| 「坂東観音霊場33ケ所」 2003年 |
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坂東33観音霊場 (@〜33)は、八溝山(茨城)、男体山(栃木)、榛名山(群馬)、秩父奥多摩(埼玉、東京)、大山・箱根(神奈川)と太平洋(千葉)で囲まれた坂東平野に配置されている。 |
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| 「観音信仰」は西暦1世紀にインドで始まり、中国・朝鮮を経て飛鳥時代には日本に入っていた。観世音菩薩は33の応現身に姿を変え人々を救うという。 「坂東33ケ所札所巡り」は、鎌倉幕府の成立期に始まった。室町末期に「西国」、「秩父」と併せて百観音霊場となる。江戸時代には他の札所巡りと同様に、庶民の娯楽の意味も兼ねた札所巡りが盛んに行われた。 源頼朝とその妻北条正子は、歴史書・小説ではあまりはかばかしい人物像として描かれないが、観音信仰に厚く、兵火で焼けた鶴岡八幡宮を再建したり、神奈川の諸寺に参詣したりして信仰の場に顔を出すことが多い。高野山・金剛三昧院も北条正子が頼朝供養のために建立した。武家の棟梁と祭り上げられ非情に生きる運命を担った人間が、鎮魂と心の安らぎを求めた姿を想像する。「坂東観音霊場33ケ所」も3代将軍実朝の時代に各地の豪族の推挙する寺で開設したらしい。京から離れ遠く鎌倉の地で、公家政治から武家政治への舞台回しをした源氏三代の悲劇を偲びながら、巡礼を始める。 |
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| 発願 | 杉本寺 | 岩殿寺 | (神奈川その1−2)へ |
鎌倉・杉本寺(1番札所)から岩殿寺(2番札所)、安養院(3番札所)への道
![]() 坂東33ケ所(昭文社)挿図より |
1192年(建久2年)源頼朝が征夷大将軍になり2代頼家を経て3代将軍・実朝が殺害されるまでの27年と、以後北条氏により執権政治が行われ1333年(元治3年)北条高時が東勝寺で自刃するまでが、鎌倉幕府と呼ばれている。
鎌倉幕府は、源氏の代では鶴岡八幡宮の東端で、北条の代では若宮と小野大路の間で政治を司っていたらしい。源実朝の代に「坂東33ケ所」が開設されたとすると、一番寺は幕府と眼と鼻の先にあったことになる。
一番札所・杉本寺へ行くには、鎌倉駅前で鶴岡八幡宮と由比ケ浜を結ぶ若宮大路を三の鳥居まで行き右折しても良いが、一つ東側の小野大路を北上しそのまま道なりに向かう。
坂東33ケ所全部を順打ちで歩いて巡る根性はないが、せめて出始めだけでも歩いて巡礼をしたい。我家(町田市)をAM9:00に出発し、小田急と江ノ電を乗り継いで鎌倉駅に行き、「杉本寺から衣張山をかすめて2番・岩殿寺(逗子)へ丘越え、名越切通しで鎌倉に戻り3番・安養院田代寺を巡る」ことにする。ところが実際にはハイキングコースを楽しみすぎ(ミスコース)、3番寺に到着した(PM4:30)のは丁度お寺の門が閉めらた時であった。それでも快適な正月ハイキングになった。
だいぞうざんすぎもとでら |
![]() 杉本観音は朝比奈ICから鎌倉への主道路に沿っている。車は渋滞し、車内ではラーメン屋のガイドブックに見入っている。お寺の入口からは石段と仁王門が見える。 (PM1:45) 仁王門から先は踏み摩り減った石段がさらに続き、本堂に導く。 |
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| 本堂(観音堂)のある境内 正月の鎌倉の喧騒から離れ静かな雰囲気。(PM2:05) 天平6年(734)行基菩薩の開基で、行基、慈覚大師(851)、恵心僧都(985)作の 十一面観音3体が内陣に秘仏として安置されている。前立ちの十一面観音は 七尺の立像で頼朝寄進のものである。地蔵菩薩とともにまじかで拝観できる。 いずれも運慶作で天平仏に近い雄々しい顔立ち・姿である。 「発願」の朱印を押した納経を受ける。 |
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| お寺の方に道を教えてもらって、報国寺まで行き、その先から「巡礼古道」に入る。 (PM2:25) |
小高い山上からは逗子の海が見える。久木ハイランドを突き抜けるとよかったのだが、ハイキングコースがあったので、名越方面に歩く。 (PM2:43) |
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巡礼としてはミスコースだが、 古の「名越切通し」に出会った。鎌倉幕府は鎌倉への道を七つの「切通し」で遮った。 名越切通しは逗子からの侵入に備えたものである。 (PM2:53) |
国道を逗子駅まで行ってしまい、ガイドブックを取り出して眺めていると、見かねた男の方が
「どちらまで?」と尋ねてくれ、住宅街を抜け道してお寺の前まで連れて行ってくれた。 合掌。
かいうんざんがんでんじ |
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![]() 弘法大師が爪で彫ったという爪彫り地蔵が石段を上がった所にある。ここから更に登る。 |
| 岩殿寺(がんでんじ)は、逗子の住宅街を通り抜けた山裾から石段で登っていく。 (PM3:45) |
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| 坂東33ケ所では珍しい曹洞宗のお寺。開基は徳道上人、行基菩薩の両聖人とされる。本尊は十一面観音。頼朝の信仰も厚く、石橋山の戦いで破れ真鶴から房総に逃れる時、この観世音が船頭になって導いたと言う。 (PM3:50) | 観音堂からは、逗子の海が住宅街の向こうに見える。 |
国道を鎌倉に戻る途中に安養院・田代寺がある。たどり着いたのが丁度閉門の時間
(PM4:30)であり、次回の鎌倉巡礼に回した。