つれづれ雑草日記




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2014 7 16 皮膚科・巻きのU


風が吹けば桶屋が儲かるといわれるが、人生には無駄な経験は無いということがわかった。

『藁(わら)しべ長者』の昔話を思い出してもらいたい。
ウむ?? 知らない? 今昔物語にある あの話ですぞ。
拾った一本の藁から、貧乏な男が長者になるまでの 奇しくも楽しい話。

私の場合は、一週間前に顔を三ヶ所も蜂に刺されたことが、勇気凛々 元気で『俎板の上の
鯉』になった話です。

約半年前から、左眼の約3cm下に、1mmほどのホクロが現われたと想像して下さい。
普通のホクロとは思えなかった。ちょっと飛び出していた。指で触ると、ひっかかるのだ。芯が
有ると思った。平らではない。火山に例えると、活火山と思えた。小さいが黄色いものが見え
る。これが溶岩に違いないと思った。2,5mm拡大。

S皮膚科に行った。
「加齢のせいですよ。老人斑の一種ですね。ホラ、私だってありますよ。ホラ、ここにも ここに
も」と、男の医師。
N皮膚科に行った。
「としのせいですよ。誰だってありますよ」とは、女の医師。
K皮膚科はバスの中で「ホクロ、アザ、シミ専門のKK皮膚科医院です。○○駅前、××ビルの
2Fです」と、アナウンスを聞く。いつもは聞き流していたが、気になった。

ホクロが大きくなったら困る。
西ノ島新島が拡大することには、私は期待している。九州・四国並になることを望んでいる。そ
うなれば尖閣諸島や竹島の議論は和らぐだろう。日本人なら気前がよくなるだろう。

「セカンド・オピニオン→→サード・オピニオンと、呪文を唱えながら出かけた。
まぁ、ものすごい患者の数。
一日に5人の患者があれば、小さな医院は経営難にはならないというが、午前午後の患者数
で どれくらいだろう。200人は下るまい。夫婦で診察をしているらしい。開院10年だという。看
護士も8名ぐらいか。
昨今はアレルギーの患者が多いのだろうか。皮膚科は夏が繁盛すると聞く。

即決・即行・未熟慮・断行・猪突猛進がモットー。私はあまり深くものごとを考えない良い性格。
ためらわない。
「15日の午後3時に来て下さい。簡単な手術です。なぁーに、メスで切るだけですよ。芯がありま
すねえ。麻酔の注射?? たいして痛くないですよ。切開して、癌化しないものかどうか調べる必
要がありますねぇ。後は糸で縫います。縫合ですね。髪の毛ほどの細い糸です。その日は風呂
には入らないで下さい」と。

此処で蜂が登場。
ベッドに横たわりながら、蜂と闘ったシーンをイメージする。15匹は叩き落としたなぁ。2匹が顔
にとまったなぁ。痛いというより熱かったなぁ。息子が「親の敵(かたき)は とったぜえ」と、やって
来たなぁ。
眼は布で覆われた。死刑台か?? しかし、やたらに眩しい。
チクッ!! ははぁーん、これが麻酔の注射って奴だな。2秒3秒・・・、早く終ってくれっ!! 」
「5分ぐらい、このままにして下さい」と、医者は他の患者の所に行ってしまった。

「ハイ、いきますよう・・・・あれ? へんだなぁ、ちょっと その7番のメスに替えてくれる? まっ、そっ
ちの方でもいいっか」
耳は聴こえているんだぜ。全身麻酔じゃないから 医師と看護士の会話がぜんぶ聴こえる。

「ハイ、終りましたぁ。明日は休診日ですから、あさっての午前に来診して下さい」と、放免。

ぜーんぜん、痛くなかった。麻酔が切れたと思う頃も、その日の夜も、夜中も痛みはなかった。
加齢のせい。
家族のものは6人もいて誰も「爺ジ、どうしたの? 」と、尋ねない。冷たい奴らだ。聞いたら喋って
やるよ。

此処でまたカミサン登場。「一晩もビール飲まないでいられないの?」と。「飲まないようにって言
われたんでしょ」と。

男は黙ってサッポロ・ビール。反論しない。沈黙は金なり。  「ホクロに乾杯!! 蜂に乾杯!!だぜ
  ベービー!!!」




2014 6 29 第40回 同窓会

同窓会や同期会に出席できることは心身ともに元気でなければならない。加齢になるほど万
障繰り合わせ出席する気配。そして、大学のときのそれよりも楽しいと、口を揃えて言う。人生
でいちばん元気盛りで、挫折を知らない怖いもの無しの時代を懐かしむ為かもしれない。

昨日、中高時代の会が、雨の鎌倉で開催された。場所は鎌倉のシンボル大仏の真ん前の「華
正楼・中華料理店」にて。華正楼は横浜・中華街にもある老舗。
『湘南エトワール会』がその名称で、条件は年齢が60歳以上。湘南地域に住んでいる卒業生と
いうことである。エトワールとは、『星』の意。『暁星学園』である。東京九段に在る小中高の男
子校。

鎌倉は雨が似合う町。たくさんの名所旧跡に、アジサイが今を盛りと咲き誇っている。
個人的なことであるが、私は三週続けて、鎌倉詣でとなる。過日・日曜日はnet,のお客様が(母
と娘)北九州から来訪してくれた。半日、私は運転手となり、曇り空の鎌倉を案内した。遠路か
ら来てもらえてうれしかった。着物も3枚 購入してもらえた。

誰もが思うことは、「今年も参加できてよかった。えっ! 彼、倒れたの?脳梗塞? 良い薬がある
から」

舞台の上には、卒業生で後輩の前田さんは世が世ならば加賀前田藩の殿様。そしてN饗の主
席チェロ奏者・音大上野学園の教授。他一人とフルート奏者も同じく卒業生。3人でシューベル
トのアベマリアとセバスチャン・バッハのG線上のアリアなどの演奏を背景に開会された。
参加者53名。以下、いずこの同窓会とも大同小異はあれど、楽しく・賑やかに・和やかに、会
は進行した。

余興パフォーマンスとして、『漫談』が用意されていた。意表を突いた思いがけないことだったこ
とと、あまりにも愉快だったので、少しご案内したい。関東地域・唯一の女性漫談師が売りの桂
 歌丸門下の新山真理さん。『持ちネタ』は『血液型漫談』であった。久しぶりに腹をかかえて笑
った。全員大受け。年齢は若く見えたが40歳後半か 50を出たところか。美形だった。そもそも
美人で笑わせてくれる芸人さんは少ないが、新山真理さんは底抜けに笑わせてくれた。桂 歌
丸一門は落語芸術家協会と称するらしい。浅草演芸場や・上野すずもとや・新宿末広亭にも出
ているようだがテレビでは私は観たことがない人だ。たくさんの有名芸人が存在するのであろ
う。第34回NHK漫才コンクール優勝やテレビ朝日でもチャンピオンになった。実力はある人の
ようだ。

先輩の三井氏が新山真理さんを招きたいと名刺交換をしていた。三井氏は、彼の有名な三井
家の主流か傍系かは知らぬが、財閥・三井の出である。東京神田料理飲食業組合組合長の
肩書き。モミアゲからアゴまで髭をはやした「あやしい顔」。ウナギ屋もやっている。不動産屋で
もある。
彼が通学していた頃の家は、靖国神社の遊就館の裏だった。近所はジョンレノン夫人・小野ヨ
ウコさん邸やフィリッピン大使館・白百合女学園・日本武道館・我が暁星学園も在る。

今年もお土産付きであった。後輩が山梨県甲府市でワイナリーを経営。各自に赤ワインを一
本 プレゼントしてくれた。限定記念ワインで、ボトルには校章やネームが入っている。
東京銀座のGateaux de Voyage (ブルー ミッシュ)からの寄付の洋菓子もお土産に貰った。や
はり後輩が経営している。北海道から沖縄まで店舗数は多い。 

湘南エトワール会会長・鈴木進吾君・同期生の人脈と実力の賜物である。どんな会でも準備開
催する方は大変である。うまくいって当たり前といわれる。やってみなければ苦労はわからな
い。
1964年度卒業生・後輩たちの結束力も評価したい。
今回の最高年齢大先輩は82歳であった。神奈川県秦野市から参加して下さった。元気そう
だ。




2014 7 11 『西部戦線 異常なし』

『西部戦線 異常なし』
我が家の庭の木に吊るした「蜂 限定マンション」に、まだ一匹の入居者がない。
今は昼の一時。吊るしたのは今朝の八時半。

今朝、私はペットボトルに安い酢を入れた。そして砂糖水も加えた。木の枝にぶら下げた。3m
も近づくと強烈な臭いがする。
この臭いに誘れて、ペットボトルの窓から蜂が入り、希望としては蜂が入って、溺れて全員 壮
烈な戦死という図式なのであるが、今のところ 一匹もいない。

午前中、西鎌倉まで仕事で行ってきた。
団体さまで、蜂たちはペットボトルに入っているだろう・・・と、期待に胸おどらせて帰宅すれど、
空き部屋ばかり。
ラジオだったか、テレビでだったか、酢とハチミツを混合にして・・・・と、言ったと記憶している
が、酢が嫌いな蜂族なのだろうか。砂糖水だけにして、作り変えてみようか。

私は『通販信者』。通販で買って、1年後、「結局、くだらない物だったなぁ」というものを 買うの
が好き。
防虫ネット付き帽子をアマゾンで注文した。此れは我が家には必需品だと思う。今日の段階で
は。

昔、通販で買ったものがある。
夏の虫が誘蛾灯に誘われて、死ぬアイディアから、某・業者が、青い灯が点灯していて、灯の
周りに熱線が張ってあって、飛んできた虫が熱線に触れると「パチッ!!」と、虫は焼かれて即死
するという『装置器』を買ったことがある。
夜になるのが待ちどうしかった。まだ子供が生まれる前だった。スイッチを入れて待った。
なかなかやって来ない。
歌を歌いながら待った。歌は当然、「待ちぼうけ・待ちぼうけ ある日 せっせと野良かせぎ 其
処へウサギが飛んできて・・・」
なかなか虫は飛んでこなかった。カミサンの実家あたりでは誘蛾灯に群がっていたはずなの
に。
まだ若かったカミサンが言った。
「この辺りは(葉山町)明りがたくさん有るから、虫は道に迷っているのよ」と。
カミサンの実家がある過疎の町・京丹後市・久美浜市場集落一帯は、田んぼ ばかりの真っ
暗。

それでも我が家の熱線虫殺傷器に、2-3匹は入ってくれた。歓声を挙げて喜んだ。6000円は高
かったか?

いまだにそのまま、私の幼児性は持続している。それが若さの秘訣。

しかし、今のカミサンはなんの反応も示さない。ペットボトルを作っている私をチラッと横目で見
ただけで、洗濯物を抱えて2Fへ上がった。
また オトウサンはバカなことをやってるわ。だけど、ああやっている中は元気なんだから、や
らしておきましょう、と。

顔の腫れは二日目には治った。
まだ、蜂防御ネット帽子は届かない。




2014 6 21 固定電話が消える日

電話器に対してこれまでの認識がまったく変わる時代がやってきた。
家庭内から固定電話器が消える時代がやってきた。既に若いアパート・マンションの住人であ
る独り暮らしの人たちは、固定電話を所有していない人が多いことは承知していたが、一戸建
住宅において家庭を営んでいる者にとって、その家から固定電話器が不要になる時代がやっ
てきたとは溜め息が出る想いである。
しかし、今回の改訂は利用者にとって有り難い低料金改正である。競争原理の賜物だ。

先日、この件を聴いたので、昨日私は確認のために携帯電話の営業所に出向いた。善は急
げ。

私はソフトバンク利用である。
Net,をはじめ、不用なアプリは、なるべく添付しないケチな考えなので、私の場合は携帯電話の
月額支払い金は2,800円でよいことになる。
なんと、なんと、これで他社の携帯電話にでも、他人の固定電話器にでも、通話料金は只にな
るというではないかぁ!!!!
そうなると、固定電話器は削除しても廃棄してもよいということである。受信専用だけで良い。

Docomo携帯電話会社は既に6月からこのサービスを開始しているらしい。
Soft bankは7月1日から開始する。但し、電話かネットで契約申し込みすると6月26日から受け
付けるという。
Soft bankの場合は、電話の157に通話を入れ、音声ガイダンスに従って2と9を押すことになる
らしい。そして自分の携帯電話番号を登録して完了となるらしい。
固定電話器はビジネスをしている者にとっては、これまでの慣例として削除するわけにはいけ
ない。
私宅でも、横浜市内を走行している3社のバスの中に、弊店の電話番号の案内を広告として掲
載している。携帯電話番号はメモ書きし難い。長い数字が困る。

私は提案したい。
携帯電話番号を もっと短くできないものだろうか??
自動車のナンバーのように、A?Z 0---9999 etc,
これだけでも組み合わせたら膨大な数になるはず。四文字だけで天文学的数になるのではな
かろうか。 「A--0」   この番号は提案した私に与えて欲しい。名誉番号として・・・。
足りなければ、「A?a」「B--b」「C--c」などなど。
日本人限定携帯電話器ならば、「いい」「イイ」と組み合わせていけば、もっともっと増量できる
のではなかろうか。



夏は仕事が暇なもので、朝からこんなことを考えている。
このアイディアは金儲けにならないだろうか。誰か、携帯電話会社に売り込んでくれないかな
ぁ。





2014 6 9 テレビの番組権

今は夜の10時。楽しいひと時が終った瞬間だ。
月曜日の9時は、私がいちばん心待ちにしている番組、非破壊検査株式会社提供の『フォレス
タ』があった日。
男性合唱、女性合唱、そして混声合唱。正統派の歌ばかり。童謡から国民歌謡、そして流行
歌までを朗々と謳い上げる。出演者は全員が名のある音大声楽科を卒業した人ばかりであろ
う。

姿勢が良い。マイクの持ち方が良い。堂々としている。頭も腰もふらふらしない。長年の修練の
賜物。

陶酔のひと時であった。
いつか、実演を鑑賞に行こう!!!! 8月26・27日は、東京大田区の某会館でコンサートがあると、
ラストに案内が出ていた。

しかし、我がカミサンは、このすばらしさが分らないのだ。情けない。音楽に理解がない。

カミサンがテレビを観ながら縮緬細工をやっている工房に、ときどきお邪魔する私。
たとえば、画面は韓国ドラマであったり、訳のわからない古代中国の劇画ドラマであったりす
る。
30年も前の、京都太秦撮影所で撮った東映時代劇。出ている俳優さんはほとんど鬼籍入居
者。

5分間も辛抱ができない私。
「アンタさぁ、よく こんなテレビを観ているねぇ。面白くもないだろぅ?? 楽しい?? えっ、楽しい
の?」
「白神台地の自然も、俺も嫌いじぁないけどさぁ。飽きちゃうよ。ブナばっかりで」
「屋久島って、簡単に神代杉は見られないらしいよ。雨ばっかり降って、登るのは大変らしい
よ」

「ちょっと、手元チャンネル 貸してくれない??!!」
「もっと、いい番組 やってるって・・・・いいじゃん、貸してよ」

「うるさーい 出て行って!!! 私のテレビなんだからぁ!!!!」
とうとう、キレテしまったよ。
私が大枚をはたいて買った大型テレビだった。「私のテレビ」って、言ってるなぁ。まぁ、いいけ
どさ。

男はチャカチャカ替えるのが好き。それは一歩でも一段でも、現状よりも向上したいからだと思
う。
女は安定が好き。安心して毎日を過ごすことができれば、それ以上は望まない。温度計のよう
に、上がったり下がったりはしたくない。波乱万丈の人生は望まない。ゆったりとした気持ちで
子育てをしたい。だから戦争が嫌い。しかし、男はバトルが好き。

最後に、
バック演奏のピアノ奏者の、あの指づかい!!! 私は、小節と小節の間の「修飾音階」が、ほとん
ど出来ない。私は63歳からピアノ教室に通いだしたのだから無理は承知。
曲の基本メロディーには無いはずの音を自分の感性で、意のままに操る技には毎回ながら、
聞き惚れている。

まだ 楽譜に『カナ』をふっている私。しかし音楽は楽しい。カミサンとの闘いも楽しい。



2014 7 8 父親の心配

「オトウサンも一度 嫁に行ってみたら!!」と、たびたび言われたものだが、もう 行かなくてもよ
い歳になった。今更、養子に来てくれと請われることもないだろう。

女親と男親では子どもに対して心配する面が異なる。子どもの数が多いほど楽しいこともある
が、心配の種が生じるのも事実。

10年余前、たった一度だけ、月下美人の労を執ったことがある。
我が葉山町でno,1かno,2の大地主さんの長男さんにお嫁さんをお世話した。毎年、半年毎に、
つまり盆暮れに挨拶に来てくれる。
第三者が間に入っていて依頼されたもので、私は直接には双方ともに知己の関係ではなかっ
たが、やはり良縁だったことと、二人の努力で円満な家庭生活を築いている様子。3人の子供
に恵まれ、誰が見ても幸せに暮らしている。大きな大きな邸宅に住んで、奥さんはベンツを運
転している。手土産を置いて、一時間後 帰った。仲人役は、一応 責任がある。

そしてそのあと、友人M氏の奥さんの法事があった。日曜日は忙しい。
法事の場に、妙齢の女性S子さんがいた。気働きがあり、所作はてきぱきしていた。むろん、
美形。並以上。精進落しの昼食のときも、ビールや麦茶をコップに注いで回る姿もかいがいし
かった。
M氏の三人の息子の中の、長男の友人という関係で、前回も今回も法事の手伝いに来ていた
のだ。遊びたい盛りの、しかも日曜日に奉仕することは、なかなか出来ることではない。私は感
心な娘さんだと思った。M氏に聞くと、歳は35だという。

私の友人から、「適当な娘さんがいたら、世話してよ」と頼まれていたので、M氏に「推薦しても
らえるような娘さんか?  簡単に・しかし具体的に・聞かせて欲しいと頼んだ。

聞いて、私は愕然とした。
幼い子供が二人もいる。そして既にバツ1。離婚して、シングルマザーで二人の子供を育てて
いる。
職業を聞いて二度びっくり。ネイルだと言う。なんじゃあ、ネイル・・・? あぁ、爪か、ネイルサロ
ンだな。ネイルサロンに勤めているって のだ。
父親は大手の有名デパートに勤務していた。むろん、定年退職後の身。
母親は??? 母親は亡くなっていた。   うぅーーーん、私は思わず うなった。35歳で二人の子
供がいて、自分自身はお勤めをしなくてはならない立場では、実家の母親の援助が毎日でも
欲しい時期である。
なんぼの給料をネイルサロンはくれるんじゃ・・・・???
家賃は??   父親といっしょに暮らしているのかな???

私は自分にも娘が三人いるので、頭がクラクラする想いだった。既婚娘たちには「頼むぜよ!!」
であり、まだ未婚の娘には「よっぽど、いいカードが(card) 廻ってくるまで焦らなくてもいいぜっ
て言いたい。31だと思っていたら、家内は「32よ」と言った。知らなかった。カレンダーの紙は無
い。
ドラマや映画で結婚の前日「嫌だったら、いつでも帰ってこい!!」なんて父親役の泣かせるセリフ
があるが、私は冗談じゃないと思っている。

『女三界に家無し』と、思えと娘たちに言いたい。





2014 7 4 灯台 元 暗し

今日は「灯台 元 暗し」というタイトルで書いてみよう。

パソコンで「todai」と打ったら、最初に『東大』と出た。頭脳明晰とは言いがたい高校生の孫が
我が家にいることを知っての、東大が最初に出るパソコンは、嫌味なPCだなと思ったが致し方
なし。

家内が「作業工房の机を替えたい・リサイクル机でいいのよ・でも今すぐじゃないのよ」と言うの
で、リサイクル家具店へ行った。仕事のついでにと思って気軽に出かけた。フットワークが軽い
私。

そもそも家内は昭和22年の亥年生まれ。つまりイノシシ年である。しかし、性格はその反対で、
私が「結婚しよう」と、あのとき言っていなければ、いまだに独身のはず。「引く」タイプである。
どうでもいいというタイプ。来る人 拒まず・去る人 追わず。
夫婦は車の両輪であり、お互いに不足面を補うことが大切。
「もう、どうしょうもねぇんだから・・・」と、引くタイプのカミサンを押したり・引きずったりしながら、
今日までやってきた。長所は欠点であり、短所は長所でもある。

ところがリサイクル家具店2軒行ったが無い!!! 帯に短し タスキに長し の如く。
「あっ!! お待ちしていました。ちょうど二台 揃ってありますよ」なんてことは絶対に無い。
180cm以上の長い机で、折りたたみ式 足のテーブルが欲しいという。町の集会場や、運動会
のとき、テントの下で教師や役員がタバコを吸っていた光景の、あの長い机を・リサイクル低価
格で・しかも二基欲しいと言うのだ。3軒の店に行ったが、2軒の店は既に潰れていた。
私も物好きで、大抵のことは諦めない。夕方まで走った。家内ならば、とうに「もういいわよぅ。
帰りましょ」だろう。再度 言うが、私が結婚しようと言っていなければ、家内はまだ独身である
はず。
リトリという大型家具店まで走った。此処はリサイクル店ではない。そこにも無かった。

帰途、net,のアマゾンを思い出した。脳裏に浮かべた。
帰宅→スイッチON !!! あったぁ!!! いくらでもある。しかも、ニトリで見た足の短い座卓式机の半
額だ。送料も先方負担。なんじゃぁ、今日の無駄な半日は!!! ガソリンと有料道路代の丸損だ。

家内にもnet,のテーブル画像を見せた。「あら、あるじゃない。いつでも買えるわねぇ。よかった
わ」
のん気なことを言っている。買いたいならば早く買えって!!!

省みれば、弊店はnet,様さまなのである。サイズの有る・仕立上がっている和服は、net,利用で
なければ何時まで経っても売れないだろう。
購入希望者側も、自分の体形に合致した・しかもシミ汚れが無い和服が、仕立工賃以下で入
手できるのだ。1/10 1/15 1/20で落札できる。

私もアマゾンは頻繁に利用する。しかし、悪意ではないが説明不足のせいで、失敗購入品が
ある。
説明が足りないと いつも思う。トラブルは無いが。

今 使用している机は35年以上になる。
「経師屋」さんが作った精巧な机。経師屋さんは大工さんとは違う。実に緻密な出来栄えだ。長
さが2m50cmある。幅も90cm。
これを処分するのは勿体無いが、収納保管場所が無い。蔵でもあれば、足を外して収納して
おきたいが。
「百年二百年前のものが蔵にはいっぱいあるのよ。田舎でも蔵の無い貧乏な家では、せっか
ちに、なんでもすぐに捨てるのよ。
蔵の無い人と結婚するとは思ってもみなかったわ」と、3回ほど言われたことがある。

結婚したときは、土地も家も無かったなぁ。蔵も。





2014 7 11 電話親睦のこと

今日から私の携帯電話が基本料金だけで、どこの会社の携帯電話にも、固定電話に懸けて
も、只になる待望の七月十日である。

台風見舞いにかこつけて、九州・兵庫・大阪・丹後・茨城・埼玉県に住む、先輩たちに電話をし
た。

電話料金は距離ではなく時間の長短であるらしい。しかし、今日から只。ほんとうに只になるの
か、いぶかしい想いを持ちながら、学校時代の先輩たちに電話をいれた。
私が中学・高校生であったころ、彼らは大学生であった。自他共にあの頃は当然ながら人生で
いちばん元気はつらつとした時間であった。
彼らの最高年齢は81歳・78歳・76歳・75歳、そして同期生2名。

電話を入れる方は、気合が入っている。用件があるからの電話。私は用もないのに、つまり、
用があるようで たいした用も無い。

電話を受けた方は、どのような状況だったか、私には見えない。
庭で作業。野菜の収穫をしていた先輩が一人。長崎の人。
「今、探してまいります」と、奥さんが私の先輩である旦那を玄関や庭に探しに行った宅が一
件。姫路の人。
元気、はつらつ、打てば響くような声の先輩は、商売をしている人。宮津の人。応対の声が違
う。
地の底から響くような暗い沈んだ声の人が一人。昔はおとなしい人ではあったが、明るい人だ
った。
奥様の具合が悪いらしい。長崎の人。
意味不明会話で、明るい昔と全然様子が違ってしまった同期が一人。茨城の人。
相変わらず元気いっぱいバイタリティーはち切れんばかりの先輩が一人。埼玉の人。

まっ、こんな感じであった。メールでは味わえない音声が流れ聴こえる有難い電話器。
しかし、相手の状況が見えないときに電話を入れるから、相手の都合をうかがう必要がある。
電話を入れた方としては、努めて明るく振舞う義務があると思う。
「昔と ちっとも変わらないねぇ・元気そうだねぇ・キミからの電話で元気が出たよ」などと、お世
辞でも言われると、愚かな私は、それじゃ また 電話してみようかな、などと思う。

ここでまた カミサンの登場。カミサンの弟妹の件。
「オヤジ、亡くなりましたワ・・・」これが20年余前の第一回の電話。誰から? 義弟からの電話。
最近、またあった。二回目の電話だ。4月以降の定年退職後の電話。
36---38年間に、たった二回の電話ですぞ!!!! お前ら!!アホか!!  よくそれで持田製薬の営業
本部長・兼 常務をやっていたなぁ。子供がいないから共通の話題がない。
義弟の妻ときたら、まるで童(わらべ)である。子供がいないから、幼女のようだ。心はきれいで
素直。素直すぎる。なんでも信じる。したたかではない。冗談が通じない。

義妹からの電話もほとんど無い。しかし、年末にはたくさんの餅や栗や柿を送ってくれるから許
そう。
栗・柿は熊に盗られるよりも「まし」だといって。 

夫婦間も友人間も兄弟間も、余す時間が無くなっている今こそ、親しくコミニケーションを交わ
す必要があるのではなかろうか。

只の電話料金は ありがたい。基本料金のみ支払う。2800円のみ。





2014 7 7 我が家の庭の生き物


「オトウサン!!! きてきて!!!」と、絶叫。むろんカミサンの声。カミサンと私の二人しかいない朝。
歳の割りには若い声。

カミサンは掃除機をかけていた。私は食後の食器洗いの途中。

見れば、台所の隅を蟹が歩いている。歩くというより、這っている。ゴキブリのときも叫ぶ。
何処から入ってきたのだろう。我が家の庭に昔から たくさん住みついている沢蟹だ。
梅雨の季節は蟹が活躍する季節のようだ。ちょっと前は、脱皮していた皮がたくさんあった。

蟹を手のひらで、そっうと受け、庭の『川』の中に放す。
『川』というのも大袈裟だが、庭の隣は山。山からの水は夏でも年中 枯れない。その水を利用
して、此の辺りは昔は田んぼだったらしい。
その昔は八軒しか家がなかった。地元の人は『八軒谷』(はちけんや)と、呼んだ。今は何千軒
か。

山の際の清水の池には、小さな山椒魚もいた。オタマジャクシもいた。
販売住宅地は、山から傾斜していた。

私が土地を50坪買ったのは30歳のときだった。本来は86坪の売りであったが、きつかった。
「なるべく早く、かならず隣の36坪の土地も買わせてもらいたいと思っていますから」と、言っ
て、盆暮れには土地の所有者に付届けをしていた。「隣接している空き地は、借金してでも買
え」という不動産屋さんの慣習語のような言葉を知っていたから、5年後に買った。坪単価は倍
を求められたが、折衝して中の価格にしてもらった。
傾斜地は2m近く 下げた。土留めをコンクリートで固めた。山から土石流がきては困る。
その山の頂上は300軒ほど住宅が在る。住宅地の排水施設はできているから、まずは安心。

山からの水は、造成中は、始末に困った。ブルトーザーで土地を平にしたら、一晩で土地は海
のようになった。仮の排水処理を設けなければならなかった。
しかし、植木屋さんは(庭師)は狂喜した。「川を造りましょうよ!! 滅多にこんな面白い土地はな
いですよ。自然の清水を、下水と同じように捨てることはないですよ」と、庭に川を造ってしまっ
た。
じょうずに造るものである。途中途中に『堰』(せき)を造った。すると、堰の下の石に砂がたま
り、しばらくすると水は堰石の上を越えて流れるようになった。堰留めで、いつも水は溜まり、た
っぷりとなった。川の両側は信濃石というのを置いた。信濃石は苔がすぐに生える。緑の羊歯
苔・銭苔。

山側からの2mの落差は石を築いた。しかし、手抜き工事(?)と、石自身の重みで石と石の隙間
ができ、20年経ったら石の間を流れていた水は隙間に逃げてしまうようになった。つまり滝と称
した落下する水が、途中で消えてしまった。今は私が水を止めた。だが、庭の途中からは、ま
だ水が湧いている箇所があり、たくさんの蟹がうろうろしている。蟹を、うっかりと足で踏みつけ
ないように注意してあるかなければならない。

蟹が家の中まで入ってきたのは初めてである。なにか良いことの前兆であれば嬉しいが。
庭には野良猫が5匹-6匹 居ついている。いちばん安い餌を与えている。この野良猫が蟹を苛
めないかと案じている。

ムカデは野良猫が退治してくれているようで、この夏はまだ見ない。葉山は半田舎である。



2014 6 1 孫の来訪  掃除

日本中快晴。外は五月とは思えぬ暑さ。室内気温は26℃。部屋の中で何もせず、過ごせば快
適。

昨年の春に植えた藤は、まだ藤棚の1/3にも枝が伸びていない。真夏のような陽気。
中庭の藤棚の上に、葦(よしず)を張る作業から開始した。

半日陰の下には、青々としたクリスマス・ローズの植木鉢が5鉢。これは真夏の日差しを嫌う。
和らいだ日陰の下に庭椅子を出し、コーヒーを一杯飲んで、一休み。

さぁ、いよいよ戦闘開始。
今日は正月以来の五ヶ月ぶりで、次女夫婦と孫がやってくる。満11ヶ月で、やっと伝い歩き。
ハイハイは超高速突進。
三日前から「部屋中の床の雑巾かけをやる!!」と宣言したことを実行しなければならない。
掃除嫌いの私にとって、有史以来、前代未聞の出来事だ。
バケツに水を細く流しっぱなし、2枚の雑巾を交代させながら、床に這いつくばる。廊下から開
始。
居間のフローリング床は『竹材』。福建省あたりの中国製ながら、油気を有しているからベニヤ
板よりも水滴をはじく。この床板を張替えて、もう10年は経っただろうか。傷だらけになっている
が、ツヤは衰えていない。張り替えるのに一週間かかった、真夏にやった作業だから暑かった
なぁなどと、懐かしく思い出しながら、せっせと雑巾かけ。

渡り廊下は1Fと2F。
2Fの廊下の隅には、猫の綿毛とペット餌の飛び散り・猫砂の飛沫が散乱している。常々はこれ
らは息子の嫁が始末してくれているのであるが、自分でやってみると、嫁の苦労がわかる。
階段も雑巾かけ。階段の手すりも、壁板も真夏にやった作業を思い出す。
トイレ床の雑巾かけも。トイレは1Fと2Fで、計4室在るが、もう、途中でそろそろ嫌になった。
主婦の常の家事がたいへんだということがわかる。

ともかくも、二時間かかって終了。汗汗汗・・・・  シャワーで汗を流す。

11時。ようやく無事に娘たちが到来。
人見知りして泣くことを心配したが、杞憂だった。これも保育園のおかげか。




2014 7 4 親離れ 婆・密着

家内はこの頃 夜 機嫌がいい。孫がいっしょに寝てくれるから。
小学6年女児孫が、三ヶ月ほど前から階下の家内の部屋で寝るようになった。
私はこれを親離れの第一段階だと思って見ている。
登校前、別れをしのんでか、玄関でハグをしていた母娘だったが、ハグは最近は見てない。

三日前から、高校一年生の男児孫までいっしょに寝るようになった。
ちょうど暑くなった日で、しかも試験週間開始の前だった。家内の部屋は独立しているので、静
か。勉強に、ときどき利用していた。
深夜近くなり、いつでも寝られるように、家内が布団の用意をしておいた。
どかっと、そのまま倒れこんできた。以来 居ついてしまった。
階下は明け方など 寒いほど。

男親に、ごちゃごちゃ言われる場から、逃げ出したい年頃である。
その点、婆バや爺ジは言わない。余計なことは一切言わない。誉める点がなくても無理して誉
めてくれる。オヤツという餌も与える。三ツ矢サイダーや安いアイスキャンディーも買ってきてく
れる。
強く雨が降ったら婆バは車で駅まで来てくれる。
これでは婆バの存在感は大きい。

爺ジは夜はダメ。焼酎のお湯割り二杯のせいで、8時から床に就いている。
「もう、朝? 」と目覚めたら、まだ10時半。まだ全員が団欒している。



2014 6 28 梅雨の対策・立替


テレビの『お天気お姉さん・お兄さん』が人気職業であるようだが、日本ほど気象の変化が激し
い国は少ないように思う。気象衛星カメラのおかげで雲の流れが手に取るようにわかる。雲は
西から東へと流れている。地球の回転と、地球の主軸が約23度半 傾いていることによって、
ほぼ大きな変化はないが、近年の温暖化現象は100年前は想定外だったであろう。世界的規
模で、これを改善して欲しいものだが、元に戻すには100年の3倍の年数が必要だろう。

私がそんな大それたことを憂慮しても仕方がないが、家屋を造るに於いて、雨に対する対策
と、夏の太陽の強い日差しには、対策が大切だと思っていた。このことは、四季のある日本で
は快適に暮らすためには欠かすことができない。

京都人は季節の前に、それらの用意をすることを『建替え』(たてかえ)と言う。特に凌ぎにくい
夏季対策は眼に訴えることも大切。麻の暖簾が、わずかの風にそよぐ。それを見て心は和
む。
襖は萩戸に替える。(但し、収納の為の蔵があればの話であるが)(萩戸を注文するだけの費用
があればの話であるが)  来客用の座布団を、油単(ゆたん)か 麻の座布団に替える。(但
し、油単が入手できればの話であるが) 油単とは和紙の油紙を何枚も重ねて張った布団であ
る。
京都の条例には、2Fの窓には竹や萩の『すだれ』を掛けるようにと、定めがある。

約45年前、私が真夏の京都に出向くと、「さぁサ、遠慮しはらんと、おズボンを脱いで おくりゃ
す」が問屋の亭主の最初の挨拶であった。客も亭主もお互いにズボンを脱いで、麻混木綿の
真っ白なステテコ姿で応対した。正座して呉服の反物や帯を品定めした。言うまでもないが、真
っ白なステテコでなければならない。前が黄色くなったステテコは早めに処分しなければならな
い。今、私が穿いている『オジイサンの原宿』こと、巣鴨の刺抜き地蔵で求めたアロハシャツの
ようなステテコは違反だ。あくまでも白が正しいステテコ。そして、上は白の『ホンコン・シャツ』と
細身のネクタイ。クールビズは無かった。

私は萩戸を注文する費用も収納用蔵も無いので、毎年 『葦』(よし)のお世話になっている。
「よしず架け」や「よしず張り」は貧乏人や粗末な状態を表す言葉でもある。河原乞食と言われ
るように、巡業芸人たちは河原に芝居小屋を建てた。そして周囲は葦で囲った。

このたびの我が家の中庭ピロティー・ベランダも、透明ビニール波板の上の葦と、東からの朝
日を遮る為の、垂らした葦のお陰で涼しくさを味わっている。確かに見かけは悪い。しかし、ク
ーラーでは絶対に味わえない自然の冷気が ふんだんに感じられる。室内には無い冷たい空
気。風ではなく 山からの冷気。
畳に換算して、四畳半ほどある中庭ピロティー・ベランダの下は、野菜置き場にも適当だと決
定した。特にタマネギを吊るしておく場所に適当。梅雨の時期には軒下では安心できない。

我が家の玄関も葦で半分だけ囲っている。これも見かけは悪い。しかし、午後も3時を過ぎると
陽光は西に傾き、西庭には白モクレンの大きな緑の葉が2Fのベランダと、其処の洗濯物の目
隠しと、西日を遮る効果はあるが、垂直に立てた葦の効果ほどはない。葦の効果 抜群・大で
ある。

こうゆう家は高級住宅街ではヒンシュクであろうと、私も感じてはいる。だが、暑さにはかなわな
い。東京・田園調布でも成城住宅地内でもないから、毎年の私の夏前の仕事としてやってい
る。家内も夫唱婦随で、だんだんと慣れてきたようだ。慣れとは恐ろしいもの(?) ありがたいも
のである。
但し、通りからは奥まった一番奥の、山の下の家だから、通行人の目には入らない。だが、縮
緬教室の生徒さんたちが大勢 訪れてくれるが、内心は いかに思っているだろうか?? 

あまり金はかけない。ではなくて、掛けられない私流の『立替』である。クーラーの風は冷たす
ぎる。嫌いだ。
梅雨の雨も いいものだ。透明ビニール波板の葦のお陰で雨音も消える。そこでラジオを聴い
ている。
ノートパソコンを持ち出せば仕事もできるか・・・・



2014 7 12 旧友・Y君のこと


これは追悼文ではない。彼はまだ生きている。しかし、「もうすぐ帰ってきます。今日はデイサー
ビスの日でした」と、彼の奥さんの言葉に、私は腰を抜かさんばかりに驚いた。

彼は高校1年生のときから同期生であった。彼ほど性格の良い友人を私は知らない。
しかし、私は心理学者ではないが、彼の性格を分析してみると『粘液質』と分類できるのではな
かろうか。多血質・胆汁質・神経質・粘液質と、4つが大別される。この説は紀元前ギリシャのヒ
ポクラテスの学説であるから、今はもっともっと研究が進み、細かく分類されているだろう。

粘液質の性格は、感情の起伏が少なく、勤勉で、粘り強いという。
正にそのとうりだと思う。彼が大笑いした顔を見たことがない。激しく怒った顔はさらにない。
石の地蔵さんでさえ、最近は微笑んでいる像を見るが。
真面目なんて語彙は既に通り越している。浅草演芸場の達人たちも、彼をクスリとでも笑わせ
たら、金一封ものであろう。
生意気な後輩たちが、彼をからかっても怒ることはなかった。感情を抑制している訳ではない。
怒りという要素を母親の胎内に置き忘れてきたとしかいいようがない。

頭脳明晰は抜群であった。教師の語る言葉を聴くだけで、ノートを執っている姿をあまり見なか
った。集中力がすざましいのだろう。
「以上が天体宇宙学の概論です。わかりましたね。では 次のページに進みますよ」と、河馬と
いうあだ名の野添先生は鼻の穴をふくらませながら、一人で納得していた。
地学なんて、わかりぁしない。誰が考えだしたのか。当方も一生懸命 聞いてはいるのだが、
天体の計算式など、まるでパーの私。Y君は熱心に集中していた。私は彼の顔を見ていた。

彼にも弱点はあった。運動神経が0以下。小学一年生でも彼が蹴るサッカーボールよりも遠く
に飛ばすだろう。ソフトボールもダメ。彼が振ったバットとボールの差は50cmはある。バスケ
も、ボールはシュートのネットに届かない。ドリブルもできない。しかし、自嘲はしない。大真面
目。懸命だ。テレることもしない。「おかしくて やがて悲しき スポーツかな」と、私の川柳句。
何年も下の下級生が笑っても怒らない。まるで聖人であった。

労働省の役人になった。結婚もした。彼の奥さんは東京生まれの神田っ子!!! チャキチャキか
どうかは知らないが、神保町か須田町の生まれで育ち。奥さんの弟さんも小学校から暁星。た
ぶん豊かな商家の育ちではなかろうか。恋愛結婚だったとしたら、世界の七不思議の一つで
ある。

「まだ、お互い、この歳でデイサービスは早いよぅ!!! 」と、私は彼に言いたいが、たぶん・・・・・・
シーーーん。沈黙。反応・リアクションはないだろう。昨年、脳の手術をしたと奥さんは語った。

現在の古希を過ぎた男の雰囲気ではない。高校生のときから、あの調子だった。
どのような両親に育てられたのであろう。謹厳実直・石部金吉・直立不動・漢学儒教の先生
か。

誰も先のことはわからない。明日は我が身であるが、老いの坂道は、ゆっくり行きたいもので
ある。



2014 7 9 歌舞伎「隈取り顔」になったの巻

昨晩から私はしばらくの間 『隈取り顔』(くまどり)をすることになった。

隈取りとは、周知のとおり歌舞伎役者の化粧法のことである。
赤い色は主役の色。青色は敵役。茶色は怨霊・鬼などを表す。
顔の血管などを大袈裟に表す意味がある。

私は白色の隈取り。白色隈取りは番外編。人生でもたいした役ではなかった。楽しかった
が・・・・

具体的に説明してみよう。
夕方、2Fのベランダに出てみた。ベランダは洗濯物で満艦飾。梅雨の最中、乾きが悪い。洗
濯物の目隠しになっている木蓮の大木が枝を広げている。緑濃い大きな葉。日陰にも効果は
ある。
台風8号の強風が心配で、チェーンソーで枝を払おうかと思って、ベランダに出てみたわけであ
る。

蜂がたくさんいた。蜂を目で追うとベランダの屋根の下の、家屋外壁の隙間に出入りしている。
奴らは壁の中に巣を作っているのだ。巣は直接には見えない。こりゃまた困ったことになった
ぞ。
蜂とは毎年 夏になると闘っている。毎年、1個か2個の蜂の巣を退治している。しかし怖い!!!
ちょうど蜂退治スプレーの買い置き品を切らしていた。

蝿叩きで15匹ほど叩き落とした。が、瞬間 2匹が私の顔にとまった。パッと、顔をそむけたが
遅かった。痛いとは感じなかった。が、見れば指に血が・・・・・
上顎と眉間と左眼の下をやられた。
足長蜂ではない。足長バチより少し大きい蜂だ。熊蜂ではない。

カミサンが医者に行けと叫んだ。Net,で逗子市の皮膚科を検索。時間は夕方6時20分。即、電
話で治療の依頼した。あと10分しかない。緊急時は名前を告げて、電話を入れると効果があ
る。
駐車場が満杯のこともあるのでカミサンに運転してもらい、駆けつけた。
天野皮膚科医院。50歳弱か。先代の奥様・現医師の母親には、仕事でご贔屓にもなった。
友人の○○○○君が、静岡星光学園で、教授したはず。
「蜂刺されは、二日目が腫れますよ」と、2種類の薬と、飲み薬の調剤を指示してくれた。

人生で蜂に刺されたのは二度目だ。子供のときは痛かったと記憶しているが、今回は3箇所も
刺されたのに、あまり痛いとは感じない。熱いと感じる。やはりこれも老化現象で鈍感になった
のか。

息子が夜の9時すぎ、「親の敵討ちをしたよ」と、既にベッドの中の私に報告にきた。
夜の方が蜂退治はよい。ベランダには蛍光灯がついているが、奴らは夜は目が見えなくなる
のだろうか。

Net,amazonで、蜂防御ネット帽子を注文した。泥縄ではあるが、購入する必要がある。安い。
この初夏、庭のビワの木も伐採した。甘い果実の木には蜂が群がる。そして巣を作る。
今日は、ペットボトル利用の『蜂おびき寄せ器』を製作しようと思っている。『酢』と蜂蜜をたっぷ
り入れて、ペットボトルの胴にカッターナイフで数箇所の窓を開ける。窓の上部は雨が入ること
がないように、切断しない。と、・・・・・・どうなるか???  希望と想像では、蜂は団体でやってき
て、酢の強烈な匂いに引かれて入って、そして溺れて・・・・死んでくれるか????  

何事も計画通りにはいかない。またカミサンに「オトウサン、元気でいいわね」とだけ言われる
だろう




2014 6 21 朝飯前の仕事

新聞を読まなくなっていた。この10年間。

今朝も家内と二人で笑った。お互いに『朝飯前の仕事』が多いのだ。やらねばならない事が多
い。

階下に降りたら、今朝は もう、家内は起きていた。
常は8時までは起床しない家内であるが、昨夕、小学6年生の女児孫に手伝ってもらい、孫とい
っしょに枝からむしり取った紫蘇の葉を、夜の中に洗って、今朝は早くから紫蘇の葉を漬け込
んでいた。60Kgの梅干の為である。

女児孫は幼稚園生の頃から、梅の実の『へた』取りと、葉をむしり取る作業を手伝っている。
自分が大きくなったら思い出し、また きっと 家庭内で梅干を作るだろう。

そして、朝のゴミ出し作業。
6月からゴミ分別作業が細かく、しかも厳しくなった。
ゴミ出し作業は私も手伝わなければならない。分別ゴミの種類によって、ゴミ出しの曜日が異
なる。

しかし、BS放送の『花子とアン』の朝ドラは、なにがなんでも観なければならない。
終ればまもなく8時。
そして朝食。

新聞をゆっくり読んでいる時間がない。
こんなことで10年が過ぎてしまった。昔は新聞を読んでいた。いつから読まなくなってしまった
のだろう。新聞を読むためには、『場』が大切だと思った。

我が家の7時から8時までは戦場である。二人の孫が登校するまでは、嫁は2Fと1Fを何回上が
ったり下りたりしているだろうか。観察していると、それが嫁の楽しみであるようにさえ見える。
運動にも好いように見える。イライラしているようで、それがまたうれしいようにさえ 見える。

私たちは孫たちの登校後に朝食を摂る。登校前は邪魔をしないようにしている私たち老夫婦。

明日の朝から、中庭に作ったピロティーで「新聞を読むぞう!!」と決心をした。
ピロティーは昨日、ようやく完成した。約1ヶ月間かかった。床にペンキも塗った。雨ざらしにして
いた鋳物の3基の椅子もペンキを塗った。鋳物だったから錆は出なかった。ベンチも造り変え
た。屋根も架けた。雨樋もつけた。私の最期の大仕事だと思って老骨に鞭打った。怪我もしな
かった。
葦(よし)を屋根の上に乗せたから強い日差しは消えた。そして東からの朝の陽光も遮った。夏
の朝の東からの太陽は暑い。

まるで50年前の海の家のようである。が、他人さまがなんと笑おうと、私は満足。
材料費は約7万円かかったか。

家内の工房への廊下のフローリング板張り作業も同時進行でやった。
ピロティー工事の方が断然 楽しかった。

「新聞を読むぞう!!」



2014 5 23 いまごろ納税申告

昨日、税務署から書類が届いた。嫌な予感がした。税務署や警察署とはあまり関わりたくな
い。
「確定申告書が提出されていない」という。

そんなはずはない。『青色申告会』で作成してもらい、合同で提出しているはず。
青色申告会で調べてくれたら、消費税のほうの申告が漏れているという。
そのこともおかしい。

ともかく、今日の朝、一番に予約をとっておいて、青色申告会に出向いた。申告書類を作成し
てもらい、管轄の鎌倉税務署まで行ってきた。そして、消費税も納税すませた。一件 落着。

私を担当してくれた某方は、家庭内トラブルで、ただ今 青色申告会の事務所を休んでいると
いう。彼とその奥さんは我がリサイクル・キモノの顧客様であった。夫婦共に茶道をたしなんで
いるので、キモノが必要であった。だから、個人的にも親しかった。それゆえ、私を担当してく
れていた。

彼は前の勤め先を退職して、今 見習い期間中である。税理士資格の取得が希望。
青色申告会に毎日出向いて、安い給料で実務を勉強中なのだ。試験は年に一度。
ところが、私立高校生と私立小学生がいる。楽ではない。逗子市のいちばん立地条件の良
い、環境も良い場所に新築家屋を建てた。小さな小さな家だ。おそらく、坪120万円以上と思わ
れる所。
築後、まだ10年は経っていないだろう。ローン残金はまだまだあるだろう。推測だが。

奥さんの支えが大きい。博報堂だったか電通だったか、そのどちらかの広告会社の正社員
だ。
「私、頑張るから、パパ 今のうちに税理士免許を取得してね」と、言ったであろう。去年も不合
格。

そして、なにかのトラブルが発生したというではないか!!!  
また、私が思うに、50歳を目前にして顧客をどうやって獲得するのか?? 一件や二件の顧問客
では飯は食えない。大銀行や大会社は既に顧問税理士や公認会計士と提携しているだろう。

私が独立開業したのは30歳だった。子どもたちの教育資金も必要としなかった時期であった。
私の場合は、同じ仕事からの独立であった上、支持して下さる顧客様もあった。

彼は、茶道を趣味とするぐらいの男性だから、おだやかで、物静か。『ハッタリ』(虚勢・空威張
り)をするくらいの方が税理士や弁護士は似つかわしい、と私は思っている。
「ガッハッハッ(笑) 私になんでも任せておきなさい!! 心配いりませーん!! あの税務署長は、私
の大学の3年後輩ですよ!!!  奴は私と同県人ですよ。」なぁん~~て、調子のいいことを言ってお
いて、「イヤイヤ、これくらいの追徴金では軽いほうですよ」と、なんとでも言うだろう。

私は昭和47年から、税理士と契約していた。私のような零細業は必要としなかったのに、青色
申告会の存在をしらなかった。ニッポンの青色申告会は昭和25年に設立。各地には昭和61年
からPCの普及とソフトが出来た為、たいへん安く便利になった。私は10年前からお世話になっ
ている。

彼は悩みがあって、仕事もおろそか。新米の見習い中。弊店の消費税申告を忘れていたの
だ。





2014 5/7 鎌倉のオジイサンとオバアサンの話
来た来た来た。ようやく来た。やっと来たか!!!
バスが来たのではない。もちろん電車でもない。電話がきたのだ。待っていたわけではない
が、くるだろうと予想はしていた電話であった。

誰からかというと、ogawaのオバアサンと私たちが称する方。もう 80歳代後半か90歳代に入っ
ていてもおかしくない年齢である。が、電話の声はあのころのまま。元気そうだ。ogawaのオジ
イサン オバアサンと親しくなったのは数えてみると27年前になる。今、31歳になる末の娘が4
歳のとき、幼稚園の3年保育生の春だった。
用件は『着物を買い取ってほしい・処分したい』と言う。そう来るだろうと思っていた。

ogawaのオジイサン オバアサンは西鎌倉・腰越という地に住んでいる。歴史的には源 義経
が兄・頼朝からの嫌疑を晴らす為、西海方面から鎌倉まで下ってきて、兄に直訴を願ったが、
幕僚たちに邪魔をされて鎌倉まで入れず、鎌倉の西のはずれ(腰越)の寺で待たされたという
地域である。今の季節は、小さな魚(シラス)が獲れる。生シラスはおいしいらしい。私は食べな
い。気持ち悪い。踊り食いという。食通は 生きたまま、食べる。

「金はいらねぇよ。金なら、オジイサンちは、うんとこ あるでよぅ」解説すると、金は一生 使い
きれないほどたくさん有る。だから、金は払わなくても良いと言う。何の金かというならば、幼稚
園には父兄の為の駐車場が無く、子供を送迎するときに、父兄は駐車場を幼稚園の近くに 
それぞれ借りていたが、家内には「いらねぇよ」と言うのであった。
葉山から西鎌倉までは車で30分近くかかる。片道 約15km。上の子どもたち3人は葉山在のカ
トリックの幼稚園に入れたが、此処のカトリック幼稚園(モンタナ幼稚園)で、モンテッソーリ教育
を取り入れているというので、わざわざ無理して通園を開始した。それゆえ、駐車場が必要に
なった。
オジイサンは家族内で孤独だった。訳は、身から出たサビ。自ら掘った穴に落ち、もがいてい
た。
オジイサンの本業は不動産屋。江ノ島電鉄という鎌倉駅から藤沢経由→江ノ島まで電車(えの
でん)が開通することになり、江ノ電不動産部は地元の小さな不動産屋さんに依頼した。土地
の所有者たちは、親しくしている地元の不動産屋からの頼みとなると土地を売ることを承諾。
かくして、オジイサンは莫大な手数料を取得。
またもや かくして、大金を手にした普通の男は如何なる事をするか?? そう、正解は女か酒か
博打であろう。オジイサンは酒はやらない。かくして 伊豆半島の湯河原の芸者さんと親しくな
り、数年間 家に帰ってこなかった。
が、が、糖尿病になり、女から三行半を渡され、しぶしぶ西鎌倉の家に帰ってきた。成人した
娘二人は口もきかない。
オバアサンこと、妻の態度も当然 冷たい水・氷・氷点下。
そこへ、なにも知らない家内がやってきた。当時は家内も30歳代後半。女好きのオジイサン
は、かっこいいセリフを言った。「水曜日や土曜日は、幼稚園は半日だべぇ? 葉山まで けえ
ることなんかねえよ。 オジイサンちで昼飯食って けえんな。千恵ちゃんもいっしょに食ってい
きなって」 丹後半島育ちの家内は他人の言葉を そのまま受け取る。すぐに人を信用する。
オジイサンにもニコニコして会話をしたのであろう。本当にお茶漬けなどを食べたという。
ちなみに京都人から「お茶漬けでも どないでっしゃろ?」と言われたら、もう 帰ってよう!!という
意味であることを記憶しておこう。かくして、交際は27年間に渡った。「プラムが いっぱい生っ
たからよう モギにおいでよう」とか、まあ 確かに親切。二人の娘さんたちとも当然 友だちに
なった。正月にはオジイサンたちを招くような間柄になった。娘さんたちの子どもたちは5人は
全員女の子たち。飛行機のスチュワーデスになったり、開業医と結婚したり、全員が土地と家
をオジイサンから建ててもらって幸せに暮らしている。
ちなみに、この辺りの言葉は汚い。『べえべえ言葉』といわれる。「そうだろう?」と言うときは「そ
うだべえ?」と訳す。
TV大河ドラマで坂東武者(ばんどう) の言葉を誇張して平清盛や源義経に出てくる役者は「よ
う」と「べえ」を忘れてはならない。平安時代に優雅な大宮人から蔑視されたであろうと思う。昔
からの地元人どうしが会話するときは、特に老人男性は そのようである。三浦半島一帯も 
そのようである。

オジイサンは大金持ちのくせに大ケチ。ケチだから大金持ちなのか。オバアサンは これまた
 安物が好き。安物買いだが金はなくならない。湧いてくるから。家屋も平屋建て。戦後の市営
住宅並み。ペンキも塗り替えない。家屋内の畳も黄色を通り越して芥子色。だから泥棒にも狙
われない。オジイサンはそこを計算しての上か。オジイサンは頭が良い。郵便局も経営してい
る。小さな民営郵便局を誰かに任せていて、権利だけ所有している。オジイサンは しっかりし
ている。まだボケていない。さすがに車の運転はやらなくなったが。

こんなオジイサン&オバアサンと近々 久しぶりで合うことになった。「お土産は なにがいい?? 
ケーキ?? 葉山のパンがいい?? 」オバアサンは果物がいいと答えた。
家内と二人で行く。家内が行かないとオジイサンは機嫌が悪い。口もきかない。90歳過ぎても
女好きは衰えていない。

「家内も まもなく66歳になるでよぅ」と、言ってやろうと思う。


2014 5 11 またまた 初体験

今、仕事から戻ったばかり。
人は誰でも「生まれて初めての経験」「この歳になって 初めて」ということがある。
また、特に男性は、外周りの仕事をしてきた人は、行きたくもない地にも出かけなければならな
いことがある。
やりたくない仕事もしなければならない。世の中はエリートサラリーマンばかりではない。

今日の午前中 電話があって、「ある人が、某人を 紹介します」という内容であった。
10年余前、葉山町内で元・三菱商事の社長さんの別荘(?) 、引退後の住居(?)であったか、広
大な敷地と屋敷から「着物など」を買い取ったことがある。現在は、その地は小刻みに分譲さ
れて、小さな家々が13軒 建っている。(葉山町は元大邸宅がそのような形状に変化した住宅
が多い)
その三菱商事の元・社長さんの娘さんは東京の清心女子大学のカトリックの修道女。清心大
学学長。その同期の友人が逗子市の女性市長さんであった。私はといえば、女市長さんのほ
うが知人であった。
着物以外に、すばらしい黒檀の飾り箪笥があって、15000円で買い取った。しかし、修理に10万
円かかった。

長々しい前置き説明であったが、その黒檀箪笥を修理してくれた男性から今日の電話があっ
た。
ともかくも、午後一時の約束で行った。
「電話が、その家に無い」と、紹介者の男性が言ったことも、ちょっと不審に思っていたが、若
い女性たちの独り暮らしの場合、携帯電話だけで固定電話が無いことは珍しい今日ではな
い。

たどり着いて仰天した。
なんじゃぁ、この家は!!!! これが家といえるかぁ!!!! 小屋である。長崎市の如己堂よりは少し大き
いが、このボロさ加減はなんだぁ!!! 電気は通っていた。裸電球が昼間なのに灯っていた。計
測器ではなく、最低料金の契約料金なんだろうか? 昔はあったが、今はそんな支払い方式
は?? ある??
部屋に入って、2度3度の驚き!!! 畳? 畳が波打っていた・・・・否、畳ではない。確かに以前は
畳だったものが、大波小波をうっている。よくも床が抜けないものだ!! 私は怖々と、そっと歩い
た。夏ならば蚤たちがオリンピックで三段飛びをしていたであろう。
私が買い取った黒檀の箪笥を修理してくれた男は「縁の下の床柱の修理に来ている」と答え
た。
へぇー!!! ?? この状態から、修理など、できるものなのか? もちろん平屋。ブルトーザーで15分も
あればバラバラになること必至。
天井からも、いろいろとぶら下がっている。衣類や、なんやかや、いろいろと。気味が悪い。
しかし、気を取り直し、平静な顔を装って、大きなビニールに入っている品物を見せてもらっ
た。
洋服類も混在しているが、和服と帯の類は すばらしいものだった!!! すべて大きなビニール袋
に入っている。戦前の品がほとんどである。親やオバアサンは何者だったであろうか。かつて
の身分は???
その家の主は、年齢50歳を少し出たばかりの様子。それがまた、上半身は裸なのである。こ
の花冷えの季節に、よくぞ寒くはないのか? そしてその体はガリガリの やせっぽち。肉がつい
て無い。栄養状態、「D」
畳の上にはカップ・ラーメンがいくつか 転がっていた。箪笥修理職人と私に、ずっーーと、背を
向けたまま、この家の主はラーメンを すすっていた。

男は1000円札のお釣りも無かった。「かならず今日中に1000円は郵送します。普通封書です
よ。現金封筒ではありませんよ」と、言い置いて、私は家(小屋)を出た。

あれだけの上物の和服や帯を求められた、男の親父さんは何をしていた人であろう? そして、
「なんで、こうなったの? 」と、聞きたいところだが、何も聞かないのが、この仕事の暗黙のルー
ル。(私が作ったルール)

戦前の和服だから、縮緬教室を主宰している家内は大喜びであった。販売品には適当ではな
い。
「品物には罪はない」が質屋業界の慣例語彙だそうだ。     
人は、そのようになっても生きていかねばならない。生きて行くことは しんどいことである。
外へ出ると八重桜が満開であった。



2014 5 11 ささやかな旅

一昨日の水曜日、久しぶりにカミサンと日帰り小旅行をしてきた。思いつきの、目的もない、な
んということのない、たわいないドライブでも、「とても楽しかったわ」と、いつも なんども言って
くれるのが嬉しい。
「春に三日の晴れ間なし」といわれるように、春の嵐や・桜散らしの合間の好天は、その朝にな
ってみないとわからない。
「でかけようか??!!」「行こっ、行こっ!! 口紅だけぬって、すぐ行くから車のとこで待ってて」で、20
秒後には車を走らせていた。66歳の化粧は超早い。京都の舞妓さんもびっくり。水曜日は縮緬
教室も休日だ。

が、「娘たちの所に、○○を持っていってやればよかったわぁ」の一声で、ETC,に入る前にユー
ターンした。
「いやいや、ボクも、カシオの電子ピアノのケースを持ってくればよかったなぁと思っていたとこ
ろなんだよ」と、アマゾンで取り寄せた品を車に積むことを忘れていた。
「また家に戻ってもらって、悪いわねえ」「いいよ、いいよ。悪くなんかないよ」と、旅行の出発時
点では、誰もが機嫌が好い。問題は、帰宅の最後まで、この機嫌が継続するかが問題だ。
10分の無駄時間経過の後、再出発!!! 
やはり玄関の鍵は架けておくことにした。葉山のような田舎町は不良外国人は皆無。平穏な
町。しかし、2Fには息子のお嫁さんが寝ているはず。再出発!! 玄関のチャイムは2Fまで聴こえ
ないらしい。嫁は、夜は遅くまで子供たちの勉強の相手をしている。朝も早くから起床。なるべ
く、休めるときは休むようにと告げている。

そんなこんなで、仕切りなおしの再出発!!!
東京湾横断の「アクアラング」の『海ほたる』のレストランまで30分。ちょっと休憩。。「春休みの
期間は大混雑でしたよ」とは、店員さんの言。そうだろう そうだろう、旅行は平日の快晴が好
い。周りの客は恋人同士のような若者ばかり。後期高齢者夫婦は見当たらない。東京湾の 
ど真ん中でコーヒーを飲むことの不思議さ。

房総半島に乗り入れた。さぁ、ここからが千葉県だが、千葉の何処に行こうか?? 無計画。気の
向くままに出発したので、コンビニで地図を求め、外房の勝浦まで、ナビを再セット。房総半島
はさすがに大きい。我が三浦半島とは比較にならない。高速道路を降りると、がらりと車両の
数は減った。何処まで走っても貸切道路状態だ。前後に車がいない。田舎道。気分爽快。カミ
サンは大ごきげん!!「ワタシ、こうゆう田園風景の所に住みたいわ」を連発。山あり水田あり川
あり。桜が満開。黄色いレンギョウの花も今が盛り。桃の花の色も濃い。
途中、警察官たちの姿が4?5人・・・。反対側車線で、速度取締りをしていたのだ。あっ、いたい
た。道よりも一段下の所に椅子に座って耳にトランシーバーをつけたおまわりの姿が見えた。
「いやぁ、ごくろうさん」と通過。

