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『「こけし」の真実―「子消し」→「こけし」は真っ赤な嘘』批判
「こけし」の正しい理解のために 清塚隆夫 |
| 平井敏雄氏の『こけしの真実』(金港堂出版)という本が昨年出版された。 〈「子消し」 →「こけし」は真っ赤な嘘〉という感情的な表現が使われている。 |
| 平井氏は、自信と責任をもって出版されたと思うが、本の内容を検討すると、 |
| 「真っ赤な嘘」は根拠がないこと、 |
| 「こけしの呼称は昭和15年に定められた」は間違いであること、 |
| 『こけしの真実』は「真実」の中身はないと思われること等、 |
| そのほか、数多くの問題点を指摘できる。 |
| 本のなかで、私の著書『こけし発生の謎―闇の中の間引き供養考―』が取り上げられているので、当事者でもあり、以下に批判の考えをまとめたものです。 |
| 問題点一(東北特有ということ自体が有力な根拠)の項 |
| 「こけし」の起源といわれる説をいくつかの書籍から引用したあと、『こけし辞典』からとして「東北特有ということ自体がこけしの起源考察について最も有力な根拠となるであろう」を引用、次に《伝統こけしとその周辺》から「池本氏の著書では『子消し』とか『子殺しの供養』が『こけし』の起源であるなどとは一言も書いていない」として、「起源に関してはいろいろ説があるが・・・しかしこれらに関する詳細な考察はまだなされていない」との説を引用している。 ここから、次の結論が出てきている。「いずれにしても『こけし』の起源を『子消し』とか『子殺しの供養』というのは真っ赤な嘘であることが分かる」と。 どこからこんな結論がでてくるのか全く不明である。 東北特有ということ、池本氏が書いていないということ、いろいろな説があるが詳細な考察はできていないこと。そこからからなぜ真っ赤な嘘という結論になるのか、誰が読んでも、そんな結論は出ないことが明白である。 「書いていないからなかった無かった。だから真っ赤な嘘である」と主張には、次の言葉を提示したい。「書籍を調べて書籍に見えぬから人柱などは全くなかった事などいふがこれは日記に見えぬから吾子が自分の子でないといふに近い。」(南方熊楠「人柱の話」) 問題としているこけしの起源は、江戸時代とされている。 だいたい物事の発生時には文献として残るものの方が少ないといえる。「書いてないから無かった」論では、最初に書いた人の説はすべて、「真っ赤な嘘」になってしまう。 |
| 問題点二 (用と起源)の項 |
| 「弥治郎の一木地師が自分の幼童が亡くなったとき、ろくろ細工の木人形の位牌を作ったことがある」と引用して、載っている写真をみて平井氏がいうには「『こけし』とはかなり異なり、『こけし』とはいいがたいものである」とする。
菅野新一氏は著書『山村に生きる人びと』の中でその写真に「コケシの位牌」と表示している。菅野氏は久治に会い実際の「コケシの位牌」を見て、「供養のために作った」と確認している。 |
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問題点三 (東北地方以外の地でも「こけし」は作られたのか) |
| この項では「木地人形(こけし)が東北地方だけにあるのはおかしい、飢饉のために『子殺し』をした供養のために作られたのだ、という人達は、東北地方に古来から続く文化を認めない人達である、いや、東北独自の文化を意図的に無視するひと達である。」とする。 この批判の対象は誰に向かっているのか不明である。 誰が東北独自の文化を無視しているのだろう。 結局、「東北地方独自の自然・風土と文化とから生まれ育ったのである」「東北地方の感性が生み出した独特の作品である」としている。 事実そうなのである。だから「謎」とされてきたのである。 しかし、この結論では、いままで言われてきているものとなんら変わらない。 「なぜ東北地方だけで作られたか」という項目まで設定してあるのに、 何一つ論が進んでいない。 内容がない。東北独自の自然・風土と文化、独自の感性とは何なのか。 そして、それがなぜ、「こけし」を生んだのかが検討されて、推論にしても、その必然性を示さなければこの項目は全く意味をなさない。 それ以上のことは「書いていないから」検討も論証もしないということなのか。 「仮説」を積み上げて真実に迫る探究心は、最初から放棄しているらしい。 |
| 問題点四 (昭和十五年に「こけし」という呼称に統一)の項 |
