[18]高賀山の魔物伝説


三柱鳥居の「柱」は、神は「人」と呼ばず、「柱」を使います。

柱は宇宙と繋がっていて、日本には81箇所創ったと神話では

言われています。三柱は、宇宙を創った三創造神と考えます。

今まで三柱鳥居はパワーを押さえるものと考えてきましたが、

虚空とつなげている空間が正しいのでしょう。

UFOやお化け等の目撃等の事象を もういいかげんに人類は

正確に認めないと見えるものも見えなくなるでしょう。、私のような人間がまだ白い目で見られるようでは

いろんな現象の検証ができないです。

宇宙の創造も、いつまでたっても理解できないでしょう。


高賀神社(こうかじんじゃ)
高賀神社近く

洞戸の三柱鳥居の下にある高賀神社(こうかじんじゃ)へ行って来ました。

村のキャッチフレーズは。信仰の村。渓谷には、大きな岩が特に目立ちました。

もっと、寂れた人の来ない神社だと思っていたら。

土曜日という事もあり、結構な人でした。

社もりっぱで、剣花菱と葵と菊の紋が入っていました。

剣花菱は大陸伝来の紋だそうで、この近くの人々には使われていません。

武田信玄が使用したとされています。








この社の隣には、円空記念館があり、数多くの遺作を見ることができました。円空は、

ここの祠に篭って修行をしたそうです。


ここには、妖怪伝説が数多く残っていました。

本堂の前にはこんな伝説が書かれていました。


霊亀年間(715〜717)に夜な夜な怪しい光が都から この地へ飛んでいくのを 人々は 

目撃し驚いた。


そして、都にも妖魔が出没した。そこで、高賀山麓に神壇を飾ったところ、この光が

出現しなくなった。これが、高賀山本神宮の始まりで。

その後、牛に似た妖怪が住み着き、村人に被害を加 えたので、承平 三年(933)に

天皇の勅命を受けた
 藤原高光が退治し、この山麓に神々を祀ったという。


 また天暦年間(947〜956)にも妖怪が出没し藤原
高光が退治した。この時、

高賀神社、那比神宮神社
(八幡町)、那比本宮神宮神社(八幡町)、星宮神社

(美並村)、滝神社 (美濃市)、金峰神社(美濃市)の六社が祀られた。


近世になると、三度、妖怪が現れ 近衛天皇の時(1142〜1155)頭は猿体は虎、尾は蛇、

の姿をした
怪獣が現れたとされ今日まで「さるとらへび伝説」としてつたえられいます。

なお、美並村を流れる
粥川の が藤原高光の案内をしたと伝えられて、

今日でもこの地区の人々は鰻を殺さないとのことで、

ここに生息する鰻を特別記念物に指定されています。

平安時代末期にはすでに仏教道場として繁栄し、観音信仰があったとされ、

また、鎌倉後期には
虚空蔵菩薩信仰 が導入され、「高賀山修験」が成立したと

言われている。鎌倉時代以降から明治
時代の 神仏分離までは、神道の神の姿をとらず、

本地仏として虚空蔵菩薩としてきたとされ岐阜県と石川県またがる白山を中心とした

白山信仰に見る
ように、人々の生活を自然崇拝の神としてではなく、高賀山麓一帯の農耕

に大切な水や雨を司る神の
山として、尊ぶ地に成立した。


六社

多分、この事件があったから、京都の鬼門を鞍馬寺
に守らせたのでしょう。

京の北西にも鞍馬同様、魔界伝説のある愛宕山があり、ここは天狗の修験道場の

ひとつでした。 ここには最初
5人の天狗が住んでいましたが、だんだん増えて 12人

となり、 やがて長楽寺からひとりの天狗が加わり、13人の大、小天狗が住むようになり

「十三天狗」 と呼ば
れるように なりました。 天狗たちは、羽団扇を持って雲にのり、

大空を矢よりも早く 飛ぶ事ができました。ここの
愛宕神社は、全国800社余りの

愛宕神社の総本社です。


そして、防火の神様で有名です。


鞍馬寺と愛宕山は、虚空蔵菩薩と地蔵菩薩の繋がりと同じです。

また、高賀神社に戻りますが、3度目の妖怪を退治する時に、鰻が道を教えた伝説が有り、

ヤタガラスも道を教え
た伝説で有名です。かごめ唄のところで、天狗でも、ヤタガラスでも

同じと私は言っていました。虚空蔵菩
薩が鰻に乗って降りてくる伝説も、竜に乗って降りてくる

では、駄目だったのでしょうか?場所を伝えたかった(浜松)のでしょうか。

ここでは、美並村。

我が家の不思議
な繋がりで、次女の彼氏は浜松生まれで、浜松で鰻屋を開くのを目指して

いる青年。そして、次女の名前は
「みなみ」。


妖怪伝説は、高山でも見つかりました。円空仏の寺として知られている千光寺(飛騨高山。高野山の密教寺)

と善久寺にもあり、高賀神社の事件の600年前にも朝廷が征伐を行った。この2寺はこの妖怪が

開基になっています。

この二寺を名前的にみると、善光寺と関係ないだろうか?


善光寺の名前の由来は、前田善光が、大阪の難波付近で不思議なものを見つけ、信州の自宅へ持ち帰って

臼の中に置いたら、光ったので祀った。天皇の勅命により今の場所に移され、発見した善光の名前を取って

善光寺と付けたとされるが、光の字が名前に入っていて、光るものを見つけたというのは、少し出来すぎては

ないだろうか。むしろ、善光寺が建立される250年前の言い伝えを主に持ってきた方が自然な流れではないで

しょうか

その本尊は、住職さえ見れなくて、本堂の瑠璃壇に納められています。

私の見た多度からの光も瑠璃色。