勝浦の海に出る前の和風食事処で、ワタシは鯛の刺身定食1500円を注文。それが、まったく
旨くなかった。鯛は刺身の中では好きな方だが、確かに鯛の身には間違いないが、鯛の旨味
がない。

往路は のんびりと走ったが、復路は頑張って走ると宣言。ちょっとスピードを上げた。往路で
のスピード違反取締りのことを、すっかり忘れていた。前方から走って来た一台の車が、ピカッ
ピカッとライト点滅。「この先で、違反取り締まりを、やっているぞぅ」の合図である。あっ、と思っ
て、減速、危なかった!! 
昔はワタシもこの合図をしてやったものだが、神奈川県内のように車両の数が多い地では、速
度違反取締りをしたら、車の洪水状態になること必至。近年は、都会では警察官も諦めている
ようだ。

「イチゴ街道」と称している辺りでイチゴを買う。超安い。苺のビニールハウスが沢山。食用とジ
ャム用を求めた。1000円で、スーパーで売っているプラスチック容器の8個ぶんだ。栃乙女ブラ
ンドのような4cmも5cmもの大きさではないが、じゅうぶん食用に値するイチゴ。3000円ぶんを
求めた。お土産品は娘たちと3軒ぶんが必要。
長女は大喜びして、「明日は仕事が休みだからジャム造りをする」と。一家は4人だから、次女
宅よりも量が必要
「道の駅」で求めた、芽タケノコは皮付きのまま、ゆでる。そして天麩羅で食べた。細い蕗(ふき)
は やわらかい。
ジャムもその夜の中に煮た。旅の楽しみは「道の駅」での買い物。山菜採りに行って、道の駅
で地元の人たちが出荷しているらしい。
次女は物が増えることを好まない。せっかく持参したカシオの電子ピアノのケースも、公文の英
語の童謡CDの点検もしない。後々になつて感謝するか。親の小言は冷酒のように、親が死ん
だのち 効くという。

ワタシは、朝から夜まで、交代なしで運転した。まだ大丈夫のようだ。今年になって、初めての
旅であった。



2014 5/6 寿 貧乏

クイズを呈します。

ヒント
どちらも、白い封筒に入って、郵送されてくる。
これも浮世の付き合いと思って封筒にハサミを入れる。
金がかかる。一方は小額ですむが 他方は多少高額になる。
一方は人生のスタートのお知らせ。他方は終焉のこと。

そうです。ご正解のとおり、結婚式の案内と、お通夜のお知らせである。

先月は、納骨式の案内があった。昨日は結婚式の案内電話があった。
地味婚とか、直葬などの言葉が流行っているから、ささやかに身内だけでどちらも済ませる時
代になったが、度重なる招待は辛いものがある。

義理の従姉妹は電話で言った。
「息子の○○が葉山のオジサンのことを、すごく尊敬していて、ぜひに来て欲しいと言うんです
よ」と。
重ねて言うが、義理の従姉妹が電話口で言った。
義理と強調したが、従姉妹は家内の実の従姉妹である。その夫は養子さんである。
従姉妹は、家内の亡父の妹の娘である。従って、私とは血縁繋がりはない。
しかし、遠くの親戚よりも、近くの他人というとおり、近所の友人の方が親しく人生を豊かにして
くれる人もいる。
この私が人から尊敬されるなどと書くと、私を知っている人からは笑われると思うが、結婚式を
挙げる花婿の父親も、かつて私のことを、そのように言ってくれたことがあった。親戚では一番
に電話で請うたと言われると断り辛い。
この夫婦の結婚式にも、私だけ参列した。家内は、当時は幼児の子育てで多忙だったと記憶
している。

花婿は京都・同志社中学から同大学の経済学部を出て、大学のバスケット部のキャプテン。そ
して某・大手の一流会社の社員。まだ若く24歳。花嫁は23歳。花嫁のオバアサンと私の歳が同
じというから泣けてくる。幼稚園の先生だったが、公立小学校の教員試験に合格して、既に学
校の先生をやっている。既に入籍済みとか。

息子の父親は、たいへんイケメンだが、とても性格が好い。お爺さんは京都の某・能楽 某・派
の家元。
しかし、花嫁の父親は次男なのでサラリーマンになった。京都では有名な某・工作機械メーカ
ーの重役である。本当に性格が良好!!!!    まぁ、言っちゃぁ悪いが義理の従姉妹の方は並。
若いときは芸能人の○○さんに似ていないともいえなかったが・・・・・陽気で明るく、悩みがな
い。派手好み。なんでも一流好き。現代人だ。車はベンツだ。

花婿側の祖父母は既にいない。私達夫婦は祖父母の代理としてとして参列して欲しいようだ。

しかし、問題は20万円近く費用がかかることだ。祝儀が二人の参列となると10万円は包む必
要がある。交通費が新幹線ならば6万円。車でも有料道路とGS費が必要。近年、軽自動車に
したから、東名名神は辛い。そして、宿泊費も必要。
第二の問題は、暑い真夏の京都での挙式。関西人には悪いが、京都や関西の8月なんて、人
が生きているだけで不思議。40℃越す??  アスファルトの道からユラユラと陽炎が見えるので
はなかろうか。
想像しただけで、目まいがする。しかし、夏休み中に学校の教師は式を挙げてしまいたいのだ
ろう。

義理従姉妹の亡父は好い人であった。建築資材を営んでいて、そんな関係から、自分の娘に
取引先の社員を養子に請うた。義理のオジさんは、私とは血縁繋がりとないのに親切にしてく
れた。その妻(家内の叔母さん)は、たいへんな美人で、これまた善人だった。元・小学校の教
師だった。
それゆえ、供養になるかと思い、行くことを決心した。まだ 未定?????
結婚式に行くのに、『供養』などの語彙は不適当であるが。

今から金を貯めなくてはならない。


2014 5/5 虎の毛皮の代わりに

現代生活に於いては、和服は日常着ではないことは周知のとおり。しかし、洋服よりも命が長
い・流行に左右されることが少ない・縫い替えが簡単可能である などと、価値を見る人も多
い。

私はこれを商いとして、人々からご贔屓になり多少の利益をいただいているが、稀には利益追
求でなく好いことをしたと、思うことがある。私が世から消えても、着物を着るたびに・見るたび
に、このオジちゃんを思い出してもらえることをしたのである。

近所に住んでいるエミちゃんの娘さんに、振袖一式を昨年のクリスマス・プレゼントした。(質の
良いリサイクル品ではあるが)
エミちゃんは、間もなく眼がみえなくなるらしい。緑内障。この四月から視力障害者学校に入学
した。マッサージ師の資格取得の為である。
母親という人は、関西・大阪から嫁に来たと聞く。出産と同時に亡くなった。自分の命と引き換
えに
エミちゃんを産んだ。エミちゃんはパパの母親(お婆ちゃん)に育てられた。
エミちゃんは我が家の末娘と友人で同年齢。二十歳で結婚したが、相手からのDVが理由で離
婚した。ちなみに、エミちゃんは造った料理をデジカメで撮影している。理由はレシピを娘さん
に遺しているのだ。365日 続けているという。
そして、こんな言葉も言ったという。「千恵ちゃんは、どうして もっとお母さんから、いろいろ裁
縫や料理を教えてもらおうとしないの??」と。「ワタシだったら、お母さんにぴったり くっついて
離れないのになぁ」と。そして時々 我が家にやってくる。「おばちゃま、裁縫の、此処のところ
を教えて下さい」と。

エミちゃんには既に小学6年生の女児がいて、その子と同年齢が我が家の同居女児孫だ。
ちなみに、余談ながら・蛇足ながら・ついでながら、女児孫の母親(息子の嫁)の年齢は48か49
だと思う。愚息よりも5歳上。嫁は29歳で結婚して、3年後に、ようやく初出産。爺から言わせて
貰うならば、人生設計は大切であると、末娘にも言いたい。我が家の末娘は、日めくりカレンダ
ーの最後の数字31であるが、いまだに独身。娘に言わせると、悲惨な結婚生活をした友人が
多いと言う。
そう言われれば親はなんにも言えない。(GW中も京都に旅行に行っている)
末娘も心やさしいところがあって、エミちゃんの眼が見える中にあのハワイのきれいな景色を
見せてあげたいと言って、いっしょに旅行した。グワムにも行った。


6年生といえば12歳。成人式はまだ8年も先。それまで私が存在しているか。
ボケていないうちに、振袖一式をプレゼントしたほうが有益だとおもった。近々、黒留と帯と白
襦袢もエミちゃんに上げようと考えている。(買取価格は安いのだ!!!!)家紋を替えることは高くつ
くが。

息子の嫁の妹(これも離婚組)にも、振袖一式をプレゼントした。3年前と今年と。娘が二人居
る。
下の方はまだ中学1年生だが、私が元気で、気が変わらない中に遣ろうと思ったのだ。

振袖やパール・ネックレスは常々は使用しないが、必需品だ。買えるときに買っておいたほう
が好い。大袈裟にいえば形見・遺品になる。
昔、花珠真珠がテレビ通販で販売されているような価格でない時代に、「半年に1粒 買ってお
くのだ。色を揃えて半年ごとに買うのだ」と、某人から聞いたことがあった。田崎真珠店さんが
出入りしていた某人だ。田崎真珠店さんも日の出の勢いだったが、・・・・・・どうなったの
か・・・・・




2014 3/29 浅草散策


子どもの頃、こんなクイズがあった。
奈良の大仏さまと浅草の観音さまが「いちど どこかで会ってみようよ」という話し合いがあり、
同時に出発した。「二人は何処で出会ったか??」というのがクイズの問題である。

浅草の観音さまは、巷間 1寸5分(約6cm) の ご身長だと聞く。奈良の大仏さまは坐像だから
身長は分らないが、暇な人が、お顔や胴体の大きさから推定算定して、二人の歩幅を推測し
て、二人が出くわした場所は「浅草・金龍山の大提灯」の真下で会ったという。日本橋でも浜松
でもない。

GWの最中、4月29日、「緑の日」私も今日は暇だから、一人で浅草界隈を放浪することを思い
つき、都営浅草線に乗った。所用時間1時間半。しかし、昼の12時までは就業していた。

浅草には江戸時代の名残があると言われる。そしてまた銀座・六本木・新宿・渋谷などに比較
するとドロ臭いと言われるが、理由は、歴史が古いからだ。観音さまの像は江戸時代に漁師の
魚獲りの網にご像がひっかかり、それを奉ったものだという。
浅草が大盛況をきざした時代は大正から昭和初期だと聞く。ときどき当時の白黒フィルムをテ
レビで見る機会があるが、浅草ロック界隈を歩行する人並みは人間の波波波。人々は帽子姿
が多く、和服と洋服が半々だ。
ちなみに、ロックという意味は音楽とは関係ない。当時の警察署治安課が線引きをしたのだ。
「第六区・歓楽街」と位置づけたのである。当時は見世物小屋・映画館など大氾濫。だが、東京
オリンピック以後、テレビが普及されるにつけ浅草は地盤沈下していった。

とはいうものの、このすごい人々はなんだ!!! 筆舌に現せない。仲見世通りなどはまともには歩
けない。どの店も大繁盛。地方から初めて出てきた人は「ここが浅草だよ。おっかさん!!」と、島
倉千代子さんに言われるまでもなく肝をつぶすだろう。娘や息子に手をひいてもらわなくては歩
けない。
人力車が復活したのは何時頃からだろうか。今は何処の繁華街でも盛んだが、法被姿(はっ
ぴ)の、また申し合わせたように顎髭をはやしている30歳までの男。鼻の下ではない。顎の下に
短い髭。そして頭には手ぬぐいを。首にも架けている。これは流れる汗のため。乗客のほとん
どは二人乗り。若いラブラブの男女。人力車はオーダー・メイドだから高価だろう。100万円くら
いかな??

消費税も上がったことだし、今日は何も買わないぞと決心して、ひたすら歩く私。舟和の芋羊羹
も孫に買ってやりたい。スイート・ポテトもおいしそう。和菓子屋『亀十』の客の行列は50mも二
列で並んでいた。チマキと柏餅を買ってやりたかったが、待ち時間は一時間かかるだろう。あ
きらめた。

家内と長女に革カバンを買った。イタリー製。メッシュ。裏柳葉色。長女にはオールド・ローズ
色。
次女は今、生後11ヶ月の男児に夢中でオシャレの必要は無し。三女は超ハデ。好みが難し
い。

私は新宿・渋谷などには ほとんど行ったことがない。なんとなく怖い。好きな場所はアメ横と浅
草。
銀座・六本木などは高級すぎて貧乏人の私には縁がない。神田・池袋も歩いたことはない。
神宮辺りは頻繁に歩いたが、青山通りの店も高級感に圧倒されている。

今日は運動として歩くのが目的だった。そして、「もう、何処にも行きたくないよぅ」と、なる前に、
若い気持ちを持続して頑張って歩こう。まだまだだ。





2014 5/ 2イチゴ農家と近隣諸国問題

房総半島勝浦市・山梨県甲州市・そして昨日は神奈川県西部の秦野市までイチゴを買いに行
ってきた。ジャム用イチゴである。スーパーのイチゴや八百屋さんのそれは青い実のうちに出
荷する。完熟イチゴを煮詰めたジャムのおいしさは断然違う。朝食時、ヨーグルトに入れて混
ぜたイチゴジャムは食欲がでる。

最初は箱根強羅公園のシャクナゲがきれいだと、NHKテレビの中継案内を観たので、箱根が
目的で昼過ぎに出発したが、茅ヶ崎海岸あたりで目標が変更になった。助手席に座った卑弥
呼の一言で変更になった。やさしいもの言いだが、毅然としている。反対すれば機嫌が悪くな
る。

イチゴ農家の主婦は、いきなり私たちに言った。「それは妬み(ねたみ)ですよ!!! 私宅のイチゴ
園が繁盛していることを、妬んでいるんですよ」と言った。

なぜ、そのようなことをイチゴ農家の主婦が私たちに告げたかについては説明を要する。
ようやく探してイチゴ園に到着したら、誰もいなかった。受付入口は施錠。携帯電話で、104番
の電話問合わせで調べても分らなかった。遠く、ここまで来て引き返すのも残念。最後の最後
まで粘る姿勢の私は、該当イチゴ農家から少し離れた隣家の玄関のチャイムベルを鳴らした。
42歳?43歳の男が出てきた。訪ねた理由を話しても、その男は無言。しかし奥に引っ込み、電
話番号帳を手にしてきた。そして、無言のまま、私が知りたいイチゴ農家の電話番号を指で示
した。私はメモをして、努めて明るく振舞った。お礼を言う私に対して、なにやら口の中でぶつ
ぶつ言っていたようだったが、笑顔ひとつ見せず、家の中に引っ込んだ。

すぐさま自宅からイチゴハウスに農家の主婦は軽トラックを運転してやってきた。支払いを済ま
せて、「お留守だったので、お隣さんに行って、お宅の電話番号を教えてもらった」経緯を簡単
に告げた。すると、主婦は先に述べたように「妬みですよ」と、答えたのである。

何年か前、トルコに10日間ほど旅行したとき、ガイドさんが語った話を思い出した。
「トルコは7カ国に隣接しています。隣り合っている国で、仲良くしている国なんて絶対にありま
せん。みんな敵です」と、言い放った。なるほど、隣家の下手なピアノの練習の音がうるさい・隣
家のドラ息子のバイクのマフラーの音がうるさい・我が家のきれいな庭の芝生の上で隣家の猫
が糞をしている・犬をむやみに吼えさせるな・木の枝が我が家の庭に侵入しているetc,atc,ある
ある。100Mも離れた家とは喧嘩にならない。

BCのギリシャの盲目の(?)詩人ホメロスが叙事詩で記述した「トロイア戦争」も、後世ではロマン
ティク風に解釈されているようだが、本来はトルコとギリシァの領土問題の戦争であったと、美
人のトルコ人ガイドさんは語った。

あの頃は韓国との竹島問題も、中国との尖閣諸島問題も、争いの種になっていなかった。
なぜだろう?? 現在のニッポンに対しての『妬み』ではないか!!! そして、今の自分たちの政権を
保持する為には「仮想敵国」を作ることが あると私は思う。かつての旧ドイツのヒットラーはユ
ダヤ人から金融界を奪還したかったのだろうと思う。ユダヤ人を抹殺する為に、あらぬ理由を
つけて、・・・・あのような残虐なことに至った。

ハウスの中ではミツバチがイチゴの花の受粉を助けていた。ここのハチミツは、それはそれは
おいしい。
普通、水飴でハチミツを薄めでいる(?)伸ばしているそうだ。だから、此処でも甲州市でも一瓶
が5000円した。孫たちがいちばんおいしい味を知っている。ハチミツの瓶の中身の減り方が早
い。

我が家はエンゲル係数が高い。食費がかさむので、文化的なものには理解がない。余裕がな
いのだ。







2014 4 27 呑み助の仁

今日、私は感動したことがあった。『呑み助の仁』と名づけよう。仁義ではない。

昨日、中学以来の友人に呑み助の仲間にいれてもらい、しばし気分好く過ごした。
そして、結論をいうならば、私は割り勘のお金を友人に払わずに帰宅したのではないか???と。

ふと、夜中になって気づいた。
8時にショート・メールを入れておき、朝、9時半になるのを待って電話をいれた。
「支払うことを忘れて帰宅してしまったのではなかろうか」と、私。

F君という友人は答えた。
「お金はもらったよ。だいじょうぶだよ」「あそこは 安いんだよ」「だいじょうぶだって」と。
「だいじょうぶ」の言葉があやしい。

否、朝 財布の中身を見たら、あまり減ってはいないかった。電車賃の小銭は上着のポケット
に入れて出かけた。チケット購入に、手間取るのはイヤだから。

私は、革の財布だけが入る式の細長いカバンを肩から架けている。その上から上着を羽織
る。
これで絶対に財布やカバンを置き忘れることはない。
しかし、カバンのファスナーを開けて、財布も開けたような記憶もない。「割り勘にしようよ。一
人当たり いくら?? 」と、尋ねた記憶も無い。呑みすぎたので記憶が飛んでいた。

F君は電通マンだった。私は尋ねた。「君は現役の頃、銀座で夜な夜な ほとんど毎晩 呑ん
で、月に幾ら飲み代を支払った?」 と。
「僕は半年払いにしてもらっていた。ボーナス払いさ」と、F君。
「じゃぁ、半年間のツケはどれくらい?  30万くらい??」と、私。
「とんでもない。100万じゃ きかないよ」と、F君。  飲み屋もバーにも縁がなかった私はうなっ
た。
電通マンの胸のバッジは信用である。だが、奥さんの顔が・・・・・

呑み助の『仁』というべきである。呑み会が終った後からは、グシャグシャ請求などはしないの
が、男の正しい呑み助の仁であろう。
私は封筒に5000円入れて、送金した。

そういえば、2年ほど前、F君と私の二人で飲んだときは、F君は私に割り勘金を支払わないで
帰って行った。そのときはF君の方が酩酊していたのだろう。
しかし、私は家内に「彼は、割り勘を払わないで帰っちゃったよ」と、二回もぐちった。


だが、幸い、私も金のことは一切 F君に告げていない。わずかな金で、男がすたる。

巷間、
「与えた恩は忘れて、貰った恩は覚えておけ」という。



2014 4 28 杖

夜中にふと思い出した。
呑み会の割り勘の金を支払わらずに、私は帰ったのではなかろうかと。朝になったら友人に現
金を送金しよう。

そして、杖は?? 杖は持って帰ったのだろうか?? 杖を飲み屋に置いたままにして、帰ったのでは
なかろうかと。
明日、杖を取りに横浜西口の飲み屋まで、再度行かねばならないかと思うと、自分のアホさ加
減に嫌気がした。歳のせいではない。たぶん、呑みすぎたのだ。電車・タクシーと、無事帰着し
たが。

杖はあった。朝、いつもの杖の置き場所に杖はあった。

私は10年ほど前から、電車に乗って行く外出には、財布のほかに杖とステッキを持って出るこ
とにしている。決して電車の席を譲ってもらうのが目的ではない。まだ足はじょうぶだ。
帽子は、歳相応のきちんとした身なりを意識して、鍔(つば)のある帽子を被っている。季節と洋
服に合わせて、帽子はたくさん持っている。
冬は帽子は必需品。そして真夏も忘れてはならない。春秋の今の季節は、それほど必要でも
ないが、店舗の店員さんも帽子をちゃんと被った男性には対応が良いと思う。

杖は5本ある。
昨日の杖は、東北・角館を旅行したとき、観光物産展で求めた『樺材』の杖。1万円支払った。
ケチな私としては大枚で買ったものなので、飲み屋に置き忘れて帰宅したと思ったときは、残
念だった。
たしかに、杖はときには邪魔になる。杖には紐も付けてあるが、孫悟空の如意棒のように短く
なる杖があれば好都合だが。しかし、介護用の杖はまだ持ちたくない。私は、まだオシャレの
気分で杖を持って歩きたいのである。

最初に買った杖は、まだ私が30歳代であった。
東京・調布市の駅前の大型店で買った。なんと、価格は当時で26,000円前後だった。イギリス
製。
『握り部分』を左右に広げて、人口皮革の上にお尻を乗せることができる。疲れたら、途中で一
休みができる。しかし、イギリス人に比べて私は身長も足も短い。多少不安定である。
そしてまた、杖のいちばん下部の金具は部品を交換することができる。杖の先は、常は滑り止
めのゴムであるが、コンクリート舗装ではないイギリスのゴルフ場のような芝生の中に在るとき
は、杖が地面に埋没しないように、約5cmの丸い平らな器具をカチャリとはめると、杖がやわら
かい地面に「もぐり込む」ことが防止できる形になっている。
イギリスでは、私の想像で書いているのだが、現代の日本人のように必死の形相をして、糖尿
病防止の為や、比叡山の『阿闍利様』のように命懸けのように歩くのではなく、郊外のイギリス
人は優雅に里山などを散歩しているのだろうと思う。

今、90歳の姉に私は注意したことがある。外にでるときには杖を携えるようにと。
姉は答えた。「まだ自分はそんな歳ではない」と。
そして門の外で転んで足を骨折。入院→手術→介護施設入居となった。あのころから認知症
になっていたかもしれない。要介護5。

「転ばぬ先の杖」が大切。



2014 4/ 22 彼の国のこと

事故は国内・国外にかかわらず悲惨で痛ましい。
約10日前の韓国・珍島沖の海難事故は修学旅行中の未来ある若い人たちが亡くなったことで
悲しみは更に大きい。
我が国のメディアがその後の毎日を報じている。日を追うごとに、驚くべき新事実が出てくる。

その中で、私はこのように思った。
メディアが強く報じている点は、彼の国の国民性についてである。結論からいえば、彼の国の
人たちは『仁』が無いと私は裁定する。
仁とはなんぞや?  
私に、深く仁の解説や分析はできないまでも、仁や礼とは、気高い心・自分以外を篤く遇する
心だと思う。「崇高」(すうこう)などの語彙は、彼の国の辞典にはなかろうと思う。儒教はあった
はずだが。

我先に、ましてや、船長や乗組員が乗客を見捨てて、救命胴衣をつけ、ボートに乗り移ったこ
とは言語道断。彼の国の人々の中にさえ、再教育の必要性を言いだす人が出てきたらしい。
受験勉強だけが教育ではない。しかし、心の教育は100年経過して変化するだろうか??

メディアは、このように言いたいのではなかろうか!!! 「あの国の人たちを見てご覧なさい。あさ
ましき様子を!!! いつまでも昔のことを蒸し返して、反日感情を煽っているが、我々、日本国民
は気高い心があるではないか!! 」と。

三年前の東北震災のときも、我が国では騒乱は皆無だった。コンビニ店は無料で窮乏した
人々に無償で品物を配布した。そして後日 ほとんどの人は支払ったと聞く。
老婆が救援の自衛隊機に乗せてもらう様子は、脳裏に残っている。あのようなパニック状態の
中でも深々と老婆は礼をしながら。

彼の国の葬儀のときの「泣き女」を雇う風習も、私には理解できない。
そして、耳を覆いたくなるような、あの怒号!!!! テレビの韓流ドラマなぞ、輸入しないでほしい。ま
るで常に喧嘩腰である。

竹島の件の解決は政治家に任せるとして、私は西ノ島新島に期待している。早く大きくなぁれと
応援している。ニキビやおできでは困るが、四国か九州ぐらいになることを願っている。10年経
って朝鮮半島よりも大きくなったらお祝いをしようではないか!!!!!
そして、竹島ではなく、「梅島」と名づけよう。松島は もう あるから。






2014 4 9 ささやかな旅

一昨日の水曜日、久しぶりにカミサンと日帰り小旅行をしてきた。思いつきの、目的もない、な
んということのない、たわいないドライブでも、「とても楽しかったわ」と、なんども言ってくれたの
が嬉しい。
「春に三日の晴れ間なし」といわれるように、春の嵐や・桜散らしの合間の好天は、その朝にな
ってみないとわからない。
「でかけようか??!!」「行こっ、行こっ!! 口紅だけぬって、すぐ行くから車のとこで待ってて」で、20
秒後には車を走らせていた。66歳の化粧は超早い。京都の舞妓さんもびっくり。水曜日は縮緬
教室も休日だ。

が、「娘たちの所に、○○を持っていってやればよかったわぁ」の一声で、ETC,に入る前にユー
ターンした。
「いやいや、ボクも、カシオの電子ピアノのケースを持ってくればよかったなぁと思っていたとこ
ろなんだよ」と、アマゾンで取り寄せた品を車に積むことを忘れていた。
「また家に戻ってもらって、悪いわねえ」「いいよ、いいよ。悪くなんかないよ」と、旅行の出発時
点では、誰もが機嫌が好い。問題は、帰宅の最後まで、この機嫌が継続するかが問題だ。
10分の無駄時間経過の後、再出発!!! 
やはり玄関の鍵は架けておくことにした。葉山のような田舎町は不良外国人は皆無。平穏な
町。しかし、2Fには息子のお嫁さんが寝ているはず。再出発!! 玄関のチャイムは2Fまで聴こえ
ないらしい。嫁は、夜は遅くまで子供たちの勉強の相手をしている。朝も早くから起床。なるべ
く、休めるときは休むようにと告げている。

そんなこんなで、仕切りなおしの再出発!!!
東京湾横断の「アクアラング」の『海ほたる』のレストランまで30分。ちょっと休憩。。「春休みの
期間は大混雑でしたよ」とは、店員さんの言。そうだろう そうだろう、旅行は平日の快晴が好
い。周りの客は恋人同士のような若者ばかり。後期高齢者夫婦は見当たらない。東京湾の 
ど真ん中でコーヒーを飲むことの不思議さ。

房総半島に乗り入れた。さぁ、ここからが千葉県だが、千葉の何処に行こうか?? 無計画。気の
向くままに出発したので、コンビニで地図を求め、外房の勝浦まで、ナビを再セット。房総半島
はさすがに大きい。我が三浦半島とは比較にならない。高速道路を降りると、がらりと車両の
数は減った。何処まで走っても貸切道路状態だ。前後に車がいない。田舎道。気分爽快。カミ
サンは大ごきげん!!「ワタシ、こうゆう田園風景の所に住みたいわ」を連発。山あり水田あり川
あり。桜が満開。黄色いレンギョウの花も今が盛り。桃の花の色も濃い。
途中、警察官たちの姿が4?5人・・・。反対側車線で、速度取締りをしていたのだ。あっ、いたい
た。道よりも一段下の所に椅子に座って耳にトランシーバーをつけたおまわりの姿が見えた。
「いやぁ、ごくろうさん」と通過。

勝浦の海に出る前の和風食事処で、ワタシは鯛の刺身定食1500円を注文。それが、まったく
旨くなかった。鯛は刺身の中では好きな方だが、確かに鯛の身には間違いないが、鯛の旨味
がない。

往路は のんびりと走ったが、復路は頑張って走ると宣言。ちょっとスピードを上げた。往路で
のスピード違反取締りのことを、すっかり忘れていた。前方から走って来た一台の車が、ピカッ
ピカッとライト点滅。「この先で、違反取り締まりを、やっているぞぅ」の合図である。あっ、と思っ
て、減速、危なかった!! 
昔はワタシもこの合図をしてやったものだが、神奈川県内のように車両の数が多い地では、速
度違反取締りをしたら、車の洪水状態になること必至。近年は、都会では警察官も諦めている
ようだ。

「イチゴ街道」と称している辺りでイチゴを買う。超安い。苺のビニールハウスが沢山。食用とジ
ャム用を求めた。1000円で、スーパーで売っているプラスチック容器の8個ぶんだ。栃乙女ブラ
ンドのような4cmも5cmもの大きさではないが、じゅうぶん食用に値するイチゴ。3000円ぶんを
求めた。お土産品は娘たちと3軒ぶんが必要。
長女は大喜びして、「明日は仕事が休みだからジャム造りをする」と。一家は4人だから、次女
宅よりも量が必要
「道の駅」で求めた、芽タケノコは皮付きのまま、ゆでる。そして天麩羅で食べた。細い蕗(ふき)
は やわらかい。
ジャムもその夜の中に煮た。旅の楽しみは「道の駅」での買い物。山菜採りに行って、道の駅
で地元の人たちが出荷しているらしい。
次女は物が増えることを好まない。せっかく持参したカシオの電子ピアノのケースも、公文の英
語の童謡CDの点検もしない。後々になつて感謝するか。親の小言は冷酒のように、親が死ん
だのち 効くという。

ワタシは、朝から夜まで、交代なしで運転した。まだ大丈夫のようだ。今年になって、初めての
旅であった。




2014 4/21 我ら クラッシック・カー

結婚して何年も経ってから「あのときは変な人だなぁと思った」と私に告げたことがある。
なにかというと、「お手洗い だいじょうぶ??」と、ドライブ中に、相手を気遣って私がたびたび聞
いたことに対してである。
誰に対してかというならば、もちろん今の家内に対してであった。女性はカミサン以外 知らな
い。第一回目が「即決!!完了!!」。(私のヤフオクはオークションは無い。即決のみ)    
無駄金は一銭も使わなかったともいえる。親が勧めたので、承諾した。早い判断 長い後悔と
は言わないまでも、ときどきは「もっと好く考えればよかったか」と思うときが春夏秋冬・年に4回
はあるが。

女性が自分から「トイレに行きたいんですけど」とか「トイレ休憩をしてくれません??」とは、結婚
前の間柄では言いにくいだろうと思う私のやさしい心づかいを、何年も経ってから「変な人だと
思った」とは無礼千万!! 江戸時代ならばお手討に値する。
22歳で家内は結婚したから、まだ頻尿ではなかった。

バス旅行で困るのは頻尿の人であろう。
添乗員はたびたびのトイレ休憩を取ってくれた。O君は、そのつどトイレに行った。
「さっき行ったばかりじゃん」と、最初は「変だなぁ」と思っていたが、そうか、歳のせいで頻尿状
態になったことを理解した。
『重役病』とも言われる。役員や社長になる年頃になると、この傾向が現われることがある。男
性用器の前で、ウンウンうなりながら排尿する人もいるらしい。なかなか出ない人もいるらし
い。出たと思ったら またすぐ行きたくなるらしい。残尿感に悩まされるらしい。『前立腺肥大』で
あろうと思うが、デリケートな問題だから友人でも言い難い。他の二人の友人たちとも心配し
た。しかし、直接には言いにくい。
H君は「会社の先輩で、そうゆう人がいて、細いパイプ状になっているカテーテルのようなもの
を自分で挿入して、自分で排出させる治療法があるよ」と私に言った。

O君は一昨年のヘルニア手術後、まだ痛みが残っているというから、またもや 身体にメスを
入れることは好まないだろう。しかし、売薬に頼れるような症状ではない。外科的処置が必要
だと私は思う。腎盂炎や腎臓に影響が出てきては大変。

他方、F君はといえば、「一年ほど前から 食べたものの味がしない」と私に告げた。
これは簡単。医者へ行けば良薬がある。味覚欠乏症。黒ゴマ・レバー・海草・牡蠣・ウナギ・ア
ーモンド・カシューナッツなどが予防の為の食品。命にかかわる病気ではないが、せっかくなら
ば美味しく食べたいものである。


加齢とともに、いろいろと出てくるのは当然。
ポンコツ・カーといわないでクラッシック・カーと呼んでほしい。

朝、目覚めて、うぅーんと 伸びをして、痛いところが無いのはありがたい。



2014 4/21 観桜バス旅行

バス・ツアー旅行は中華のコース料理と類似しているという新事実を発見をした。
双方の客は低料金で、価格以上を期待する。それゆえ、共に業者はきれいな写真の宣伝パン
フレットを用意している。旅行案内写真のすべては、抜けるような青空である。冬でも、寒い霙
まじりの雨降りに傘をさしている様子の写真はない。湿度のない地中海の大空を彷彿とさせる
青空。だから行ってみたくなる。
中華料理の前菜は、ほとんどがクラゲで始まる。あるいは細切れの牛肉とピーマンのあえた
物。カシューナッツがパラパラ。

卒業して50年。古希も過ぎた男が四人。小中高の私立校の良い点である。まだ仲良く付き合っ
ている。
一昨日の「信州上田城の観桜」からスタートした。これが、いわば前菜。
今にも降ってやるぞといわんばかりの曇り空。寒いなんてもんじゃない。花冷え。まさかダウン
のコートなぞ、不用と思って出かけたが、あれば良かったと思っても後の祭り。真田幸村親子
の城は平城(ひらじろ)。山城ではない。しかし徳川家康は二度 攻略したが落とすことは不可
だったと、土地のボランティアガイドさんは自慢げに。
観桜が目的の旅行の日程予約選択はむつかしい。小林一茶の俳句に「日本は入り口から桜
かな」という句があるが、信州と甲斐の国は大正解であった。桜に堪能した。

松代城跡の桜も満開であったが、私たち二台のバスの観光客以外、人っ子一人いない。理由
は寒さ。そして、鑑賞すべきものもなし。松代は戦中の末期に於いて、旧陸軍の一部が国家中
枢移転を計画。天皇を擁して最後まで戦うことを目的とした地。大地下坑道跡があることで有
名。松代群発地震も記憶にある。
中華のコース料理のタマゴ入りスープか フカヒレのスープ、もしくは冷肉。

武田信玄と上杉謙信の川中島の決戦の地は大いに期待していたが、寒さとなんにもないこと
にガッカリ。
『つわものどもの夢のあと』さえ、無かった。しかし、市民にとっては 格好のお花見スポットで
あろう。小学生や幼稚園生たちの遠足地としては絶好の地だと思った。
中華饅頭か、「なんで?? もう、チャーハンが出てきたの?? 」といったところ。

高田城跡の夜桜見物も、サービス過剰といったところ。「早くホテルに入って温泉の湯であたた
まりたいよ」の気分。ライト・アップと聞いていたが、雪洞(ぼんぼり)の灯りだけ。寒い。

翌日の天気は快晴!!!!!! 気温も暖かく、添乗員は名誉挽回・起死回生した気分であろう。
高遠城跡の桜は、青空の下 すばらしかった。ここは日本人ならば必見の桜である。桜の三大
スポットに加える価値あり。私は三沢の滝さくら・山梨県の神代さくら・小岩井牧場の一本さく
ら・青森県弘前城の桜は鑑賞する機会は得たが、高遠の桜は初めてであった。このあとは、
岐阜県の「薄墨のさくら」とやらも、可能であるならば観てみたい。
土曜日でもあったため、たいへんな人出。此処は町の大きな財産であろう。花が金を産む。ま
さに花咲か爺さんの童話の世界である。だが地の利が悪いのが唯一の欠点。自家用車で訪
れると、遠距離の登り坂を歩かねばならないが、観光バスは駐車場も優先されていて大満足。
バスの乗客は約45人がその地に金を落とすが、乗用車は4-5人。  北京ダッグか豚の丸焼
きか鯉の甘揚げか。今回のメイン。

サプライズがあった。バス内の私たちの席の前や後になった女性2人が、バスを降りてからも
私たちと行動を共にした。ついて来たのだ。いやいや、ほんとうの話。野外での昼食弁当も共
にした。満開の桜の下でシートを敷き、土の上に座って食事をした。このような図式は小学生
以来。理由は、私たちのバス内での会話を聞いていて「安心なオジ様たちだと思った」と言っ
た。横須賀市と平塚市に住んでいる女性だった。うぅーん、4人とも古希なので人畜無害という
わけか。だが、会話やムードは更に盛り上がった。せめて30年前であったならば・・・。むろん、
携帯番号の交換も、名前も聞かない。私たちは暁星ボーイだ。紳士である。白髪混じりではな
く、ほとんど97%白髪の・バテレン頭だ。「50歳代じゃない? いやいや60歳には入っていると思う
よ」と、別れてから言い合った。まっ、どうでもいいけどね。
無事、横浜駅に帰着。反省会ならぬ「お名残り会」として晩飯と晩酌に一時間半。再会を約して
散会。




2014 3/31 「礼の日の集まり」

昨日の日曜日は春の嵐。桜が咲くと、皮肉にも嵐は毎年のようにやってくる。

その中、我が家でささやかなパーティーを開いた。タイトルは同居・内孫男児の中学卒業祝い
と、その下の孫たち三人の進級の祝いという趣旨。(新六年生二人と新四年生一名)
横浜・三ツ沢公園傍に住む長女の家族も当然参加。

兄弟や親戚が親しく集まることは有意義で大切であることを、私は家内の実家の集まりで初め
て知った。家内の父方の兄弟は三人いた。うち、男性(弟さんは戦死)。他、二人は女性で当然
 嫁いでいた。
母方の方は九人の兄弟。
それぞれが「正月礼」と「盆礼」というのを恒例とする。正月とお盆には、男も女も実家に集ま
る。
お盆は墓参が主目的。その後は、正月もお盆も宴会となる。飲み食いする。

こうゆう慣わしが京都の丹後地方にはまだある。全国のいたるところにもあるだろう。
来客の、嫁いだ女性たちはそれぞれに夫と子どもたちを連れてやって来る。今は自動車で来
るが、その昔は汽車やバスで来訪したので、時間も気分もゆったりと流れていて、二泊も三泊
もしたという。主婦は三度の食事の接待から布団の用意と始末に奔走した。風呂にも入る。田
舎の家は大きいから気にはならないというものの、主人公である長男は費用も考慮しなければ
ならない。ケチなことをしては笑い者になる。
総勢が30人余になった。冬は大皿に盛れるだけのカニ料理などを出して振舞う。来客もかなら
ず手土産を持参する。従姉妹・従兄弟たちはこの集まりを楽しみにした。親しみと結束は強くな
る。

私の幼児期は、こうゆう集まりは無かった。経験もない。京都市内から都落ちのように、戦中
の強制立ち退きで、丹後の宮津市という田舎町に両親と共に行った。親戚は誰一人いなかっ
た。

来客は玄関から上がると、ものも言わずに、まずは仏壇に線香に火をつけ、揚げる。チンとお
鈴を鳴らして、次にはその奥さんが同じ態をする。そして、子どもたちが従い、同じ行動をとる。
それからが挨拶。その家の当主(父・義父・母・義母・兄・義兄)から長男→長女へと続く。
そしていよいよ、血のつながっていない私にも(長女の婿殿)に挨拶の順番がやってくる。この
順番はきれいに守られている。はずれがない。外したら たいへん。私の子どもたちへまで、
挨拶はある。

当初はおかしな風習だと思った。
しかし、過ぎた半年間の出来事を会話し、孫が生まれただの・誰が卒業or入学しただの・誰が
結婚したとか、話題には事欠かない。小さな郡内のことは即 ニュースになる。だから、この集
まりに参加できないような恥ずべき行為は許されない。自慢話は好い。身内の自慢だから。

昨晩九時すぎ、娘たち夫婦と二人の孫たちも喜んで帰って行った。この慣わしは、我が家の息
子は既に理解を示している。妹たち三人が、いつでも気分好く来られるようにと、心得ている。
嫁も惜しみなく、良くしてくれる。
昔から家内はこの中で育ち、見聞きしているから「30人分ぐらいの食事は なんでもない」と言
う。

今日は3月31日。家内の弟が定年退職。千葉市から東名高速道路を西に向かって走っている
最中。持田製薬の役員だった。半年前から田舎の家をリフォームして明日から大きな家に夫
婦二人だけで住む。子どもがいないから、義弟の妻である義妹は、田舎の習慣をまったく知ら
ない上、童女のように「できなぁ~~い・しらなぁ~い」と答える女。が、ゴルフはうまいらしい。田舎
で女がゴルフの話をしたら、「村八分」になるかもしれない。




2014 4 17 保育園での2週間経過

「とんでもない」「とんでもなく」の語彙を国語辞典で調べてみると、形容詞であって、思いもかけ
ない・意外だ・とほうもない、などとの説明がある。大方は否定的に使用される言葉である。

娘の産前産後の休暇が終了して、4月1日から仕事に復帰した。生後10ヶ月で子どもは保育園
でお世話になり始めた。かわいそうだとも思ったが、甘やかして育てるよりも、周りの環境の変
化によって成長することを期待する気持ちに私たち爺と婆も切り替えることにした。

朝もいちばん早くから登園して、降園もいちばん遅い。多くの母親たちはそのようにして育児し
た。

保育士さんの誰が言ったか「とんでもなく集中力がある」「とんでもない集中力である」と。
童話の本を読んでもらっているときの孫の様子である。
そして「本を自分でめくれる」ことにも保育士さんは驚いた様子。幼児の本は、すべて左ページ
をめくる。

孫の母親である次女も幼児のとき(2歳前後)、ソニーの創立者・井深 大氏が設立した「財団法
人幼児開発」に、2年間ではあったがお世話になった。家内の体調の悪いとき、私が家内の代
わりに2度だけ次女を連れて行ったことがある。(いちばん遠距離から通っていた親子は、小田
原市から横浜まで)  
全員が一歳半から三歳までの幼児たちは「母親から離れることができない子or 走り回る子」が
 ほとんど。娘だけが、じっと椅子に座って本を聴いていた。騒がしくて聴こえない中、椅子から
立ち上がって中腰の姿勢で聴いていた。私はその姿を見て「やったぜぇ!!!」と、ほくそ笑んだ。

今、孫は、大人風に表現するならば「擬音に嵌まって」いる。幼児風に言うならば「擬音が好き
になった」。母親は「擬音をおもしろがる子に、擬音のさまざまを教えて」いるのである。
「花火がバンバン」「水がピシャピシャ」「トラックがブーブー」「雨がジャージャー」などと言うと、
孫はキャキャと声をたてて笑うという。
私はそれを聞いて不思議に思い、どうしてだろうとも、想い巡らしている。

今、伝い歩きの状態。まもなくハイハイして、そして歩行もできるようになるだろう。
友だち遊びもできるようになるだろう。積み木遊びなどもするようになるだろう。

冬季は寒くて、かわいそう。娘は車の運転ができないから、バギーや自転車での登園降園。
雨の日もある。爺や婆の私たちがもう少し近くの住いであるならばと思う。
我が家の近所の人も、首都高速道の会社を退職後、爺さんが隣町に住む娘さんの子を、朝に
夕に送り迎えをしていた。「たいへんだなぁ」と思うのは他人だけで、「孫がいるからこそ、この
楽しみができるのだ」  (この四月から、学校に入学したようだ)

家内は二人の娘たちに常々告げている。「子どもはすぐに大きくなる。今を楽しんで育児をしな
さい」と。

私は二所帯住宅のおかげで、2度の人生を味わわせてもらっていると思っている。
その中、心配事にも遭遇するだろうが。





2014 4/5 中国語 イタリア語

タケノコご飯を作って娘たちの家に届けた。初物は(旬の食物)は10年 命が伸びるという。
タケノコは雌竹がおいしい。雄タケノコは硬い。

近くの葉山カントリークラブ・ゴルフ場の下の斜面に竹林を所有している方から毎年 100kgは
買う。
顧客様や、ちりめん細工教室の方々が待っている。家内の茶道の社中の人たちも待ってい
る。

私はタケノコよりも孫の顔を見るのが楽しみ。

次女は一年間の産前・産後の休暇が終って4月3日から仕事に復帰した。
ちょうどただ今 世間は理化学研究所のニュースで大騒ぎ。「大迷惑だわ」と、娘は言う。私は
ノーコメント。話題に入れるほどの知識がない。

帰る間際、孫のおもしろい様子を見ることができた。
ご披露してみよう。
孫に離乳食を食べさせていた。
娘が「おもしろいのよ」と言いながら、「好吃!!」と言った。するとどうだろう。孫がゲラゲラ笑うで
はないか。ハウチと発音する。
中国語で「おいしい」という意味らしい。何回やっても笑う。3回も4回も笑う。

次に娘は「E bello.」と言った。すると またまた ゲラゲラ大笑いするではないか。イタリア語で
「おいしい・うまい」の意味らしい。何度やっても笑う。

娘は中国語やイタリア語が話せるわけではない。会社には世界中から研究者が来日している
から、多少の片言ぐらいは習得しているかもしれないが、会社内の共通語はすべて英語であ
る。
 ところが英語の「It is delicious.」と言っても笑わない。 「どうやら長い文章はダメみたい」と娘は
言う。

帰り道の途中、私は運転しながら考えていた。なんでだろう?? 
中国語やイタリア語に興味があるとは思えない。まだ孫は10ヶ月目に入ったばかりである。

結論として、仮説を立ててみた。
娘は、いつもゆっくりと会話する。昔からそうだ。考え考え ゆっくりと話す。あわてない。
だから・・・・もしかすると、孫は母親の話す言葉をほとんど理解しているのではないかと。日本
語は分っていても自分ではまだ話すことができない。
そこへ、聞いたこともない変な言葉を急に耳にしたので、孫は笑った???? ・・・・のではないかと
想像してみた。????
孫に確認することはできないが。

子どもは生後 何ヶ月ごろから話すことができただろう。ママやパパやブーブーやワンワンな
ど。
そして二文語になる。「これ イヤ」「風呂 きらい」とか。

そういえば、加齢になると男も「風呂 飯 寝る」の「三文語旦那」が増えるという。
これを還暦というのか。赤ちゃん返りというのか。





2014 4 13 孫の友だちの話

この春、高校一年生に進学した孫が、入学式のあった日の夕方、「さっそく新しい友だちができ
た」と言った。
「ふぅーん、よかったねぇ」とだけ答えたが、私の内心は「まだ、気心がわからないうちは、30%
の付き合いにしておきなさいよ」と、言いたかったが、むろん、そんな余計な老人の悪知恵のよ
うなことは言わない。自分の友だちのことを悪く言われたら、この年頃の子はいちばん腹がた
つ。ワタシにも経験がある。

田舎に住んでいた頃のこと、母の友人で親しい方が「あの子さんとは、付き合いしないほうがい
い」と、アドバイスをくれた。その方は、私の某・昔の友人の近所の人で、近所での悪評を心配
して注意してくれたのであった。ワタシは彼の、そのような悪癖のあることを学校内だけではわ
からなかった。唯、彼が激怒すると、顔を真っ赤にして、教師にでも食ってかかる態度を見てい
た。
結局、彼は30歳代か40歳代になって、自分の奥さんを日本刀で切りつけ、長い刑務所入り。
もう一人いた。彼のオヤジさんは刑務所の「典獄」(古い言葉で、刑務官のこと)が 職業という
家庭だった。小さい頃から悪で悪で、どうしょうもないという評判だったが、近所でもないし、同
じクラスでもなくきたので、そのときは彼の悪癖がわからなかった。某日、彼は「あそこの本屋
で、ちょっと盗んでくる」と言って、ほんとうに万引きしてきた。ワタシはびっくりした。彼が捕まら
なくてよかった。捕まっていたら、いっしょにいたワタシも、どうなっていたか・・・。東京の中学に
入った私に、恥ずかしい漫画絵入りの手紙を一度貰ったが、学校が変わり、交際が切れて、
ほっとしている。寮では手紙はすべて舎監が検閲した。

昨日の日曜日の午後、孫の友人たちが7人きた。元の中学校の友人たちである。卒業して、そ
れぞれが新しい高校に入り、話したいことがいっぱいあったのだろう。きっと、我先に新しい出
来事を語りあったに違いない。

一つ、たいへん感心したことがあった。それぞれが6時の時報とともに帰った後、私がトイレに
入ったら、トイレット・ペーパー切断器に紙が三角形に折って、挟んであった。私はびっくりし
た。女の子ではなく来客は全員男児であった。女の子でも高校一年生では希少ではなかろう
か。
私は孫に「階下のトイレを最後に使った子の名前はわかる?」と、尋ねた。そして、その子の家
庭教育のすばらしさに感嘆した。そして、男児孫と四月から小学6年生になる女児孫に力説し
た。
女児孫は「よその家のトイレを借りたときは、たまにやっているよ」と答えたが、私がトイレの紙
を、そのようにすることが次に使う人の為になり、それが礼儀であることを知ったのは、はずか
しながら40歳代だった。我が家の3人のおんな子たちが小学校からお世話になった鎌倉の清
泉小学校で、「トイレの使い方指導」で、初めて知った。使う紙の長さは手の指先から自分の腕
の肘まででということであった。
孫たちの母親(嫁)にも翌朝、告げた。嫁は「○○君は電話の会話も、まるで塾の先生かと間違
うくらい礼儀正しいんです。玄関で靴を脱いだら、彼は靴を揃え直しています」とのこと。なるほ
ど。
私は、彼の母親に「オジイサンが感心していました」の旨を、電話での機会があれば告げるよ
うにと。
 
「朱に交われば」の格言は昔も今も変わりがない。「親の苦言とナスビの花は、千に一つのア
ダがない」も、私の親から耳がタコになるほど聞かされた言葉である。
孫は、昨日は午前中からスーパー・ダイエーに行った。友だちと約束し、嬉しそうに出かけて行
った。何が目的?? などとは爺さんは聞かない。親が許可しているはず。
そのうち、足は横浜西口界隈にも伸びるだろう。そうなると心配・・・・・
孫も人生を失敗しないで渡って欲しい。



2014 4/1 孫の家事

なるべく男児孫に用を言いつけることにしている。特に今は春休み中だ。
朝から好きでもない勉強をやらされている。

「一成君、手を貸してくれる? ちょっと こっちへ来てくれる?」と、部屋で勉強(?)している孫を呼
んだ。嫁はいない。嫁がいたら「オジイサン、勉強の邪魔をしないで下さい」と言われるかもし
れない。口に出して言わないまでも、顔に出るだろう。
頭の良くない子どもに無理強いして、やらせることはないと思うが、もちろん そのようなことは
嫁には言わない。先日も、孫が勉強をしている姿を見ていたが、アクビばかりしていた。そして
親が来る気配がすると、教科書の下に本をさっと隠していた。漫画ではないが、小説のようだ。
むろん、そうゆうことも私は絶対に孫の親には言わない。「武士の情け」である。男同士の友情
かな。

で、何をやらせようかというと、リビングルームの蛍光灯の一本が、チカチカしていた。
三日前、カミサンが蛍光灯を指指しながら独り言のように言っていた。カミサンは、そうゆうこと
を私に「お願いします。取り替えて下さい」とは言わない。「もう、ダメみたいねぇ。あの蛍光
灯・・」とだけ言う。その一言で私が察して、行動に移らなければならない。

孫は「ウン、いいよ」と言いながら、蛍光灯の下に椅子を持ってきて、気楽に替えた。
蛍光灯の管を両手でくるっと回して外すことを知っているのかな、と思って見ていたが、心得て
いた。以前にも何度もやらせていたのだった。

「この家は、ぜーんぶ 一成君のものになるんだからね」の言葉に「ウン、ありがとう」と孫は答
えた。
かなり先の先の話なんだけど。

「男は、できるだけ なんでも自分でやらなければならないんだよ」と、付け加えた。




2014 3/29 荒れない中学生

「荒れる中学生じゃないの?」と、不審がられるかもしれない。ところが本当に「荒れない中学
生」たちであった。
早いもので たちまち三年間が過ぎ、我が家の同居・男児孫が中学校を卒業した。荒れるどこ
ろか、泣きの涙の卒業式だったと、帰宅後の孫の母親からの報告であった。担任の男性教師
は芳紀27とか。感情豊かな若い教師のようだ。オイオイと、生徒父兄の前もはばからず、男泣
きだったとか。生徒も父兄も滂沱の涙。

先生たちに恵まれた三年間。
去年の秋の運動会では孫たちのクラスが優勝した。
各学年は3クラスあって、一年から三年までは総数が9クラスある。その中で三年生の孫のクラ
スが総合点が一位。
そのときも担任教師は嬉泣きしたという。孫は陸上部100mの短距離専門だから、がんばっ
た。800mリレーでは2人抜いたという。勉強は得手ではないが、走るのは得意らしい。だがチー
タには負けるだろう。走ることなど いいかげんにしておいたほうがよい。

夏休み中、先生のポケット・マネーでバーベキュー大会もあった。母親たちも手作りの料理を
持参した。これも楽しかったようだ。
「どうだった?」と尋ねると、「ウン、楽しかった」としか答えない。もうちょっと具体的に説明しろよ
と、言いたいところだが、大体に口数が少ない。

昨日は英語塾の、お別れ会だった。孫の母親はマヒーとかいう焼き菓子を作り、孫に持たせ
た。
女子が3人で、男子生徒は孫が一人。
ここの先生にも 好くしていただいた。

「かわいい子 なんていないの?」と、聞こうかと思ったが止めておいた。爺ジが余計なことを聞く
こともないか。まだまだ先は長い。早くから女の子に うつつを抜かしているようでは・・・
それにしても女っ気がないなぁ。三年間 我が家に遊びに来た子は男児ばかりだった。

まっ、いいか。




2014 4 11 義弟義妹の帰郷

四月一日に義弟夫婦が定年退職し、帰郷して約十日がたった。しばらくの間、いちばん嬉しい
ことは朝寝ができることだろう。だが、義弟はあいかわらず、朝四時に起きるらしい。村中を散
歩しているらしい。今は朝もや・朝霧の季節。しばらくして家に入り、再び まどろむらしい。これ
ぞ幸せ。

親戚の家々を挨拶回り。毎日のように友人たちが訪れるという。35年---36年ぶり。
半年前から家をリフォームしていた。

と、もう やることはない。(?????)

義弟の妻(義妹)は、夫よりも年上女房である。我がカミサンよりも年嵩である。しかし、童女の
ように素直で、心やさしい。人の言うひとをなんでも信じる。疑うことを知らない。
電話でも、我がカミサンのことを「おねえさん おねえさん」と、なんでも喋る。

義妹は天涯孤独の身。戦後の引き上げ船の中で、実母は亡くなった。九州の叔母さん(実母の
妹)が教師をして、九州で義妹を育てた。父親は満州(?)で 既に死亡。

縁あって、義弟と夫婦になった。義妹のその後は幸せであった。
義弟は序所にサラリーマンとして立身し、某・製薬会社の役員にまで成った。同族会社の某製
薬会社の、創業以来 初めての血族外の役員となった。創業者の息子・現・社長は義弟の か
つての部下であった。60歳で辞めると宣言していたが、5年間も辞めさせてもらえなかったが、
ようやく退職。
義妹は金銭的に不自由をした経験はない。子供がいないから出銭がない。夫は口うるさくな
い。妻の好きにさせていた。義妹の趣味は夫とゴルフに行くくらいだ。洋服はバーバリー一色
で、高島屋デパートから「新作が入荷しました」との電話があれば、転勤で各地に住んだが、い
ずこの高島屋にでも出かけて行ったらしい。最後に住んでいたのは千葉県船橋市だったから、
船橋から横浜の高島屋まで、わざわざ出かけて行ったという。暇なんだから、好きにすればよ
い。

夫の出勤は超早い。コーヒーを一杯飲むだけ。まだ妻はベッドの中。本社は東京。
7時にはデスクに就いているのが常。各新聞に目を通して社員の出勤を待つ。
夜もほとんど家では食べることがない。ゴミが出ない。まな板も包丁も いらないと言う。

こんな生活に終止符を打ち、とうとうやって来ました・・虫のいる地!!!! 家の周囲は田んぼ。
ゴキブリ・蜘蛛・トカゲ・蚊・カエル・イモリ・蛾・ヤモリ・蛇・ムカデ・etc,  なんでもいる。
昨日、彼女は絶叫した!!! 「おばさん 来て来て来て」 電話した。おばさんは息をきらして来た。
おばさんとは家内の実家の分家の奥さんで齢80。カメムシだった!!!!! カメムシは 哀れおばさ
んの素手に捉まれ、ポイと窓の外に投げられた。
昨晩は貂(テン)が出没したという。おばさんの言では毎晩だとか。狐 狸 イノシシなど珍しくも
ないと言う。しかし、黙っていたと。
5月の連休はカミサンと末娘が丹後の実家に様子を見に行く予定。交通費は末娘が負担。カミ
サンは今からウキウキしている。「おねえさん 来て ご馳走作ってぇ」と。「いいわよぅ。なんで
も作ってあげるわ」の驚きの電話会話。義妹は車の運転もできない。陸の孤島。店舗も遠い。
犬も猫も さわれない。近くに来たら悲鳴をあげている。動くものは、人間以外 ぜんぶダメ。
義弟は、あれの何処が好くて結婚したのだろう??? 



 おじいさんの古時計

時計の振り子が大きく揺れ動くのを見ながら、私は昔を思い出していた。
40年も昔になるだろうか、亡兄が京都の四条大宮・交差点の近くに五階建のビルを建てた。鉄
筋ビルというよりも借金ビルだった。無理算段をして建てたらしい。
「旨く行くだろう」という当ては外れた。「当てとフンドシは 向こうから外れる」という。数年後、金
融バブルが水泡に消える時代がやってきた。親亀の主取引先が倒れると、背中に乗っていた
小亀も こけた。

私は高さ1m80cmの振り子時計をビルの新築祝いに贈った。私もかなり無理をしてその時計を
プレゼントした。当時で10万円した。本当はプレゼントなどしたくはなかった。意地と見栄で贈っ
たのだ。
その理由は、兄は私から、100坪の土地を奪い取ったのだ。景気が悪化し、借金の抵当にし
て、銀行に取られた。私の知らぬ間のことだった。
某・顧客様が、私が両親を丹後の田舎から引き取って一緒に暮らしたいという話を聴いて、「そ
れでは私が安い金額で150坪の土地を提供してあげましょう」と、「昭和25年の農地改革で政府
に一旦預けた土地が逗子の神武寺駅のすぐ傍にある。その土地を当時のままの価格で売っ
てあげましょう」と申し出てくれた。「但し、五人の小作人さんたちの、土地放棄書類を作成して
同意の印鑑を集めてきなさい」とも言われた。これはなかなか困難なことだったが、まだ30歳
の若さで、ファイトはいつも満々の私は、4人の同意書にサインをして貰った。ただ、あと一人は
手放すことを拒否した。しかし100坪あれば十分だと思い、広い家を建てた。但し、頭金の100
万円しか手持ちが無かったので、兄の会社の社員だった私は毎月の給料とボーナスから引き
落とす約束で決行した。100坪の土地が15万円。真実である!!! 新築家屋は650万だったが、兄
が立替てくれた。但し、兄の会社の社員寮という名義にされた。広い芝生付きの桂離宮を真似
して、建物は三段の『雁行』の形にした。東南に面した・角地の・駅まで2分の、良い場所だっ
た。日照満点!!!
某・顧客様は裕福な方で、ロータリークラブの会長たちの、その上の会長・ガバナー役を勤め
る人であった。また、某銀行の理事の一人でもあり、名詞には肩書きが連ねてあった。横須
賀・三笠カトリックの教会の代表でもあった。本業は、慶応大・経済卒でありながらキリンビー
ルの特約店の卸業。長女さんの婿は北総鉄道・初代総裁。次女さんの婿は慶応大・数学教
授。長男さんは防衛大学校の教授という、あまり金銭には頓着しない学閥系の一族だった。美
髯を蓄えた紳士だった。私は幸いに、たくさん着物のご贔屓になった。

こうゆう経緯の下、前置きが長くなったが、何故 振り子時計が戻ってきたかというと、15年余
前、亡兄の次男の妻が病気(癌)になり、滋賀県草津市まで見舞いに行ったとき、振り子時計が
小さな家の階段の下に置かれ、邪魔者扱いにされているように見えた。そして、「もしも、邪魔
だったら、叔父サンに引き取らせてくれ。送料着払いで良いから。あのビルも今は無いのだか
ら」と電話で相談した。
正月の三日、大きな時計が到着した。時計はロンドンのビッグ・ベンの音色の外、あと二つの
有名な音色がインプットされていて、15分おきに、きれいな音色を告げている。私はロンドンに
行ったことがないが、この音色は何処かで聞いたことがある。いつも聴いていた音だ。何処か
の学校のチャイム音である。時計は無傷できれいなままだった。

これらの経緯を、家内はじめ、息子や嫁や男児孫にも話した。そして「オジイサンの古時計」の
楽譜を買ってきて、今 ピアノで練習している。
《♪ 100年 休まず チクタク チクタク ♪ 今は もう 動かない オジイサンの時計》 
息子も孫も私の話を理解してくれ、息子は当時の私の くやしさを判ってくれた。
時計は地震がきても倒れないように固定させた。玄関を入った場所に設置した。
ゆったりと 振り子は ゆれている。長い二本の鎖の間を ゆれている。

物を巡って、人間の気持ちは 怒りや 喜びや 恨み いろいろと揺れ動くが、「物には罪は無
い」。これは質屋さんの業界言葉であるそうな。




2014 4/6 三日天下

「それでも地球は回っている・・・」と、低い声で つぶやきながら男は法廷を出て行った。
男とは、ご存知 ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)。 約500年前のこと。彼が異端審問裁判に
かけられ、有罪判決を受けて約350年後、ローマ法王庁は公に謝罪。その間、科学も天文もじ
ゅうぶん発達していたが。彼も、コペルニクスも天動説を主張した為に起訴されたのだ。

このたびの理化学・兵庫県神戸研究所の小保方晴子さんも、名誉回復となるか、それとも稀
代の偽りだったのか??

