坂東観音霊場33ケ所
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勝道上人と慈覚大師 満願寺と中禅寺が勝道上人の開基、大谷寺が弘法大師、西明寺が行基菩薩の開基である。いずれも天平、平安初期の偉人で歴史が古い。 勝道上人が幾度かの失敗の後に男体山登頂を成遂げた事を弘法大師は讃え、碑文「沙門勝道山水を暦て玄珠をみがくの碑」を贈った。 中禅寺と大谷寺は江戸・徳川家の庇護を多大に受けている。江戸期の日光東照宮建立と関係が深い。 西明寺は城主・益子氏が祖先の紀一家を祀ったのを起源とする。 |
| 勝道上人と慈覚大師円仁は、栃木県が生んだ傑出した名僧である。 勝道上人は、天平7年(735)に現在の真岡市に生まれ、日光を開山し、弘仁8年(817)に没している。 慈覚大師円仁は、延暦13年(794)に岩舟町に生まれ、比叡山延暦寺で最澄の教えを受け、43歳で入唐し、貞観6年(894)に没した。「入唐求法巡礼行記」を著わしている。 |
いずるさんまんがんじ |
勝道上人は、20〜24歳の時に出流山に籠もり、千手観音を奉安し日光開山を祈願した。現在の満願寺は真言宗智山派の別格本山であり、立派な信徒会館が建ち精進料理を振舞う本格的な宿坊となっている。
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| 葛生町・神平から峠越しに石灰工場の林立する出流川谷間に下る。通常は栃木ICより権道32で根古谷で左折するのが良い。 | 石灰工場地帯から抜けると、山間の村(出流町)が現れ、手打ちそばの幡幟の終点に満願寺の仁王門に出会う。車の護摩祈願のため車道は寺内に続く。 |
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| 境内に入ると、護摩祈願所から右手の鐘楼を見て信徒会館への石段を上り、本堂へと導かれる。 | 本堂(大御堂)は唐破風向拝のある入母屋造り。 |
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| お寺の方に断って内陣に上がると、中央に千手観音を奉する立派な厨子と左に勝道上人、右に弘法大師の像が祀られている。 | 応永年間に足利義満が寄進し、失火焼失、明和元年(1764)に再建された。龍の彫刻も見事で筑波山、奈良興福寺と併せて日本三御堂に数えられる。 |
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| 奥之院へは、本堂右手の案内所で入山料を納めて、10分ほどの参道を登る。享保年間の板碑や石仏が残る。 | 途中に大師堂がある。 |
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| 休憩所から見上げると岩肌に張付いた朱塗りの奥之院拝殿が見える。じぐざぐに鉄の階段を登ると拝殿奥に鍾乳石でできた十一面観音の後姿とされる像を拝する。 | 休憩所正面には、滝修行のための大悲の滝がある。滝上には童子を伴う不動尊が立つ。 |
日光山中禅寺 (18番札所) 立木観音 (03.10.03) |
日光と言えば元和元年(1617)建立の徳川家康を祀る東照宮が有名である。紅葉の季節には、”いろは坂”を登り華厳ノ滝、中禅寺湖・男体山への行楽客が絶えない。天応2年(782)勝道上人が幾多の苦難の末に男体山登山に成功し、翌々年に日光権現(中宮祠)を祀った。これが中禅寺湖北岸にある二荒山神社である。この神社内にあった観音堂が明治35年に大山津波で中禅寺湖に流されたが、大正2年現在の地(歌ケ浜)に観音堂を再建して、損傷なく湖に浮かんだ本尊を祀り日光・輪王寺の別院とした。
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| 中禅寺湖畔に仁王門が建つ | |
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| 観音堂にはお寺の人の案内で右手より入る。ご本尊・十一面観音は胴体部分が根のついたカツラの巨木の立ち木のままで刻まれている。大きくて暖かい風情がある。内部の階段で五大堂につながる。 | 勝道上人ゆかりの波之利(はしり)大黒天を祀る堂が観音堂の右にある。 |
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| 五大堂は一段と高い所にあり背景の山に溶け込んでいる。大聖不動明王など五明王が祀られている。天井には大雲龍の絵が描かれている。 | 五大堂からの男体山の姿が良い。 |
てんかいさんおおやじ |
東北自動車道・宇都宮ICと鹿沼ICの中間に位置し何れからも車で10〜20分程の距離だが、始めてだとやや分かりづらい。こんな所にこんな立派な磨崖仏があった事を始めて知った。弘法大師が刻んだと伝わる像高3.89mの千手観音は特別史跡、重要文化財に指定されている。脇堂にも鎌倉、江戸期の磨崖仏が安置されている。現在の大谷寺は江戸初期に天海大僧正の法弟・伝海僧正による中興を家康の長女・亀姫が援助し、徳川家の保護の下に繁栄した。「西の臼杵(大分県)の磨崖仏、東の大谷の磨崖仏」である。
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| 街路に沿った大谷観音の仁王門 | ご本尊の千手観音磨崖仏を祀る観音堂の左に釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の磨崖仏を祀る脇堂が建つ。お堂は洞穴に刻んだ磨崖仏を包みこむように建てられている。ご本尊は、弘仁元年に弘法大師がが刻んだと伝えられている。(重文) |
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| 観音堂は古い歴史を感じる。もっと古い話としては、別棟として宝物舘に大谷寺洞穴遺跡から出土した11000年前(縄文時代最古)の屈葬された人骨がほぼ完全な形で展示されている。 | お寺の前面には、戦没者供養のため高さ88尺8寸8分の平和観音が大谷観音の前立として昭31年に開眼され、公園となっている。英和観音の足下から見た大谷観音の全景。 |
どっこさんさいみょうじ |
日光の山麓にある先の三寺から離れて西明寺は田園地帯の益子町にある。益子は昭和5年に浜田庄司が窯を築いた陶芸の里として有名である。街の外れの小高い山腹に西明寺はある。奥州征伐(780)の紀古佐美や「土佐日記」の紀貫之で有名な紀一族を先祖とする益子氏は、戦国時代には上杉謙信派の宇津宮氏の家臣であるが、武田信玄、北条氏とも交流があったと言う。西明寺は幾度かの兵火により焼失しているが、現在の本堂は応永元年(1394)の再建、元禄14年(1701)の修復による。
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| 細い坂道を登ると西明寺の駐車場に到着する。西明寺公園として「関東ふれあいの道」の中にある。茅葺の納経所まわりの紅葉が美しい。 | 天然記念物の椎林叢の参道を登り仁王門へ。仁王門は明応元年(1492)の建立で重層の茅葺。左に三重塔がありいずれも重文。 |
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| 茅葺型銅板葺きの本堂。本尊は十一面観音。 | 欄間の彫刻が見事。 |
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| 素敵な「笑いの閻魔」さんの閻魔堂(正徳4年(1714)の建立)。善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊とともに覗き見できる。 | 大師像が収められた大師堂に纏わる枯葉がきれい。 |
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| 天文7年(1538)建立の室町期の三重塔は重文。 | 西明寺への道。 |