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「呼称」とは「呼び名」「名称」「名前」のことである。東京こけし会鳴子大会での決議は次の内容である。 「『こけし』の文字は漢字の当て字を絶対に使用せず、今日より仮名書に改める事」 この文章をよく読んでもらいたい。それは「漢字の当て字を使用しないこと」そして「仮名文字の『こけし』をつかうこと」にしたのである。 それまでは「木形子」「木削子」「古け志」「小芥子」など人によりいろいろな漢字が使われていた。それでは不都合、困ったことが生じるので、ひらがなで「こけし」と表示することにしたのである。いろいろな漢字でもその呼び名、発音は「こけし」である。「こけし」の呼称はそれ以前からすでにあって使われていた。そしてそれは一般的であり、普及していた言葉である。明治、大正、昭和初期の書物には、名称は「コケシ(コケシバウコ)」「こけし」である。仙台だけでなく「こけし会」が結成され、「こけし展」も開かれている。こけしに興味のある人ならば研究の初期の段階ですぐに分かることである。 『こけしの真実』の中では次のように述べる。 「『こけし』という呼称は昭和15年に定められた」と。これは間違いである。決議文を、どう読んでも、このような解釈をすることは出来ない。曲解である。呼称が定められたのではない。呼称を表記するときは「こけし」と仮名書きをすることが定められたのである。 さらに、「昭和15年より以前に行われたかもしれない飢饉における子殺しの結果、『子消し』がこの意味で木地人形に『こけし』という呼称がつけられたというのは論理が破綻している」と述べる。明確に、昭和15年の「こけし」の呼称を、論拠の核・柱にしている。これこそ論理が破綻している。「こけし」という呼称は、昭和15年になって突然出来たものではない。昭和よりずっと前から使われ、普及していたのだ。 なお、「こけし」という呼称が使われているもので昭和15年以前のもの、当然全部ではないが、次に示す。 『こけし手帖』 ・「こけし洞」天江、三原氏 昭和13年、 大阪高島屋「こけし展」開催〈3号〉 |
| 問題点五 (なぜ「こけし」という呼称になったか)の項 |
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「『こけし這子』の言葉について『こげす』と『おぼこ』という方言を、その発音から『こけし這子』と文字にしたものと推察される」と著者の推察が示されている。 「こげす」と「おぼこ」という発音からなぜ「こけし這子」が導かれるのかに必然性も分からない。発音も似ていない。この言葉の意味も示されていない。項目を設けている意味が分からない。この項を読んで誰が納得できるだろうか。説得力などまるでない。 「こけし」の意味は次のように考えられる。 「こけし」は「子消し」であり、「小芥子」の漢字の意味するところは、決して「小さな芥子(けし)」という意味ではない。それは「小さな芥子(あくたご)=役に立たない無用な子」なのである。「芥(あくた)」は「ごみ」「役に立たない」を意味する。間引きされた子は役に立たなかったのである、それゆえ「こけし」は「小芥子」なのである、という『こけし発生の謎』で述べた私の説は、平井氏の論拠では全く揺るがない。 |
| 問題点六 (「こけし」は「子消し」からきたというのは真っ赤な嘘)の項 |
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ここでは「『こけし』が作られ始めた頃には『殺す』ことを『消す』とはいっていなかったのである」と書きながら、1770年の歌舞伎に「消す」という言葉が記されていることから、次のように述べる。「この歌舞伎で使われた上方弁の『消す』という言葉が遥か彼方の東北の貧村にたどりついて、そこで子供を『殺す』という意味に使われたというにはどう考えても無理がある」と、平井氏の考えである。 どう考えても無理があるだろうか。 上方ではあるが歌舞伎で使われて、しかも「大変人気があったそうである」と書く。 大変人気があったならば少なからずの人が見たであろう。見た人は周りの人に話もする聞く人も興味を持って聞く。話題は広がっていく。江戸後期は伊勢参り、神社仏閣名所旧跡めぐりに見世物、寺子屋の普及、さらには温泉湯治に庶民もかなり遠方まで出向いている。江戸後期には上方の話題も東北に持ち込まれることはそんなに困難な時代ではなかったといえる。