みのもんた氏も、元・東京都都知事の猪瀬氏も、聴覚障害者たちを愚弄し・詐欺をした佐村河
内守氏も、みんなの党代表・渡辺喜美代氏も、三日天下だった。一時期は鬼の首を取ったよう
な勢いで、天下に俺が一番と言いたいような勢いであった。
みのもんた氏はお子さんのことで。猪瀬氏や渡辺氏の当初の答弁は、まるで子供並だ。
佐村河内氏のピアノの腕前は「私・小林 並」だったのではないか??  一度聴いてみたいもの
だ。

La fille d'Orleans と、称されるJeanne d'Arc(ジャンヌ・ダルク)も、宗教裁判に架けられ火刑に
処せられたが、その後 名誉を回復され、フランスでは聖人とあがめられている。

Jeanne d'Arcが美人であったかどうか分らないが、その後の絵画では美人のように描かれて
いる。
人間の本能として、特に男は美人には甘いが、一旦 風向きが変わると人間は動物以上に残
酷になる。手のひらを返したように、裏切りの意見を述べる。糾弾する対象が美人だとすると、
世間の関心は大きく採り上げる。

岡目八目で眺めているとおもしろい。自分の親戚の小父サンや小母さんの件だと困るが、他
人事となると、「まぁ、それにしても次から次へと事件は起きるものじぁ」と、飽きることはない。





2014 3/29 虎の皮保険

虎は死んだら 美しい立派な毛皮を残す。
金の無い年寄りが死んでも喜ばれない。

昔のことだが、私の義理の甥が交通事故を起こした。引越しの荷物を自分の車で運ぶ途中、
自転車に乗った爺様をひっかけて、事故死。保険金3,000万が即 下りた。
遺族は「エライ!! 爺さん、よくぞ死んでくれた」と、感謝したであろう。
どうせ死ぬなら、保険金が下りる死に方が好いと「私」個人は思う。入院の長わずらいはイヤ
だ。

昨日、郵便局かんぽ保険に入った。たいした金額ではない。葬式代程度。毎月の掛け金は
17450円だったか。10年間で満期だ。「虎の皮保険」と名づけよう。

宝籤よりも確実だ。誰でも100%の確率。
契約書類の『持病・疾病の有無の項目』をチェックした。幸い、何も該当する点はない。血圧も
低い方で、糖尿病も無い。メタボでもない。階段を駆け上がっても動悸・息切れもない。めまい
や 立ちくらみもない。寝るときも、起床のときも、痛い・苦しいところは無い。排便の色も形も
良い。排尿の色も悪くない。しかし、血流が悪い。手足が冷たい。「悪い」のは頭だけ。

契約後、すぐに初回金を払い込んだ。保険金だから、明日死んでも、満額が下りる。
事故死ならば、倍額が下りる。
家内は、ニッポン放送でコマーシャルを流している某・保険会社に入る予定だ。女性の掛け金
は低金額で、家内の年齢だと1360円(?)とか。私が払う。

今夕、中学高校学生時代の同期会がある。「古希の会」である。東京・六本木の「トウキョウ・ミ
ツド・タウン」で開催される。あそこは、防衛庁の跡地(??) 。ともかく大きい広い。ここを利用す
るのは二回目。
古希まで達することなく、鬼籍に入った友人たちが沢山いた。

これから10年間は生きているつもりだ。








2014 3/31 古希の会

富士山に登るバカあり 登らぬバカありと聞くが、古希は富士山の七合目か。富士山の頂上が
百歳であるならば、
七合目の古希は「あともう少し」というところだが、ここからがキツイ。

「50  60は洟垂れ小僧。百歳を目指してがんばりましょう」と、同期生の小平正寿神父様は御
ミサの中の『説教』で述べた。ちなみに、説教とは、かみなりオヤジのお小言ではない。講話の
ようなものである。「教え」を垂れ、諭してくれる短い話。小平神父様は男子フランシスコ修道会
の神父様である。

私たちはミッションスクール東京・千代田区暁星学園の卒業生。
先に物故した同期生や先輩諸氏・恩師たちに想いを馳せ、「呑む前」に神の前に ぬかづい
た。
洗礼を受けている者も受けていない者も含め、参列者は27人余。私たちは集りの前にはかな
らずミサを挙げてもらう。
(持者という役目はいつも私)神父様と共に祭壇に上がる助士役だ。卒業後50周年のときも承
った。

特別の悪ガキはいなかったが、今は人生の酸いも甘いも辛いも耐えて乗り越えてきた後期高
齢者たち。全員 頭には霜を頂く。霜柱があればまだしも良い方で、釧路湿原の丹頂鶴のよう
な赤い後頭部もたくさんいた。その形さまざま。バテレン頭やザベリオ様あたまなど。選択科目
生物でいっしょだった淺川君は親の跡を立派に継ぎ、ひときわ光彩を放つ足立区の禅寺の僧
形頭。70歳のお坊様といえば、バリバリの貫禄。彼の親が元気なうちは得意のフランス語を生
かして「エルメス・ジャポン」に勤務していたが、仕事上、渡仏した国で、彼の頭は奇異な目で見
られたことであろう。「Je suis pretre.」 と、仏国で何度も何度も説明したことと思う。金髪の美
女たちは「Enfin Il comprenait.」 と、うなづいたであろうと想像する。

場所は東京六本木・トウキョウ・ミッドタウン。総勢は50余名。今日、この会に参加できたことは
元気・ウツ無し・気弱にならず・少しの会費が払えて・円満に退職したか、いまだ現役か・それ
ぞれに悩みもあれど なんとかなるさと前向きであり、人様に後ろ指を指されることもなく生きて
きた『同期の桜』である。カラ元気でも好い!!!!

桜といえば、母校の隣は開花宣言の場・靖国神社。桜にはなじみが深い。
今や夕闇の帳が降りる間近のトウキョウ・ミッドタウンの広い庭は、(元・防衛庁の跡地であるか
ら)なん百本もの桜の木。爛漫のピンク。木々の下にはたくさんの人たち。それは今まさに蕾を
開いたばかりの男女の若人たちが多くいた。
私たち「散り去り組」は、ぞろぞろと右手にそれらの若者を見ながら建物の中に入った。

古希の会の開会の挨拶は松原君が述べていたようだが、長い話は聴講するものは少なくな
る。私語がうるさくて、聴き取りにくかった。松原君は音楽学校の校長。たくさんの芸能人たち
に音楽の指導をしているらしい。
「今日の飲み物はドリンク・フリー」というところだけは確認。とりあえず乾杯。ミニ瓶ビール1→
赤ワイン3グラス→白ワイン1グラス→ミニ瓶ビール1で、私の酒は終了とした。これならば正気
で帰宅できる。

川柳に「来てよかった 来なくてよかった 同窓会」というのがあるが、想い想いにテーブルを囲
んで語らった。これが楽しい!!!! だんだんと声高になり、爆笑も大きく高くなる。
病気の自慢と手術の回数と、傷口の長さと、呑んでいる薬の量が自慢。血圧の高さも自慢に
なる。
ちなみに私は低血圧。手足が冷たい。朝方、足が「こむら返り」になるここともあるから、冬季
は電気敷き毛布を腰から下だけ敷いて寝ている。食後の食器洗いは、湯を使い、手が暖かく
なるから好んで私が毎回 やっていいる。

食うものはあまり無かった。おつまみ程度。

同期会は名詞交換の場でもある。視覚障害者にも手で触れてもらって判読できる「点字名詞」
というものを私は初めてもらった。これは好い。
これからは聴覚障害者の方への、「手話術」も必要な時代であると再確認した。

二次会には出席しないで帰宅することにした。綱島に住む柴崎君と徐君と三人で横浜方面へ
の東横線電車に乗った。
柴崎君は中学一年の二学期から、フランスからの帰国子弟として加わった。学生時代も今も
変わらぬ おだやかな性格。徐君は台湾籍なんだろうか、昔は中華街でホテルのオーナーだ
ったが。
卒業後、50年も経つと「「人生いろいろ」と変化する。昨年、心臓を手術したとか、二ヶ月前に脳
梗塞をやったとか。奥さんを亡くしたとか。

「生きているだけで 儲けもの」と思うことにしょう。


2014 3/19 歩行器と保育園

良い社会を構成するためには経済復興が大切。その為には就業率を高めることが大切。ま
た、国の百年先を見つめるならば、若い女性たちが安心して出産と育児に対峙できる制度も
大切。

「ベビーシッター事件」では、これまで考えもつかなかった悲惨なことが発生した。早急に政治
家は法律をもうけ、自治体はしっかりした監視体制を設置すべきである。

5人目の我が男児孫も、来月4月1日から保育園に入所予定。一年間の産休は終了。誰でも最
初は泣きの涙の別れの儀式で、保母さんに手渡すシーンが見られる。生後10ヶ月だから親も
偲びない。

実現はしないだろうが、私は保育園に提言したいことがある。
保育園で、たくさんの赤ちゃん用歩行器を用意してもらいたいと希望する。生後6ヶ月を過ぎた
乳幼児には歩行器は有効である。理由は知恵付きの為。
満1歳に満たない乳幼児は歩行ができない児がほとんどであろう。腹ばい・ハイハイはできるだ
ろうが、行動範囲は歩行器で動く距離には及ばない。歩行器に入って動く行動は驚くような範
囲である。動くことは見る物の種類も多くなり、手で触る物の種類も多くなる。それだけ経験の
範囲が広くなる。

しかし、巷間、小児医の世界では歩行器は危険遊具ということになっていると聞く。過去、歩行
器で事故が多発したということらしい。大きな段差や階段からの転落事故もあったであろうが、
三輪車でもスケーターでも、二輪車でも便利な道具はどんな物にも表裏一体である。
その昔、小学生小学校では鉛筆削り用の小刀(ナイフ)の所持は禁止された。小さなカミソリの
刃の付いた鉛筆削りは、筆箱の中の必需品であったが、為に、手で鉛筆を削ることができない
子どもばかりになった。ぐるぐる手回しの高価な鉛筆削り器を買うことになった。電動だと、すぐ
に鉛筆はなくなってしまう。昔の男の子は『肥後の守』と銘のある折畳み式のナイフ一本で、い
ろいろの遊び道具を作った。鳥カゴや、ちゃんばらごっこの刀や、竹トンボや、コケシ人形を作
った。凧も作った。
多少の怪我は仕方がない。一度ケガをすれば、次には注意するようになる。

人間は二足歩行の動物だから、歩くことは大切である。
我が家の孫は、ベビーベッドの中に寝かされていることが大嫌い。あんな狭い処だけが自分の
世界だけでは知恵もつかない。6ヶ月から歩行器に乗せている。
今はコメ櫃(米びつ)→(プラスチック製タッパー)を手に持って走り回っている。ゴミ箱も点検して
いる。母親は悲鳴をあげながら追いかけ周っているようだ。カシオの電子ピアノのキーも触れ
るようになった。
台所下部のハッチは危険物がいっぱいある。ガスの元栓や包丁にも気配りは大切だ。母親と
幼児との知恵比べだ。

保育園に入ると4月ではまだ歩けないから寝転がされて、以前の状態に戻る。ゴロゴロと歩伏
しながら、そのうち、歩けるようになるまで待つしかない。

新生児はベビーベッドに入っていなければ危険だが、6-7ヶ月になれば歩行器に入って、行動
を広くすればよろしいかと、私は提言する。






2014 3/15 戻った いとし児

我が国の日本銀行券・造幣局印刷の紙切れが、いかに優れたものであることが証明できた。

「下手の横好き大工仕事」を終え、自己のみ満足感・充実感を感じつつ、シャワーで汗と汚れ
を落とす。
上から下まで、すっきりと着替えた。

夕方の5時半、カミサンの作業工房の二間の部屋にお邪魔する。今日の生徒さんたちは東京
自由が丘と大磯からと横浜金沢区からと地元の人で4人。全員、ご機嫌で帰宅されたようだ。

私はごろりと畳に寝転び、手元チャンネルをパチパチ。テレビを観ながら安い金麦発泡酒を飲
む。これが私の癒しタイム。カミサンはチャンネル権を奪われ、機嫌が悪いのは顔を見なくても
気配でわかる。無言の禅僧の姿。マンガ風にいうならば、眼から赤い炎がメラメラ・・・達磨大
師か。

ふと、ブラウスの左胸ポケットに、物がかさばるような??? ン、? なんだ?? こりゃあ?
あっと、驚くタメゴロウは古いギャグ。万円札が!!!!! 
カミサンに背を向けて、寝たまま、一枚二枚三枚四枚・・と数え!!! ・・・・・・びっくりしたなぁ もう!!
手の中に握り締め、起き上がった私。

いきなり「どうしたの?」とカミサン。 
「いいの、いいの。気にしないで。なんでもないよ」
「ポケットの中に何か入っていたんでしょ? お金?? 」とカミサン。 どうして、なんでも すぐに わ
かるんだよぅ。
「深く追求しないでよ」と私。

「しかし、日本の造幣局の紙はすばらしいよなぁ。中国の毛沢東の顔だったら、ヨレヨレになっ
ていたかもしれないなぁ」と、独り言を言いながらカバンの中の財布に納めた。
カミサンはげらげら笑っている。

シワにはなっているが、使えない状態ではない。
ポケットに入れた日数を頭の中で数えて・・・・十日は経っているなぁ。洗濯機にブラウスを投げ
込んで→洗って→干して・乾いて→カミサンが私の部屋に取り込んで、私が着用するまで、全
然 気がつかなかった。

迷った子羊や「聖書の放蕩息子」が戻ったことを喜ぶ親の心境。よくぞ無事で!!!!

間違いときちがいは何処にでもあるある あるよなぁと、ぜーんぜん めげてない私。

銀行マンだったら首かなぁ、市役所の徴収課でも首かなぁ。まっ いいか、他人さまの金じゃな
し。

やっぱ、アイロンをかけた。番町皿屋敷のお菊さんのように数を数えながら。

心なしか、福澤諭吉翁の口は、他の札よりも「へ」の字がゆがんで見えた。

貧乏人の私に ふさわしい出来事であった。



2014 3/1 身から出たサビ

私は車の運転席の窓の横に立っている警察官に言った。
「オタクさん、『アラ、見てたのねえ』っていう歌謡曲を知ってるぅ??」と。
白いマスクをかけているので、さだかではないが40歳前後とみえる警察官は「あぁ、聴いたよう
な気がしますねぇ」と、答え、顔は下を向いたまま、一心にポールペンで書類に書き込みをして
いる。
かなり古い歌謡曲で、都 はるみさんのヒット曲。陽気な音階の曲。

ここまでが、今日のエッセー・ブログの枕である。
私は運転中に携帯電話をかけていて、その姿を「見られた」のである。ここならば、よもや警察
官などいるはずがないと思ったのが、運のつき。『天網恢恢祖にして漏らさず』の諺のとおりだ
った。
高速道路を下りて、逗子⇔葉山間の5kmほどの短い有料道路の途中。ゲートで100円を払った
あと、直線コース、さほど危険ではない道路。その道を走りながら、携帯電話を私の方から掛
けたのである。その光景を発見した見張りの警察官の姿は皆目 気づかなかった。会話と神
経を集中していたからである。今は無線で連絡できる。
赤い旗を持った警察官が飛び出してきた。有料道路から斜め左に旧道が繋がっている。その
細い旧道に誘導された。我に帰って停車してみれば、パトカーが一台と、警察官が4-5人い
た。顔を見れば、やや うれしそうな顔をしている。「獲物が ひっかかった。鼠が また一匹 
捕まった」と、ニヤニヤ顔に書いてある。
もう、こうなったらじたばたしても仕方がない。そこで、さきほどの都 はるみさんの歌謡曲のこ
とを尋ねたのである。年配の警察官も笑っていた。暇そうだ。「知っている」と、頷いている。
私はなんでも笑いのネタにしたい。

反則金は6000円。交通違反減点が1点。   まっ、しょうがないか!!!

しかし、それにしても視力の良い人もいるもんだ。安全ベルト着装のチェックもしているのだろ
う。

私はスピード違反はない。やや のろのろに近い運転。「枯葉・老人シール」は、車両の前に付
けている。後部につけると、若いおバカな運転手が、煽って接近してくる。前部であると、細い
道で、車両同士が遭遇すると、老人ドライバーを避けてくれる。

つまらないことで6000円が財布から消えることになる。勿体無いが、身から出た錆。



2014 3/6 百ケ日

四月八日といえば桜花爛漫。されど諸行無常、その日は友人の奥様の納骨日の予定。
鎌倉・極楽寺に家内と二人 参列させていただくつもり。
「願わくは花の下に春死なむ」と、西行法師も詠ったとか。

去る12月に亡くなった友人のご主人からも、切々たる文面の挨拶状がきた。奥様の方が小学
校からの友人であった。細君の闘病の経緯と、最後のさまを誰かに聞いてもらいたい心境にな
ったのであろう。百ケ日も過ぎたと書いてあった。ようやくやっと落ちつかれたのであろうか。し
かし、同じく妻を見送った先輩からの言葉に、「10年経っても寂寥感は消えないぞ」と言われた
とも書いてあった。
俳句が添えてあった。『ふうふうと孤独のおでん胸にしむ』と。

美人というほどではないが彼女がクラス会に出席していないと男性クラスメートはがっかりし
た。男は、みんな口には出さないが、「ふぅーん、あの子 来ないの? 」と、気にはしていないよう
に言うが、顔には出ていた。色白で、垂れ眼。しかし、自分というものをしっかり持っていた性
格。
子供は4人も産んだ。夫婦仲が好すぎた証拠(?) そして孫は7人か8人もいた。長女さんが長野
県に嫁いだという話も聞いたことがある。転勤で長野県に滞在しているのではなく、永住型・長
野県だと聞いたことにも、私は、やや感動した覚えがある。亡き友人夫婦の住まいは大阪府吹
田市であった。都会のマンション住居だから、4人子供がいても、妻を亡くした父親といっしょに
住める条件が揃わないのか。女よりも、残された男は侘しい。男は弱い。
子供たち、特に娘さんたちにとって、母親とは、いつまでも元気で、快刀乱麻を辰うな電話回答
を、パトカーのようにすばやく車を駆って、むろん手ぶらでなく塊まりの肉やコロッケや野菜や
米などの土産を持参して、用が終ったらサッサと帰る、不出来な孫でも褒めまくってくれるの
が、母親である。

今日も今日とて、朝から『大倉山詣で』「掃除機を買うから、オカアサン 付き合って」の要請の
電話で、朝も早よから出かけて行ったカミサン。

娘からの電話は「オカアサン いる?? 」「オカアサン いたら替わって」  父親は用なしか。

私はずっと年賀状や暑中見舞いの交流があった。奥様よりもご主人とのほうが親しくなった感
がある。ご主人という人は実に筆まめな方で、半年間の家族たちの行状・出来事を楽しく書い
た文面。9ポイントの細かい字で、主だった出来事がしたためてあった。暖かい文章だった。
『年賀状大賞』というものがあれば特賞に値する。なんの仕事をしていた人だろうか?? 

ちなみに、郵政省だけが喜ぶ年賀ハガキなど、おもしろくもなんともない。と、私は一秒で次の
賀状に目をやる。「昨年はお世話になりました。今年もよろしく。平成○○年」意味なし。

彼女が亡くなったことを知ったのは、ご主人からの暮れの年賀状欠礼の挨拶状であった。
さっそく、同じクラスメートの某・男子友人に電話で知らせたところ、「そうかぁ!! もっと外に死ん
でもいい女がいたのになぁ・・・」と答えたのに、私は大笑いして、「同感!同感!」と答えた。これは
あくまでもブラック・ジョーク冗談。どの夫婦にとっても、最愛の夫であり妻であるはず。

妻も夫も大切にしよう!!!!





2014 3/12 未来への宿題・負の遺産


被災地福島県・某町から「子供たちが戻らない」という今朝のメディアの報を観た。500人近くい
た子供たちが、他府県へ散ってしまったというニュースであった。6人しか戻っていない。
「子供たちに戻って欲しい・子供たちがいてこそ 未来がある」と、関係者たちは嘆いていた。
子供たちは国の宝である。少子高齢の日本では、由々しき問題。

『ハーメルンの笛吹き男』の童話を思い出す。あの話とよく似ていると思った。
グリム童話ハーメルンの笛吹き男の話は、史実に基づいたことであるという。西暦1300年代に
ドイツ・ハーメルンの町で実際にあったことだという。

現代の原子力発電所からの放射線被爆の恐怖は、欧州中世のペスト以上の難問である。
ペストは鼠とノミの媒介で伝染する我が国では「法定伝染病」。ペストは有史以来、最も致死量
の高かった病であったが、今はストレプトマイシンなどの抗生薬で制覇できた。
しかし、原子力発電所・放射線被爆は手のほどこしようがない。そして使用後燃料や汚染水は
天文学的埋蔵量となりつつある。今のところ、人間の英知を以ってしても、制御できえない。
子々孫々に負の遺産を残している。消滅するまで30年間とも、数万年間を要するともいう。

こんなに危険な代物を、なにゆえ再稼動させるというのか。経済よりも優先すべき問題がある
はず。
原子力発電・放射線被爆は現代のバベルの塔!!!

私が呉服屋としてご贔屓になっていた方に、東京電力の副社長さんがおられた。お名前は伏
すが、奥様はお人柄の善い方であった。地方出身の方で、朴訥な方であった。着物をしょっち
ゅう買って下さったが、和服が特に似合うというほどの美人でもなかった。
副社長といっても、当時は副社長は4人もいた。ご主人は、定年退職後は東京電力系の電話
会社の社長になられた。当時は、「某・東京電力の天皇」が長く君臨していたため、東京電力
の社長にはなれなかったようだ。それでも数億の退職金を手にして故郷に錦を飾って戻った。

しかし、故郷で今 なにをしておられるだろう。家の中では布団を被って、押入れに入って、耳
栓をして、外へ出るときは黒サングラスのメガネをして、深く帽子を被り、マスクをしているか。
彼だけがミスを犯したのではない。エネルギーの無い国の宿命。花形の国策事業だったであ
ろう。

今、お元気であれば、尋ねてみたい。問うてみたい。
地震と津波がきたから、仕方がない??  
想定外を超えた・解決できない問題が放射能ではないのかと。次の未来への宿題なのか。




 リケジョたち

ニッポン昔話の「赤ちゃんになったおばあさん」も、昔 子どもたちによく読んでやった物語であ
る。ある日、山仕事から若くなって、おじいさんが戻ってきた。おじいさんが山の池の水を飲ん
だと聞いたおばあさんは、さっそく翌日 自分も急いで山に行った。夜になっても戻らないおば
あさんを心配して、おじいさんは探しに行った。池のほとりで、赤ちゃんが泣いていた。水を飲
みすぎたのであった。ラフカディオ・カーン小泉八雲の「若返りの泉」にもある。
不思議に、昔話では、おばあさんの方がほとんど欲が深い。舌きり雀もそうである。

10年後、臓器はリセットできることになるかも知れない。「あなたは何歳の頃に戻りたいです
か?? 血? 骨ですか? 内臓ですか? ご希望の歳と場所をリクエストして下さい」と。
既にパソコンでは可能な作業である。古くなって、重くなって、動きが鈍くなったPCは、動きの
良かった時の状態に戻すことができる。
昨日、午後から横浜・東横線・大倉山に住んでいる孫の所に遊びに行った。孫の様子を見るこ
とは、私の唯一のレジャーである。孫は二月に八ヶ月目に入る。孫の母親は次女である。産休
が四月に終了して、理化学研究所に復帰する。孫は保育園に預かってもらうことになる。
この正月二日に来たとき、「まだ早すぎるのでは・・・」と、心配されていたが、私が与えた歩行
器で走り回っていた。
先週、まだ孫は『蟹の横ばい』状態で、横歩きと後退しかできなかったが、昨日は前方方向
に、まっしぐらに進めるようになっていた。「こっちへおいで」と言うと、ニコニコしながら、ヨダレ
をたらしながら両手を挙げて走ってくる。

小保方晴子さんの件は、私はまったく娘に、話題にしなかった。出し抜かれたリケジョたちの想
いは複雑であろう。
「運も努力の中」という。1000回目の実験で開花することもあるし、999回で諦めたばかりに、こ
れまでの実験が無駄に終った研究者たちもたくさんいるだろう。キューリー婦人も仕事を終え、
部屋の明かりを消したら、ボーと青く光るラジウムの鉱石に研究の的を絞り、今日のレントゲ
ン・放射線に繋がったという。そして白血病で亡くなった。天然痘の抗体を発見したジェンナー
も我が子を試験台にしたといわれる。我が国でも、「華岡青洲の妻」の小説があるが、麻酔薬
の試験を妻と実母が嫁姑との闘いで表した有吉佐和子氏の物語りも興味深かった。実話であ
るらしい。
次女も2回、nature immunology に論文が掲載され、一度目は東京医科歯科大医学部研究
室に在籍していたとき。担当主任教授は狂喜して、「座布団を三枚でも差し上げなくては・・」
と。教授のお手伝いとして下働きしただけである。二度目は理化学研究所に勤務していたと
き、海草の藻類が光を放つような件と記憶しているが、詳しいことは聞いても私はわからない。
科学者たちは生涯に一度でもよいから、イギリスのnature に名前を載せたいと熱望するらし
い。

私が高校時代の理科の教師で、武下先生という方がおられた。医者なのに私立高校の教師を
していた。威厳のある教師で、悪ガキの男の子たちも武下先生の授業は、ぴたっりと沈黙。柔
和な顔だが、雷の一喝の声は凄かった。が、たった一言。ぐじゃぐじゃいつまでも言わない貫
禄のある教師だった。「教師は夏休みがあり、昆虫や植物採集に出かけられるから、医者家
業はしないで教師をしているのです」と、私は聞いたことがある。標本ながら黒百合の花を初め
て見たのも武下先生の理科生物の授業であった。私は学校で習った「メンデルの法則」に興味
を持った。優勢の法則や劣勢の法則の授業も楽しく聞いた。スイトッピーの花の色が交配で変
わっていくことも楽しく記憶している。あのころは、まだ遺伝子やDNA・ゲノムなどという語彙は
聞いたことはなかった。私が小学生だった次女に教えられることはここまで程度。一本の切花
をインク壷に入れて、青い液体が吸い上がる絵を夏休みの自由研究として発表した。「導管」
をカミソリで薄く輪切りにして、顕微鏡で観察させた。精密な絵を描かせた。理科に興味をも
ち、その後、分子生命の方へ進んだ。今、娘はSTAP細胞・IP細胞よりも今日もウンチが良い
色と硬さで出たか、実験用のマウス(鼠)の餌よりも、息子がなんでミルクを真面目に飲まない
のか、30ccも残したのはなんでか、息子の声が大きすぎるのは乱暴な子に育ったのではない
か、悩んでいる。一昨日は、「離乳食の講習会」に出かけ、同月生まれの子どもたちの中で息
子だけが5分ぐらいで退屈して、大きな声で騒ぎだし、最後列の席に移動して絵本を見せてよう
やくおとなしくなった。そして、離乳食の試食になったら一番に食べ終わり、まだ足りないと泣き
だし、急いで哺乳瓶でミルクをつくり、大汗・大恥をかいたと娘は語った。

リケジョたちは結婚・出産を望むならば、産休・育児に翻弄されることは必至。川柳に「男みな
 阿呆に見えて 行き遅れ」とある。大阪出身の女医専・第一号の人の作で生涯独身。才能の
ある人は結婚などしない方がよいと思う。旦那に、いわれなき小言や文句を言われるよりも、
自由に好きな仕事に邁進する方がよいだろう。

娘宅では、夫婦で理化学研究所勤務だから、たいへんである。しかし、旦那が優しい男だから
ありがたい。娘は こだわりが強い。強情。意見を曲げない。主張する。理論的である。だから
私と意見の衝突がある。

ウチのカミサンの方が まだ ましだと、最近 気づいた私である。



2014 2/1 久しぶりのブライダル斡旋会社からの電話

つくづく思った。「他人のふり見て、我が身を正せ」と。
久しぶりにブライダル斡旋会社から電話があった。「あそこの家は、もうダメよ。ミイラ娘だか
ら」とは思われていないらしい。嬉しい。しかし、私は「除夜の鐘 鳴り終わり娘」と、密かに思っ
ている。
横浜駅西口界隈に在る会社からは、もう電話はこない。見込み無し娘と思われたらしい。

今日の電話は藤沢市に在るブライダル斡旋会社「ああ言えば上祐史浩 氏」の妹かと思われ
るような、切れ目のない話し方をする女性だった。相手に口を挟む隙間を与えない。間断なく、
連発機関銃のような はなし方をする女性であった。
それじゃあ、電話を切れば良いのに、と思うだろうが、これも勉強になる、後学の参考になると
思い、頭の中では「早速、このこともブログのネタにしよう」と、しっかりと私は聞いていたのだ。
21分間、ほとんど一方的に喋っていた。しかし、迷惑電話だと思わず、話の達人だと思って聞
いておれば腹も立たない。こうゆう風に、ぺらぺらと、ただ 喋りっぱなしではいけないなぁと思
いながら聞くと、勉強になる。
インタビュアーの名人といわれる人は「聞きじょうず」だと言われる。間(ま)の取り方や、質問箇
条をメモって準備しておくことは当然であろう。相手のプロフィールを下調べしておくことは常
識。変化のある相槌をうつことも大事であるだろう。抑制のある笑い方も大切だろう。
加齢とともに言葉が出てこなくなったことは確かである。固有名詞や芸能人の名前など、顔は
浮かぶのに、すっと名前が出てこないのは私だけではないだろう。その点、ニッポン放送・アナ
ウンサー高嶋ひでたけ氏は年齢が私と同じなのにと驚嘆して聴いている。
だから、相手の話を聞く立場になることは楽である。できるだけ相手の話を聞くことに努めよう
と思う。
いくらブライダル斡旋会社から勧誘電話があっても、送付されてきた書類を娘の部屋のに入れ
ておくが、「こんな電話があったよ」は、私は娘には言わないつもり。ましてや、「お父様が20万-
30万円の費用をお出し下さることは可能ですわね??」なんて、とんでもない。冗談ではない。
バカバカしい!!! これでは新手の「振込み詐欺電話」と、なんら変わりがない。
家内にも、こんな電話があったよなどと、言わない。

末娘の友人たちの中で、早く結婚して不幸な状況にある人の話ばかりを、多く聞いている。慎
重にならざるを得ないのだ。過去、大学在学中や、極く若い頃は3人ばかり次々と男友達が入
れ替わり立ち代りあった。しかし、私たち夫婦は親として、一度も反対の意を唱えたことはな
い。勧めたこともない。黙って見ていただけ。結局、自然消滅したのだろう。問うてもいない。
今は携帯電話(殊に、メール)で友人間の連絡をとっているから、娘・息子の交友関係を、何処
の親も知らないだろう。いちいち報告している子もいないだろう。しつこく聞けば聞くほど、隠す
だろう。我が家は数人の女の子が泊まりに来るから、見知っているほうかもしれない。

それにしても、話が変わるが、近頃の女の子の名前はなんだ!!! 源氏名のような、「はるかちゃ
ん・かおりちゃん・あすかちゃん・まどかちゃん・さゆりちゃん」冗談じぁない!!! 85歳になって、病
院の待合室で「田中まどかさぁーん、3番の入り口にお入りくださぁーい」の声に、どんなかわい
い娘かと思いきや、ボロボロの婆さんが杖をついて、よたよたと歩く・・・なんて。あっ、そうそう、
「なぎさちゃん」って子も、よく来るなぁ。 

「一応、書類は渡しておきました」とだけ答えて、今度は早く電話を切ろうと思う。



2014 2/8 カール・ビュッテについて

我が町葉山町で、あまねく知られていることは、御用邸と、避寒避暑の気候だけではない。知
る人ぞ知る、町民が誇りに思っていることは「キッコーマン醤油」と「味の素」は、その昔、寒村
だった葉山で細々と作られていたことである。その後 世界に羽ばたく大企業に成長した。 キ
ッコーマン醤油の方は、脇に置き、 味の素の創立者さんの5人の息子さんたちは、いずれも優
秀な方たちであるという記事を「文芸春秋」の「交友・親睦・親友」(?)というコーナーで、昔、私は
読んだ記憶がある。鈴木さんというお名前で、葉山町の名誉町民に選ばれていたはず。当主
は代々・鈴木三郎助氏(?)というお名前を名乗っておられるとも。揃いも揃って、5人の息子さん
が、大学教授・学者であると聞くと、普通 人々は「あぁ、あの家系は代々優れた名門だか
ら・・・」と、当然のように思い、諦めたようにも思い、納得している。しかし、「『売り家』と、唐様
で書く三代目」という諺があるように、没落する元・名家名門も世の中には多い。
我が町では、周知のように明治時代の元勲たちの末裔も多く住んでいる。居た(過去形)。大正
天皇の健康のゆえ、ベルツ医師の勧めで御用邸が建立。元勲たちがその周囲に広大な敷地
を求め住んでいた時代もあった。日本は相続の税法が厳しいことも理由であるが、広大な土
地家屋の維持と管理が困難である。よほどの収入を堅持する力がなければ、小刻みな建売住
宅と化してしまう。
ちょっと脱線するが、私の昔の顧客様の別荘も、栃木県の大谷石を使って、しかも、旧・帝国
ホテルを建てたライト氏が設計した、ミニ帝国ホテルである。現在でも、その建物は葉山町に
存在するが、見るも無残な「お化け屋敷」の様。ガラスは割られ、ドアは壊わされ、門には太い
鎖がかかっている。東京・等々力の本屋敷も1000坪以上あったが、今は、小さな家がたくさん
建っている。昔、私は東京の中継地として、無料で駐車場を借りていた。
ここまでの長い文が「前置き」である。ここからが「本文」。それで、言いたいことは、なんじゃ?? 
と、申すなば・・・・
私は40歳までは「0歳児教育」については、まったく興味もなかった。知らなかった。カール・ビュ
ッテなる牧師・教師のドイツ人のことも。
結論からいうならば、私が「七田式幼児教育」創立者・七田 真氏の書籍に出合ったのが最初
の始まりであり、その後、石井 勲氏の「幼児に漢字教育」や、鈴木慎一氏の「スズキ・メソッ
ド」や「ソニー創立者」井深 大氏の書籍を何冊も読み、小林一茶の俳句を「俳句かるた」で親
も子も学んだことや、ソニーの幼児教室へ通ったことも楽しい思い出である。スズキ・メソッドの
ピアノは、幼児にも暗譜で練習させる方式だった。
七田式幼児教育」創立者・七田 真氏がカール・ビュッテのことを初めて知ったのも古本屋の
一冊であった。その後、七田氏の上梓した本によると、カール・ビュッテは今から210年ほど
前、ドイツの片田舎に牧師 兼 教師として赴任してきた。農夫・木こり・狩人が主に住んでい
た当時の村では、カール・ビュッテが主張する「人間の能力は先天的なものではなく、後々の
教育によって、いかようにも変化する」という考えは受け入れられなかった。村内の普通の女
性と結婚後、自分の考えを証明しようと思い、誕生間なしの赤ん坊を熱心に教育した。この子
は成長し、5歳で三万語の単語を覚え→10歳でライプチッヒ大学に入学し→13歳で哲学博士に
なり→16歳で法学博士になったという。カール・ビュッテは自分の子供の成長過程を本に表し
たが、当時は突然変異のような風にとらえられ、受け入れられなかった。しかし、後年、大学の
図書室などで、この本を読み→実践した人たちがたくさん出た。七田 真氏は数々の著名な世
界的学者や、その子たちの成果・結果を書き述べておられるが、紙面に限りがあり、また、私
がそのような世界的著名人のことを知らないため、割愛する。だが、ロード・ケルビン、ストーナ
ー夫人、モンテッソーリ夫人などの名前は、私でもかろうじて知っている。今、七田 真氏の創
立した「七田式幼児教室」は全国区に発展した。大きな教育産業と成長した。たくさんの子供さ
んが通い、教育玩具や本を取り寄せて、幼児に学ばせている。カール・ビュッテは『逓減(てい
げん)の法則』ということを強く主張した。「赤ちゃんのときこそ、最高の能力を有している。そし
て、それは日々 減少していく。6歳-7歳までに、放置するならば、天才的・魔術的・神秘的能
力は消えてしまう」と。7歳で就学する学校教育に対して反旗を翻すような思想であるから、反
応は人それぞれであろう。だが、『絶対音感』が身につくのは幼児期である。言葉の発音・訛り
も。古典文学に造詣の深いドナルド・キーン氏でさえ、アクセントは、たどたどしい。幼児期に、
母親にしか体得させられない能力というものがある。だが、教育は日々の努力の積み重ねの
結果である。三日坊主の私には、中途半端なことしか出来なかった。そして、金も必要だ。今
日は未曾有の大雪。関東地方も数センチの雪で大混乱。気の毒なことは大学入試が重なった
こと。あさって、月曜日は我が家の男児孫も高校受験だ。はかばかしくない。
(滑り止め校は合格した) 今も塾へ行っているが。 私は誕生後、嫁に0歳児教育の必要を告げ
たのに・・・・・。小5の女児孫は成績が良い。同じ腹から生まれた人間の、この差をどう説明す
るか?? 過ごし方に問題があったとしか思えない。長女の子供たち、二人の男児も、大したこと
はなさそうだ。今、次女は、生後8ヶ月の子と闘っている。私も「今こそ大切だ」と、応援している
が、白熱すると喧嘩になる。 しかし、一週間も見ないと大きく飛躍していることがわかる。老い
の坂道は一週間では確認できないが、0歳児の「上り坂道」は、非常に顕著。小学生になると、
あれほどの成長は見えない。だから、私は娘と喧嘩になっても、週に一度は孫の成長ぶりを観
察に行っている。昨夕も、手作り「おばんざい」 マーマレード・オカラなどを届けた。
富士山を目指しても、高尾山で終るのが、普通であるが。



2014 2/1 散歩の効用について

歩かなければ、散歩に行かねばと、心では思うものの意志薄弱で、実行していないのが私の
現状である。寒いから、足が上がってないから転ぶ恐れがあるなどと、屁理屈を言っている。

散歩とはなんぞや?? 目的もなく、ただ 歩くだけのこと。今は健康志向で老いも若きも、歯を食
いしばって歩く。手袋・毛糸の帽子・スニーカーが三種の神器。胸には携帯電話かスマホを携
えて。夫婦で独りで。

「散歩」なる語彙を私が知ったのは中学一年の時だった。土曜日の午後は「小散歩」と呼ば
れ、制服制帽で、ひたすら歩かされた。元気盛りの12-13歳には散歩は必要ない。いま思うと
散歩の感覚を身につけさせる為だったと思う。中年年齢以上の神父様や教師の修道士たちに
こそ散歩が必要であった。彼らは頭脳労働者であるから、無理にでも祈りや読書や研究の合
間に自分で時間を工面して、歩くことは大切であったと思う。中学生たちはサッカー・ソフトボー
ル・バスケットの方をやりたかったが、皆で並んで「小散歩」に行くことは義務だった。京都府丹
後の田舎育ちの私は散歩などはその年齢では楽しくなかったが、「小散歩」の大方は皇居一
周だった。
フイリッピン大使館の前から靖国神社の坂道を下りて出発するのが常だった。旧軍人会館(九
段会館)を右に曲がり、中央気象台と毎日新聞社本社を左手に見ながら進むと、その頃はリー
ダース・ダイジェスト日本支社があった。広い芝生の前庭の割りには平屋のかわいいアメリカ
ン・ハウス。皇居前に出ると左側は大手町界隈。
東京駅赤レンガの建物が望めた。皇居前広場はいつも観光客がいっぱい。かならず記念撮
影をしていた。1950年代の終わり頃は、大型のアメ車ばかりだった。パッカード、ビュック、クラ
イスラー、キャディラック、etc,大阪出身の同級生が教えてくれた。なにせ田舎出身の私は見た
こともない車ばかりだった。ベンツやBMWはその頃はまったく無かった。ドイツも日本と同様に
敗戦国だったから生産→輸出する力はなかったのだ。
お堀の向こう側の、第一生命ビルはGHQが占拠していて、あの頃はまだマッカーサー司令長
官も滞在していだろうか? 否、トルーマン大統領から左遷されて、彼は本国へ凱旋していたか。
もしも、60年ぶりで、あの辺りを散歩ができるならば、こんな昔のことを思い出しながら歩くこと
ができるのだが。
日比谷公園へもしばしば行った。NHK放送局も日比谷公園の隣に在った。
一年に二回は「大散歩」なるものに行った。これは遠足と同じで楽しかったが、歩く距離は半端
なkmではなかった。私の第一回目は中学一年の4/29 昭和天皇誕生日だった。箱根の湯本か
ら強羅公園まで歩いた。へろへろになった。箱根の旧道は大学駅伝コース。歩くだけでも しん
どいのに、あんな急坂を走って上るなど。強羅から大涌谷の頂上まで行った。快晴。好い思い
出になっている。箱根にドライブに行く度に、カミサンに告げる。3回目ぐらいからは「もう、聴い
た」と。最近は「・・・・・・・」。眠ったふりしている。
新宿駅から清瀬村まで歩いた。武蔵野の雑木林の、印象に強く残っているのはケヤキの大木
が多かったことと、霜柱が5cm以上の大きさだったこと。清瀬は、その頃 「村」だった。帰途
は、オート三輪車に乗せてもらった。
東京都下・小平市の多摩霊園やカトリック墓地へも歩いて行ったときも きつかった。多摩霊園
ては、元帥・山本五十六さんの墓石の大きく立派だったことに驚いた。ご遺骨は南の洋上(海
の底)であるのに。
多摩川河原では初めて「芋煮会」なるものを体験した。それゆえ、私はときどき芋煮会をやる。
野外で食べると食が進む。なごやかになる。羽田飛行場見学も、アイス・スケート初体験も楽し
かった。横浜の、山手の姉妹校セントジョゼフ・スクールを訪問した後、本牧海岸で泳いだこと
も懐かしい。「此処は、今、見る影もない大工場群だろ?? 此処で、俺たち泳いだんだせ゛!! ほ
ら、あの崖の下あたりだぜ!!!」と、数十回 その近くの高速道路を走るたびに と言ったと思う。
ぜーんぜん、家内は返事をしなくなった。
60年も経つと、風景も人も建物も、まったく変わってしまう。新妻は古妻に変化。梅干も三年物
までは良いが。

子どもたちを しばしば散歩へ連れて行った。いろいろな植物の名前を私が知っている程度は
教えた。
生後八ヶ月の子を前抱っこ紐で縛りつけ、娘は朝夕の二回、雨が降っても傘をさして、散歩に
行く。そして、やることは、植物の葉を手で触れさせていることだ。モンテッソーリ教育風にいう
と、「ザラザラ、すべすべ、チクチク」などの感触を幼児期に体験させることは好いことらしい。
買い物があるときは仕方がないが、ベビーカーは親と赤ちゃんの距離が遠くなるから、顔が見
えないから、会話ができないから、残念だと思う。もう、体重は11kgで重い。
私など親と散歩に連れて行ってもらった記憶が一度もない。そんな余裕はなかったのだろう。
数年前、この近所を車椅子に乗せて散歩していたオジイサンの姿があったが、今は見かけな
い。親孝行な息子さんだと、その頃はチラリとだけ思ったが、今は切実に想う。「ああゆう息子
さん(お嫁さん)にこそ、年金を倍額与えてもいいんじゃない?? 」と、嫁や息子に言ってみようか。
『孝行息子3倍年金支援金制度』新設。



2014 1/30 料理研究家 小林カツ代さんのこと

昨日、PCを開いたら、料理研究家の小林カツ代さんが亡くなったとnet newsが報じていた。愕
然とした。小林の姓は同じだが、親戚縁者ではない。しかし、小林カツ代さんには私は想いい
れがある。NHKテレビの「今日の料理」番組で活躍しておられる姿を観て、高名になられたこと
を嬉しく拝見していた。
私の住んでいる隣町は逗子市。逗子駅の大きな広場の周囲は商店や銀行などが在り、町のメ
インであることは当然。某・銀行の横の道を入って15mほど歩めば小林カツ代さんのご主人の
実家が在った。大きな大きな敷地、おそらく400-500坪ほどもあろうか、数奇屋建築風の風格
ある屋敷があった。
私は30歳代の初めで、小林カツ代さんの義母さまにたくさんのご贔屓になった。お歳は、現在
の私の家内ぐらいであっただろうか。いつも地味な和服を着ておられたので、30歳代の私には
かなりの年配に見えた。語り口も物静かな方で、抑制の利いた、喜怒哀楽の感情もあまり出さ
ない風情ある方であった。呉服屋・セールス営業の人間たちは元気でよく喋り、相手を笑わ
せ、闊達に愉快な気分になってもらうことを心がけるのだが、義母さまは感情を生にはお出し
にならない方であった。
息子さんが二人おられて、お二人とも超優秀であった。東大と慶応を出しておられた。そして、
日進製粉と、どこかの大手の製薬会社に勤務しておられると聞いたと記憶している。
私のような微細な呉服屋から購入して下さったのはどうしてであったか。当時は何も念頭に無
かったが、私が今の年齢になって思うことは、老齢の夫婦二人だけになられて、淋しかったの
ではなかろうかと思う。
私はまだその頃、新婚間なしで、両親を京都から呼び寄せ、子どもが一人生まれたか二人生
まれたか、独立開業をしたばかり。燃えていた。無我夢中に仕事に明け暮れていた。そんな私
を励まして下さっていたのであろうか。両親を呼んで、共に暮らしていることに「良いことをして
いますねぇ」と、しばしば言われた記憶がある。
義父母さまの屋敷は大きな敷地だから建物の二軒でも三軒でも建てられるスペースはある。
駅前だからバス利用の必要もなし。(改札口まで走ったら3-4分) しかし、なかなか若い夫婦は
舅姑とはいっしょに暮らすことをしない。息子さんのお嫁さんも、才能があれば嫁だけに甘んじ
ない。小林カツ代さんは漫画絵を描くのが上手だと、聞いたことがある。まだ料理研究家として
芽が出る前であった。お子様はまだ小学生だと聞いていた。
料理教室を開き、テレビ局などを忙しく走り回り、9年前に脳の大出血後 養生をしていたとnet
にあった。
聞いたところ、海軍の御用商人であったと。○○を納入して、財を成されたらしい。(海軍は隣
町の横須賀市)  
小林カツ代さんは病気ということで、人間である以上 しかたがないが、気の毒なことに、同net
によると、跡継ぎのご長男の料理研究家・ケンタロウ氏(41歳)が、昨年バイク事故で瀕死の状
況にあったようだ。首都高速のカーブ壁に激突し、バイクを残したまま、身体は6m下の道に落
下。打撲&骨折だけにとどまらず、ヘルメットは当然 装着したであろうが脳まで影響のある症
状だと書いてあった。
他人事ではない。我が家の愚息もバイク狂。BMWと日本製スズキと2台もある。屋根の下の、
いちばん良い場所を占拠している。バイクや自転車を3台も置かなければ、駐車場は4台の車
両が入るはずなのに、親の車は遠慮して、端においてる。そして、ときどき危険なロードの箱根
旧道へ行く。
娘も、毎朝夕、自転車orミニバイクで16km走って藤沢市まで通勤している。自転車のときはヘ
ルメットを着用していない。口がすっぱくなるほど言ってきたが、最近はもう、言わない。



追伸・蛇足・蛇ヒレ・蛇髭・おまけ
作家の曽野綾子さんが答える人生相談に「35歳も過ぎた娘が(息子が) 結婚しようが するま
いが、もう、それは本人の責任だ。親が心配する必要ではない」とあった。今朝、家内からそう
ゆう話題を二人を会話していて、「そうだ そうだ。まったくだ。そのとおりだ。」と、私は答えたも
のの、気がかりである。バイク息子とヘルメット無し娘とおまけに、除夜の鐘鳴り終わり娘のこ
とが、他人ごとであるなら「人生いろいろですよね。結婚なんか、人生の墓場だっていいますか
ら」と、私も答えるのだが。曽野さんの独り息子さんは、もう、結婚して孫もいて、安心生活なん
だろう・・・・。




2014 1/27 能力給  

群馬県の食品会社で、農薬マラチオンを食品に混入させた容疑で逮捕された○○が
とうとう自供したと、netのニュースに載っていた。やはり会社に対して給料の点で不満を持って
いたようだ。「あとから入社してきた者が、自分の給料を超えた」と。

今朝のラジオ・ニッポン放送 高嶋たけしげ氏の番組に出演していた某・評論家の説では、「能
力給は、社内に不満を生ずる。社員たち内にギスギスした空気を生み出すという研究発表が
ある」と、評していた。年功序列の給料体系の方が無難であるとも。

社員の成績一覧表の東の横綱は、なんといっても生命保険会社であろう。何処の営業所にも
大きな棒グラフに名前・成果・数字など掲げてある。あれを眺めて落ち込む人もいるだろう。

テレフォン・アポの会社にもあるだろう。ゴルフ会員券セールス会社、不動産会社、墓地販売
会社など、自分だけ気合の入った営業所長は毎朝すざましい気迫で社員たちに号令を掛ける
だろう。神経性胃炎にならなければよいが、性格的に不適合の人は気の毒である。

おもえば、私が11年間勤務していた呉服屋もそうであった。精神注入棒で尻を叩くような激しさ
はなかったが、給料は歩合制だった。販売→集金した金額に対して、○○パーセントで貸与さ
れた。
歩合の『率』は、年功序列式を採っていた。いちばん古株の大番頭というべき人が7%だった。
→6,5%。→5,5%という序列だった。外商営業に出ることを許された者は5人いた。序列は、私は
上から4番目だった。実際の成績は常に2番目だった。実兄が経営者であった。
兄は敗戦後、シベリアに抑留され、5年間 抑留生活を体験した。施設をラーゲルと呼ぶらし
い。死と隣り合わせの冬。零下30℃。好く生き延びて生還したものだ。ラーゲルの標語は「働
かざるもの 食うべからず!!!!」。これが強制労働・共産主義の思想である。「今日、アンタ 具合
が悪いの?? じゃ、休んでいていいよ」はない。黒パンとスープ。舞鶴市に在る博物館を見学し
た人の胸をえぐる。夫が息子が兄弟があそこで過ごしたと思うと。旧ソビエトや旧ドイツの収容
所は悪魔が造ったとしか思えない。
私は45年前、5,5% の歩合率で、10万円の給料を「取っていた」。貰っていたという感覚はない。
俺が働いて稼いだんだ!!と、いう気持ちになる。「今日は午前中で一日の売り上げ・「ノルマ」(こ
の言葉もロシア語) ノルマを達成したから、昼寝でもして過ごそうという気持ちにもなる。陰・日
なたのある人間を製造することになる。誠心誠意はなくなる。人の見ていない所で頑張ること
はなくなる。
当時の10万円は破格だったらしい。よく貯金ができた。(注) 今は宝籤が頼みの綱。死ぬまでに
一度でいいから当たって欲しい。当たってからオトウサンは人格が変わったとカミサンに評され
てもよい。
しかし、会社の先輩たちの気持ちは異なっていた。子持ちで、養育費が必要になった年上の社
員たちは、病気事故などの保障を心配しはじめた。結局、労働者と資本家は歩み寄ることが
困難。零細企業には組合も弁護士もいない。破局。資本家が貪欲だと急成長もするが急降下
も来ることがある。
当時、神風タクシーという揶揄された社会現象があった。数年後には改善され、近距離乗車拒
否や猛スピード危険運転は無くなった。やはり安定した保証給料は人を穏やかにする。
しかし、私は営業のノウハウと、仕事に対する熱意は学ばせてもらった。楽しかった。ウツには
ならなかった。歩合の給料で私は好かったと思っている。金を使う方法も知らなかった。金の
必要も無かった。現在は、光熱費+多少の税金+大工仕事の材料+  そして、孫への知的
教育玩具 を 探して 時々 買うだけが私の楽しみである。net  amazon で買うから たいし
た金額ではない。


2014 1/ 19 オリンピック万歳!! スポーツ万歳!!

『まあクンは三日投げて俺の年収超え』とは、昨日・土曜日午後の大阪NHK発・川柳の時間で
聴いた某・リスナー川柳子の投句である。
田中まあ君がNY Yankeesに入団決定。野球に情熱を燃やし、日々鍛錬している若人たちにと
って田中まあ君は希望の光である。同じ日本人として同慶の至りである。四月からの活躍が楽
しみであることには私も変わりはないが、億万の札束の高さは私は想像しないことにしている。
位 人臣を極め、たとえ総理大臣まで昇り極めたとしても、アムステルダム・オリンピックで日
本人初の金メダリスト三段飛びの織田幹雄氏は金字塔。いつまでも日本人の記憶にとどまっ
ている。
ソチ・冬季オリンピック開催も目前。また、東京五輪開催決定に狂喜している人々に異議を唱
えるものではないが、芸術・スポーツで歴史に名を成すことは難しい。
我が家の中学三年の男児孫は、誰に似たのか突然変異か足が速い。部活の陸上選手として
夏まではがんばっていた。しかし、「早くても草原のチーターには敵わない。泳いでも海のイル
カには負ける。ほどほどにしておけ」と、爺さんの私は口にこそ出さぬが内心では思っていた。
現在は、高校受験体制で、学習塾と母親にしごかれている様子は、スポーツの時のようには
溌剌としていない
。家内の妹の息子も高校時代は野球部の花形だった。ピッチャーで4番バッター。だが甲子園
は遠かった。大学受験のときは我が家に宿泊して、東京の大学に挑戦したが、いずれの門も
高かった。A校を受験したときは、一歳年上だった我が家の娘が学校まで付き添って行き、受
験終了まで待っていた。B校の日は息子の嫁が付き添って行った。両校の門は閉ざされたまま
だった。で、大阪のコンピューター系専門学校へ入ったが、途中、ある日ふらりと我が家にやっ
て来た。「ハイ、夏休みなんです」と、昼間は寝ていて夜はテレビや音楽を聴いて愉快そうに過
ごしていた。我が家の息子と未成年ながら毎晩ビールを飲み、楽しそうに過ごしていた。10月
末頃になっても帰らない。
「いくらなんでも長い夏休みじゃあないのか?」と、私は電話をさせた。家内の義妹夫婦は翌日、
丹波から新幹線で飛んで来た。携帯電話の料金も切れて、下宿していた大家さんからもドアの
鍵を替えられた。行く所がなくて片道切符で神奈川県の我が家にたどり着いたということであ
る。跡取り息子の為に大きな家を建てて、嫁と共に暮らすことが田舎の生活の理想だが、いま
だ果たせず。

もう一つある。寒い日や超暑い日がくると思い出す旧友の安否だ。
私の小学校時代のA君はスポーツ万能だった。走ってよし・投げてよし・飛んでよし。いまだに
彼の記録は卒業した小学校の体育館に名札が掲げてある。
彼は社会人野球選手として某・デパートに入社が叶ったが、経済バブルが弾け、企業は黒獅
子旗のために金を投ずる余裕がなくなった。 テスト生から某・プロ球団に入ったが、スポーツと
怪我は付き。まもなく肩を壊した。血も涙もない球団からは放出。「金の切れ目は縁(円)も切れ
目」か、妻も出て行った。薄情な女である。
今、彼は古希も過ぎ、もう、何十年も独り暮らしである。野球で無理したためか、脊椎狭窄の手
術も受けた。私は彼の入院中と退院してからも二度 彼を見舞った。(但し、手ぶらで行った)
故郷に帰ることを彼に説得した。(お節介ながら、いまでも時々 電話している)  「引越し荷物
を私が作って、車で輸送してやるよ」と以前は彼に告げていたが、今 私は軽自動車にしたの
でそのことは不可能になった。 
彼の住む狛江市は郊外とはいえ、東京周辺は物価が高い。一歩外に出れば金金金である。
田舎町は自転車で走れる。旧友たちも見捨てることはしないだろう。誰かが「魚釣りに行ってき
た。食べてくれよ。野菜が採れた。食べてくれよ」と、立ち寄ってくれるかもしれない。故郷に全
員が錦の旗を持って帰らなくてもかまわないだろう。
独居老人孤独死のニュースは珍しい記事ではない。




2014 1/17 勧誘電話撃退方法

私は朝から晩までパソコンの前に座っている。寒さからも暑さからも風邪のウイルスからも身
を護れることはありがたい。近年はパソコンを通して「ラジコ」というラジオも聴ける。まったく雑
音が入らない。You Tubeという音楽も只で聴くこともできる。今日もクラッシックを楽しんでい
る。

ときどき電話がかかってくるから留守にはできない。あまり外出もできない。
まだ「振り込め詐欺電話」「俺オレ詐欺電話」は一度もかかってこないが、昨日 ラジオ・ニッポ
ン放送を聴いて、私は防御電話のアイディアを思いついた。昨年までは、ボケ老人のフリが私
の得意技だったが、今年から新方法に切り替えることにした。

昨日の午後の番組で、女性リスナーたち限定で、我こそは若々しい声であると自認する「幼な
声の女性」を募集していた。実年齢が50歳でも65歳であっても、自分は中学生の女の子が留
守番をしていると、これまでもときどき、間違われたことがあるという声だけは若いと自信があ
る人を募った。
横浜に住んでいる二人の女性がラジオに出た。確かに若い声で、しかも、わざと幼稚な雰囲気
をかもし出して喋る会話だった。可笑しくて私も笑ってしまった。

私は「これはイケル!!! 」と思った。
ラジオ番組が終ったとたん、ほんとうに電話が一本入った。「生活支援・・・」とか、なんとかいう
会社からで、ときどき・・・否・頻繁にかかってくる会社である。これまでに、家内から文句を言
われながらも、蟹や松前漬けや、安物の肉を買っていたので、「此処の家は御し易し」と思わ
れているらしい。
「あぁ言えばジョウユウ(上祐)」という流行語があったが、実に巧みである。ぐいぐいと迫ってく
る。
昨日は、からし明太子だった。女のアポインターだった。
「今はぁ、オトウサンもオカアサンもいないんですぅ。お出かけしていますぅ。ボク一人で留守番
しています」と、答えたら、ぷつんと電話が切れた。
「やったぜぇ!! べィビィー!! 」と、喝采を叫んだ。古希を過ぎてもイケルと自信をもった。
イヤ、待てよ。「知能の遅れた二十歳前後の男の子が一人で留守番しているんだ。気の毒
に・・・・」と、思われて電話を切ったのかもしれない。

今日も午前11時ごろ、男性からの電話があった。
「LED照明器具のモニター家庭になってくれませんか」と、いう話の半分だけ聴いて「ボク、今 
一人で留守番しています。パパもママもお出かけしています。夜にならないと帰ってきま・・」と、
いうところで電話は切れた。失礼な奴だ。最後まで語らせてほしい。まっ、しかし、大成功といえ
よう。

また電話があった。
声を若作りにして、なるべくきれいな声にして「ハイハイ・・」と、出たら「着物を処分したい」とい
う横浜からの電話だった。いつもの小父サン声に戻した。
ナンバーディスプレイに相手の番号が出るが「0120・・・・」の番号は、すべて勧誘電話である。

今日のニッポン放送では、某・男性リスナー氏が年老いた母親に、わざと、ときどき「俺オレ振
込み電話」の役に扮して電話を掛けるというアナウンサー氏の放送を聴いた。これも良いアイ
ディアである。母親が本物の詐欺電話に引っかからない為に、日頃から用心として、息子さん
が詐欺役の真似をして母親に喚起をうながしているのである。なるほどと思った。親孝行息子
である。
奇抜なことを考えているのは私一人だけではないと知った。



2014 1/17 発泡スチロール サイコロ

私はやることが早い。あまり思考しない。想い立ったが吉日とばかり、すぐ実行する。計画など
はない。
当たって砕けろが私の人生だった。それでもなんとかなってきた。採点を付けるならば68点の
人生。

