坂東観音霊場33ケ所
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千葉県へ 利根川を越えれば千葉県となる。茨城県の筑波山周辺の札所を打ち終えた巡礼は、28番の龍正院を先に打ち、銚子の円福寺を訪れるのが都合が良い。 龍正院は天台宗の古刹、円福寺は漁港の中心にあり、犬吠崎に奥ノ院の満願寺がある。 千葉県の中心に近い千葉寺を打ち終えて、高蔵寺で房総半島の真只中に入る。高蔵寺は木更津市にあり、東京・川崎とアクアラインで30分足らずで結ばれている。 |
いいぬまさんえんぷくじ |
本尊は秘仏の十一面観世音菩薩。弘法大師開基の真言宗のお寺で縁起は神亀元年(724)に遡る。土地の豪族・海上氏により天正6年(1578)に観音堂が建立され、江戸時代には寺領も広く銚子の町は門前町として賑わったという。第二次世界大戦で一切が焼失した。現在の観音堂は昭和46年に建立されたもので、犬吠崎にある「奥の院」ともども、りっぱな堂宇の建設が現在も続いている。
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| 銚子港近くの街中に観音堂はある。立派な仁王門が立つ。五重塔建立を予定している。老人と孫が朝の散歩をしている。「おはようございます。」と孫はしつけが良い。 | 本堂は昭和46年に再建されたもの。内陣にはガラスケースに入った仏像群が座す。仁王門をくぐり境内に入ると、大仏の前で香をたく。右手には鐘楼がある。 | |
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| 納経所は車道を横切り200m程離れた所にある。観音堂に地図が用意されている。阿弥陀堂などがあり本坊になっている。 | 奥の院・満願寺は犬吠崎の「地球が丸く見える丘公園」近くにある。昭和51年に開創されたもので規模も大きい。 | |
(犬吠崎) |
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なめかわさんりゅうしょういん |
滑川城主の発願で承知5年(838)に慈覚大師が開基の天台宗の寺である。本尊は十一面観音である。文化財も多く、国道365に面しているが落着いた雰囲気がある。
![]() 室町期の遺構として重文の茅葺の仁王門。 ![]() 仁王門の柱は珍しい十六角で、仁王様は「火伏せの仁王尊」。火災を逃れた人により寄進された注連縄がかかっている。 |
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| 本堂は元禄時代(1698)の建立。正面三間は当初より建具のない造りである。石畳の道の右側に芭蕉の句碑がある。街中であるが境内は静かである。、右奥に納経所がある。 | ||
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| 本堂欄間の彫物も見事である。 | ||
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| 境内には、江戸期の銅製の大きな宝篋印塔がある。 | 道路に面して石造の宝篋印塔群が置かれている。 | |
かいじょうざんちばでら |
開基が行基菩薩の真言宗豊山派のお寺である。聖武天皇の御世に観音堂が建てられた。奈良時代には大伽藍を有したらしい。豪族・千葉氏の勅願所として、源頼朝の平家打倒の祈願所としての役割があった。豊臣方に加担した千葉氏は滅亡したが、徳川氏の庇護の下に江戸時代にも栄えた。幾度かの火災、戦災に会っている。
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| 大網街道に面して仁王門がある。天保12年(1841)の再建で、荘厳さが漂う。 | 境内に入ると、中高年絵描きグループが思い思いに写生している。本堂は昭和51年にコンクリート造りで再建された。本堂の右前に樹齢800年の大銀杏がある。 |
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| 焼失を免れた大師堂は文政年間のもの。 | 立派な鐘楼が大銀杏と溶合い、お寺の美しさを増す。 |
へいやさんこうぞうじ |
高蔵寺を含めて坂東33ケ所の残り4ケ寺は房総半島にある。開基は6世紀の徳義上人である。真言宗豊山派で、本尊は聖観世音菩薩である。藤原鎌足誕生の伝説のあるお寺で、房総らしい木々の生茂った山中にある。
![]() 房総半島は小高い丘が重なり、ゴルフ場が点在している。木更津ゴルフクラブを通り過ぎ山間の道を行くと、縦間に高蔵寺入口が現れる。参道に入ると、一層静かな雰囲気がただようようになる。 |
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| 江戸初期の重厚な銅葺きの仁王門。 | 大永6年(1526)に再建されたもので、平成11年改修・復元された。重層入母屋造りの高床式で、床下は「地獄・極楽界巡り」が出来、本尊の聖観音菩薩も仰ぎ見て拝観できる。 |
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| 立派な手水。 | お寺と隣り合わせで「熊野神社」がある。 |