| 「西国観音霊場33ケ所」 |
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| JR山陰本線は京都駅から嵐山の北側をトンネルで抜け、保津峡を見て、亀岡市に入る。京都市西京区と亀岡市の境界は山々で隔てられているが、京滋自動車道で結ばれた。 |
| 天台宗。 創建:長元2年(1028)、開基:源算上人 源算上人は、「往生要集」を著わした恵心僧都(源信)の高弟である。長元2年(1028)に、源算上人がこの地に草庵を結び、十一面千手観音を刻み本尊としたのを開基とする。長久3年(1042)には、仁弘法師作・十一面千手観音を遷して本尊とし源算の観音像を脇立とし、白河天皇が諸堂を建立した。鎌倉時代に、慈円大僧正や浄土宗西山派の祖・証空上人が住職となり、その後青蓮院の宮様が代々住職をしたので、西山宮門跡と称される。室町時代には僧坊52の大寺院であったが、応仁の乱で焦土と帰した。江戸時代に徳川五代将軍生母・桂昌院が復興し、現在に至る。大元帥明王軸(鎌倉時代)を重要文化財として持つ。大元師明王の仏像は秋篠寺に一体だけ、掛軸類も全国に数える程しかない珍しいものである。密教により招来されたインド神話の神で、”悪魔帰伏・国土護持”の祈願として秘法として宮中で厳修された。 |
阪急宝塚線「東向日(ひがしむこう)」駅から善峰寺行きの阪急バスが、土・日曜日にはAM9:51よりPM16:30まで1時間に1本運行されている。平日は一日に3本(それも小塩まで)である。駅前のバス停には、善峰寺から金蔵寺経由で小塩山へのハイキング(6時間)が紹介されている。善峰寺からは、大阪府との県境にあるポンポン山や釈迦岳へのハイキングもできるようだ。善峰寺行きのバスは灰方・小塩経由で山を上る。善峰寺は山の中腹(標高300m)辺りにある。車は善峰寺の直下まで入れる。今回は、土曜日にバスで善峰寺まで行き参詣した後、バス停近くから三鈷寺に登り返し、竹薮の道を灰方まで下り灰方でバスをつかまえた。 この洛西・大原野には善峰寺のほかにも古寺・古社が多い。大原野神社と正法寺、花の寺・勝持寺、在原業平縁の十輪寺、山寺・金蔵寺などがある。 |
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| 善峰寺は広大な境内に伽藍が配されている。 | バす停から雰囲気のある参詣道を登る。 | |
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| 登りきると、茶店があり、仁王門に到着する。楼上に運慶作の本尊・文殊菩薩と両脇・金剛力士像があるらしいが、拝観できない。 | 仁王門をくぐると、観音堂が正面石段上に見える。山のお寺らしい落着いた雰囲気である。 | |
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| 観音堂(本堂)は元禄5年(1692)の再建。 | 一休みできる茶所もあり、ゆっくりとした空間がある。 | |
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| 観音堂の右手に大師堂と弘法大師の像 | 左に経堂、右に多宝堂を見上げる。右奥には護摩堂がある。石段を上って、順路に従って境内を一巡する。 | |
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![]() 開山堂、桂昌院廟、十三仏堂を経て釈迦堂に至る。境内は石垣と白壁が自然と溶け合う。 |
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| 多宝堂(重文)は元和7年(1621)賢弘法師により再建されたもの。 | ||
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| 釈迦堂は明治18年建立で、釈迦岳に安置されていた源算上人作の石仏を運んだ。右奥手に薬湯場がある。 | ”けいしょう殿”を過ぎ、奥の院・薬師堂が最上部となる。薬師堂は元禄14年建立で、桂昌院の両親が祈願された薬師如来を祀る。 | |
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| 奥の院前からは京都盆地の北端から鳥羽・伏見・宇治方面までが一望できる。遠方には、中央に比叡山と東山の峰、左に比良の山々、右には醍醐山から笠置の山々までが見える。 | ||
