| 「西国観音霊場33ケ所」 |
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近鉄大阪線の”はせでら”駅から徒歩10分で国道165の初瀬の信号に出る。県道32に入るが、ここから長谷寺までは賑やかな門前商店街である。食べもの屋やおみやげ屋などが並ぶ。 商店街が左に曲がる寸前の右側にひっそりと法起院がある。立て込んだ街中なのに、白壁右外に5台ほど入る駐車場も用意されている。 長谷寺には観光客が詰めかけるが、法起院を訪れる人は少ない。「修道上人」に関心がない人には無縁の寺であろう。 西国巡拝者は、それぞれのお寺でそれぞれの感慨を持つだろう。 |
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番外 豊山 法起院 (ほうきいん) 本尊:修道上人像
奈良県桜井市初瀬776
| 真言宗豊山派。 創建:天平7年(735)、開基:修道上人 |
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| 西国33ケ所の各寺はいずれも歴史・風格ある豪華な寺が多い。ここに到ってホットした気になる。法起院は修道上人が晩年隠棲されたところ。 | 本堂は元禄8年(1695)再建されたもので、長谷寺開山堂として修道上人を祀る。右手に納経所があり、丁寧に応対してくれる。 | |
![]() 本尊の修道上人(法起院小冊子より) |
![]() 上人御廟十三重石塔 |
| 修道上人は、斎明天皇の御宇2年(656)に播磨国で生まれた。神童と騒がれたが、不幸な両親との別れの後に大悟徹底し、長谷寺の名僧・道明大徳と師弟関係を得て修業し、大和、鎌倉の長谷寺ほか49の寺院を建立した。養老2年に病で仮死状態の中、閻魔大王から33ケ所の霊場を広める委託を受け33ケ所の宝印を受けたが、人々は信じなかったのでやむなく摂津中山寺に宝印を埋めた。270年後の永延2年(988)に花山法皇がこの宝印を掘り出し33ケ所を復興した。(法起院小冊子)。修道上人は私度僧(官の正式の認定がない僧)であったが、私度僧に後世名を残した僧が多い。 |
第8番 豊山 長谷寺 (はせでら) 本尊:十一面観世音菩薩
奈良県高市郡明日香村岡806
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| 真言宗豊山派(総本山)。 創建:朱鳥元年(686)、開基:修道上人 |
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法起院から一転して豪華なお寺である。ボタンの花の名所として、また大きな本堂、我国最大の木造仏の観音様、さらに延々と続く石段登廊で有名なお寺である。 平日で人気のない長い石段を上っては下り、下っては上りしている若い女人がいた。願い事をしているのか、トレーニングなのかは分らない。 修道上人の現開山堂と師である道明上人の御廟所が山の上と下にある。 春の桜、夏のボタンとシャクナゲ、秋の紅葉、冬の雪、四季の景色があふれるお寺である。 3月始めはちょうど中間の季節であり、華々しさはないがそれなりに静かな長谷寺であった。 |
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| 仁王門(重文) 楼上に十六羅漢、両脇に仁王像が安置され彫刻も立派。平安時代に建立されたが、幾たびの火災後、現在の建物は明治18年(1885)の再建された。 |
道明上人の御廟塔 仁王門から登廊を登りはじめてすぐ右側にある。背後に御廟所がある。 |
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| 登廊(重文)の左右は、4月下旬からボタンの花で埋まるという。直角に折れる三つの登廊(全399段)を上る。 | 上り詰めると、「尾上の鐘」に到着する。鐘楼の下から見上げると鐘が見える。 | |
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| 鐘楼とそれに続く本堂。 | 本堂(重文)は舞台造り、南面入母屋造り本瓦葺きの大殿堂。慶安3年(1650)の再建。 | |
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| 本堂の中心に立つ本尊十一面観世音菩薩(身丈10m余)を直に拝すことができる。現在の御本尊は天文7年(1583)の作。 | 礼堂の南に外舞台がある。 | |
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| 外舞台から長谷寺境内と初瀬の山々を眺める。 | 愛染堂 | |
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| 右奥には能満院日限地蔵(水子地蔵)がある。 | 弘法大師御影堂は寂かな佇まい。 | |
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| 本長谷寺はここに「天武天皇の病気平癒のために道明上人が精舎を建立し宝塔銅盤を祀った。これを長谷寺草創とする」とある。 | 本長谷寺に並んで五重塔 ここからさらに陀羅尼堂まで歩き石段を下るのが西参道。 |
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| 西参道から眺める登廊と本堂の舞台。花の季節には絶景となろう。 |
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