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東海道の宿場街として
栄えいま、みどりと
うるおいのある文化
住宅都市に
石部町
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| 町民のやすらぎー臥龍の森 |
東海道歴史資料館の前庭には、すばらしい大きな庭石があります。臥龍の森一帯の緑と、ほどよく調和し、町民の安らぎを醸し出す、そうした一角に庭石があって、訪れる人たちを心持ちしているかのようです。 |
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| 甲賀「西の玄関口」石部町 |
石部町は、“仏教文化に結びついた奈良・京都といった都との交流”東海道五十三次の宿場“関西鉄道の開設、その後国鉄草津線となり、住民の願いによる電化後の現在に至っても大津・京阪神との密接な交流”など、長い歴史を振りかえってみますと、いつも甲賀郡の窓口を果たしております。まさに「甲賀郡の西の玄関」が石部町です。 |
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| 独自性を形成してきたまち |
滋賀県内五十市町村(七市四二町一村)のなかで、面積の小さいのまちから数えて四番目です。「合併することがまちの発展につながる」といった従来の町村合併に走らず、ひたすら独自のまちを形成し、八十年を過ぎてきました。三千四百人の人口が八十年後のいま約九千八百人。これからも増え続けていくでしょうが、小さくても、大きな役割を担っているまちといえます。 |
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| 往時のおもかげを残す白壁 |
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石部駅 |
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長寿寺 |
常楽寺 |
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むかしをしのぶ
歴史や産業 |
石部・東寺・西寺が町内の大字で、一つのまちとしては珍しく少ないのです。このうち東寺と西寺は、阿星山・雨山と手を結びながら石部町の文化を醸し出してきました。信楽と背中あわせにある阿星山は、古くから大和との交流が深く、仏教文化の一中心地でありました。かつては、山頂の阿星寺(現在は廃寺)を中心に、多くの伽藍や僧坊が建っており、その麓には、今も別所として「長寿寺」(東寺)、「常楽寺」(西寺)が現存し、昔をしのぶことができます。 |
また、伊勢参宮道、東海道五十三次の宿場まちとして、いまだにその面影を残しているのがわかっていただけると思います。
さらに、金銀銅などが採れていたことが、江戸時代の木内石亭の著書「奇石産誌」に明記されています。大理石や糸巻石といった石も採石され、石部の産業となっていました。
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| 東海道歴史資料館 |
石辺が古くからの呼び名であったことからも推察できましょう。東海道歴史資料館前庭の庭石は、れっきとした石部の石なのです。
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| 文化住宅都市―石部 |
| 近年、急激な人口増に伴うベッドタウン化がみられます。ところが、先人が培ってきた緑豊かな大地は、そこに住む人たちのうるおいと、明日への糧を導き出してくれています。「みどりとうるおいのある文化住宅都市」をめざす石部町の将来は、この恵まれた遺産を大切にすることからはじめられています。 |
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臥龍の森 |
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面積/13.28平方キロメートル(うち耕地面積1.61平方キロメートル)人口(昭和61年1月1日現在)/9.735人 世帯数(昭和61年1月1日現在)/2.671世帯 産業別就業者数(昭和55年)/第一次135人 第二次2.102人 第三次1.661人 製造品出荷額等(昭和58年)/6.063千万円 年間商品販売額(昭和57年)/696千万円
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