感謝の気持ちをこめて
  今日この頃思うこと、思ったことなど
主婦の立場から母親の観点で綴ってみます
 

12月10日 父のおもひで、その2

手先の器用な父
でした。
亡くなる前の日、目は見えなくなっておりましたが
手探りで、器用にシャツの前ボタンをはずしておりました。
回診で、先生が如何ですかと耳元で声を掛けると
診察かと、自分で、前ボタンに手を持っていきます。

とても気遣いのする父でした。
小康状態だった頃でしょうか、「水が飲みたい」というので
看護師を呼ぼうとナースコールを押そうと手を持っていくと
それを払い、それならいらないというのです。
私達には、もう出来ないのよと説明しましたが・・・
水を飲むぐらいに看護師の手を煩わす事ないという父の心配りです。

思えば、我々がホームも訪れても、帰りをいつも心配してくれ、
家族が大事だから、早く帰るように促されました。
3年前、入所するホームを選ぶときにも、兄姉、誰かの近くのホームを選んで欲しかったのですが
それでは、その人に負担が掛かると、誰からも遠くを選んでいます。
父の拘りであり、子供への愛だったのでしょうか・・・
我々にとっては、2時間の道のりは遠く、毎日のように行くことが出来ず、可哀想ではあったのですが、
おかげでホームの方々に可愛がられて、一番の心休まるところとなったようです。

ホームを楽しむ父でした。
お習字の時間が有り、時にはマージャンも入所の人たちと何時間も熱中したり
そうそう、喫茶室でのコーヒーも楽しみの一つでした。
自分でも新聞は購読していたのですが、ここで他の新聞に目を通していました。
折り込みチラシも好きな人でした。好奇心が強かったのでしょう。
行事の度に乾杯の音頭をとったり、毎週金曜日の体操もたっぷり1時間、
私でもついていかれないハードなものに参加。
部屋では好きな長唄を唄い、テレビで歌舞伎鑑賞、スポーツ観戦と忙しいほどの時間。
職員の皆さんからは、優等生と評価されていましたが、
父は“郷に入っては郷に従え”の気持ちで頑張っていたようです。
たった一つの我が侭といえば、年寄りの癖に宵っ張りの朝寝坊。
早起きが出来ず、11時ごろ目覚めるので朝食が摂れませんでした。

半月足らずのホスピスでの生活でしたが、ここでも長唄をこよなく愛し聞いていました。
最後まで耳は聞こえていますと看護師さんに言われたので
常に病室では長唄を流し、父は口三味線の代わりに手の指で拍子をとったり、足が動いていたりとビックリでした。
もちろん、お通夜、告別式でも(音楽葬ではありませんが)長唄を流してもらいました。
好きだった3曲を姉が選んで・・・

最後まで私には、とても真似の出来ない父の姿でしたが
こんな父の子供であったことを誇らしげに思います。

12月10日 父のおもひでその1

遺影は、今年のホームで納涼祭の時に甚平さんを来て、にこやかに微笑んでいる姿です。

その納涼祭から、まだ3ヶ月ほどしか経っていません
お年寄りの割には進行がとても早かったのです。
それだけ元気な活力のある身体だったようです。
叔母や叔父達が、火葬されたお骨を見て、あまりにしっかりと骨太で真っ白の綺麗な骨に
若者のようだと、ビックリしていました。
闘病が長かったわけでもなく、ホームで最後まで栄養摂取に力を注いでくれた結果と思います。
顔も皺一つなく、ふっくらとしておりましたし、手もすべすべと綺麗なまま。
ひげも数日前に自分で電気かみそりで剃っています。
好きなハットを被りダンディな紳士の最後のお出かけです。
夏の愛用のパナマ帽も添えてあげました。

お通夜には、横須賀から藤沢まで、一時間以上掛かる中、
ホームの職員の方々、ホーム長さんをはじめ、副ホーム長さん、ケアマネージャー、
多くの方にお越しいただき、感謝感謝です。
これも、故人とはいえ、父の人徳かと嬉しい限りです。
口々に惜しんでくださいました。癒されるという職員の方がおいでになりました。
職員のみんなで、千羽鶴折り出していたのにと、残念がってくださいました。
父はいつもケアしてくださる方々に、手を合わせて、感謝の気持ちを表しており、
子供の私達も それはありがたく思っておりました。

何度も危機を迎えながら、持ちこたえたのは家族愛ですと、おっしゃって下さり、
とても救われる思いがしました。
時間の許す限り、尽くしたので悔いもなく思い残す事は何もありませんが、
時間(とき)とともに、悲しさが淋しさに変わってきています。

相性の良い両親ではありませんでしたが、それぞれに慕われるものを持っており、
後世でも、きっと、多くの皆さんに囲まれて、和やかにやっているでしょう。
母は今頃、「あれから3年、待っていましたよー」と迎えている事でしょう。

2008年5月お誕生日会にて
12月10日 悲しい別れ


おつかれさま、お父さん!!
ありがとう、お父さん!!

