[70]ヨハネの黙示録の私なりの解釈 (1)
ヨハネの黙示録を読まれた事は有りますか?
読まれた事の有る方は、もう一度読んでみてください。
今までの私の不思議の話を最初から読まれている方は、今まで、見えなかったものが見えてくる
部分が有るはずです。
読まれた事の無い方のために、私なりの解釈で、日本の宗教的な部分も絡め、私が理解できる
部分の「黙示録」を書いてみます。
ヨハネは、天に上がり、未知の機械が有るような部屋で、これから起こるべき事を、心の中に
伝えられたり、映像を見せられたりする。そして、それを、書き記しなさいと命じられる。
1章1節には、キリストから御使を介しての啓示とされるが、異様な御使からの啓示ばかりである。
そして、その者の正体をも書き記している。
第4章[1]
・・・見よ、開いた門が天にあった。そして、ラッパのような声で私に呼びかけるのを聞いた初めて
の声が、「ここに上がって来なさい。そうしたら、後に起こるべき事を見せてあげよう」と言った。
御使いは、雲に乗ってこられると下の章に書かれています。
私のこのブログの始まりの雲に包まれた不思議な飛行物体が関係しているでしょうか。
私の記事で、元伊勢神社の絵馬や、白山神社の伝説に不思議な雲が登場して、日本の
信仰にも、つながっているように感じます。
第10章[1]
私は、もう一人の強い御使いが、雲に包まれて、天から降りてくるのを見た。・・・
第1章[7]
「見よ、彼は、雲に乗ってやって来られる。・・・
生の時と、死の時に現れる。と、次の章に書かれている。
第1章[8]
今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者の全能者が仰せられる。「私は、αでありΩである。」
(αアルファ=始め=生。Ωオメガ=終わり=死。)
この言葉は、何度も出てくる。キリストの復活の話からも、これには意味が有りますと言って
いるようである。
そして、別の言葉でも表している。
第1章[17][18]
・・・恐れるな、私は、始めであり、終わりである。
また、生きているものである。私は、死んだ事はあるが、見よ、世々限りなく生きているものである。
そして、死と、黄泉のカギを持っている。
上記は、輪廻転生を良く現している節である。「死んだ事はあるが」と書いて有ることから、何度も
輪廻転生している有り得ないとされる虚空にいる魂であり、仏です。
この次の節との絡みが、何なのかが分かれば、すべて解決されます。何故なら、「奥義」であると
言っているからである。
第1章[20]
あなたが、私の右手に見た七つの星と、七つの金の蜀台の奥義は、こうである。七つの星は七つ
の教会の御使いであり、七つの蜀台は七つの教会である。
私の解釈はこうです。ここでの右手は良く分からないが、ここで言う、教会は、場所を表し、今、パワ
ースポットブームで、人は、これが、もたらすものを本能で理解していると考えます。
教会=気の溢れる場所で、死と生の時につながる場所と、私は、今まで述べてきました。それは、
前の17.18節とピタリとはまります。
そして、「七つの教会の御使い」は、「七つの教会」と絡んでいる事から、勢至菩薩が阿弥陀如来と
いつも一緒で、単体では無い事が、私の中では被ります。私の記事で何度も書いてきた、パワース
ポットとペアになっている場所や、それを表す人を指し、九重や、幣懸、弓、みたらしの、巫女との絡
みを表している。
今日は、盆供養で、我が家のお坊さんに、いらした時に聞いてみようと思っていた事が聞けた。
それは、浄土宗には阿弥陀三尊と言う形があるが、勢至菩薩が良く分からなかった。
お坊さんは、智識の菩薩様と答えられました。天を表す虚空蔵菩薩と同じ意味合いです。
神社ごとで、色々な神様がいる祀り方と一緒ですが、神社は、そこに祀られている複数の神の
特徴を合わせて、その場所の特性を表します。仏教では、一つの菩薩が合わせ持っているよう
