(第1号)[1/2ページ]公開日時:2006.10.21(SAT)
はじめに:
今回からオアシスはウェブ配信することになりました。
大勢のOBからの会費徴収と郵送の手間を省くためにご理解ご協力をよろしくお願いします。
第1号は、津枝さん(S62 FL)、向段さん(S63 VA)、仲野(旧姓佐藤)さん('96 OB)に原稿のご協力を頂きました。ありがとうございました。
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津枝 誠(S62農化 Fl) 平成3年の春、大学卒業とともに高知を離れて実家( 兵庫県西宮市 )に戻り、某食肉加工メーカーに就職しました。楽器(いかさま金メッキフルート)は、5年前の自分の結婚披露宴のときに、嫁のピアノ伴奏に合わせて吹いて以来、ケースに入ったままの状態です。 大好き?だった「タバコ」と「パチンコ」は、2000年にキッパリやめました! 「釣り」は相変わらず頻繁に行っています。 子供(現在2人)が生まれてから、回数はぐっと減りましたが・・・ 会社では、入社後すぐに生産の現場(ハム・ソーセージ製造工場)に配属となり、以来15年、現場一筋で今日に至っております。 生産現場の仕事は、まさに体力勝負です。休憩時間以外は一日中立ち仕事での重労働に、へとへとになる毎日です。 おかげで体力はイヤでも付きますが、逆に、頭を使うことが少なく脳ミソまで筋肉になっていく感じがします。 『こんな仕事だったら別に大卒を採らなくても、体力さえあれば誰でも出来るぞ! いつまでこんな事(肉体労働)させる気や!!』 などとぼやきつつ、目の前の仕事をただ片付けるだけの日々が長く続きました。決していい加減な仕事はしていませんが、それ以上のこともしませんでした。 今思うと、貴重な時間を何と無駄に過ごしたことか・・・。 生産現場が会社の利益を生み出す重要なカギを握っていることを、最近になっやっと気づきました。 さて、高知大学を卒業してから、毎年の正月休みには、学生時代の友人と共に四国西南部(足摺〜沖ノ島〜鵜来島〜愛媛西海)の磯へ、グレ釣りに行っております。 その関係で、高知県がどのように変わっているのか、ある程度は知っています。 けれども卒業後15年経た今でも、私の頭の中で、高知といえば学生時代の記憶が大部分を占め、それは、つい先日の事のように思い出されます。 都会暮らししか知らなかった自分にとって、高知の豊かな自然はまさに衝撃でした。 こんな場所で一生暮らせたら何て幸せだろう、と思ったこともありましたが、現実はそうなりませんでした。 他県に住んでおきながら、 |
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仲野(佐藤)のぞみ('96 Ob) 高知大オケOBと言うのは大変おこがましいとは思いますが、この度オアシスへの原稿依頼がありましたので、懐かしさいっぱいの高知大オケを振り返ってみたいと思います。長野の山奥から高知に来て早10年。今では何の因果か貫歩で苦しんだ室戸で生活をしています。 当時、高知大オケでは11月に学内で行われる室戸貫歩にサークルとして全員が参加することを慣習としていました。 私が1回生の時は、音美と日程が重なったため不参加。2回生の時改めて貫歩に参加することになりました。 ところが、「なぜ運動部じゃないのに全員参加なのか」という疑問から、参加したい人が個人的に参加するべきだ、という意見が出てきたのです。 執行部である私たち2回生全員で、貫歩の参加体制について熱く議論を交わす日が続きました。今考えると、「そんなに泣きながら話さなくても」と思うくらい当時の私たちは必死でした。とことん話し合った結果、全員で参加することが決まりました。 貫歩当日、私は20歳の誕生日を室戸で迎えようと意気込んで出発したものの、安芸の休憩所で大ブレーキ。一緒に歩いていたMさんに、大変な迷惑をかけてしまいました。 たくさんの先輩や友人に足をマッサージしてもらい、自動販売機の灯りの下で仮眠をとり、泣きながら海岸線を歩き、サポート隊の先輩の車をうらやましく、恨めしく眺めました。 貫歩終盤は「何で参加しちゃったんだろう」という後悔でいっぱいでしたが、今はそれもまた思い出かな、と感じます。 そして、室戸岬まで私に伴歩してくれたMさんと見た夕焼け、部室に帰ってからの豚汁の味は一生忘れないでしょう。 大モメにもめた室戸貫歩参加でしたが、みんなが腹をわって話すことができ、大きく成長できたステップだと思っています。 何はともあれ、あのときの貫歩に携わった人たちに感謝しつつ、今日も国道55号を走ります。 |
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