![]() 一段と高所に墓所がある。浄土宗西山派の祖である証空上人の墓を中央に、右が財を提供した宇都宮蓮世房、左が観性法橋(2世住職)の墓である。宮内庁青蓮院の宮御廟もこの右に並んでいる。 |
![]() 青蓮の滝 |
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| あみだ堂を経て、美しい姿の経堂(えま堂)に帰ってきた。桂昌院が収めた鉄眼の一切経が収納されている。。 | 「遊龍の松」は天然記念物。樹齢600年の五葉松。全長40m余りの松が地上1mを這う。 | |
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| 茶店でうどん定食を食う。茶店のおばさんの話では、この辺りには民家が4軒ほどあり、昔、但馬の方から来たことが過去帳で分っているらしい。 | バス停に帰って来た。バス停の向こうにタケノコなど土地の産物を売る店がある。 | |
| 「三鈷寺(さんこじ)」に寄り道 | ||
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| バス停を過ぎてすぐに左に上る道がある。 | 道はよく整備されている。15分ほど登ると「三鈷寺」に到着する。 | |
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| 三鈷寺は証空上人の隠居所より始まり、後に念仏道場として発展した。昭和26年に西山宗として独立した。善峰寺の上部からも道が通じている。 | 竹薮の中の道を灰方へ下る。 | |
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| 20分程下り灰方で金蔵寺からのホソー路に出る。しばらく行くと開けた”のどか”な”田の神が降りてくる”風景に出会う。 | 振返ると、三鈷寺。最上部の建物は、一山向こうの善峰寺の最上部か? | |
| 天台宗。創建:慶雲2年(705)、開基:大伴古麿 寺伝によれば、草創は文武天皇の勅願により建立された。その後300年を経て当曽我部の郷に”邪見無慚、生死無常の理”を知らない宇治宮成と云う男と”慈悲柔和、深く仏法を信じる”奥方が居て、宮成は奥方の願いで仏師に聖観音像を刻ませ馬を与えたが、馬が惜しくなり仏師の帰路を待ち伏せ射落とし、馬を奪い返した。帰宅して聖観音像を見ると、仏像の胸に矢がささり流血し涙を浮かべていた。観音菩薩は仏師の身代りで実は奥方であった。宮成は改心し御堂を造り聖観音像を安置し、身代り観音として信仰を集めた。その観音像は重文であったが、昭和43年に盗難に会い行方不明となった。仏教説話がらみの”里の寺”である。現在は新しい聖観音(秘仏)を本尊としている。 |
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| JR亀岡駅から京都交通バス「学園大学行き」に乗り、”穴太口”で降りて、西への道を行く。円山応挙の生誕地 | 突当たったT字路を右に歩くと、正面に仁王門がある。周りの雰囲気が”里”らしくて良い。 | |
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| 山門を入って正面に観音堂(本堂)があり、右に鐘楼、左に多宝塔、左奥に本坊がある。 | 観音堂の正面の掛額、針札など時代の古さを感じる。”あなおうじ”と読むと納経所で教わった。 | |
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| 簡素な境内 | 鐘楼側から多宝塔を見る | |
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| 優雅な姿の多宝塔 | 多宝塔の四方の欄間には、方位神である青龍、白虎、朱雀、玄武の四神が彫刻されている。写真は玄武(亀)。 | |
![]() 本坊の門。¥500の拝観料で、本堂内陣の諸仏が拝観できる。中でも右奥の釈迦涅槃像は穏やかな顔で、ふわふわの御蒲団が掛けられている。蒲団をめくり自分の悪い所を撫でると御利益があるとか。 ![]() |
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| 本坊・書院は、明智光秀の戦火見舞いとして日光輪王寺から送られたものという。江戸中期の陣屋造り。 | 書院の庭は、築山と池を配し、要所要所に大きな石を、それらを中小の石がつなぐ。庭園と多宝塔が見事にマッチしている。 |
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