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一人旅の女性とノールカップ


さわやかな春風に吹かれて、旅する女性にオスロ駅で会った。
目まぐるしく変わるノルウェーの自然は忙しい。
白色の冬から、土色に変わり、草花の息吹、頬をなでるそよ風が吹くころ、緑色の麦畑と目にしみるような鮮やかな黄色の菜の花が咲きみだれる。
虫も森の動物も陽光と緑に包まれて、ぞろぞろ歩き出してくる。
長い冬が終わり、にわかに躍動の春がやってくる。
山々の残雪が目に付いても、人々の心にはもう冬はない。
そして日は加速度的に長くなっていく。
夏に直結している春が終わるころ、白夜の世界が始まる。
そんなノルウェーの自然を見に多くの人が北をめざして来る。

ノルウェーの首都オスロは人口53万人、ノルウェー第一の都市である。
目抜き通りは、黄色の王宮と黄色の旧東駅がカールヨハン通りで結ばれている。
通りに面しているオスロ大学旧校舎、国立劇場、港近くの旧西駅も黄色で統一されている。
1800年当時の都市計画の一環として、黄色を使ったのだろうか。
近年目まぐるしく変貌するオスロは、旧東駅と隣接して中央駅を建てた。昔の東駅構内の線路ははずされ、鉄道の駅としての機能はなくなったが、外見は変わることなく新しい中央駅に接続している。
名前も東駅ホールと変え、線路の代わりにスーパーマーケット、衣料品店、キオスク、軽食レストランなどがある。

帰宅の途中、 その中央駅の前で、大きなリックサックを背負ったジーパンとTシャツ姿の女性に、あまり上手とはいえない英語で「駅はどこですか」ときかれた。
お互いすぐに、日本人と分かったので「目の前の建物が駅ですよ」と日本語で答えた。
私に話しかけてきた女性の第一印象は、化粧気がなく、高校生に見えたが日本の街角で見かけるような、ごく普通の年相応の女性だった。
ヨーロッパでは、日本人は、よく年以上に若くみられることが多いが、私までそう思ってしまった。

オスロから夜行列車で北上するらしい。
一人でいるのが不安そうな様子だったので、出発まで話し相手をすることになった。
高校生のような第一印象は影をひそめ、20代の半ばだろうか。
栗色の長い髪は、金髪に染めた日本の若者と比べると、随分おとなしく見えた。

目の前の女性は、列車の発着時間が表示される電光掲示板が良く見える、駅の二階にあるカフェーでコーヒーカップを片手に、これからの旅の予定、彼女自身のことを話しだした。
私自身、若いころにヨーロッパを長い間、リックサックを背負い一人で駆けずり回っただけに、同じような格好をしている若者を見ると、男女を問わず、ついつい昔の自分を投影してしまう。
そのころの私は、貧乏旅行をしていた。
若者の特権といわんばかりに、時間と元気だけはあったが、サイフはいつも軽かった。
それが当時の若者の姿だった。
そんな私に、見知らぬ国で、見知らぬ人からの親切はありがたかった。
そのつど、自分もいつか同じことを、旅する若者にしてあげようと思っていた。

人は見かけによらないというが、どう見ても底なしに大食しそうにもなかったので、食事をごちそうしようと思った。
しかし、思いとは裏腹に手持ちのお金が足りないことに気がついた。
先ほど、知人とパブでビールを飲み、軽いサイフに羽がはえたように、さらに軽くなったのを忘れていた。
どうも自分の思い通りにはいかないものだ。 「親切心があるだけでも、よし」として、自分を慰めることにした。

女性は日本を出て間もないとのこと。
これから、夜行列車で北上して、バスを乗り継いでノールカップ(北岬)まで行き、「真夜中の太陽」を見るつもりらしい。

参考までに、ノールカップは、地図で見ると、かなり北に位置している。
そのまま北に向かって歩いて行くと、地球の端から転げ落ちるのではないかと、一瞬、天道説を信じたくなる。
しかし、まだ落ちた人はいないから地動説が正しい。
安心して欲しい。

ノールカップ

ノールカップの先端。真夜中でもこの明るさ。

1553年にイギリス人により英語でノースケープと命名された岬がノールカップだ。
ノールカップは北緯71度10分21秒にある海抜307mの崖で町ではない。
島の人口は3500人だが、中心地は人口2800人のホンニングスヴォーグである。
そこから、木もなく、緑もなく、茶色と灰色の岩間を通るノールカップまで34kmの道路が開通した。
それから旅行者が増えだした。