に感じられます。
この場所では付加価値が付いた虚空蔵菩薩で、勢い良く天にいる菩薩に行けるが、私の解釈です。
以前、上石津の記事でも書きましたが、岐阜県養老付近の地名が物語っています。
「勢至」と言う地名の隣に「竜泉寺」と言う地名。「勢至」が、単独でないなら、「竜」と「泉」が結ぶ
ものとして関わっている事が見えてきます。マヤの「ククルカン」の記事でも出てきた、「竜」・「泉」
・「空の智識の場所」が正にそれです。
「七」の意味は、特定の「七箇所」と表すのかもしれませんが、「マヤ」でも奥義とされる「七つの星」
が出てきましたが、マヤの通説は、北斗七星です。九州鹿児島にある、火山に水をあたかも
かけるように、北斗七星の柄杓形に配置された七つの神社。杓の形の中に池が有る絶妙な配置。
そして、北斗七星の形に配置した神社は日本各地にある事からも、この思想は、人々に根付いて
いるものと感じます最初の頃の記事で書いた、火炎地獄にいる餓鬼に水の施しをする地蔵菩薩
(施餓鬼盆供養)の「慈悲」を表しているのではないでしょうか。
今までの記事の中で、金星が何度も出てきました。やはり、この黙示録にも金星は出てきます。
第2章28節
私は、又、彼に明けの明星を与えよう。
空海の奥義でも、鞍馬の天狗・護法魔王尊(サタン)でも、易でも、金星は重要なかかわりを持
っています。私の記事で、金星の気を「金気」と言ってきました、その意味は、輪廻転生と訳しま
した。明けの明星は東の空に有るものだから、「永遠の生を与えよう」になるのではないでしょうか。
「金気」は数に直すと「13」で、キリスト教でも、(キリストの)死から生(復活)において、13は絡
んできます。また、マヤでも、「死と生の女神」と13は重要なものとしてあります。
第2章13節
私は、あなたの住んでいる所を知っている、そこには、サタンの座が有る
鞍馬寺の本堂の前に有る文様の中心に立つと空と?がると言われるパワースポット。
正に「魔王尊の座」。
第5章3節
天にも、地にも、地の下にも、この巻物を開いて見る事ができる者はいなかった。
「地の下」が有る思想感は、どういう訳か世界中に有る。
この預言書が、未来に起こる出来事を的確に現していなかったら、空想的なものとして
捉えたが、この後、書こうと思っている出来事は、現実に起こる事を見たとしか思えないの
で、天、地上、地中も、現実のものとして書いていると、私は、捉えました。
私の記事で、日吉大社について書いた時、「山王信仰」が出てきました。私は、この「山」の
字の意味を、時間軸を表していると考えます。つまり、縦線の一つ一つのは、過去、現在、
未来で、一つにつながっており、「王」の字の意味は、横線の一つ一つのが、天、地、地の下
で、一つにつながっていると捉えています。
上記の事が空想だとするならば、「山王信仰」が、複雑に埋め込んだパズルのようにする必要
があったでしょうか。そして、私の不思議は何なのでしょう。
この巻物は、ユダ族で、ダビデの末裔が現れ、それによって開かれ、災いのシステムが作動し
始めます。これが、誰なのか私には、分かりません。
日本では、香りがあの世に届くとして、祈りを煙に乗せて線香を焚きます。それを表したの
が有ります。
第5章8節
・・・(天の)長老たちは、おのおの。竪琴と、香りの満ちている全ての鉢を手に持って、子羊の
前にひれ伏した。この香りは、聖徒の祈りです。
何度も、鬼門について書いてきましたが、あまり良く判っていません。だから、次の節が鬼門を
表しているように捉えましたがどうでしょう?
第7章1節
神の怒りの大いなる日が来ようとしている時、私は、四人の 御使いが地の四隅に立っているの
を見た。彼らは、地の四方の風を引き止め吹き付けないようにした。
諏訪大社の御柱祭で四隅に御柱を立てることも、ひょっとしたら、これから来ているのではないでしょうか?
つづく