昨日、寝ながら考えていた。
生後六ヶ月の男児・外孫に、サイコロを作ってやろうと考えていた。大きなサイコロが必要だと
考えていた。5cm×5cm程度の大型サイコロを、何の素材で作ろうかと夢の中で考えていた。
五寸角材(材木)は重い。
そして危険だ。孫の母親と、また喧嘩になる。
昨日も孫の家に行ったが、こだわりの強い娘と意見を異にした。私が買って与えたカシオの電
子ピアノを置く場所の件で、意見の相違があった。怒り心頭に達したが、私は顔には出さな
い。口にもしないが、帰途、車の中で家内にブーブー文句を言った。家内は馬耳東風。返事も
しない。
暮れに買って与えた「歩行器」は大成功だった。今、彼は部屋中を歩き周っている。ベッドの中
だけでは我慢ができない限界だったのだ。まだベッドの柵に捉まり立ちはできない。ベッドの中
だけで寝て過ごすことから開放され、床の上を自由に、行きたい処へ移動している。
娘は「まだ早い。買わなくてもいい」と言っていたが、与えたことは正解だった。「頭脳にも好い
影響が出たと思う」とさえ、娘は言うようになった。「それ 見たことか」と、私は言いたかったが
言わない。
サイコロは孫の誕生したその日にnetで6個買った。但し、小さいので口に入れる危険性があ
る。
発泡スチロールで作ろうと思っていた。四角形の白い豆腐のようなサイコロを作りたいと思って
いた。
家内から手芸用の、一辺が5cmの発泡スチロールを5個 貰った。実に良い。適当な大きさ
だ。
発泡スチロールは角が弱いので、白い和紙を巻きつけた。更に、白い和紙のテープで補強し
た。
ちょうどよい硬さになった。赤い丸のシールを貼った。しかし、手に持たせれば舐める時期だ。
サイコロは『動物園すごろく』に使用させる。「1」が出たら1つ進み、「6」が出たら6つ進むことを
継続している中に、数字と量を会得することを期待している。私のサイコロには各辺に「アラビ
ア数字」も書いてある。
更に成長した暁には、サイコロを2個 使用することを要請する。そして3個のサイコロを使用す
るべし。4個まで製作する予定である。瞬時に暗算がてきることを期待している。就学前までに
出来たら褒めてやろう。
九九(掛け算)のCDも買うつもりである。アマゾンで買える。 「どらえもん」の歌のリズムで九九
を暗記する。これは早く暗記できる。歌やリズムの力は大きい。これは内孫で経験済みであ
る。
サイコロは掛け算の練習にも使用できることを娘に言おう。喧嘩をしないように様子を見なが
ら。
昨日はnetで買った「ひらかな」玩具を2個持参した。一台目は音声は出るが「タッチ・パネル
式」で今の年齢では不適だった。追加購入した二台目は音声が出ない。しかし、ボタン式であ
るから、孫はボタン押し作業に、狂ったように集中して遊んでいるが、netアマゾンでは品物の
説明不足だと思う。
「ひらかな」は漢字と違って、それ自身に意味が無いから、漢字よりもむつかしい。漢字は「漢
字カード」で、娘は既に早くから始めている。「絵カード」も既にやっている。成功したと思える日
はまだまだ遠い先だ。まだ喋れない。すごい大きな声で「アーアー」と、意志を告げる。娘はい
つも小さな控えめな声だ。「恥ずかしいからヤメテ」と言っても、さすがに男の子だ。母親を脅し
ているようだ。
私は孫を動物的本能として、「かわいい」とは思っていない。その証拠に、私はあまり抱くことを
しない。第一彼は重いのだ。10kgを超している。歯も6本生えた。家内は女だから「かわいい可
愛い」を連発。私は孫をじっと観察している。本は大好きになった。これは大成功だ。どのよう
な状態のときも、絵本を読み始めると絵本に走る。だが、絵本にも好き嫌いがある。七五調の
文で、「て・に・を・は」助詞が付いていない文章が今は適当だ。詩のような短文が好きだ。「の
んたん」の黒雲が出てくる怖いシーンでは孫は怖がり、熊のお母さんが笑顔で家に帰ってくる
別の本のシーンではニコニコ顔で喜ぶ様子。まだ生後六ヶ月で・・・と、不思議な想いで観察し
ている私である。医者に予防注射をされても、絵本を読むと泣き止むと、娘から聞く。
我が家の子どもたちは「のんたんシリーズ」で大きくなった。娘は「のんたんシリーズ」絵本をす
べて暗記しているから、散歩の帰途道では、本の文章を声を出して聞かせながら歩く。

娘というものは言いたいことを言うものだ。これが嫁だったら心に芯が残るが、娘では仕方が
ない。
孫の為に我慢をしている私である。


2014 1 /9 大時計

時計の振り子が大きく揺れ動くのを見ながら、私は昔を思い出していた。
40年も昔になるだろうか、亡兄が京都の四条大宮・交差点の近くに五階建のビルを建てた。鉄
筋ビルというよりも借金ビルだった。無理算段をして建てたらしい。ゴルフ場会員券も三つとも
売却して、資金に充当したと聞く。
「旨く行くだろう」という当ては外れた。「当てとフンドシは 向こうから外れる」という。数年後、金
融はバブル水泡に消える時代がやってきた。親亀の主取引先が倒れると、背中に乗っていた
小亀も こけた。

私は高さ1m80cmの振り子時計をビルの新築祝いに贈った。私もかなり無理をしてその時計を
プレゼントした。当時で10万円した。本当はプレゼントなどしたくはなかった。意地と見栄で贈っ
たのだった。
その理由は、兄は私から、100坪の土地を奪い取ったのだった。景気が悪化し、借金の肩代わ
りに銀行に取られた。私の知らぬ間のことだった。
某・顧客様が、私が両親を丹後の田舎から引き取って一緒に暮らしたいという話に対して「そ
れでは私が安い金額で150坪の土地を提供してあげましょう」と、「昭和25年の農地改革で政府
に一旦預けた土地が逗子の神武寺駅のすぐ傍にあるから、その土地を当時のままの価格で
売ってあげましょう」と申し出てくれた。「但し、五人の小作人さんたちの、土地放棄書類を作成
して同意の印鑑を集めてきなさい」とも言われた。これはなかなか困難なことだったが、まだ30
歳の若さで、ファイトはいつも満々の私は、4人の同意書にサインをして貰った。ただ、あと一人
は手放すことを拒否した。しかし100坪あれば十分だと思い、広い家を建てた。
但し、頭金の100万円しか手持ちが無かったので、兄の会社の社員だった私は毎月の給料と
ボーナスから引き落とす約束で決行した。100坪の土地が15万円もしなかった。真実である!!! 
新築家は650万だったが、兄が立替てくれた。但し、兄の会社の社員寮という名義にされた。
広い芝生付きの桂離宮を真似た、建物は『雁行』の形にした。東南に面した・角地の・駅まで2
分の、良い場所だった。日照満点!!!
某・顧客様は裕福な方で、ロータリークラブの会長たちの、その上の会長のガバナー役を勤め
る人であった。また、某銀行の理事の一人でもあり、名詞には肩書きが連ねてあった。横須
賀・三笠カトリックの教会の代表でもあった。本業は、慶応大・経済卒でありながらキリンビー
ルの特約店の卸業。長女さんの婿は北総鉄道・初代総裁。次女さんの婿は慶応大・数学教
授。長男さんは防衛大学校の教授という、あまり金銭には頓着しない学閥系の一族だった。美
髯を蓄えた紳士だった。私は幸いに、たくさん着物のご贔屓になった。

こうゆう経緯の下、前置きが長くなったが、何故 振り子時計が戻ってきたかというと、15年余
前、亡兄の次男の妻が病気(癌)になり、滋賀県まで見舞いに行ったとき、振り子時計が小さな
家の階段の下に置かれ、邪魔者扱いにされているように見えた。
そして、今回「もしも、邪魔だったら、叔父サンに引き取らせてくれ。送料着払いで良いから。あ
のビルも今は無いのだから」と相談してみた。
正月の三日、大きな時計が到着した。時計はロンドンのビッグ・ベンの音色の外、あと二つの
有名な音色がインプットされていて、15分おきに、きれいな音色を告げている。私はロンドンに
行ったことがないが、この音色は何処かで聞いたことがある。いつも聴いていた音だ。何処か
の学校のチャイム音である。何処だろう。

経緯を、家内はじめ、息子や嫁や男児孫にも話した。そして「オジイサンの古時計」の楽譜を
買ってきて、今 ピアノで練習している。
《♪ 100年 休まず チクタク チクタク ♪ 今は もう 動かない オジイサンの時計》 
息子も孫も私の話を理解してくれ、息子は当時の私の くやしさを判ってくれた。
時計は地震がきても倒れないように固定させた。玄関を入った場所に設置した。
ゆったりと 振り子は ゆれている。長い二本の鎖の間を ゆれている。

物を巡って、人間の気持ちは 怒りや 喜びや いろいろと揺れ動くが、物には罪は無い。




2013 12 20 百年の大計

「虎は死して皮を留め(とどめ)、人は死して名を残す」という。
立派な毛皮がない私は虎にも劣る。髪の毛さえ、少なくなった。
エジプトのファラオーたちはピラミッドを遺した。中国の皇帝たちも壮大な墓を造らせた。仁徳
天皇の御陵も負けず劣らず大きい。造らせた権力者たちに共通する想いは、自分の名前と偉
業が永く残ることを願ったであろう。

家内に相談すれば「却下!!! そんなものはいらない!!!!」と、言われることは必定なことを、ワタシ
は今 密かに考えている。
道祖神である。
石で作った、田舎の道端に・田の畦道(あぜみち)に、野ざらしに在る石の小さな像である。
全国のいたるところに在るが、特に信州・安曇野の風景には道祖神が似合っているが、何故、
信州に多く点在しているのだろうか。去年の春に家族旅行で安曇野の山裾をドライブした道に
も、たくさんの道祖神が見られた。
道祖神はお地蔵さまとは違うようだ。お地蔵さまは幼児・子供を守護するために建立されてい
る。
道祖神にはいろいろな説があり、宗教的な目的もない訳ではないが、最初に作った人の意と
するところはなんであったのか。旅人の安全を見守る為であったのだろうか。
村の結界を標す場所には、六地蔵さんがある。赤いヨダレ掛けのような布と赤い帽子の姿。
信州松本城の近くの骨董屋さんで道祖神を販売していたが、けっこう高価だった。5-6万円して
いた。重い・買えばカミサンと喧嘩になる・と、即座に判断してそのときは買わなかった。

孔子&孟子の石像を庭に置いている家もときどき見るが、あの像が在る家は学問のシンボル
だからインテリの職業でなければ似合わないと私は思う。そして、相当な日本庭園でなければ
不似合いである。また、人の背丈の大きさが必要であろう。30cm大では意味がない。

沖縄ではシーサーが家の門や屋根や玄関に設置されている。昔は鬼瓦が大きな屋敷の屋根
に揚がっていた。いずれも悪霊・魔物・火事・泥棒から家財を護りたいと願って掲げたものだろ
う。
京都府の大江山といえば、源頼光が鬼を退治した伝説で有名だが、鬼博物館が有る。鬼瓦も
1mを超すと堂々たるものだ。迫力満点。古い鬼瓦の数々が全国から寄付され、展示されてい
る。あれも護り神になる。販売もしていた。10万円を超す物は立派。

年に数回の、墓参になど来なくても、庭の道祖神を見たら「爺と婆を思い出しておくれ」と、孫た
ちに、いつ言おうかと考えている私である。
男女の像の道祖神は「双体道祖神」という分類・種類だと学習した。手を握り合っている・肩を
抱いている。家族が仲良く、暮らして欲しい気持ちはある。『平成○○年○月○日』と、赤いペ
ンキで揮毫したい。しかし、まだ買っていない。いつ買おうか? それが難問である。
埼玉県の三郷市で墓石を製造している人と昨日 電話で会話した。重量のある石像は設置が
困難だ。
5匹の野良猫にオシッコを掛けられない場所の設置が大切。

私は暇だと、いろいろなことを考える。




2013 12 3 電子ピアノ

必要は発明の母というが、ケチからは創意工夫が生じる。
今回は何を作ったかというと、音楽の楽譜の「見台」である。わかり易くいうならば、楽譜立てで
ある。
見台とは、時代劇ドラマで読書や謡曲の練習をしている情景で、本を支えている木の台であ
る。
楽譜は金を払わなければ求められないが、(1,050円)楽譜立てが4,000円もするというので、ケ
チな私は自分で作ろうと決心した。
生後5ヶ月になったばかりの5人目の孫の為である。歯が二本生えたばかり。ちょうど5ヶ月にな
った当日、寝返りができるようになったと、孫の母親である娘から電話があった。
それならば急がなければならない。
なにしろ、「追い越せモーツアルト!!! 飛び越せアインシュタイン!!! 目指せホーキンズ博士!!!」と、
無責任にも毎日 寝言を言っている私である。
孫が産まれた5ヶ月前の6月28日に、net Amazonで動物園双六(すごろく)と6個のサイコロを求
めた私である。動物の絵は興味を持たせる為、サイコロは数と量の認識を持たせる為と、私
は勝手に希望した。チンチロリンと陶器の茶碗の中で音をたてると、孫は嫌でもサイコロを見
るだろう。インドでは二桁の九九を暗誦するから、2個3個4個のサイコロの目を計算できるよう
になるかも知れないと期待しているのだ。これでアインシュタインも顔負けの赤ん坊が育てば
言うことなし。
音楽・芸術・スポーツで身を立てるのは難しいが、趣味程度の芸術は人生を豊かにする。特に
音楽は良いと思う。
そのように思って、先日net Amazonでカシオの電子ピアノを買った。見台はその為に製作し
た。孫の母親の娘にピアノを弾かせ、ベビーベッドの中に居る孫に聴かせるのだ。そのうち、
ベビーベッドの木枠サークルに掴り立ちをして「オレもその音の出るオモチャを触りたいよう」
と、孫は眺めるだろう。「早く触りたい」という飢餓の気持ちが大切なのである。満腹状態ではダ
メ。そして頃を見計らってピアノに触らせる。少しだけ。ドレミファソラシドの音階を聴かせる。
これでモーツアルトも顔色なしの赤ん坊が育ては゛・・・・・と、爺さんは考えている。
古いカメラの三脚がある。これを見台の脚にしようと考えた。楽譜を載せる台はホームセンタ
ーでアルミ材の「L字型棒」と、「平金棒」を買ってきた。横幅45cm・縦長さ30cmの台を組み立て
た。ドリルで穴を開け、リベット鋲で留めた。カスガイも付けた。軽くて丈夫だ。これにカメラの三
脚の螺子(ネジ)に取り付けた。(取り外し自由) 今回は自己評価は95点だろう。
さて、これをどうやって娘に受け取らせるのかが難問である。娘はこだわりの塊である。
まず、「これは遺作である」と言おう。「孫の為に、爺さんからの形見である」と言おう。「そして、
もしもこれで、絶対音感が身についたり、音楽に造詣が深い子になったら、爺さんのお陰だと
思ってくれ」と、話はエスカレートする。
娘もスズキ・メソッドでピアノをやっていたが、中学生からは中断している。しかし、私でさえ63
歳からピアノ教室に通うようになったら、下手ながら両手で簡単な曲が弾けるようになったから
心配はしていない。モーツアルトのキラキラ星・変奏曲は8バージョンあると聞くが、娘は5バー
ジョンまで弾いていた。楽譜無しの暗譜演奏がスズキ・メソッドの特徴だ。しかし、楽譜が読め
ないらしい。音階は私が譜面にカナを付けた。カシオの電子ピアノは、まだ箱を開封していな
い。今週木曜日、娘宅に届けに行く予定だ。迷惑そうな顔をするのが見える。「こんな大きな物
を何処に置くの??」と。「箱は大きいが、本体は机の上に乗せられる程度だ」と。親の心?? 爺爺
の心、孫に伝わらずになると金と製作の努力が勿体無い
。螺子(ネジ)のサイズが合わないことと、改良の為に、ホームセンターには4回も通った。

家内??家内の評価?? 家内は、最近はあきらめているのか、今回は出来栄えも悪くない為か、
沈黙している。お互いに物を製作する楽しみに耽っている。




2013 12 9 挨拶のない子


玄関のチャイムが鳴った。最近は電話呼び出し音と同じように、我が家では、けたたましい連
続音にしている。
仕事場から、ちらっと見るとあの子だとわかった。我が家の男児孫・中学三年生の友だちであ
る。

「イッセーィ、お友だちだよぉー」と、二階にいるはずの孫に大声をかけた。
そして玄関を開けた。
のそっーと、  黙って、   眼を半分下に向け、
挨拶も無しに、こちらを見ている男の子。いつもこうだ。

葉山町に在る、某・施設で養われている男の子である。しょっちゅう来る。
気味が悪いほど、喋らない。
生まれてきたのだから親はいるはず。育てられないという理由で、施設で生活しているのだ。
来ればパソコンゲームをして遊ぶらしい。

まずもって覇気が無い。15歳の元気いっぱいの男の子の様子は皆無。気のせいか、顔色も悪
い。
我が家の孫は、本当に優しいから、友だちとしている。
そして、孫の母親もオヤツをたっぷりと出すようにしている。一応、出してやれと私も言っている
が・・・・・
今日も、いつものパン屋さんが横浜から販売に来た。ちょうどよかった。食うものがある。パン
屋も、この近所に有るのだが、せっかく横浜から販売に来るのだから空手で帰すのは気の毒
と、家内も嫁も買う。私は意地悪だから、私 独りだけのときは「悪いねぇ。今 誰もいねぇんだ
よ」と、帰す。
パン屋は「ちえっ、今日はタイミングが悪かった」と、顔色に出ていて、仕方なく帰る。60歳すぎ
の爺さんだ。

閑話休題
私の亡兄の宅には、常に3人ほどのお手伝いさんがいた。第一号は、ミヨさんと言った。鹿児
島県枕崎からの人だった。以来、何十人のお手伝いさんが入れ替わり立ち替わりあっただろう
か。
亡兄宅は子供が5人いて、商売をしていたから、子守さんと掃除婦さんと食事係が必要だっ
た。
そして、姉たちが福祉事業として養護施設を修道院で営んでいたから、中学を卒業した女の子
は、しっかりと
自立できる精神年齢に達するまで、しかるべき家庭で生活させて欲しいと、常に彼女たちを送
り込んできた。
まぁ、いろいろな子がいた。

我が家から、また 次の家庭に行った子もたくさんいた。3人は記憶している。
想い出として語るなら、東京神田駿河台(大久保彦左衛門・屋敷跡)に、雑誌「主婦の友社」の
社長さんの屋敷があって、その家からもお手伝いさんを所望された。呉服屋としての大切な大
顧客様であった。
ミッチャンという名前の子が行くことになった。ミッチャンはその家で大切に扱ってもらい、お嬢
様が三人おられたので、古いながらも洋服を常にミッチャン下賜して下った。
ところが、親心の判らないミッチャンは誂え注文の洋服を着ないで、安物の洋服を自分で買っ
てきて着ていたという、お屋敷の奥様の談話であった。ちなみに、ご長女は今は病を得て勇退
したが、衆議院議員・大臣を何度もなさった○○○○氏の奥様になられた。

三浦半島第一の酒問屋のお宅に行った子も、気持ちの伝わらない子であったようだ。
埼玉県草加市の某・産婦人科医院に、私が頼まれて世話した子は、助看護婦から正看護婦に
なったということもある。あの頃は、そうゆう制度もあったのだ。

聴くところ、施設ではクリスマスやお正月などの催しでプレゼントを貰ったとしても、子供たちの
代表者がお礼を述べるだけ。他の子供たちには、ほとんど意が伝わっていないようだと、修道
女の私の姉が嘆いていた。
常に一方的にプレゼントを受けるだけ。Give and take ではない。

かわいそうだが、親からのしつけという教育を受けていない。

まっ、爺さんの私が文句を言っても仕方がないが。




2013 12 4   年賀状あれこれ

6年ほど前のこと、5歳年上の先輩から「もう、年賀状を出さないで下さい。自分は高齢者だか
ら、ぼつぼつ年賀状を止めたいと思っている」と、言われたことがある。今でいうと終活である。
それを聞いたとき、なんて淋しいことを言うのだ、年賀状を書くのも貰うのも楽しいではないかと
少々憤慨した気分がした。
しかし、この暮にきて、自分も今年から年賀状の枚数を絞っていこうと思う気持ちになってい
た。カーテンを閉じる時が近くなったということだろう。
そして、ここ毎日まいにち、喪中につき賀状の挨拶を欠礼しますというハガキが数枚づつ舞い
込んでくる。私はこれに対して、毎日 返事をしたためている。手書きで書いている。
若かった頃は、これらを無視していた。返事を書くことに注意が向けられなかった。気がつかな
かった。ご遺族を慰める言葉を贈る言葉がなかった。亡くなった人は、致し方ないと思った。
今は毎日書いている。昨日も一通書いた。
今朝は、市川中車クンからの喪中ハガキが来た。宗家の市川團十郎氏が亡くなったので、一
門の中車クンは喪に服すのである。さっそく、自宅の方へハガキを出した。ついでに、流行語
大賞になった「倍返し」のドラマに、彼の演技が鬼気迫るものを感じたと書き加えた。彼が膝ま
づくシーンが、あのドラマの光彩を更に輝かしたと思うと書いた。
一昨日の喪中欠礼挨拶には衝撃を受けた。小学校からの旧友(女性)が亡くなったという。彼
女のご主人からのハガキだった。
彼女は小学校生活の途中から転校して行ったので、その後の生活も何も知らない。
彼女の父親はローカル町の警察官で、転勤がつきものの生活だったようだ。親から良い精神
的教育を受けていて、自分というものをしっかりと保っていた。40歳を越してから同級会に参加
するようになり、寡黙の中からも、子供が4人いることや、その後、孫は10人になったとか、断
片的に語った。特筆すべきことは、毎年貰う暑中見舞いや年賀状がすばらしいものだった。彼
女からではなく、ご主人が書いた「作文・年賀状」だ。8ポイントの小さい字で、びっしり書いてあ
る。過ぎた一年間や半年間の出来事が楽しく書いてあるのだ。4人も子供がいるので書くこと
が沢山あることは私も4人の子持なので理解できる。高齢の母親のことも書いてあった。当然、
孫たちのことも。毎年の年賀状の中で秀逸だった。「年賀状大賞」を差し上げたい気分であっ
た。これが本物の一年ぶりのご挨拶状であるべきだと思う。暖かい文章と思う。ご主人の人柄
がわかる。彼女も幸せだっただろう。
三年間闘った癌だった。だが、抗がん剤もすぐに止め、手術も拒否したという。ホスピスでの三
ヶ月間で、10人の孫たちに手作りの御守り袋を作り、中に写経をした紙を入れて贈ったという。
辞世の短歌を二首、ハガキには載せてあった。ご主人もさぞや悔しい想いであっただろう。

昔、親しくしていた方に同じような人がいた。聡明で美人で闊達な人だった。故・北村西望氏(長
崎・平和祈念象作者)の娘さんだった。当時の丸山ワクチンも拒否して、堂々と進んだ。50歳余
だった。

紋切り型の事務的な「昨一年はご厚情を頂き云々・・今年もどうぞよろしく云々・・平成00年元
旦・・」などの年賀状は、郵便配達夫さんを走り回らさせるだけで、少なくとも私は嬉しくもなんと
もない。まっ、私が怒っても致し方ないが、事務的な差し障りのない文面の賀状と、親戚や友
人たちへ送る賀状と文面を区別すれば良いと思う。
賀状制作(写真撮影)の我が家の苦労ばなし。
毎年、暮に家族写真を撮影しているが、まず、多忙のカミさんの機嫌をとりとり、和服を着付け
させる。これが難事業である。着物選び→帯選び→襦袢の袖丈合わせ→帯締めと帯揚げ選
びと、小物の点検だ。昔は家内と娘たち3人と、今は嫁と女児孫の着付けをしなければならな
い。しかし、ありがたいことに女児孫は一切 文句らしい言葉は出さない。嫁は当然 寡黙だ。
だが、写真の表情は硬い。笑顔が無い。「早く終わってよぅ!!」と、顔に出ている。言わなくてもわ
かる。これもいつまで続けられるか。ボケたら、暮もクリスマスも正月も「なんのこと???」となる
だろう。




友人たち  11月22日

晩秋の一日、旧友たちと北軽井沢へ温泉旅行に行ってきた。私立中学一年生以来の長い付
き合いの男たち四人。もう、古希にもなると、温泉入浴も、食べることも、紅葉も、さほど興味も
ない。楽しいのは語らいである。生活に変化をもちたいものと思い、友人たちに呼びかけた。

なるべく安上がりで、しかも「安いだけあって、もう二度と行きたくないなぁ」と、仲間から言われ
ては困る。入浴税・約160円+交通費(東京から軽井沢間 1,000円)。食事は、最近は何処でも
バイキングスタイル。人件費の節約で仕方がない。悪くなかったが、贅沢を言えばキリがない。
13500円。

午前8時45分。東京・新宿都庁前の駐車場から送迎バスに乗車。往復で1,000円。(保険付き)
自家用車の運転は誰が運転するにしても危険だ。友人間の運転には責任がある。万が一のと
きは、保険だけの問題では済まない。ホテル専用の大型バスはプロの運転手だから、一応安
心。
新幹線利用にしても、自家用車で行くにしても、一人・一万円はかかる。ガソリン・有料道路代
金。

妙義山からは山の葉が色づいていたが、ほとんど黄色い葉ばかり。真っ赤なモミジは、神社仏
閣でないと見られないようだ。初夏の山には野生の藤の花がいたるところで見られるが、モミ
ジはお寺でこそ楽しめるものだろう。九月末には金色だったカラマツの葉も、今はカラシ色にな
り、ほとんど落葉していた。軽井沢はカラマツと白樺に覆われている街だ。カラマツは金色も、
真夏の緑色も好い。北原白秋の詩であったか、「カラマツの林に入りて・・・カラマツの林を出
て・・・カラマツ、カラマツ、カラマツ・・・」と、何回も繰り返す詩を教科書で読んだ中学生だった
日、おかしな詩だなぁと思った。初めて軽井沢や信州のカラマツ林に入って、ようやく納得し
た。白秋も北九州の人だったから、大人になってからカラマツを初めて体験したに違いない。

会話はピンポン(卓球)のようなものである。独演会は困る。そして、間も大切。人の話をよく聴
かなければならない。また、間髪を入れずのリアクションも大切だ。ぼっーと聞いていてはダ
メ。自慢話も厳禁。自分を哂うような話が好い。妻に愚弄されている話がウケル。しかし、その
とき、図に乗って友人を哂う返答はダメだ。そのときは黙って聞き流しておけばよいのだ。

以上のような会話で四人は楽しく語らった。皮肉を言う友人はいない。意地悪っぽい会話は無
い。ましてや、目の前の友人をバカにするような会話は無い。さすがに、ミッションスクールで教
育を受けた我々であると自負した。酔って、からむような者はいない。四人にはそれぞれ個性
があるが、みんないい友人である。
TF君は「電通」を定年した。酒仙のような、飄飄とした雰囲気と風貌。ほとんど聞き役。
HO君は学生時代は野球部だったから、元気一番!!! トヨタを一旦退き、東京海上保険に通勤
中。次男が慶応の大学院・理工学部・物理学科の博士課程に席を置いたから、もう、まもなく
楽になるはず。
HH君は日本自動車連名(JAF) 出版の社長を先般 勇退したばかり。いつもおだやか。会話も
物静かだ。JAFには私も4回 助けてもらった。刊行誌の案内で、旅行には頻繁に出かけた。

良い友人たちと時々呑み会で合って喋るのが楽しい。12月の半ばにも、忘年会が決定してい
る。
今回の旅行には参加できなかった友人も3人が加わる予定だ。鎌倉市内の居酒屋だ。

マージャン・ゴルフを共に過ごすと人の性格が判明すると聴くが、呑むことや旅行もその最たる
ものだろうと思う。
ともかく、あと数年を楽しく ときどき過ごしたいものである。



想定外の扶養家族

我が家の一族郎党・扶養家族を紹介します。
ゴキブリ数匹。昨晩、久しぶりに一匹 出ました。三女の友人が発見。大騒ぎでした。飼ってい
ます。
沢蟹(さわがに)数匹。隣の敷地の山の湧き清水に、40年間経てもまだ住んでいます。
金魚5匹。5年前、神社の祭で孫がすくってきた2cmだった金魚が、今30cmを超えて大きく成
長。
野良猫三兄弟。半年前から我が家の庭に居ついています。赤猫2匹 &、雉子猫1匹。
野良猫根性が、ようやく消える兆し。背中をなでさせるようになりました。いちばん低価格の餌
を買って与えています。時分ときには来なくてもいいのに、揃ってきます。我が家の家族一同は
全員が猫好き。私は好きでも嫌いでもない。まぁ見ているだけ。「癒しになる」と言うが信じられ
ない。私が庭に造った藤棚の柱(焼き杉の丸太)で、爪を磨ぐのが腹が立つ。(焼き杉は柔らか
いから)
飼い猫 一匹雑種ながら、家屋から一歩も出ないお利口猫。名前はマロン、または麻呂。食卓
の上の魚も肉も決して盗らない。たくさんの着物にも、ジャレないが、私の、大工仕事の壁板
で、爪を磨ぐのが困る。いたるところ、壁板はボロボロ。
五番目の男児孫。三ヶ月前次女が初産しました。幸彦といいます。ボンレス・ハムのような足と
太もも。
四番目の男児孫。小学2年生。長女宅の次男。次男なのに「冴太郎」(こたろう)という名前で
す。
目がくりくりしていて、女の子のようです。まだ、宇宙人。人間にはなりきっていない。
三番目の男児孫。小学5年生。長女宅の長男。恐れ多くも「総一朗」などという名前。netで検索
してみると皆さん方 田原総一朗氏も含めて そうそうたる人ばかりです。名前負けの感アリ。
訪ねてみると、いつでも兄弟揃ってテレビゲームをしている。勉強している姿を見たことがな
い。
二番目の女児孫。内孫。「さつき」といいます。出産時、嫁曰く、「夏姫」(サツキ)に決めようか
と。と言うので、「韓国人っぽくない? 」と爺さんは異議を。時あたかも、大韓国航空機爆破事件
後で、工作員の名前が「金賢姫」(キム ヒョニ)を連想。姫の字の名前は韓国の人に多いか
ら。
一歳八ヶ月で、ひらかなはマスターした。質問をすれば、ちゃんと答えて、面倒がる様子はない
が、自分からぺらぺら喋ることはない。「微妙」が、得意な答。政治家向きか。そのうち「遺憾に
思います」と。テストの成績は小学校に入学以来、いまだにほとんど百点。たまに95点。しかし
自慢はしない。友達の悪口は言わない。淡々としている子。自宅に友達が遊びに来て、後、帰
宅どきは、自宅までかならず送っている様子。絵が抜群に上手。「漫画家になりたい」と言う
が、爺さんは「やめろ、絵で飯を喰うのはむつかしい」からと、忠告をしている。
筆頭一番目の男児孫。内孫。中学3年生。身長が175cmに。中学生にしては素直でおとなし
い。妹とも喧嘩はない。学校では陸上部・短距離専門。警察署での練習・空手道も紫帯。大き
な声を出したことはない。お爺さんよりも低い静かな声。成績は、見せてもらってないが、悪び
れない。あまりたいしたことはないらしい。叱ったことは一度もない。褒めまくりの爺さんと婆さ
んである。

以上が扶養家族です。
家族の人数が多いから、公明党の町会議員さんは親切にして下さるが、選挙権の無いものが
多いので、あまりご期待に添えない。選挙のときは約束を守って、義理を果たしていますが。

娘たちの家庭に、米・葉山町のおいしいパン、有名なコロッケその他 もろもろの物を届けに
走り回っています。
まっ、それは良しとしても、野良猫の世話をする費用は想定外でした。金魚が5年も生きて、
30cmの大きさになることも考慮外でした。








孫の初宮詣り

此の歳にして初めてお宮詣りを経験した。呉服屋という仕事柄、顧客樣たちには盛んにお宮詣
りを勧めた。言わずと知れた、和服やお掛着を販売する為であり、販売促進の為であった。
若い夫婦だけでお宮詣りを実行することは少ないかも知れない。費用も掛かる。爺や婆が近く
に住んでいれば、そして若い両親に協力をすることによって実現するだろう。

初宮詣りには作法がある。朝廷や武家や神社にも、有職故事と言われるように古来からのし
きたりや決まり事があった。権威を保つ為に、その智識を知っている者は知らない者に対し
て、惜しむことなく披露することはない。(殿中 松の廊下の事件の例がある)
自己満足で好い。生後何日目であろうと因われることはない。

10月13日は幸い長い暑い夏日和もようやく終わった大安の日曜日であった。前日までは本当
に暑かった。神社には予約をしなければならないから、雨天でも決行しなければならないのが
事前約束の困難な点であるが、幸い雲一つない秋晴れになった。「幸先が好い。縁起が好い」
と喜ぶ。雨の日であれば「雨降って地かたまる」と、喜べばよい。
我が家の4人の子供たちはカトリックだから洗礼式がお宮詣りに該当した。白いレースのベビ
ードレスを着せたが、5人目の孫は婿殿の希望どおり、近くの熊野神社に参拝した。

「初宮詣りグッズ」というべき小物を用意した。京都から取り寄せたのは白いシルクの大黒帽と
ヨダレ掛と、張子の犬(安産のお礼の意味)、でんでん太鼓、男児用の扇子(名前・生年月日、
両親の名前を明記する)、誕生記という巻物(名前・生年月日、両親の名前を明記。お食初め
式の月日。七五三の月日。手型や足型や写真) 扇子は神社に奉納させていただく。(絵馬を
奉納してある場所に掛けておく) これらもすべて親たちの自己満足の品々である。
生母の方の実家が負担することが習慣であるが、どちらが負担してもかまわない。負担する物
といえば、生母の実家でお赤飯を用意することが多い。事前に和菓子屋でお赤飯を予約注文
しておいた。我が町の某・和菓子屋のシャッターが開く朝、20分も前に店の前に車を駐車して
待っていた。結婚式のときの仲人さんやお世話になった方や親戚に配っても良いだろう。
こんなときにこそ使用すべき物は「掛け袱紗」(ふくさ)である。佐賀錦織りの生地に「寿」の字が
織り込んだ袱紗をお赤飯の上に掛けた。たくさんの「寿」の字が隷書体で織り込んである。周
知のとおり、寿の字や、翁や鶴亀の絵は「下」にして、袱紗を掛ける。きれいな絵でも裏側にす
るのが袱紗の作法である。「上」に見せるのはその家の「家紋」である。お赤飯を絹の縮緬風
呂敷で包み(結んではいけない) その上に家紋が上になるようにして袱紗を掛けるのである。

神社では七五三の子供たちとその親や爺婆がたくさんたくさん居た。三箇所の駐車場は車両
で満杯だった。
神主さんは女性だった。まだ30歳前後の女性だったことにびっくりした。おそらく、此の熊野神
社の独り娘さんなのであろう。なかなかの美人であった。祝詞(のりと)の意味は皆目わからな
かったが、「はらいたまえ・清めたまえ」と「かしこみ かしこみ」だけが耳に残った。

幸多かれと祈るばかりである。




ならぬ堪忍 するが堪忍
「堪忍五両」「堪忍の忍の字が百貫する」「堪忍は一生の宝」「ならぬ堪忍 するが堪忍」などの
言葉がある。
かと思えば「堪忍袋の緒が切れる」ともいう。
いま、どちらにしようかと迷っている私。

単刀直入に言おう。
三ヶ月前に初産した次女娘の家に行くと、いきなり「オトウサン、手を洗ってね」と言う娘。
まっ、それはもっともである。抵抗力の少ない新生児にお爺さんがバイキンを運んできて感染
させたら申し訳ない。しかし、気分が悪い。お爺さんはバイキンマンだというのか。嫁ならば一
生許せない!!!!
90歳の姉が入居している施設でも、手洗いとウガイは必至の義務である。ここでも我慢して手
を洗う。

毎食後、私は口の中をウガイをしている。
娘は、「ウガイした後、洗面所をきれいに洗っておいて」と言う。
私・「ちゃんと洗ってあるよ。洗ったよ」と。
娘・「この前、一つ、白いものが残っていた」と娘。・・・・・・・・白いタイルの洗面所に白い小さな
ものが残っていても老人は見落とすことがある。見えない。
腹が立つが、まっ、我慢しよう。沈黙は金なりと。・・・・・・嫁ならば一生許せない!!!!

極めつけは、「トイレは座ってして下さい」と言う。言葉は丁寧だが、毒針である。
大便ではない。「小」のこと、小の用足しのとき、女性のように「ズボンを脱いで、腰掛けてしろ」
というのである。
清潔好きなのは結構だが、男性に向かって「ズボンを脱いで、用を足してくれ」は、ないと思う。
「シブキ」が飛ぶ。「飛沫」が飛ぶというのである。飛んでいるか飛んでないか、私にはわからな
いが、そうであるなら便器の両脇に紙を敷いておいて、一日に一回 交換すれば良いと思う。

そもそも娘の旦那が気の毒である。そんなことを強要されているらしいと推察できる。
家庭平和のため、言い争いをしたくないから、妻の機嫌を損ねたくないから、気分よく仕事に出
かけたいから、朝からもめたくないからということで夫たちは「ハイ」とまでは言わないまでも默
従していることが多い。
しかし、しかしである。積もり積もって、ある日 爆発する危険性もなきにしもあらず。

昔々、某方で、それはそれは見事にだらしない・汚い・顧客樣宅があった。家庭内をきれいに
しようという感覚は皆無。筆舌に尽くせぬほどの汚い台所。茶色になった畳・天井。その筆頭
はやはりトイレだった。暗い裸電球の20w(ワット)の灯がポツっと一つ。真ん中に穴が開いてい
る処が昔の汲み取り式「ポットン便所」の「落とし處」だ。よくよく目を開いて見ないと危ない。暗
いから。足を一歩踏み間違えれば片足が落ちる危険性あり。おもむろに、穴に目がけて発射
しなければならないのだが、「金隠し」と呼ばれる物が無い。穴は長方形の「穴」だけであるか
ら、よくよくねらって開始しないと床に小水がジャージャー落ちる。「しぶき」や「飛沫」なんて言っ
てる場合ではない。商店街で、寝具を商っておられたから、商店は、奥の家庭部分は粗末にな
るのもモットもだと理解できるが、それにしてもあまりにも。しかし、奥さんも旦那さんも人柄は
好かった。奥さんは横浜の某地の鳶の親方の娘だというのが自慢で、プライドの塊だった。気
性も激しかった。曲がったことが嫌いで正直で誇り高かった。ホコリも。
お店は廃業された。そして気の毒なことに若年性認知症になった。

あまり、こだわりが強いと危ない。娘は研究職だから、いいかげんなことは出来ない・正確が大
切だということは理解できる。実験の器具の管理も薬品の分量の測定も「目分量」ではダメと
いうこともわかる。20億円もの電子顕微鏡やスーパーコンピューターの世界だから、赤ん坊の
頭に沐浴前にオリーブを塗布する時間に3分かけていても、私は笑わない。ウチのカミサンな
らば5秒で済む作業を、ゆっくりていねいにやっている。見ている方も辛い。

あさって、10/9にも私は娘宅に行く約束をしたが、水気断ちをして行かねばならない。保育園
の見学がまだ終了していない。まだ見学の続行中なのである。トイレに行きたくなったら近くの
スーパーマーケットまで行く予定だ。
嫁ならば一生許せない!!!!ところだが、言いたい放題の実の娘では喧嘩しても仕方がない。

「ならぬ堪忍 するが堪忍」。

家内は「今、80%の家庭が、男性も座って用を足すわよ」と言ったが、私は信じられない。




卓越したアイディア 

世界一の金持ち ビル・ゲイツ氏の言葉に「最初は周りの人々から大笑いされ、バカにされる
ようなアイディアでないと大発明品とはいわれない」というのがあるらしい。今朝のラジオ、ニッ
ポン放送で聴いた。パソコン・ソフトのウインドウズを開発した人であることは、もはや子供でも
知っている。
その線でいくならば、私などは既に大金持ちになっていても良いはずであるが、いまだにその
ようになっていないことが不思議。家内に大笑いされ、バカにされているのは慣れているから、
それはそれでよいとして、今、また私は密かにアイディアを練っている。私は家内に反対される
と俄然 燃える。紀元前のギリシャの哲人ソクラテスと同じ。ソクラテスは愚鈍な妻と結婚した
ために、偉人になったといわれている。また、偉人は生きている間は認められることが少ない。
私が死んでから、「あぁ、オトウサンは本当は偉かったのだ。馬鹿なフリをしていただけなのだ」
と、線香の一本も手向けてくれるだろう。そのときでは遅いんだぞ!!!

薪ストーブやペレットストーブの研究に迷い・悩んで、早や三年。netでペレット・ストーブの品種
も価格も調べ尽くした。ストーブ本体の価格が高い・FS式は煙突設置の必要があること・壁に
穴を空けることや・カーテン布が危険なこと・FERME SAISON(季節外) の取り外し作業などの
点で決心できなかった。家内の「そんなものはいらない」に一蹴されていた。
しかし、今回は違う。この冬、円安の影響で灯油は高騰するは必至。我が家は三浦半島独特
の山が多い為に日照が悪い。(庭続きで、東南が山) 大家族の為、朝も5時から夜中の12時す
ぎまで暖房は必要。灯油は200Lのドラム缶がワン・シーズンで2本必要である。おまけに、石油
スタンドまで購入に行くことも近未来には困難になるだろう。
ペレットは間伐材を利用して、H2Oが出ないらしい。薪よりも低価格。輸送も保管場所も安易
だ。
そこで、我が家はこの晩秋から「江戸時代に戻る」ことにした。居間の暖房は囲炉裏に変える。
さぁ、ここからがビル・ゲイツ氏でも及ばない卓越した私のアイディアを披露しよう!!!! 特許の許
可は不要。真似をしたい人は真似て良し。
netで素焼きの植木鉢を買った。大きさは直径62,5cmt×高さ26,5cm。愛知県常滑市のサイト
では最大の20号。7千円。底の穴をコンクリートで塞ぎ、さらに底を耐熱用として生コンを敷く。
木の灰も2kgを注文した。灰と低価格の塩を混ぜて植木鉢の下に敷く。(厚さはどのくらいにな
るか??) 
そしてバーベキュー用の金網を丸くカットして、2枚 重ねて植木鉢の中間に設置する予定。
これで完成!!! まもなく我が家に、ノーベル賞の追加の連絡が来るであろう。銅メダルでもかま
わないが、ノーベル賞は金だけか??? 
あっ、忘れていたが植木鉢(すでに、移動式囲炉裏と言おう)の下に、レンガを19個敷くことも大

。最後に、念の入ったことに、素焼きの植木鉢が丸見えでは格好が悪いので、周囲に高さ
32cmの板囲いをする。FERME SAISON(季節外) のとき、大きな木の囲いは邪魔になるの
で、周囲の角の4箇所は丁番を上下3個づつ付けて、不用な季節は平になるような工夫をす
る。次々と湯水のようにアイディアが浮かぶ。自分の頭脳の新鮮さに驚くばかりである。
そして、いよいよ2枚重ねた金網の上で、ペレットを燃すのである。金網の下から空気が流入し
て、燃焼率は悪くないはずだ。
「煤???? 」多少は構わない。 鼻の穴が黒くなったら、一日に一度 鏡の前で皆揃って、就寝前
にティシュで鼻掃除をすればよい。煙突掃除よりも楽であろう。
檜のペレットは薫りが良いらしい。無煙ペレットというが、多少の煙はかまわない。
長火鉢は既に有る。福島県岩谷堂の品。21年前で30万円した。単なる飾りで無用の長物だ。

まもなく制作に入る「移動式・植木鉢型・囲炉裏」も、私が死んだらきっと嫁が「エアコンの方が
スイッチ一つでやっぱり楽だわね」と、捨てるだろう。化けて出てやる!!! 



家貧しくして、孝子(こうし)育つ 9/12

「息子のことを信じていますが、警察の捜査も信用しています。日本の優秀な警察ですから」
と、訳の判らない会見をテレビで観た、聴いた。
「息子のことを信じてやりたいと思います」と、言うべきではないかなと思いながら聴いていた。

「勇将の下に弱卒なし」という言葉がある。
「黙って俺について来い!! 」「俺の言うことを聞いていれば、間違いはないんだぁ!!」「俺はこんな
に頑張ってきたんだぞ!! それにひきかえ、お前の態度はなんだ!この成績表はぁ!!この仕事は
ぁ! 」

小説や他人様の話の中では、頼もしい親父に思える。また、強引な、統率力のある社長は、さ
すがだなぁと思うが、自分の親には持ちたくない。あまりにも立派な父親を持つと息子は欝にな
るのではないか。今、引きこもりの子弟が多いと聴く。
「あんなに十分に小遣い銭を渡しているのに、金ならふんだんに与えていたのに、なんでだ?? 
どうしてなんだ?? 」と、聴くことも多い。

「この間 貸した1000円、早く返してよぅ!! 」と娘。
「こんな駅前で、大きな声で、よしなさいよ」と家内。
「いいのよ。これくらいの大きな声で言わないと、アイツ、なかなかお金を返してくれないのよ」と
娘。
娘は高校生だった。駅は同じで電車も時間もずっと同じだった。
いま、娘はまもなく31歳になる。まだ独身。「できちゃった結婚だよ。バカだよ」と娘の弁。

親子喧嘩をしたらしいある雨の夜、電話がかかってきた。
「ダメよ。男の子の友達へ頼みなさい!!断りなさい!!男の子は泊めさせませんと、言いなさい」と
家内。

ふぅーん、こんな顔をしていたのかぁ・・・・。親もたいへんだなぁ・・・・。豪邸も結構だけど、大金
が湯水のように入るのも、良し悪しだなぁ・・・・。


実は、私の実兄も長男の教育には失敗した。やはり強引な人だった。性格だった。シベリアで5
年間も抑留生活に堪え、生き延びた。Passionはある男だった。商売では大成功したといえる。
男の子二人には厳しかった。反面、金は与え過ぎ。40年前の長男の給料が70万円。加えて幸
か不幸か、長男は美男子だった。紅灯の巷ではモテタ。それも不幸の原因。三回結婚・三回
離婚。(エリザベス・テーラーもびっくり)  私の実兄からみれば、最初の男児孫に、学校では
禁止されているはずのバイクを、父親が買い与え、事故→→即死!! (ジェジェジェ!!)  後部座
席に乗っていた級友は足の骨折ですんだが。
今? 今は甥は何処にどうしているやら・・・他4人の兄弟姉妹も、誰も知らない。恥ずかしながら
私の一応 甥である。
次男の方の甥は真面目で奥さん孝行。子供は幸いにして女の子が3人だけ。女の子は父親と
あまり喧嘩にならない。(積み木崩しの、実話もあったが)
立派な父親とはなんだろう? 立身出世した人を世間は讃えるが、 反面、それは自分の子供に
強制力として現れることが多い。
新婚のときだけではなく、奥さんの家事を手伝ってみてはどうだろう。ベランダで洗濯物を干し
ている45歳の外交官、皿洗いをしている大病院の60歳の院長がいてもいいではないか。週に
三回ゴミ出しをする65歳の弁護士や裁判官の子供は かならず良い子に育っているはず。(私
は昔から ずっーと やっています)

「家貧しくして、孝子(こうし)育つ」の諺あり。「すまねぇなぁ、父(チャン)の身体が弱いからろオマ
エにばかり苦労をかけて」「なぁーに、平気だよう。早く帰って、チャンに熱い味噌汁作るから
ね」と、孝行息子。
江戸時代のシジミ売りの児、大正時代の納豆売りの男の子、昭和初期の新聞配達少年。平成
時代には??
口を開けば「るっ、せいなぁ!!」「カンケイねえよ」「ほっといてくれよ!!」の女の子も多いらしい。困
ったものだ。



リニア・モーター新幹線と発明家 9/20

リニア・モーター新幹線のルートが決定した。同慶の至りである。
私がリニア・モーターのことを初めて知ったのは、今37歳の娘が4歳の時だった。幼稚園の父
兄で、某人がいて、「もう、まもなく、リニア・モーターの鉄道列車を走らせる。その特許は自分
が所有している」と言った。

リニア・モーターの原理は簡単にいうと、すべての電気の原理と同じく、(+)と(−)が引き合うこ
とにある。(+)と(−)では引き合うばかりだが、(+)と(+)で反発させ、(+)と(−)を、レールと車
両に交互に並べ置くことによって、反発と吸引を繰り返すと、車体は浮遊する。そして前進する
ということらしい。と、いう原理を彼はしゃべった。
今から33年前の、場所は彼の家の芝生の庭で、バーベキューをやった夜のことである。彼と
は、先に述べたとおり、幼稚園の父兄であり、私の母校の4期下だと語った。大学はスイスの
学校を出たとも語った。リニア・モーターの特許の証明書という英文の書付を私たちに見せた。
もう、それだけで「凄いなぁ」と感心した。煙にまかれた状態だった。

次に彼に会ったときは、「ルービック・キューブを造った」、これを大々的に売り出そうと思って
いると語った。あまり興味がなかったので、「ふーン」とだけ返事した。

彼は日本生まれの韓国籍。彼の家族は朝鮮戦争から逃れて日本へやって来たという。そして
彼の父親は「天津甘栗」の輸入販売・総元締だったという。確かに上野駅の大ガード下に、そ
のような店が在ることはある。有名な「アメ横」の入口。しかし、本当に其処が彼の父親の所有
がどうかは、今となっては真偽のほどがさだかではない。
というのは、次に彼から「小林さん、ちょっと、話を聞いてもらいたい」と、きた。当時、湾岸戦争
の最中で故フセイン大統領がオイル原油を海に流出させた為に、海の水が汚れたことがあっ
た。油で海鳥たちが真っ黒になったテレビの報は衝撃的だった。「あの汚染オイルを除去する
方法があります。それは、焼肉の油で汚れた食器類を木炭できれいにする方法です」と語っ
た。彼は親からの遺産で、莫大な資産が有るという。確かに、彼の経営している焼肉屋はただ
の焼肉屋ではない。葉山の海の傍の すばらしいレストランだった。しかし、オイルで汚染され
た海水を、焼肉屋さんの木炭でクリーンにするのは無理ではないかと、そうゆう方面には疎い
私ではあったが怪しい話に思えた。
更にその後、北陸の福井県三国市沖でソビエトの潜水艦が座礁して、漏れた油で海岸の海苔
が多大な被害を受けたときも、また、琵琶湖や霞ヶ浦の水が生活排水でバクテリアが全滅の
危機に瀕し、赤潮が湖を覆って淡水魚たちに被害を受けたときも、「木炭で湖水がきれいにな
る」と、息巻いていた。
「もう、いいかげんにしてくれよ」と、私が彼の呼び出しを断ったのは、「逗子の海の逗子湾に、
巨大な浮きフロートを設置して、住宅問題を解決したい」と、電話があったときだった。沖縄の
米軍基地を撤去する代替え地として、沖縄の海に巨大フロートを建設して飛行場を作る計画
のニュースからヒントを得たものだと私は察知した。

彼の奥さんの弁によると、彼のアイディアはすべて二番煎じで、自分の発案でなく、二次的考
案だという。
誇大妄想と言われても好いと私は思う。周囲から狂人的だと笑われても、20年後にはそれを
実現して、作品に変えた発明者はたくさん存在する。試行錯誤して、苦慮している時「やめれば
いいのに」と、哂われた発明家はいるだろう。
しかし、特許は一時間でも早く申請した人の勝ちである。だから研究者たちは朝から夜まで、
没頭している。
50年前は誰も携帯電話やスマホを思いつく人はいなかった。発案したことを友人に話たら哂わ
れたであろう。

結局、彼の結婚生活は破局となった。立派な焼肉レストランも・海の傍の朝夕に金波銀波の眺
められた家も手放した。二人の娘は女親が育てた。だが、韓国の民族の人たちは結束が強
く、研究道楽息子の元妻や娘たちの生活費も教育費も新家屋の面倒も、ぜんぶ息子の親御さ
んが出した。大学まで進学させた。

リニア・モーター新幹線の特許権について、彼とJR東海のあいだに裁判が存在したとは、ニュ
ースで一度も聴いたことがない。


保育園VS老人ホーム 9/26

人生のスタートラインに立ったものと、終焉を迎えるものが、申し込み・待機・選択・順番・抽選
に悩む。それは本人ではなく、本人の代理のものが逡巡しているのである。それはなにかとい
うと、保育園入園と老人ホーム施設入居のこと。

次女が三ヶ月前に初産をした。丸々と太り、元気。ありがたいことに順調に育っている。体重は
7キロを越した。ずっしりと重い。肉の塊。よく笑う。あやすとニコニコする。

昨日、台風20号の影響で雨天の中、候補第一番目の保育園を見学してきた。その間、家内が
孫を預かり、予約してあった近くの保育園を見てきた。私は娘の運転手だが、幼児は嫌いでは
ないので私も館内に入った。
場所は東横線・菊名駅の近く。このあたりは丘陵地帯で平坦な広い場所が少ない。菊名駅は
横浜・中華街駅から東京・渋谷を結ぶ東急ラインの中でも、急行列車が停車するから人気の
地域。土地価格はたいへん高い。南斜面側には高級住宅がたくさん見られるが、土地の高低
差が激しく、建築物は急斜面土地を補強しながら建っている。
候補第一番目の保育園に到着。
「日本キリスト教団派」の教会が経営している保育園である。園長さんは牧師さん。
キリスト教には旧教派と呼ばれるカトリックと、新教派と呼ばれる2派があるが、新教派は札幌
農学校のウイリアム・スミス・クラークや京都・同志社の新島 襄で著名。旧教は2000年以来 
不変であり普遍であるが、新教派は数えきれないほどの派閥がある。一本化されていない。ど
んどん核分裂と独立をしてきた。なにごとも自由と束縛は相反して、軽々には論ずることが困
難だが、規律や基準は宗教という点では重要だと私は思う。それゆえ、自由を求めた新天地
のアメリカでは旧教派よりも新教派が多いと聴く。
娘は手帳に質問箇条をメモしてきた。主任だという50歳ぐらいの女性が案内してくれた。生後
数ヶ月から5歳前の就学前までの子どもたちがいる。鉄筋3F。今はセキュリティーと災害からの
対策が要らしい。訪れた時間は3時のオヤツの時間で、感謝の歌を歌って・食べる前のお祈り
をしている。配膳係りは帽子とマスクとエプロンをしている仲間だ。当番制のようだ。保母さん
は(保育士)さんたちは21名いるようだ。全員が日本赤十字YWCで研修を受けているようだ。男
性の保育士さんを見ることがあるが、私は個人的には男性保育士は好きにはなれない。
保育園の所在の利便性は駅の近くなので、帰宅時の夕餉の買い物には良いが、車道が狭く、
一方通行道路であることと、線路に「踏み切り箇所」が1個あって、たいへん危険を感じた。朝
の通勤ラッシュ電車本数の多いとき、「魔の踏み切り」状態を感じる。娘の夫が車両で保育園
へ連れてくることが困難だと思う。自転車で送迎しようとしても、電動式自転車に買い替えなけ
ればならない。
閑話休題。
葉山の我が拙宅の前の子どもさんが、保育園2年生。生後2ヶ月から保育園に通園しているの
を朝夕眺めているが、筆舌に尽くせないほど大変に見える。「今日はオープンカーで行くの?? 」
と、聞く私。オープンカーとは自転車の前の座席。雨の日に透明ビニール・シートで覆われた子
どもは「雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体に」なるだろうと思うが、
老齢の私から見ると、可愛そうにと思える。
しかし、4月から我が5番目の男子孫は、そのような環境に身をおくことになる。我が家の4人の
子供たちは幼稚園だったから保育園の経験はない。2園はまるで異なる。しかも5年間もお世
話になるのだ。よくよく考慮して決定しなければならないのだが、有料老人施設のように自由に
選ぶことはできない。神奈川県横浜市では、待機児童は無くなったというが、大急ぎで創設し
たキャリアの無い保育所は安心できないと、娘の意見だ。つまり、年配のベテラン保育士さん
が居る園が望ましいと言う。若いギャルのような保育士さんでない方に抽選が当たることを願
っている。
保育園に直接の入園申請ができない。区役所や市役所に、11月末までに申し込んだ後、いろ
いろな条件を考慮された結果、配分されるということになっている。
老人ホームの特養施設は何百人かの順番待ち・待機が大問題になっている。3年待ちでは待
っている中に死んでしまうこともある。家族構成や住宅条件で、自治体の判断の結果に従うこ
とになる。

まぁ、それにしても7年ぶりの久しぶりの孫はかわいいものだ。色も白く、髪もふさふさ。まだ人
見知りをしないから、誰にでも好く笑う。小児科の看護婦さんの「かわいいですね」の一言に、
娘も素直に喜んでいた。母親のありがたさを今ほど身にしみて感じたことはないと言う。4月か
ら保育園入園であるなら、「今が大切!!」と、「目指せ モーツアルト!! 追い越せアインシュタイ
ン!!」「目標は富士山、到達は高尾山」と、私は無責任に冗談を言っている。
家事は孫が寝ている間にやり、孫が起きている間はなるべく孫の相手になっている様子。生ま
れる前は、私の言葉や意見を迷惑がっていたが・・・・。

しかし、家事と育児(早教育)の両立はたいへん困難だ。今日も2箇所の見学に行くらしい。




神社と教会 仲良くいっしょ

「和洋折衷」「和魂漢才」「和魂洋才」などの言葉がある。ついでに言うと、「味噌も糞も・・」があ
る。
なんでもかんでも いっしょ・みんなで仲良く・芋煮会・闇夜鍋・ちゃんこ鍋・高知県のさわち料理
なども似ている。日本には四季があり、自然の移ろいを愛で、人々の多くは八百万神信仰であ
る。
イスラムのように、強いこだわりを持つことは好いことなのか、なにごともほどほどが好いの
か。

5人目の孫の「初詣」は、神道の神社とキリスト教の教会を掛け持ちで行くことに決定した。
生後、男児は31日目、女児は32日目という慣習があるが、気候や休日や新生児の体調が重
視され、期日に縛られることはない。
娘たち夫婦の住居の近くの東横線・大倉山駅近くの熊野神社では神主さんが御幣で「お払い」
をしてくれるだろう。両親や親族はサカキを祭壇に献ずるであろう。御幣(ごへい)は、紙や布な
どを用いた依代である。古くは紙や布は貴重であり、感謝のために木に挟み奉げた儀式が転
じ、依代と認識されるようになったと考えられている。御守りの札を呉れるだろう。神主さんへ
のお礼には「御初穂料」と書かねばならない。相場はいくらぐらいか? 一万円??? 事前に予約
が必要。
キリスト教は神父様が片手に灯のついたローソクを持ち、片方の手で按手(あんしゅ)してくれる
はず。按手とは、新生児の頭の上で十字を切って、祝福をしてくれる。そして、メダイと呼ばれ
る銀のメダルを賜るだろう。これも御守りである。大人ならば、常に首に掛けておく。
生母の娘はキリスト教 カトリックであるから新生児に洗礼を授けてもらいたいと願うものだ
が、夫の意向もあり、あせることはないだろう。

「お宮詣りグッズ」を京都の卸問屋から取り寄せた。
絹白布の帽子・絹白布のよだれ掛・張子の犬・でんでん太鼓・誕生命名記という和紙で造った
巻物・扇子である。麻紐が付いている。神社では新生児の祖母が赤ちゃんを抱っこする。最初
から最後まで祖母が抱いているのが伝統である。お宮詣りグッズ は祖母の背中の、お掛着の
肩紐に結び付けるのが決まりである。新生児の父親の母親が抱くのが決まり。母親はまだ生
後31日目では体力が回復していないこともあり、祖母が抱くことが決まりだ。

我が家には「お掛着」は立派な品物がある。戦前に制作した品。鯉の瀧登りの図。大きな大き
な鯉の図。ダイナミックな構図で、枯れた色具合が絶妙。約70-90年前の品であろう。
最初の持ち主の、幸せだった方に、あやかりたい。幸せのお裾分けをいただきたいものであ
る。
近年の、化繊の、高値なだけの駄作品、ミシン刺繍の品物は見るも値しないと、呉服業55年の
キャリアの私は思う。七五三でも成人式でも、幸せだった方の古い一品を身に付けることは
「厄除け」になると言う。すべて新品で誂えると、悪霊が「妬む」(ねたむ)という、言い伝えがあ
る。
命名記には、新生児の生年月日・名前・両親の名前を書き記録しておく。ついでながら、「ほ
ら、これがお前の産まれたときの手形だよ、足型だよ。パパとママは一生懸命にお前を育てた
んだよ」と、生意気盛りになった頃の子に見せると、「効果がある(?)」と、言いながら、呉服屋の
私は販売したものだ。扇子は、男児はブルー色。女児はピンク。新生児の生年月日・名前・両
親の名前を書き、神社の「絵馬」などを結び置く場所に奉納(?)しておく。神社では、2/7 の初午
(はつうま)の夜、松飾りなどといっしょに「どんど焼き」の火に入れてくれる。

10月の中旬、掛け持ちお宮詣り 兼 教会行きとなる。
その後、どこかで一席設けるか、コンビニ弁当のテイクアウトとなるか。赤ちゃんも疲れるから
早く帰宅したいだろう。新生児を連れて、和風懐石料亭には行き辛い。

ともかくも 幸多かれと願うものである。



本の読み聞かせ 8/28

新幹線、大阪発→東京行きは、「上り」。
東京発→大阪行きは「下り」である。
所要時間は同じであるが、乳児の場合は「下り」よりも「上り」が、断然 「スーパーのぞみ級」
の超超特急であることがわかった。

「なんのこっちゃ??」と、思われるだろう。「何が言いたいんじぁ??」と。

5人目の孫の幸彦君は6/28が誕生。生まれてわずか2ケ月。ちょうど今日が丸丸2ヶ月になる。
驚愕することは、たった2ケ月間の飛躍的進歩のことである。もっとも、運動体系や行動面にお
いては、シマ馬には一歩も二歩もゆずる。鹿にも負ける。シマ馬は生れ落ちて、5分か10分で
立つらしい。そしてまもなく歩く。人間の子は一人前になるまで20年間 面倒を見なければなら
ない。ニートや引きこもり男は30歳や40歳でも親のスネをかじっている。

結論を述べよう。
この2ヶ月間、幸彦君が親や婆である我が家内から、本の読み聞かせをしてもらっている時、
手足をバタバタさせて喜ぶのである。泣いているときも、母親が忙しくて、放っておかれて機嫌
が悪くなったときでも、本を読みはじめると、両手両足をばたつかせて喜ぶ。童話本の「あかん
べ ノンタン」の、いちばん最後のクライマックスというべき「太陽サン」に子猫のノンタンが 「あ
っかんべぇーー」をして、太陽サンから逆襲の大きな「あっかんべぇー」をされて、ノンタンが の
けぞり、ひっくり返るシーンでは、生後2ヶ月だというのに、孫は大興奮の様を現す。その様を見
て、母親も婆も大笑いする。と、いっしょに孫もニコニコ笑う。自分もいっしょに本を読んでいる
かのように、喃語で声をあげる。
たった2ヶ月しか経っていないとは思えない様子である。
このスピードで経過するのであれば、「下り・専門」の高齢者は、たまったものではない。

閑話休題
息子の嫁には、無理強いはできない。しかし、実の娘には、うるさがられても、嫌がられても、
私はメゲない。カエルの面に水の例えのとおり、早教育の効果を本からの「受け売り」をしてき
た。
2ヶ月経って少し効果のほどが見えてきたかのような気配。娘の体調も戻ってきた。
音楽を聴かせたり、ドッツカードや本読みを開始している。

昨日は、私は、ことわざカルタを2冊買った。「ノンタン」と、「ちびまる子ちゃん」の2ブランド。
生後2日目には、動物園・双六と サイコロを6個買った。動物の名前を覚えるだけでなく、数と
数量が頭にインプットされて、更に計算力がつくかもしれない。3歳から5-6歳になったころ、1個
から、サイコロの数を増して、6個のサイコロを振ると、瞬時に6個のサイコロの目の数を暗算
で回答する力が できる日がくるかも知れない。 二桁の掛け算を九九のように学ぶインド人も
いるらしい。
幼児は年月を経るほどに、その天才的能力が軽減するらしい。それは6歳---7歳で、頭脳の
神経回路の(シナプス)の発達が完了するという形で表れるという。6歳7歳が就学適齢期であ
る。
神経回路を刺激されて、複雑な発達課程を過ごした人間が「頭脳明晰人間」だと言われるらし
い。
アインシュタインは5歳のとき叔父さんから方位磁針を貰って、大変 興味をもったと、物理学
者の寺田寅彦氏の本にあった。CDの「どらえもん・九九の歌」も、早く持って行ってやりたい。
歌で覚えると なんでも早く無理なく記憶できる。同居の孫(女児・小五も、これで九九を覚え
た) そして、ひらかなは一歳八ヶ月で完全に覚えた。まだオシメをしていたが。カタカナは三歳
までかかった。「ひらかな・カタカナ」は、それ自体に意味が無いので覚えるのは漢字よりも難し
いという。書くことは幼児には必要がないという。

娘の旦那が学会でイタリアに一週間だけ渡欧。家内は三泊四日で留守番を依頼された。夜が
不安だという娘。昔は独り暮らしをしていたときもあったのに、産後は不安を訴える。産後の精
神不安定は女性の本能であると思う。
できるかぎりサポートしてやりたい。




夏の暑いときに修理修繕のこと

夜中にトイレに行った。
用をたして後、ふと気がつくと足が冷たい。靴下がジワッーと冷たい。
どうして真夏の夜中に靴下を、ということから、まずもって説明しなければならない。
つまり、私は「猛暑だ・熱中だぁ」という八月の36度38度の気温の最中に、夜中に、信じられな
いだろうが、靴下を履いて寝ているのである。靴下は一応、木綿の夏用靴下である。
「俺さぁ、足が冷えるんだぁ。足が冷たいんだぁ」と、家内に言ったら、「もう、どうしょうもないわ
ねぇ。
付き合っていられないわ」と、冷たい返事。(家内とは別寝室である) 寝室ではエアコンは一度
もしたことがない。

夜、床に就くときは、足の膝から下までタオルケットを掛けている。寝相が悪いときもあって、タ
オルを蹴飛ばすときもある。気がつくとあわてて、足にタオルを掛ける。
なぜ、こんなことをしているかというならば、話せば簡単・書けば長くなるが、足が「ツル」のであ
る。
「ツル」という語彙は地方によって異なるが、「コムラ返り」になるのである。これは痛い。激痛。
誰の助けも助けにならない。収まるのを待つしかない。苦痛をこらえて、時が過ぎるのを待つし
かない。悶絶とはこの状態を言う。30秒か40秒。

電子辞書で検索してみると、血流が悪いためだと書いてある。
冬は腰から足元にかけての電気敷毛布を使用している。これは快適!!!

