リアプノフ解析
埋め込み定理
アトラクタの自己相似特性の評価には,本来の状態空間におけるフラクタル特性を検証する必要がある.
しかしながら,観測データを解析対象とする場合,1変数の時系列データ f( t) から,
本来の d 次元空間における力学系のアトラクタ上の軌道と等価な軌道を再構成する必要がある.
そこで,Takensの埋め込み定理に基づき,ある一定の時間遅れ t を用いて,
空間のベクトル xt を以下のように再構成する.

時間遅れ t の決定方法には,主に,f( t ) の自己相関関数 R( t ) が最初に0となる時刻,
f( t ) の相互情報量が最初に極小値をとる時刻,特異値を利用する方法などが挙げられる.
自己相関関数・特異値を利用する方法では,Lorenzアトラクタの時系列 X( t ) に対して,
t の値は他の手法よりも大きくなる.これは,位相の投影が2つの
異なる点の周辺で振動しているためであると考えられる.その対処法として,X の変わりに X2 を用いる
ことがKemberとFowlerにより報告されているが,相互情報量を利用する方法では,その必要は無い.
この利便性から,f( t ) と f( t - t ) の相互情報量の
最初の極小値となる時刻を用いて, t を決定する.
それぞれの時系列データにおいて, t を推定し,3次元位相空間に再構成したアトラクタを以下に示す.

カオス特性の定量評価
カオスの特性の一つは,軌道の不安定性である.一見,無秩序に見られる軌道であっても,
ある初期状態と,背後に存在する決定論的な非線形ダイナミクスによって完全に支配されている.
また,初期値に対して鋭敏な依存性を有し,その結果,長期的な予測は不可能である.
これらの特性はリアプノフスペクトラムによって定量的に評価できる.
一般の d 次元の力学系を仮定する.時刻 t におけるアトラクタ xt における微小変位を dxt ,
写像 xt + s = G( xt ) を仮定すると,
dxt + s は, s → 0 の極限において,

と近似できる.ここで J( xt ) は点 xt における写像 G のヤコビ行列であり,
時変な線形写像である.
リアプノフスペクトラム li は,ヤコビ行列の積,

の固有値 si( N ) を用いて,
次のように定義される.
(bit/sec)
実際の解析においては,いくつかの問題点が存在する.一つ目は,埋め込み次元 d をどのように決定するかである.
我々は埋め込み次元の決定手法として,Kennelらによって提案された偽り近傍点手法(FNN法:False Nearest Neighbors法)を利用する.
この手法は,位相空間における近傍点群の位置情報が,埋め込み次元を増加させた場合に変化するとき,
それらの点を偽りの近傍点(FNN)と定義し,最適な埋め込み次元以上では,FNNが存在しなくなることを利用している.
音声データに対して,FNN手法を適応した結果を以下に示す.
(bit/sec)
このグラフにおいて,d = 5 以上の埋めこみ次元においてFNNはほぼ0%となることから,
我々は音声信号の埋め込み次元として d = 5 を用いる.また,FNN手法はノイズの存在を検証することにも利用でき,
ノイズの存在を示す兆候(埋めこみ次元を上げてもFNNが0%にならない傾向)がみられないことから,我々の測定した音声信号が有するノイズ成分は
影響の無いほど微小であると推察される.
次に問題なのはヤコビ行列の推定手法である.点 xt の近傍に存在する点群を利用して推定する手法が,
SanoとSawada,Eckmannらによって独立に提案されている.ここではSanoとSawadaの手法について述べる.
xt を中心とする半径 e の超球を仮定し,
その内部に入る M 個の点群 xki ( i = 1, 2, …, M ) を選出し,変位ベクトル,
を計算する.ここで,s は時間ステップであり,いま,半径 e とステップ s が
十分に小さいと仮定すると,これらの変位ベクトルの関係は,近似的に,
と表現可能である.ここで J は前述のヤコビ行列の近似と考えられ,その2乗誤差が最小となる条件を有する一般化逆行列により,
で求められる.ここで,~ は転置を表す.
続いて,固有値の発散を防ぐため,ヤコビ行列の直積の計算にはQR分解を用い,正規直行化を繰り返しながら直積を求める.
Q は直行行列,R は上三角行列を表すと,J( x0 ) ,J( xs )J( x0 ) は次のように表現される.
この変換を繰り返し行うことにより,
が得られ,その固有値は次式となる.
ここで, Rii は上三角行列の対角成分を表す.具体的なQR分解のアルゴリズムとして,Gram-Schmidtの直行化手法,
House-Holder変換手法などが挙げられる.理論的には両者の結果は同じになるが,House-Holder変換は比較的計算誤差の少ない変換方法であることから,
我々はHouse-Holder変換を用いる.
リアプノフスペクトラムの推定式は,次式となる.
(bit / sec).
音声データ/a/に対する,リアプノフスペクトラムの収束の状況を以下に示す.パラメータは,t = 16 (steps),s = 16(steps),e = 0.01L( L はアトラクタの直径),M = 20 と設定した.
また,各母音データに対するリアプノフスペクトラムの推定結果を以下に示す.
これらの結果において,最大リアプノフ指数 li の値は全ての母音に対して正の値であり,
軌道が不安定であることを示している.
注意するべきことは,リアプノフ解析におけるパラメータの選択には慎重な姿勢が必要であることである.特にステップ時間 s を非常に短く設定すると,
xki の点群と xki + s の点群に重なりが生じ,誤ったヤコビ行列が推定されてしまう.
s は十分に小さい必要があるが,時刻 t の状態と時刻 t + s の状態の相関が少なくなるように選択するべきである.
この条件は t の決定条件と等価であり,
我々は, s = t と設定した場合に,超球に重なりが生じず,理論値に近い推定結果が得られることを確認している.
戻る
2002/7
by Hiroyuki Koga