「世に生を得るは 事を成すにあり」
第一章 受験への決意
2003年、春
 
春休みが終わり、グアテマラから帰ってきたら、アラ大変。
私は大学4年生になっていた。
で、なに?気付けば研究室のみんなは卒論の調査も始めてるし、
進路だって決めてそれぞれ就職活動やら院試の勉強やら、忙しそうなのである(他人事)。
 
ありゃー。確実にオレ、置いてかれてますね・・・。
自分がヒゲ面でラテンのリズムを堪能してる間にも彼らは卒論の計画を考え、
自分がアホ面してマヤ遺跡の前でポーズとってる間にも彼らは着実に己の将来設計を進めていたのだ。
働き者のアリたちめ・・・と、ぐうたら好きなキリギリスも複雑な気持ちであった。
 
そりゃあ自分だって将来のことを考えてなかったわけではない。
むしろずいぶん前から真剣に考えていたのだ。考えるキリギリスであったのだ。
 
自分は編入で一年ダブった計算になるので、
すでに仕事に就いている同い年の友人は少なくない。
会う度に社会人になっていく彼らと、何も変わっていない自分。
焦りは徐々に大きくなっていた。
 
だからさっさと自分で稼げるようになりたかった。本当は就職したかった。
でも自分のやりたいことを仕事にするには、あまりに実力も経験も無い。
かと言って「とりあえず就職」という考え方は受け入れられなかった。
我侭だとか子供だとか言われても、受け入れたくなかった。
 
だから大学院であと2年勉強して、修士号を取るのがおそらく最も現実的な道だろうと思った。
学費もバイトで十分何とかできる額だったから。
けれど、あと2年も今と同じような環境で論文を書く、そのことにあまり魅力を感じていなかった。
 
論理的な思考の追求が不必要とは思わないが、ともすればそれは屁理屈の言い合い
にしかならないのではないか、と感じていた。
世の中が正論だけで動いているのではないことは十分知っていた。
事件は研究室で起こってるんじゃない、現実社会で起きてんだ!という気分だった。
単純に見えることが実はとんでもなく複雑だったり、その逆もまたしかりであったり。
今までに教科書から学んだことなど、現実社会では大して役に立たないのではないか。
何なら額に肉と書いて、「屁の突っ張りはいらんですよ」と言ってやりたい気分だったのだ。
 
とにかくあと2年間そんな状態で机に向かって論文を書いたところで、
自分の世界は広がらないと思った。いや、むしろ狭くなっていくのではないかと思った。
それが悪い事かどうかは知らないけれど、自分はもっと外に出て、色んな世界を見てみたかった。
 
だから協力隊が選択肢に挙がったのである。
 

「青年海外協力隊」の存在はもう数年前から知っていた。
海外、特に発展途上国と呼ばれる国が大好きな私には、すごく魅力的な存在だった。
初めてこの制度を知ったときは胸躍ったものである。
なんせ、
 
自分の好きな場所で、
自分の好きなことをやって、
更に、お金までもらえてしまう。
 
・・・何これ?何でこんなステキな制度があんの?帰国後に謎の壺とか買わされたりすんの?
最初は色々と疑ったものだった。
まあ実際は、
 
帰国後の保障もロクにないのに(現職参加は別)、
仕事、家族、恋人などなど日本に色んなモンを残して、
敢えて文化も宗教も言葉も異なる国へ赴いて、
不便で不潔で危険な2年間を送って、
帰国後は浦島太郎状態で逆カルチャーショックに悩まされる。
 
・・・なにそれ?罰ゲーム?出家?
というのが世間一般の反応のようだ(言い過ぎ?)。まぁ確かに当たってるかもしれない。
しかし私は思った。
 
これ、オレのためにある制度やん。
 
たとえ周りからどう思われようが、たぶん自分は遅かれ早かれいずれ協力隊に参加する。
そんな予感があった。
何か大きな力によっていずれ自分は参加することになっているような気がしたのだ。
もうなんて言うか、この制度を知った時点で確信のようなものがあったのだ。
 
とは言え、新卒での参加というのはさすがにちょっと早いのではないかとも思った。
現実的に考えて、社会経験もないようなケツの青い若造が合格できるのかと言えば、
やはり可能性は低いと言わざるを得ないところである。
それにもし合格できたとしても自分が何か大層なことができるとは思っていなかった。
むしろこれまでの経験から、外から来た人間は現地のことには口を挟まない方が
良いと思っていた。
 

結局どうしたいのか。自分の中で不安と焦りと現実と我侭と矛盾がせめぎあっていた。
 

そんなわけで、学生最後の春休みをフルに使って海外へ行った。
「自分探し」と書いて「現実逃避」と読む旅に出てみたのである。
行き先は中米グアテマラ。海外ボランティア兼旅行の2ヶ月間。
自分の進む道を示してくれる、コンパスのようなものが見つかることを期待しながらの2ヶ月間。
 
色んなものを見た。色んなことを考えた。そして、更に混乱した。
自分がどうしたいのか、どうすれば良いのか、余計にわからなくなった。
 

帰国後、着々と人生ゲームの駒を進める周囲の友人たちを横目に、
1人ふりだしに戻っている自分がいた。
またしばらく悩み続ける日々。
 
いや、本当はもうこのとき心は協力隊に傾いていたのだと思う。
でもそれは協力隊にどうしても参加したいという希望ではなく、
あくまで後の2つの選択肢が消去された結果だった。
 
ただ、踏ん切りがつかなかった。踏んでいたのは地団駄であった。
 
合格できるかどうかもわからない。失敗したらプータロー。
保険に院試の勉強も同時進行でやるなどという器用なことはできない。
二足の草鞋を履くには足が2本ほど足りないのである。
何より逃げ道を残しているようで潔くないではないか。
でも、何度も言うけど、失敗したらプーである。
 

クマのプーさんならまだ可愛げもあるが、ぷう太郎では目も当てられない。
むしろ臭そうで鼻を塞いでしまう。
太郎ランキングで言えば確実に三年寝太郎クラスであろう。
 
とにかく私にとって、「プー」の2文字がかなりのプレッシャーだったのである。
しかし時間は待ってくれない。刻一刻と決断を迫られていた。
 
そんな時、ウダウダやってた私の背中を押してくれたのは友人の一言であった。
 

「受かるか落ちるか、受けてみたらわかるやん」
 

・・・正解。
目から鱗である。今まで私はどこを見ていたのか。
状況が変わったわけではないが、自分の気持ちが前向きになった。
 
 
 

こうして私はやっとこさ協力隊への受験を決心できたのである。
時は2003年5月、新緑の眩しい季節であった。
 
 
☆1号の協力隊受験体験記(受験への決意から訓練所入所前まで)です。
一、決意
二、一次試験
三、二次試験
四、結果発表
五、入所前
協力隊への道 -受験編-
表紙
協力隊への道
受験編
モンゴル
奇譚・裏
自己紹介
協力隊への道
訓練編
協力隊を
志す人へ
モンゴル
奇譚・表
言霊
まんが道
繋がり
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