおわれた平和の郷に」と樹木の提供を県内市町村、篤志家などに呼びかけ、これに呼応して昭和32年〜33年に、高木など約2500本と多くの低木が寄せられました。
・合併の森整備
昭和46年〜52年、周辺各市町村との合併を記念して各市町村の特徴ある樹木を植栽しました(中広通り・空港通り〜新己斐橋間)。
・被爆者の森整備
平成元年、国際平和年にちなんで日本原爆被爆者団体協議会から贈られた、各都道府県を代表する樹木を植えました(駅前通りの東側)。
・各地から寄贈された樹木
昭和28年 アルゼンチン大統領夫人エバ・ペロン氏より、アメリカデイゴ、アメリカサイカチの種子が贈られました。
昭和28年 「世界平和デー委員会」の中心的活動家であるアルフレッド・W・パーカー氏(米国オークランド市)が各国に呼びかけて広島市に寄せられた寄付により、ウメ、カキなどの果樹が植えられました。
昭和32年 広島大学森戸学長が世界に呼びかけて贈られたものと、それに呼応して己斐植木組合が植えたメタセコイアが白神社前の道路両側にあります。
昭和33年 庄原市七塚原演習農場よりトチノキが贈られました。
昭和36年 ハワイ公園委員会ジョージ・佐々木氏より400本のキョウチクトウ(白花)が贈られました。
昭和46年 小豆島池田町長より平和の木オリーブが贈られ「オリーブの森」として駅前通りの北東側に植えられました。
昭和48年 青年会議所より贈られたフサアカシアが白神社前から鶴見橋まで植えられました(現存していない)。
これらの植樹活動にあわせて、広島市の公営苗園などで育てられた樹木が植えられ、現在、高木だけで約2200本の樹木が根づいています。
被爆樹木として、白神社前(爆心地から530m)にエノキ、クロガネモチ、ムクノキ、センダン、カキがあります。