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| 地場産業 「信楽焼」 |
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信楽焼(瀬戸・常滑・丹波・備前・越前古窯とともに日本六古窯の一つ)といえば、すぐに思い浮かぶのが狸の置物。笠をかぶり、酒徳利を手にしたあのユーモラスな狸は、いわば信楽のシンボルとなっています。しかし、信楽焼で狸の占める割合は、微々たるものです。では、主な生産品は何か。時代をさかのぼって紹介します。千二百年ほど前の創始時代は瓦。鎌倉時代(地場産業として産地形成した)は種つぼ、すり鉢、水がめ。室町時代は茶陶器。江戸時代は茶つぼを中心とした日用雑器。明治時代は火鉢。第二次世界大戦末期は、陶製の地雷火など軍需品、鍋、郵便ポスト。戦後は火鉢の復活。その後、昭和三十年代の生活用式の急変に伴い、火鉢の需要が急減。いまは植木鉢、食卓用品、室内外装飾具、照明具、建築用タイルなどの日用陶器や建築用陶器。このように、時代とともに大きな変化を遂げております。これからの信楽焼は、植木鉢にかわる新商品の開発につとめています。その布石は着々と進められています。例えば、大手ハウジング関連会社との業務提携。全国的に有名な木細工産地の小田原・箱根物産連合会との異業種業務提携。さらには、陶板でつくった壁画(陶板レリーフ)の普及に努力していることです。また、遠赤外線のサウナ風呂の応用。新開発の螢光釉薬による道路・防災標識への進出。新幹線・高速道路用の陶製防音壁の開発。陶製リビング家具への進出が実現可能になっております。雨天でも滑りにくい安全なタイル。このタイルが、歩道にしきつめられています。焼きものを生かした信楽の新しいイメージは、即、信楽焼の明るい展望に結びつきます。信楽焼の将来は、こうした努力と研究開発において、着実に進展していくものと考えます。
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伝統の技 |
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信楽伝統産業会館 |
信楽焼タイルを活用した歩道「炎の美通り」 |
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| 地場産業「薬」 |
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近代化されたくすり工場 |
滋賀県は、古くから薬草の宝庫として有名で、天智天皇(六六一〜六七一)のとき、蒲生野に薬猟されたと史料に残されています。甲賀町では、古の都、京・奈良に近いこともあって、この薬草をつかった「くすり」の製造が行われてきました。医療を専門とするもののほか、神社の神官、寺院の僧侶なども参加し、おのおの家伝的な「くすり」を創製したのが始まりです。その後、印籠に入れた護身用から施薬用と使用範囲が広がり、やがて「売り薬」へと発展し、除々に国内各地に商業圏を拡大してきたのであります。この伝播の経過には、甲賀武士(甲賀忍者)、神符(多賀大社・朝熊宮・祇園宮)を配布する薬僧、坊人、さらには山伏などが深くかかわっております。そして「甲賀のくすり」は、こうした人たちの知恵と情報、さらには製造技術の並々ならぬ努力によって、地場産業として定着してきました。いまの「配置薬」専業となったのは、配札禁止令のでた明治の初期からであります。時代と共に医学も薬学も進歩し、以前「売薬」の名称で親しまれていた薬は「家庭薬」「大衆薬」と呼ばれ、甲賀のくすりも含まれています。近頃、「自分の体は自分が守る」との運動が盛んになってきました。軽い病は、自己の判断で薬を選択するという、セルフメディケーション(自己治薬)の必要性が叫ばれているのです。業界では、この動向をいち早く受け止め、新しい取り組みに情熱を燃やしています。協会が中心となっての研修・研究強化とか、中国漢方薬との国際的技術交流の促進などを図っています。家庭薬としての「甲賀のくすり」は、高い品質を保持しており、消費者から見直されています。身近な家庭内に、郷土のくすりを備え、常日頃の常備薬として使っていただけるものとなっているのです。
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見なおされている漢方薬の原料 |
漢方薬の製造 |
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