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はじめに ユーカリアンサンブルは名古屋市東部のクラシック音楽愛好家の同好の士が集まって1980年代前半から活動をはじめたものである。はじめは家庭音楽といった趣旨が強かったが、1984年の第一回演奏会からすでに四半世紀という歴史を刻み、市民レベルの音楽活動としては定着したといってもよいであろう。 2008年10月29日、横田代表のお世話で、初期のメンバーが集まって同窓会を千種区唐山“うまら”で開催した。集まったメンバーは横田幸雄(現代表)、大塚理絵(指揮者)、日合 弘(元代表)、日合武子、松影昭夫、田中春美、田中幸子の7名である。昔話に花が咲いた。記憶はどんどん消えていく。この際、このアンサンブルの初期の活動の経緯をとりまとめておくこととした。田中が保存していた演奏会プログラムを全部PDF化し収録したCDを作成することにした。現在のユーカリアンサンブルのホームページからも閲覧できるようにする予定である。
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写真は第三回定期演奏会(1986年12月14日) |
源流
このアンサンブルの源流をたどれば2つある。そのひとつは、日合 弘は愛知県がんセンター研究所に1969〜1991の間勤務していたが、1976年に松影昭夫が金沢大学から転任してきた。二人は京都大学交響楽団で一緒に在籍していたこともあり、日合はバイオリン・ビオラ、松影はフルートを演奏しており、また一緒に合奏しましょうかということになった。日合が米国留学から帰ってきた1978年ころから、研究所図書室の司書であった青葉寿美子のフルートを加えて、土曜日の午後から研究所の6階にあった動物施設のケージ洗浄室(3スパン以上の広さがあり、土曜日の午後は人の出入りがなかった)で、3人で練習を始めた。合奏としては奇妙な組み合わせだが、探せばいくらでも曲はあるもの、バロックのトリオソナタ、ブランデンブルグ協奏曲の4、5番、ベートーベンのトリオ、モーツアルトのディベルティメントなどなど、動物施設のネズミたちも驚いたに違いない。出産率が上がったか下がったか残念ながら資料はない。
もうひとつの源流は田中春美夫妻との出会いである。日合武子は自宅でバイオリン教室を開いていたが、その縁で南山大学裏の同盟キリスト協会のクリスマス祝会で賛美歌などの演奏を依頼された。日合夫妻で引き受けたが、その時ピアノを担当したのが田中春美である。1982年12月16日に祝い会が開催され、これをきっかけに両家を相互に訪問して、モーツアルトのバイオリンソナタなどを楽しむようになった。日合が住んでいた千種区園山町の同じ町内に田中夫妻が八事から引っ越してきたのでますますその機会は増え、松影、青葉もこれに加わり、お互いの家をまわって合奏を楽しむようになった。
日合武子バイオリン教室は1,2年おきに発表会をしていたが、生徒の重奏やアンサンブルにも力をいれており、かならずなんらかの組み合わせの合奏曲をするのが通例になっていた。このメンバーも独奏や合奏で参加する機会としていた。バイオリン教室の生徒の父で木下健二も発表会でバイオリン合奏に加わっていたが、木下が飲み屋でチェロを抱えた玉田利夫を誘い込んだのもこのころである。玉田はバイオリンの内山 浩を誘ってきた。横田幸雄(現代表)は名大理学部で、名大交響楽団でコンマスをしていたこともある。研究の縁もあって愛知県がんセンター研究所にもときどき出入りしているうちに、日合と知り合い誘い込まれた。
ユーカリアンサンブルの成立と演奏会
次第に参加者が増えると合奏グループに名前をつけ独自にコンサートもやろうではないかという話しが出た。名前も堅苦しいのからくだけたのまでいろいろ出た。このころ名古屋動物園にコアラがオーストラリアからやってきて、その餌の供給に頭を痛めた名古屋市は東山の動植物園や平和公園一帯に大々的にユーカリの植林を行っていた。「コアラ合奏団はどうかな」と誰かが言ったが、「いやいやそれはあまりに軽佻で時流便乗だ」などの意見が出て。結局コアラのエサのユーカリになったのである。こちらのほうが軽佻ではないかという議論はさておく。ともかく、「名古屋の東」ということイメージから出たものでオーストラリアとは何の関係もない。
