1月28日に富士山で震度5弱の地震があった。
前の記事で浜名湖のホテルで1月3日に幽霊を見た人の推測を書きましたが、
やはり、推測通り。
[すべての不思議は、橘の中にあった]
[日蓮、平賀、賀茂、井伊は同じルーツ?]
日置神社にあった橘紋を追っていったら、我が家の前の家の名前と、もう
一つ井伊家が浮かび上がった。井伊家の家紋の謂れは、井伊共保と言う
人物の出生伝説にあり、捨て子だった共保が捨てられていた所に橘が咲
いていたと言う事から来ていていますが、その時の政況から、創作された
ものとされるとする学者もいます。拾ったのが、八幡宮の宮司。八幡宮と
言えば、京都の裏鬼門で、社紋は橘。側に橘が咲いていたと、あまりにも
出来すぎているので、私も、創作説に賛成です。
この謂れは、裏を返せば、裏鬼門の意味と、陰陽道が、ここに存在し、重要
な地域と言う事ではないでしょうか。
袋井には、天理教の教会も集中しているし、あまりにも多くの事が、私の中の
事が、集まっています。
誰も、このような説を書いている人はいないので、私の説を証明するものは
薄いです。もっと、歴史的資料を紐解く必要が有るかと思っています。
継体天皇の子、三国真人の系図に共保の名前が見られ、その氏族は、配
属された土地の名に、性を変え複雑になっています。
その井伊一族の中には、日蓮聖人もいます。生まれは千葉県ですが、父
は三国大夫(貫名次郎)現、静岡県袋井市貫名一族の出で、井伊のルーツ
の一人です。だから、日蓮宗は寺紋が、橘なのです。
妻のルーツも以前書きましたが袋井です。静岡県西部の総社(愛知県であれば、
熱田神宮)の中です。
井伊のルーツの中には、平賀や賀茂といった名前も見られ、歴史の重要な
部分を支えた氏族が多いのも特徴です。
江戸時代の桜田門外の変の井伊直弼や、靖国神社の宮司を務めた人や、
本能寺の変の時、家康の「伊賀越え」に同行していたのが、このルーツの
平賀氏だったとされています。我が一族は、その時、家康を助けたと、我が
家のお寺の和尚は言っていました。
ここでも、平賀が出てきました。誰も疑問に思わなかったのでしょうか?
浜松にルーツが有り、「うなぎ」と、つながるのに、土用の丑の日のルーツに
ついて・・・・。
賀茂氏からは、推測ですが陰陽師に名前が見られる事からつながってい
ると思います。
昔の地名で、遠江国(とおとうみのくに)、淡海国(おおみくに)(浜松から掛川)
には、以前、記事で書きましたが、私の不思議の流れと、つながるものばかりです。
最初の頃に辿り着いて記事に書いた浜松の渭伊神社天白磐座遺跡と、
「井伊」と、普通では、ほとんど見られない名前との読みの類似。そして、
地域的な類似。地名の漢字は、昔から、人の名前以上に、「音読み」は
一緒でも、字が変化して来ている事は、良く有ります。この件は、今、
調べています。
日蓮は、問答抄に「海人は子なり」と言っています。と言うことは日蓮は、
「イザナギ」と言う事なのでしょうか?
「天津神」と言う事なのでしょうか?私の言う、「宇宙人」なのでしょうか?
私の通っていた高校の名前が「立花」。高校だけ、私の不思議の流れ
から外れているのではと思っていました。やはり、大きな意味を持っていました。
私とのつながりは、こじつけだけでは計れない、つながりを感じます。
橘紋から浜松付近に辿り着きました。私の初期の記事に、浜松と虚空蔵
菩薩のつながりを書いたものが有りましたが、虚空蔵菩薩の特徴を如実に
表している我が一族は、やはり、ここの人達と、場所に、引かれ合う運命に
あったようです。だから、ここにルーツのある妻と結婚したのでしょう。
違う人と結婚しようとしたら、犬の霊として現われ、この宿命のレール戻し
たのでしょう。