[55]関が原は、大いなる幣懸
5月6日に、妻とドライブに行きました。昨年もこの時期に、シャクナゲの
群生地を見に行ったので、今年も行こうと、新しい群生地を地図で探しま
した。関が原の南へ行った養老山脈の西側に見つけ、行きましたが、現
地に到着した時は、雨が強く降っていたので、この地域を散策する事にし
ました。最初に訪れた所は、多良峡という良く整備された景色のの良い
渓谷でした。トイレもきれいにしてあり、妻はとても気に入ったようで、ご
満悦でした。
多良峡
しかし、次に行った、裏養老の上石津町の唯願寺あたりから、少々、気
分が良くないのが感じられました。
この寺は、800年もの歴史を持ち、カヤの数百年の古木があり、大垣市
の景観遺産として観光パンフにも載っていました。何故、妻の気分が悪く
なったかと言うと、ここの由緒書きを見てからでした。この寺は、藤原秀郷
の曾孫が、天台宗の道場として開いたのが始まりでした。
唯願寺
秀郷の伝説は以前の記事でも書きましたが、ここにも、それと繋がる、
大蛇の伝説が有りました。
ここに有る井戸は、琵琶湖、瀬田の唐橋に有る、秀郷の祭られている
竜宮神社に、正体を見られた竜の化身が、この井戸を使って、帰って行
ったとされています。竜宮神社の井戸は、日光とも繋がっているとされて
もいます。つい私は、秀郷の説明をしてしまったのです。平将門を討伐し
た事をです。
唯願寺の井戸
次に向かったのは、日本昭和音楽村という、竜が爪でひっかいたような
形の水嶺湖の湖畔に有る、おしゃれな施設。イタリアレストランも併設さ
れていて、湖畔を眺めながらランチは、さしずめ、リゾート気分。
妻も機嫌が直って、次に向かいました。次は、上石津温泉と書いた看板
が有ったので、車を走らせると、その途中に、「安倍清明の折り石」と書
かれた案内板が有り、妻は、また、怪訝な表情を浮かべていました。
清明神社が有り、白山神社もナビに映し出されていました。
極めつけは、「大神神社」(おおみわ)が、有ったのです。
もう、ビックリして、これには、さすがの私も、辛抱たまらず、ここに行きた
いと、妻に訴えました。
大神(おおみわ)神社
上石津温泉は、温泉スタンドしかなく、ガックリきていたところに、追い討
ちをかけた形になってしまいました。
観光パンフには、先回のブログにも書いた「易」の名前を持つ友人の、
日本での戸籍上の名前がこの地に有りました。
上石津をネットで調べたら、面白い繋がりが有りました。それは、和泉市
の唐国町に山車を大正三年に、大阪の鍛冶屋の銘が有るものを送って
いるのです。
唯願寺の伝説でも「唐」の文字が見られます。以前、唐橋の事を知った
時、何故「唐」の文字が有るのか疑問を持っていました。最澄と空海が
804年に中国の唐に渡って、帰国したら直に延暦寺、高野山を創建した
事からも、中国と密教とのつながりは、表面上の歴史よりも、深く繋がっ
ていたように思われます。そして、上石津も古文書には表れていない
が、私が見つけた痕跡は、かなりの確率で、繋がっていたと思われます。
この地の大神神社は、三輪の姓を持つ右大臣が、天皇に、この地に建立
するように進言したとされています。
「折り石」は、北陸で清明が修行した時にも使っています。「折念石」と言
われていて、「日置盤」の原型と思われます。紀内でも、修行したとされ
ますが、この地でも「折り石」が有るという事は、修行した地であるはず
です。
この石は、隕石の落ちた時にできた、特殊な石とも言われます。やはり、
星が落ちた場所には、鍛冶屋が関係していると言われ、山車の製作にも
関わっている事を見ても、大正時代になっても、平安時代からの何かを、
かたくなに、守っていると感じます。
地名にも、「時」と言う名が使われていている所が有り、まだ、友人に確か
めてはいないが、「易」、「中国」、「友人の名前」、「竜」、「三輪」、「陰陽道」
と、小さな村に凝縮されている不思議な繋がりを持っています。
大神神社は、最澄が、比叡山延暦寺を開く時に、日吉神社をもっと強力
な鎮護の社にするために、わざわざ、大和の三輪の地に出かけ、要請
されたとされています。その時の伝説では、最澄の頭上に三つの光る輪
が現れたとされています。やはり、三輪の血を引く私は、宇宙人との混血
と言う事になるのかも知れません。それは、竜の血でもあります。
この神社をこの地に持ってきた事は、むしろ、この地は、桜井市の社より、
もっと大きなパワーの持った場所である事のように思われます。
それは、次の事に、現れています。
高蔵神社の旗屋町は、昔、幣懸町と言いました。幣懸の話は、以前に書
きましたが、意味は、「首を逆さに吊り下げて、神の道しるべとして、掲げ
る」です。幣懸は、猿田彦の神が降りた地の北に有ります。荒子観音や、
洞戸の北にも印が見て取れます。この地にも有るはずだと思った時、直
に思いついたのが、この地の北に有る「関が原」です。首塚が幾つもあり
、戦勝の印として、敵の首を跳ね、首通した様は、正に、幣懸です。
これだけの神への生贄は、そうはないでしょう。戦っている人達は、幣懸
の意味の為に、殺しあっていたわけではないでしょう。そうすると、人を
造った者が、遺伝子に物語を埋め込んだと言う事ではないでしょうか。
それを、証明するかのような、御首神社が、上石津の北北東の大垣市
に有ります。将門の首を崇め祀った神社です。
何故、世界中に、生贄を供える風習が有るのでしょうか?
私は、こう考えます。生き物が死んだ時に、魂が、天と繋げるシステムが
有るのではないかと最近思います。悪い魂は、地の蔵に残って、消滅し、
有る条件を満たしている者だけが、空に有る魂のサーバーへ行き、魂が
天の仏様のエネルギーになっているのではないかと思います。車で言え
ば、スターターの役割でのようなもので、ここの地の持つエンジンを駆動
させ、天の智識と、死んだ人間の知識とのやり取りを可能にするので
しょう。
5月6日の出会いから、将門、そして、家族、勢至菩薩と竜、三輪(大神)
神社が繋がる印、私の一族に付いた、虚空蔵菩薩と地蔵菩薩の印、
これらの繋がりが一気に解ってきました。それについては、次回にします。