[6]かごめ唄
これまでの中で籠神社のかごめ紋(六芒星)や鞍馬寺の六芒星から「かごめ」が気になりました。
籠神社の「籠」。灯篭の「篭」は、竹冠に竜、何故この文字に竜が入っているのでしょうか。
竜神は「水の神様」だからでしょう。
そして、三柱鳥居から「とりい」。
「かごめ」と「とりい」から、「かごめ唄」が頭に浮かび、次に調べる事にしました。
現代は何と便利なことか。高蔵で鳥肌が立ってから数時間の内に、ここまで辿り着けるなんて思
ってもみませんでした。
「かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、夜明けの晩に、鶴と亀が、すべった、うし
ろの正面だあれ」は、文献では、この唄は、江戸中期以降に僧侶の文献から現れるとされてい
ます。
そしてカゴメケチャップの会社のある街から広まったとされ、『後ろの正面』という表現は、
明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治
以前の文献で確認されていない。『鶴と亀』『滑った』の部分については定かでないとする人
もいます。
「かごめ、かごめ」は、六芒星と囲めが掛けてある。
「かごの中の鳥は」は、「六芒星の中の鳥居(鳥と鳥居が掛けてある」
「いついつでやる」は、「いつ現れる」
「夜明けの晩に」は、
この時間だったら今まで明るくなっているのにまだ暗いと感じる時だと思いますが(冬至?)、
私の体験で霊とかが出る時間帯は明け方が多いです。犬の霊が出た時は、3時。階段を、
「バン」「バン」「バン」とオーブ(トラップ現象)が降りてきたのは6時。
地震雲を良く見るのも明け方。太陽と地面との関係でしょうか?
「鶴と亀が滑った」は
清元節の浄瑠璃「月花茲友鳥」より、「つるつるつるつっぱいた」が変化したもので、
「するすると突っ込んで入っていった」という意味で、これが私にはぴったりだと感じました。
私なりに次のようにまとめます。
《イスラエルの六芒星から考えると》
三柱鳥居は外国の宗教と関わりが有るようです。(木嶋神社の由緒に書かれていて、現在調査中)
私の知っている京都の歴史で、子供が小さい時ボーイスカウトに入っていて、集会がある時に
「いやーさか」と何度も連呼することがあります。それは、イスラエルの言葉で「神に祝福あれ」
との事、そして、それは、八坂神社の名前の原型になったものです。渡来人の部落の上に作られ
たものです。昔の記憶なので少しちがっているかもしれません。籠神社にある真名井神社には
土の中に埋まっていた真名井神社の由緒が書かれた石碑があり、籠目紋(六芒星)が刻まれてい
ました。
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真名神社石碑建立当初 現在 真名神社狛犬ならぬ狛龍
籠目紋は、イスラエルの国旗のマークと同じであったため話題となりました。
日本人とユダヤ人の祖先は 同じであるとする「日ユ同祖論」も有り、伊勢神宮の灯籠の
マークからも、証拠とされています。
この件が注目されたためか、現在では籠目紋は削り取られ、 三つ巴紋に変っています。
このように、この唄にキリスト教の影があっても不思議ではありません。
六芒星とイスラエルの国旗のマークとの類似を見てもこの説もありかなと思います。
「6(かごめ=六芒星)6(かごめ)6(かご)の中の結界中のサタン(かごの中の鳥居)はいつ
現れるのか」
三つ目の6は「かごめ」ではなく「かご」だから少し無理に6にしているのではと思われますが、
この部分に鞍馬の六芒星の絡みを、「かごめ唄」に感じ取れれます。それは、籠神社は「この
じんじゃ」と略した様な古代文字の読み方であるからです。「籠目」を短くして「籠」。
「かごめ」を3回繰り返せば「666」を容易に連想されてしまいます。
「ヨハネの黙示録」に「666は知恵を使って読み取るように」と書いています。
鞍馬寺の護法魔王尊(天狗)は、字からして「サタン」。サタンは、元は天使、天狗の羽も納得
です。
また、籠神社は元伊勢の社とも呼ばれています。伊勢の灯篭には六芒星。だから元伊勢神社も
六芒星。
籠神社の社紋は六芒星、そして、絵馬には、雲の上に船があり神様が乗って(雲だけに乗るのが
普通でしょう)天から下りてくる様子が描かれています。まるで、私が5月24日に見た雲のUFO
を。連想させます。

《鞍馬寺の事を考えて解釈するなら》
「籠目紋の中の井戸に入って行った天狗様、いつ出てくるのですか」
この中が天狗であろうと、サタンであろうと、鳥居の上の三本足のヤタガラスでも意味は同じな
ので、どれも正解でしょう
「六芒星(籠目)の中の結界の中心にあるエネルギーは、いつ発動するのか」
この様な解釈には次の不可思議な事から導いています。
そして、いつも出てないエネルギーが、いつ出るか私には、とても大事な事なのです
このエネルギーは、生命が誕生する時にDNAに悪さをするみたいだからです。私の
住む場所が、このパワーを発生するところだからです。
多分、昔の修験者も、これを知っていたから、このような唄を作ったのでしょう。