なお、「消す」(「殺す」意味)という言葉は、関西だけではなく寛政の時代に、江戸歌舞伎、関東でも使われていることも指摘しておきたい。 また、ここに示されている「消す」という言葉が、一番古い言葉だとも断定はできない。書かれている以上、それ以前に使われていたであろう。殺す意味に「消す」という言葉があったことをその著書で示しているにもかかわらず、東北の貧村で使われるには「どう考えても無理がある」「言語学的にも間違いで、真っ赤な嘘であることは明らかである」とする。平井氏が「明らかである」と断定するその考えも、「どう考えても無理がある」のではないか。このころ、すでに「火消し」も「毒消し」も「艶消し」も普通の言葉であった。「消す」という言葉が「殺す」という意味で使われている以上「子消し」という言葉があった可能性を考える方が「言語学的」にも正しいのではないか。「真っ赤な嘘」「噴飯もの」「ガセ」「ケチをつける」という感情的な言葉が「論文」にも使われるように、言葉はどこでどう使われるかは分からないものである。関西で使われた言葉が東北の寒村にまで伝わらないであろう、という氏の考えは、次の認識に結びつく。「東北地方の農村や山村の人達は自分たちの土地が寒いとは思っていなかった」そして、山村にラジオが本格的に普及したのは戦後になってから、と述べ「自分たちの住む土地が寒冷の土地だということを認識するようになったのはかなり後の時代である」という、このとんでもない歴史認識・時代錯誤こそ、東北蔑視・偏見ではないのか。東北からの視点が全く欠落している。「東北の文化を無視している」のは一体誰なのだろうか。東北は、人と物と言葉の交流がなかった未開の土地とでもいうのか。東北は決して閉ざされた土地ではなかったのである。江戸時代の東北農業は「寒冷地でもできる農業」「寒冷地に強い品種」を改良し、商品経済、教育の普及、人と物の交流は、各地のいろいろな情報を伝えていたのである。江戸時代には、自分たちの土地・東北が「寒冷の地」であることを知らない人など、ほとんどいない時代となっていたのである。 |
| 問題点七 (「子消し」と放送したNHK)の項 放送・書籍への批判・非難 |
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NHK「新日本紀行」の放送で、こけし工人の伊藤松三郎氏が、対談で「『子供を消す』ということからこけし(子消し)を作って追想したという話もある」と述べたことに対して、平井氏は、「それはシナリオに沿って『子消し』という妄説を(NHKから)聴かされた松三郎氏が、それを伝聞として話したもの」と想像を逞しくしている。 取材を受けているのは松三郎氏である。その人が、取材をする方の「妄説」をいとも簡単に受け入れ、それを自分の意見として話すことがはたしてあるのだろうか。しかも自分はこけし工人である。こけしの専門家である。ことは「こけし」のことである。しかも「・・・という話もある」と、伝聞を話したことを、あたかもNHKに騙されたような推論をすることの方が、故人に対して極めて失礼ではないか。 この推論はなんと、こともあろうに木地師研究の先学、杉本壽氏にも及ぶ。『木地師と木形子』のなかでの「・・・木形子(子消し)に転訛していったものだともいわれている」との伝聞を取り上げていることに対して、「『子消し』という真っ赤な嘘が書かれているのは残念である。木地師研究の第一人者でも、NHKによって放送された『真っ赤な嘘』にだまされたのであろうか」と、想像は留まるところを知らない。 さらに非難は「東北学」の赤坂憲雄氏にまで続く。 赤坂氏の「赤子の間引きにからめた子消し説は、広く俗説として知られるところだ」という記述を指して、「NHKによる放送の影響は『東北学』にまでおよんでいる」とする。 「東北学」が、NHKの一番組に影響されていると主張するまで、勝手な推論はとめどもなく飛躍する。NHKを全員が見て、全員が「真っ赤な嘘」に騙されたとでも言うのか。『死の壁』に「『コケシ』はもともと『子消し』からきているという説もあります」と書いた養老孟司氏も、こけし入門書の土橋慶三氏も「という悲しい言い伝えです」と書いて、共に「真っ赤な嘘」と非難される。同じ理由で多数の人や雑誌にも非難が及ぶ。 さらに「享保や天明の飢饉と『こけし』」の項では平井氏が「たまたまテレビをみていたら」として、浅間山大噴火の話に「このように助け合いこそすれ『子殺し』をして親だけが生き延びるようなことは決してなかったそうである。『飢饉』というとすぐに『子殺し』を連想するのは大きな間違いである」と述べる。