1988年にはレストラン、カフェー、プラネタリウム、お土産店、ノールカップ到達記念の消印を押してくれる郵便局を含む、ノールカップホールという大きな建物が完成した。
岬の先端を囲い有料にしてしまった。
太陽を柵で囲ったわけではないが、「真夜中の太陽と北岬」がビジネスになってしまった。
さらに、1999年には増加する旅行者を見込んでノルウェー本土と島は6875mの海底トンネルで結ばれてしまった。

ヨーロッパ最北の地として有名になったが、実際はノールカップのすぐ西にある、クニィヴシエロデェン岬は、北緯71度11分8秒でわずかに北になっている。
しかも、ノールカップはマーゲェル島にあり、ヨーロッパ大陸と陸続きではない。
正確には最北の地ではないが、地元民、観光客にとって、今さらどうでもいいことかもしれない。

ホンニングスヴォーグ

2004年10月7日撮影。
ノールカップではすでに、雪。
初雪らしい。
この写真の右側の雲は、雪を降らしていたはず。

北緯66度33分以北を、北極圏といい、夏の一定期間太陽が沈まず、「真夜中の太陽」が見られる。
北極線上では年によって多少のずれがあるが、だいたい6月6日ごろから7月11日ごろまで日が沈まない。
ちなみに、北海道の札幌は北緯43度である。
その代わり、冬は逆で、太陽の冬眠がはじまり、太陽は昇ってこない。
ノールカップの「真夜中の太陽」の期間は年によって、二日ほどの違いはあるが、5月11日ごろから7月31日(2001年)だ。冬眠の期間は 11月18日ごろから1月24日ごろである。

ノールカップの崖に立っと、目の前には、北極に続くノールイスハヴェト(北氷海)の大海原が広がってくる。
万物に恵みを与えてくれる、真っ赤に燃えた太陽が水平線上を横に移動する一瞬を見るために人々は北上してくる。リックサックを背負い、ありとあらゆる手段を使ってノールカップに来る若者。
恋人同士だろうか、小さな荷物で相乗りのバイクでさっそうと来る二人。
時間のある若者は重そうな荷物を自転車の両脇に括りつけて、暑い日には短パンとTシャツ、雨の日には雨ガッパをかぶり黙々とペダルを踏んでくる。
どことなく苦行僧に似ている。
ヨーロッパ大陸からは、食料、日常生活用品を詰め込み、家ごと引越しでもするかのようにキヤンピングカー で来る家族。
大型チャーターバスで来る各国からの観光客。
様々な人たちが様々な思いで、北上してくる

ホンニングスヴォーグ

港から住宅地が見えるが、樹木どころか緑のない景色は、何度訪れてもなじめない。

太陽熱は全く感じない。
それどころか、北極の氷原から、 真夏とは思えない冷た風を運んでくる。
時々、若者がTシャツ姿で太陽を拝んでいる人を時々見ることがある。
「よけいなお世話だ」と言われそうだが、Tシヤツ一枚で暖かいはずがない。
痩せ我慢に違いない。

コーヒを飲みながら話す女性は、東京の銀行に勤め、両親と一緒に住み、付き合っていた人もいたらしい。
しかし、「よどんだ生活」に 嫌気がさし、リックサックを背負って、旅に出たという。
プライベートなことを、根掘り葉掘り聞くべきではないと思い、それ以上なことは分からない。
さり気なく言った「よどんだ生活」という表現が妙に気になった。
淡たんと話をする口調から、何を意味したのか分からないが、きっと私の知らない心の変化があったのだろうか。
平々凡々の気だるい生活に飽きたのだろうか。
「時の流れに埋もれてしまう自分が、嫌だったのだろうか。
初めて会った見ず知らずの私に、こんなことを話をするのは、外国を旅している開放感と、久しぶりに話す日本語のせいかもしれない。
とはいうものの、二、三日、日本語を話さなかっただけらしいが。
コーヒーを何杯も飲みながら、取り留めのない話の後、夜行列車の出るプラットホームまで一緒に行き、見送った。
一方的な聞き役だった私は、もう二度と会うこともないだろうと思い、名前も聞かず「体に気をつけて、元気で」と軽く握手をして別れた。