人数も増えたので個人の家で練習するのは限界になってきた。このため練習場として名東社会教育センターをみつけたので、練習は主にそこでやることになった。社会教育センターは各種の文化活動に部屋を格安で貸してくれるので、とてもありがたかったが、ただの教室風の部屋で防音とかいう設備は一切ない。ユーカリが練習をしていると隣で「源氏物語を読む会」とか「俳句の集い」などをやっていて、もうちょっとお静かになどといわれることもあった。はじめはユーカリしか社会教育センターを練習場として申し込む音楽団体はなかったが、2,3年後にはほかの団体も練習をはじめ、日程がぶつかるとお互いにうるさくて困った。はじめのころは、ユーカリには管楽器がフルートしかなく、フル編成の室内管弦楽団に音量で負けて悔しい思いをしたものである。最近では市などのこういった施設も音楽練習用の部屋もあるようになったし、公営、私設の小音楽ホールも増えてきた。
1984年11月4日、遂に第一回の演奏会を藤ヶ丘サンプラザで行った。演奏をきいても怒らない人だけに案内をしたのだが、友人、家族など30人ほどのお客があり、出演者は14人であった。それ以後はほぼ毎年演奏会が行うことになった。第2回の演奏会の模様はテープが残っている。第2回の演奏会が終わって、演奏の質をさらに向上するにはトレーナーか指揮者が必要と感じられた。日合は京大で尾島昭次岐阜大学教授の後輩に当たるが、かねてよりその令嬢の理絵(現姓大塚)さんが愛知芸大音楽科で作曲を専攻していることをきいていたので、思い切って指揮をお願いした。といっても交通費程度のお礼でいわば手弁当参加である。快諾をいただいて、第3回からは指揮と合奏のアドバイスをしてもらい、現在に至っている。
第3回からはファッゴットの宗像正比呂がリーダーの木管五重奏団、“芸能宗像組”がユーカリの演奏会に加わり、次第に融合して合奏が行われるようになり、管楽器も充実していった。
社会人や学生のアマチュア楽団の悩みは転勤、定年、結婚や出産、学生の卒業・就職などでメンバーが固定しないことである。第7回の演奏会が終わって1991年に日合が京大に転任になり京都へ引っ越した。この後の活動は横田が中心になって継続された。第23回演奏会のプログラムをみると最も古いメンバーはピアノの田中春美、これについで横田幸雄、大塚理絵となっている。現在では古典の二管編成交響曲が演奏できるほどに成長している。
このアンサンブルの定着率はユーカリ年譜をみていただきたい。一度でも在籍した人は合計119名、このうち20年以上在籍は4名、10〜20年は14名、5〜9年は24名、5年以下は77名である。5年以上も在籍しているとその人の生活の一部というか、精神生活の大きな部分を占めているといえるだろう。この集計はごく最近入団した人やエキストラも含めてのものであるから、定着率は非常に高いといえる。
あとがき
ユーカリアンサンブルの活動の根は家庭音楽にあるので、演奏会のプログラムを眺めても、独奏、重奏、合奏、協奏曲から交響曲まで多彩である。アマチュア楽団では選曲の際に、在籍するメンバーすべてが出演する曲を選ぶという衝動をもっているので、ついつい大曲に向かう傾向がある。市民管弦楽団というとマーラーやブルックナーというのが普通である。団員のすべてが退屈せずに参加するということはひとつのポリシーではあるが、メンバーの固定が難しく、全パートがそろうとは限らない小楽団の場合にはこの辺は無理をしないほうがよい。むしろ多様性を重んじ、いろんな組み合わせの演奏を許容するか、弦楽合奏団と吹奏楽団あるいは管楽合奏団が提携し適宜メンバーを融通し、プログラムも分け合うといったシステムを上手に構築するのがよいように思う。 (敬称略)