「たまたま見たテレビの影響」が偲ばれるエピソードである。決してなかった、と本当に信じたのであろうか。 仙台藩では、幕府よりすでに80年も早く元禄4年(1691)に「間引き禁止令」がだされている。そして、天明の飢饉の影響で、仙台藩は最低の人口人数を示すに至った。その一因として問題視されたのは堕胎、間引きであった。「間引き」は、飢饉ではないときにも行われた「常習」とまでなっていたのである。氏が「たまたま見た」テレビから、「飢饉のときでも『子殺し』が決してなかったそうである」と結論する根拠は、そのときの「テレビ」だけ、にみえる。テレビの影響を一番受けているのが平井氏と思える。同じ本の中で、「間引・子殺し」はあったと記述していながら、テレビの話から「子殺しが決してなかったそうである」と、述べている。とても同一人の言とは思えない。読者はどちらを信じればいいのだろう。論理破綻は覆うべくもない。 また、天保の大飢饉は「重税が主因」とのべる。飢饉は、気候(冷害、台風・風水害)や虫害などによる「不作・凶作」「農作物ができないこと」により、食物が欠乏して、飢え、困窮することである。重税が主因で飢饉が起きるものではない。飢饉によって「餓死者」を多数出したか否かは、「重税」や「仁政」が影響するといわれるもので、この記述は「飢饉」と「餓死」とを完全に間違えた理解である。 |
| 問題点八(飢饉は全国的)の項 |
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『こけし発生の謎』(平成18年)から「西国には不作はあっても飢饉はない」という一部の文章を抜きだして、「東北地方以外の地でもたびたび飢饉があったことを知らないのであろうか」と私を批判している。平井氏は、その文だけ見て前の文章を見ていないのか不思議である。その文章は「関東以西では・・(略)。気候も東北に比べ温暖であり、米の収穫量を左右する夏の気温に立ち枯れ・青枯れが生じる冷夏というものはない」次の記述が「西国に不作はあっても飢饉はないといわれる」である。西国には気候寒冷による「不作」はあっても「飢饉」にはならないことの説明なのである。享保の飢饉が虫害(蝗虫・いなご)による飢饉で東北には関係なかったことは、飢饉を説明する人の常識である。そのため私は、東北の飢饉は天明、寛政、天保の飢饉として、わざわざ日本の三大飢饉のうちの享保の飢饉を除いて説明している。平井氏は、自分に都合のよい部分をとりだして、前後の意味を捨て去ってしまう。そう指摘したすぐ後の項で、自ら「東北地方の飢饉に享保の飢饉を入れるのは正しくない」と言っている。論理が破綻している。この矛盾をあえて指摘したい。 この項にも「こけし」という呼称は昭和15年に定められた、と誤った文章を載せる。「こけし」の呼称は、明治、大正の文献に見え、ずっと使われていた言葉である。 また「平安時代の878年の京都飢饉をはじめ、たびたび起こった諸国大飢饉の時にも木地人形(こけし)は全国的につくられていなければならない」と述べる。私の著書の中に「東北」「木地師」「温泉地」に「間引き」が関係して、こけしの発生の時代は江戸時代であると述べているが、自分に都合の悪い部分は全く目にはいらない。 だれが、飢饉だけがこけしの起源の唯一絶対条件である、と論じているのであろうか。昭和15年に執拗にこだわった人が、今度は平安時代まで持ち出す極端な論法も、とても理解できない。 |
| 問題点九 (天保の飢饉と「こけし」)の項 |
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長蔵文書解説に、平井氏は「木地人形(こけし)は贅沢品にリストアップされているのである」として「ろくろを使って作った贅沢品とされていた木人形(こけし)」と述べる。平井氏は明確に「こけしは贅沢品」とみている。「こけしは贅沢品である」とは、今までの「こけし」研究では耳にしない「新説」「珍説」と聞こえる。 これも全く間違った認識ではないか。こけし関係者ばかりでなく、ほとんどの人に「こけしは贅沢品ではない」という見方が一般的である。「こけしは庶民のみやげもの」であり、「高価な贅沢品ではない」ということであり、このことは、伝統こけし研究の「常識」であろう。 「こけしは、ろくろを使っているので贅沢品だ」と述べているが、庶民は「ろくろ」をみやげに買うのではない。買い求めるのは、ろくろを使って作られる「こけし」である。氏の認識だと、それならば同じ「ろくろ」を使った木地師の挽く他の木地玩具・おもちゃ、鉢、椀、盆、その他も当然贅沢品であり、禁令で全部禁止しなければならない。