前置きが長くなったが、靴下がトイレ・タンクの漏水で濡れたのだ。
翌朝、さっそくトイレを点検。鏡をウオッシュレットの下に置いて、懐中電灯を照らし、水を流し
て・・・・・、やはり漏水だ。愚息が手伝い始めた。タンクを取り外して→→逆さまにして→→金具
を緩めて・・・・案の定、ゴム・パッキングが老化していた。
このトイレは改築後、30年経過している。ゴム部品は自然と劣化してくる。
サイズを計測して、ホームセンターへ走った。あったぁ!!!!! メーカーは「東洋陶器」で、さすがに
アフターケアが良かった。予備用として、部品を追加。一つ買い足した。30年後に備えて。我が
家にトイレはぜんぶで4箇所ある。
中学三年生の男児孫に、先日も告げた。「屋根は、キミが55歳ごろになったら、張り替えること
を覚えておきなさい」と。
素直に「ハイ」と答えていた。15歳の孫が55歳になった日には、孫の父親もいないかもしれな
い。

私は東京の学校の寮に居たとき、洗面用水道蛇口から、いつもポトポト 水が止まらないのが
気になっていた。水道蛇口は二人で共有する。
誰にも相談しないで、外の止水栓を止めて→→蛇口を外してみたら、ゴムのパッキンがまった
く溶けて無かった。その頃、私は高校生だったので、パッキンが一つ5円~10円で求められるこ
とも知らなかった。そこで古い革のベルトをハサミで丸く切って→→真ん中に穴を開け→→止
水栓金具に差込んだ。見事、蛇口の漏水は止まった。

舎監は狂喜した。エラく褒められた。
「タワシ」という渾名の舎監が「エライ!!! おまえを営繕部長に命ずる」と言って、古い大工道具を
くれた。田川というのが本名だが、陰ではタワシと呼んでいた。軍隊帰りの教師で、背は低いの
にひどく威張っていた。そしてすぐに、紅顔の美少年の私たちにビンタをはった。私は一度もや
られていないが。ちなみに、「営繕」とは古い語彙で修善修理のこと。

ロクな工具も無かった。苦労した。蛇口を外すには「レンチ」があれば簡単。丸い筒状のパイプ
はレンチがなければ、金属はすべる。革のベルトに穴を開けるのさえ苦労した。釘で穴を開け
た。穴は「ハトメ・ペンチ」があれば簡単だ。一瞬で開通する。
今は私は沢山、電動道具・工具を所有しているが、なにしろ寮には何も無かった。水道は30器
か40器もあったと記憶している。だから勉強もしないで、そんなことをしていた。

一昨年は、私は便器を2器 交換した。水を節約する便器がある。古い便器は水を大量に使
う。水道業者は交換手数料だけで20,000円と答えた。廃棄処分料金も追加で6,000円と。だか
ら、ぜんぶ自分でやった。

孫に告げた。
「奈良の法隆寺だって、なにもしないまま1,200年も経過したんじやないよ。しょっちゅう、代々の
大工さんが手入れをしたり、火事から守って、今があるんだ」と。
家も手入れが大切。





夏休みの某日の孫の話

今日、ただ今の時間は、午前10時40分。夏休み中だから、孫が何時まで寝ていようとかまわな
いといえば構わないのであるが、小学五年・11歳の女児孫は、居間の長椅子でのうのうと寝て
いる。一応、八時に女児孫は起きていた。私たちといっしょに食事もすませた。それからまた寝
て、いまだに起きていない、という状態である。

このところ、毎朝このような状態を目にする。夏休みも中盤に入って疲れが出てきたのだろう
か。ふて寝のように見える。どこへも親に連れて行ってもらってない。海の近くに住んでいるの
に、海水浴は一度だけ。男児孫の従兄弟たち二人が来たとき、付き合いで一度だけ行った。
プールには一度も行かない。先般から、身体の変調があったようで、だるいのだろうか、本人
も行きたいなどとは言わない。
レジャーは父親の車で、横須賀ダイエー・スーパーに四人で行き、ラーメンを食べてくるのが唯
一の息抜きらしい。去年までは、夏は私たちもいっしょに家族旅行に毎年まいとし涼しい高原
に出かけたが、男児孫の高校受験を来年に控えているということが理由で、今年は自粛してい
る。

母親は二階の部屋で、中学三年生・男児孫の勉強の相手をしているようだ。男児孫の方が一
段落すれば、母親は女児孫のエンジンをかけなければならない。
勉強が嫌いな女児孫ではない。やりだすと半日ぐらいはやっている。勉強が遊びの一環のよう
に見える。母親に相手になってもらって、叱られながら・からかわれながら・怒りながら・反発し
ながら・しかし、楽しんでやっている。母親も気分好く叱りつけている。
私たち老夫婦は一切口出しはしない。
長椅子に寝てしまった孫に、家内はキルトパッチワーク布の掛着をかけて、黙って部屋を出て
きた。もう、起きなさいなどとは言わない。エアコンの効いた部屋で、朝寝の続きは気持ちいい
だろう。

昨日の孫の勉強中、地図をノートに写していた孫に、「もう、日本地理を勉強してるんだね。山
脈の名前とか、川の名前とか湖の名前を覚えているんだね」と、私はノートをチラリと見ながら
独り言のように言った。今の年齢は記憶力がいちばん容易な時期であろう。漢字や英単語
や、簡単な英文法や、いろいろ覚えなくてはならないことがいっぱいある。厚い国語事典も自
分で引くことができるようにもなったようだ。先日は、所有格の「I My Me」を 覚えさせられて
いた。英語塾にこの春4月から通いだした。塾からの宿題なのであろう。「I My Me」は中学一
年生も半ばになった頃、やるものと思うが、今からマスターしておけば、その頃には本人は楽
だろう。

小学一年生以来、テストの答案用紙は、ほとんど100点という不思議な子。成績表の担任の評
価も、良いことばかり書いてある。三人の担任が交代したが、一人として「お小言」の評価は無
かった。普通「この面は良いが、この面はもう少し頑張りましょう」と、書いてあるものだが、褒
め過ぎの評価。しかし、本人は淡々としている。嬉しそうな顔もしない。自慢もしない。友だちの
悪口も一切言わない。他人をうらやむような言動も無い。無表情だ。自己顕示欲は皆無。最近
は、褒めても嬉しそうな表情もしない。子供時代から脱皮してように見える。

孫は母親と毎日闘っている。それにしても、よく頑張る母親である。孫より母親がエライ。
まぁ、二人だけの子持でよかった。三人や四人も子供がいたら、現在のような勉強漬けの状態
は不可能だろう。

ふと時計を見れば、今、12時5分前。まだ寝ている。

男児孫も午前の勉強は終わったようで、階下に降りてきて文庫本を読んでいる。なんの本かは
知らないが漫画本ではない。昨日も「エライ、エライ。なんでもいいから沢山 本は読んだほう
がいいよ」とだけ言っておいた。「二階の本棚の日本・世界名作文学集も読んでおくと、更にい
いよ」と、言いたかったが賢明な私は言わない。喉まで出かかった言葉を抑えた。自分の子供
たちもあまり読まなかったのに、孫にまで言うことはない。まっ、いつか読むときがくるかもしれ
ない。

愚息42歳も、この女児孫には気を遣っているようだ。
中学や高校生になったら、どうなるのだろう。その頃が楽しみである。
私は、まだ「草場の陰」から眺めるつもりはない。生きているつもりだ。



読書三昧・井上ひさし氏の巻 2025/7/25
「なんじゃ これはぁ、旧約聖書かぃ??」と、冗談口を言うほど、その本は厚かった。834ページ
ある。
現在、124ページあたりを読んでいる。読み初めて半日と、昨夜の一時間で。
電動ベッドの背もたれを半分立て、読んでいる。厚いから重い。やはり、机上の読書でないと
辛い。

Kindle内の無料本はつまらないと私が不平不満を言ったら「図書館へ行けば・・」の、友人の
弁。そうだ!! 多少とも税金を払っているのだから、「図書館で、只で借りるっていう手があった」
ことに気づいた。
五日間で6冊読破。夏は私の仕事も悲しいかな暇。
いずれも「井上ひさし」氏の本ばかり。
今の時代は、パソコンで作者を検索できる。そして作者から作品を検索。好きな本が選べる。
「吉里吉里人」は昭和56年の上梓。かなり古い。古いがKindleの電子書籍「無料本コーナー」に
は無い。週間新潮で連載されていたが、週刊誌で断片的に読んだときは、この面白さはわか
らなかった。
「おちょくる」という言葉は関西弁で「からかう」という意味だが、井上ひさし氏の本の笑いの根
底にはそれがある。弱いものや力の無いものが川柳などで権力に対し風刺の矢を射る。痛快
感がある。まだ読書半ばなので、読後感想は書けないが、言葉の魔術師の井上ひさし氏は宮
城県の出身。独立国家吉里吉里人国の舞台は岩手県である。
3;11のあの日 以来、そしてNHK朝ドラの「あまちゃん」の影響で、私は東北の言葉をスラスラ
読むことができるようになった。喋ることや会話は無理だが、頭にイントネーションを想像しな
がら文章を読んでいる。すらすら読めるようになった。
井上ひさし氏は大学(上智)卒後、上京後、ほとんどの東北人が味わったであろう東北弁に引け
目と悲哀を感じた。だが、中央集権が無理やり強制的に統一言葉としての「標準語」に対抗し
つつも、標準語を会得しようと苦労した。ワザと吃る技を身につけたという。

昔読んだ「国語元年」も楽しく読んだ。これはテレビドラマにもなった。明治の頃、某・官吏の家
の召使たちが薩摩であったり会津であったり関西人や土佐人の男女の会話が噛み合わない
面白さを書いた本である。主人が主役でなく、召使たちが主役というアイデアが独創的。

「しみじみ日本・乃木大将」は昭和54年上梓。これは戯曲。とても面白かった。
明治天皇崩御・御大葬の当日、乃木大将が婦人とともに自決する日の朝、大将が飼っていた
三匹の馬たちが主役の、馬たちの会話の本である。馬たちが主役とする発想が奇抜。そもそ
も、反骨精神の井上ひさし氏は明治天皇も、乃木大将も笑いの対象にしてしまう。東京・港区
六本木の元・乃木邸跡に乃木神社が在るが馬小屋は赤レンガ建。大将たちの住まいは木造
造り。「一旦緩急に備えて、馬や武具の手入れを怠ることのない軍人は軍神にふさわしい」と、
人間が神に祭上げられた。海軍も黙ってはいない。東郷平八郎元帥も神になった。九州大分
県だったと思うが、橘中佐の神社にも行ったことがある。軍神とは何人ぐらい祀りあげられた
のだろう?? 

周知のとおり、井上ひさし氏は苦節の時代、浅草座での下積み時代があった。今でも在るがス
トリップ劇場だ。言っておくが私は中に入ったことはない。(看板だけで満足) 日曜日に笑点と
サザエさんを観ないと日曜が完了しないと言われるが、テレビ放映をする有名な浅草演芸場
の隣に浅草座は在る。楽屋で、お姐さんたちの様々な用を言いつかったと書いてある。コント・
お笑いの座付き作家から、「ひょっこりひょうたん島」の歌詞と台本が出世作になった。
それゆえ、井上氏の本にはストリップ嬢のことが頻繁に出てくる。エロい内容ではないが、凄
い!!!エロ専門の作家ではないが、かなり若い時代の影響は続いている。東北から東京へと出
てきて、テレビやマスメディアが少ない時代であったから、カルチァーショックは新鮮で強かった
のであろう。男性の読者ならば誰でも読んだら吹き出してしまうほどおもしろい。
今日も暇。今から読書に勤しもう。家内は夜まで帰ってこない。



辛子種通帳  2025/7/26
五人目の孫が産まれた。何をプレゼントしようかと思っていたが、「辛子種通帳」(からしだね)と
いう発想が浮かんだ。辛子種とは、新訳の方のバイブルにしばしば用いられいる語彙だが、小
さなものの例えである。芥子は種のときには種の中でも特に小さいらしい。私も実物は見たこ
とがない。
しかし、それが成長すると見上げるような大きな木(?)になるらしい。

それで、辛子と通帳との因果関係はというと、辛子のような「いと 小さな、いと 少ない金額」を
入れた郵便通帳を作ってやろうと思ったのである。

「1000円でいいかなぁ」と、カミサンに相談したら、じっーと私の顔を見て、蔑むような・憐れむよ
うな顔をして「いくらなんでもあんまりじゃないの」と答えた。
「じゃぁ、30,000万? 50,000万? 50万は無理だぜ」と、私。「まだ、ジャンボ宝籤を買ってないし、
買っても当たらないし・・・」

水牛の黒の実印と銀行印の2本が昨日 送付されてきた。半月ほど前、注文しておいた品だ。
値段よりも立派に見える。まだ生後半月の赤ちゃんの姓と名前が刻印されている。直径1,5cm
で、長さは5cm。今後、両親が少しづつ、教育貯金をしてやれば良いと思う。
お爺さんの最初に入れてくれた金額は、辛子種のような僅かな金額だったが、10年経ったら20
年後の今は、こんな大金になった???ならば、お爺さんは草場の陰で「ほらぁ、よかったじゃん、
千里の道も一歩からだよ。いきなり富士山の五合目までバスで行っても、『ここじゃあ頂上は見
えないし、富士山なんてつまんないなぁ』と言うだろう。浅間神社に参拝して吉田口から一歩一
歩挑戦してこそ、ご来光を仰いだときの感激は大きいのだよ」と、50万円を入金してやれない
弁解を言う。

私は銀行鑑と通帳を(1000円入金)を、お誕生祝いに過去に2回したことがある。他人様にであ
るから、「あれ、どうなったぁ?? だいぶ 貯まっただろう?? あれでイッパイ呑もうよ」とは聞けな
い。途中、親が困ったときに引き出して、使ったかもしれない。

今日も家内は赤ちゃんの母親(次女)の家に出かけた。車にはなんだか知らないがたくさん積
んで出かけた。週に2回のスケジュール。
肉よりも魚が好きな娘なので、今日はメジナの煮付けを持参したようだ。

赤ん坊は3500gで大きく産まれた。たいへんによく飲む。母乳が足りない。母乳があまり出ない
らしい。だから泣く。粉ミルクを120ccも飲むらしい。飲めば、機嫌よく寝る。オシメが濡れると泣
く。オシメを取り替えれば機嫌がよい。
「こんなにわかり易い子はいないわ」と、家内はつぶやく。我が家も四人みんな楽に育った。

生後半月から成人病や、肥満児とか高脂血症を、今から心配する必要はないと思う。
娘は仕事柄、完璧を追求する。「子どものおかげで親にさせて貰った」ともしばしば聞く言葉で
ある
。最初は誰でも不安。しかし、母親の一言で安心する。

男親は塀のツッカイ棒にもならない。だから私は行かない。そしてマンションは暑い。エアコン
が効いていない。風が通らない。赤ん坊には低温度はいけないのか。

我が家は現在、午前10時30分で、室内温度27度。もちろんエアコンなどしていない。



暑いときは、熱いことを

この季節、時候の挨拶で「暑いですねぇ」と言われて、「そんなに暑いですかぁ?? それほどでも
ありませんよ」と答えれば、よほどの天邪鬼か変人であろう。が、私はその変人であるかもしれ
ない。つまり、人が言うほど暑いとは思わない。
それは経験と比較の問題である。この暑さは、自分が前に経験したあの暑さに比べれば、た
いしたことが無いと思えれば暑くはないのである。しかし、賢明な私は口を閉ざしている。黙っ
ている。だが、家内には「俺は暑くはないよ。ぜーんぜん」と。ただちに「おかしいんじゃない?? 
歳のせいよ!!」と言う家内。
経験とはなに一つ無駄なことは無いと思う。
「あのときの、アレに比べれば、今日のコレは、どうって事はない」と言えるのではなかろうか。
かっこいい言い方をするとすれば、苦労や経験は身の宝である。私も、自慢して言うほどの豊
かな苦労をしたほうではないが、真夏の作業という点では「なに?? 熱中症?? この程度の暑さ
で??」と言う経験を、自らの趣味でやった。仕事ではない。仕事の範疇ではないから、こんな呑
気なことが言える。仕事として、命令下としての作業であったならば、おそらく不平や不満があ
り「やってられない!!!」と投げ出したであろう。
で、なにを真夏にやったかというと、40歳のころ、8月1日から8月23日まで、朝から夕方まで毎
日まいにち、ツルハシと鍬とシャベルを振るった。駐車場を自分で造ろうと思った。それが真夏
の作業の第1回目であった。
アメリカへ転勤して行く友人から「車を買ってくれないか」と頼まれた。その時は敷地には一台し
かPKスペースは無かった。50坪の敷地に38坪の隣の空き地を買い足したばかりであった。其
処は敷地とは2mの高さの段差があった。そして、其処から山へと傾斜となっていた。それで車
両一台ぶんの土に挑んだのだ。作家・菊池 寛さんの「恩讐の彼方」を思い出しながらツルハ
シを振るった。炎天下、暑いなんてもんじゃない。しかし、楽しい。缶ビールを何本も呑みながら
やった。二日目におまわりさんがやってきた。「えっー!!!自分独りでやってるんでかぁ??!!! その
意気に免じて、許可を出しますよ」と言って自転車に乗って署に帰って行った。作業開始前に、
申請をしていたのだ。のんきな時代であった。で、車は無事 入庫したのかと問われると、恥ず
かしながら一度も入っていない。ドアを開閉する余裕を計算していなかったのだ。車両はバック
で入ることは入った。入ったら、ドアは開かなかったのである。横の幅をギリギリの幅しか計算
していなかったのだ。奥行も横幅も、ギリギリしか掘っていなかったのだ。つまり、10cm堀り進
むのに半日費やした。10cmの土を掘って、それをバケツで一杯づつ、奥の空き地へ抱えて登
り、排除しなければならない。空き地には新しく、山のような土の塊ができた。湿った硬い土
は、ふんわりとした大きな山となった。
それからコンクリートを流し込む為の木の柵を作らなければならない。木枠の中には、鉄筋を
格子状に針金で結索しなければならない。これにも何日も費やした。木枠が完成して、生コン
屋を頼んだ。ゴロゴロゴロと、音をたてて大きな生コンのトラックがやって来た。生コン屋は見
て、叫んだ。「旦那サン!! 生コンを甘く見ちゃあ困るねぇ!! こんな甘っちょろい木枠なんか、いっ
ぺんでパンクしますぜぇ!! 」私は最初は意味がわからなかった。つまり、木枠は100mmのベニ
ヤ板を使用しないと、コンクリートの重さで炸裂するというのだ。そして釘では補強が不可能だ
と言った。生コン屋のトラックのゴロゴロゴロは、回転させたまま、木枠はバラした。そして最初
から組み直した。その間、何時間も生コン屋は待ってくれた。つまり、一度 水と混合した生コ
ンは何処かに出してしまわないと、処置に困るのだ。会社に持ち帰っても在庫品にならない。2
リュウベイ(2 立米)の生コンが固まっては困るのだ。トラックの運転手は自分も靴を脱いで、裸
足になって、生コンをスコップで平にしてくれた。ビールをジャンジャン飲ませた。今なら飲酒運
転ほう助罪であろう。こうして、固まったコンクリートは、ドアが開かない駐車場が完成した。萩
原建材店は、その後 閉店した。あのことが原因ではなかったと思っている私だが。
まだ後日談がある。
駐車場は駐輪場に変更。当時、小学生だった息子や娘の自転車と家内の自転車を入れる為
に、屋根を架けることにした。コンクリートの壁の上にコンクリートブロックを置いた。生コンと鉄
筋は使用した。其処に角材をボルトで付けた。ここまではよかったのだが、プラスチックの波板
を釘で止めたのが甘かった。台風がやってきて、一夜にして屋根は吹っ飛んだ。五寸釘でも、
風の力には無力だった。自然の猛威はバカにできない。

その後 毎年まいとし、夏になると作業をした。要するに夏は仕事が閑だから。
夏が暑いのは当たり前。暑いときに熱いラーメンを食べるのも暑気払いになるという人もいる
らしい。

次回の「真夏のバカバカしい私の作業」も ご披露したい。



死ぬことを恐れないという考え

昔は「家庭の医学書」とか「スポック博士の育児書」などの本を備えつけていた家が多かった。
今はITで検索して、治療法・専門医・薬・薬害すら調べることができるようになり、私もCacioの
電子辞書を買い替えたばかり。電子辞書には医療のことも詳しく書かれていて、医師の治療
方法の説明不足が補える。
先日、NHKラジオで久しぶりに近藤 誠医師の話が放送された。私が氏の上梓された「患者
よ、癌と闘うなかれ」を読んだのは約20年前だった。慶応大学医学部の放射線科の医師。
周知の方も多いと思うが、彼は信念を曲げない勇気ある医師。医師群からは村八分的存在だ
ろうが、徐々に彼を支持する人たちが増えた。実績は患者の生還率である。例えば「乳房の温
存療法」は、今は主流の考えとなったらしい。「定期的健康診断」や「早期発見・早期治療・手
術・抗ガン剤・抗生物質薬品」の無駄・否定といえば、おそらく多くの人々は驚くであろう。まして
や、癌を発見しても「ガンは放置しなさい・癌のことを忘れなさい」と、言われたならば、身内に
癌で亡くした人がいれば、とんでもないというだろう。また、自分が昨年、受術したばかりの人
は唖然とし、怒り狂うだろうと思う。
近藤医師は医者なのに、「頻繁に医者に行く人ほど、早死する」「なるべく薬は飲むな」という。
つい先日、20日ほど前、癌で私も親友を亡くした。Mさんは約10年間癌と闘った。どのくらい医
療費を使ったか想像もつかないほどの金を投じた。宗教にも走った。民間療法も取り入れた。
入院費が一日30,000円という有名な東京の大病院にも入院していた。しかし、お通夜には90歳
と88歳の両親も参列しておられたということは、長生きの良好な遺伝子を伝えられていたと思う
のだが、神経質なMさんは、あらゆる癌に効くという手立てを受けた。刀折れ・矢は尽きた。享
年63歳。
昨年の8月7日、私の実姉も76歳で、みまかった。某・東京の大病院で看護元・婦長だった。
若い研修医よりも医療の智識はあったはずだから、現代の医療を信じていたのだろう。

近藤医師は「食道癌・胃癌・肝臓癌・子宮癌は、痛みを伴わない。骨に移転すると痛みが出る
が、痛みはモルヒネでコントロールできる」と言う。抗ガン剤は白血病のような血液の癌にのみ
有効であるが、抗ガン剤は猛毒・劇薬だとまで断じている。人間は生まれてきた以上、いつか
誰でも100%死を迎える。しかし、あえて、苦しんで死ぬ必要はないのではないかと言う。抗ガン
剤の苦しみは、もはや「副作用ではなく、主作用である」と言う。頭髪が抜け落ちるくらいはなん
でもないが、抗ガン剤を投与すれば、その後 三日間ぐらい苦しいらしい。
日本は国民皆保険制度の恩恵で低料金で医療を授与できるが、アメリカは自由主義の強い
思想があり、「金持ちが、低所得者の面倒など見る必要はない。低所得者は働かない・怠け者
なのだ」と、移民してきた貧しい人々を金銭的には受け入れていないらしい。日本人が日本国
内で虫垂炎の手術を受けると約80,000円かかるらしいが、アメリカ人は200万円以上を支払う
らしい。米国で事故や病気になったら大変だ。
近藤医師の考えは受け止める方の個人差があり、夫婦間でも自分の子供でも成人後は、無
理やり押し付ける訳にはいかない。「医者の言うことを信じて救われるか、反対した為に死なな
くてすむか」病気の種類にも差があるだろう。女性は男性よりも、2つ多く臓器を持っているから
死ぬ確率も2つ高いと言われる。それは乳癌と子宮癌だと、なにかの本に書いてあった。
テレビのCMに「クシャミ3回、○○3錠!!」というのがあったが、私は風邪のときは、早く寝て、熱
いうどんを食べて、発汗を促して、風呂に入って、さっと寝る」ことにしようと思う。
頭髪の頻繁なシャンプー洗いは禿を作るという。「ホームレレス人に禿は無し」という言葉もあ
るらしい。お湯洗いで十分だという。作家の五木寛之氏は80歳。頭髪豊か。一ヶ月半に一回し
か洗髪しないという。以前は盆と正月しか洗髪しなかったという。また、尾籠な話だが、私は風
呂のとき、石鹸使用のお尻の穴洗いも止めている。「直腸は腸の先端であるから、石油製品
の被害が、無きにしも非ず」らしい。各便器には、ウオッシュレットが不付いしているから、昔ほ
ど不潔ではないと思う。某・患者さんが何かの座薬を挿入されて後、直ちに痙攣し、以後、植物
人間になった例もあるという。座薬の性質と体質が合わなかったらしい。その場に医師が居な
かった事も不幸。医師の指示で看護師が行ったという。
アレルギー患者が増えたのは、現代は清潔という点で敏感になりすぎているとも言われている
らしい。
家庭内で終焉をなるべく迎えるられるよう、心がけたいと思っている。過度の延命治療は無駄
だと思う。その日まで、心豊かに過ごしたいものである。





母校での一日
仏教の法要・年忌は三十三回忌を以て、「弔い上げ」とか「年忌明け」とか称して、100回忌をす
る必要はないらしい。これを以て人も仏となり成仏したと考えられるという。100年も前の先祖の
ことは、よほどの有名人や中興の祖でもないかぎり、記憶に留める子孫は少ないだろう。

しかし、創立125周年を迎える我が母校・暁星学園はありがたいことに、私の場合卒業して50
年も経つのに、さまざまな案内や催しに招待してくれる。私立学校の恩典・特質である。
卒業生の、その後の行く末がまだ案じられるのではなかろうか。

先月末の湘南エトワール会が鎌倉で開催され、たくさんの同窓生が参加した。84歳の大先輩
も元気に参加なさった。軽く、杖こそ突いておられたがご壮健のご様子。

そしてまた、昨日は同窓生の追悼ミサと、その後の親睦会が開催された。この一年間に逝去し
た同窓生たちの魂の平安を祈る集いであった。たくさんの遺族のご家族も出席なさっていた。
ミサは三人の神父様たちによってしめやかに・厳かに奉献された。式を司ったのは、先年、25
年ぶりにブラジルから戻って来た青木勲神父。彼は私の一級下。彼がその昔、九州福岡から
上京してきたときは青々とした坊主頭で、ベッドの仕切りの衝立の上を、頭だけが動いていた
記憶があるが、現在は大出世して、現・地区長(かつては管区長)というマリア会の最トップの地
位。(あまりイジメなくてよかった・・・・) 我が苫屋に招いて、粗飯を共にしたことも懐かしい。
清水神父様は私よりも四期ほど上。(弟、一男神父樣ともども、昔も今も変わらぬ穏やかな方)
澤田和夫神父樣は94歳。見るからにご老体に見えるが、母校の大先輩にして東大法学部出
身。お父上は同じく東大法学部卒・元・ブラジル大使。その昔、松岡外務大臣が国際連盟を席
を蹴って、さも勇ましく脱退したとき、強く抗議し反対した。鈴木貫太郎内閣時は内閣顧問。戦
後は東京外語大の初代総長。三菱創立者・岩崎弥太郎の孫の澤田美喜さん(大磯・エリザベ
ス・サンダースホーム創設)は叔母にあたる。

親睦会パーティーはお御堂下の広い食堂で行われた。
新理事長に就任した柿山 隆氏の挨拶。その後、学校長の挨拶。日本全国広しといえども、2
万校ある小学校の中、男子のみの小学校は3校だけしか無いという。柿山氏は私よりも四期
ほど上だったであろうか。柿山先輩から借りた汚い汗臭い靴下のおかげで、あれから60年間、
私は足の水虫に悩まされている。水虫菌が伝染ったのは柿山氏の靴下のせいだと私は今だ
に信じている。
ソルボンヌ大学に留学後、亜細亜大学のフランス語の教授を35年間勤務。亜細亜大学は硬式
野球の雄(??)というが、柿山氏はその野球部長として指導(??)したと紹介の記にあったが、柿
山氏が若い頃、野球の練達者であったという記憶は私にはまったくない。名選手、かならずし
も名監督に非ずということの反語であろうか。
後輩たちがパーティーを仕切ってくれた。赤白ワイン・ビールと山海の珍味。和・西洋・中華料
理。寿司など十分すぎるほど、足りた。〆は蕎麦。楽しい歓談のひととき。名刺交換。久しぶり
の語らい。楽しく三時間ほど過ごした。ご夫婦での出席も何組もあった。吹奏楽管楽器のバン
ド演奏グループも入っていて、ダンスに興じる人たちもいた。最後はBINGOゲーム。早いうちの
当選者たちはかなりの高額らしき(血圧計など)品々を頂いた。私は最後の方ではあったが、イ
タリー製の革の財布を拝受。会費の5000円は安く思えた。
全員へのお土産品として、カレーのルー。SBカレーの創立者、代々の社長一族は暁星学園の
卒業生である。バザーにはフォルクス・ワーゲン新車を提供してくれた記憶もある。
10月末にはフランス文化同好会がある。元気で出席したいものだと楽しみにしている。
「La Marseillaise」と、校歌(北原白秋作詞  山田耕作作曲)を全員で和昌し、散会となった。



新トイレの活用 「ウンの段」
徒然草の第五十五段に「家の作りようは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑
き比わろき住居は、堪へがたきことなり」とある。

節電節電と、やかましい時代である。円安で輸入エネルギー資源も高騰しているらしい。

エアコンの無い時代に人々は生活を工夫した。風が室内を通ると、麻の暖簾がかすかに動く。
すると、涼しさを目で感じことができる。「あぁ、今日は少し風があるのだ」と、心が和む。

ことさら凌ぎ難い京都の町家では天井を高くし、ウナギの寝床のような縦に細長い家は奥に中
庭を造った。玄関から入った風は土間を抜け、その土間の天井は吹き抜けになっていて、土
間の「おくどさん」と呼ぶ竃の火の熱は高く揚がると熱が室内にこもらない。玄関とおくどさんを
仕切るのが、夏は麻布の暖簾であり、少なくとも半年ごとに暖簾を変えなければならない。
土間の床はコンクリートのように硬く叩いた黒い土。玄関から下駄や靴を履いたまま、奥に通
り行く。途中、右手に中庭がある。中庭の植物は半日陰でも育つ青木や万年青など。大きくな
らないように、絶えず枝は剪定しなければならない。手水鉢は大きな石で、石には苔が生えて
いる。中庭の向こうにも二部屋がある。中庭の手前の廊下から左手の廊下つたいに数歩あゆ
むと大抵トイレがある。
京都の家はこんなふうである。

例年よりも早く関東地方も梅雨明けした。
私は、このたび10年ぶりで一つのトイレを復活・活用させた。このトイレは10年間余、物入れに
なっていた。仕事で使用するための段ボール箱や梱包用の材料を押し込んでいた。
そもそも我が家にはトイレが四つ有ったが、その内の三つしか活用していなかった。私の仕事
場の部屋は、昔は亡母の部屋であったが、現在は仕事場に使用している。廊下の端にトイレ
で在る。
トイレには小窓があり、小窓から風の道を作ろうと思った。そしてトイレのドアを全開にしておけ
ば風が抜けると考えた。なるべくエアコンを使用したくない。トイレの内側に暖簾を釣った。長い
暖簾だから、トイレであるとは見えない。暖簾は風にそよぐ。水洗トイレは臭わない。そしてま
た、そのトイレを私は用便としては使用するつもりはない。ウオッシュレットの電源も切った。

二世帯住宅ではトイレはたくさん必要。最初は一つしか無かった。老齢になった両親を京都か
ら呼び寄せ、トイレを増設した。姉を引き取るにつけて、二部屋と廊下を増築して、トイレと台所
を建てました。そのトイレは現在では縮緬教室の方々が使用している。二階の離れの部屋にも
トイレと洗面所を増築。合わせてトイレは四つとなった。
玄関や風呂場は一つで好いと私は思っている。二世帯住宅で、外階段を併設することは心寂
しいことだと私は思う。まるっきり、顔を合わせないようでは二世帯住宅の意味がないと、私は
思う。

二年前、二つのトイレの便器を自分で取り替えた。ネジ廻し(プラス・ドライバー)一本あれば出
来る。現在はトイレの水の使用量を軽減することに研究した結果の改良型便器がたくさん有
る。一回の排水量を抑制する方法を便器の会社は研究している。3リットル足らずで水は止ま
る。古い便器は大きなビニール袋に収納して、廃棄業者に持ち込んだ。二器で6万円の節約に
なった。なんでも人任せ、人頼みだと金は掛かる。まだ使用可能な便器を捨てることは勿体無
いとは思ったが、毎日の排水の金額の方が勿体無い。深夜バスや新幹線のトイレの水は、サ
ッと流してサッとストップする。いつまでも長々と流れない。

中庭があると風は流通する。
娘の住んでいるマンションは蒸し暑い。玄関のドアにチェーンを付けて、風を通すと好かろうと
思うが、私はお節介を言わない。賃貸マンションだから、些細なことにも大家さんの許可が必
要なのだろうか?? 
私の住んでいる葉山は、その名のとおり山が多く、敷地の隣は山。山は冷気を出すらしく、夜
は少し開けた窓からも冷たい寒い風が入る。明け方は寒いが、窓を閉めるのも面倒で我慢し
ている。

電気をなるべく使用しないで涼しいような生活を心がけようと思っている。


余暇の過ごし方

手に足に身のおきどころなき暑さかなの俳句は小林一茶の作であったと思うが、私の場合は
暑さは平気だが、「暑さかな」のところが「暇かな」であったらいちばん困る。
歳からすると閑であってもかまわないのだが、昼間のテレビを観て時間を過ごすことは耐えら
れない。勿体無い。

家内は、このところ多忙を極めている。
半月前、次女が初産をしたので、「縮緬教室」の合間を縫って娘宅へいそいそと支援に出かけ
ている。買い物や夕食を作ってくるようだ。男の私はなんの役にも立たない。

しばらく、「熱中散歩」と称して、東京各地の大商店街を探索散歩していたが、遠い・暑い・買い
物費用がかかるということで、猛暑中は自粛しようと思う。

金のかからない読書として、電子版書籍Kindleを買い求めたが、著作権料不要の只の本は、
いかにも古い。夏目漱石・菊池 寛・新渡戸稲造・斎藤茂吉・与謝野晶子など、名作揃いだが
時代錯誤の感なきにしもあらず。有料本書籍を読みたいが、電子図書は紙も印刷も送料も不
要で、ダウンロードする間が、わずか一秒か二秒。300円400円500円も、たび重なれば出費が
かさむ。

定年退職後の時間の処し方は人さまざまであろうが、ゴルフ・パチンコ・麻雀・飲み屋・カラオ
ケ・競馬などは、私は縁なく過ごしてきた。今後もないだろう。ボランティア・外国語会話習得・
俳句・短歌・川柳などの教室へ通うほど、高尚でもない。

大工工事・セメント工事(舗装)・ペンキ塗り作業は必要上、普通の男性の何十倍もやってきた。
これらは必要とあらば今後もやるつもりだが、もはや大きな工事はやりたくない。
畠仕事は畑があればやりたいが、土地がない。市の畑を借りてまではやりたくない。暑い。

そこで、仕事が比較的暇な夏季期間は、釣りに挑戦してみようかと考えている。小学生のころ
は釣りは好きだった。海の近くの田舎町だったので、あの頃はハゼ釣りから始まり、鮒釣り・小
鯖釣りを楽しんだ。アジはなかなかむつかしい。アジの口は小さいから餌の飲み込みが悪い。
魚釣りは、うまくヒットすれば夕食の献立に一品加わることになる。黒鯛が? メジナが釣れるか
もしれない。
射幸心をそそることは、宝籤を買う練習にもなる。

津波の監視役にもなれる。
釣具専門店の「上州屋」に行こうかと思ったが、netのamazonで検索。安い!!!!

松の木陰で、折り畳み式キャンバス布の椅子に座って、ラジオを聴きながら、ひねもす太公望
に挑戦してみようか。

帰途、魚屋に立ち寄る。
餌代と撒餌費用のほうが高くつくかもしれないが。



 悩み

買おうか、どうしょうか? と、私は三年越しで迷い悩んでいる。冬が到来するとその気持ちが更
に高ぶる。
ペレットストーブ。
薪ストーブではない。ペレットストーブと薪ストーブは、似て非なる物。形状はほぼ同じだが、ペ
レットとは燃焼物は薪とは異なり、木材の破片のようなものだがオガ屑のような粉でなく、イタリ
ア料理マカロニのように、細長く木材を粉砕して・同一状に加工して・乾燥させてある。(粒状の
ような物をすべてペレットと呼称することが多い)
利点は灯油と違って、CO2が出ない。地球環境のエコロジーに協力的。
10kg・20kgの紙袋で購入できるから、運搬搬入が楽。薪よりも保管場所が安易。
薪の価格は一年物と三年物では価格高低差があり、伐採した後、三年ぐらい経た物でないと
燃焼力が弱い。
一年物はまだ水分が乾燥してない。せっかく乾いた薪を湿らせてはならない。
ペレットは、山林の間伐材を使用しているから、建築用材を使用するわけではない。
石油から製造できる製品を灯油として燃してしまうことは勿体無い。
山林の間伐作業がおろそかになっていて、今は森林の管理が昔に比して行き届かない為、杉
花粉症患者が多い。太陽の光を浴びようと杉は互いに背伸びして、種の保存の為に必要以上
に実をつけようとするらしい。そして花粉を飛散させるらしい。

ここへきて、円安になり、輸入品が高騰してきた。エアコンも節電の時代に入り、この冬はます
ます値上げになるだろう。この冬の灯油代金はどのくらいになるだろう。ペレットは低価格だ。
円高・円安で、笑う者、泣いている人、さまざまである。

ペレットストーブを普及させようと、日本各地の自治体は補助金を付与している。寒冷地の北
海道東北はいうまでもなく、京都府あたりも支援金を出している。しかし、我が神奈川県は無
い。温暖な地域には不必要だ。しかし、東南に山を控えている我が家は11月から2月いっぱい
は氷室のように寒い。灯油代がたいへんな金額である。
私は昨日、我が町・葉山の町役場の環境課に電話を入れた。担当者は若い男で、ペレットスト
ーブのことも知らなかった。「こうゆう時代になったのだから、補助金の件を前向きに検討して」
と言っておいた。おそらく馬耳東風であろうが。馬耳東風「男」よりも、我が家には天敵がいる。
カミサンだ!!!!! 私の新鮮で卓抜なアイディアに常に反旗を翻す女!!!!! 北朝鮮や満州やブラジル
に移民として行くと宣言している訳ではない。たかが、大型ストーブを一器 買おうか設置しよう
かと考えている最中、話を半分も聞かないで「買わなくていい!!!」と、叫んだ。
25年以上も前、パソコンを購入しようと思ったときも・車のナビを付けようと決心したときも、「そ
んなものはいらない!!!!」と、反対した。大型留守番電話器(当時は10万円した)、大型検針器(当
時は10万円した)、リコーのPCは5年間のリースで金利共で150万円払った。車両は55台 購入
したことまでは記憶しているが、その後の記憶はない。いまはみんなゴミとなった・・・。しかし、
仕事に役に立った。
カミサンはポケベルはおろか、携帯電話も持たせてはいるが使いこなしていない。むろん、PC
など無縁。石器時代に生きている。イギリス人のように保守的である。まぁ、自動車の運転は
できるが、結婚した当時はペーパードライバーだったが、教習所に半月間行かせて、ようやく
実施できるようになった。(注) あのころは素直だっが。
第一生命の今年のサラリーマン川柳にもあった。「いい夫婦いまはどうでもいい夫婦」と。「どう
でも」だけではない。頑固になった。ときどき謀反を起こす。

さて、このハブとマングースのような関係の天敵女を、どのように攻略するか。
リサイクル着物販売を手がけることを決心したときも、此処一番という件については、私は家
内に相談を持ちかけない。自分の中で熟慮断行している。もともと金が無いから経費はかけな
い。従って、これまで大失敗はしたことがない。大損したことはない。大儲けしたこともないが。

ペレットストーブの設置も「今更 この歳になって」という気が、迷いの一因でもある。あと何年 
生きるか。
確かにエアコンや石油ストーブは管理が楽。スイッチON OFFのみ。ストーブは着火と消火に
手間取る。灰は、薪のようには大量には出ないが、全然出ない訳でもない。鋳物ストーブは鉄
のように錆びることはない。一年中、部屋に設置したまま。夏季期間も物置には片付けられな
い。FF方式ではない。FE方式という 煙突式の空気の対流式だから故障はない。電気やモータ
ーが無いから精密機械ではない。
息子の嫁も:決行することの障害の一因だ。面倒くさがるだろう。私の死後、即、屑鉄屋に出す
か?? 嫁はムード派ではない。チラチラと炎が見えるストーブの味など、話しても判らない女であ
る。五匹の野良猫と一匹の飼い猫と七匹の大きな金魚(30cm)に餌を与えることは苦にならな
いようだが。猫の糞取りもよくやっている。
そんな訳で、私は独り 悶々としている。まもなく冬が来る。その前に真夏も来る。悩みは深
い。



電子書籍の時代

読後の感想は、その本を読んだときの年齢によって変化している。20歳代後半に読んだ徳富
蘆花の名著不如帰は、電車の中であったにもかかわらず、「あぁ、人間はなぜ死ぬんでしょう。
千年も万年も行きたいわ」というくだりでは、私は思わず落涙。新婚間なしの純情な年齢であっ
た。しかし、齢古希を迎え、綾小路公麿氏のセリフ風に言うならば「あれから40年」身は苔で覆
われ、甲羅も固く、鱗も増えた。今、「嫁姑の不仲など、世間によくあること」と。また、「結核に
は間違ってもならないだろう」とイビキをかいて寝ている家内を見やっている。
電子辞書で、久しぶりで不如帰を再読した。周知のとおり、悲劇の物語であるが、事実は全く
違うらしい。
陸軍元帥や日露戦争時には参謀総長という位人臣を極めた大山巌の後妻「大山捨松」は、先
妻の子二人と、自分の生んだ子が三人という子福者。子供たちを好く可愛がり、夫婦仲はオシ
ドリ夫婦と呼ばれ、絵に書いたような幸せな一生であったらしい。捨松は津田塾を開いた津田
梅子といっしょに11歳の若さで官費留学した。(11年間)   アメリカから帰国後、24歳で42歳
の大山巌と結婚。そして、物語では先妻の子の浪子に辛くあたったと書かれているが、徳富蘆
花は後年、公に詫びたという。紅涙を絞るような物語でないと読者に享けないからである。
NHKドラマ・八重のさくらの主人公と同じく、捨松は8歳のとき籠城。会津藩の家老職の子として
裕福な暮らしであったが、賊軍の汚名を負うことになった。皮肉にも、若き大山巌は西郷隆盛
の従兄弟として会津を攻め彼はそのとき砲兵隊長だった。
明治30年の少し前から物語は始まっている。日清戦争に浪子の夫・川島武男は二度 出征す
る。周知の通り、浪子は結核という、当時の不治の病に冒される。浪子の亡母も浪子が八歳
のとき、同じ病で亡くなったことになっている。古い家父長制度や思想が絶対であり、親の意見
は強かった。名家になるほど強く子孫に繋ぐことが望まれた。家名断絶を恐れた。浪子は武男
が凱旋してくる前に、武男の母親から離縁された。当時は同じように里に返された嫁も多かっ
たであろう。不条理であるが川島家は薩摩の出であった。武男の知らぬ間にそれは行われ
た。薩摩の男と会津の女が縁組する物語も面白いが、徳富蘆花はそのあたりを皮肉ったの
か、新聞小説として掲載した。巧みである。当時の衆人の興味を煽ったであろう。
生活はまだ電灯もなく、電話もなし。人力車やランプや、急ぎの用件は電報であった。スマホや
パソコンの時代に生きている私には興味深いが、人間の考える基本的なことは概ね変わりが
ないということも驚きである。川島家に出入りする金貸し「山木」なる男がいて、金貸し業の別
称を「アイスクリーム」と読んだことは私も知らなかった。アイスは「氷」に通じ、氷菓子は「高利
貸し」の同音異語である。アイスクリームは横浜が発祥の地であるが、当時は高級な珍味であ
ったであろう。
先月、カシオの電子辞書を買った。電子辞書に収録されている日本文学を毎晩1時から4時ま
で読みふけっているが、いかにも古く、昭和初期・大正・明治・江戸時代と、果ては平安時代の
源氏物語まである。文語体の文章は格調高く味わいがあり、それはそれで楽しいのだが、故・
井上ひさし氏あたりの近代小説が無い。電子辞書に収録されている文学は超古典のジャン
ル。私は現代の小説も読みたいと思った。
電子書籍・kindleをamazonで求めた。小説のジャンルだけでも約65,000冊が只でダウンロード
できる。
すぐさまパソコンのUSBコードからダウンロードができるかと思ったら、インターネットの環境を
無線(ラン)に設定しなければならない。電話機の外線からの機械・ルータに、NTTの場合は高
速ひかり通信で、w200という機械をセットして、登録して、パソコンと連動する。すると、一冊の
本が、わずか1秒か2秒でダウンロードできることになる。
感激!!!! 夜中のテレビ・スターチャンネルを解約した。
夜中の一時頃から四時まで読書することにしている。
井上ひさし氏の「青葉繁れる」を三時間かかって読破。続いて「四十一番の少年」本も読破。戦
後、東北・仙台の施設で数年間 過ごしたという井上氏の体験は、私も施設ではないが寮生活
を経験した身として共感共鳴するところがあって納得した。今朝も、朝の五時から15冊の本を
ダウンロードした。無料である。

いまさら本を読んで、どうなるものでもないが、自分の短い人生や、経験少ない道程を、読書
は補ってくれる。未知の世界や時代・環境に連れていってくれる。

長生きをしなくてはならないと思っている。万巻の書籍に挑戦しなくてはならない。



電子辞書

二者択一。どちらにしょうか、迷うときがある。

熱海にしようか、箱根にしようか。寿司にしようか、ステーキにしようか。パリにしようか、ロンド
ンにしようか。海へ行こうか、山にしようか。迷うことが多い。

私はスマホをやめて、電子辞書を買うことに決めた。

どちらを買うにしても、今更この歳になってと躊躇もしたが、ジャパネット・タカタの社長さんの、
甲高い、後頭部から出るような声につられて、買うことを決した。
夜の夜中の午前二時ごろ、テレビ通販で申し込んだ。
丑三つ時に売る方も尋常ではないが、こんな時間に買う人間も異常である。

五月二十九日は私の誕生日。電子辞書はその翌日に配送された。自分へのプレゼント。

私が所持している
電子辞書は、もう二十年ほど前の物で、同じく、メーカーはカシオであるが、データーが古い。
漢字辞典や国語辞典は変わらないが、他はすべて大変化・大躍進している。
医療や医薬品の進歩はめざましいだろう。

ペン・タッチ(画面タッチ) 電子ペンで画面に書ける機能は、最近では珍しくもないが、やはり便
利だ。印刷物の冊子の辞書はページを繰るのに時間を要する。

源氏物語・平家物語・枕草子・徒然草などの古典や現代の名作が1000冊。世界の文学も1000
冊。毎晩、熱心に読書しなければ残り時間が無い。文庫本よりも活字も6倍ほど大きいし、音
声で朗読もしてくれる。

ミュージックも聴ける。Earphone が不付いされているのは電車の中では好都合。電子辞書か
ら音声が聞こえることは画期的。野鳥の鳴き声も聴ける。
山草の絵や説明は、大きな辞典を抱えて山野を歩くことはできないが、電子辞書は軽い。

詩や漢詩の朗読は更に好い。その道の達人の朗読は味わいがある。
短歌は朗詠という表現がふさわしいだろうか。節回しをつけた唄のようだ。斎藤茂吉や宮沢賢
治などの短歌は、東北地方の訛りで朗詠されている。
私はこれまで、詩や短歌には興味がなかったが、これも毎晩 少しずつ聴いていこうと思う。

テレビのスター・チャンネル映画を解約した。

いまさら、勉強してなにになるかとも思うが。



双六とサイコロ

netのamazonでサイコロを六個を注文、買った。コロコロコロと転がす、あのサイコロのこと。
300円。
私が、おいちょかぶをするのではない。

今週の金曜日、おとつい生まれたばかりの孫に買ったのである。3504gの男児孫。
私にとって五人目の孫。次女が初産した孫への、爺さんからの初めてのプレゼントとしては奇
抜であろう。
このことは生まれる前から考えていた。
双六(すごろく)も買った。800円。動物園すごろくといって、きれいな色で、たくさんの動物が書い
てある。
生後、六ヶ月あたりから、双六ゲームをさせることを娘に勧奨しようと思っている。赤ちゃんは
まだ名前もついていない。名無しの権兵衛クンである。名前もついていない赤ちゃんにサイコ
ロや双六を買って与えるお爺さんは変人と思われるだろうとから説明をしておく。

六ヶ月を経ると、もう名前は付いているだろうが、その赤ちゃんを片手で抱いて、母親がサイコ
ロを振る。当然、動物園の絵の書いてある双六の上で、サイコロを振るのである。(当然、象や
熊やライオンの名前も覚える)  コロコロコロと、サイコロは転がって2とか3とかが表れる。
「2!!」とか「3!!」とか母親は叫ぶ。叫ばなしてもよいが、聞こえる程度の声よい。
一日に5分間ぐらいでよい。午後にも5分間やらなければならない。
すると、頭脳に「ニ」とか「サン」とかの音声が記憶として認識されるだろう。まだ意味はわから
ないが、そのうち、「.。」が数量として「1」であることがわかるだろう。  「:。。」が「2」であること
が解るだろう。

サイコロは6までだから、初誕生日を迎えるまえになる頃にはサイコロを二つ使ってコロコロと
振るようにする。
するとどうなるか。
まもなく瞬時に暗算計算ができる児になるだろう・・・・・と、爺さんは期待しているのである。12
まで。
そして半年が経過すると、3個のサイコロを使用して振る。
すると、数量と計算力が頭脳にインプットできるのではないかと、爺さんは期待しているのだ。
サイコロは六個あるから、インド人もびっくりに?? なるかもしれない。インド人は小学校で二桁
の掛け算を学習しているらしい。
先日、数学者で随筆家でもあった寺田寅彦氏の随筆を読んでいたら、面白いことが書いてあ
った。
古いが有名な随筆の「アインシュタイン」である。大正時代に上梓された本。
アインシュタインは五歳のときに叔父さんさんか伯父さんか(オジさん)に、玩具として方位磁針
をプレゼントされて、アインシュタインはそれに夢中になったと書かれていた。寺田寅彦氏がそ
の本を表したときは、アインシュタインは壮健であった。湯川秀樹ともアインシュタインは交友
があり、来日したこともある。日本の方々で大歓迎されたらしい。彼が講演した相対性理論を
理解できた日本人は当時はわずかであったらしい。

大それたことを書いたが、赤ちゃんを生んだ母親(娘)は、夫婦共に理化学研究所に勤務して
いるから、産まれた児があまりおバカちゃんでは娘がかわいそうであると、爺さんは心配してい
る。「カール・ビュッテの早教育」の書籍も数冊 手渡してある。嫁には言難いが娘には多少 
繰り返して提言できる。嫌がられても 言う!!!
「継続する」ことが肝心であるが、続けることは困難である。

同居の中学三年生の男児孫には苦労している様子。真面目に頑張っているがパッとしない成
績のようだ。我が家の初孫で、私も嫁には強くは言い難かった。
同じ腹から産まれた妹の方は、なんでも好くできる。それが不思議である。乳児の頃からドッ
ツ・カードを頻繁にやった。
私の友人に脳外科医がいて、長男に、四歳のときに電卓を玩具として与え、紆余曲折はあっ
たが10年かかって医師になった。次男は不肖で三番目の女児はもっと不肖。(お爺さんは医院
を廻る医薬品の販売業者であった) そして、息子の脳外科医の名前は「野口英世」からの○
○英世と名づけた。意気込みが大切だ!!

登り坂は勾配がキツイほど辛い。下り坂を転げ落ちるのは速くて簡単。
一代目では困難。二代三代目にして、ようやく栄冠を手にするか?????



出開帳・善光寺と回向院

「牛に引かれて善光寺詣り」の諺があるが、誰かの誘いや影響で「結果的に好くなった」ときに
使う言葉だそうだ。ともあれ、長野県北部に在る善光寺は私の住んでいる神奈川県からは遠
い。これまで何度も出かけた松本や諏訪や上高地よりもはるかに遠い。ましてや、我が家には
牛もいない。

しかし、善光寺さんは寺院としては珍しいことに、ご本尊様の方から出向いてきてくれる。これ
を「出開帳」(でかいちょう)という。
善光寺さんはどの宗派にも属しない。また、不思議なことにご住職さんが二人いて、お一人は
尼さん(鷹司家の出身)である。大勧進と大本願というようだ。そして仲良く、一日交代ですべて
の祈祷・法要・行事が采配されている。宗教戦争が多い中、仲が良いことは好いことである。イ
スラムの人に聞かせてやりたい。

今回、昭和20年の終戦以来、初めての出開帳が東京・両国の回向院(えこういん)で行われて
いる。なかなか積極的な寺院さんである。行動的である。
今回の出開帳での収益は全額、東北の被災地へ贈られるという。

両国といえば、すぐ頭に浮かぶのは相撲の国技館。その国技館のすぐ傍に回向院は在る。回
向院の歴史は、やはり被災と因縁が深い。
振袖火事と言われるように、明暦の大火は約10万人の江戸の人々が亡くなった。八百屋お七
の事件。芝居や日本舞踊でも有名。たくさんの人々の無縁さんの亡骸を葬り、此処に寺が建っ
た。これが回向院の始まりである。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべ
てのものへ慈悲を」が理念の回向院は、天災人災の犠牲者・溺死者・遊女・水子・刑死者な
ど、差別なく供養しているという。
その後の安政の大火・関東大震災・東京を焦土と化したB29飛来の3月10日の空襲では、聞く
ところ、一晩で約10万人の犠牲者だった。回向院も消失したが両国の人々は復興に立ち向か
った。
そして奇しくも、我が母校の後輩が、この回向院の副住職だというではないか。つまり現・住職
のご子息・本多クンである。凛々しい顔をした、まだ50歳前か。イケメンである。
この機会に、此処へお詣りに行かないわけはない。東北への支援になれば幸いである。
私は土産として、伽羅のお線香と、福島の松で作った木の「しゃもじ」を買った。貧者の一灯。

母校の「歴史文化同好会」の春の行事として、ここ回向院と近くの江戸東京博物館を訪れた。

僧籍を持ちながら某・大学で教鞭を執っている母校の後輩の二人、若麻績氏と坂上氏が案内
役を引き受けてくれた。坂上氏は善光寺の塔頭に住んでいて、わざわざ今回の出開帳の為に
東京まで出向いていた。

善光寺からの出開帳も、江戸時代だけでも166回 行われた。江戸随一の回数だ。そしてこの
隅田川に架かる両国橋界隈は江戸いちばんの繁盛の象徴となった。隅田川の花火・見世物
小屋や芝居小屋が建ち並んだという。相撲も明治末期まで、回向院相撲と定められ、76年間、
此処で行われた。
今回の支援の一環として東京芸大卒の森 麻季(もり まき)さんが支援の為に歌を披露。世界
的に活躍しておられるようだ。私たちは回向院の副住職・本多クンからのご招待をいただき、
無料で歌曲を聴くことができた。

両国での夜の食事とくれば、「ちゃんこ鍋」。大正時代から続く「川崎」は鳥肉のちゃんこ鍋だっ
た。
あとで鈴木信吾君(母校の理事・湘南エトワール会会長)から聴いた情報によると、私が住む葉
山町の隣町・逗子の「鳥一」(とりいち)の弟さんが、ちゃんこ鍋屋「川崎」の社長だという。
鳥一の鳥肉は確かにスーパーの鳥肉とは断然違う。我がカミサンもときどき買っている。

いろいろな処にご縁があるようだ。これも「結縁」(けちえん)であろうか。








 俊寛

「青天の霹靂」とは、ある日 突然 自分の身に起こった不幸と境遇を嘆く物語の人物は多々
あるが、俊寛僧都が味わった絶望を見事に表した菊池 寛の小説もその一つといえよう。
外国の小説では私の拙い記憶では岩窟王(Le comte de Monte Cristo) 、鉄仮面(Masque  
de fer) 、あぁ 無情(Les Miserables)がある。いずれもフランスの物語。いわれなき罪科で長
年投獄され、悲惨で無慈悲な半生を綴ったものである。映画・ベン・ハーではガレー船の船底
の、櫓を漕がせる木槌の音を思い出す。

奢る平清盛に謀反を企て、獅子ケ谷に集まった人々の中の一人であった俊寛は、仲間の二人
とともに鬼界ゲ島に追放・配流となった。現在の硫黄島であったらしい。

歌舞伎や芝居や小説などで誰でも知っている話である。

クライマックスは平家が滅び源氏の世の中となり、俊寛を除く二人が赦免され、都に還るという
知らせを持って来た役人と俊寛との情景である。哀願する俊寛、他の二人に自分のことをとり
成してくれと袖にすがって慟哭する俊寛。
読んでいる読者も、芝居を観ているものも涙なくしてはいられない光景である。
三人でいると、毎日 悲憤慷慨し、溜息と愚痴ばかり。言い争う日々。三人という数はよくな
い。
成経と康頼が二人で話していると俊寛は疎外しされたような気分になる。ますますの寂寥と不
快を感じる。

しかし、物語はこの後がある。
とうとう俊寛は島に残され、独りになった。
嘆き悲しむだけのストーリーだけでは、人間の持つ荘厳で強い精神力を掌握することができな
い。
私が初めてこの物語に接したのは高校生のときの国語の本であった。国語の本はここで終わ
っていた。高校生の国語の本だったから、俊寛が島の若いきれいな17歳-18歳の女性と、しか
も暑い島だから半裸の姿で俊寛の周りにまとわりつくように毎日いて、結局 五人の児を成す
物語は省いてあった。
俊寛は大宮人として洛中に戻ることを諦めた。不運を嘆くのは止めた。心の腰が座った。そし
て生活の基盤を築くため、木を切り、畑を耕作し、魚を釣り、獣を捕獲し、地獄を極楽とまでは
いかないが生活の安定を計った。
島には原住民もいたから島民の言葉も覚えた。妻となった女にもボツボツ都の大和言葉も教
えた、字も教えたと、ある。俊寛は以前とは見違えるような立派な身体に生まれかわった。生
白かった頬は褐色になった。まだ34歳の若さであった。壮年の身体は原始人のように逞しくな
った。

もう、平家への恨みも消えた。孤独ではなくなった。鬼界ゲ島に流布されたことが不幸であった
か幸せであったか、わからなくなったとまで思うようになった。

数年後、俊寛の弟子であった有王がやってきた。
「俊寛僧都どのには、ましまさずや」と、叫ぶ有王。飛鳥のように俊寛の腕に飛び込む有王。二
人して大粒の涙がほろほろと流れ落ちた。「あなあさましや。などかくは変わらせたもうぞ。かく
は変わらせたもうぞ。法勝寺の執行としてときめきたまひし君の、かくも変わらせたもうものか」
と。
村上天皇の第七子具平親王六世皇孫である俊寛が、南蛮の女と契るなどは何事であろうと考
えた。元の主人は畜生道に堕ちたのではないかとまで、弟子の有王は考えた。

帰洛を勧めたが俊寛は断った。

絶望の淵から這い上がることは困難である。世の中に自分ほど不幸なものはいないと、そのと
きは思うだろう。
人を呪い、世を恨み、天に唾するだろう。
その状況に落ちてみなければわからない。





いろいろな立場

菊地 寛氏の小説に今 私は嵌っている。電子書籍Kindleで毎晩 一時ごろから四時過ぎまで
読書三昧。
但し、無料の書籍ばかり。0円×50冊=0円   0円×100冊=0円
「今すぐ買う」をワンクリック。只より高いものは無いというが、それは嘘。ダウンロードするだけ
だから、紙代も印刷代も送料も掛からないからamazonからの購入書籍の中古は安いが、300
円・450円も、積もれば山となる。
版権の切れた只の作家諸氏の小説は明治時代や大正時代のものが多い。そして、いかにも
古い。
しかし、菊地 寛氏の作品は居並ぶ方々の作品の中、私の場合、相性が好いの印象がある。
やはり時代小説が多いが、バラエティー豊か。
昨年、藤沢周平氏の本を普通の本屋から30冊購入。ほとんど読破したが正直言って飽きた。
舞台は山形県庄内地方と、時代は江戸ばかり。中身は当然異なるが、ワンパターンの思いが
強い。

大昔、読んだ菊地 寛氏の短編は「恩讐の彼方」と「入れ札」のたった二冊。
どちらも人間の深層心理が描かれている。いつまでも心に留まる。

昨晩は「吉良上野の立場」という本を読んだ。
人にはそれぞれ立場がある。境地・境遇・立つ瀬・順境なときもあり、逆境のときもある。逆境
なときは、人は弁解する。抗弁する。
この本は「吉良上野」の弁解の、独り言の本である。

以前読んだ、井上ひさし氏の本で「不忠臣蔵」という本も面白かった。つまり、血判状に連判し
ながら、脱落した旧赤穂浪士たちの物語である。これも各自それぞれ、言い分があったであろ
う。言い訳、弁解したいことがあった。見事切腹。果てていった仲間に聴いてもらいたいことが
あったであろう。
井上ひさし氏の「不忠臣蔵」が上梓したヒントは、菊地 寛氏の「吉良上野の立場」から浮かん
だのではあるまいか。

今晩というか、明日の明け方に読むための菊地 寛氏の作品を 50冊ほどダウンロードしてお
いた。

以前読んだ随筆に、「面白くなければ途中で中断しても好い。無理する必要はない」とあった。
私は10ページ読んで、面白くなければ止める。その点、只の本はありがたい。

新渡戸稲造氏の書いたものは、硬くで真面目すぎて歯が立たない。脱落組。
「戦争の中止を望む」を書いた伊丹万作氏は、太平洋戦争最中で発表。勇気がある!!!

