[88]黄龍と、私のつながりV
[日置と宇津木、愛知町のつながりにも黄龍の印し]
この時期に、タイミング良く、江戸時代の安井算哲(日置部)「天地明察」と言う映画が、上映されています。
前の記事を書いていたら、もう一つ愛知町に、つながるものが有るのを気が付きました。
黄龍のいる場所を「黄金の気」と言いましたが、愛知町の北には、町名としては有りませんが、
「黄金」と呼ばれる場所が有ります。「黄金通り(おうごんどおり)」や、「黄金駅(こがねえき)」など有り、
名古屋の人は、この辺りを、町名よりは、「こがね」と呼びます。偶然でしょうか?
金山神社
化粧した子連れ狛犬
拝殿に有る龍
そこには、金山神社が有り、お客様が、車を運転していたら、兵隊の幽霊が通り過ぎて行ったのが、
「黄金陸橋」の上。長男は、正に、ここに住んでいます。
ここが、日置から流れている、隠されたものの終着点なのでしょう。
もう一度、まとめてみると、東に有る、宇津木橋で生命を得て、日置で、宿命を入れ、猿子橋で、生命を達成し、
聖なる泉(愛知町)に入り、大黒様の力(豊成町/この意味を以前の記事で書きましたが、ひょうたんから、
この町と大黒様のつながりを見つけました。この後に書きます。)を借り、黄金の龍の住む地に、結ばれて
(くくる=九重町)、うさぎ(生)の意味を持つ黄龍によって、復活する。
黄龍が「うさぎ」と同じとする意味の説明は、前の記事で書きましたが、先日のお客様との話の中にも表れていました。
そのお客様は、曹洞宗のお寺の方でした。玄関先でその方と話していたら、何かを祀っている祭壇があり、
尋ねました。
その方は、「韋駄天」を祀っていいると言われました。それを聞いて、数時間後、「麒麟」を調べていたら、麒麟は、
一日で四千里走る事が出来ると、書かれているものが有りました。
韋駄天の答えは、「麒麟」なのでしょうか?いつもながらのタイミングの良い現れ方に驚かされます。
ここで、疑問を持ちました。何故、四千里なのでしょうか。千里では駄目なのでしょうか。
干支の四番目は「うさぎ」だからでしょう。私は、この事からも、やはり、黄龍の心は「うさぎ」と、私は思っています。
「うさぎとカメ」のお話も、うさぎが、「韋駄天」である事を表しているのかも知れません。少し、飛躍しすぎですね。
「黄龍」=「麒麟」としましたが、私的つながりは、屋号が「きりん」だからですが、この名前を付けたのが、
「ベビーショップ」を開業の時でした。
つまり、「生まれる事への手助け」ではなかったかと感じてしまいます。
そして、服を扱っていたという事が、皇室の行事で、年の始めの、卯の日に、糸所から奉納される儀式とつながります。
大黒様を連想する奉納品、「卯槌」は、天皇を、今いる所の災いから守るものです。
糸所とは、皇室の着る物を扱っている部署です。
「きりんの家」と言う名の店を開いたのも、宿命だったのでしょう。それを開業するきっかけも、今、思えば意味が有りま
す。三輪の名を持つヘビ年生まれの、亡くなる二日前に、我が家の玄関に、とぐろを巻いて現れた、ヘビである叔母さん
が、遺産を残してくれたおかげでした。そのため、三輪でもない私が、三輪のお墓を守る事になったのです。
以前にも書きましたが、この店の不思議は、私のお客様で、「きりん屋」と言う、洋服店でも見られました。
私の店には、名古屋デザイン博の公式デザイナーであった、フランスの画家「ラウラ・フューメ」の絵を店のイメージとし
て掛けて有りました。
そして、その洋服店に掛けてある絵は、すべて、ラウラ・フューメの絵でした。
「きりん」・「服」・「フランス」・「ラウラ・フューメ」とのつながりは、相当な確率ではないでしょうか。
そして、場所的にも、お釈迦様の骨が有る「日泰寺」の近くで、清明山も近くであった事も不思議を増幅させています。