なぜなのか説明がない。「こけし」は贅沢品という認識は、自分で集めている、一部の人気作家の「高価な」「贅沢な」こけしをイメージしているのではないか。 こけしは温泉のお土産品として広まり、決して贅沢品ではない。高いものではない。だからその地方独特の味を持っていままで作られ続き、求められてきたのである。 いわゆる「贅沢禁止令」の対象は、「華美高価の品」であり「奢侈高値」の品を取り締まったもので、「こけし」はこの禁令には指摘されてはいないのである それならばなぜ「こけし」が長蔵文書で禁止の品とされたのか。「こけし」が「間引きされた子の供養のためのもの」であったからである。間引きは禁制とされたが、こけしは贅沢品でなかったため、藩の禁止令として公に禁止できるものではなかったのである。 これが私の推論であり『こけし発生の謎』のなかで詳細に述べたものである。 また、平井氏は、岩手県沢内村、湯田町に残る「沢内年代記」を紹介して、そこには木地人形「こけし」の事がまったく書かれていないとして、 さらに、西和賀町のK氏への私信に「『こけし』等ということは聞きませんでした」との答えから「『こけし』が『子殺しの供養』のために作られたというのは真赤な嘘であることが分かる」とする。「沢内年代記」には何から何まですべてのことが書かれているのか。また、「私信」に答えたK氏は何でも全部のことを知っている超人・聖人なのか。K氏は問われたからそんなことは聞いたことがありませんと述べたまでのことであろう。そこからの結論が「真っ赤な嘘であることが分かる」とは、とても「分からない」理屈である。また、調査が、なぜこけしの古い産地とされる鳴子、遠刈田や弥治郎ではなく岩手県の沢内村なのだろう。 さらに昭和9年の岩手県の凶作を持ち出して、近代において「子殺し」はなかったとする。こけしの発生時は、昭和ではなく江戸後期のことである。「近代」ではなく、「近世」である。時代区分も間違っている。疑問は増すばかりである。 |
| 問題点十 (《こけし発生の謎―闇の中の間引き供養考》)の項 |
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批判された著者は私、清塚隆夫である。平井氏の批判の対象になったことは「光栄」である。 この本の批判の中で、ここでも「『こけし』という呼称は昭和15年に定められた」とまたしても、あたかも「こけし」という呼称が初めて出てきたかのように文章を使用する。その前から「こけし」の名は、ずっと「こけし」だったのを意識してもみ消しているように見える。 また、高橋胞吉氏の名「胞(えな)」の意味をとりあげ、その由来を知りたいということに対して「名前にケチをつけている」「名誉棄損」とまでのべる。「胞」は「日本書紀」神代紀・国産み神話に「淡路州を以て胞(え)とす」とあり、現代でも「胞」「胞衣」(えな)は民俗学の産育習俗で取り上げられている大事な一研究分野である。「胞」に関する本も出版されている。名前の由来を知りたいということが、なぜ「ケチをつける」のか、「名誉棄損」なのか全く理解できない。「胞」に偏見を持っているのだろうか。 さらに、小説の一部を「暗示」とことわって引用したところ、平井氏はその小説から別の文章(平井氏が勝手に持ち出してきた文章は二つの部分・13行に及んでいる)を持ち出して、引用された小説家・多和田葉子氏まで攻撃する。「小説」にまで非難を受ける多和田氏にとっても迷惑この上ない。批判者・平井氏が、それ以外の部分を勝手に持ち出して、それをあたかも私が引用した文のように長々と述べるのは論文を書く最低のマナーを逸脱していると思われる。その証拠に平井氏が勝手に持ち出してきた文章の内容は、私自身同意しているものではない。全く別の考えである。迷惑もはなはだしい。 なお、「こけし」を「子消し」と考える事がなぜ「こけし」を侮辱することになるのかも理解に苦しむことである。「こけし」は東北の生んだ、素晴らしい「玩具」である。 たとえば、作家の森敦氏はこう述べる。『月山』で知られる作家である。 「ぼくはふと、コケシ男根説なるものを思い出さずにはいられなかった。むろん、真偽のほどは知るべくもないが、そうだとしても少しも不快の気のせぬばかりか、そうしたものを少女・童女にしあげたところに言い知れぬ妙味と面白さがあり」(『こけし・伝統の美・みちのくの旅』監修・土橋慶三・1975年)と心の広さを見せている。 そしてこの本の別の項には、次の文章もある。