[64]今度は、ギザのピラミッド?
16日のテレビ番組で、ギザのピラミッドの新しい発見を特集していました。
又、このブログの読者で見られた方は、アレッと思われたのではないでしょうか。
前回の私の記事は、日光東照宮に秘められた物の正体についてでした。
それは、「死から生への輪廻転生」でした。同じように、ギザのピラミッドも「死から生」を願って
造られた物と、早稲田大学教授の吉村先生もおっしゃっていましたし、この時の内容も、それが、
テーマでした。
このピラミッドも、私のブログで述べてきたものとの類似が、とても多く、世界全体が一つの思想と
言うか、一つのシステムが元になっているのではと思ってしまいます。
[類似]
1)ギザのピラミッドから、二つ目の太陽の船が見つかりました。 この船には、ハヤブサの頭の
太陽神「ラー」が乗り、既に見つかっている船に、王の魂が乗って、西の空に向かって2艘が飛び立
つとされます。そして、東から知識を伴って、生まれ変わると言われていました。
日本では、うなぎが虚空蔵菩薩(知識の蔵)を乗せて降りてきたとか、ウサギや、ヤタガラスが導いたり、
日吉大社ではサルだったり、天の神の領域と繋げています。日光では、魂を天に導くのはサルが
西方から天へ導いていると考えます。そして、東には、ウサギが天と結んで生を導きます。
その証拠に、西にサル、東にウサギの印を持つ場所が、名古屋にも有りました。(「陰陽道頭領安井一陽・・・」
とその後の2つの記事を読んでいただかないとつながらないかもしれません)
今までの記事を頭の中で整理したら浮かびました。
日置神社を挟んで、東に「宇津木橋」(うさぎを表します。 詳しくは少し前の記事、「卯の花の秘密」に書いて有ります)、
西に「猿子橋」を配しています。

A・・・日置神社 B・・・猿子橋 C・・・宇津木橋
東照宮のウサギと猿が、この配置の意味を含んでいるならば、西から東への輪廻転生。
まさに、ギザのピラミッドのシステムと同じです。そして、動物を使っている所も類似しています。
Bの西には以前記事にした愛知町が有ります。
この配置を知った事で、私の中では、ストーリーが繋がりました。
Aの場所は、日置部と言う暦を扱う職業の人達が多くいました。Aの近くには、山王と言う地名
が有り、昔は、童子町と言いました。何もかも意味が有るとしたら、山王(日吉大社の記事で説明して有ります。)
が山王信仰から来ているのは明白で、それ以前にあった名前も意味が有ると考えるべきだと思います。
日置神社から西には、死を表す「猿」。そして、そこに有る泉の湧く地(愛知)を介して(くくって=九重
)黄泉(イザナミのいる場所/この意味ははっきり現れたものが有りますが公にはできません)へ繋がる形が、はっきり見えてきました。
これは、この不思議に関わる秘伝を知っている人が意識的に配置したのも有るかもしれませんが、九重町
にいるお客様は、結婚する前は、日置神社の地の「橘」に住んでいて、真言宗の別格本山とされるお寺で
ボランティアをしていると言うつながりは、あまりにも出来すぎています。もっと繋がっていますが、プライベートな
部分があるので、あまり詳しくは書けません。
長男も、この地の事は何も知らずにジグソーパズルをはめるように、九重町の前に住み始めました。
という事は、特別な不思議な力が働いているとしか思えません。
私の家族は、長男夫婦を基準に、京都の元糺すの池、そして、イザナミとつながっています。(プライベートな事
なので、前の記事を見ても出てきません)
この事からして、遺伝子の操作などと、突飛な発想をしましたが、私には、突飛な事では有りません。
2)ギザのピラミッドの最上部にある冠石と、中に有る石棺のようなものは、多度山にも有ります。詳しくは、
[16]の記事を読んでください。
3)王家の谷の、ある王の墓室の天井に書かれていた絵に、輪廻転生のシステムを描いたものが有り
ます。死んだ魂が女神の体の中を通って、下半身から再び生を受けるというものです。女神と言う点では、
アステカも同じです。そして、日本では、それを表しているのが、空海が死んで(今も生きているとされるの
で適切ではないです。)祠に篭った所には、胎蔵界虚空菩薩像が有ることから感じられます。
子宮を通って再生するシステムを表していると思っています。
4)この類似は、こじつけつけですが、上石津で出てきた「多良」から、多くの「ラー」=「八百万の神」では、
無理が有りますか?
ちなみに、私の名前は「良一」だから「ラー」はどうでしょう。
生と死と太陽の結びつきは、どこの地域でも、太陽崇拝は有るので、類似と言えるものではないですが、
この配置が名古屋に有った事、さらに、タイミング良くヒントを与え導いてくれた事の方が驚きです。
何故、こんなまどろっこしい伝え方をするのでしょう。私の頭の中に話しかければいいのにと、いつもな
がら思ってしまいます。