| 「西国観音霊場33ケ所」 |
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平18.3.23、京都市内の札所を一日で駈け巡った。9:50 京都発(JR奈良線) 9:58 東福寺着 15分ほど歩いて今熊野(観音寺)を往復する。 11:10 京阪東福寺発(三条乗換え・地下鉄東西線) 11:36みささぎ着 20分ほど歩いて元慶寺を往復する。 12:30 みささぎ発(地下鉄東西線) 12:38 京都市役所着 20分ほど歩いて革堂(行願寺)へ。丸太町へ10分。 13:50 京阪丸太町発 14:00 京阪五条着 10分ほどで六波羅密寺へ。 さらに10分ほどで清水寺へ。20分ほどで五条へ 16:05 京阪五条発(三条乗換え・地下鉄東西線) 16:30 烏丸御池着 16:45 六角堂(頂法寺)に到着する。 17:00で閉門に滑り込む。 現行の札所番号は、滋賀県・第14番の園城寺(三井寺)から京都市山科の番外・元慶寺に、東山の今熊野、清水寺、六波羅密寺を経て、鴨川西地区・御所南の中京区にある六角堂、革堂を巡り、次の札所・洛西の第20番善峰寺に受け継ぐ。 |
| 番外 華頂山 元慶寺 (がんけいじ) 本尊:薬師如来 京都市山科区北花山河原町13 真言宗豊山派。 創建:貞観11年(869)、開基:遍照僧正 |
| みささぎ駅に案内があった。「元慶寺へは、3番出口を出て左へ、1つ目の信号を左、そのまま進み、JRをくぐり、左に中学校を見て歩き、信号を右へ」とある。JRをくぐるトンネルは車は通行出来ない。 |
| 藤原氏の陰謀で、花山天皇(968〜1008)が19歳の若さで剃髪し出家したのが、この寺であると云われている。花山法皇は、熊野詣や西国33ケ所の中興の祖とされており、仏道に謙虚であるとともに和歌にも優れたとされているが、奇行の伝説もある。藤原摂政政治の犠牲の天皇であろう。開基の僧正遍照(816〜890)は六歌仙の一人。桓武天皇の孫で、「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ」が有名である。 |
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| 元慶寺近くの路上にあったイラストマップが面白い。 | 最後の信号を曲って右に行き、すぐに右路地の奥に元慶寺が見える。 | |
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| 白壁の山門が美しい。 | 境内は簡素で、左に本堂と正面に納経所があるだけ。樹木の手入れが行き届いている。 | |
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| 本堂には本尊の薬師如来の他に、花山法皇と僧正遍照の像があるらしい。 | ||
| 第15番 新那智山 観音寺 (かんのんじ) 「今熊野」 本尊:十一面観世音菩薩 京都市東山区泉湧寺山内町32 真言宗泉湧寺派。 創建:天長年間(824-834)、開基:弘法大師 |
| 東福寺駅から143号線に出て五条方向に少し歩き”泉湧寺路”の信号を右折する。泉湧寺の総門を通過して幾つかのお寺(塔頭:たっちゅう)の前を緩やかに上っていく。樹木が覆う静かな路。塔頭とは一山の碩徳の師の塔所をいう。泉湧寺が近づいた所に左に下る道があり、「いまくまの」の石碑がある。 |
| 観音寺は、弘法大師が熊野権現の霊示を受けてここに庵を結んだとか、嵯峨天皇の勅旨を得て造営したとか伝えられている。この地は古くから皇族、貴族の葬地であり、それらを掌っていた。平安末期には熊野参詣に熱心だった後白河法皇(1127−1192)が新熊野神社を造営し、観音寺の本尊を本地仏として「新那智山」の山号を当寺に賜与した。その後、応仁の乱(1467−1477)などの戦火に遭い、現在の本堂は正徳2年(1712)に再建されたものである。現在、観音寺(「今熊野観音寺」)は泉湧寺の塔頭の一つである。泉湧寺は「御寺(みてら)」として、鎌倉時代以後皇室の菩提所として格調高い禅宗のお寺であったが、明治40年に真言宗泉湧寺派を称している。 |
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| 泉湧寺通(古くは観音寺大路)を上っていくと、泉湧寺一山の総門に出会う。 | 樹木の生茂った雰囲気の良い泉湧寺道をさらに上ると、「いまくまの」の石碑があり、観音寺には左折して坂を下る。 | |
