[58]徳川の霊廟と、家族との繋がり
二つ前の記事の最後に、不思議なループの話を次に書きますと言いましたが、日光に関係するスタートににる話なので、
5月26日に出会った不思議を先に書きます。
26日は、妻と、結婚記念日のお祝いをしに、レストランへ食事をしに行く事にしました。
ネットで良さそうな店を探して、中区のお店に決めました。私は、外出時間が迫っていたので、妻にメモを渡して、気に入ったら
予約しておいてくれと、出かけました。帰宅したら、妻が、「予約しておいたけど、メモの電話番号と店名が違っていて、電話した
手前、断れず、その店にした」と言いました。早速、ネットで、その店を検索しました。
建中寺の前に有るフランス料理の店で、口コミを見ても、悪くはなさそうなので一安心しました。口コミでは、ボリュームがたっぷ
で、リーズナブルな店として紹介されていました。
建中寺は、徳川の由緒有る霊廟で、普通のお寺とは違う格式を備えています。
店に着いて、間違えて良かったと思えるほど、私には、しっくりきました。
妻も、建中寺の重厚な三門が見え、気に入ったようで、料理もとても気に入って満足していました。厨房は、フランス人のオーナー
シェフで、日本人の奥様がホールを担当していました。料理の説明によると、ご主人の出身のフランス北東部のドイツとベルギー
に近いアルザス地方の家庭料理との事。私は、昔、グルノーブルに住んでいたことがあります。アルザスよりは、南になりますが、
懐かしく思って楽しく食事をする事ができました。口コミの通り、ボリュームが有り、満腹になり過ぎて、二人とも直には、乗り物が
乗れる状態ではありませんでした。そこで、建中寺の総門まで、ブラブラすることにしました。
来週に、お祭りがあるようで、お囃子の練習を子供達がしていて、建中寺の歴史をさらに、かもし出していました。
総門の前まで来た時、由緒書きが目に止まりました。それには、ここは、徳川の霊廟で、尾張初代藩主「徳川義直」が祀られてい
ると書かれていました。
私は、「義直か」と納得した声で言ったら、妻は、笑いながら、「知らないくせに」と言ってきました。ここに祀られている事は、知らな
かったけど、「八角堂」の箇所で書いています。今日は、結婚記念日だし、機嫌を損ねてはと思い、最初は「エヘヘ」と受け答えましたが、
つい、口が「義直は、儒教に心頭していて、名古屋城にあった八角堂を水主町の近くに移設した・・・・・・・・」と言っていました。
妻は、八角堂と易とのつながりも知らないので、さほど、機嫌は損ねませんでした。
何故、口が我慢できなかったかと言うと、また、驚きの発見があったからです。
やはり、何者かが私に、今までの不思議体験の謎解きをしてくれるのです。
他の場所の店を選んでも、意味有る場所に戻される運命とは何なのでしょう?
何がそんなに驚いたかと言うと、
以前、清明山の近くで、店を営んでいた時のお客様が、建中寺の裏に、良く当たる占い師がいると言われ、占ってもらいに行った事
がありました。長男が、中学生の時です。家族を占ってもらったら、ひと際、長男の占いがリアルでした。
それは、「20歳の時に、外国に行くと言うから止めるな」と言うものでした。「外国」とまでは、普通の占い師は言いません。
だから、よけいに気になっていました。子供達には、この事は、一切話していませんでした。
長男が、20歳になった時、「ベトナムへ仕事をしに行く」と言って来ました。妻と私は、顔を見合わせ「エッ」となりました。勿論、
止めはしませんでした。その前に、今、バイトしている所で、料理の修業をしに、大阪へ行きました。結局、外国には行かず、その
修行先の会社に正社員として働く事になりました。そこで、知り合った、イザナミの印のある女性と結婚しました。何故、建中寺と
つながるかと言うと、以前にも八角堂の記事で、書きましたが、八角堂と弓につながる名前の会社だからです。
八角堂は、以前の記事で書きましたが、下のような見取りになっています。

ここにも、「みたらし」が有るのを忘れていました。以前の記事にも書きましたが、つまり、こうです。「みたらし」は「大黒様」、そして、
「台所の神様」ですから、長男は、今の会社に入り、料理に関わり、易とつながる運命だったという事です。
易に関しては、どんな関わりか、今は分かりません。
それにしても、「みたらしの碑」なんて、普通無いでしょう。誰かに見つけてもらうためでしょうか。
私の不思議は、ここまででは有りません。まだ、この件に関して、続いていたのです。
今、住んでいる場所は、祖父の住んでいた所です。祖父や父や、叔母さんが、この場所に来る前に、筒井町に住んでいた事を思
い出し、父の妹の叔母さんに尋ねたら、建中寺の直、裏に住んでいたと言われました。何故、こうもつながっているのでしょうか。
「筒井町」は、「ツツツーとパワーが登ってくる井戸」と言う意味でしょうか?。
[徳川義直の遺言?]
上記の出来事が、必然だとしたら、徳川義直が亡くなった後、魂を天とつなげる為に、霊廟の北に、巫女的なものを持ってくる
配置をしたとなります。易を信奉していた義直なら、遺言として残したとしても、不自然では有りません。それに、私の祖先は関
わっていたのでしょうか。
ちなみに、叔母さんの名前は「弓子」です。長女も次女も弓に関わっているのに、「弓」について、何故今まで気付かなかったのか、
その方が不思議です。弓について理解できない方は、前のブログに書いています。見て下さい。
以前、私の生活の場は、すべて、パワースポットであった事を書きましたが、フランスのグルノーブルは例外だと思っていました。
しかし、ここで、つながった感が有るので、ここも、何かあるのでしょうね。遠すぎて、調べようがないです。
何故か、順番に、ストーリーを持って、この不思議は続きます。
以前に、徳川家康の「伊賀越え」に、我が一族は手助けをしたと記事に書きました。そして、又、ここで、徳川につながった事は、
明らかにストーリーは、日光に向かっています。日光には何が有るのでしょうか。