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自然と歴史の豊かな
まち
地場産業をささえる
若者たちのまちに
甲賀町
 
 
万川集海
 
緑におおわれた自然のまち

南鈴鹿−三重県と背中合わせにある邦須が原山・油日岳などが連なっている山なみを、私たちはこう呼んでいます。山々は植林が行き届き、緑におおわれ、四季おりおりの自然が充満しています。大都会のよごれた空気は微塵もありません。すばらしい自然があるまちといえます。人煙盛んなりし古より今日にかけて、私たちの安らぎや心をいやす薬に匹献するものとなっているのです。
 
「甲賀のくすり」発祥の地

甲賀町は「くすりのまち」です。配置売薬という行商方法で、地場産業を発展させてきました。富山県と並ぶ産地です。いまも、十九企業が製造し、約二百五十人が全国各地の家庭を訪問し薬を届けています。
甲賀売業の元祖といわれる渡邉詮吾と、その弟子の大北岩吉・藤岡繁蔵・岡本与三松(「三羽烏」と呼ばれている)らによって、製薬産業と配置売薬の基礎固めができました。これら先人の製薬技術と販売方法確立にかける努力のたまものによって、「甲賀のくすり」はできたのです。近年は、中国との技術交流・漢方薬の研究に取り組んでいます。
初期の配置売薬
 
古い歴史も数多く

鹿深の里と呼ばれ、甲賀郡で最も早くから開拓されているのが甲賀町です。今から約一万年前の縄文早期住居跡が発見されていること、日本書記に鹿深、倉歴道(甲賀から柘植にいたる古い道の名前)の名が明記されていることからもわかります。そして、歴史の宝庫でもあります。壬申の乱の古戦場、数多くの中世城郭跡などから、歴史の舞台裏として大役を果たしたことを知ることができます。さらには、近江心学の第一人者・立川政伸や甲賀武士の総帥、和田惟政といった偉人の遺業に接することもできます。こうした足跡を一つ一つ探究することによって日本のおいたちが勉強できる大変奥深いまちです。
大原ダム
佐治城跡
油日神社
   
ユニークな「すいりょう節」

甲賀町には、「すいりょう節」と、いうユニークな民謡があります。この歌にふりつけられた古来のおどりは、日本のフォークダンス連盟に選定されていて(滋賀県では「江州音頭」との二曲だけです。かんばつに対する雨乞祈願の歌とおどりとして、昔から伝っている民謡です。保存会もつくられ催しごとやお盆などに親しまれています。
 
「若者たちのまちに」

また甲賀町は、甲賀郡の中で高令者の占める割合が一番高い町です。そこで、働き、憩い、学ぶといった若年層定着の条件整備に重点をおいています。例えば、住宅地・工業団地の造成、地場産業である薬業の近代化・合理化・後継者育成などであります。

こうした柱を「自然・文化・産業の調和した若者が定住できる町」に積極的な取り組みをはじめております。
新しい薬品の研究が進む
     

面積/71.77平方キロメートル(うち耕地面積12.63平方キロメートル) 人口(昭和61年1月1日現在)/12.113人 世帯数(昭和61年1月1日現在)/2.829世帯 産業別就業者数(昭和55年)第一次1.277人 第二次2.619人 第三次2.620人 製造品出荷額等(昭和58年)/4.085千万円 年間商品販売額(昭和57年)/940千万円
 
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