斎藤茂吉氏の「子規と野球」という短編も面白かった。正岡子規がベーボールの語彙を邦語に
翻訳したことは有名だが、ホームベースを「本基」、ホームインを「廻了」、三振を「討死」など
と、訳したとの記事は愉快だった。
茂吉と交流があったのだろうか。

読書は時代と場所を超えて、遠くまで旅に連れて行ってくれる。



M侯爵と写真師

「M侯爵」とはマゾ侯爵ではない。
私も最初は、「うっ! マゾかょ!!??」と思った。菊池 寛氏の作品にしては、いかにも怪しげであ
る。

公侯伯子男(こうこうはくしだん) 、つまり貴族と言われた人たちの中でも、公爵・侯爵・伯爵・男
爵の種類があった明治から昭和20年の終戦までは、そのような特権階級が存在した。

そして「写真師」とは今で言うところのカメラマン。

小説の内容は、結論から申し上げると、某・新聞社の某・カメラマンが大変あつかましくて、M
侯爵はカメラマンのことを軽蔑し、苦々しく思っている。
しかし、その小説の面白いところは、M侯爵は自分の感情やその想いを写真師に表さないとい
うところがこの小説のミソ(工夫・趣向)である。
侯爵の身分からすれば写真撮影を拒否することも、怒鳴りつけることも、あの時代としてはで
きたであろう。M侯爵は写真師から「閣下!! 写真を一枚 お願いします」と、頼まれれば快く に
こやかに撮影ポーズをとった。温厚篤実の侯爵であった。
しかも、「飯でも食いに来いよ」と、まで声をかけた。当時の貴族たちの屋敷には料理人を雇っ
ていた。写真師はのこのこと麻布の屋敷まで、汚い背広を着て、厚かましくも出かけたという。

カメラマンたちは図々しく、押しの一手で、ぐんぐんぶつかっていった。品格が無かったとも書い
てある。他社との競争も激しいから、見栄も外聞もない。自分だけ特ダネを得んものと、なんで
もかんでも「撮ったら勝ち」とばかり、マグネシュームの閃光を放つ。マグネシュームとは、現在
のフラッシュやストロボのことである。バーンと大きな音がした。被撮影者や周囲の人たちも一
瞬 目が眩んだ。

以前、写真専門週刊誌が二誌あった。まだ廃刊にはなっていないのだろうか。衝撃的な写真
ばかり載せていた。多くの芸能人たちはカメラマンの的になった。餌食になった。他人に知られ
たくない心の恥部ともいうべき処を満天下に曝された人もいたであろう。公人たちも顔写真を
撮られていた。
今は個人情報が護られるようになったが、あの時代は不愉快だったであろう。訴訟になった件
も数多くあったであろう。「有名税」という言葉で、我慢せざるを得なかった人もいたであろう。
パパラッチとやらに追いまくられて事故死なさった某国のプリンセスの記憶も鮮明である。

菊池 寛氏は、明治か大正の時代において、この件を予想したような文をしたためた。

芸能記者という人たちがいる。それで飯を喰い、給料を貰っているのだから、ある程度は仕方
がない。芸能ニュース報道を観る人も多い。

「キョウシュクデス(恐縮です!!)」の、梨本 勝氏も故人となった。しかし、あの方は、愛嬌もあっ
た。

M侯爵は、どうゆう理由で、軽蔑し嫌っている写真師を食事にまで招待し、寛大な態度をとった
のだろうか。

読者の想像と判断と生き方を示唆しているのであろうか。



2013/5/12 髪型のこと
「ご飯ですよ」と、いいながら家内が私の仕事場にやってきた。

えっ! 「小澤征爾さんじゃないの? 」と、おもわず口に出した。家内の頭を見て。
髪の毛がバランバランである。安達原の山姥である。いっちゃぁ悪いけど。

家内は髪を染めることはしない。自然が良いと言う。茶髪や金髪でないほうが私もよいと思う。

もう、一週間も前から「その頭 なんとか しといでよ」 「美容院に行っておいでよ」と、私は告
げていたのだが、「約束の品を仕上げなくちゃぁならない」だの「バザーが終わるまで忙しい」だ
の「時間がない」とか、「型紙を執っておかなくては・・」と、美容院が遠い様子。

私の亡兄の妻(義姉)は、毎朝毎朝 ほとんど毎朝 美容院に行っていたと聞く。洗髪も自分で
はしない。みんな美容院でやっていた。かなり贅沢。毎朝、「なでつけ」というのか、「ブローす
る」というのか、女の世界の美容専門用語は詳しくないが、義理の姉は美人でもあったが贅沢
だった。

東京・調布の某・ケーキ屋さんの顧客様も、毎朝 美容院に行っておられた。自分で髪ぐらい
やればいいのにと思う。
「お金持ちで 暇がある人は、誰だって 美容院やエステは好きよ」 と、美容師さんは言うだろ
う。

私が行く床屋さんは「早い! 安い! 」がモットーの吉野家のような床屋さん。380円の牛肉も飢え
ていれば旨いだろう。

「こんなもんで、いかがですか? 」と、髪切りが終わると床屋は鏡を後方から持ってくるが、これ
が毎回、私は気に入らない。自分の頭頂部や後頭部は見たくない。私の頭頂部は釧路湿原に
住んでいる丹頂鶴である。
まもなくバテレン頭になるだろう。

家内がようやく美容院から戻ってきた。
すっきりした。
ヘビー・ショートの髪型にしてきた。超短い。若く見える。この方がいい。洗髪も楽だろう。
髪型ひとつで雰囲気が変わるものだ。




北朝鮮の若殿様に、腕の良い理容師さんを派遣してあげたいと思う。





次回は、6月。湘南エトワール会が鎌倉で行われる。




花より団子、団子も花も  2013/5/2

「花より団子」と言った人は此処の花を見たことのない人か、よほど空腹で死にそうな人の言
葉。

今年のGWは前半も後半も好天に恵まれた。
天候の善し悪しで経済効果は数十億のひらきがあるだろう。

5/2 木曜日、昨夜らいの激しい雨も朝方にはすっかりあがった。

栃木県佐野の「藤フラワーパーク」へ行ってきた。

我ら夫婦は歳の割りにはしばしば出かけることが多いと他人にも言われる。自分でも思う。
「冥土の土産に出かけてみるか」と、玄関で同居の息子夫婦の前で言うことにしている。
別段、遠慮する必要もないのだが。

「オトウサンに一度見せてあげたかったのよ」と、言った家内は此処は既に三回目だそうだ。
しかし、花はタイミングが大切。前回、家内が来たときの藤の房は1cmだったとか。

今日の藤の房は例えようもないほど長く、素晴らしい。こんなに遠くまで来た甲斐があった。
何種類もの藤の花があるものだ。藤色ばかりではない。白や黄色や、多種多様。140年もの樹
齢。
私が想像していた図は、たった一つの藤棚に、藤がぶら下がっているだろうぐらいのものだっ
たが、拙い私の筆では表せない豪華絢爛の藤とツツジと、花ミズキなどの大エベントであった。

アジサイの珍種を二鉢買った。黄色とオレンジ色。
重い鉢を両手にぶら下げて、1km余離れた所に在る「栗田美術館」も行くことにした。

伊万里焼きと鍋島焼きだけに限り、コレクター故・栗田某氏の遺品が二万坪とも三万坪ともい
われる敷地に展示してある。衆議院議員もしていたとか。地元の大地主だろう。大富豪であっ
ただけでなく、海外に流出した焼き物を買い戻し、自費でミュージアムを建設して、安い入場料
で開放してくれる奇特な方である。

食物のお土産は消えて忘れてしまうが、旅した記念に残る物を買うことにしている私は伊万里
焼きの小さな水差しの焼き物を買った。もう一つ、兜の絵が描かれている四角の絵皿を求め
た。
家内が、自室の階段箪笥の上に飾るだろう。

往復300km余。
交代もなく一人で運転した。GWの谷間のような平日は、渋滞もさほどになかった。

想い出旅行が一つ加わった。



忘れられない・忘れたい・忘れてはいけない
がんばっぺ、福島
4/22
みちのく・福島へ行く機会があった。
三春の滝さくらを観光しようかと思ったが、泊まったホテルのマネージャーは「震災と津波のあ
とを ぜひ見て下さい。人生観が変わるといってもいいと思うほどの状態ですよ」の言葉で、ハ
イヤーを頼んだ。
千年桜は5年ほど前に観光した。それはそれで好かった。
ハイヤーは一時間 6000円の約束。ホテルからは30km余の小名浜へ向かった。いくつかの峠
を超えるまでは観光気分だった。
海が見えてきて、海岸線の平地に車が達すると唖然とした。言葉を失った。テレビで観た画像
と同じである。否、あんなものではない。壮絶の一言に尽きる。無残だ。空は高く青く、太陽は
さんさんと輝いている。しかし、その下の、この光景はなんということだ。瓦礫はほとんど取り除
かれていたが、コンクリートの土台・つまり家の基礎だけしか無い。その基礎さえも傷だらけ
だ。あらゆる漂流物がこの硬い基礎さえも壊していったのだ。鉄筋が、まるで細い針金のよう
にぐにゃぐにゃに曲がっている。柱などは一本も無い。火事のあとも悲惨だが、それでも火事
の場合は柱や屋根の瓦はある。津波はなにもかも 持っていってしまったのか。家屋も車もそ
して多くの人々も。まるでゴーストタウンだ。いわき市の海の近くの中学校鉄筋の校舎三階の
屋上の生徒たちもさらっていったというではないか!!!!! 車から降りて、運転手さんと家内と私の
三人はいちばん海岸に近い道路に しばらく佇んだ。家内は海に向かって手を合わせている。
涙が流れた。この風景を見て、涙のないものは人間ではない。日本人ではない。多くは語れな
い。語る必要もない。それぞれが出来ることで支援を続けることが大切であろう。
運転手は「4000円でいいですよ」と言ったが、私は1000円を「タバコ代にして」と。普段 ケチな
私としては珍しいことである。
小名浜漁港の海産物を買ったが、新潟県や山形酒田港から入れているという。魚介類の収穫
は禁止状態。
今回の旅行は、貧乏な私でも勇んで行く気になったのは、女児孫が福島を支援する為の海産
物物産展で一等のクジを引当て、無料招待旅行券を貰ったからである。二人ぶんだと、6万円
の価値はあるだろう。
行き先は、ワイキキもパールハーバーもないハワイ。その名は「常盤ハワイランド」 横浜から
の送迎バスも無料。二人だと新幹線の旅費だけでもたいへんだ。自分で車を運転しない旅は
ほんとうに気楽。常盤道は東北高速道よりも車両は少ないようだ。快適。道路際は桜やモクレ
ンや白いコブシの花。
映画の「フラガールズ」は二回も観た。内容も映像色彩も良かった。昭和27年に炭鉱が廃坑に
なり、従業員たちや、その家族を、人々の努力と温水鉱泉とが実を結んだ。既に40年の実績
があったとは私は知らなかった。
そして今回の被災後、フラガールズは全国を巡演したと聞く。
「常盤ハワイアンランド」は大賑わいであった。月曜火曜という平日なのに、ものすごい客の数
だった。広さは東京ドームが6個ぶんという広さ。回りきれるものではない。若い家族も居ない
ではないが、多くは60歳すぎの爺さんと婆さんたち。元気で金はある。足腰のじょうぶなうちに
行ってこようという人たちだ。
そもそも、私は温泉場に行っても大浴場には行かない。温泉に入ること自体 それほど好きで
はない。部屋についている小さな家庭用のようなバスで満足。自分で湯を入れて独りで入っ
た。家内は二回も三回も大浴場に入るようだ。私は知らない人といっしょに入ることに抵抗が
あるといえばある。同期生たちといっしょの時は、入らないと変人と思われたくもないので一緒
に入るが、温泉自体はそれほど好きではない。行き帰りのプロセスだけで満足。バイキング料
理だったが、アワビのステーキなどもあり、料理は良かった。これで本当に只とは申し訳ない。
お土産をたくさん買って、お金を落としていかなければ申し訳ない。孫や嫁にハワイアン・ムー
ムーのドレスやアロハ・シャツを買った。家内も私も、旅行では自分の物は一度も買ったことは
ない。というよりも、もう、欲しいものは何も無い。四人の子どもたちと嫁と、今のところ四人の
孫への土産を買うばかり。だが、家内はムームーを一枚買ったなぁ。「夏の寝巻きに、いいか
も」と言いながら買ったが、ポリネシアの太った婆さんも赤いムームーを着ているから、心配す
ることはない。着てしまえば気にすることはない。

昨日、一昨日の会津の鶴ヶ城は桜と雪だった。やはり、旅行には「元気と天気と現金が大切」
である。





信州長野は良い処
桜は咲いた。暖かくなった。孫たちは春休み。二年ぶりで、家族旅行。
信州安曇野まで、ささやかな家族旅行をしてきた。一泊だけ。穂高の麓、赤松と白樺林の中の
宿泊施設。今年は息子からの招待であった。此処は二度目。十年前も息子からの招待で、無
料で泊まった。石造りのChateauのような建物。静かな場所。隠れ家のようだ。
温泉は好かったが、山の温泉場は海の温泉場の食事メニューには負ける。私たち年寄りは和
食で、Maine Daish はミイラのような山女魚(やまめ)の塩焼きだった。孫たちはステーキ。あっ
ちの方が食いたかったなぁと、ちらりと横眼で見る。月曜日だったので、宿泊客は私たち家族
だけ。貸切状態。

車での旅行は、あっちへふらふら、こっちへ行きたければ寄って・食べて・道の駅で土地の農
産物を買ったり、ワイナリーでワインを試飲。四本の白ワインを買う。車は日産のElgrand。六
人乗ってもゆったり。

安曇野のいちばん奥の、麓の道を、のんびりと走る。一度ゆっくりと走ってみたかった道だ。い
つも私たち夫婦だけだと、松本ICで高速道を降りて、上高地や乗鞍へ焦って急いで行く。この
ゆったりとした道はほんとうに心が和む。私設の美術館や工房がたくさん在る。
「浅川」という店が、蕎麦ではいちばんの人気店だと息子が口コミで聴いていたので入ってみた
ら、ほんとうにいままでの蕎麦はなんだったんだと言いたいくらいの、目からウロコが落下。お
いしかった。トッピングも良い。天ぷら蕎麦が1460円だったか。
名前を記入して、順番を待つ間、店の裏の自然林を散策。この自然林が良い。
山梨県・小淵沢の柳生さんのお店にも5?6回 行ったが、あそこに似ている。
信州はまだ梅と杏と白モクレンの花ばかりで、桜は松本城の庭の枝垂れ桜は見事に咲いてい
たが、市街地は盆地で、安曇野は気温がわずかに異なる。安曇野は2度は低いだろう。山梨
県塩山市の「日本一の桃の里」の立て看板に偽りはない。何処までも続く桃の花の畑。桜より
も濃いピンク色。





たんじょう祝いは何歳まで 4/10 筍とケーキ
子どもの誕生日のケーキは子どもが何歳になったら買わなくてもよいか。ハッピーバースディ
ーの歌を唄わなくてもよいのは何歳からか。ケーキにローソクが乗ら載らないくらい本数が多く
なったときからか。
成人式という制度があるとすると、「生んでもらった感謝の日」という制度を記入した新しいカレ
ンダーを印刷してはいかがなものか。
しかし、大人でも子どもでも、誰かが自分のことを覚えてくれていたということはうれしいことに
違いない。

去年のことである。横浜に住んでいる外孫・小学校2年生が、「誰からも誕生日 おめでとうの
電話もこない。ボクなんて生まれてこなくてもよかったのだ」と、泣き出したと、孫の母親である
娘から聴いて、大いに驚いたことがあった。朝おきてすぐの7時に、誕生日おめでとうの電話は
こない。
一週間も前から、誕生日プレゼントの為に、少しだけの現金を孫の母親に渡しておいたのに、
そうゆうことは忘れてしまっていたのである。

過日の4月8日は次女の誕生日だった。お釈迦様と同じ日なので記憶に留まり易い。次女は6
月後半に出産を控えているので精神的にナーバスになっているかも知れないと思った。
私たちも次女も昼間は忙しく動いているが、夜行性動物のように夜だと行動ができる。日曜日
の夕方から夜にかけて、次女の所へケーキを届けることにした。37歳になっているというのに。
三時ごろ、「今 伊豆に来ている。風が強い。飛ばされそう。もうすぐ箱根の十国峠を走る。6時
半だったら自宅に到着していると思う」と、携帯電話。
妊娠中なのに長距離のドライブかよぅと、カミさんに小言を言ったら、「私たちだって出産直前ま
で動いた」という。「私なんか、京都駅の山陰線の乗り換え口の階段の上から下まで転げ落ち
たわよ!! それでも生まれるものは生まれたわよぅ」と、偉そうに言った。身体が若かったのだ。
あのときカミサンは23歳だった。
私は無罪!!! 父親といっしょに初めての里帰りだった。父親が迎えに来たのであった。私は現場
にいなかった。父親の目の前で落下したらしい。

次女は37歳。昔ならば○高と母子手帳に押印された。ちなみに、40歳台での妊娠治療の成功
確率は、1%であるらしい。DNAの研究が次女の専門である。そうゆうことには詳しいようだ。
次女の夫は伊豆から帰宅して、その足で研究所へまた行ったという。日曜日でも夕方の二時
間は勤務先に出向くようだ。


ブログ1022 3/9 いまさら胎教???
「子はカスガイ」といえば、それは夫婦間の諺であって、私はこのたび「孫はカスガイ」という造
語を考えた。それは夫婦間のことではなく、新夫婦の四人の親たち、つまり舅&姑の間におい
て、ようやく初めての孫が誕生するとなると「孫がカスガイ」になるのではないかと思った。
新夫婦の親たちが親しく交際することは稀有だと思う。「君子 危うきに 近寄らず」とも言う。
親しくなった挙句、酒が入って・・・・・という危険性 なきにしもあらず。

「オトウサン、来て来て」と叫ぶ家内の声。
ゴキブリか、ヤモリか、蜘蛛・ムカデの時期でもない。まだ奴らの出没には早い季節だ。
ともかく走って家内の部屋に行った。歳をとった夫はゴキブリ退治の役にしか立たない。
面白いテレビの番組をやっているから観ろと言う。時は3月6日、時刻は午前9時。今日は縮緬
教室は無い。午後からは家内は教会に出張縮緬教室に出かけるが、ともかく午前中は家内は
閑。

BSテレビの3chでは、生後1週間の新生児に童話をアナウンサーが聞かせていた。赤ん坊の
頭には脳内の脳波がモニターで見えるように、たくさんのコードが繋いである。場所は東京大
学・医学部の研究室。
驚いたことに、後頭部の脳内のある場所だけ、赤く反応している。つまり、まだ生後一週間の
新生児が「話を聴いている」状態だと、研究者の教授たちは受け止めているのだ。反応がある
ということだ。

少し躊躇したが、私は電話口に走った。六月に初めての出産予定の次女の婿殿の実家に電
話を入れた。
「おもしろい番組をやっていますから、もしも、お閑だったら・・・・・」と。退職しているから暇で暇
で困っているだろうが、婿殿のお父さんと少し会話して、急いで電話を切った。BS放送は10時
半まで続いた。

11時すぎに、婿殿のお父さんから電話がかかってきた。「家内と二人でテレビ観ましたよ。興味
深い番組でした」と。奥さんと二人でどんな会話をしながら観たのだろう。
「私も、こうゆうことは門外漢ですから、『釈迦に説法』のようなことで、お父さんに語る資格はな
にも無いのですが、六月に出産を控えていますから。それにしても不思議なものですね、人間
の能力というものは・・・」と、電話を切った。婿のお姉さんは東大法学部卒。某・県庁のキャリ
ア組だ。
偉そうに、能力だの、潜在意識だの、語る資格もない私であるが、またまた 私はnetの
amazon経由で本を買った。娘に買って与えようと思った。娘にはこれまでも何度も語って聞か
せてきた事柄ではあるが、出産を直前にして、買った本をまたもや送るつもりだ。うるさいと思
われても気にしない私。

本が届いたから明日 持って行くよと次女に告げたら、「幼児教育の本は、もう既に三冊も貰っ
ている。もう いらない。いままでのも一応 パラパラと読んだ」と、次女の言葉。パラパラでは
なくて、熱心に読め!! ともかく、買ったから明日 持って行くと、私は懲りずに告げた。嫁では、
こんなふうにしつこく言えない。だから、今 中学2年生男児孫の学習で困っている・・・・と、嫁
には言えないが。

婿殿のお父さんは「若菜さんに言うと、プレッシャーになるでしょうね」と。確かに、息子の嫁に
は言難いが、娘には言い易い。嫌がられてもかまわない。10年後、死んだお爺ちゃんのお陰
だと思ってくれる日があればよいが。

七田 真著の「驚異の胎教」と「赤ちゃんは天才!! 胎児からはじめる七田式右脳トレーニング」
という本を買った。価格は、いずれも1円。送料が250円。七田チャイルド・アカデミーの創立者・
七田 真さんの著書。七田さんも76歳くらいでお亡くなりになったようだ。
「驚異の胎教」の本は昨日 届いた。明日 届けるつもりだ。ドッツカードも24枚だけ作ってやっ
た。



ブログ 1903 3/10 商店街散策・東北の被災者応援の日

「霞か雲か・・・・」などと風雅に詠ったこともあった。明治も江戸も平安時代にさえ、中国のゴビ
砂漠から砂塵は飛来していただろう。加えて今は工場からの煤煙の大気汚染・杉花粉が飛来
する。
3月10日は風も強く、横浜の空は黄色くかすんでいた。とうとう日本の関東地方にさえ飛んでき
た。
それでも梅は健気に満開。桜には少し早い今日の日曜日、汗ばむような陽気の中を、そぞろ
小旅行と、半日の外出をしてきた。

今日は横浜保土ヶ谷区天王町商店街と、ほぼ近くに在る松原商店街という所にも双方とも行
ってきた。
まだ横浜にもこうゆう商店街があったのだ。大げさにいうならば感動した。大都市も中小の町
も大型スーパーの出店の煽りを受けて、かつて存在した小規模の店はシャッター通りになった
り、疲弊しているのが今の現状だが、此の商店街は元気でがんばっている。
ここからほど遠くない神奈川区三ツ沢公園傍に住んでいる長女家族四人と私たち夫婦と内孫
の女児を連れて、商店街に行ってきた。
目的は、福島県から海の産物をここまで搬入し、私たちが彼らから魚や海苔や貝を買うことが
東北の被災者の皆さんへの応援・支援ということになるというので、7人で出かけたという図式
である。

歩行者天国の中、すでに大勢の人々でいっぱい。大きな太鼓の音が聞こえる。見れば、車椅
子の人や、障害をもった若者たちが力いっぱい太鼓を叩いている。東北から来たのだろうか。
ドンドコドンドコと大きな音。やはり、気分が高揚する。下腹に響き、心が踊る。そしてフリーマ
ーケットの店もたくさん出ていた。たくさんの白いテントの内では牡蠣とホタテ貝を焼いている。
いい匂い。大人も子供も長い列をなしている。大きな牡蠣の熱々を食べている。牡蠣のカラの
上に載せて200円。安い。長女が代表して食べた。なるべくたくさんの海の産物を買わせてもら
った。フカヒレのスープの材料をたくさん求めた。

松原商店街には、知る人ぞ知る 有名な魚屋さんがある。年末にはテレビでこの店の賑わい振
りを放映した番組を観た。一日で数億円も商いをするようだ。安い。種類も豊富。目からウロコ
の感あり!!!! こんな商店街が我が町にあれば、どんなに楽しいかと思ったが・・・・。

福引券を貰って女児孫がクジを引いたら、一等賞に当選した。係りの女性が叫んだ。「ハワイ
が当たりましたぁ。!!!」ハワイまでの往復チケットか凄い!!と思ったら、福島県の常盤ハワイアン
ランドに一泊二食付き・お二人様無料ご招待の券だった。昭和27年、常盤炭鉱が閉山して、フ
ラガールたちを養成する奮闘の映画を二回も観た。一度行ってみたいもの思っていた。娘が
すかさず「行くときは私たちも連れていって!!」と叫んだ。孫の後、次の次の人も一等のクジを当
てた。そこでふと考えた。空クジよりも一等の当選クジのほうが抽選箱に沢山入っているので
はないかと。なぜなら、夫婦二人だけで行くという計画は、家族一同・または、私たちのように
二世帯三世帯でこの券一枚を利用して行くということになれば、この当選券は大きな利益を生
む。この当選は謀略ではないかと考えた。海老で鯛を釣る謀略ではなかろうかと。
女児孫が「爺ジと婆バの二人だけで行ってきて」と言って、私たち爺ジと婆バにプレゼントしてく
れた。
次回は、この孫にグリーンジャンボの宝籤を引いてもらおうと思う。6億円を当ててもらおうと思
う。

長女の二人の息子(小4と小2)は、花粉症で眼は真っ赤。薬の量販店のHACがあり、花粉防御
のメガネを買った。小4の男児孫が「目薬も安いから、ついでに」と言いながらレジの前で並ん
でいる私に持ってきた。
「よかったわねぇ、HACがあって・・」と、娘は嬉しそうに孫たちに告げたが、そうじゃなかろう、
「よかったわねぇ、爺ジがいてくれて」と言うべきだろうと心の中で私はつぶやいた。昼の食事
のtake outの寿司の代金も、お土産も、ぜーんぶ爺ジと婆バが払った。





バルトの楽園の話 ブログ 1022 3/18
「一期一会」とは、もう二度と生涯で会うことがないかもしれないから心を込めて、云々という。
茶道の世界の造語らしい。一期は仏教用語であり、一期一会そのままでは国語辞典には無い
語彙である。
私が先日出会った人は、一期一会なのか、「袖振り合うも他生の縁」なのか。「他生」も仏教用
語であり、前世からの因縁という意味だから、この言葉も適切ではない。しかし、こののち、二
度と会わないであろう人と出会い・会話して、しばし楽しい時間を費やしたことは今後の私の記
憶に残るだろう。

その人は70歳を少し超えたと思える女性。総白髪だが、髪は豊か。顔は若い。若い頃はさぞ
や美人と彷彿。話しぶりも上品。ついつい三時間もお邪魔した。午後の一時から五時まで。お
茶二杯、菓子は出たがクッキー。用向きは簡単に終了。会話の内容は多岐に及び、自分の子
供は男児ばかり四人いるという話題から、私宅も同人数であるとか、教育関係から海外駐在
での話題に至った。そして、ご自分のルーツ先祖は会津であったことから、お爺さんは元陸軍
少将・松江豊寿という人だと語った。松江豊寿だけではピンとこなかったが、映画「バルトの楽
園」の主人公であったのだ。その部屋のテレビの台の下からDVDの入った箱を出してきたのを
見て、私は驚いた。最近、テレビのスターチャンネルでその映画を観て、そうゆう事実がかつて
の日本にあったことを私は初めて知った。主人公の松江豊寿氏を演じたのはテレビ時代劇の
六代将軍吉宗を演じた松平 健さんであった。バルトとはドイツ語でヒゲのことを意味するとい
う。お爺さんは立派なヒゲの持ち主だった。歴史の教科書で見たあの時代のドイツのモルトケ
やビスマルクのヒゲもそうであった。椿油かなにかで固めたのであろう。会津市の市長も務め
た。

「バルトの楽園」とは、第一次世界大戦で捕虜になったドイツ人たち4700名の中、1000名を四
国・徳島県鳴門市に収容所を設置して、約3年間彼らを収容した有様を映画化したものであ
る。収容所と楽園とは対照的な不似合いの言葉であるが、所長の松江氏は人道的・寛容に捕
虜たちを扱ったと伝えられている。私たち日本人が誇りにできる事実であった 収容所といえば
ナチスドイツの悲惨な歴史を思い起こすが、同じ人間が、各も異なる事態を行うのである。会
津出身の松江所長は賊軍という汚名を被り、明治政府から悲哀を受けたことも、捕虜といえど
も彼らに罪は無く、平等に扱う博愛の精神を有していたのであろう。トルコの軍艦の兵士たち
が和歌山県串本で座礁して地元の漁民に救助された美談と同じく、今だに忘れていない人々
がいる。こうゆう美しい事実は小中学生の教科書に載せるべきだと思う。収容所内のエピソー
ドとして、交響曲第九の「歓喜の歌」がここでドイツ人捕虜たちの演奏にて、日本人は初めて聴
くことになった。また、バームクーヘンやビールも作られ、置き土産となった。サッカーも。

第一次世界大戦勃発の原因は多々あるようだが、誰でも知っていることはサラエボでオースト
リアの皇太子が襲撃され暗殺されたことである。イスラム・ギリシャ正教・カトリック・ユダヤの4
つの宗教があればボスニア・セルビア・クロアチアと3つの民族が入り乱れ、当然 紛争が起き
ないほうが不思議である。バルカン半島と同じである。日本は欧州と遠く離れていたから関係
ないはずなのに、日英同盟を締結していた為に、ドイツと英国が戦争状態に入り、ゆえに中国
から青島を租借していたドイツと戦い、青島のドイツ軍の兵士たちを捕虜にした。大正13年・大
隈重信が首相のときであった。戦争は兵器の革新も生むが、たくさんの文学や映画にも歴史
を刻むことになる。ヘミングウェイの「武器をさらば」や「アラビアのロレンス」や「西部戦線異常
なし」があるが、「誰がために鐘は鳴る」もそうではなかったかな?? この映画は私が小学生3年
か4年生のころ、姉(現・90歳)と観たが、訳が分からなかった。なーあんにも、面白くなかった。
このときの戦争は塹壕戦だったといわれている。ドイツは毒ガスを使用した。飛行機は双葉
機。パリ・ヴェルサイユ講和会議で毒ガスは禁止されたと思う。「会議は踊る」という音楽・曲も
できた。

現状、北朝鮮の若様が相変わらず無理難題を吹っかけている。
中国も居丈高であるし、韓国も強気である。防衛大学校の卒業式で安倍首相は卒業生たちに
激を飛ばしたことをなんと見るか!!!!??? 複雑な想いであのニュースを観た日本人は多いと思
う。
「四方の海 みな同朋(はらから)と思う世に など波風の立ち騒ぐらん」の御製が想い出され
る。

ちなみに、買い取った着物はほとんどダメだった。



2012/12/28 多忙な人と閑な人
カミサンが必死になって制作に励んでいる。今朝も4時までやっていたという。何を制作してい
るかというと、来年の干支の「巳」を、縮緬で作っているのだ。
生徒さんたちの作品を手伝っているので年末は気が狂ったように忙しい。生徒さんたちは、自
分の親にプレゼントしたいとか、姉に・妹に・嫁いだ娘になどに、いくら作っても際限がないほど
作りたい。
友だちから作品を褒められて「あなたは作れるんだからいいじゃないの。私に一つ ちょうだい
よ」と、言われたらなかなか断ることができないとも聴く。
今年中に完成させて、新年に間に合わせたいのだ。
今年は、「巳」と、竹細工の熊手に縁起物の飾り品(お多福・鶴・海老・打出の小槌などなどetc,)
を付けている。お酉さまの熊手に似ているというと烈火の如く カミサンは怒る。「あんなプラス
チック製品やワラ細工と同じに見られたくないわ!!」と。

一・二分見ていたが、いつまで見ていても仕方がない。
「今日はnetの着物も売れていないし、退屈だなぁ」と言ったら、「この年末の忙しいときに、よく
もそうゆうことを言うわねぇ!!! いくらでもやることあるでしょう!! 家の周りを見れば、ゴミ掃除や
窓ガラスを磨くとか、・・・・」と、忙しいという火に油を追加したことになって、更に激怒した。

掃除は私は得意分野ではない。第一に外は寒いではないか。

それでも自分の寝室ぐらいは掃除をしようと思った。
分身の術を使った。お掃除ロボットのルンバを充電させた。
「それっ!! 行けっ!!」と、スイッチを入れた。走りだした。・・・・・飽きもせず、ルンバは動く。よく走
る。隅々まで入る。ゴッチン・ゴッチンと椅子やテーブルの足にぶつかりながら、方向を変え、U
ターンしながら走っている。

一時間余、電池切れになると自分で元の充電器まで戻ってくる。これがお利口さんだ。
オレンジ色のランプが緑色になったら充電完了の合図。人間が疲れて一休みしたくなるとお茶
のみするのと同じ。ロボット・ルンバは階段の「あわや、落ちる!!??」という際でUターンする。



今、カミサンが突然 部屋に入ってきて叫んだ。「オトウサン 今 忙しい?」「ひまっ!」と答えた
私。
お餅を焼いてくれと言う。昼のお凌ぎに。・・・・・・伸餅(のしもち)を六枚だけ焼いて食べた。
昨日、丹後の義妹から丸餅をたくさん送ってきた。「へしこ」も。「へしこ」とは、日本海地域の鯖
の糠漬け(ぬか)のこと。辛いがおいしい。熱いご飯に載せて食べると絶品だ。

「乞食と坊主と先生は三日やったら止められない」と言うとカミサンは怒るが、一年中 我が家
は貰い物で溢れている。私の着物屋家業は、年末とはいえ取引先の不景気でカレンダーが2
本送ってきただけだが、カミサンの生徒さんたちは女性だから手土産を携えて来てくれる。
という訳でもないが、生徒さんたちが喜ぶように、目には見えない下準備や・手伝いなどで年末
ギリギリまでキリキリ舞をやっている。もう、縮緬教室を始めて11年目になる。いつまでやれる
ことやら。





2012/12/27 誰にでも公平なこと
このことは誰にでも公平平等である。このたび日本の総理になった人も閣僚も最高裁の長官
でも金持ちも貧乏人も、皆な同じである。分け隔てがない。

我慢できない。耐えられない。しばらくは「あぁあ、めんどくさいなぁ、行きたくないなぁ」と我慢を
しているのだが、「しかたがない。やるか! 誰が俺の代わりに行ってくれないか! 」と思いつつ、
「限界だぁ!!!」と、決行する。人生にはやりたくない事でもやらねばならない事があると思って決
心する!!
さて、これはなんだろう? 
答えは「冬の・夜中の・トイレ行き」である。

亡父が「誰か代わりに行ってくれないかなぁ」と、言ったセリフを私は子どもの頃 聞いて、変な
ことを言うオヤジだなぁと思っていだが、父のあの頃の年と同じになった身として、今 納得して
いる。

中学生の頃、フランス人のMonsieurガヴァルダという名前の先生が、朝 ホウロウの容器を手
に持って寮の廊下を歩いている姿を何度も見かけた。スペイン人のPretreマディナという名前
の人も、同様の姿を数回見た。そのときは気にもかけなかったが、今 自分が彼らよりも老齢
になったのではないかと思うが、ようやく理解できた。ホウロウの容器は高さが30cmぐらいで、
後ろに取手が付いていた。牛乳を入れる容器にそのような器を見たことがある。容量は2リット
ルぐらいは入るだろう。
もう、お判りのように、老人のMonsieurやPretreは個室にお小水を入れる容器を用意していた
のだ。そして朝になると、それをトイレで流していたのだ。老人になって、夜中に何度もトイレに
行くのは難儀である。

私は頻尿ではないが、昨夜は夜中の三時半にトイレに行った。そして明け方の七時半にも行
った。ベッドは電気敷毛布を「3」にセットしてある。私は足が冷えると「コムラ返り」になる。これ
は痛い!!激痛!!掛布団は綿タオル布と羽ふとんを二枚。下はシーツの下に、電気敷毛布を敷い
ている。だから留置所のような処に収監されると困る。その為に悪事はしないようにしている。
故・○中角○氏が収監されたのは夏であったなぁ。暑いのも困る。

42年前、家内の里の家屋は、200年経た古民家だった。農家なので、トイレというよりも便所は
母屋とは別の建物に在った。結婚直後に家内の古民家の家に泊まったときは、冬の夜のトイ
レ行きは困った。正月の頃は普通 まだ雪は降らないが、いつであったか雪の庭を下駄を履
いて便所に行った記憶がある。寒い。呑んだ酒の酔も覚める寒さである。(脳卒中の恐れあり)
その後、全面改築して、むろんトイレは屋内に設備されたが、外用の便所はまだ在る。200年
は保つと言われる大屋敷に建て替えた。
来年、義弟が退職して、此処が終の棲家にと、今 リフォームをしている。トイレは水洗にな
る。

我が家のトイレは4つある。最初は1箇所しか無かったが、老母と幼児たちのトイレ合戦か始ま
るようになって増築。独身の姉(現・90歳)を引き取って(28年同居した)トイレと二間と台所を増
築。息子が結婚して同居生活開始となり、二階を二間とトイレを増築した。民宿のような家屋で
ある。

建築面ではトイレは不自由しないが、夜間のトイレ行きは未解決である。
紙パンツもあるが、あれに出すのは白面(しらふ)では勇気がいるだろう。

孫たちは朝まで一度も行かない。土曜日などは10時まで、トイレにも行かなくて寝ている。膀胱
は小さいであるはずだが。




2012/12/28 カキとカキのご縁
ニッポン昔ばなしを一つ。
昔々、二匹のカエルがいた。二匹のカエルは友だちだった。一匹は京都に住んでいて、もう一
匹は浪速に住んでいた。二匹のカエルは京都の街にも浪速の街にも行ったことはなかった。
京都に行きたいと思ったカエルと浪速に行ってみたいと思ったカエルは途中の天保山で逢う約
束をした。京都から天保山は遠い道のりである。浪速からも天保山までも遠い。ようやくのこ
と、二匹のカエルは天保山の頂上まで登ってきた。そして、浪速から来たカエルは京都の街を
眺めたが、景色は浪速の街と同じだった。うしろには大阪城が見えた。京都から来たカエルも
浪速の街の風景を見たがそれは京都の街と同じだった。うしろには御所が見えた。カエルたち
の眼は自分のうしろの風景を観ていたのだった。

と、いう昔話を子どもに童話の本で読んだ記憶がある人もいるだろう。

昨日、広島県から「カキ」を贈っていただいた。お返しとして、私も「カキ」を贈った。
ご推察のとおり、広島県廿日市市に住んでいる方から名産の牡蠣をたくさん頂いた。
私は柿をお返しに富士柿という名称の日本一大きい柿を発送した。富士山の形をした四国宇
和島の名産である。宇和島から瀬戸内の海を渡れば目前が廿日市市である。廿日市市は安
芸の宮島が在る。

去る10月、私たち夫婦は念願の安芸の宮島へ二泊三日の旅行に出かけた。日本三景の一つ
の天橋立の近くに住んでいた私は安芸の宮島に一度は行きたいと思っていたが、ようやく念願
が叶いJTBのツアーに参加して実現した。仙台の松島には4-5回 行ったが、安芸の宮島は船
に乗る必要が生じるため、簡単には行くことができなかった。

廿日市市から、わざわざその方は私たち夫婦に逢うためだけに、船に乗って宮島まで出てき
てくれた。台風が近づいていて天候が悪かったのに、わざわざ来てくれた。いっしょに食事をし
た。

兄弟でもなく、親戚でもないのに友人といってよいと思うが、知人ができたことは心からうれし
い。
この縁を大切にしていきたいと思っている。現代は袖は短いので袖が触れることもないが、こ
のご縁を大切にしたいと思っている。


蛇足的追伸
今朝のTVは「未来は無い党」の嘉田さんと「国民の生活は最後で自分の当選が一番の党」の
小沢さんが成田離婚をしたと報じている。自分に投票してくれた人々への責任など皆目 念頭
にないようだ。破廉恥 極まれり。福島県人には申し上げにくいが、もう いいかげんに目を覚
ましてほしい。と、思うのは私だけではないと思う。

跳梁跋扈  百鬼夜行  左顧右眄  奇々怪々  狂瀾怒涛  危急存亡  波乱万丈
首鼠両端  面従腹背  付和雷同  虚々実々  牽強付会  内憂外患  呉越同舟





2012/12/18 大器晩成
「爺ジ、婆バぁ、一成のことを褒めてやってよぉ」と、41歳の息子が叫んだ。
ほら来た。またかよぅと思った。が、むろん口には出さない。

「この間の試験の結果が出てさぁ、主要三科目が平均点より上だったんだぜぇ!」と、息子。

主要三科目といえば算数・英語・国語である。
それが平均点より上??  
で、平均点って、何点なのよ? 

平均点とは科目やクラスや地域や公立・私立学校などで差があることは私でも知っている。
私の学校時代は平均点といえば56点とか63点とか、そんなものであった。平均点より下の点
数を採ったものは科目の下に赤いアンダーラインがチェックされて、追試験を受けなければな
らなかった。それゆえ、あまり喜ぶべき点数ではなかったはずである。「赤座布団」と呼んだ。

そして中2年生の男児孫の肝心の点数を息子は発表してはいない。私たちもあえて聞かない。
「言わぬが花」( Mieux laissez-le inexprime ) である。聞かぬが花か。

「ふぅーん、ともかくよかったじゃないの。一成は頑張っていたもんね」と、内心は忸怩たる想い
であったが、それだけ答えるのが精一杯であった。
あんなに頑張っていたのに、平均点並かよぅと、言いたかった。もっと言うならば、やっぱ、頭
良くないんじゃん!と言いたかったが、男親が諦めもしないで、希望を捨てず、明るく励まして
いる様子は健気というよりも、気の毒になった。

孫の母親をちらりと見れば、顔は半分笑って(苦笑い)、半分引き攣れている様子。当然当然。

で、本人の男児孫は、ウンウンとうなづきながら父親の演説を聞いている。かわいそうかわい
そう。

長々とした演説はやっと終った。

まっ、諦めないのはいいことだけどね。希望の光明をかざすことは大事だけれどね。

あぁーぁ、あんなに頑張っていたのに・・・・
と、ふと気づいた。主要三科目の他のテストの点数は?平均点より下ってこと?? 社会とか理科
とか音楽っていうのもあるよな。あれら ぜんぶ ダメってことなの? えっー!!! そんなぁ!!!!
それで、公務員の葉山町の消防署員になれって?? 言うの? 消防署の人が聞いたら怒るよ。

その日も妹、なっちゃんのテスト用紙も返ってきた。学期末だからテスト試験は頻繁にある。
理科が2枚と国語が1枚 返ってきた。ぜんぶ100点。入学以来 ほとんど100点。
「好かったね」と小さい声で私は告げた。「ウン」とだけ返事した女児孫4年生。

男児孫は悪びれる様子もない。羨ましいと思う気配もない。

我が家は「大器晩成」の言葉を額装して壁に掲げたい。

晩成の晩とは何歳の頃までが賞味期限か?? 愛知県の金さん銀さんは99歳にして輝いた。


2012/12/13 魚心あれば水心
選挙前になると我が家にやって来る女性がいる。サンタクロースではない。
三女が三歳から日舞をやっていたときの先輩女性である。

月日の経つのは早いもの。七歳だった娘も三十歳になった。

それから何度 選挙があったことか。
国選・県知事選・県議会議員選・市長選・そして当地は町議会議員の選挙がある。

事前運動や個別訪問が違反だとわかっていても、「また、お願いしますね」と、ただ その一言
だけで「いいですよ」と、阿吽の呼吸。長いつきあいである。選挙の話題はしない。

「こんなときにお願いごとして気恥ずかしいけど、家の前の道路が、ようやく公道として公認され
たので、道路の補修工事をやってもらえると、有難いのだが」と、持ちかけてみた。

「かならずお伝えしておきます」との返事。だが、宛にはしていない私。

しかし、びっくり仰天!!! 
翌日、町役場の職員さん二人が、カメラ持参でやってきた。道路の撮影。

またその翌日、四人の職員さんが、車両二台で乗り付けた。
道路の穴傷を埋めてくれた。公道だから町は補修の義務がある。しかし、細部にわたっては職
員たちも補修箇所を把握していない。とはいえ、町の役場へ出向き、申請しても、いちいち取り
上げてもらえるものか??

やはり議員さんの力は偉大であった。即実行された。



去年の件にも驚いた。
所有者のわからない山の木が、いまにも倒れかかっていた。40年以上 この地に住んでいる
が いつも不安に思っていた。大風で家屋に被害が出る恐れがあった。
この件も、ダメで元々と思って、告げてみた。

なんと!! 即 木の枝は切ってくれた!!! 感激した!!!
しかし、目的の木ではなかった。間違えて、他の木を切った。枝払いしてくれた。
しかし、意はじゅうぶん私に伝わった。

その後、すぐに12万円かけて、自費で倒木してもらった。

国会議員さんは地元民に直接の恩恵を与えることは無い。周り回れば、町会議員さんでは成
し得ない大事もできるが、江戸時代の侠客・清水次郎長が「俺に任してくれ!」と、回答があれば
心強い。

町の世話役と懇意になっておくことも悪いことではない。
田中角栄さんのような地方区の議員が選挙に強くて、いつまでも落選しないのは当然であろ
う。



2012/12/8 貧者にああたかい手を
私のような庶民にとって有難い企業がある。高嶺の花に手が届くように努力してくれたお店が
ある。
それは回転寿司屋とUNIQLOと|100円ショップである。アンタは偉い!!! 私が首相ならば国民栄
誉賞を授けたい。

回転寿司の寿司も東京・築地の寿司屋の味も、私にはあまり味は変わりなく思える。いやい
や、ホント。どちらも美味しい。
スーパーで売っている1350円の寿司でさえ、じゅうぶん美味しい。

しかし、寿司がいつでも手軽に食べられる時代になって、私はもう寿司を食べたくなくなった。
とくに寒い季節に「オトウサン、お寿司を食べに行こうよ。私がお金を出すから」と、言われても
「俺は嫌だ。あたたかい物が食いたい」と渋る。

最近UNIQLOで買った1940円の冬のズボンには感激した。裏布がフリースになっている。実に
暖かい。
サラリーマン川柳に「この俺にあたたかいのは便座だけ」というのがあったが、便座に
「UNIQLOズボンも加えてやりたい。

私は冷え性である。パソコンに向かって一日中 仕事をしているが、足は足温器の上に置いて
いる。これが無いと冷え冷えになる。足首の骨まであたたかいが、膝から上は寒かった。室内
はエアコンがあるが、温度は天井の方ばかり暑い。

そこで、家内がUNIQLOのフリース裏打ちズボンを買え買えと勧めるので買ってみた。正解だっ
た。もうこれで膝掛け毛布はいらない。

昨晩の忘年会もこのズボンで ほんとうは出かけかったが、家内が「もう こうなるとどうしょうも
ないわね。だから歳はとりたくないわ」と、バカにするので かろうじて止めたが、普通のズボン
は寒かった。

家内は嫁にもこのズボンを買って与えた。嫁はそれからというもの いつも履いている。




2012/12/6 学期末試験
真夜中、私がトイレに起きたのは1時半だった。階下の食卓で中学2年生の孫と、孫の母親が
まだ勉強をしていた。重ねて言えば孫の母と、孫がというべきか。

一夜明けて、今日から男児孫の2学期末試験が始まった。

我が家の4人の子供たちに、こんなに勉強をする子はいなかった。そして、こんなに勉強をさせ
た母親もいなかった。

孫と母親は2ヶ月前から今日に備えて取り組んできた。毎晩、夜は11時まではやったらしい。
らしいというのは未確認で、私は夜は8時にはベッドインする。

今朝は激しい雨だった。
私が孫を学校まで車で送って行った。当地の葉山中学校は山の上にある。葉山町はその名の
通り、山が多くて平坦な地が少ない。車で通勤する教師たちには好いが生徒たちには無駄な
山登りを強要させている。
今朝は多くの父兄が車で子供たちを送ってきていた。どの子も昨晩はギリギリまで試験勉強に
取り組んで頑張っていたのだろう。

午後、下校してきた男児孫に「どうだった??」と、一言だけ尋ねた。「まぁ、書けた」と短く答え
た。いつもお喋りは少ない孫だ。
「今日の科目は??」との問に「国語・英語・音楽・・・・」と、音楽のあと、なにか発したがいつもの
通り、声が小さいので聞き取り難かった。

孫たちは勉強を嫌がらない。というよりも、嫌がるスキを母親が与えない。
孫は小さい声で「鬼母・・鬼親」などと言うこともあるらしいが、母親は「鬼でも蛇でもいいから、
しっかりやんなさい」と、叱咤している。
孫は身体は大きいがおとなしい方だ。大きな声で反抗したり、逆らったりしたことがない。
小学校4年生の女児孫のほうが強い態度を現すことがある。しかし、こちらの方の声も普通よ
りも小さいというべきだろう。ギャーギャーいうほうではない。

昨日の小4女児孫の漢字テストも100点だった。たった10問だけのミニ・テストだったが。
「ずっと、相変わらず100点ばっかり??」と、嫁に聞いたら「いいえ、理科と算数で100点でなかっ
たテストが最近2枚返ってきました。近頃は難しい問題も出てきたみたいですね」と嫁は答え
た。

小4の女児孫も、あまり喋らない。聞けばきちんと説明するし、話すのが面倒な様子というふう
でもない。自分からなんでも話を切り出すという性格ではないようだ。だんだんと大人になってく
れば変化してくるだろうが。

孫の父親は相変わらず、男児孫には「葉山町の消防署署員だ」とか、女児孫には「神奈川県
疔役人だ」と叫んでいる。この自宅から通勤できる勤務先が最高に良いと決め付けているの
だ。そして次の世代も孫の夫婦や家族と同居生活が希望のようである。

計画どおり、希望どおりに行くか、観ていたいものだ。


2012/12/5 孫の好きな お菜
女児孫が珍しく母親に文句らしい言葉を発していた。耳をすまして聴いてみると、食べる
お菜に自分の好みのものがないと、声は小さいが不平を言っているようだ。

夕食の時間になって、孫の不平の件を知らない家内が食卓に就いた。おいしいおいしい
を連発した。「和代さん、ワタシ こうゆうお菜は大好きよ。おいしいわ」と、嫁に言いなが
ら食べていた。

今夕のお菜のメインは、ほうれん草のソティにハムが入っていて、味は確かに好かった。
他に野菜のオカズが2品あった。そして味噌汁。これだけあれば私たちは十分である。し
かし、たしかに老人向きのお菜だ。

小学4年の女児孫には大きな大盛りの焼きそばが出てきた。肉も入っている。

翌朝、孫がいない時間、つまり登校したあと、母親に聞いたところによると焼きそばは2
人前だったそうだ。孫はそれを苦もなくぺろりと食べた。

みんなで大笑いした。
たしかに昨夕のご飯は老人向きだった。

「焼肉でもなんでもいいから、なっちゃんの好きそうなものを作ってやってよ」と、私も家
内も嫁に告げた。子供はハンバーグやカレーや餃子が好きだが、用意がたいへん。そ
の点、焼肉ならば買い置きさえあればすぐにできる。

三世代・七人のお菜を用意する嫁は大変である。食べ盛りの子供たちは食欲旺盛。

主体としては夜の食事だけを作ればよい。朝は、パンを焼いたり、昨晩の残りを私たち
は食べる。

朝は果物が出る。秋は柿の季節。今日も奈良県十津川村から取り寄せた柿がたくさん
送ってきた
。デザートは朝だけ食べる。夕食のときは、お菜がたくさんあってデザートまで胃に入ら
ない。


2012/12/3 ドンドンパチパチ
テレビのBS放送をスターチャンネルに変えてから、夜 ベッドに入るのが私の今の最大の楽し
みになった。スターチャンネルは3局あって、放映される映画はほとんどがアメリカの映画であ
る。
映画から推察すると、銃社会のアメリカは開拓時代からの歴史的背景のため、自分の身は自
分で守るという風潮がある。しかし、日本人から見ると気の毒と思えるほど、銃に怯え・銃の被
害に遭っていると思う。これからも被害者の数は減ることはないだろうと思う。
ドンパチドンパチと、銃で撃ち合いする刺激的な映画を観て、アメリカ人はどんな風に受け止め
ているのだろう。快感を覚えるのだろうか。

しかし、今朝観た映画は良かった。内容をご披露してみる。
二人の警察官がいた。一人は白人で他方は黒人。白人のほうは人種差別の意識がある。そし
て、白人の方の息子の17歳が先日 家出をしていた。この息子は次男で、長男は5歳のとき、
交通事故で亡くしていた。自分が買って与えた自転車で轢き逃げされ、事故死をしていたので
ある。
某日、二人はパトカーに乗りパトロールをしていた。途中、本署から無線連絡が入り、パトカー
を急行させた現場は今まさに覆面を被った盗難者が荷物を運んで逃げようとしているところだ
った。白人の警官がピストルを撃った。倒れた犯人の覆面を剥いで見ると、犯人はなんと自分
の息子だった。弾丸は息子の腎臓に当たり、腎臓摘出の手術を受けた。更に運の悪いことに
息子は先天的に腎臓は一つしか無かった。これまでも一つだけの腎臓で生きてきたのだ。臓
器の移植をしなければ、息子はまもなく死ぬばかり。臓器提供者を探したが、なかなか見つか
らない。灯台元暗しというように、(ドラマなので)相棒の黒人の警察官の血液型が、瀕死の息
子と一致した。黒人の警察官は、牧師の資格もあり、日曜日は地域の牧師として教会で奉仕
の生活もしていた。
さんざん人種差別の言葉と侮辱を受けていた黒人は自分の腎臓を提供する決心をした。手術
の間、黒人の家族(母娘)が病院の廊下で手術の終わるのを待っていた。黒人の娘・6-7歳の
子が母親に尋ねた。「ママ、私たち黒人の腎臓が白人の身体の中に入ってもだいじょうぶな
の??」と。
母親はなんと答えたか。ここはそれぞれがお考え下さい。
移植手術のおかげで17歳の息子は助かった。息子の両親は人間性を取り戻した。某日、地域
の人々の祝福を受けてパーティーが開かれていた。そこへ、かつて、轢き逃げ交通事故を起こ
して逃げていた犯人が名乗りを挙げて出頭してきた。心からの許しを乞うた。このあたりがこの
映画のクライマックスであり、ラストシーンでもあった。

珠にはこうゆう映画もあるが、ほとんどは自動小銃をバリバリぶっぱなしている。血だらけのシ
ーン。
だんだん感覚が麻痺していくようだ。
シリアではまだまだ戦争が終わる気配がない。イスラエルも世の終わりまで続けるつもりなの
か。




2012/11/16 最後の工事
一週間かかった。我が家の家屋と隣家との間に屋根を架けた。

これが最後の大工事だ、これで止めにしておこうと思いつつも、今やっておかねばならないとい
う義務感と、パソコンに向かってばかりいる仕事からの開放感・気晴らしと、両方の想いで、ま
たもや作業に取り組んだ。
高い処に登るのは危険だからと思いつつも、息子や孫の為に、やっておきたい気持ちがある。
あと5年もしたら絶対に出来ないだろうが、今なら出来るかも知れないという気持ちが交錯して
いた。決心するまでだいぶ時間を要した。

東面の、家の外壁と隣家との境界まで幅が約1,5mのスペースがあり、そこには屋外用の洗濯
機もあり、物干し台もあるがあまり有効には使用されていない。屋根があれば洗濯物の干場に
なると思った。地面は以前に自分でセメントを敷き、乾いているが、雨が降るとやはりジメジメ
する。
エアコンの外気器具やIHの給湯設備の機械も設置されていて、それらも雨に濡れない方が好
い。
そこのスペースの全体に屋根という覆いを架けることにした。

二年前、南面の山側に屋根を架けたのがたいへん好評で、大きな部屋 兼 物置小屋ができ
たとみなしている。鉄製の組立式棚を三基用意して、棚は灯油缶の置き場として、その他 い
ろいろな雑多な物が置ける。しかも雨で濡れることがない。降雨の多い日本では、雨に濡れる
と なにもかにも錆たり腐ってしまう。

今回の工事の東面側は幅が約2メートルあり、奥行は10メートルある。このスペースに片流れ
式の屋根を架けようと思った。屋根材はプラスチックの透明波板。これがいちばん高価だっ
た。
木材は180cmの束を6束用意した。1束に180cmの木が6本有り、4cm×4cm×180cm。
木材はほとんど無駄にしなかった。半端切れを出さないことが大切だと思っている。
低価格にする為には、3メートルぐらいの長い木材を求めればよいのだが、自家用車には長い
木材は搭載できない。

屋外用洗濯機の上には、以前 私が作った簡単な屋根があったが、これは急いで作ったもの
なので出来栄えが気にいらなかった。そして屋根も狭かった。今回は恒久的な屋根を作りたい
と決心した。古い方の屋根をチェーンソーで解体した。壊すのは簡単である。30分で木材の残
骸になった。しかし建ち上げること、つまり一から作ることは時間がかかる。何事もゼロからの
出発は時間がかかる。結局、丸々一週間かかった。雨樋もつけた。

作業は気晴らしになる。本業よりも楽しい。苦しいし、しんどいが、しかし楽しい。
大きな怪我もなく、完成した。小さい生傷はしょっちゅうある。電動の工具を使うから危険だ。

ホームセンターで新しい工具を一つ購入した。ネジ釘を締める電動ドライバー。1から20までの
パワーがコントロール可能な工具である。7000円ぐらいで安い。
カナヅチは使用しない。ほとんどがネジ釘を打ち込む。音はあまりしない。

不思議なことに腰痛がまったく無い。作業の第一日目の翌朝は腰が痛くてたまらないのが常で
あったが、毎朝のラジオ体操(テレビ体操・朝6:25)の成果で、全然どこも痛くない。たった10分
間の生温いような体操と思っていたが、バカにできない。NHKのお陰であった。
夜間の為に今日は電灯も付けようと思っている。LEDの灯りを付けよう。LED電球は10年間は
保つというから。私とどちらが長生きするか???