俗説として「それがこけしであり、その名は子消しの意味をもっているのだという悲しい言い伝えです」と、「こけしの起源」として「子消し」説が紹介されている。この文章を載せた、当時のこけし関係者の心のゆとりを感じさせるものでもある。「子消し」は「真っ赤な嘘」と他人を批判・非難するものとは違っていることがよく分かる事ではないか。ところが、この文章に対して、平井氏は「土橋氏は80歳を越えており」「文体から判断しても私には土橋氏が書いたものとは思えない」「土橋氏以外の人が書いた可能性大である」と主張するに至る。「こけしの起源」は、研究の核心部分である。核心部分の監修者の考えをも、単なる憶測によって否定することは、通常の理解をはるかに越えてしまっている。 著名な仏教・宗教民俗学者・五来重氏は次のように述べる。 「解除の呪具としての人形は小児の病気を払うために枕元に置く天児とかは這子になり・・・そして男根形の御霊人形が子供の玩具(いまは大人の玩具)のコケシになったことは言うまでもない」(『五来重著作集第11巻』) 杉本壽氏の著作には次の文がある。鳴子温泉の木地組合での言として「木形子の由来を次のごとく言っている。木製の人形であって手も足もないものである。往時は埴輪と同一目的に用いたもので、それが漸次美化して今日の玩具となった」との説を紹介し、杉本氏自身の見解としては「東北のコケシの起因に関しては、天然痘のために苦しめられた轆轤師自らの病除けのコケシからなった方が正しいと思う。」(『東北山村の聚落構造』杉本壽)とのべる。 ことほどさように考えはいろいろある。 そして、インターネットの書評欄に載った文、私への非難「根拠のない考察」を、「(清塚の著書が)酷評されている。私も、まったくその通りだと思う。」と平井氏は絶賛する。この書評もまた、「『こけし』の呼称は昭和になってからである」という同じ誤った主張をしている。内容に誤字も目立つ「誤った主張」を「誤った見解を持つ人」が絶賛する。奇妙な光景である。 「子消し」説を執拗に攻撃する人に、ひとことお断りしておきたい。 「子消し」説を唱えてもこけしの良さを認めるものである。事実、いまでも地方独特の味のある伝統を引き継いでいるではないか。それは「こけし木地師」が決して高価ではない木人形に、自分の技術を、思いを、祈りを、魂をこめて「木地師の誇り」を代々引き継いで来たものである。それが他の地方にはない「玩具」として、独特の表情を作り出してきたと言えるのである。 菅原道真を天神として祀るのも、元は怨霊であった。鬼子母神は、人の子を食う鬼であった。自分の子を神に隠されて、初めて親の心を知る。それからは人の子を守る「守り神」になった。怨霊も、鬼も、霊魂の昇華現象によって、ありがたい鎮魂の神、子育ての神、家内安全、合格祈願など、現在生きている人間のこころの安穏を司るものに昇華したのである。われわれは、原始古代の昔に、死霊を人形で表現した文化を、今では、歴史の遥か遠い彼方へ忘れ去ってしまっているのだ。 木地師の、庶民へのやさしい思いが「こけし」を生みだしたのである。そして「こけし」は玩具として、かわいい木人形として、伝統に守られて、ほかのどの地方にもない独特の表情を作り出してきたのである。 「こけし」の起源がどう語られようとも、「こけし」はその発生・起源を歴史の彼方に押しやり、今では「こけし」そのものとして存在しているのである。 |
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さて『こけしの真実』には「真実」が書かれているのだろうか。 |
| 〈こけしの謎をなにも解明していない。独自の検討もなされていない〉 |
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「なぜ東北地方だけでつくられたのか」 なぜ「こけし」という呼称になったのか。これも「こけし這子」の言葉について「こげす」と「おぼこ」という方言を、その発音から「こけし這子」と文字にしたものと推察される、とある。これが結論とは、だれも理解できないだろう。「こげす」と「おぼこ」という発音からなぜ「こけし這子」が導かれるのかに必然性も分からない。同じ音は「こ」だけである。発音も似ていない。この言葉の意味も示されていない。 『こけし発生の謎』を批判されるのなら、私の見解の、なぜ「こけし」という言葉ができたのか、なぜ「こけし」と呼ばれるのか、なぜ漢字で「小芥子」と書かれるのか、等考えを示したが、このことに対して、平井氏の検討した見解を示さなくては、不毛の論と言えよう。 |