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| 今熊野川に架かる「鳥居橋」、古くはここに熊野権現社の鳥居があったとか・・・。 | 最初に出会うのが「子護大師」 | |
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| 西国33ケ所第15番札所の観音堂 | 右手に大師堂 | |
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| 稲荷明神を奉ずる稲荷社 | 当寺の草創とかかわる熊野権現社 | |
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| 竹藪の中を医聖堂に向っての道がある。西国33ケ所の各寺の本尊石仏が祀られている。 | 最上部に「医聖堂」と称される多宝塔がある。医と宗教が手を携えることを趣旨としているという。 |
| 第16番 音羽山 清水寺 (きよみずでら) 本尊:十一面観世音菩薩 京都市東山区清水1−294 北法相宗(本山)。 創建:宝歴9年(778)、開基:延鎮上人 |
| 清水坂を上り、五条坂を下った。 |
| 延鎮上人がここ音羽山の麓に草庵を結び、千手観音像を刻み祀ったのが始まりで、その翌々年に坂上田村麻呂が鹿狩りの際に延鎮上人に会い、殺生の非を諭され深く感銘し、仏殿を寄進し本尊の十一面千手観音を安置した。その後、上人は田村公を助け、地蔵尊と毘沙門天を脇侍として、本堂を造りかえた。法相宗は奈良時代に道昭や玄ムが伝来した宗派である。坂上田村麻呂は東北の蝦夷討征で活躍したが、その温情は東北地方でも人気が高く、”奥州33ケ所”のお寺には公の創建したものが多い。 |
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| 五条坂は狭い通りで、近くに観光バスの駐車場があり、参詣に出かける人と帰る人でいつも賑わっている。 | 室町期の仁王門は重文。後方の三重塔は平安初期創建のものを江戸時代に再建ひたもので重文。 | |
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| 開山堂は「田村堂」と呼ばれている。清水寺創建の本願主・坂上田村麻呂夫妻の像、延鎮上人などを祀る。 | 名筆「普門閣」の扇額を掲げる轟門(とどろきもん)は、江戸時代初期の重文で、本堂への中門。これより先は¥300。 | |
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| 清水舞台の上の観音堂。巨大丸太柱により、外陣、内陣、内々陣に分れ、内々陣の大須弥壇上の三基の厨子内に本尊と脇侍を祀る。 | 江戸時代初期に建設された平安時代の貴族邸宅美を伝える清水の舞台は国宝。現在の建物は寛永10年(1633)に再建されたもの。あと1〜2週間後には桜が満開。 | |
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| 1994年に岩手県水沢・江刺出身の関西在住および地元の有志により建造されたアテルイとモレの顕彰碑 坂上田村麻呂はアテルイを長とする蝦夷と戦ったが、田村麻呂の人柄を信じてアテルイは帰順した。田村麻呂はアテルイとモレの勇敢さと組織力に感服し、時の朝廷に助命嘆願したがならず、両者は河内の地で処刑された。 |
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| 落着いた雰囲気の茶わん坂を下る。 | ||
| 第17番 補陀楽山 六波羅密寺 (ろくはらみつじ) 本尊:十一面観世音菩薩 京都市東山区五条通大和大路上ル東 真言宗智山派。 創建:天歴5年(951)、開基:空也上人 |
| 京阪五条駅から国道1号線(五条通り)に出て300mほど進み、左角に真珠工芸館の所を左折、200mほど歩き「六波羅密寺」の案内看板に従い右折すると、ほどなくお寺前に出る。 |
| 空也上人は、醍醐天皇第二皇子であるが、京の市中を念仏を唱えて歩き、「市の聖」として人々の尊敬と親しみを受けた。胸にかけた鉦を鳴らし念仏を唱え、「念仏踊り」をしたり、十一面観音を車に乗せ市中を引き歩き「大福茶」を病人に与えた。空也が堂を建てた六原の地に、弟子の中信が規模を拡大して六波羅密寺とした。その後、寺の内外に平家の邸宅が立ち並び、鎌倉時代には六波羅探題が置かれたり歴史の嵐を受け、本堂のみを留めている。現在の本堂は南北朝時代(1363)に修営されていたものを明治44年に解体修理したもので重文指定されている。 |
