坂東観音霊場33ケ所

(その6−1 茨城県1/2)
栃木の四寺へ 日輪寺 佐竹寺 観世音寺 茨城県2/2へ

      茨城県北部の札所

栃木の田園地帯にある益子町・西明寺から北上し、坂東33ケ所巡礼は坂東平野の北端の八溝山の山頂ちかくにある日輪寺に到着する。八溝山系は茨城と福島の県境になり、古より「白河の関」、「勿来の関」を境にして東北(奥州)地方との分れ目である。


益子町からは烏山町、馬頭町を経て大子町に入る。八溝山は大子町の北詰に位置する。茨城県の秋の田園風景は美しい。収穫の終わった稲田を囲んで、小高い丘のような山が紅・黄葉で覆われる。

栃木県とも接する日輪寺は慈覚大師の来錫を受け天台宗の寺として栄えたが、佐竹寺と観世音寺は土地の豪族の守り寺として始まった。水戸藩の文化・歴史を直接受け、幕末には廃仏毀釈運動が徹底された感をうける。





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八溝山日輪寺 (21番札所) 八溝山観音  (03.11.20)
やみぞさんにちりんじ

坂東33ケ所の配置は八溝山だけが特別に離れた位置関係にあり、またその山の深さと併せて、昔の戯れ言葉に「八溝知らずの偽坂東」とあったというのも肯ける。大子町の中心部から県道で北上し、蛇穴(じゃけつ)のバス停を過ぎ少し行くと、右側の大鳥居をくぐって八溝山林道が八溝山山頂まで延びている。鳥居の所が登山口となっていて、祠や石仏、板碑が林立し、霊山であることを示している。昔の巡礼者はここから山頂近くの日輪寺まで7kmほどの距離を歩いたのだろうが、林道と言っても完全舗装されている現在では、途中八合目にある駐車場あるいは頂上の駐車場に車を止めて1km以内の道を歩くのが普通らしい。日輪寺まで車で入ることもできる。今回の巡礼は、車を八合目駐車場に置き、日輪寺・山頂の八溝嶺神社・八溝川湧水群を巡る遊歩道を歩く途中で、日輪寺に参拝することにした。
日本武尊が創建したとされる八溝嶺神社と一体となって、役の行者開基、弘法大師、慈覚大師来錫の日輪寺は、鎌倉・室町時代より天台宗の修験道場であった。江戸末期には水戸藩の、また明治維新での廃仏運動があり、明治13年の火災で堂宇を全焼した。現在の観音堂は昭和48年にようやく完成したものである。現在、かっての大寺としての歴史、散逸された仏像、仏具、文献を調べ直しているとお聞きした。坂東平野の北端を、山深く原生林の生茂った八溝山が霊山として遮っていた図を想像する。

八溝山への登山口 八合目・日輪寺(1km)の遊歩道入口
ブナ・ミズナラの原生林を歩く 日輪寺観音堂
毘沙門堂(室町期?) 日輪寺周辺はハイキングコース

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妙福山佐竹寺 (22番札所) 北向観音  (03.11.20)
みょうふくざんさたけでら

佐竹寺は八溝山から南下して日立大田にある。土地の豪族・佐竹氏の勅願寺とひて平安・鎌倉時代には栄えたが、関が原合戦で反徳川派の佐竹氏は追放され、さらに明治の廃仏毀釈で衰退し、現在はつつましい佇まいを呈している。重層茅葺・大唐破風造りの本堂は天文15年(1546)の建立で重文である。本堂の前に整列したお地蔵さんが並ぶ。

仁王像は江戸時代の作。 昭和15年の建立だが、佐竹氏の軍扇が掲げられている。
境内は一眺めできる広さ。みぎに納経所がある。 荘厳な本堂と可愛い地蔵列と、落葉の敷詰められた庭の端に古い板碑と石仏が並べられている。


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佐白山観世音寺 (23番札所) 佐白観音  (03.12.03)
さしろざんかんぜおんじ

日立大田の佐竹寺から引続き笠間市へ向かったが納経受付(冬場は午後4時)に間に合わなくなり、日を改めて23番札所を打った。笠間市は笠間稲荷や陶芸の笠間焼で有名である。笠間稲荷神社の門前は賑やかで垢抜けている。観世音寺は笠間稲荷のすぐ近くの佐白山麓公園と隣合せで、「つつじ公園」の一角にある。お寺の開基は狩人・粒浦(つうら)氏で孝徳天皇の勅願所として栄えた。お寺や神社の縁起にはよく狩人が現れる。山や自然の守りを狩人が果たしていた古代の有様が偲ばれる。建保2年(1214)に宇都宮氏の一族がこの地を攻め笠間城を構築し、”笠間”氏を名乗った。笠間城の一角に観音堂を再築し以後400年繁栄したが、天正18年(1590)に笠間氏が宇都宮氏に滅ぼされ寺勢は衰えた。現在の仮本堂は昭和5年に建てられて、遷座していたご本尊の十一面千手観音が迎えられた。

観世音寺は美術館が点在する公園の中にある。参道には木々が多く、小高い丘を登り別世界への入口となる。仰々しくなく慎み深いお寺だ。 第二次世界大戦を潜りぬけた仮本堂。同じ軒下に納経所がありお茶の接待を受ける。静かな侘びのある風景。境内と「つつじ公園」とはつながっている。