父が、去る12月2日午後10時10分、永い眠りに〜〜

最後の日は、あれよあれよと、迎えてしまいました。
9月末に舌癌が発症、横須賀のホームから、何度か入退院を繰り返しました。
医師の診断、余命は先生により1年以上から年内かもと、いろいろでした。
その診断に我々は一喜一憂していました。
ところが93歳という高齢のため、肺炎は大敵と言われており、
その肺炎も一度目はクリア、無事退院が出来て、ホームの運動会などにも出席して
チームの優勝カップを代表で受け取るという名誉ある瞬間なども体験しています。
その後、食物が摂れなくなりましたが、ホームの方々の熱意ある介護で、鼻からチューブで、栄養摂取。
痛みの管理もしていただきました。
たくさんの管に囲まれている姿は切ないので、最後はホスピスを選びました。
偶然にも実家近くの以前掛かっていた病院に設置されておりました。
父もその選択をとても喜び、心待ちにしていたようです。

が、ここもたくさんの順番待ちで、11月20日にやっと順番が参りました。
江ノ島を通り、湘南の海を眺め、実家を通り、病院に向かったこの日は富士山が綺麗に見えました。
まだ、このときは自分でトイレもいけるほどでの元気で相撲観戦を楽しんでおりました。
ところが、24日朝、患部からの大出血。しかし、このときも父の生命力で、一命取り留めました。先生も「すごい!!」とビックリされるほどでした。
その後、小康状態が続き、我々の交代性も少し緩んだ矢先、二度目の肺炎に。
39度の熱にも耐え、12月に入って、平熱になり、もう泊まらなくてもいいわね。
父もホームに帰りたいと口にするほど、元気な様子を見せたその翌日の2日朝に
再度、熱が上がり、突然に深い眠りに入り、その夜、帰らぬ人となりました。

翌朝、この世で最後の富士山、誰もが見たこともないと言われるほど、美しい姿で
現れてくれて、父を見守ってくれました。(合掌)

2月11日 旅先で心優しさに触れる


新幹線上毛高原から水上駅で乗り換えて
終着 谷川岳ロープウエイまで往復しました
その間、4人の路線バスの運転手さんに出会ったわけですが・・・
皆さん心優しさが溢れていました

バスの整理券を取り忘れて、後ろのドアに戻った娘に
我々の会話を感じ取って、嫌な顔せず、改めて整理券を出して
「お友達の分も一枚で良いですよ」と声を掛けてくださったり

小学生が数名ランドセルを背負って乗車してきて
下り際、何を言っているかは聞こえませんでしたが
何か声がけをしています

お年寄りが車内でカードを買おうとした時
想像ですが、料金を安くしてくれたみたいで
何度も運転席の横で御礼のお辞儀をしているおばあさんの後ろ姿がありました

 東京の運転手さん、見習いに出て欲しいほど・・・
 「ステップに立たないでください!!ドアが閉まりません!!」
 と、まるで怒られているような大きな声でアナウンス

終着の谷川岳ロープウエイに残ったのは我々二人だけ・・・
なんと、屋根のあるところまで、斜めにバスをつっこんでくれたのです
(前下車のバスです)
これでも、雪があるかなー?とドアの方へ身体を乗り出してみて
「滑るから、気を付けて下さいね・・」と
その上、、帰りのバスの時刻表まで、持たせてくれました。

帰りの水上駅までのバスも、我々二人だけの貸し切り状態。
恐怖の体験後だったので、当然会話が弾みます。
あのロープーウエイは、2年前に新しくなったもので、以前は1本のロープで支えていたので
風が吹くと良く揺れて、止ってしまっていたとのこと。
新しくなっても、揺れていたよと思いながら、行きのバスで聞かなくてよかったと〜〜フー

途中、大きなかまくら*高さ約7メートル、幅約15メートルの「北関東一 谷川大かまくら」*が
ありますよ、車窓から見える位置にあり、紹介してくれました
あわてて、カメラを取り出して写そうとしたら、バスがよく見えるところまで
バックしてくださいました。
勿論、観光地であり、乗客が私達だけだったからのサービスでしょうが・・
心遣い、嬉しいものです



1月27日 非常事態発生!!

「ガスが止った!!」

昨晩、お風呂に入っていたら
風呂場の給湯システムに「エラー」が出て
お湯が出すことも、追い炊きも出来ません
壊れてしまったと、上がったところ・・・
ガス暖房は止まり、、キッチンのガスは付かず、台所のお湯も出ません
ガスが止まってしまったのです
この家に引っ越して15年、初めての事です
(以前の家で、経験済み)

ご存じですか?