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| 有名な「南無阿弥陀仏」に擬する6体の阿弥陀仏を口から放つ空也上人像は、本堂裏の寺宝館で拝観する。”四国88ケ所”第49番札所・浄土寺にも空也上人の像があり、上人が四国を去る時に自ら刻し残したと伝えられ、やや疲れた様相である。六波羅密寺の上人像は、運慶の四男の作で、若々しく活動的に見えた。空也上人像はこの二体しかないと言う。寺宝には藤原、鎌倉期の国宝と重文の仏像が多く、平清盛、運慶、湛慶の坐像や珍しい泥塔などがあり、拝観しがいがある。 | ||
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| 本尊は十一面観音立像(国宝)で厨子内に安置されている。 | 平家残党狩りの伝説を秘める阿古屋塚と左に清盛公の塚。 | |
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第18番 紫雲山 頂法寺 (ちょうほうじ) 「六角堂」 本尊:如意輪観世音菩薩 |
| 地下鉄・烏丸御池の三条方面出口を出ると烏丸通りに出る。300mほど南下すると左に「六角堂」がある。 |
| 聖徳太子が六角堂を建て、念持仏の淡路島・岩屋海岸に打ち上げられた高さ5.5cmの如意輪観音像(秘仏)を本尊にしたという。現在の本堂は明治8年に再建されたもの。代々華道家元池坊の家元が住職を兼ね、華道上達を願う”池坊の寺”としても知られる。隣あわせに池坊会館ビルが建つ。第19番「革堂」と同様に、早くから庶民の信仰を集め宗派を超えた”町堂”の性格を持つ。親鸞がここに百日参詣し法然上人に出会ったと伝えられる。 |
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| 山門は南面している。 | 山門を入って本堂の正面 | |
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| 東南から見た本堂 この方向の上空から見ると、六角の形が美しい。 |
裏手の「一言願いの地蔵」にお願いしている方が居た。池坊会館が隣接する。 |
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第19番 霊ゆう山 行願寺 (ぎょうがんじ) 「革堂(こうどう)」 本尊:千手観世音菩薩 |
| 市役所の西端の”寺町通り”を真直ぐ北上すると右側に「革堂」がある。 |
| 開基の行円上人は、鹿狩りの際に牝鹿を射止めた時、腹の傷口から血潮とともに仔鹿がこぼれ落ちたのを見て、無残さを悔い発心して仏門に入った。上人は寒暖を問わず、革衣を着け、千手陀羅尼を民衆とともに唱え、「革の聖」と呼ばれ庶民・貴人を問わず人気を得た。お堂は一条天皇の勅願による。第18番の「六角堂」同様に町堂の役割を果たす。 |
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| 京都御所近くの寺町通りに面して山門がある。 | こじんまりとした静かな境内。 | |
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| 奥に鐘楼がある。鎮宅霊符神や寿老神や七福神を祀り、庶民信仰を集める。 | ||
| 北隣に「下御霊j神社」がある。 | ||
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| 不運のうちに亡くなった桓武天皇の皇子・伊予親王とその母・藤原吉子の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建されたといわれている。祭神は後に、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麿、菅原道真を加えて八所御霊としている。御所の北側にある「上御霊神社」では早良親王の非業の死の御霊を祀り、八所御霊として伊予親王の代わりに多戸親王、藤原吉子の代わりに井上皇后を祀る。いずれも政治的な怨念を鎮めるための神社。 | ||
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