[19]土用の丑との繋がり



土用の丑の日を作ったのは江戸時代の発明家、平賀源内説が有力です。

「かごめ唄」を広めたのが浅草の修験僧なら、朝廷が妖怪討伐に洞戸に

向かわせる
ほど大きな事件であって、この地に多く集まった修験僧から聞

ていた、もしくは、自分がここで修行をしていた可能性は充分あります。

そして、1100年ごろ起
こった事件が、1800年ごろの平賀源内に伝って

いる事は確実で、この高賀山での出来事が、源内は意識していたように

思われます。


地の気が暴れると竜のパワーがでる事は現在の人間より信じられていた

はず
です。

高賀山付近では、鰻は殺さない事も知っていたと思われます。

土用は土の気が暴れます。発明家は流れに逆らっても新しい発想を持とうと

するでしょう。


竜を食べれば、地が暴れるのを防ぐ事ができると考えたとしても不思議では

ないと思います。
竜は、架空の生き物。だったら、長い鰻を竜に見立てて、

土用に食べる事を思いついたので
しょう。「丑」は、この地に住み着いた

牛の妖怪。


それと、平賀源内は現在の香川県さぬき市志度で生まれた。

空海の生まれたとされるのもこの近
く。祖先は元々は信濃国佐久郡の豪族

だった。
そして、高賀神社の社紋の剣花菱は信玄が使用している。

繋がりはとてもある。そして、祖先は、武田に滅ぼされた。武田と係わりの有る高賀神社

を良く思っていなかったかと思われます。だから、この地区で大切に扱われている「うなぎ」を

食べてしまうことに、なんら躊躇しなかったと思われます。

神道では、妖怪と言うのは、天然痘などの伝染病を表していて、栄養価の高いうなぎを食べることによって

抵抗力を高め防ごうとしたのではないかと思われます。通説の夏ばて防止の意味も有りますが、源内の

腹の内は、こちらの方がしっくり感じられます。


また、関市に仕事で良く行った地名は「平賀」(織田信長が、この地名を命名した。)と言う地名が有ります

戦国時代(1500年後半ごろ)この地域は、岐阜に構えた信長にとって武田との要衝です。

ここに平賀氏を持って来たとも考えられますが、この地域に平賀氏一族が居た痕跡は今調査中です。



そして、この直ぐ隣に、ポルターガイスト現象で一躍有名になった団地があり、その付近の地図を

見ていたら、高賀神社
の魔物を退治してその周りに六社を配置した中の

「星宮神社」が北東に発見。
西にも「星之神社」があります。

その場所より東数キロ
の所に、愛宕山があり、鬼飛山という変わった山

もある。どう関係があるか判らないが、私は、ここで生まれた子供の事が

知りたい。遺伝子異常
の子供が多ければ、もう私だけの問題ではなくなる。この件も時間があれば調べて

みようと思っています。

そして、偶然開いた東海環状自動車道のHPに住民の反対により計画変更

になった計画変更書が
目に入った。岐阜市の椿洞の構造変更.高架橋

からトンネルへの思い切った変更。「洞」が付いてるこの地に杭を打ったら

駄目だということでしょうか。


もう一つは、その隣に位置する御望山の線形変更(ルート変更)「御」を

つけて敬意を払った名前の山
から想像しても、とても大事な場所だった

のでしょう。


刃物鍛冶がいる所は、不思議な事が多い場所だと言っている方がいたけど

まさにそのとおりで、
各務原の地名も「影見原」が原型になっているのでは

ないでしょうか。推測ばかりで、検証するのには
時間がかかりそうです。

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