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東海道五十三次の四
十九番として栄えたまち
いま、この地にみどり
と文化が薫る
土山町 |
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平子峠のあたりは、西に向いて喜ぶ顔。
(顔面が、あんどと喜びでしわくちゃになり、凹部が多い。)
三子山のあたりは、東に向いて緊張の顔。(口を幾分とがらし、突張った感じ。)
水口側の西端は、細く、トンネルのようになっている通路。
(京へ向かって、トンネルを抜けると開放感に浸る。) |
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| 宿場町土山の往時風情(広重作) |
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| 鈴鹿峠に代表される東海道の宿場町 |
| 土山町の地形は、古より旅人の悲喜こもごもの顔の変化を、敏感にとらえていたのではないでしょうか。鈴鹿峠を無事通ってきたか、これから通ろうとしているかによって、街道を行く旅人たちの姿は、はっきりと区別できたでしょう。 |
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今も残る宿場町の風情 |
| この街道は、伊勢参宮道として、都と伊勢を結ぶ街道でした。その後、近世になってから東海道となったのです。それ以後、土山町は、東海道五十三次の四十九番目宿場と鈴鹿峠に代表されるまちとなっています。 |
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| 県下一の生産を誇る土山の茶 |
土山の茶は、県下一の生産を誇る産業です。味・色・香り、すべてが一級品として評価されています。手入れの行き届いた茶畑は、土山町を象徴する風景として、車窓からもよく見ることができます。土山は茶の町なのです。土山茶の始祖は、今から約六三〇年前にさかのぼります。常明寺(南土山)の鈍翁了愚禅師が、京の都から種子を持ち帰って植えた(文和五年・一三五六)のがはじまりです。その後、永雲寺(北土山)の僧が、高座園という茶園をつくり、量産し、旅人に販売しました。これが産業となり、今日に至るまで隆盛を誇ってきています。田村神社前の自然休養村管理センター「土山宿」には、ミニ製茶仕上げ加工施設と茶室があります。気軽に利用でき、茶の味、香りを味わえるところとして、訪れる人の評判になっています。
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県下一の生涯を誇る土山茶 |
鈴鹿山系 |
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| 厄除祭で賑わう 田村神社 |
小春日和となったのも束の間、二月十七日には毎年寒の戻りを思わせる寒い日となります。この日から三日間参道は足の踏み場もないほど賑わいをみせるのが、田村神社の厄除祭(二月十七日〜十九日)です。田村神社は、弘仁三年(八一二)に創建された由緒ある社で、坂上田村麻呂にまつわる伝説があります。また、国民宿舎かもしか荘の隣に「若宮さん」の呼称で崇拝されている若宮神社があります。この神社は、選挙の神様として全国的に有名です。
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田村神社 |
岩宮神社 |
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| 「みどりとかおりの里」をめざして |
土山の自然、文化、産業が織りなす自然公園「町域自然文化公園・みどりとかおりの里」づくりをめざしています。具体的には、美しいまち・楽しいまち・おいしいものがあるまちで、これらを最大限に生かす努力がなされています。 |
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面積/126.20平方キロメートル(うち耕地面積10.04平方キロメートル.) 人口(昭和61年1月1日現在)/9.924人 世帯数(昭和61年1月1日現在)/2.454世帯 産業別就業者数(昭和55年)/第一次881人 第二次2.256人 第三次1.641人 製造品出荷額等(昭和58年)/2.817千万円 年間商品販売額(昭和57年)/774千万円
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