坂東観音霊場33ケ所
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| 坂東とは箱根、足柄の坂の東側と云う意味らしいが、「坂東33ケ所札所巡り」では、この地に広がる関東八国(関八州)である相模(神奈川)、武蔵(埼玉、東京)、上野(群馬)、下野(栃木)、常陸(茨城)、下総、上総、安房(千葉)のお寺を巡る。 鎌倉を基点とした順打ちでは、相模の国から発して、武蔵の国の札所を巡って相模に戻って来て、改めて、上野の国から関八州を外回りして、安房の国で結願する。 |
きんりゅうざんせんそうじ |
慈恩寺(12番)のある豊春駅から東武野田線で春日部に出て、東武伊勢崎線で浅草に出る。ここは東京の観光地として賑わう。浅草寺の歴史は古く、推古朝の623年に隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の網に観音像がかかり、郷司の土師中知(はじのなかとも)がこの聖観音菩薩に帰依し自邸をお寺としたのが始まりで、開基は大化元(645)に勝海上人が観音堂を建てこれを本尊とし秘仏とした。「三社祭り」は観音像発見の三人を神として祀ったことに由来する。
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| 昭和35年に再建された風雷神門。 | 宝蔵門までの参道が仲見世で、参道の左に伝法院がある。 |
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![]() 本尊は秘仏の聖観音菩薩像で、平安時代には慈覚大師が前立の本尊を刻み中興開山の祖となった。源頼朝の帰依も厚く、徳川家康入府時には徳川家の祈願所になり、祈願所が上野寛永寺に移ってからは庶民信仰の場として栄えた。観音堂は昭和33年の再建。 |
| 昭和48年の再建。 |
ずいおうさんぐみょうじ |
第13番の浅草寺から14番の弘明寺までの巡礼は、「このたびは 君のおほせの 弘明寺へ 江戸品川を うらに見てゆく」と御詠歌に読まれている。現在は京浜工業地帯を歩くことにもなろうが、湾岸道路を車で走るとこう云う気配も感じられないこともない。
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| 横浜地下鉄弘明寺駅から門前町の気配の残る商店街を仁王門に向って歩き、石段を登って本堂に向う。仁王像は運慶の作と云われている。マリア観音を思わせる「竹観音」がある。本堂の裏はすぐ京浜急行の弘明寺駅である。 | 何といっても感激は、重文の鉈彫りの本尊・十一面観音(高さ1.8m)をまじかに拝観できることである。丸ノミの彫り跡が横方向に延びた素朴な姿と穏やかな顔に見とれる。日向薬師の薬師、日光、月光像とともに、神奈川に伝わる行儀菩薩が刻んだ鉈彫り像の逸品(実際は鎌倉、室町期)である。内陣へは堂内左手から¥300を納めて上がることができる。外陣で参拝を済ませる人が多いが、本尊以外にも拝観するものが多く是非内陣を拝観したい。 |
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| 弘法大師が刻んだとされる秘仏の歓喜聖天を祀る歓喜天(聖天)堂。 ほかに、穏やかな顔の役行者像、正徳年の奪衣婆、口を大きく開いた閻魔大王、楽人たちを従えた弁才天像なども拝観できる。 |
こじんまりとした境内からは眼下に弘明寺の町並みが見下ろせる。なんとなく港町らしい風情がある。四国八十八ヶ所の23番札所・徳島の薬王寺を思い出させた。日和佐町同様に昔の横浜も小さな漁村だったのだろう。 |