T、古代の教育

 

T-1 原始時代の教育

          生活と教育の始まり

日本に人が住み出したのは、25千年前〜十数万年前と明確でない。1万年前〜2500年前の縄文時代まで狩猟と食料採集が中心の生活。

→年長者の労働を手伝う中で、子どもは社会の規範を体得

          農業社会の成立と教育の始まり

紀元前3または2世紀〜3世紀末または4世紀はじめが弥生時代であり、大陸の先進的な農業文化が伝わる

→専門知識の必要性が高まり、同時に階級差が生じ始める

 

T-2 飛鳥・奈良時代の教育

          帰化人の来朝と律令国家

【王仁(わに)

          応神天皇のころ(応神16)に、朝鮮半島の百済から来日

          『論語』や『千字文』(梁の周興嗣(しゅうこうし)が四字一句を250集めて、重複無く千字の長詩にしたもの。以来書のお手本、練習に使われる)を貢進したと言われる

          古事記では、和邇吉師(わにきし)となっている

【聖徳太子】

          17条の憲法、冠位十二階の制定

          『三経義疏』(『法華経義疏』『維摩経義疏』『勝鬘経義疏』)で法による政治、仏教への帰依、儒教による徳治を説く

          遣隋使の派遣により、大化の改新の礎を築く

          大学と国学

【大宝律令】(701)

大学(大学寮)・・・典薬寮(医学)、陰陽寮(天文・暦)など共に、中央の官僚養成期間として存在。本科と数学科からなる。身分と年齢による入学制限。

国学 ・・・・・・地方の官僚養成期間。吸収の太宰府に置かれた府学と共に、国ごとに国学が置かれる。郡司の師弟を教育する場

→人材登用とは言うものの、蔭位(父祖の位階によってその子孫も一定の位階を授けられた制度)によって、身分の低い者の立身出世は困難

 

T-3 平安時代の教育

          貴族と別曹

大学の隆盛に伴い、有力氏族が寄宿舎兼研究室を設けるようになる。これが別曹と呼ばれる。大学の構内のものを直曹、構外のものを別曹という。

和気氏→弘文院(800)

菅原・大江氏→文章院

藤原氏→勧学院(821)隆盛を示す

橘氏→学館院

在原氏→奨学院

          貴族の衰退と共に消滅

          民衆のための教育機関

綜芸種智院・・・828年に空海が開いた民衆教育機関、教育の機会を平等にし、真実の人間救済を目指す。空海の死と共に廃絶。(うんてい、石上宅嗣の自宅の片隅に設けられた日本最古の図書館)を模して建てられたと言われる。

          2大密教(大日如来を教主とする)

【真言宗】

平安初期入唐した空海が恵果から密教を受けて帰国、開宗した。金剛峰寺・東寺を根本道場とし、修法と門弟の教育などを行なった。主に大日経・金剛頂経に基づき大日如来の悟りの世界を直接明らかにしようとするもので、即身成仏(大日如来の真実の姿と修行者が一体となることで生きたまま仏となる)を説く。加持祈祷(きとう)を行なって平安時代の貴族の間に浸透。弘仁遺戒と呼ばれる学習課題を僧侶に課す。

【天台宗】(法華宗)

日本へは奈良時代に唐の僧鑑真(がんじん)が初めて伝えたが定着せず、平安初期に入唐した最澄が比叡山に寺院を建て宣教して以後、大いに広まり、次第に密教(仏教の中で特に祈祷を重視し、そのための呪文や儀式を整備している)色を深めていった。山家学生式(南都仏教=興福寺(法相宗)に対して、天台宗の独立を明らかにし、大乗戒の必要を説いたもの)による僧侶の教育システムを展開した。

※興福寺と延暦寺は強力な僧徒を持ち、興福寺の僧徒は『奈良法師』(東大寺の僧徒も)、延暦寺の僧徒は『山法師』と呼ばれ、恐れられた。また天台宗の分裂(円仁(山門派)と円珍(寺門派)の対立)によって生まれる寺門派(園城寺)の僧徒は、寺法師と呼ばれる。

 

          国風文化の形成

894年                 菅原道真の意見により、遣唐使が廃止される

→大陸の文化を日本的な風土や人情にかなったものに消化した独自の文化=国風文化(寝殿造や大和絵)が起きる

【空也】

常に市中に立って庶民に念仏をすすめ、貴賤(きせん)を問わず幅広い帰依者を得て、阿弥陀の聖・市の聖(ひじり)と尊称された。諸国を巡って、道路をひらき橋を架けるなど社会事業に尽くした。

→末法思想の拡がりと、浄土教の流行