| 「西国観音霊場33ケ所」 |
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| 西国33ケ所霊場の成立は徳道上人(656−)が発願し花山法皇(968−1008)が再興したとする説もあるが、記録に残るものとしては、平安末期・応保元年(1161)に覚忠大僧正(近江三井寺)が75日かけて巡礼したのが始まりとなっている。坂東霊場が鎌倉幕府の成立(1192−)以降に、秩父霊場が室町末期(1488)に成立したのに比べ、西国33ケ所は最古の観音霊場である。西国33ケ所を坂東33ケ所・秩父34ケ所と併せ「百観音霊場」として巡礼した納札が天文5年(1536)に残る。 巡礼には二つのタイプがある。一つは西国33ケ所のように観音(本尊)霊場を訪ねる巡礼であり、二つは四国八十八ヶ所のように弘法大師の聖地(聖跡)をたどる巡礼(遍路)である。歴史的には、古代・中世において山林斗藪する修験者や法皇・貴族が詣でた「熊野詣」を日本の巡礼の原型とする。西国33ケ所巡礼は「熊野詣」が衰退しだした頃(室町後期から戦国時代)に取って代わった形で始まっていて、近世(江戸時代)には「伊勢参り」のあと熊野三権現を詣で、西国33ケ所巡礼につながるような道順が築かれた。 「熊野詣」は、平安時代に貴族・上皇・女院の参詣で隆盛を極めたが、これは当時の浄土信仰流行により、熊野三山の本地仏である阿弥陀仏の西方浄土、薬師如来の東方瑠璃浄土、観音の補陀洛浄土とし、現世利益を願ったものである。(小山靖憲:熊野古道) 那智山から西国33ケ所を出発することにより、これらの古人が築き上げた背景を感じながら巡礼を始めることができる。 |
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第1番 那智山 青岸渡寺 (せいがんとじ) 本尊:如意輪観世音菩薩
天台宗 和歌山県那智勝浦町
| 仁徳天皇時代(313−399:神代)に裸形上人(らぎょうしょうにん)の開基とする。裸形上人は、インドより熊野浦に漂着した僧で熊野各地を巡歴し、那智駅前の補陀洛山寺などを開いたとされている。正式には、推古天皇(554−628)の時代に、大和の生佛上人が来山し如意輪観音像を刻み本堂を建立した。那智山は、もともとは熊野権現を祀る神仏習合の地であり、熊野三山の主神である本宮の家津御子(けつみこ)神が阿弥陀仏、新宮の速玉(はやたま)神が薬師如来、那智山の結(むすび)神が千手観音を本地仏としていた。明治の廃仏毀釈・神仏分離により那智山は、熊野那智大社と分離され、青岸渡寺には本堂だけが残った。 平成16.10.13 |
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| 熊野那智大社からは拝殿・本殿横の鳥居をくぐって境内へ | 織田信長の兵火で焼失した本堂は、豊臣秀吉が再建(1590)した檜皮葺きの入母屋造りで重文。 | |
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| 本尊は如意輪観音(秘仏)、前立ちを拝す。 | お寺の境内からは八社殿が見える | |
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| 新しい三重塔(昭47再建)の向こうに那智の滝が見渡せる展望台がある。滝までは10分。 | 南北朝時代の梵鐘や宝篋印塔(重文)が残る境内。大雲取・小雲取への熊野道は右裏の石段を登る。熊野古道では難所として知られる。 |
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| 14:27 バス停のある門前町の参詣石段を登る。途中に名物の「那智黒飴」や那智黒石の工芸品の土産屋がある。 | 14:36 更に登ると、右上に青岸渡寺の山門が見えるが、そのまま左方向の石段を登り、 | 「一の鳥居」をくぐり、更に石段を登りつめると、「ニの鳥居」で熊野那智大社に入る。 | 14:40 大社は、八社殿、拝殿(本殿)、斎館、宝物殿などから成る。拝殿の右横を抜けると、青岸渡寺に至る。 |
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