宗教的な救いを求める心がよみがえってきたのでしょうか。いや、何かに祈らずにはおられないほどに心の悩みが深いというのでしょうか、救いを「信仰の旅」巡礼に求める人が多くなりました。日本人ほど「旅」に生きがいを求めてきた国民は少ないでしょう。だから巡礼という信仰習俗もその精神構造に深く根をおろしており、それが今あらためて問われているのです。巡礼は、もともと、宗教上の聖地の巡拝を意味し、ほとんどの宗教にあります。仏教では、釈迦の四聖地であるルンビニ国、ブダガヤ、鹿野苑、クシナガラを巡礼する慣行があり、日本では、古代以来、修験者によって霊山巡拝が行われてきました。各地にある修験の霊場、大峰、熊野、富士、立山、大山、白山を、修験者たちはつぎつぎに回って修行を重ねました。日本でよく知られた巡礼に、京都の百塔巡礼、比叡山三塔巡礼、京都の七観音巡礼があり、その他日蓮宗の二十一ケ寺詣、浄土宗の法然ゆかり二十五ケ所詣があります。しかしながら、中世、近世を通じ、最も有名なものは西国三十三ケ所観音巡礼と四国八十八ケ所巡礼です。甲賀三十三ケ所観音霊場は江戸時代、正徳二年(一七一二)に、土山町永雲寺第四世容堂和尚が、観音霊場を巡礼する功徳(よい行い)の宏大なことを、多くの人びとに知らせたと思い、さかんに宜伝されたのがはじまりといわれています。第一番札所擽野寺から三十三番永雲寺までの行程はほぼ二十里、八十キロです。一日二十キロ歩き八ケ寺程参拝して、四日間の行程になります。
甲賀巡礼三十三ケ所を町別にみると
甲賀町・・・・・・・・・・・・11霊場
甲南町・・・・・・・・・・・・・6霊場
水口町・・・・・・・・・・・・・4霊場
甲西町・・・・・・・・・・・・・4霊場
土山町・・・・・・・・・・・・・8霊場
宗拝別にみると
天台宗寺院・・・・・・・・・13ケ寺
臨済宗寺院・・・・・・・・・10ケ寺
曹洞宗寺院・・・・・・・・・・2ケ寺
浄土宗寺院・・・・・・・・・・6ケ寺
黄檗宗寺院・・・・・・・・・・1ケ寺
真言宗寺院・・・・・・・・・・1ケ寺
霊場の御本尊
聖観世音・・・・・・・・・・・・9体
十一面観世音・・・・・・・・17体
十一面千手観世音・・3体
千手観世音・・・・・・・2体
如意輪観音・・・・・・1体
滝見観音・・・・・・・・1体
霊場は野洲川の上流と杣川、そして杣川に流れこむ支流にあり、十一面観世音が多くみられます。近江三十三ケ所霊場観音巡りは、石部からはじまり、湖国近江をひとまわりして、甲西町三雲の妙感寺を打ち止めとしているなど、甲賀の地には観音信仰が大変栄えたところです。また、甲賀准四国霊場があります。これは四国八十八ケ所をなぞらえたもので、第一番の甲賀町滝にある龍福寺から、八十八番の水口町松尾の願隆寺まで全距離五十三里余、ほぼ二一二キロです。甲賀准四国霊場は明治四十二・三年頃に設けられたようです。
旧町村名で札所数を示してみますと
油日村・・・・・・・・・・・・・6
大原村・・・・・・・・・・・・・6
宮村・・・・・・・・・・・・・・・3
龍池村・・・・・・・・・・・・・8
鮎川村・・・・・・・・・・・・・3
山内村・・・・・・・・・・・・・6
貴生川村・・・・・・・・・・・2
北杣村・・・・・・・・・・・・・5
南杣村・・・・・・・・・・・・・3
小原村・・・・・・・・・・・・・2
寺庄村・・・・・・・・・・・・・6
朝宮村・・・・・・・・・・・・・1
佐山村・・・・・・・・・・・・・3
多羅尾村・・・・・・・・・・・1
大野村・・・・・・・・・・・・・2
長野村・・・・・・・・・・・・・1
土山村・・・・・・・・・・・・・7
雲井村・・・・・・・・・・・・・2
三雲村・・・・・・・・・・・・・5
伴谷村・・・・・・・・・・・・・2
石部村・・・・・・・・・・・・・3
柏木村・・・・・・・・・・・・・4
岩根村・・・・・・・・・・・・・3
水口村・・・・・・・・・・・・・4
人びとは尊いものに礼儀をつくし、きよいものにあこがれ、美しいものにひかれるのです。これを巡礼のこころといえるのではないでしょうか。巡礼は、人間の「物の歴史」に対して、「心の歴史」の一面があります。ほとんどの人びとは、休む暇なく、自分の仕事に精を出し、働きながら「心の歴史」を築いてきました。「心」だけはだれも犯すことができなかったのです。その「心の歴史」は、村々の辻や路傍や、寺院の門前に巡礼碑が立てられているところにあらわれています。自分の功徳とともに、甲賀郡民が江戸時代をどのように生きたかがわかるようです。
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