2012/11/29 無事カエル・親カエル
喋る しゃべる シャベル。話す はなす ハナス。語る かたる カタル。
青森県白神から帰宅した家内はご機嫌で、紅葉がどんなに綺麗であったか、ブナの森の森閑
とした様子を、奥入瀬の道を4キロも歩いて感激した様子などを、興奮した面持ちで、身振り手
振りで現した。
一生懸命に喋るから、熱心に聞いた私。

三日間とも好天に恵まれたようで、トラブルもなく元気で帰宅した。
旅行は玄関に到着したときが、ようやく旅行の完結だという。

60歳代のオバさんたち8人集まれば怖いものなしだ。JTBのツアーの中でも目立った存在であ
ったに違いない。。毎年、茶道の仲間たちで、一年に一回 行く。毎月5000円の積立貯金をし
ている。年間で60,000円になる。二泊三日。

ホテルの方たちも、旅行関係者の人々も、観光に従事する店舗の人たちも、心から旅行者を
喜んで迎えてくれた様子が痛いほどわかったという。
去年の地震と津波と原発の風評被害の影響で、青森県も多大な痛手を被っているという。
青森県はリンゴと観光に依存している人々が多い。他県ほど、工業は多くはないだろう。
冬季は長く、冬の期間は他のときよりも観光客は減少するだろう。
「どうぞ 冬も来て下さい」と、逼迫した様子で懇願されたようだ。

青森県に私たちが初めて行ったのは、次女の招待旅行でだった。もう12年?13年も前になる。
やはり二日間だった。青森県の二戸という処まで新幹線で行き、レンターカーを借りて、自由に
青森県と岩手県を走り回ったことがある。次女が往復の交通費からレンタカー費用も宿泊費
も、二人ぶんを出してくれた。私たちが支払った費用はガソリン代だけだった。

次女は「自分は他の兄弟よりも、教育費をたくさん親に負担させてしまったから、恩返しのつも
りで旅行に招待したい」と、いう趣旨であった。おそらく20万円くらいはかかったであろう。
東邦大理学部から東京医科歯科の医学部研究室へ行き、千葉大医学部研究室へ行き、よう
やく卒業した。長かった。大学院の最後の半期ぶんの月謝が工面できず、困っていたら、長女
が70万円をポンと、黙って出してくれた。そしてその後、一度も恩着せがましいことは口にしな
い長女である。だから長女と次女には毎月 丹後のおコメを届けている。

どの親も子供の教育費が惜しかったと思う親はいないように、そして子供に差別は無いよう
に、どの子にもできるだけのことはしたつもりだ。当たり前のことであるが。

ようやく理化学研究所という所に勤務が決まり、一年後に私たち両親を旅行に招待してくれ
た。
あの旅行は良い思い出になっている。

私も今頃になって、「島根県に戦争疎開として三年間住んでいながら、出雲温泉には行ったこ
とがない。日光見るまでケッコウ 言うな」とか、母親が言った言葉を思い出す。出雲にも日光
にも連れて行ったことがない。もっとも、疎開中の身で温泉旅行など誰もしていないと思う
が・・・・・

誰でもそうであるが、結婚してから夢中で働いてきた。親の墓に布団は着せられずという。

青森県のねぶた祭りも行った。東北の三大祭りも観光できた。岩手県の久慈まで車を走らせ、
琥珀の時計も買えた。家内は時計はそれしか無い。だんだんと、旅行する元気も金も無い。



2012/10/26 世話焼き嫁とその家族
6時半、朝起きていちばん最初に私が目にするのは、嫁が男児孫(中学2年生)の肩や腕をマッ
サージしている光景である。あるいは、孫の登校用カバンに教科書を詰め込んだり点検のよう
なことをしている姿である。母親に登校の支度をしてもらっている間の孫は食事をしているか、
長椅子ソファーに寝そべっている。まだ夢の中らしい。

嫁がたった二人しかいない自分の子供の息子と娘と、夫の世話を懸命に尽くすことについて、
爺さんとして文句を言うつもりはない。だが肩を揉んだり、腕をさすったり、している光景は母猫
が子猫を甘噛みしたり、じゃれている様子と同じに見える
なにしろ孫の身長は170cmを超え、上半身の素肌の肩の肉はモリモリしているのだ。空手を長
くやっているから腕も太い。その身体を母親の膝に預け、耳そうじをしている姿もあまり格好良
いとはいえない。スキンシップは好いことだと思う。心はまだ幼いようだ。
これでは新婚旅行に母親がついて行くということになろう。
小学4年生の女児孫は時々母親と抱き合っている。いわゆるハグっていう奴である。登校前、
玄関で二人とも黙って抱き合っている。今生の別れになるわけでなし、おかしいと思うが、爺さ
んはそれを見てもなにも言わない。けっこうなこととも思わないが、やめろよとも言わない。た
だ、私たちが4人の育児をしているときは、そうゆう光景は一度もなかった。

たしかに嫁はがんばっている。朝の4時すぎから起きている。夫が早出のときはそうである。昼
間はできるだけ昼寝をするようにと、私も家内も言っている。そして深夜の就寝になるようだ。

閑話休題
今朝、愚息にペンキ塗りをやらせた。なんとか完了した。玄関の上の屋根はカラー鉄板だか
ら、10年に一度は塗る必要がある。
「道具と材料を用意しておいてよ。俺が塗るからさぁ」と、言うので、仕方がなくペンキ・刷毛2
本・薄め液のシンナーと作業用手袋とヘルメットを用意しておいた。嫌でも目に入るところに置
いた。
駐車場の屋根も一部分 修理をしたようだ。

「次回でよいから、洗面所の上の天井を塗ることを計画の内に入れておいてよ」と、愚息に命
令したら、「家具の撤去と、ペンキの飛沫の汚れが出ないように、床や壁のガード作業を手伝
ってよ」と言った。
ペンキ塗り作業は、それらの下準備が95%である。塗るだけなんて楽なものだ。ビニールや紙
で、家具が汚れないようにすることが仕事の大半なのである。
そんなことは親を宛にしないで男なら自分でやれっと、言いたいところだが、こうゆう甘えた男
にしたのは「嫁だ!!」と、私は言いたい。嫁はサービス過剰である。世話の焼き過ぎだと思う。

ペンキ塗りも屋根の補修もまだまだ私はできるが、愚息に自覚を持たせる必要上、やらせてい
るのだ。自分でやる方がよっぽど気楽だ。

時々愚息は玄関で叫んでいる。「和代ぉ、俺の携帯 もってきてぇ・・・・」と。「ハーイ、待ってて
ぇ」なんて、取りに二階まで走っている嫁。バッカじゃなかろか。
自分で取りに行ってこいと私は言いたい。まぁ、しかし、夫婦のことだから口出しはしない。

ウチのカミさん?? ありえないありえない 絶対にありえない。




2012/10/25 妻の旅行の日
今日は家内が楽しみにしていた旅行の出発日。朝からウキウキした様子。ごきげんである。
7時に駅まで車で送った。二泊三日の予定。青森県八甲田か白神か十和田湖か、どこかの温
泉らしい。

昨日からずいぶん寒くなった。彼の地は一ヶ月は気候が早く進んでいるだろう。薄手のダウン
のハーフコートも用意したようだ。初冠雪の報もある。

途中、S整形外科医院の未亡人を車に乗せた。毎回駅までいっしょに行く。S婦人はこの初夏
に医者である夫君を亡くした。まだ75-76歳だったようだ。
今日のメンバー8名の中、3名は既にご主人がいない。しかし、女は強い。そして自由の身にな
る。夫から開放される。

今回の旅行に行きたいがご主人のわがままで、参加できない人が1名いる。今回だけではな
い。奥さんが旅行に行くという前日から、その方の旦那はいつも自家中毒になるという。自家
中毒とは子供の病気だと私たちは認識しているが、希に大人でも緊張すると症状が出る人が
いるらしい。吐き気・発熱・食欲不審・倦怠感・下痢など、さまざまらしいが、一言で断定してしま
えば鬱病の一歩手前だと私は思う。要するに甘えである。幼児期からそのように育ってきたか
ら、会社での身分や役職とは関係ないらしい。母親の育て方の被害者ではないかと私は断罪
する。

家内が主催しているちりめん教室の、火曜日グループで、ご主人といっしょには絶対に旅行に
行かないという生徒さんが、その日の6名の中 5名いた。私はその話を家内から聞いて、気分
が悪くなった。なんだ!!それはぁ!!といいたい。それでは結婚生活している意味がないではない
かぁ!!
昨日の水曜日「東京・田園調布グループ」の生徒さんたちの中でも、1名の方は絶対に旦那と
は行きたくないと語った。かなり美人で、真っ赤なドイツ製のアウディを運転してくるから、豊か
な人であろう。旦那は自分の母親に対して、常々冷たい接し方であると語る。姑である義母に
対して、嫁の自分は義務を尽くしているつもりであるが、実の息子である夫が実の母親に対し
て、なんの感心を示さないことが「こんな夫とは旅行にも行きたくない」という心境になったと語
る。

家内が「ツアー旅行ではなくて、主人と二人で、ゆっくりと、車でのんびりと、行きたい所へ、好
きな時間に、時間に拘束されないで行くのが好い」と、語ったことから、そのような話題になった
ようだ。
暇な時間も金も無いので、実際にはなかなか実現しないが、今度は出雲の方へ・四国の四万
十川あたりに行きたいとか、地図を出して想像だけで旅行の話題を一致させるだけでもよい。
妻が自分の友達と行く計画を毎回 聞かせられる夫はどのような気分だろうと、私は他人のこ
とでも腹が立つ。女友達といっしょの旅行は、確かに夫といっしょよりも気楽だろう。60歳すぎ
のオバさんは元気である。それは大阪のオバさんだけではない。
しかし、「旦那とは絶対に行かない」と、うそぶく女は、もう、夫婦をやめた方が好い。そのような
女には亡夫の年金の半分も支払うことはないという法律を制定するべきだ。

永遠に夫婦も二人揃って元気で暮らすことはできない。いつかはどちらかが独りになるだろう。
その日、もっとやさしくしておけば良かったと反省しても遅い。

今朝は、家内がいつもやる庭や駐車場の掃除も、リビングルームの掃除も、嫁が念入りにや
っていた。家内がいなければ嫁も責任感が出るようだ。洗濯物も干してくれた。

私も二泊三日間 食いっぱぐれることはないだろうと思う。
我が家は葉山の「白川郷・合掌造り住宅」だから。



2012/10/26愚息の家屋のメンテナス
愚息に家屋の手入れの作業をさせることにした。玄関上のカラー鉄板屋根のペンキ塗り作業
と、駐車場上の、プラスチック波板屋根の一部補修である。
私は自分でやるほうが、よほど気楽なのだが、愚息にも自覚というものを持たせなければなら
ないと思って、命令したのである。
今年の春までは自分で大作業をした。屋根屋さんが一月から二月にかけて、ぜんぶの屋根を
張り替えたので、下地の「野地板」といわれる10mmベニア板と、基礎の角材は私がチェーンソ
ーで裁断した。家の一軒ぶんの廃材となると山のような木材であった。チェーンソーの刃は一
度 交換した。そして、古い屋根材の「コロニアル瓦」は、一家総出で、山の敷地内に捨てた。

今回の作業は、それと比較すれば楽々であるが、少しづつ愚息にも自分の家だという自覚を
持たせなければならないと思う。まだまだ自分でもできるのだが、愚息にやらせなければなら
ない。
そして、「パパが屋根のペンキを塗った。えらい!! 」と言って、中二の男児孫にも伝承させなけ
ればならない。

「俺がやるからサァ、道具と材料を準備しといてよぉ」と、呑気なことを言っている愚息。

しかたがないからペンキとシンナーと刷毛を二本 買ってきた。
自分で用意して、後片付けも自分でしろよと言いたい。

明日の朝、ヘルメットと波板用の釘とカナヅチと、なんだかんだと用意しておかねばならない。
仕方がない。
私が生きている以上 甘えがあるようだ。愚息の年齢は41歳である。

明日は愚息の公休日だそうだ。




2012/10/20 テレビ体操
昔はラジオ体操なんて、馬鹿にしていた。特に、椅子に座って体操をしている姿を、見下すよう
な気持ちがあった。今はそのことを反省し、毎朝のテレビ開始の6時25分を心待ちしている。

やり始めて3日目で、効果は出てきた。腰痛が治った。一日目は腰を曲げる運動が、前後の屈
折運動がヘロヘロだった。私の腰は錆びた蝶番(ちょうつがい)状態であった。腰の骨がミシミ
シと音をたてているような状態にだった。
ラジオ体操(テレビ体操)は、よく考察されている。過度な体操ではない。子供にも老人にも、や
ろうと思えばできる。あれはビデオのなのだろうか?? 毎朝、あれだけのことで、若い数人の女
性が早朝に家を出発して来るのは本当にご苦労様だと感謝の目で見るようになった。お礼を
いいたい。
ところで、レオタード姿は家で着替えてくるのだろうか?? それともNHKのスタジオの楽屋で着替
えるのだろうか?? 「地下鉄を何処から入れたのか??それを考えると夜も眠られない」という漫
才師がいるが、個室はあるのだろうか?? NHKに問い合せてみたい気がする。「こうゆう質問は
今回が初めてですねぇ」と、言われそうだから止めておこうか。ピチピチのレオタードに着替え
るのには何分ぐらいかかるのだろうか?? それを考えると・・・・

今朝は時間の始まる少し前に家内の部屋(階下)へ降りて行った。少々寒いので、家内の布団
にもぐり込んだ。「いやよ。よしてよ」と、言いながらも布団の半分を空けてくれた。テレビのスイ
ッチを入れて、体操開始時間を待った。
「アンタもやれば」と、私は体操をしながら家内に勧めたが、当然 家内はやらない。体操が終
わるや、またもや家内の布団にもぐり込んだが、「早く散歩に行ってらっしゃいよ」と冷たい様
子。テレビのスイッチを切って、「まだワタシは眠いのよ」と、くるりと背を向けてしまった。これで
は会話すら拒否している様子だ。
私はエンジン全開!!! 例えていえば、工場の天井のぜんぶの蛍光灯がパッと点灯され、モータ
ーが轟轟と音をたてている様子。

家内は朝起きが悪い。起きてもしばらくはボーとしている。

黒い革の帽子をかぶり、竹のステッキを持つ・・・・これが私の散歩スタイル。
こうゆう格好をして歩けば、誰も怪しむ人はいない。
犬を連れて散歩をするのも好いだろう。犬ともだちができるだろう。犬どうしに挨拶させる振り
をして、妙齢の女性と会話する楽しみというか、期待もあるだろうが、我が家には犬はいない。
ひたすら黙々と歩く。しかしポケットにはラジオが入っていて、クラッシック音楽をFMで聴く。
携帯電話も持って行く。事故や足の捻挫などを考慮して、携帯電話を持ち忘れないように注
意。

帰宅し、ゴミ出しをして、シャワーを遣い、朝食となる。こうして一日が始まるのだ。




便秘とnet落札についての考察

「快食・快眠・快便」は生きていく上で大切。 

元気で、おいしく食べられることは幸せの根源である。胃瘻(いろう)や流動食で命を繋ぐことは
本人も介護をする家族のものにとっても複雑な想いがあるだろう。 

快眠については、加齢とともに「朝までぐっすり快眠」とはいかなくなった。私の場合、就寝が早
いこともあって夜半にトイレに行き、その後は深夜テレビや深夜ラジオがあることで救われてい
る。 
問題は快便である。 
長命な人の便は太くて立派。90歳まで長生きした亡母の便はバナナのようであった。水洗トイ
レの一回だけの水では流れていなかったことがある。母のあとにトイレに入った私が流れるは
ずであった便を再度の水で流した記憶がある。蛇足ながら、90歳では死ぬ状態ではなかった
が、足を骨折し、入院すると「老人性・無熱肺炎」という死亡診断が書かれ、心肺機能が止ん
で、死に至った。 
ところで、五日間も便秘になると苦しいだろう。一週間ぐらい出なくても平気という人もいるだろ
うが、私は幸いにも毎日のお通じがある。 
今回、五日間もnetでの落札が無かった。また、質問も、ナビの取り引き連絡もなかった。 

焦った。 

季節はようやく秋らしくなり、和服の季節になった。と思っていたのに、私のサイトは寂しく静ま
りかえっていた。 

なんでだ?? おかしい!! 弊店のサイト内で違反申告をされている商品は無い。真夏のあの季節
でさえ、五日間も、何も落札されないということは無かった。細々ながら、毎日 なにやかにやと
落札をもらっていたのに。 

パソコンの指導をしてもらっている人に、来訪の要請をしてもらった。しかし、yahooさんからイ
ジワルをされた形跡もない。登録情報は生きている。 
ともかくも続けるほかはない。出品を続けた。 

そして、五日目だったであろうか、栃木県の方(おなじみ様で、かつて栃木県から弊店まで、親
子さんで来訪してくれた方から直接の電話での注文があり、4品を落札して下さった) 

また、他に4品の落札が同日にあった。 
ホッとした。 

その後は、ぼちぼちと落札が続いている。 
まっ、思うところ、やはり不景気なのだろう。 

中学二年のとき、真夏に大阪の病院に一週間ほど入院したことがある。蓄膿症でもないのに
(今でいうところの大気汚染が原因の鼻炎)で、空気のきれいな田舎町から東京にやってきた
為、慣れるまでの間 鼻炎になった。結局、鼻の手術をした。当時はエアコンも無い。暑い大
阪。食欲は失せた。毎日 うどんばかり食べた。うどんに七味唐辛子入りをたくさん入れた。結
果、便秘。看護婦さんが浣腸をした。浣腸薬を入れた注射をお尻に入れた。数分後、すごい量
の便が放出された。 
これぞ、究極の甘美!!!!快感!!!! 

ものの本によると、この甘美の味に溺れる人もいるらしい。 

中学二年の男の子が「出産したみたいだ」と言ったら、医者や看護婦さんから笑われた記憶が
ある。 

2012/10/17 対策それぞれ
困ったときは対策を嵩じなければならない。なんらかの方策を考え、実行しなければならない。
腕組みをして、溜め息をついていても前進はしない。
老いの坂道を、ゆるやかに行くか、超特急で転げ落ちるか、健康についてもタバコを止めたり
酒を控えめにしたり、足を鍛える為の散歩をしたり、それぞれ、人はなんらかの方法を採って
いる。
そして、身体的健康だけではなく、頭脳の訓練も大切だと思う。ボケたら困る。

今朝のNHKテレビで、長野県の下条村を紹介していた。20年で20%の人口が増員とか。
子育てに行政がたいへん前向きな集落であるらしい。若い家族を経済的に支援している様子
の映像を観た。「子どもは国の宝」は、古い言葉のように昔は聞いていたが、現状の、出産率
が2人以下の1,6人とか1,8人という時代であるとすると、遠い将来は日本国は0人になるという
統計である。ここでも対策を嵩じる必要がある。
私が小学生時代を過ごした京都府宮津市のホームページでは、50年間に人口が40%減少した
と書いてあった。約 半分になったということである。市としても対策の打ち様が無いらしい。

そして、国土にとって必要な対策は植林であろう。
トルコという国に行ってみて私が驚いたことは、トルコのほとんどが赤土だった。郊外は赤っち
ゃけた乾いた大地が延々と続く。オリーブの木だけが点々と見える。あの姿は荒廃の景色であ
る。首都のアンカラの樹木はすべて植林して都市を新設したという。何も無い土地に都市を創
ったという。

緑ゆたかな、そして雨の多い日本はありがたい。水のある所には生物が発生する。
治水対策も大切である。
ほんとうは護岸工事が無い大河が美しく、望ましいが、それは洪水の危険性もあって無理だと
思うが、豊かな河川の河畔に樹木が繁るナイル地帯のようであればすばらしいだろうと想像す
る。

最後に、老後の家族構成について、述べてみたい。これも大切な対策であるが、老後からの
対策では遅い。若いころからの、息子の教育や思考面でも、前々からの対策が必要である。
なにゆえ、老人夫婦と息子家族あるいは娘家族といっしょに住む計画をしないのだろうと私は
懸念するものである。
先日も近所の方で(79歳−80歳前の未亡人)と、会話をする機会があったが、先年 その方は
ご主人を見送った。先に逝った。そして息子さんと男児孫・(社会人)女児孫・(学生)の5人で、二
所帯住宅建築に住む女性だから、ご主人を亡くしても まだ幸せというべき人であるが、私か
ら言うと台所を2Fと1Fの二箇所に分離したことが失敗だと思う。永遠に老夫婦が元気ならばそ
れで良いが、婆さんもいつかは息子の嫁の世話になるはずだから、切り替え時が微妙に難し
い時がくる。台所は一つが良い。トイレは二つ以上あるほうが最適であるが、風呂も玄関も一
つでよい。
転勤や、諸般の事情で二所帯住宅が構成できない場合は仕方がないが、可能であるのに欧
米の風潮に習って「オマエの世話にはならない」と、独立心を強要して、元気なときに子どもに
言ってしまう親がいる。
有料老人ホーム・豪華な施設に入居する予定であるなら、それも良いだろうが、私はなるべく
なら、あんな施設は勘弁願いたい。
そのためには、足の骨折は注意したい。足を鍛えなくてはならない。散歩が対策である。
朝のNHKのテレビ体操が起床の出発としている。飲酒も控えめ。

いろいろと対策が必要である。




2012/9/26 卒業50年後 物故者も多くなった

NHKの昨晩の報道によると、今年一年間の自死者は、35,000人余であるらしい。反面、交通事
故死者は6,000人に減少。10年前の逆転である。 

私は昼間の仕事中はラジオをつけっぱなし。番組の途中「○○駅で人身事故の為、○○線が
現在不通です」と聴けば、100%それはプラットホームから故意に飛び込んだ図式である。 

働き盛りの40代から50代の男性がいちばん多いという現象は痛ましい極みである。 

また、昨晩、NPOの支援団体の人々が、欝病の人たちの相談相手になっている報道もあっ
た。 

また、元・某銀行の社長まで勤めた人が、努力の甲斐なく銀行の立て直しに失敗。その後、現
在は作家になったという報道も観た。彼が書いた本のタイトルが「非情なる銀行」という字が眼
に飛び込んだ。現在、その作家さんはマラソンで汗を流すことで救われているという。スポーツ
は癒し。 

男の胃潰瘍はサラリーマンの勲章というが、若白髪も出世と正比例しているだろうが。 

また、来月に中国へ赴任する特命を受けていた外務省の元・北米局長さんが心臓麻痺か、路
上で倒れたというニュースもあった。彼の頭髪も、顔の割りに真っ白だった。 

また、その後 私は昨晩遅くまで映画「沈まぬ太陽」を観た。(二度目) 俳優・渡辺 兼さんが演
じる主人公・恩地のような境遇を味わったサラリーマンは山ほどいるだろう。最果ての地に左
遷(?)された怒りに燃えた人々はどんなに多いだろう。「お国の為」という名目で戦死した兵士も
何百万人もいただろう。サラリーマンが自死の誘惑にかられたことも一度や二度ではないだろ
う。 




さて、今月末、母校の同期生たちと卒業50周年の会を開くが、私たち同期生全員は若い純粋
無垢な時期に学校で習ったキリスト教の宗教の心をまだ忘れていない。ミッション・スクールは
勉強だけが100%ではない。教師たちは心を訓育しようと努力してくれた。 

追悼ミサを同期生の神父様に、六本木教会で奉げてもらうことが計画の中に盛り込まれた。自
然発生のようにその計画は賛同された。卒業生150名の中、参加予定者が50名。卒業後の連
絡がとれない同期生もたくさんいる。ミサに参列希望者が40名。そして、全員のうちで物故者
が21名。俳優の「峰岸 徹君」も、式典の中で名前を読み上げられるはずだ。古希の年齢だか
ら、遅かれ早かれ、いずれ逝く道である。 




自死した同期生が二人いる。 

一番最初に自死した知らせを聴いたのは、もうずいぶん昔だ。Mという男だった。思い起こす
と、破滅型人間の批評を与えたくなるような男だった。頭脳明晰の印象。神奈川県川崎市から
通学していた。彼は赴任先のニューヨークで自死したという。何があったのか詳しくは誰も知ら
ないが、想像するところサラリーマン型の人間ではなかったように思う。どの教師とも相性が良
くなかった。 

二番目に自死した男は学年で常にトップの男だった。一部上場有名会社を、たった一日で辞
めたと聴く。おとなしい・真面目な・どの教師たちも彼を信頼し、将来を嘱望されていた男だっ
た。 

二度目に勤務した会社の上司たちとウマが合わなかったのだろうと私は推察している。(彼の
通夜に私も参加した) 

白菊を50本余、献花のために用意することを具体的にどうするか??教会に出入りしている花屋
さんに頼めば簡単だが、葬儀や婚礼の花を値切る人はいないことを思うと、値段は言いなりに
なるだろう。しかし、言い値で買うことはないと私が提案したら、話のお鉢がこっちに廻ってき
た。東京・築地の江戸時代から続いている有名な老舗・かつお節屋・同期生が(社長)いるの
で、彼に築地で買ってきて貰うことにした。白菊の一本が幾らするのか??  なるべく負担は抑
えたい。5月にはカーネーションが500円になる花屋の世界だ。 

幹事役は一つ一つ解決していかねばならないことが山積。運営していくには、一人一人が 自
分ができることを協力していかねばならない。 

?んで・食って・騒ぐだけの同期会は「つまらない」と思う歳になった





2012/9/23 親の心配 いつまで続く
NHK朝のラジオで、川柳を聴いた。この川柳を「耳に痛い」と受け取るか、「忘れていた怒りが 
ぶり返した」、「笑っちゃうなぁ」と聞くか、「同病相憐れむ」や、「ご同輩殿、お気持ちはわかる」
とか、聴いた人の感想はさまざまであろう。
私の感想は一応、「 笑っちゃうなぁ」であるが、それに付け加えて「ウチも心配です」と、いいた
い。笑っている場合ではない。四人も子どもがいれば。(既婚者3人)
どんな川柳かというと、「教育費 無駄に使って 子は無職」。おそらく男親だ。女には作れな
い川柳だ。子どもはこの人には何人いるのだろう。1人っ子だろうか。
無駄に使って、というフレーズが気になる。大層な額ということだろう。普通よりも大金を懸けた
のだろう。小学校から私立に通わせたのだろうか。塾にも通わせ、家庭教師を複数もつけたの
だろうか。そして、一流といわれる大学を卒業させた結果、「子は無職」ときたら、親は怒れる。
嘆く。あきれ果てる。そして、今はこんな川柳を作れるほど、あきらめ・静観し・妻と黙って互い
の顔を見つめるだけの心境になったのか。
35歳の息子、もしくは娘が、朝11時ごろ起きてきて「オハヨウ。あぁ、よく寝たなぁ。お腹 すいち
ゃったぁ。なんか食うもん あるぅ??」と、髪の毛をかきながら、あるいはパジャマからはみ出た
腹をかきながら、寝ぼけ声で、二階から降りてきたとしたら・・・・・
NHKの川柳の解説者さんは「いろいろなご意見や感想はあるでしょうが、こうゆうフリーターと
いわれるような若者が多いことは、世相が悪い、政治が悪い・・・云々」と、書評を述べておられ
たが
、私の母校の同期生の中でトップの成績を常に取っていた男が、一流企業に入社して『一日で
会社を辞めた』という伝説がある。頭脳明晰すぎる子どもにも、こうゆう事象は起こり得る。

「教育費 無駄に使って 子は離婚」      これも困る。
昨日、友人宅に電話をした。友人は外出中で、友人の奥さんと会話をした。
お互いに時候の挨拶のあと、「元気で、相変わらずの、家族四人の生活です」に、ちょっと気に
なった私。確か、長男さんは結婚したはず。もう、お孫さんがいてもおかしくない年数だが。
「別れちゃったんです。一年 もたなかったです。親バカで、身贔屓で言うと、相手の女性は『結
婚したら楽しいことばっかり有るだろうと、夢見るような世界を想像していたような女性だったよ
うです』と。「彼に会っても、この件は話題にしないから」と、約束した。男の友情である。
しかし、ふぅーむ。こうゆうときは、どう会話を続けたらいいだろうか。お通夜のときの挨拶は、
うつむいて、なるべくゴニョゴニョと、口ごもって、はっきりと言わないほうが好いとかいうが、電
波状況の悪い場合もある携帯電話では口元も顔も見えないので、会話ははっきりと相手の耳
に届くように声を出さなければならない。つい大声になる。大声で息子さんの離婚の慰め会話
はおかしい。大声慰め言葉は癒しにならない。「一回ぐらいは、男の勲章ですよ。転んで、膝小
僧を擦りむいたようなものですよ」など、意味のない無駄な言葉を繋げた私。狂犬に噛まれた
ようなものですよと、言おうかと思ったがヤメテおいた。最近は街に狂犬も見ない。そうだ!!! 狂
犬病ならば予防注射があるが、離婚予防注射っていうのは聞いたことがない。あれば良いが。
医者は「有効期間は10年間です。10年後は倦怠期に入りますから、その頃、再度お越し下さ
い。免疫性は各自さまざまですが、3年毎に注射を打ったほうが好いですねぇ。自動車の車検
と同じです。50年間保つかって??? さぁ、それはよっぽど阿呆か利口か聖人か我慢忍耐がなけ
れば。ワタシ?? 私はまだ5年目です」

ウチの末娘は30歳になった。昨日、同じ歳になったアメリカ人とのハーフの友人と共同で誕生
パーティーを開き、25人余の友人たちが参加してくれた。葉山の海岸で。御用邸の裏の海岸
で。
当然、子連れママが数人いたらしい。ボーイフレンドは5・6人いたというが、私は沈黙は金な
り。
既に離婚した友人が数人いたが、彼女たちは招待しなかったと、家内から今朝になって聞い
た。
まだまだ結婚はないだろう。「パパァ、会ってほしい人がいるんだけど・・」は、いつの日か・・・・



2012/9/20 狭いながらも我が家が一番という旅行
『風とともに去りぬ』はスカーット・オハラが主演。歴史に残る名画だった。
湿度・台風・雨との道行は、私の今後の記憶に残る悲惨な旅行だった。
おまけに復路は新幹線が立ち往生。大阪駅・米原駅・静岡で停止。結局、1時間50分の遅れ。
2時間遅れは特急券の払い戻しになる。二人ぶんの8600円が払い戻ってくることになった。

背中のアセモがまだ痒い。フード付き透明ビニール合羽ほど暑苦しいものはない。あれは着衣
のままでサウナ風呂入浴と同じ。背中は汗でビショビショ。ブラウスは4枚持参した。ホテルで2
枚洗濯し、午前と午後とで着替えした。(言っておくが、洗濯は自分でした)「旅行に行ってまで、
オトウサンの面倒なんてみたくないわ」と、言われたくないから。

明日からは秋らしくなるという。今年は特別 天候が不順。
天候の予測はむつかしい。気象庁のせいでもお天気お姉さんのせいでもない。後白河法皇で
さえ、賽の目も加茂の水も天気も思う通りにはならない。ましてや旅行社のせいでもないが、か
つて、東京オリンピックや皇太子殿下(今上陛下)の御成婚の日は快晴だったが、当時の関係
者たちは胃が縮む思いだったであろう。

パック・ツアー旅行は私たち老夫婦には盛り沢山すぎた。あれもこれも見せてやりたい、案内し
てやろうの気持ちはうれしいが、帰宅後のお茶漬けがいちばん美味しいように、バイキング料
理も次々と出てくる山海の珍味も、過ぎたるは及ばざるが如しである。
有名な神社やお寺の長く高い石段を見ただけで、「俺はバスの中で寝てるよ」と、言いたいの
だが、CO2廃棄ガス対策で、バスはエンジンを止める。エアコンはストップ。しかたがないから、
屯所に引かれる羊の如く、重い足を前に前にと、気力を振り絞って歩く。

安芸の宮島は天橋立や松島と比較して、私の評価は宮島が随一だと思う。交通の便が良い。
天橋立は天然の美などの背景は良いが交通便が悪い。そして冬季期間は閑散としてしまう。
松島へは5回観光に行ったが、やはり冬季は観光客も激減するだろう。
宮島の能舞台で演じられた野村萬斎さん万作さん親子とお孫さんの狂言は、しばし幽玄の世
界に遊ぶ心地だった。海に浮かぶライト・アップされた大鳥居や丹塗りの社は、確かに世界の
遺産として末永く残るだろう。人類の宝として大事に伝えてもらいたい。
広島の原爆記念ドームは、私はこの建物を撮影する気持ちにはなれなかった。そばを流れる
大きな川が印象的だった。かつて、この川に多くの人々が・・・・と、思うと、言葉にならなかっ
た。まだ戦後は終っていないと思う。「原爆投下の結果、戦争が早く終結したのだ」と言う米国
人には怒りをおぼえる。口もききたくない。戦争をしかけたのが日本だったというから、くやしい
が。
もう、これだけ観たらじゅうぶんだと思ったが、まだ序の口。疲れた身体を引きずって、平清盛
の「音戸の瀬戸」や「鞆の浦」(とものうら)を、雨の中を散策。最終日は岡山市の倉敷市街と大
原美術館などの見学。吉備津神社の次は、おなじみの後楽園。げっぷが出そうなほどの過密
スケジュール。「ハイ、ここは45分間の自由散策です。11時40分に、バスにお戻り下さい」など
など。
小刻みに観て、次の目的に走って、トイレ休憩して、さぁ その次は昼食だ。

西日本は石の文化のような景色が好かった。城や神社仏閣だけでなく、普通の民家の石塀に
も、すばらしい石組がたくさん見られた。石畳も多かった。歴史の長さと深さが感じられた。

旅行の行程は一泊二日ぐらいが私たちには好い。10日間もこんなスケジュールが続く海外旅
行など、行く元気がない。「やっぱり、狭いながらも我が家が一番だなぁ」と、熱いお茶を飲みな
がら実感する為に旅行に行っているのかもしれない。


2012/9/15 秒速80メートルの中を突き進む旅行
「石原裕次郎さんの『風速40メートル』って唄 知っています??」と、私の顔に肉迫してきた女性
に聞いた。「知りませんわ」と、若い女性は答えた。白いマスクをしているから、はっきりとはわ
からないが目は大きい。左右の大きさも合っているから、たぶん美人の部類だと思う。言って
おくがカミサンではない。私の顔に顔が迫ってくるなんてことは、もう久しくない古希と還暦半ば
の夫婦だ。
さらに女性は私に告げた。「ご旅行に行かれるなら、歯の痛み止め薬を三日ぶんだけ出します
から、お守り代わりにお持ち下さい。瞬間秒速80メートルの台風が来ていますから、西の方面
へのご旅行は心配ですねえ」と。マスクを外したら、すごい出っ歯だったりして?? の、女性は言
った。
明日、安芸の宮島方面へ二泊三日の旅の予定である。
此処は歯医者の治療室。25-26歳ぐらいの(眼尻にはまだカラスの足跡は見えない)女性という
のは歯科衛生士。若い女性は『風速40メートル』の唄を知ってはいなかった。まぁ、当然だ。
旅行には、「天気と元気と現金が大切」というが、予約の必要があるJTBのパック旅行は天気
は予想できない。「元気」のほうは?? まだ だいじょうぶのつもり。これとて不測の出来事も起こ
りえるが。

そこでまたまた 私にGood idea の発想が湧いた。
そもそも、旅行社やホテル旅館は「ご予約のキャンセルは一週間前までは無料ですが、それ
以後は○○%の違約金が発生します」と言う。結婚式の披露宴会場の予約もそうだ。これはも
っともである。準備や料理の都合上、致し方ないことである。理解できる。しかし、お客様のこと
は考えていない。これを逆の発想として、「人気のある旅行社だ!! 理解ある結婚式式場だ!!」
と、言わせる方法を思いついた。まだ、誰も考えていない。このideaをJTBでも近ツリでもかま
わないから、高く買ってもらいたい!!! 此処だけだが、そっと教えよう。
A 目的あり旅行 (観桜・観紅葉などの花観賞)(北海道札幌の雪まつりor知床の流氷見物
・ホタルを鑑賞に行くなど)
B目的なし旅行 (ただの温泉旅行)

Aの場合、桜はまだ咲いていなかった。既に散ってしまった。雪も流氷も、今年は外れた。ホタ
ルは死んでいた。鵜飼の鵜が、みんな病気になっていた。球磨川が濁流で危険な状態であっ
た。
これらの目的旅行にお客さんが予約を、早い日程で入れた人ほど、『残念でした料金・申し訳
ありませんでした料金』は高率で返金される」というシステムである。2ヶ月前からの予約契約
と、10日前の予約では、返却金に差があってもよい。悪天候のとき、危険承知で決行すること
は無謀であろう。万が一、事故が発生したときは旅行社の保障金の負担は莫大になる。
結婚式場「違約」の花婿または花嫁の場合、理由の如何によっては考慮の対象にしても良い
と、私は提案する。『婚約者に別の愛人がいて、そのことを前日まで知らなかった。男性側に
DVの兆候があることが発覚した。花婿予定者が年収・学歴を偽っていた。などなど、婚約期間
中には知らなかったことが山ほど婚姻後は出るが、それらは入籍する前に判明したのであれ
ば、むしろ寛大な気持ちでホテル式場も多少の返金をしてあげれば、式場の人気が出るだろ
うと思う。至急に返金基準表を作成すべきである。
「ええっ!! ウソッウ!! そんなぁ!!! 信じられなぁーぃ!!」と、入籍後に叫ばなくてもいいように。それら
を乗り越えて行く人は立派である。「人生は想定外の連続である」と覚悟をもって進む人は偉
い。
Bの場合は、雨だったら1000円だけ「残念でございましたねぇ。でも、雨の温泉も情緒があっ
て、よろしゅうございますねえ。ところで、お連れの方は奥様ですか? 違う? あっ、失礼しまし
た。それでは雨はなお結構でございますねぇ」と、言っておけば良い。
「雨だと1000円安くなる」ホテルや旅行社は人気がでる。但し、6月から7月末までの梅雨期間
は無し。





2012/9/11 ミニ・同期会 打ち合わせの会
久しぶりに東京へ行くと、目まぐるしいほど変化したことに遭遇することがある。自動車で行く
と、さほどの変化には気がつかないが、電車を利用すると、その変わり様に驚くことがある。

昨夕、中学・高校時代の同期会の打ち合わせ会があり、(二ヶ月に一度 集まっている)渋谷区
神宮前(原宿)まで出かける機会があった。
この辺りを夜間 闊歩することは私は初めてであった。帰宅時は、夜の11時近くになったが、こ
の辺りは不夜城であった。神宮前はオシャレな場所。
New York ならば・・・・ Parisならば、・・・・ なんとかavenue。

Je parais regarder les yeux !! Je parais etre venus totalement au pays etranger !!

私はパリもニューヨークも行ったことがないので、比較する街路を知らないが、まるで外国のよ
うだ。

横浜から東横線で渋谷駅に到着。
さぁて、神宮前駅には・・・・??? どうやって行ったらよいか??? 東京の住民でも東京メトロをぜん
ぶ知っている人はいないだろう。駅員さんを除いては。駅員さんにメトロの地図を貰った。
『副都心線』という新線ができたのは何時のことだろう。まだ四・五年も経っていないのではな
いか。
私は『副都心線』を知らなかった。都心の地下はだんだん地中深くしか掘ることができなくな
る。ローマの地下墓地(カタコンブ)などの遺跡よりも更に更に深い地中でなければ地下鉄を通
すことができないようだ。地下の改札口までエスカレーターを四回くらい乗り換えたような気が
する。地下にいると、今が昼なのか夜なのか判らない。煌々と明かりはついている。節電の気
配はない。
神宮前駅は渋谷から一つ目。明治神宮の前。NHKや代々木オリンピック競技場&若者のメッカ
 原宿街も近く。私の住まいの、神奈川県は三浦郡という地名で田畑もある田舎だ。

同期生・友人の店に10人の幹事役が集合した。
『南国酒家本店』は東京でも有名な中華料理の大老舗であるが、同期生・友人はその『南国酒
家本店』の真隣でスィーツの店を経営している。他に会社を二つ経営しているらしいが、毎朝
の起床は11時だというから私には理解に苦しむ。スィーツの一番の売り商品はドラヤキであ
る。どらえもんの好きな「どら焼き」だ。あとは、カステラ。私は孫たちへの土産に両方を買っ
た。
どら焼きは、我が家の近くのスーパーで売っている『三笠山の どら焼き』と、なんら味が変わ
らないような気がした。椅子テーブルは30組が座れるくらいだから、それほど大きくない。しか
し、きれいなシャレた店。家族の住まいは、その大きな建物の階上だという。それで理解でき
た。彼は夜型人間なのだ。こんな場所に住んでいると、動きが激しくなるのは夜間であろう。
「ボクは、夜は何時まででも平気だ」と、つぶやいていたから、東京郊外の代表的ハイキングコ
ースの高尾山のムササビと同じで夜行性動物なのである。

下準備・打ち合わせ会は二月から一ヶ月おきに開かれている。
わいわい言いながら、『南国酒家本店』の個室で食事をして、再度 スィーツの店へ(寿)へ戻っ
て、呑む友人たちはブランディーを三本 空けた。私はビールをコップに一杯だけ。最近は「呑
まない派人間」も多くなった。喫煙者はいない。私は、酒はできるだけ飲まないようにしている。

同期会の本番は9/29。既に同期生で20人以上も故人となっている。同日、追悼ミサを、同じく
同期生から、フランシスコ会の神父になった小平君に奉げてもらうことも計画の中にある。六
本木カトリック教会。同期生中、カトリックの洗礼を受けている仲間は数十名いる。パーティー
はその後である。六本木ミッド・タウンである。これも人生のささやかな楽しみの一つである。




2012/9/12
歯ブラシと古布の関係・その保管場所
長年 苦楽を共にしてきたものとの別れは辛い。毎日 舐めるように親しくつきあってきたもの
との別離は悲しい。噛めば噛むほど味がでる付き合いであった。妻や子よりも長いつきあい。
それと離れなければならないのは断腸の想いである。

近々、奥歯を一本 抜歯することにした。

右の下の奥歯の歯茎が腫れた。売薬を購入したが、やはり思い切って歯科へ行ってきた。治
療は、歯と歯の間の掃除や薬の注入などを受けた。歯科医の指導を受けてようやく決心した。

この歳まで、オール自前の歯だったことに感謝したい。しかし、寄る年波には勝てず、次々と工
事箇所が出てくる。先日は眼科へ行って、ようやく眼は完治した。鼻と耳は未工事だが・・・・

そこでまた、私にGood adea が ヒラメイタ。
夏期間中は歯ブラシの保管場所を冷蔵庫にしまおうと思いついた。毎食後の歯磨きのあと、て
いねいに歯ブラシを洗ったようでも歯ブラシはバイキンの巣窟だと思う。洗面台の鏡の横に棚
があり、その棚の中に歯ブラシを保管するのが普通の人だと思う。しかし、特に夏期間は風通
しの悪いその場所はバイキンが急速に繁殖していると考えられる。
そこで、歯ブラシをジブロックのビニール袋に入れて、冷蔵庫の隅に置いておくことが、私には
すばらしいadeaだと思えて、カミサンに「ジブロック袋」を一枚もらうことにした。
カミサンは例によって、「かえって冷蔵庫なんかに入れないほうがいいわよ」とかなんとか ぬ
かしたが、私は今日はイノシシ!!! 猪突猛進!!! 千万人とて我ゆかん(行かん)の心境だ。カミサン
ごときの寝言を聞いている暇はない。

昨晩も涼しかった。熟睡。朝起きがさわやか。
2Fからカミサンの1Fに私が下りてきたのが六時ごろ。カミサンも今日は東京・田園調布からの
グループ(縮緬教室の生徒さんたち)が来宅するので、準備に余念がない。
なにをしているのかと見れば、『賽の河原の石積み』である。説明するならば、いくらやっても切
りが無いことを繰り返し続けている。もっと詳しく説明するならば、縮緬教室で使用する材料の
古い布を整理整頓しているのである。生徒さんたちに、元のように畳んで、並べて、それぞれ
の箱やタンスの引き出しに入れるように望んでも、それは無理というもの。いわゆる「ごった煮
状態」。長崎チャンポン状態。
このことは主催者の大事な仕事である。主催者にはたくさんの下準備があるが、これも止める
というその日まで続けなければならない。これが嫌なら止める以外に道はない。
そこで、私は、カミサンが拒否することはわかっていたが、一応 次のように告げた。「布を紙
テープで結んで」保管することを提案した。案の定、「そんなことは、めんどうで出来ない」と答え
た。布を小さく畳んだだけで、上から順番に並べて置くことを続けた。
私は、クドクは言わない。黙って見ていた。一度しか言わない。それほど親切ではない。
京都の問屋や染屋&洗張りなどの「紺屋さん」(こうや)も、布と和紙テープとの縁は深い。いろい
ろな時に紙テープを使用している。白生地も染め上がり品の反物も、紙テープが活躍してい
る。
紙テープで布をくるくると巻き、最後は結ばない。くるくると巻いたあとを、捻ってテープの下に
押し込むだけである。それで、じゅうぶん解けることはない。

カミサンのような女は「救い難き衆生」(すくいがたき しゅじょう)という。親鸞聖人の説く、ありが
たい説教も耳に入らない奴らのことをいう。人のアドバイスを素直に取り入れない人である。
私はその点、人が勧めてくれることは実行してみようと思う気持ちがある。極楽は近い。



2012/9/11 旅立つ渡り鳥
「九月七日・白露を以って、妻と別れることにしました」というと穏やかではないが、夜間だけ別
室離婚することにした。二階の寝室へ、私に「早く出ていってほしい」という顔が数日前からあり
ありと浮かんでいる。「あなたの傍なら、信州信濃の かけ蕎麦よりいい」とは絶対に言わな
い。
階下は窓を二つ開けると通し風になり、夜明けなどは寒いくらいだ。就寝前にエアコンをストッ
プしたら、アルミサッシの窓を閉めたままで、朝まで涼しい。

A 家内とは、部屋の温度の好みの差がある。
私は夕方から夜にかけては、もう 仕事はしない。階下の家内の仕事部屋は畳の間が半分
で、そこでゴロンと横になってテレビを観るのは至福のひとときである。だが酒は飲まない。
あとの半分の間は私がフローリング板張りにした。そこには1メートル80センチぐらいの大きな
机が、デンと鎮座ましまし、それが家内たちの縮緬教室の工房・作業台となっている。お仲間
が多いときは畳の間も、折りたたみ和机を出している。
夕食後は孫たちにリビング・ルーム 兼 食堂を明け渡し、食卓テーブルで二人の孫たちは勉
強に余念がない。エアコンの温度がたいへん低くて私にはとても寒く感じられる。たとえ勉強が
終わり、テレビ娯楽の時間になろうとも、テレビの番組選択が彼らと私は異なる。したがって、
私の居場所がない。
私が家内の工房で、うたた寝をしていると、家内は忍従の気配である。口には出さぬが目でわ
かる。
そろそろ「二階の寝室に帰ってほしい」と感じられる。
秋の渡り鳥のように、私は布団を担いで二階の寝室に上がった。
B テレビの趣味が異なる。
なんで家内は韓国のドラマなどが好いと思っているのだろう。家内は碧眼紅毛が嫌いだが、韓
国の人は好きの様子。自分が生まれ育った丹後半島は韓国と隣接している。もしかして、自分
のルーツは韓国から流れてきたものかも知れないと常々 語っている。
私はあんな まどろっこしい韓流ドラマは嫌いだ。ドラマの背景に流れる音楽がミス・マッチだと
思う。
私は純粋な音楽番組が好き。ピアノを練習するようになってから、歌謡曲も好きになった。
非破壊検査株式会社が提供している「フォレスタ混声合唱」の時間が一番好きだ。番組は月
曜日の10時からで、ときどき忘れて見逃してしまうが、10月から月曜日の9時からに変更となっ
た。

なによりも、いつかは本当の夫婦別れをしなくてはならない時の為に、徐々に慣れておく必要
があると思う。朝になったら会える夫や妻がほんとうにいなくなったらショックだろう。
作家・故・城山三郎氏の「そうか、キミはもういないのか!!」の言葉は衝撃的であった。いつかは
誰でも、その境遇がくる。


2012/9/8 眼病
「なんで病院へ行くの?」と、カミサンが問うから「俺はガン病だ。医者へ行ってくる」と答えた。
同じ「ガン」でも眼病ならばそれほど心配はない。眼科医院に行ってきた。
待たされるのは嫌なので12時5分前に受付に入ったら「11時30分までにお越し下さい」と、受付
の女は能面のような顔で告げた。急にその女が般若に見えた。どちらかといえばブス。毒(ブ
ス)という狂言もある。
まだ治療している患者がいるではないか。自分たちの昼休みが削られるのが嫌だったのだろ
う。
どうせ、夕方の診察は午後三時からだろうと思ったが。おかげで待たされなくて、早くすんだ。
それが三日前のこと。

貰った点眼薬の効果があまり顕著でないように思えたので、再度 今日の土曜日に行ってき
た。
薬を代えてもらいたいと告げた。前回に出してもらった薬の方が、好く効いたような気がした。 
で、そのように告げたら「まだ今日は三日目ですよ。前回と同じ薬を出していますから、効果が
でるまで、点眼薬をしばらく続けて下さい」と、医師は言い、一応診察した。その間 20秒。
待合室で1時間20分待って、20秒で診察は終って、350円取られた。
まぁ、いいけど。

加齢とともに、せっかちになり、日数を間違えることがある。「四日経った」と、思ったが、まだ三
日しか経っていなかったのだ。
帰宅後、「そんな訳でぇ、浦島太郎も一ヶ月 竜宮城で遊んだと思っていたら、100年経ってい
たんだよ」と、カミサンに告げたら「自分だけ判る冗談なんか言ってないで、早く お客様に電話
連絡をして下さいよ」と、睨まれた。今日のジョークは受けなかったらしい。笑いをいつも提供し
ているが。

結膜炎という、ゴミか、ばい菌が入ったのだろう。
三・四年前、やはり同じ症状で、同じ医院のお世話になった。前回は旅行が目前に控えてい
た。丹後の小学校の同期会の旅行だった。出雲の玉造温泉だった。その前から『ものもらい』
と呼ぶ、眼に炎症をおこしていた。そのまま旅行に、温泉に行った。これがイケナカッタ!!!! なん
でーか?? それはねぇ、混浴だったのでーーす!!! ジャーン!!!! それも同期生たちの女性、すなわ
ち60歳も半ば過ぎの裸体を。10名以上の裸体を見たのであったぁ!!!!「皆で入れば怖くない!!!」
露天風呂はたいへん広かった。旅館名は失念したが、大きな滝の湯が滔々と落下していた。
ドリフターズの「いい湯だなぁ・草津の湯」のように、湯煙でかすんでいた。はっきりとは見えな
かった。同期生の参加者はいつもより多かった。しかし、しかしである。眼には良くなかった。
毒であった。すなわち、賞味期限が切れていた。
その夜、眼は更にはれた。真面目にいうと、温泉の湯は、細菌の巣窟であろう。煮沸消毒の熱
湯はない。
翌朝、一番の飛行機で帰宅した。出雲空港まで旅館の従業員さんが車で送ってくれた。感謝!!!

来週火曜日に、東京・暁星中学高校の同期会の打ち合わせ会がある。神宮前の同期生の店
で。
そして、一週間後 また 旅行が控えている。安芸の宮島。
早く完治させておきたい。腫れた眼は困る。腫れぼったい眼がますます垂れると困る。
亡兄も眼は弱かったと義姉が言っていたのを記憶している。時々、炎症をおこしたらしい。

カミサンの眼はカメレオンのようである。薄い上の瞼(まぶた)が、眼を開くと、シャッターのよう
に上がる。閉じれば下がる。
「眼は口ほどに ものを言い」というが、黙って睨むのはよしてほしい。


2012/9/8 欣喜雀躍・狂喜乱舞
我が家に『盆と正月がやってきた』
つまり、特別めでたいことや、別格の嬉しいことがあったとき、地域によって異なるかもしれな
いが、先のような表現をすることがある。
そりゃぁ、なんだと問われるならば、中2・男児孫の英語のテストが85点だったことである。
笑うなかれ。頭脳明晰の方々にとっては、また優秀なお子さんやお孫さんを持つ方々から見れ
ば「笑止千万、そんな点数で喜ぶなんて・・バカバカしい」とは、百も承知の上で書いている。
夏休みが終わり、秋季試験週間の結果があった。出来の悪い子は更にかわいいという訳では
なかろうが、夏休み中 母親は必死で男児の勉強を指導監督をしていた。主役は男児孫では
ないかのように書いたが、先導者は母親で、孫は引っ張られていた。朝から晩までというぐら
い、勉強漬けであった。中学校は公立だが、二期制であるようだ。だから試験の範囲は広い。
春季の結果は良くなかった。テーブルの上に答案用紙が教科書の下に見えた。チラリと見た
ら、たしか58点だった。もちろん、私も家内も、孫には一言も嘆くような評価は述べていない。し
かし、がっかりした。あんなに一生懸命やっていたのにと。ほんとうのバカかと思った。
そして今回の秋季試験では、学年平均点が50点台のところを、孫は85点だった。一家中で大
喜びした。褒めまくった。173cmもある身長の孫の頭をなでた。孫は当然、照れていたが嬉しそ
うだった。私は母親を大いに褒めちぎった。金メダルだと言った。金鵄勲章ものだと言った。怪
訝な顔をしていた。金鵄勲章の意味がわからなかったのだろう。私もむろん、勲章は見たこと
はない。
ともかく、朝は早いときは四時には起きる孫の母親である。夏休み中は孫たちが家にいて、昼
寝もできない。多少はバテて、昼寝もしたであろうが、見るかぎり孫二人の相手になって、勉強
を指導していた。叱らずに、穏やかに、教えていた。孫もキレずに真面目にやっていた。努力し
ていた。
「和代さん、中学生の問題が、よく判るもんだね」と、聞くと「順番に最初からやっているからわ
かるんです。途中から、いきなりだと無理でしょうね。ブランクがありますから」と、答えたことを
記憶している。身体も大きく、陸上部の短距離選手で、空手も小学校一年からやっていて、し
かも大人しい。
小学四年生の女児孫も嬉しそうだった。いつも自分ばかり褒められているから、今回は兄ちゃ
んが頭をなでられたり、父親からも気が狂ったように兄が褒められているのを見て、うれしく思
ったようだ。
元々、頭の良い人にはこの感激はわからないと思う。次女の婿などは、85点の答案が返って
きたら泣いたであろう。親たちも「なんでこんな点数なんだ?」と、叱ったかもしれない。婿殿は国
立名古屋大の大学院・理学部・博士課程卒であるらしい。そのお姉ちゃんもトウダイらしい。灯
台ではなく、東大である。某・県庁に勤務。我が家の次女も小学校から勉強には心配無用だっ
た。東京医科歯科大。夫婦で理化学研究所に勤務。ところが、幼児教育の必要性を知らなか
った時期の長男と長女は、ずっうーと、現在の日本の株価のように低迷しっぱなしだった。先
日、横浜に住んでいる長女から、「コタが、授業中、ぼぅーとしているらしいのよ」と、電話があっ
た。そのあとの言葉がよかった。「わかるわ、ワタシ」と。同病相哀れむっていう言葉がある。コ
タとは、長女宅の次男の名前である。かわいい顔をしている。女の子のような顔。眼が特にか
わいい。二重まぶたで、パチッとしている。しかし、まだ夢の中で生きているようだ。小冴朗とい
う名前で呼ぶのは先方のお爺様だけ。上の兄貴のほうは、多少はしっかりしているように一応
は見えるが、私は「学校の成績はどうなんだい?」などと、尋ねたりはしない。良ければ言うは
ず。長女が黙っているはずがない。同じ親から生まれてきた子どもたちが、個性があり、頭脳
に差があるのは不思議だ。しかし、幸せとはあまり関係が無いように思える。人間万事塞翁が
馬という言葉もある。芸能人を例えるならば、子役から晩年まで、ずっーと生涯を通して主役を
通せる人は少ない。燃え尽き症候群は困る。大器(??)晩成型の、大器でなくても中器でも小器
でも、足るを知るであれば好しと思う私である。我が家の小学四年生の女児孫は、夏休み後
三日目の漢字100問テストも100点だったが自慢気はない。100点は女子が4人。男児はダメ。
95点が合格点だという。ハードルが高い担任女性教師だ。同居生活をしていると、古希になろ
うかというのに、いまだに一喜一憂している老夫婦である。




2012/9/7 縮緬教室の再開
きのうから、家内の縮緬教室が再開された。七月八月・両月は休みにしていた。体調不良だっ
たが家内も元気になった。完全復帰といってよい。
また、八月の初旬に私の姉が亡くなったため、その前は病人の見舞いに、心が浮き立ってい
た。落ち着かなかった。休暇にしてもらって好かったと思う。
早く再開して欲しいと電話があると、やはり家内は嬉しい様子。だから、朝から張り切ってい
た。

生徒さんの中には「心 ききたる人」が居る。協力して下さる生徒さんが居る。そうゆう人は先
生役の人間はいちばん嬉しいと思う。自分のやっていることに「張り合い」が生まれる。家内は
いつも感謝している。

また、三・四ヶ月前から師範代というべき人ができた。
師範代さんは、別の先生にも指導を受けている。針仕事・縮緬細工が好きで他の教室にも通
っているのだ。暇がありすぎるので、習い事で時間を潰しているのだ。
そして、そこで習得してきた作品や工程や技術を、家内の教室で披露してくれている。自分が
習ったことを、此処で教えてくれている。家内は授業料を師範代さんにそのまま渡している。

家内は昔から「お互いに情報を交換しましょう」と、言っている。
巷間、漏れ聴くところによると「教え渋る先生」というのもいるようだ。初心者に、いきなり高度な
技術を伝えようとしても無理だが、「上級クラスに入って、月謝もランクアップにならないと、指
導できない」という先生がほとんどのようだ。
そして、退会するときは、「すべての型紙を返却するように」という先生も居ると聞く。

家内の教室は「独立したい人は、自由に」と、伝えてある。だから生徒さんの中の数人は、老
人ホーム施設などで先生役をしている。そして、いまだに仲間から出ていかない。

昨日は家内が「先生」と、お呼びしているMさんも参加した。家内よりも年上の70歳の半ばだろ
うと拝察。北海道のご出身だが、いま住んでおられる地域では民生委員もしていて、周りから
は信頼されている人だ。身体が小柄な方は動きが敏捷。実にパワフルだ。人の何倍も活躍し
てきたと想像される。もう、10年余のお付き合いになるが、徐々に深く、心まで打ち解け合って
こられたようだ。
いっしょに泊まりがけの旅行もした。
家内はいつも言っている。「この歳になって、こんなにいいお友だちができたことは、ほんとうに
幸せ!!! 」と。普通、子どもが幼稚園や小学校時代に生涯の友だちをつくる。つくるというか、で
きる。できても自然消滅することもある。
我が家に転勤がなかったことも幸いした。30年~35年間の付き合いの友だちがあることは幸せ
である。
家内は「来る人 こまばず。去る人 追わず」の姿勢だ。

昔はリビング・ルームが教室だった。教室が終了後、片付けや部屋の掃除も大変だったが、
現在は独立した『離れの部屋』が教室となり、台所・トイレも付いていて便利になった。

あと何年できるか神のみぞ知ることであるが、認知症と白内障に怯えながら、心の癒しとして
続けられるだけ頑張るだろう。

ついでながら、私も協力している。昭和初期の古布は得がたい。フリマではとんでもなく高価
だ。私はというと、とんでもない低価格で買ってくる。ほとんど、泥棒価格だと思っている。



2012/9/6 生活費の割り勘
二所帯住宅で住むということは、生活維持費に息子家族との間で時々 割り勘支払いが生じ
る。

先日、浄化槽の点検に、契約している会社の作業人が来てくれた。暑い中を点検、薬を装填し
てくれたようだ。(確認はしていない。臭いから) 終了後、二つの浄化槽の支払金が24,000円
(年間)と薬品代金の3,600円を請求されたが、あいにく財布に手持ちが無かった。薬品代金3,
600円だけ支払って、残金は後日にしてもらった。
この24,000円と3,600円が、私たち夫婦と息子家族とで、割り勘で支払う約束になっている。

そもそも息子たちには月間、二親からは一人3万円づつの6万円を食費として受け取っている。
そして、光熱費・水道代含みで3万円を受けている。ゆえに、9万円だけ。当然のことだが、二
人の孫は成長盛りで食欲旺盛になったが食費などを請求するわけにはいかない。

息子たちは自分の固定電話料金・携帯電話とスマホの費用料金・公立中学校と公立小学校の
諸経費・小学校の給食費・自動車ローン・バイクローンが、支払金に毎月 必要とされているよ
うだ。
あとは、中学生孫の二つの塾費(英語と進学塾)、小学生孫の公文教室の(国語&算数)費用だ
け。
わずかだが、空手教室の費用もある。
息子の嫁さんは土日の半日だけ、近所の洋菓子屋さんにバイトに行っている。多額のバイト料
金ではないだろう。息子が、給料をどれくらい貰っているか私は知らない。

