あの日神戸を襲った阪神・淡路大震災について
今から約10年前、1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分52秒、北緯34.61度、東経135.04度にある淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生しました。
震源の深さは14.3kmにまで及び、死者6433人、重軽傷者者は43792人にものぼったのです。
倒壊家屋は兵庫県のみで192,706棟・406,337世帯、焼失家屋:7,456棟・9,322世帯。
これはそこで生活を営むものにとって、予期せぬ致命的なダメージだったといえます。
日本は地震の多い国です。
日本の大型建築物は大地震を想定して構造されたものである、とされていたが、病院、鉄道の駅舎、 ビルやマンションなど、広範囲にわたり倒壊した建造物がみられました。
海外のサンフランシスコ地震やロサンゼルス地震で倒壊した「高速道路」も、日本では安全といわれていましたが、縦揺れに弱い構造であり、大きな被害へとつながりました。
倒壊した高速道路の写真は皆さんもご覧になられたことがあるのではないでしょうか。
後にわかったことでは 手抜き工事によって倒壊した建物が多く、さらに被害を大きくしましたが、それは特に神戸深江地区で多くみられました。
さらに 、地下を走る神戸高速鉄道上の道路が陥没し、直後の交通規制などが速やかに行われなかったため、国道43号線、国道2号線、山手幹線など神戸方面につながる主要幹線道路で大渋滞を引き起こしました。
火災の被害が大きかった神戸市長田区では、地震直後の火災にともなった「火災旋風」が確認されたが、消火活動が間に合わず、被害を大きくする一因となりました。
西宮市でも、住宅街に面した山腹の斜面で大規模な地滑りが起こったため、多くの人々が犠牲になりました。
建物の中で 被害を多く受けたのは1981年の耐震規定改定以前の古い鉄筋コンクリートビル。
また、大半の死亡者が家屋倒壊等によって命を失ったと言われています。
震災後は、それまで日本では見られなかった災害ボランティア活動が展開され、発生後3カ月間の
ボランティア参加者は、1日平均2万人を超えました。
3カ月間に延べ人数で約117万人がボランティア活動に参加されたこともあり、1995年はわが国にとってまさに「ボランティア元年」であったとも言えます。