ブダペスト

HUNGARY
BGMはハンガリー出身フランツ・リストの「慰め第3番」

ドナウ川に臨むハンガリー国会議事堂







欧州のコウノトリ。赤ん坊はコウノトリが運んで来るものと子供らに言い聞かす習わしがありました。江戸時代には江戸市内でさえも見られたといいますが、農薬の使用などで1950年代生き残っていた兵庫県豊岡で25羽まで減少、その後県立コウノトリの郷公園で飼育に成功、2007.8.2.現在オス48羽、メス56羽、ヒナ2に増えました。 詳細はここ この図のくちばしは朱色ですが、日本のは黒色です。この鳥は冬は南の温かいところで過ごし、春になると巣のある所に帰ってきます。高い木の上のほか教会の屋根などに巣を作りますので、福を運んで来るといって大切にされます。























田舎に行くとアジア系の顔をしているとか、風呂敷が使われているとか、苗字が先に来るとか、言葉は日本語と同系統と言われていますが、一般には白人との混血が進んでいるのが、ハンガリー人(正しくはマジャール人)です。

左図は首都ブダペストのドナウ川南岸に臨む国会議事堂で宮殿さながらのネオ・ゴシック建築です。議事堂正面は図と反対の南側で、1989年に新生ハンガリーが誕生したとき1万以上の市民が正面広場に集まりました。左の女性は刺繍いりの伝統的衣装をしており、右は現代風の服装の女性です。川は左から右に流れ、ユーゴスラビア、ルーマニアを経て、最後にウクライナとルーマニアの国境を通って黒海に注ぎます。

彼らは896年に建国しましたが、1562年にはトルコ軍に滅ぼされました。その後オーストリアに支配されたり、第2次大戦でドイツ側につき、敗戦後はソ連圏に入りました。この間400万から500万人が国外脱出しており、現在ルーマニア、ユーゴスラビア、スロバキア、ウクライナ、クロアチア、スロベニアに約300万人のハンガリー系住民が居住しています。周辺国の経済水準よりもハンガリーのほうが3倍から6倍も高いため、本国はこの程彼らに就労権、大学教育の無料などの優遇特権を認めることにしました。名目は少子に伴う労働力不足を補うためとしていますが、周辺国では自国内に差別を齎すと反対しています。

南岸は商業地区で、昔は石灰岩を焼くかまどがあったので、ペシュト(かま)といい、北岸は王宮などがありブダ(小屋)といいました。この川にかかる橋は9本あります。「ドナウの真珠」といわれるほど風情のあるこの町は、また世界唯一の温泉都市でもあります。町を一歩でますとドナウの岸返に田園牧歌的な風景が広がり、コウノトリが樹上に休んでいるのが見うけられます。上流にはエステルゴムがあります。

建国はしたものの、周りはキリスト教国であるため安全保障上の意図もあり、1000年にイシュトバン王がキリスト・カトリック教を受け入れました。街の中心部にある国内2番目に大きい聖イシュトバン大聖堂には彼の右手のミーラがあり、毎年8月20日に行なわれる王の祭日にはミーラを担いで練り歩く習慣があります。

王は1063年にカトリックの聖人に列せられましたが、2000年にはイスタンブールにあるギリシャ正教会大主教によっても聖人に列せられました。これをきっかけに東西教会の橋渡しとなることが期待されています。

イスタンブールはかってのコンスタンチノープルであり、1453年にトルコ軍の攻撃をうけてイスラムのトルコに支配されましたが、正教会信者は税金を納める限り正教総主教の下に固有の信仰と自治を認められました。したがって東ヨーロッパの全正教会に総主教の権限が及びました。後にギリシャが独立しアテネにあるギリシャ正教大主教がその権限に逆らった結果、ギリシャではアトス山とギリシャ諸島の教会と修道院を除いては独立を勝ち取りました。

キリスト教会合同運動(エキュメニズム)が近年盛んになり、宗派教会の違いを超えて仲良くした方が宣教が進むということで、ローマのカトリック法王とイスタンブールのコンスタンチノープル総主教は1965年に相互破門を解きました。また法王は十字軍がイスタンブールの正教会を略奪したことに対して2001年5月に謝罪しました。さらにその流れをさかのぼれば、2000年8月における正教によってイシュトバン王が聖人の列に加えられたことです。

ハンガリーの人口は1011万人で、正教信者の割合は0.6%、カトリックを受け入れたはしたが元の正教の仕来りを守っているギリシャ・カトリック信者が2.2%、ユダヤ教信者が0.9%、カトリック信者が67.8%、プロテスタント信者が27.2%となっています。

有名な音楽家にリスト、バルトークがおりますし、少数民族のロマ人(ジプシー)の特技は音楽演奏です。アメリカの音楽と映画を変えたのはハンガリー人です。シカゴ交響楽団指揮者フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、フィラデルフィア交響楽団指揮者ユージン・オーマンディ、クリーブランド交響楽団指揮者ジョージ・セル、ダラス交響楽団指揮者アンタアール・ドラーティ。映画界では1913年ー1943年にハリウッドを生んだのはハンガリー出身の経営者フォックス、ズーカー、プロデューサー、監督、脚本家、スターなどでした。

1910年ー30年代に自然科学と数学で花を咲かせたのもブダペスト出身者でした。1870-1910年の時期に1910年の時点でブダペストの医者・法律家・銀行家はしめて6割がユダヤ人でした。当時のハンガリーの国土の半分以上を所有していたのは大地主(貴族か元貴族)です。彼らは兵役の義務はあったものの、税金は殆ど払わず、それを払ってくれる市民を優遇していました。それがユダヤ人たちであり、見かえりに彼らを差別していた法律を廃止していました。

余り居心地の良くないロシア、ドイツ、フランスからえり抜きのユダヤ人たちはニューヨークかブダペストのどちらに移住するか考えていました。結局、世界屈指の高校があり、快適な文化と生活があった後者を選んだわけです。生理学者セント・ジェルジ、ホログラフィのノーベル賞受賞者ガーボル、量子論につながる数理物理学の分野の天才達フォン・カールマン、ヘベシ、ポラーニ、シラード、ウィグナー、フォン・ノイマン、エドワード・テラーはいずれもこれら高校の卒業生です。ヒットラーのハンガリー支配とユダヤ人排除のため、彼らは渡米しました。衝撃波の理論と応用などを通じ原爆水爆の開発に参加したのは彼らです。

2002年7月16日〜19日に天皇皇后両陛下は国会議事堂、ビシェグラード、エステルゴムを訪問。
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