後日談がある。一週間後、またオスロ中央駅の前で同じ女性に偶然あった。
ニコニコしながら手を振り合図をしてくれた。
始めは誰に手を振っているのか分からず、思わず後ろを振り向いたが、私の後ろには誰もいなかった。
よく見ると ノールカップに行ったはずの女性だった。
元気そうだった。
大きなリックサック、ジーンズ、Tシヤツ姿は同じだったが、「真夜中の太陽」を見て 風邪でも引いたのだろうか、クリーム色の厚いジャケットを着ていた。
今度は時間があまりなかったので、食事もコーヒーもなく、立ち話をした。
順調な旅だったらしい。

予定では、今ごろ、デンマークにいるはずなのに、まだノルウェーにいた。
バスを乗り違えて思わぬハプニングで予定より長い旅になったらしい。
北に通じる道は一本しかないはず。
行き先を誤るはずがないが、ひょっとすると、目の前の女性は見かけによらず、「おっちょこちょい」なのかもしれない。
もっとも人に偉そうなことはいえないが。
しかし、それはそれで、名前も思い出せないような小さな町で、暇をもてあましていたところ、老夫婦で旅行をしているスウェーデン人に、食事をごちそうしてもらったりして、楽しかったそうだ。
時間のある一人旅は、話相手が欲しくて人恋しくなる時があるが、こんな人との出会いがあるのが楽しい。

目的の真っ赤に燃えている 「真夜中の太陽」にノールカップで対面できて満足そうだった。
途中、トナカイと白熊を見たらしい。
北ノルウェーでは、トナカイは珍しくないが、白熊はノウェー本土にはいず、北のスヴァルバル諸島に行かなければ見ることはできない。
北ノルウェーでは白熊を飼っている動物園なんて聞いたことがない。
それとも私の聞き違いで、よくホテルなどで見られる白熊の剥製なのだろうか。
あるいは、ヤギか羊を白熊と見間違ったのだろうか。
女性にとって、白熊でもヤギでもゴジラでもそんなことはどうでも良かったらしい。

この種の人は自分の話に夢中になり、人の話を聞く耳を持たないことは、知っていたので、心の中では「何トンチンカンなことを言っている」と思いつつ、話を聞き流すことにした。

参考までに、 日本語では白い熊のことを「白熊」という。
ノルウェー語ではイースビヨン、つまり直訳すると「氷熊」になる。
氷の熊なぞいるはずがないが、国によって表現が異なるのがおもしろい。

「真夜中の太陽」を拝んだ以上に、日本で「蝶よ花よ」と育てられた自分が、一人でカタコトの英語を話ながらもノールカップに行けたことが一番良かったと言う。
嬉々として話す顔からも、それは伺うことができた。
「箱入り息子」として育てられたことはなかった私でも、カタコトどころか絶望的に英語が話せなかった自分が、苦労しながらも目的地まで行けたという達成感は痛いほど良く理解できた。 「ノールカップ行きの最大の収穫は、あなた自身でしたね」と意味不明なことを言うと、女性は曖昧な笑い顔でうなずいた。
私の言う意味が分かってくれたのだろうか。 投げやりな言い方だが、分かっても、分からなくてもそれはそれで良かった。
そして、「何となく自分に自信が出てきたので、これからは自分に妥協せず頑張っていくつもりです」と栗色の髪を春風になびかせながら言った。

17時ちようどにオスロを出航する4万トンの豪華客船でデンマークの首都コペンハーゲンに行き、 そこかられ列車でヨーロッパを一周をした後、知り合いのいるロンドンで学校に行くらしい。
英語だろうか、何を学ぶのか聞かなかった。

オスロから外海まで120km。
ノルウェーで5番目に長いオスロフィヨルドを、ゆっくり航海する船から見える景色の美しさ、「酔って海に落ちなければ翌朝9時にコペンハーゲンに着く」と、知ったかぶりしながら説明した。
この前は一方的に聞き役だったが、別れ際になって、少しは私の方から話ができた。

今度こそ、二度と会うことはないだろうと思いつつ、一週間前と同じように「体に気をつけて、元気で」と手を振り別れた。
「駅を出て、左に行くと白い船体に青色の線が斜めから入った大きな船がすぐに見えてきて、15分後には船着場に着く」と重そうなリックサックの背に向かって言った。
が、左に行くようにと言ったはずなのに、海とは反対方向の右の方に向かって歩きだした。
大きな声で「左、左」と叫ぶと、照れくさそうに笑いながらまた手を振った。
「おっちょこちょい」と思っていたが、ただの「方向音痴」なのかもしれない。