神戸、神戸市の歴史について

現在で言うところの神戸には縄文時代ごろにはすでにいくつかの集落があり、奈良時代には諸外国と貿易を行うために「大和田泊」という港が設けられていたと言われます。
平安時代末期には宋との貿易をもくろんだ平清盛が、「福原京」としてこの地に遷都しましが貴族の猛反対にあい、清盛の没後に、都は平安京に移されることになりました。
しかし、平清盛が最初に築いたといわれている「兵庫港」は、幕末時に開港したのを期に造船業や貿易を中心に発達していくことになります。

その後神戸は戦乱で荒廃してしまったため、貿易港としての座を堺に奪われてしまいましたが大阪が発展しはじめて、江戸時代に「西回り航路」という交易航路が出来ると、再び神戸は要衝の地としての地位を得、著しく発達していきました。
中でも 幕末(1868年)に兵庫開港が行われたことによって、神戸は大きな発展を遂げます。
現在、市役所のある西側付近に、イギリス人技師「J.W.ハート」と初代兵庫県知事「伊藤博文」の指揮下のもと、西洋商館が建てられ、職住雑居という形で居留地が形成されたのです。

その後、経済的に豊かになった西洋人達は元町や三宮より北側の見晴らしの良い高台に「異人館」を形成していきます。
そして、明治22(1889)年に2万人だった人口は、昭和16(1941)年には100万人にまで増えます。
戦後まもないころは、36万人まで人口が落ち込んでしまいましたが、高度成長期に上手く乗ることができたため今のような大都市に発展することができました。

未だ阪神大震災の爪痕も残りますが、表面的な復興はほぼ完了しているといえます。
神戸市の名前の由来として様々な諸説がありますが、古代、租庸調といった税金をもとに神社の維持修理にあたった「神戸(かんべ)」にちなんでいるといわれてます。

現在神戸市には、東灘区、灘区、中央区、兵庫区、北区、長田区、須磨区、垂水区、西区があります。