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〈「真っ赤な嘘」と主張する平井氏の説は、根拠がない〉 |
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論理展開が間違っている。「真っ赤な嘘」説の論はこうである。Aの本には、こけしが供養のためにつくられたとは書かれていない→だから真っ赤な嘘は明らかである。本Bに書かれていない→真っ赤な嘘である。Cさんは言っていない→真っ赤な嘘は明らかである。Dさんの私信にも書かれていない。→真っ赤な嘘である。と、それぞれ個別に「真っ赤な嘘は明らかである」と結論をだしている。本来、最初から最後まで検討した結果、総合的に判断して結論をだすべきところなのに、全く個別判断に終始している。だから、一部の文章を見てその前後を無視したり、明治、大正の文献に「コケシ」の呼称があることを知っていても、「昭和15年にこけしの呼称が定められた」と強弁したり、江戸時代の飢饉時に「間引き」があることを記述しながら、ふと見たテレビを信じて、「決してなかったそうである」と、同じ著書の中でさえ自己矛盾、論理破綻を起こしてしまう。 「子消し」が「書かれていないから→なかった→だから真っ赤な嘘」には整合性も根拠も認められない。「書かれていない」ことから言えるのは「書かれていないこと」だけである。事実があったかどうかは証明できないのである。「書かれていないから、なかった」とか「真っ赤な嘘は明らかである」ということは、とうてい読み取れるものではない。 「真っ赤な嘘」という言葉も、いままでの検討結果から全く意味を持たない見解である。 〈「こけし」という呼称は昭和15年に定められた〉と主張するのも、やめてもらいたいものである。それ以前にできた「こけし会」が、自分たちの会に「こけし」の名を使っているのに、昭和15年になって「こけしの呼称を定めた」とは、なんという矛盾だろう。しかも、その内容で講演まで行われているのは驚きである。こんな間違いが、平井氏の著作や、氏が引用、参考とするインターネットでも飛び交っている。こけし関係者はこの状況をどう見ているのか。すでにネットのなかで、「専門家(?)らしい人・信者(?)」が、「こけしの呼称は昭和15年になってからである」と、それ以前には、「こけし」という呼称はなかったという意味の全く見当はずれの表現をしている。 ネットの影響はすでに多くの人を、誤った認識に陥れてしまっている。こけし関係者の早急の対応が必要なのではないか。 「こふけし」は文久の時代の長蔵文書に出ていると「鳴子町史」に記されている。「こけし」という文字も、絵も、明治、大正に使われたことを図書館でも、一般古書でも、目にすることができる。呼称はすでに明治にあった。「仙台こけし会」も、「こけし洞」もできたのは大正時代である。昭和10年頃までには「こけし」人気は高まり、各地で「こけし展」が開催されているのである。いまさら「こけしの呼称は昭和15年になってからである」との言を、現代のこけしの関係者(一部のものであろう)が言い張っていることを、「こけし」という言葉を使ってきた明治・大正の、伝統を守り、引き継いだ先人たち(こけし木地師、愛好家、研究者、初期のこけし会の同人たち、「こけし」の言葉を使って、「こけし会」まで作った者たち)が知ったら、どんな思いであろう。 |
| 〈『こけしの真実』には真実は書かれていない〉 |
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さて、『こけしの真実』には、私が『こけし発生の謎』で検討した、「木地師」「氏子狩」に何も言及されていない。 「真っ赤な嘘」説は、中身のない「真っ白な空論」でしかない。 平井氏は、こけし愛好家をも次の言葉で非難する。 「こけし」には既述のとおり、いろいろな説がある。 「こけしコンクール」の審査委員という平井氏が「真っ赤な嘘」と決めつける影響力は絶大であろう。 「こけし」の発生・起源は謎とされ、いままで誰も「謎」の解明をしてこなかった。 |
| 論評された当事者として、『こけしの真実』の著者・平井氏には問題点を提示し、意見のやりとりを行ったが、疑問は解消されない。 本の読者にも内容を考える機会ができれば幸いである。 |
| 「こけし」の正しい理解が進むことを期待したい。 |
| (平成22年6月) |
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