余談(お互いの実家)

☆きら☆の実家

☆きら☆は夫とは正反対の両親のもとに育った。子供の頃は、父方の祖父母と同居もしていて、親戚の集まる賑やかな楽しい家庭に育った。両親は、少し変わっているかもしれない。…父と母の年齢差は22歳、親子ほど歳の離れた夫婦だった。

母の病気
☆きら☆が結婚した年の夏、更年期障害・過労・心労などが重なって母が精神障害で入院した。…母の病気ははうつ病とパニック障害。
母の病気は全快するまでに10年かかった。

不妊治療への助け
母の病気が快方に向いだした頃、不妊治療を始めた。…体外受精が始まると、夫は☆きら☆の体を心配した。…2人で考えて、受精卵をもどした後の休養の期間、両親に来てもらうことにした。
両親は、娘のためと喜んで手伝いに来てくれた。…5年間、10回くらいだっただろうか?…今となっては、両親には世話になるだけなって、良い結果が出なかったことだけが悔やまれる。

最果ての地に転勤すると、全面的に実家に頼った。2年間、半分は実家で過ごしたことになる。…2カ月おきに列車に乗って実家に通った。…夫が検査のために1人で実家に泊まりに行ったことも何度もあった。
実家のある町での体外受精は2年間で3回だった。…そのうち2回は妊娠反応が出たが、自然流産だった。


最後の言葉→疲れきった→とんでもない事
その、病院での3回目の治療で妊娠反応が出た。…妊娠5週目の検査に行っても胎のうが見えなかった。…少しずつ出血するようにもなった。7週たっても胎のうは見えない。…8週目に大量出血をした。…「ああ、もうだめだ!」

お医者様の言葉は…「今回も、妊娠反応だけでしたね。…これは、科学的妊娠と言います。…ところで、今後の治療ですが、あなたは最後の治療と言って、ウチにいらっしゃいましたね。…これで、最後にしますか?…なんなら、継続しても良いですが、あなたが最後にすると言ったので最後にしましょう。」…だった。

力尽きた瞬間だった。…とりあえず夫に電話で連絡し実家に戻った。…リビングに両親といる元気もなかったので2階に上がった。…号泣した。涙も叫び声も止めることが出来なかった。…その日は、食事も取らずに2階に閉じこもった。

2・3日して、急に母の睡眠薬がサイドボードの引き出しにあることを思い出し、母が買い物に出かけたときを見計らって睡眠薬を探した。
…たくさん余っていた。…大急ぎで2階に上がり、結構な量の睡眠薬を口に含んだ。…その時、父は町内会の用事で外出をし、休憩をしに家に戻ったのだそうだ。
何かおかしいと感じた父が2階に上がってきた。…☆きら☆は、意識が混濁し、朦朧としながらゲーゲーと吐いていたそうだ。…無意識で死ぬことを恐れたのだと、お医者様に言われてしまった。

チョットして、母が買い物から戻り、大急ぎでタクシーを呼び病院に行った。…一応、胃洗浄をしたものの、☆きら☆は薬をほとんど吐いてしまったので、1泊病院で過ごし、帰宅した。
両親には殴られたことの無かった☆きら☆だったが、その時初めて母に思いっきりぶたれた。…(死神が去った。)

1週間後、夫が迎えに来た。…

母は、夫が家に上がった途端に叱った。…「○○さん、私は娘のためなら、どんな事でもする。…でも、夫婦のことは、夫婦でなければ解決できないのよ。…今の☆きら☆を救えるのはあなたしかいないのよ。…むかえに来るまで、何をしていたの。…仕事が忙しくても、深夜でも電話は出来るでしょう?もし、☆きら☆を守れないのなら、このまま☆きら☆を置いていきなさい。私たちが引き取ります。…あなたは、私たちの息子なのよ。だから、きついことも言って叱ります。」

夫は、何もいえなかったと言う。ただ、その言葉は今でも胸にしみている。…そして、嬉しかったのだそうだ。…熱い血が注ぎ込まれた気持ちがしたそうだ。

そんな、大騒動を巻き起こし、☆きら☆は最果ての地へ夫と戻った。…戻ってからは、夫と釣りを楽しんだり、温泉に行ったり。…久しぶりにノンビリと夫の赴任先の生活を楽しんだ。

その年末、夫の実家で無理をしたあと実家で2泊して無理をして最果ての地へ8時間かかって戻り、無理がたたって気管支炎で1ヶ月寝ることになってしまったのだった。

気管支炎がやっと治った頃、夫の転勤でまた、この町に戻ってきた。…そして、懲りない☆きら☆は44歳9ヶ月まで不妊治療をしてしまったのだった。…その時は、両親にも話さずに治療を受けることにしたのだった。