『ガスメーターは、電気のブレーカーに相当する安全機能をもっています。
「ガス器具の消し忘れがあるのでは?」「ガスがもれているのでは?」など、
「異常なガスの使われ方がされている」疑いがあるとき、
地震発生(震度5以上の場合)などの非常時には、ガスメーターが感知してガスを自動的にストップします。』
(東京ガスより引用)

仕方なく、寒空に出て、懐中電灯で照らしながら、復帰作業を進めます

@まず、すべてのガス機器を止める。
A復帰ボタンのキャップを外す。
(左側にある黒いキャップ、ネジ式なのでまわす)
B復帰ボタンを奥までしっかり押して、すぐ手を離す。
ボタンは元に戻り、赤ランプは再び点滅。
復帰ボタンのキャップを元に戻す。
C約3分、待つ。
D3分経過後、再度ガスメーターを確認。
赤ランプの点滅が消える。

無事、復帰しました。

原因は
・ 一定時間に極めて多くのガスが使用された場合
・ 急に多くのガスが使用された場合
・ 長時間ガスが使用され続けた場合
・ 震度5以上の地震が発生した場合
・ メーターに振動やショックが加わったとき
・ 流れるガスの圧力が低下した場合
などが、ありますが
我が家の場合、”長時間ガスを使用した”と思われます
無駄な暖房は消すように注意しなければと肝に銘じたところです
1月18日 企業年金
新年早々、現実化した話題になってしまいました。

ご存じですか、「企業年金」のこと。
私が、サラリーマンの妻という事で、誰にも当てはまる事ではないかもしれません。
あ、と言うか、これは、かつて自分が会社に勤務した人に当てはまるようです。

巷で大騒ぎの年金も「年金加入のお知らせ」という物が届き
無事、年金がもらえることに一件落着と思い込んでいたら
お正月に、義妹(年は、私よりもほんの少し上)が
「お義姉さん、企業年金の申請した」と言われて、
もう、ウチはもらっているよと話したら
「それは ○○さん(旦那)のでしょう・・・
違うわよ、お義姉さん自身のよ」と。
1ヶ月以上、10年未満お勤めしていたら、本人ももらえるのよ
と教えてくれた
それも聞き流していたら、数日前にテレビでその報道があり
企業年金コールセンター(0120.458.865)を書き留めておいた
(企業年金連合会 http://www.pfa.or.jp/index.html)

さて、その解明までに、半日という時間を要しました

電話しました。コールセンターへ。
分からないから電話しました。
kさんという男性が電話口に出ました。

まず、企業年金制度に加入している会社に勤務していたかどうか?
(そんなの、分かりません)
基金名は、どちらでしょうか?
(そんなの、分かりません)

社会保険庁から届いた「年金加入記録のお知らせ」を見ています。
と話したところ、では、もう一度そこへ電話して企業年金に加入していたかどうか
確かめてから、お電話下さい。と言われ

「社会保険庁業務センター、中央年金相談室」に電話しました。
こちらは何々です。まるで掛け間違っていないかと、ぞんざいな返事でしたが、
丁寧に順序立ててお話したところ、「基礎年金番号、住所、氏名、電話番号」を聞かれ
即 H会社は加入しています。S会社は加入していませんとの返事を頂く。
(H会社、S会社共に大きな会社ですが、それは関係ないようでした)
4桁の番号も知らせてくださいました。

その返事を持って、もう一度、コールセンターに電話
T嬢という女性が出て、最初から、説明しますと
「基礎年金番号、住所、氏名、電話番号」そして「勤務していた頃の住所」を尋ねられ
「住所変更しておきますね」と言われた。
私は、企業年金がもらえるかどうかを知りたいのに???と思いましたが
基金名が分からないと、調べようがないという返事。

さて、仕方がないので、今度は古巣の代表番号へ
(○○課というところに繋いでくれるだろうと)
Hマネージメント・ソリューションだったかな、グループ会社の電話番号知らされ
さらに、最終的には H企業年金基金に電話して、やっと「基金名」が判明

それを、再再度、コールセンターに知らせようと電話。
最初のKさんという男性。私が一度受けましたかと、全く分からない様子。
又、最初から説明して
「基礎年金番号、住所、氏名、電話番号」そして「勤務していた頃の住所」を。
こちらが、いささか、むっとしたのを、感じ取ったのか、何度も聞いて済みませんと
態度が変わりましたが・・・

さてさて、これで終わったのではなく
60歳のお誕生日を迎える1ヶ月ほど前に
『裁定請求書』なるものが、届くそうです
それを提出すると、やっと受理してくれるそうです

届かない場合は、0570.022.666へ、連絡。

これ以前のものに関しては20002001200220032004200520062007へどうぞ

家族(90’8.19)

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