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城下町として栄えたまち
いま、郡の中枢として
のびゆく
水口町
 
 
水口まつり
それぞれの水口八景

岡山の翠嵐、梅岡の曙月、綾野の新雁、矢川の遠鐘、横田の長流、飯道の晩霞、波涛の帰樵、日野の晴雪、これは、水口城主・加藤明友公(一六一五〜一六八六)が選定した水口八景です。また、歌人羽根田文明氏の撰詠をもとにした史的水口八景もあります。古城山、嘉明社、大岡寺、尻振寺、牛が淵、腰掛石、蓮華寺、義民塔、そして、いまの水口八景は、飯道の朝霞、水口まつり、城山の翠嵐、笠かけの老杉、大岡寺のさくら、岩上の清流、庚申の秋色、大池寺蓬莢の庭、となっています。これら八カ所の歴史を知るだけで、水口を理解できると思います。
水口城の図面(水口神社所蔵)
水口城跡
   
城下町水口

水口は城下町でした。秀吉の時代には岡山城、家康の時代には水口城がありました。岡山城は、天正十三年(一五八五)中村一氏によって、城山に築城されています。三層天守閣の城は、彦根城に劣らぬ景観であったといわれています。そして、東西に三本の街道をもつ独得な城下町が完成したのもこの時期でした。水口城は、岡山城築城から約五十年後(寛永十一年・一六三四)に、小堀遠州(築城造園の名手)によってつくられています。この城は、京都二条城のように天守閣のない城でした。四御茶屋御殿の一つとして、将軍専用の宿舎となっていました。城主は、賤ケ岳七本槍の一人である加藤嘉明の子孫です。この城は、別名碧水城と呼ばれました。堀の水が湧水で、水がいつまでもかれないところから、このように呼ばれたのです。今も当時を偲ばせる城跡が残っております。そして、岡山城跡は町民憩いの広場に、水口城は県立水口高校の運動場になっています。
岩上の清流
庚申の紅葉
大池寺庭園
 
郷土水口から偉人あり

「お伽話のおじさん」は、水口にゆかりの深い人です。童話作家・小説家・俳人として、明治から大正にかけて活躍した巌谷小波がその人です。彼の作品『黄金丸は、明治文壇で初めての創作童話であることから、歴史の上でたいへんすぐれたものとされています。彼の父は、水口藩士巌谷一六で、書家として有名でした。天保義民之碑の字は、父一六のものです。親子ともども、郷土水口が誇る人なのです。
 
甲賀の中枢として

水口町は、甲賀郡の中枢的機能(行政・経済・文化など)の役割を担っているまちです。近年、水口文化芸術会館完成を契機に、この機能をより充実させるための整備が進められています。
例えば、生涯教育と高等教育(大学等)の拠点づくり、水口第二工業団地の開発、貴生川駅周辺の整備、水口スポーツの森の充実などです。
     
面積/68.77平方キロメートル(うち耕地面積16.05平方キロメートル) 人口(昭和61年1月1日現在)/28.801人 世帯数(昭和61年1月1日現在)/7.478世帯 産業別就者数(昭和55年)/第一次1.163人 第二次5.384人 第三次6.269人 製造品出荷額等(昭和58年)/11.449千万円 年間商品販売額(昭和57年)/5.698千万円
 
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