まぁ、しかし、家賃支払が無いことと、食料品は ほとんど私たちが買ってくるので、嫁は給料
日があと三日となった某日、財布の中身を見て溜め息をつく心配などは無いと思う。孫たちが
欲しい・食べたいと思うおやつなどには、共有の財布『台所用の財布』を手にしてスーパーマー
ケットに行ってなんでも買えばよいのである。
男児孫は、毎日飲料用の『おーぃ、お茶』ペットボトルを2本、学校に持って行く。1,8リットルの
ペットボトルである。部活は陸上部だから滝のような汗であろう。大きな、もはや水筒とはいえ
ないようなタンクのような物に冷たいお茶を持って行く。
「冗談じゃないぜぇ!!」と、私は言いたいところだが、しかたがない。もう、そうゆう時代なのだ。
昨日も家内と夕方 スーパーへ行った。お茶も二箱買った。買っても買っても、すぐに消える。


三日前に「和代さん、浄化槽の薬品代1800円をお願いします」と、伝えたのだが、いまだに持っ
てこない。
再度、昨日、私も言いにくいのだが、「食費と光熱費も、いっしょにお願いしますね」と、言った
ら、「今、細かいのがないので・・・・」との返事。

のんきな女・大まかな女・ファジーな性格でないと、同居生活は難しいとは思う。
うるさい舅だったと、私が死んだあと、孫たちに言うだろうか。しかし、最大限の協力はしている
つもりだ。「車で送って行こうか??」と、家内も私も声かけをしている。最近は嫁のほうからも「迎
えに来て下さい」と、電話がかかってくるようになったが。

1800円と食費・光熱費がないと困るってわけではないが、家内の友人の夫(元・自衛隊隊員の
教官)のような、几帳面の塊のような舅との同居は一ケ月と持たないと思う。
次は、その人のことを書こうと思っている。    請う ご期待を。


2012/9/5 進取の気質
またもやヒラメイタ。エジソンの発明のように金になるわけではないから、どうっていうほどのこ
とではないのだが、誰も教えてくれたわけではないことに関して、またもやグッド・アイディアを
思いついた。
「失敗は発明の母」とか、「必要が発明を生む」とか、巷間にいう。
「金儲けのネタはないか」と、考えての結果、発明発見が生じることは少ないと思う。
偶然から大発明や発見と遭遇するのだと私は思う。

で、どんな発明かって聞かれると、大したことではないが、デジカメで黒い物を撮影すると、手
ブレが生じ易い。三脚を使用していても時々失敗する。
暗い室内で、(室内の明かりを半分消した状態で、フラッシュは使わない) 黒い物体を撮影しよ
うとすると、シャッターを押してからカメラが被写体からの光線を取り込み吸収するまでに、約2
秒かかる。その間に、手ブレが生じるのである。重複するが三脚を使っても、ブレでしまうこと
がある。
フラッシュを使うとハレーションしてしまう。金・銀や白い色は、色が飛んでしまう。反射がきつ
い。

今回、喪服着物や喪服用帯を撮影した。その途中、私はヒラメイタのだ!!!!
タイマー撮影をすればと好いのではなかろうかと。2秒半後に本当のシャッターが切れるように
セットした。半押しシャッターから2秒後に、本当のシャッターが落ちるようにした。うまくいった。

以上が私の大発明で大発見ということである。だから、大したことではない。しかし、私は大満
足。

で、またもやカミサンに自慢気に会話した。しかし、なんぼなんでも気恥ずかしいので、昔話か
らの手法をとった。

「俺がサァ、30歳代のころ、横須賀市の某・お寺さんの隣でお花や和菓子を売っていた顧客様
の某さんを覚えているだろう??」と、家内に話を持ちかけた。
其処のお宅の娘さんが横浜・国立大学の教育学科卒で小学校の教師になった。某日、商売に
行った帰途、駅までその娘さんを車で送って行くことになった。
私は問うた。「学校の先生から見て、良い父兄とは??? どのような父兄が好ましいと思うか??」
と、問うた。新任教師になったばかりであったが、さすがに彼女はこのように答えた。「進取の
気質のある人だと思う」と。そのころ、言葉で聞く『進取の気質』とは、パッと理解することは鈍
感な私には脳裏に浸透しにくかったが、ずっといつまでも、その言葉が記憶にあった。彼女も
受け売りかもしれない。

私流に解釈すれば、前向きの考えを持つことだろうと思う。他人が好いとアドバイスしてくれた
場合、素直に受け入れ取り入れ、実行することだろうと思う。教師とは生徒を指導するのが仕
事であって、年上であっても生徒の父兄にも立場上 指示しなければならないこともあろう。素
直に受け止めて、実施実行してくれる父兄は『進取の気質』に富む父兄に見えるだろう。

これは、努力して身につくものではないと私は思う。生来の身についた性格だと思う。
反面、猪突猛進などの危険性もある。「天上天下唯我独尊」で、独りよがりも困る。

私は自営業で、着物屋呉服屋をずっと通してきた。最初の10年間は勤務先の店主や先輩の
指導の下でよかったが、一本立ちした後は責任は自分自身である。アメリカ大統領ほどの苦
慮する大問題は無いが、小なりといえども責任はある。良いと思ったら進み、間違ったと思った
らすぐに引き返す。大きな費用はかけない。大博打は打たない。欲はあまり無い。「足るを知
る」でよい。なにごとも、ほどほど。平均点は63で好いと思っている。長い人生で100点を続ける
ことは無理が生じると思い、自らを慰めている。



2012/8/26 ところで話は変わるけど
暑いさなか、家内と東京まで車で出かけた。物見遊山ではない。ショッピングでもない。所用は
仕事の延長と言えないことでもない。重ねていうが気温が33度もある東京へなど行きたくはな
い。私が行きたくなければ家内は更に行きたくはなかろうと思ったが、秋の仕事に先駆けて、
準備としてしておかねばならないことでもあった。

私は、食後の運転は居眠りが心配。低血圧ということもないが、(正常値と医師はいう)食後は
胃の方にばかり血液が流出して、睡魔がくるような気がする。
家内が傍らで話かけてくれると眠くならない。途中、大抵 喧嘩になるが。

所用が終った。
帰途、一時間ばかり経て、横浜あたりまで来たとき、やおら家内が言った。まだ車は走ってい
た。
「オトウサンは ほんとにケチなんだから」と。
なんのこっちゃ?? 急に。・・・・・・・
「親しき中にも礼儀ありって、言うわよ」と。
ますますわからん・・・・なんのこっちゃ。
「だって、お茶 いっぱい飲まないで帰るの 嫌だわワタシ」
えっーーー!! そんなこと、今さら・・・・夫婦じゃんと思ったが口には出さぬ私。老夫婦だけで喫
茶店かい??結婚して何十年経つって、思ってるのよ??? と、言いたかったが口には出さぬ私。
「杉浦先生はその点 すごく気配りがあるわよ。私が運転したら、ガソリン代から高速代から駐
車代から、食事代まで全部持ってくれるわよ」(杉浦先生とは、茶道の師匠のこと。弟子の中で
家内のことをいちばん気遣いしているようだ。他の生徒は先生が怖くてものが言えないが、家
内はぜーんぜん 怖くなどないという。30余年の付き合い)
「俺もぜんぶ出してるよ。食事のときには行ってるじゃん」と、ぼそりと答えたら、「そんなの当た
り前田のクラッカーよ!!夫婦でしょ?? 夫婦で、そんなの 割り勘なんていったら、とっくに離婚よ」

第三京浜高速の横浜出口で、強行にサービスエリアに車を入れと命じられた。
売店には、なぁーにも無い。欲しいものは無い。おいしそうなものは無い。いろいろ有るといえ
ば有るが、買いたいものがない。しかし、無理矢理なにやら買った。 飲み物も買った。しかた
がないので、ワタシも付き合った。

「オトウサンは変なところで抜けていて、ケチなところもあるんだから・・・・」と、まだ言っている。
釣った魚に・・・などと言うつもりはない。私は旅行にもしょっちゅう 付き合っているし、「何処か
行かない??」と、言われたら、「何処へ」などとは聞かないで「行ってもいいよ」と常に言ってきた
つもりである。
近所に某・人が かつて 住んでいた。
某・パパが娘に「あゆみ 散歩に行こうか?」と、誘った。「あっ! 待って! 私も行く!!」と、あゆみち
ゃんのママが叫んだ。「じゃ、俺 行かねぇ」と、某・パパ。
その後 どうなったかって?? 当然、離婚と相なった。で、ママはあゆみちゃんに婿を貰って、近
くの町営住宅に住んでいる。(女は強い)某・パパは郵便局の前の小さなアパートに独りで入っ
ていく姿を先日 見たような気がするが・・・。某・パパの建ててくれた大きな家は他人が買って
入居している。

男は意地を張ってはダメ。負けるが勝ち。口喧嘩は男のほうから途中で話題を変えるのが賢
明。
「ところで&それはそうとしてさぁ」という便利な言葉があるではないか。
「まだ話は終ってはいないわよ!!!」と、妻に言われたらどうするか・・・・
そんな女とは早く別れたほうが好い。但し、3---4回 同じ繰り返しであるならば。


2012/8/26 修理修繕と交換買い替え
歯の治療はメンテナスである。カメラの調整もメンテナスといえる。
歯は70年近く酷使してきて、カメラは購入してまだ5-6年。どちらの使用頻度も過度である。

「親知らず歯」四本のほかは、ぜんぶ自前である。「親知らず歯」は抜歯したが、入れ歯などは
ない。
しかし、奥歯の金冠と歯茎の間に隙間ができて、違和感を感じる。
歯科医師がいうことには、抜歯するより方法が無いと言う。
私は拒否した。抜歯すれば、その両端の歯にブリッジを架ける必要が生じてくる。いよいよ難
儀なことになることは必定と思った。
今のままで、格別の不自由はない。痛みもない。
毎食事後 丁寧に歯磨きをしている。

帰途、量販店薬局・ハックで、二台目の電動歯ブラシを購入した。充電式。

歯科医は、ちょこちょこと歯を点検しただけで、治療費の2000円を請求した。
私の歯の質は堅牢なほうだと思う。歯科医には大金を支払ってない。これまでの人生で歯科
医に支払った金額は、おそらく200,000円ぐらいだろうと思う。しかし、娘二人には、矯正治療費
がかかった。35歳の次女が中学生のころ、70万円ぐらい支払った。三女は治療の途中で放棄
した。
女の子は歯並びは大切だからしかたがない。

私が歯の矯正というものを初めて知ったのは、昭和33年だと記憶している。フランスから帰国
して来たクラスメートが前歯に針金を付けていて、そのことで尋ねたことがある。当時は珍しか
った。
東京の学校でも、歯の矯正をしている生徒は他に一人も見ていない。

欧米人は「ドラキュラ伝説」の影響で、大きい「糸きり歯」をたいへん嫌うようだ。
同じ頃、私の姉がスペインに数年間留学していたことがあり、彼の地で半強制的に前歯を四本
 抜歯するように言われ、自分の大切な歯であるのに、他人に、八重歯を抜くようにと命じられ
た。
帰国後、人の上に立つ指導者になる者には、容貌も大切だという思想が欧米人にはあるよう
だ。

同日午後、東京・新宿までカメラの調整に行った。新宿・東京都庁庁舎の近くの「新宿センター
ビル」は、54階もある高層建築である。ケヤキの大木の並木の歩道が涼しそう。ここにはこれ
で二度目の訪問だ。ペンタックス・カメラのサービス窓口がある。親切・丁寧で早い。カメラの吉
野屋のようである。そして無料!!!!!!修理も掃除も指導もしてくれる。33歳前後の男の、頭のてっ
ぺんから出る「金属製の声」さえ我慢すれば良い。奥の部屋には数人の修理専門技術者がい
る。

湘南の我が家からは片道1時間30分かかったが、待つこと25分で、修理完了。重ねて言うが
只。
「部品の在庫が既にありません。早晩、お買い替えも考慮して下さい」と言われた。
しかし、親切に只で修理をしてもらえば、次回の購入は、やはりペンタックスにしようと思った。
駐車代金が600円。さすがに東京である。修理としてに、購入した量販店に持ち込めば、まず
2・3週間は日数を要する。まして、修繕は歓迎されない。直接に修理に持ち込むことができる
距離にサービス窓口があることはありがたい。

趣味性を問わなければ、時計とカメラは安くなった。電波時計とデジカメには感謝している私で
ある。カメラ時計は買い替えが簡単だが、歯や眼や内臓は交換が困難である。これからが正
念場だと思った。



2012/8/22 ありがたい国 日本
生きていることはモグラ叩きゲームのように、次から次へと難問と闘うことでもある。大波小波
が押し寄せてくる。まぁ、お陰で退屈はしないが。

今朝、10時頃 私の携帯電話が鳴った。その前の八時半ごろ、固定電話器に一度あった。

携帯電話からの主は訳のわからないような、いきなりは理解に苦しむようなことを告げた。
「今、お宅では、転送電話をしていますか?? 」と。(なにやら またもや怪しい電話か????)
私。「しているというか、・・・・・一ヶ月に500円の支払契約で、申し込んであります」
そして、なにやら訳のわからないことを言ったあと、「今 固定電話は通じますか?? 」と、告げ
た。
私は固定電話器の受話器を上げてみる。・・・・ツー、ツー、ツーと音がする。話中の合図だ。
「通じていません。話中の状態になっています」と、私。
「おかしいですねぇ。お宅さまの電話は『転送中』ということになっているのです。少し、調べてみ
る必要がありますね。今日の午後、社員を派遣させますから待機していて下さい」と、告げた。
暑いから何処へも行きたくない。用もない。「暇だから家の中にいる。お待ちしています」と、告
げた。

暑いさなか、午後の一時半ごろ、男がやって来た。SOFT BANKからの派遣技術者のようだ。
「外線からの部品の一部を交換しなければなりませんね。あの部分はNTTでなければ、私たち
は触れないことになっています。NTTに連絡をとりますから、暫時 お待ち下さい」と、その男は
告げて帰っていった。汗をふきふき帰って行った。次には戸塚まで行く予定という。

そんなはずはない。今朝、固定電話に一本の電話が入ったのだ。雨や台風がきたわけでもな
いのに、いきなり故障とは変だと思ったものの、相手の言うことを信用しない訳にはいかない。
当方は、電話器に関してなんらの知識もない。

結局、丸一日中、我が家の電話は「話中状態」を示す、ツーツーツーという機械音を相手に発
信していたことになる。

それでも夕方、五時半頃になって、ようやくNTTの技術者が来てくれた。
山際の電柱に梯子を架けて上り、営業所と通話をしながら、部品の交換も終えたようだ。

暑い中をご苦労さまとねぎらった。冷たいお茶はいかがですかと尋ねても、彼は辞退した。

電話工事は完了した。
日本のシステムはすばらしいと思った。諸外国では、おそらく先進国といわれる国々でも、この
ようにすばやく解決のための、末端の方たちの努力は無いと思う。技術者たちは勤勉である。
組織が抜群に良い。これらはすべて、経済が潤滑に運営されている上に成り立っているのだ。
たった一日で解決した。

なんのかんのといっても、此処が韓国や中国でないことをありがたく思った。
「人はパンのみにて生きるに非ず」とあるが、パンとは豊かさ、お金や経済と解釈してもよいの
ではないか。人間にとって大切なことは、心とか誠実とか優しさが大切だと教えている。
近年、ブータン王国に人々の視線が集まっていることも納得できる。



2012/8/19 半・迷惑電話
彼は確かに頭脳明晰だと思う。記憶力は抜群だと思う。人名・地名・年代などにも通じていると
思う。但し、これに関しては私が通じていないので確認できていないのが残念であるが、彼の
述べた事項が正しいとすれば凄いと思う。
しかし、彼から電話が入ると私は緊張して彼の話を聴かなければならない。つまり、なにを言い
たいのか、からっきし判らないのが実情である。集中して聞いていなければ、理解できない

No,1電話の主目的が判らない。
昨日、私が、うっかりと、彼にも出してしまった残暑見舞いの返礼ということで夕方の6時ごろ電
話が入った。まだ夕飯前だったから、食事中の迷惑電話とはいえない。

NO,2残暑や気候に関しては3秒で話はふっ飛んだ。いきなり、自分が原子力研究所のような所
に勤めていた話題に入った。・・・・・・ふぅーん、なんでこうなるの? と、思っている中に、自分が
ノルウェー大使館に二年間だけ勤務していた話に変わり、そして次に、建築した建物が15cm
の設計ミスが発見されて、それがどうしたこうしたと言っている間に、死んだ自分のお袋さんの
話になって、お袋さんも30cmの穴を発見したとかで・・・・・途中 質問しようにも止まらないの
だ。「どうして、ここでアンタのお袋さんが出てくるの? 」と、問う間(ま)もなく、どんどん話は進
む。

会話というものは、特に電話での会話は相手の顔が見えないから、相手がなにか言いたい雰
囲気を口の動きで察知することが見えない。従って、間(ま)を開けないと、次に自分が喋る番
か相手に喋らすのが順序かを、見えない電話口の相手からは判らない。ゆえに、ピンポンのよ
うに会話という玉が、いったり来たりしてこそ、会話というものが成り立つ。しかし、彼はローカ
ル線の単線列車のようにどんどん一人で走って行くのだ。
それからぁ・・・・彼はなにを喋ったかなぁ・・・・あまりにも多岐の話題というか、自分の頭に浮か
ぶ名詞が次から次に出て、蝶がヒラヒラ花から花へ移り飛ぶように、転転と舞っている様子。
NO,3 「例えて言えば・・・・」と、彼が言う。これがイケナイ。例えなどいらない!!!! 今の話題だけで
私は精一杯なのだ!!! また次の『例え』とやらに付いて行くだけの余力がない。

「天才と狂人は紙一重」というが、それは事実だと思う。確かに博学なのだろう。なにしろ慶応
である。しかし、世間は認めない慶応卒人間だと思う。簡単にいうと、一極集中型人間である。
で、彼の職業はというと、テナントのオーナーさんである。鎌倉でも富裕層が住む(但し、不便こ
の上なし) 注*TV司会者の「みのもんた氏」なども住む景色の良い(但し、海側だけ)山の上の
邸宅地。そして、東京・六本木と西麻布にビルをそれぞれ所有しているらしい。1億5千万と告
げた。どちらかのビルは6Fあるという。レストランなどが入居しているらしい。私は、彼のビルは
親からの遺産だと思っていた。某・同期生から「彼の爺さんは北炭のオーナー○○だ」と聞いて
いたが、昨日 彼はその件を否定した。しかし、子ども時代はリキ・マンションに住んでいたと私
に告げた。リキとは、故・力道山である。「力道山から自分は17歳のとき、新車のスポーツカー
を貰った」と、前回の呑み会のとき確かに聞いた。北炭の故・○○氏は横綱審議会の会長だっ
たと記憶している私。話が噛み合っているようで、繋がっているようで、それでも判らない。どう
でもいいけど、話が長い。いつまでも電話が終らない。結局、一時間は優に過ぎていた。私も
暇だったからかまわないけど。
私も迷惑mailを送信している身なので他人のことを言えた義理ではない。
私は読書も好きだが、読書以上に作文は「能動的」だと思うので、下手ながら自分の為に書い
ている。彼の長電話は自分にとって利点があるのだろうか。彼の奥さんが自分の長話を聞い
てくれないので、機会があるごとに電話をしまくっているのだろうか。その点では私と共通項は
ある。
しかし、彼には私はmailは送信していない。触らぬ神に祟り無しというではないか。



2012/8/17 新ショウガでの お茶漬け
暑くて仕事する気分にならないから、ブログばかり書いている。

家内が土ショウガを5kg買ってきた。昨晩のうちに、洗って、皮を剥いて、厚めに切ってザルに
並べてある。
いよいよショウガが食べられる。

これが終ると家内の夏の家事の一連の行事も終了となる。

南高梅を45キロ買ってきて、梅干作りに取り組んだのが七月の半ば。洗って、一日干して、梅
のヘタを除去して、また焼酎で洗い、梅に対して20%の塩を振りかけながら漬け込み、水が上
がるのを待った。シソを30束求め、洗い、干し、葉を一枚一枚漬け込んだ。
孫たちもよく手伝った。(私は観察しているだけ)

梅はずいぶんと他家に嫁入りした。頼まれた分は原価だけ支払ってもらい、数軒に出て行っ
た。
今 私は大きな柔らかい梅(去年の一年もの)を毎日 一つか二つ食べている。汗対策である。

この生姜のカリカリとした歯ごたえが堪らなく旨い!!!! ピンク色になり、漬けてから約10日か半月
ばかりの間に食べる生姜が旨い!!!  その後は散らし寿司の具やお好み焼きに使う。

新ショウガのお茶漬けが絶品である。ご飯は竹のザルで、冷たい水で洗い、ねばねば糊気を
取る。ご飯をサラサラにする。そして冷茶をかける。
まず、茶漬けを一口二口、かっこむ。さらさらと。そして、ピンク色のショウガをほおばる。ぱり
んぱりん・・・サクサク パリパリ・・・
あっという間に二杯目の茶漬けだ。「お代わりっ!!!」

孫たちは、こうゆう旨さが判らない。判らなくてよろしい。爺さん婆さんになってからでよい。
「仕事は大人数。食うのは小人数」が宜しい。
日本人に生まれてよかったぁ。

嫁はまだ関心がないようだ。まぁ、そのうち やるだろう。



2012/8/17 離島の領土についての考察
フォークランド諸島といえば南米大陸の端にある 現在はイギリスの離島の領土である。今か
ら30年も前、隣国アルゼンチンが突如 その島を占領し領土と宣告した。
現在の尖閣諸島や竹島問題と同じ状態であった。
イギリスからフォークランド諸島までは7000マイルも離れている。あまりにも遠い。しかし、他国
に蹂躙されたことのないイギリスは「アルゼンチン如きに舐められてはなるものか」と、時の首
相はサッチャー女史は、ただちに一週間後に、行動を起こした。兵員の輸送船としてクイーン
エリザベスV世を使用。民間船もたくさん協力。さすがに七つの海に乗り出した国である。

寒い地域で強い風が通年吹き、遠い小さな群島で、(長野県と同じ総面積)イギリスにとっては 
さほど重要な諸島とも思えないが、パナマ運河が万が一 閉鎖されるようなことがあったら、ホ
ーン岬を回航しなければならないポイントである。また南極基地への補給地であり、捕鯨関係
でも重要な地点である。
なによりもジョンブル魂といわれる誇り高い民族である。そしてサッチャー女史は超鷹派であっ
た。
アルゼンチンとイギリス双方で1000人近い戦死者を出している。

弱腰と外交・話し合いは別である。粘り強い・辛抱強い・武器が無い我が日本民族はロシア&
中国&韓国から舐められている。北方四島は、ほとんど諦めている状態だ。樺太も取られた。
間宮林蔵さんに申し訳ない。
中国や韓国は日本を挑発している。喧嘩を仕掛けたくてたまらないのだ。しかし、残念ながら
日本人は平和という ぬるま湯に浸ってきた。兵役義務がないから、鉄砲も担いだことがない。
歩伏前進(ほふく)をさせたら、腕の肘から血が流れて「バンソコウは何処だ??」と、大騒ぎにな
るだろう。

どのように解決の道に至るか、信念のある立派な指導者 政治屋さんのお手並みを拝見する
として、私はまたもや一つだけ提言する。
今日中にも中国へ強制退去(送り届けるだけ)するというが、
No,1 途中の食料は、いちばん安い食パンと水だけでよい。ジャム・バター・チーズは不用。
No,2  エアコンの設置された部屋には寝かすな。そして退去させる船はエアコン無しでよい。
No,3 これが最も重要で、彼らには日本へのパスポートは以後 発行しない。観光やビジネス
で渡航を希望しても、拒否の記録をコンピューターにインプットしておくこと。
今、大袈裟に彼らに罰を与えても国が介入してくる。更に大袈裟になる。

海上保安庁が彼らを逮捕した時点で、彼の国の海軍が出てこなかったということは、内心では
日本の領土であることを認めているのだ。

そして今後はどうするか・・・・。浅学菲才な私には判らないが、石原慎太郎さんたちに考えても
らいたい。オリンピック・メダリストの銀座パレードも国威発揚のため、8年後(?)の開催の為に
は好いことだと思わない訳でもないが、そんなことをやってる場合かとも思う。


 
2012/8/17 お盆の過ごし方 
「なっちゃん、ご飯たべる?」と、孫の母親。孫「・・・・・」 「パンがいい?」と、孫の母親。孫
「・・・・・」
「ブドウは?」と、母親。孫「・・・・・」 「桃の皮を剥いてあげようか?」 ここで ようやく うなづく女
児孫四年生。まだ夢の世界に漂っているらしい。
昨晩、床に就いたのが夜中の十二時ごろ。お盆で、横浜から孫の従兄弟たち二人が母親と一
緒にやって来た。うれしくて楽しくて、夜遅くまで はしゃぎ廻っていた。やって来たのは嫁いだ
長女の子どもたちである。それで今朝はなかなか起きられなくて、八時半 ようやく食卓に就い
たものの、朝はいつものとおり食欲がない様子。ようするに腹がへっていないのだ。避難民の
ように飢餓状態であれば、むさぼりつくように喰らいつくはずである。そんなに機嫌をとってまで
食ってもらうことはないのに・・・と、内心 思う私。しかし、余計なことは言わない。

横浜の男児孫は同じく四年生と二年生。我が家には中二の男児孫もいるが、これはダントツ
大きい。夏休み中でも部活があって暑い中を陸上競技の練習に登校している。
四人とも、喧嘩もなく、仲良く遊んでいる。
近年は、どこの小学生もそうであろうが、DSゲームなるものを持っていて、旅行に行くときもゲ
ームのソフトをカバンやリュックサックにいっぱい詰めて持ってくる。ゲームの攻略本という分厚
い本も持参してくる。そして、各自それぞれが黙ってDSに夢中で取り組んでいる。たまに、ゲー
ムのことに話しているが、ひたすら黙々とやっている。昔とは遊び方が変化した。私は、なげか
わしいことに思えるが、時代の推移で仕方がない。携帯電話やスマホやパソコンを苦もなく習
得する時代が到来しているのだろう。

丸々二日間過ごして、昨晩遅く、月並みながら台風のように去って行った。

昔も今もお盆休暇は楽しい。私も家族をもってから13年間 カミサンの郷里で盆と正月休暇を
過ごさせてもらった。夏は一ヶ月近くも過ごし、正月は一週間過ごした。丹後のきれいな水の海
で、じゅうぶん海水浴を堪能した。白砂青松。まだまだ丹後の海は砂はきれいだ。40年前と変
化はない。12月は暮れの30日の餅つきに間に合うように、東名名神高速道路を12時間 走っ
た。今はテレビで道路の渋滞情報を眺めているだけだが、まだ元気で走る気持ちはある。渋
滞状況をご苦労さまなことだと思う反面、うらやましいとも思う。あれが若さと元気な証拠であ
る。

私たち夫婦は行く方から、待つ方に変わった。

次女夫婦にはまだ子どもがいない。
そして三女は青春ともいえない29歳の夏を まだ独身で謳歌している。早く次のグループの孫
たちをと、待っている。



2012/8/17 水難事故対策・来年用
夏の夕方のニュースは水の事故を聴くことが頻繁。日本は四海に囲まれ、川も多い。子どもた
ちは水遊びに興じる。山の事故は二・三日は耐えられるが水は一分で溺れる。

そこで、またまた 私のすばらしいアイディアを提言してみたい。
まず、カミサンにテレビを観ながら独り言のように告げた。簡単に言うと以下のようである。
水遊び場所となっている川の両岸に、5メートルごとに太いナイロンロープを張り渡しておく。ロ
ープの色は黄色かオレンジ色のような目立つロープが好い。水面すれすれか、水面に浸るよう
でも好い。ロープの両端は両岸にしっかりと固定しておく。これだけでよい。経費はいかほども
係らない。当然、各地方自治体が負担する。ときどき、流れてきた大きな木の枝のようなゴミが
ひっかかってくるだろうが、片方のロープを引っ張ればゴミは下流に落ちていく。網ネットではな
いから、簡単だと思う。川は流れが早いから、何か相手に投げてやるものはないかと、うろうろ
探している間に、どんどん下流に流されてしまう。最初からロープを張っておくようにと、提言し
たい。
川下りの舟が行き来する川では、ロープの張り具合の位置を少し下げれば良い。竿や櫂の舟
であるなら、ロープが絡まることはない。川下りの舟にはスクリューは付いていない。

海の場合は、端に30センチほどの浮き輪を取り付けた長めのロープを10メートル間隔で海岸
に設置しておく。溺れそうになっている人間を発見した人は、このロープを投げてやるのだ。監
視員がいれば、その人間の近くまで泳いで行き、浮き輪を投げて浮き輪に掴まるように叫ぶの
だ。くれぐれも溺れそうな人間の身体に触れることはいちばん危険。相手はしがみついてくる
から、これがいちばんあぶない。相手は子供でも共に死ぬことになる。
海岸から遠くに離れている場合はお手上げであるが、遠くまで泳ぐことのできるものは、ある程
度の水泳はできるものであろう。海水浴場での事故はビーチボールや浮き輪から手がすべっ
て離れたときに起きることが多い。

と、まぁ、私一人にこんなに長々と喋らしておいて、カミサンはどうだったというと、無言だった。
縮緬教室の某・人から預かり引き受けた作品100個を、ぜんぶやり直しているのだ。その人
は、今、激痩せしていて、察するところ危険な病気に瀕している。自分で作った作品は中途半
端。しかし、本人は最後まで完成させたいのだ。家内はこの半月間、100個に手を加えている。
それゆえ、夢中になっている。返事もしない。夫のすばらしいアイディアに共鳴しない。
「オトウサン、すばらしいアイディアだわ!!! 葉山の町役場に知り合いがいるから、紹介するから
行って相談してみたら・・・・やっぱり、観光課に行ったらいいのかしら」とは、言わないのだ。

「預言者はその郷里では受け入れられない」と、昔から言われる。天才も「アイツの親父の職
業は○○だった。アイツも子どものときは・・・」と、素直に村人たちから受け入れられない。
しかし、ソクラテスが偉大な哲学者になれたのは妻と仲がわるかったせいだといわれる。ソクラ
テスの妻が、我が妻と同じ年齢の65歳だったとすれば、結婚42年も経った夫の考えていること
はだいたい判る。新鮮ではなくなる。急に夫がすばらしいことを言うはずが無いと確信してい
る。妻に耳を傾けて貰えなかったソクラテスは公衆に大声で訴えたのである。2000年も経た思
想が、いまだに古くならないほどの深遠な思想がソクラテスの愚鈍な妻には理解されなかった
のである。

私はこのすばらしいアイディアを有料で買ってもらおうとは思っていない。
「五歳の男の子が、長良川に張り渡してあった黄色いロープに引っかかって、助かりました。何
処の誰がこのすばらしいアイディアを思いついたのでしょう」と、TVの夜のニュースで聴けば、
万事めでたしである。


2012/8/10 白旗かがげて降参の手紙
一年に一度ぐらいづつ、カミサンは私に次のような言葉を言う。
「オトウサンは私に『俺は、女だったら誰と結婚してもよかったんだ』と、言ったわねぇ」と。

今回も聴こえなかったふりをした。

別段、深い意味をもって言った言葉ではないのだが、ずいぶん昔の、三十年以上以前に、何
気なく言ったことは事実である。否定はしない。
自分はどのような女性とでも、合わせて、努力して、意見を強く唱える織田信長のような強い性
格ではないので、たいがいの女性であれば旨くやっていけるという気持ちを発したのである
が、これがカミサンの誇りを著しく傷つけたようだ。
姉たちが修道院から我が家にやってきて、家内に対して感謝の言葉を述べる度にいうのであ
る。つまり、姉たちが正月や夏休みや、今回のような冠婚葬祭や黙想会の機会に我が家に来
て、宿泊し、我が家からまた修道院に戻っていったあと、私にチクリと言うのである。

五人の修道女の姉たちだったから、40年間では計算できないほどの回数になる。
姉たちに最大限の奉仕をしていた。

それゆえ、その言葉に対して最近は弁解も反論もしない。火に油を注ぐようなことは言わない。

結婚の翌年、丹後から両親を呼び寄せた。家内は23歳だった。
亡父はその後、四年後であったろうか86歳で逝去。亡母は90歳で。14年間共に暮らせた。私
が10人兄弟姉妹の末だったから、想い残すことは無い。後悔は無い。
その後、独身だった姉を一昨年の足の骨折・手術・施設入居まで28年間の同居生活をした。
一昨年の九月からは月に一度しか見舞いに行くことができないが、89歳の姉は今日もご機嫌
麗しく元気でボケていた。今朝は京都と神戸に戻っていく二人の姉たちを連れて、見舞ってき
た。
家内は22歳から現在の65歳まで、元気で病気もなく大声で四人の子供たちを叱咤激励してき
た。

昨日は私の実姉77歳の葬儀だった。ようやく二年間の闘いは終った。姉の苦しみは終わり、よ
うやく身体的苦悩は終った。今は、先に みまかった両親や兄弟たちと再会の喜びの座に連な
っていることだろう。

「オトウサンの身内は、きょうだい六人が先立ったわけねぇ」と、カミサンは指を折りながら昨日
言った。残されたものは四人。認知症と骨折で施設でお世話になっている89歳姉と、京都伏
見・聖母女学院修道院の86歳姉と、神戸垂水区の愛徳カルメル会修道院愛徳学園の80歳姉
と、私の四人になった。今回のように順番が狂うこともあるが、普通であるならば私の時には
兄弟たちからの見舞いや力づけは期待できない。その代わり、現在も天国から応援と、目に
は見えないが祈りの花束を貰えることだろうと思う。

ご苦労さまでした。お世話になりましたの言葉は、昨日も今朝も家内と嫁に告げた。

さぁ、しかし、「やっぱり、美和子サン、アンタでなければならなかったよ。俺が悪かった。あれ
は失言でした」と、告白すべきだろうか。
男の沽券は既に無い。我が家ではカミサンは卑弥呼である。女王陛下である。告白と許しを請
わなければいつまでも言われるだろうか。私の死ぬときでいいだろうか。

さきほど、大船駅まで二人の姉たちを車で送って行ってきた。平常の日常に戻る。平穏の中
に。



2012/8/7訃報
終わり好ければすべて良し。特に人間は終焉が最も重要だと私は思う。
今朝、二時半 姉が77歳の生涯を閉じた。私は悲しまない。姉は、走るべき道のりを力いっぱ
い走ったと思う。何色かのメダルは貰えるだろう。自分で決めた修道女としての一生を遂行し
たからである。全うできたことは兄弟姉妹から見ても大きな安堵と喜びである。

姉は呼吸困難から開放され、ようやく楽になった。
身内のものの瀕死の状態を見ているのは辛い。誰でも経験していることだが。

今日は8/7の火曜日。おとついの日曜日に、小学校四年生の同居の女児孫を、最期のお別れ
に東京・新宿の聖母病院まで連れて行った。暑いさなか、また 小さな子を病院に連れて行くこ
とは逡巡しない訳ではなかったが、私はあえて連れて行った。
二所帯住居の我が家ではあるが、近年は本当の老人を幼児が見る機会が少なくなったといわ
れる。まして、爺ジと婆バは、まだ幸い今のところ元気だから、憐憫の情を抱くチャンスが少な
い。

我が家には89歳の大伯母が一昨年まで同居(28年間)していたが、足骨折と認知症の為、現在
は施設のお世話になっている。時々、この孫だけ連れて、大伯母の見舞いに施設に連れて行
く。
たくさんの異様にも見える老人たちを初めて見たとき、孫はどんな印象を受けたであろう。

終焉期の大伯母(聖母病院入院)の手をずっと握っていた。その間 約4分。病室から出た孫は
顔色が真っ青。夏のことで日焼けした顔ではあるが、鼻の頭は白かった。そして廊下の壁にも
たれて、座り込んでしまった。普段は座り込むような孫ではない。一言も発しない。黙ったまま。
沈思黙考型の賢い孫だから、キャーキャーわいわい騒ぐような子ではない。人のいうことを黙
って聞いている。自己顕示欲は皆無。人前で喋ることがいちばん嫌い。リーダーに推挙される
ことは死んでも嫌だという。自慢することは無い。試験の答案用紙は一年から今まで、ほとんど
100点。
本人は絵が得意で、漫画絵をときどきクラスメートから頼まれて描くが、私と家内は看護士さん
の仕事はどうかと、帰途の車中で説いた。どんな仕事にも貴賎はないが、一生一度の生涯の
仕事として、可能ならば人の役に立つことをやるようにと説いた。
精神界(宗教界)の仕事が一番だと思うと説いた。
教育界(教師)の仕事も良いとも説いた。
身体肉体を救う医師や看護士の仕事も尊いと説いた。

黙って聞いていた。
「ワタシ、そんなの無理」とか「そんな仕事はやりたくない」などと直に拒否反応しないところがい
い。
「なっちゃん、医者になってあげてよ。パパやママの為に」と、無責任にも告げた。嫁には「横浜
市立医学部だったら安いよ。教育費が」と、嫁には告げた。嫁もただ黙って笑っていた。
今朝はテレビドラマ『梅ちゃん先生』の結婚式だった。

明日の夜はお通夜だろう。京都と神戸から姉たちが来る。89歳の認知症の姉には告げないつ
もり。
錯乱させては更に悲しい。

それにしても、姉はどれほど沢山の人たちや友人たちの見舞いを頂いたことか。
次女が頻繁に見舞ってくれた。そして、その夫も忙しい中を来てくれた。次女に、修道女になる
ことをそれとなく勧めていたようだが、今 夫婦で理化学研究所に勤務。
姉はじゅうぶん介護された。自分が看護婦長だった古巣の病院で。ようやく、姉は苦しみから
開放された。



2012/8/6 グッド アイディア ??
先週、福島県山田町から野菜くだものを販売に人がきた。
福島県を朝四時に出発して六時に神奈川県到着。たいへんなことである。
我が逗子教会での売り上げは236,260円であったと、今日のミサ後、報告があった。
山田町の人たちに喜んでもらえてよかった。
来月から、毎月の第一日曜日に販売に来るという。
我が家も桃を三箱と葉もの野菜を買った。放射能など気にならない。被災されてはいない野菜
らしいが、ふだん、もっと身体によくないものを入れているはず。タバコやアルコールなど。

放射能の除染ということで、専門家たちや頭脳明晰な人たちが知恵を絞っている最中、私など
が愚にもつかぬかも知れぬが、更に 建白する。
私は被害にあった地域の『土地の嵩上げ』(かさあげ)をしては、いかがなものかと最初から思
っている。つまり、今のうちに、街・家・建物・上下水道・配管・配線など、すべての上に土を盛り
上げては どうだろう。福島県は面積は広い。山もたくさんある。その山の土を運んできて、海
までずっうと盛り上げてしまおうと、考えるものである。
50年計画である。期間は一年や二年ではない。「百年の計」という語彙があるが、50年100年を
かけて、護岸はコンクリートで固めて、川の両岸は高さ15mから20mの盛り土をしてはいかがで
あろう??海や川へは階段で上下できる。大漁の魚を船から吊り上げる方法はいくらでもある。
陸奥のリアス式海岸線は古来より津波の被害の歴史があるではないか。また数年後、津波が
来ないとも限らない。船などに被害の再来があっても人命には替えられない。

現在の土地の表面を建設機械で10cmや20cm 削ってもどうしょうもないではないか。袋に入
れて保管しても保管場所もない。強い陽に化繊の袋では数年後に破れてしまう。落葉や枯葉
を熊手で集めている様子をテレビ画像で観たが、焼け石に水であろう。

瓦礫ごと、平らにして、その上に土をかけてしまってはどうだろうか。

まだ戦後といわれた頃、第五福竜丸というマグロ漁船が、南太平洋海域ビキニ環礁で、アメリ
カの水爆実験で被爆したことがある。亡くなった方は久保山さんという名前だったか・・・???
あの被爆船は東京某所に保管されているらしいが、マグロはどうなったかというと、三浦半島
の三崎港の近くの谷に深く埋められているのである。山と山の間の谷にマグロは眠っている。
その上に急遽、土を盛った。平らにした。マグロを隠した。現在はその上に建物が建っている。
今は誰も文句を言わない。忘れさられようとしている。30万年????? 

30万年とか40万年とか、天文学的数値の時間経過がプルトニューム(?)放射能の消滅には必
要とするらしい。
とすると、100年や50年計画は気の長い話ではないと思う。幸い、日本にはコンクリートの原料
と建設技術はある。出土のための山土はある。山は平らにして住宅を山側に移すことができ
る。

このアイディア どうだろう??? 既に頭のいい方が考えているだろうが、馬鹿馬鹿しい意見だろ
うか?? 平安京・平城京・リオデェジャネイロやラスベガスのように、零から土地や不毛の砂漠に
さえ、都市計画は可能だと思うのであるが。

15年か20年も昔、東京都を福島県に「遷都しては」という計画もあったが、立ち消えになってし
まったようだ。提案した都の役人(?)は、今どうしているだろう? 
布団を被って寝たふりをしているか?   



2012/8/3 夏の旅行の予定
夏といえばお盆。お盆といえば帰省。民族大移動の季節。そしておきまりの交通事故。

きのうも関越道でトラック三台が関連した大事故があったようだ。無理と油断と過度のスピード
で事故は起きる。オリンピック観戦が理由ではないだろうが寝不足気味。そして暑い。

八月末、ちょっとした旅行を計画した。小学四年生の孫を連れて行く約束をしたが、昨日の事
故のテレビを観て、困ったなぁと思ってもいる。孫だけ預かって行くことになった。二親は行かな
い。
男児孫の高校受験の為の夏季学習に旅行は妨げになる。男児孫は行かない。中二生。

年に一度だけ二泊三日の息子たち家族といっしょの旅行をしていたが、この夏は男児孫のた
めに我慢をすることにしていた。ちなみに一昨年は津波被害を受けた気仙沼大島と仙台松島
だった。

女児孫はぶつぶつ不平や不満を言う子ではないが、「乗鞍高原と上高地へ行こうか」と、誘っ
てみたら大喜びした。
しかし、私は、「ママ(孫の母親)は行かないが、だいじょうぶか」と、カミサンを通じて孫に念をい
れさせた。旅行の途中にママがいなくて、元気がなくなり、しおれるような様子は見たくない。

なにしろ、『ママ命・わが子 命』の親子たちである。

そして昨日の関越道の事故を見た。

大事な預かり子が怪我でもしたら なんとしょう。
おまけに、昨年から私は軽自動車にした。普段は小回りがきいて誠に都合が好い。狭い道で
も楽々入る。しかし、事故ったら・・・・・

先般、ドライブ・レコーダーなるものを設置したが、事故死や怪我はどちらに原因があろうとも
困る。
車の真ん中の座席に家内と二人並んで、安全ベルトを付けて走るつもりだが。

中学一年生の夏、キトラさんという先輩から、旅先からの絵葉書を貰った。乗鞍高原からの絵
ハガキだった。(昭和32年か31年) あの頃は誰でも家族旅行などできる時代ではなかったと思
う。
以来、乗鞍って、どんな処だろうと夢見ていた。そして5年続けて行った。昨年は息子家族も連
れて行った。カッコウがすぐ近くで鳴いていた。真夏でも寒いくらいに涼しかった。山の頂上まで
車で登れたが、その翌年からは禁止になった。そして昨年は売店に熊が出た。売店の隣に、
国内最高標高の郵便局が在る。その局からのスタンプ印の絵ハガキに価値がある。眼下を雲
が流れる。

自動車を運転して行く旅行は自由がきくが、苦労でもある。そして加えて今年は気苦労でもあ
る。


2012/8/3 鎮魂歌 「長崎の鐘」
まもなく広島と長崎に原爆を投下された日がやってくる。もう、67年も前であるが、いつまでも忘
れられない、忘れてはならない。世界中で日本だけが焦熱地獄を味わった日である。
先日の夜、深夜に『長崎の鐘』を聴いた。NHKラジオの深夜放送だった。心に沁みた。

私はこの映画を小学生低学年の頃に観た。断片的にしか覚えていないが、後年、今から27年
も前のことだが長崎に行ったとき「如己堂」を訪れることもできた。故・永井 隆博士医師の、た
った二畳の、なんと表現してよいか、茶室よりも小さく、しかしそれは「あばら家」ではなく神々し
くさえ思えた。氏は被爆し、後遺症・白血病のため、臥せったままで、数冊の本を書いた。「こ
の子を残して」や「ロザリオの鎖」などである。世界中に翻訳されたと聞く。

『長崎の鐘』は昭和24年にサトウハチロウ氏の作詞、古関祐而氏作曲として世に出た。歌手は
藤山一郎氏。数えてみると63年前になる。
哀愁を帯びた曲である。(♭)が五線譜の(シ)の位置にあるから「F-dur ヘ長調」だ。憂いを含
んだような悲しみの曲は「ヘ長調」が多いと高校生のとき竹森 敏先生から教えられたことがあ
るような気がする。(間違えているかもしれないが) 
なんともいえない鎮魂を表した曲に思える。Andantino で弾くようにと書いてある。ゆっくりと、と
いう意味。ゆっくりとした曲しか私には弾けないが。そして、楽譜には清らかに弾けと書かれて
いる。
ところが、曲の途中から「e-moll ホ短調」に変化する。歌詞の部分では「なぐさめ はげまし 
長崎の あぁ 長崎の 鐘が鳴る」というフレーズである。印は付いていないがAllegro(明るく)歌
うべきであろう。明日への希望を現して、明るく表現されるのである。

この曲は地震と津波と原発被爆を被った東北のみならず日本国民全体の慰めと復興の希望
を込めた唄でもあると私は思う。名曲は人の心にいつまでも残り、廃れることはない。

私は原爆投下の日まで毎日この曲を弾こうと思っている。netの落札を待ちながら。



2012/7/31 久しぶりのピアノの練習
六年ぶりで、『五番街のマリーへ』を練習した。なかなか勘が取り戻せなかったが、二時間練習
しているうちに、ようやくその曲らしい音になってきた。(自画自賛)
私はイントロがいちばん大切だと思っている。イントロはその曲ぜんたいを要約していると思
う。

五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか
見て来てほしい

五番街は古い街で
昔からの人が
きっと住んでいると思う
たずねて欲しい
高橋真梨子さんはあの頃 髪の長い少女だった。伸びのある、太い、よく通る声だった。ペドロ
&カプリシャスたちが歌った。男性の中に紅一点。
衝撃的な歌に聞こえた。ニューミュージックというジャンルである。昔の歌謡曲よりも、つたない
私のピアノでは更に難しい。
音域は広くはないが、C(ド)とF(ファ)とG(ソ)の音のすべてに(♯)が付く。ここで半音上がるので
ある。これがけっこうたいへん。しかし、半音上がる処がきれい。ダブルメジャー(ニ長調)の
曲。(♯)が五線に二つ並んでいる。
七年前の63歳の12月1日からピアノ教室・『ヤマハ50歳からのピアノ教室』に入門した。
最初は、伴奏の方の五線の、「ヘ音記号」の どこかC(ド)であるかさえも知らなかった。メロデ
ィーの方は片手で弾けたが、この私に、伴奏が弾けるようになるとは思ってもいなかった。
「最初は誰でもそうですよ」と、ヤマハ音楽教室の先生は言った。最初に習った曲はフランス民
謡の「月の光」(Clair de Lune)という曲だった。これは中学一年のとき学校で習った曲だったの
でメロディーは記憶にあった。右手だけで伴奏はまったくない。単純な曲だった。「天才です」と
言われた。自分でもそんな気がした。
二曲目はFreres Jackだった。これも西洋の童謡である。ここで初めて伴奏が入った。簡単な
ジングル・ベルも弾けるようになった。このあたりから、けっこう本格的な音楽のような気がし
た。ベートーベンといえば恐ろしいように聞こえるが「歓喜の唄」のダイジェスト版・初歩の初歩
もやった。生徒に喜びを与えるためであろう。ベートーベンが弾けたと錯覚させる為であろう。
「カエルの合唱」では、初めて『和音』に挑戦した。伴奏で、左手の指を三本使うことになる。ド・
ミ・ソである。小学校のとき、大声で斉唱させられた記憶がよみがえった。シ・レ・ソとか、ド・フ
ァ・ラとか、ファ・ラ・ドである。どうして和音でなくて、不協和音は耳に嫌な音に聴こえるのだろう
か。不思議だと思う。
一年後、月謝の高いヤマハは辞めて、月に三千円で教えてくれる先生を見つけた。72歳のお
婆さん先生。私の汗ばんだ腕と先生のシワシワの腕が触れるとゾッーとした。せめて40歳まで
で探せばよかった。ときどきピアノを弾いている。ボケ対策として。



2012/7/27 猛暑つれづれなるままに
全国的に猛暑。家内の梅の土用干しは今日で完了。暑い日を大切にする人もいる。

私には昼寝の習慣はないが、真夏の午睡はとれる人は執ったほうがいいと思う。
寝苦しい上に、オリンピック前哨戦のサッカーが更に拍車をかける。男女どちらも勝利。慶賀
なり。

昨日は久しぶりに二時から五時まで、昼寝をした。
メディアが、暑い暑いというからどれくらいかと温度計を見たら28度。そんなはずはない。もっと
暑いはずであろう。部屋にはエアコンのスイッチはつけていない。
この温度計は父の代からの代物、骨董品。昭和初期か大正時代に亡父が求めたものであ
る。
亡父は若い頃は海軍軍人(職業軍人)だったので、またポジションが駆逐艦の機関部だったと
かで、温度にはたいへん敏感であった。猛烈に暑い部署である。
父は「華氏」(かし)で測温した。華氏とはドイツ人の物理学者ガーレイン・ファーレインファントが
考案した温度の測定方法であり、現代は「摂氏」の表記を使用している。私の子ども時代は当
然、摂氏であった。摂氏の35度は華氏では92度という。
別の温度計も見たが、やはり28度だ。新しい温度計は湿度計も付いていて、湿度は70度とあ
る。湿度計を見れば蒸し暑さは増す気分だ。
室温で、エアコン無しで28度は、耐え難いほどの暑さではない。建物の西側には窓はない。西
側は押入れになっているから、暑い温度は押入れの中の空気で遮断している。

猫がいちばん涼しい場所を知っている。しかし、猫はエアコンの涼しさを嫌うようだ。自然の涼
しい場所が好き。『猫に三日の真夏なし』というが、猫は真夏にも毛皮をまとっているからご苦
労である。腹を冷たい処に付けるのが好きのようだ。畳よりもフローリングが好き。

今朝は七時半に測定したら、朝から早々に28度近くあった。きのうよりも暑くなるのだろうか。
階下の和室は中庭と廊下に風が流れるから涼しい。廊下の片側には台所の流し台や換気扇
があり、中庭に面している。東には窓があって、夏の東からの日差しはけっこう早くから暑さを
もたらす。ゴーヤを植えたら、葉がいっぱい窓に繁った。ゴーヤは成長が早い。葉も大きい。緑
色のネットにからまっている。隣の南天の木や、屋根の上のエアコンの外扇器まで、からまっ
て伸びた。東隣りの家は、今は小さな有料老人介護施設になっていて、総二階のたいへん大
きな建物。敷地の高さは我が家とは2m近く高くなっている。おかげで、夏の東からの日差しが
遮られている。10時ごろになると太陽は高く上り、窓からの斜めの日差しは解消される。

居間の方では孫たちがまだ勉強をしていた。
午前から夕方5時までやっていた。出来の悪い子を持つ親はご苦労である。嫁は朝も四時から
起きている。夫の出勤の弁当を作ったり、夏休みといえども男児孫の部活のある日は準備に
余念がない。学校のある日は嫁も昼寝ができるだろうが、夏休みは かえってたいへんだ。
5時から男児孫は2時間 英語の塾へ行った。

家内は梅の土用干しを途中ながら、女児孫とその母親を「公文教室」まで車で送迎した。教室
は山を切り開いた住宅地にあるから、登り坂が難儀。母親からたちまち電話があり、「もう終わ
りました」という。今日は集中してやったらしい。嫁は免許は所有しているが運転はしない。だ
から、65歳にもなる婆バが孫たちの送迎をやらねばならない。いつまでやらせられるのだろう。

駐車場にザルが五つ並んでいる。赤い梅を見ているだけで暑さは倍増する。
「梅の赤 土用の日差し いやませり」 腰折れ一句 お粗末。午後には生姜を求めるとか。


2012/7/30丸い大きなもの
丸い大きなものが二つ 送られてきた。
一つは先日注文していた地球儀。ニッポン放送ラジオ通販から。思ったよりも早く届いた。
いま一つは心当たりがなく、発送地は富山県からとある。
大きな段ボールの絵にはスイカ。
開けてみた。とんでもなく大きなジャンボ・スイカ。見たこともない。入善特産と書いてある。(に
ゅうぜん)富山県の地域の名前らしい。目方を量ってみた。20kg。大きさは55cm×40cm。スイ
カの下と上に、菰(こも)を被っている。大きな、長細いワラジのようなものである。米俵の「さん
だわら」のようなもので、輸送のときのショックを防いでいる。

送り主は家内の友人からで、スイカは嫁がせた娘さんの旦那さんの実家から送られてきたの
である。
初孫さんの、初節句の雛飾りに添えて、家内が吊るし雛の製作を頼まれたことに対して、お礼
の印であろう。吊るし雛の代金はすでに30万円いただいていた。ふつうは50万円する。高島屋
などのデパートでは、飾り品がもっと少なくても100万円前後はしているものを、正絹の古い布
(昭和初期から大正期の布)で半年がかりで作った。もう、30年以上の付き合いの友人である。
うれしかった、初節句の祝いに富山県まで届けたとき、親戚中にびっくりされた、と喜ばれた
と。

スイカは皮も薄くて、味も悪くなかった。
男児孫が「スイカ、スイカ、スイカ」と言いながら、汗をしたたり落としながら部活から帰ってくる。
この暑いのに、毎日 陸上100m競争の練習をしている。熱中症にでもなったら、学校は責任を
とるのか、といいたい。
スイカを吸い込むように、むさぼっり食った。見ているだけで腹がいっぱいになる。
小四の女児も「スイカは別腹」といいながら、食べる。
家族全員 夏だからといって食欲がダウンすることはないようだ。三回に分けて食べた。
ご来客にも手伝ってもらった。日曜日の四人のご来客様の中に、富山県出身の方がいて、懐
かしがられた。四人とも小学校の先生方である。
七人家族でも、スイカは三日かかってようやく食べ終わった。

もう一つの丸い大きなもの、地球儀は、スイカほどに人気はないようだ。機能がたくさんあり、
すぐには使いこなせない。ぼちぼち取り組めばよい。




2012/7/28 待ちぼうけ
「待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ そこへ兎が飛んできて ころり転げた木
の根っこ  タンタンターラララッラ タララッタァ」 お馴染みの北原白秋作詞・山田耕作の童
謡。
心の中で私は歌っていた。昨日の午後一時半から40分間と、今朝は九時から30分間。
外気温は30度くらいか。そんなに暑くはない。風が涼しい。もちろん日陰で。

椅子に座っていた。
なにをしていたかというと、蝶やトンボを待っていた。片手に補虫網を持って。
人さまに見られたら、かなり恥ずかしい姿。
「古希にも見える老人が、網を持って、山下 清サンのような格好して。(半ズボンと白のランニ
ングシャツ)
幸い、我が家は、家が二列並んで六軒ある。そのいちばん奥まった所に位置していて庭や駐
車場からは山に続いている。人通りはない。車の行き来もない。周囲からは見えない。
それにしても、近所の人は「あぁ、小林さんはお孫さんの為に蝶を捕獲しようとしているのだろ
う」と、理解してくれるはず。これが孫もいない家庭の老人が補虫網を持って立っているなら
ば、狂人??と、疑られてもしかたがない。実際は、孫よりも自分が虫を採りたいのである。孫は
カモフラージュである。去年の春から、小四の女児孫と家内(65歳)が、昆虫教室に入会してい
るので、我が家は昆虫界に目覚めた。
きのうは、一匹も捕獲できなかった。揚羽蝶がたくさん飛来してきたが。
今朝は、シオカラトンボときれいな鬼ヤンマを一匹づつ捕らえた。鬼ヤンマは珍しいブルーの
色。
ふつうは緑色。子どもの頃は、ローカルな地域だったので、たくさんたくさんいた。
鬼ヤンマは『三角紙』に入れて、昆虫教室で教えてもらったように、早速冷蔵庫に収納した。
三分ごとに黒揚羽蝶やトンボが飛来する。しかし、高いところを飛翔する。彼らも命が惜しいか
ら網の届くところまではなかなか降りてこない。
カラスが山で鳴いていた。アホウ、アホウ、アホウと聞こえた。ウグイスも鳴いている。キョキョ
キョと、鳴いている。まだじょうずではない。

女児孫は家の中に入ってしまった。根気がない奴である。女の子だから、あまり虫には興味が
ないようだが、「虫愛ずる姫君」(むしめずる)は、昔のことか。

幼児性が抜けないことは・幼稚な考えが未だに浮かぶということは、周囲に対して恥ずかし気
がないということは、若さを保つ秘訣だと思うことにしている。そのような定理はないが、私が勝
ってに決めている。人間は体力と知力の双方で、還暦からを過ごさなければならないと、私は
勝手に思っている。『健全なる肉体に、健全なる精神が宿る』と、クーベルタン伯爵も言ったで
はないか。(近代オリンピックの父)
入場行進の旗手にはなれないから、大きな補注網を手にして真夏の暑い中に立っていた。
直径50cmの網。ステンレスの三段に伸縮する棒。先日、東京の品川区・志賀昆虫店でもう一
本家内が買った。折畳みができる。

「採っても、リリースしてやりなさいよ。地球上から昆虫も絶滅する恐れもあるんだから」と、家
内の声が家の中から聞こえた。


2012/7/27酒を?むときの心得
きのう観た韓流ドラマで、私は初めて韓流ドラマを多少、評価する気持ちになった。いつもの通
り、途中から観た。BS放送は韓流ドラマの花盛り。外国で製作したものを安く買ってきたほう
が、新たに国内で製作するよりも安上がり。深遠な内容のドラマではない。ホームドラマのよう
なものである。日本の家庭にも韓国でも、何処の家庭にもあるような、「渡る世間は鬼ばかり」
の橋田壽賀子さん脚本のような番組であった。

その中のセリフで一つ好いことを私は記憶に留めた。
「酒を?むときは、声を最大限に小さくしろ」という。普通は放歌高吟となるのが当たり前。

その家庭は八人家族。我が家よりも一人多い。大家族である。
お祖母さんがいる。(未亡人) 韓国は儒教思想で、年寄りは敬われているらしい。
60歳年代の夫婦がいる。
娘がいる。(未婚)
長男夫婦がいる。(新婚)
次男夫婦がいる。(次男は医師)(新婚)
時は新年元旦。全員が同居。孫はまだいない。大人ばかり。これはたいへんだ、と、私は思っ
た。

元旦の午前中は嫁の実家に最初に挨拶に行く習慣あるらしい。夫も同伴。墓参もする。

その夜、皆揃っての晩餐の席。
少々酔った次男の嫁が、心に思っていた鬱憤を次々に言い出した。
長男の嫁(義姉)ばかり可愛がられていて、それに対して不満だと。義姉は妊娠した様子なので
皆から大切にされている。(実は妊娠は間違いであった) 病弱であることは事実。大事にされ
る。
自分の夫も自分に対して気配りがない。義兄も自分に対して優しくない。義父に対しても義母
に対してもお祖母さんにも、義姉にも、常々 思っていた不満をぶつけるのであった。
せっかくの楽しいはずの晩餐は台無しになった。
ただ 観ていて救われるのは、この次男の嫁がニコニコした顔で、屈託ない顔で、心底からの
ねじれた表現で不満を言う雰囲気ではない。実家は母親一人で、実父は亡くなっている設定。
おそらく、一人っ子として幼少から可愛がられて育ってきたのであろう。兄弟に揉まれていな
い??

大騒ぎになった。
ここらあたりが、韓国ドラマ独特の「口角泡を飛ばして」叫ぶ・言い合う・ぶっつけあう・シーンと
なる。

一段落してから、父親は長男次男を部屋に呼んだ。そして、しみじみと三人で酒を酌み交わし
た。
まず次男を諭した。お前はなにがあっても、ひとまずは兄貴に従えと。長男にも意見した。弟を
慈しむように。お前がこれからは大黒柱になるのだと。そして兄弟は互いに仲直りした。
そのときの最初の父親の言葉が「酒を?むときの声は最大限抑えるように」と。この最大限とい
う翻訳が、私にはもっと的確な言い回しがあったのではないかと思うが・・・。

「晩ごはんよ」と、カミサンが来たのでテレビを消した。すぐ行かないと機嫌が悪くなる。
面白いドラマがあった。話して聞かせようかとカミサンに言ったら「せっかくだけどいらない!!」
と、拒否された。四日前、カミサンが観た夜中の、古い白黒映画(アメリカ映画)の話を、私は10
分以上、延々と聞かされた。もちろん、我慢して。忍耐して。途中でうるさい、もう いいよなどと
言ったら大変!!!!! 
だから、私はこんなことを書いている。



2012/7/27 3Lサイズ
今朝は4分起床が遅れてNHK朝ドラの『梅ちゃん先生』を観た。体内時計は、ほぼ毎日 正確。
これを観ないと私の一日が始まらない。明るく楽しく前向きで今日も元気で行こう!!!と。

終了後、BSのテレビ通販で、カミサンの夏のワンピースを注文した。通販大好き人間。あまり
深く物事を考えて生きていないのと、ケチだから安い物品に飛びつくのが、その理由。

細いコットン糸の総レース・ワンピ。Maid in Chaina。価格というほどのものではない。値段は
8000円ぐらいだったであろうか。手洗いができるという案内だった。
そこで、黒とベージュ色の2着を注文。送料が680円だった。
黒は不祝儀用にもなる。ベージュ色の夏の洋服は、良い物はカミサンは持っていない。8000円
が良い洋服だと思う感覚がおかしいと言うであろうが、デザイナー・ブランドの100万円の洋服
などは、端から頭にない私である。売れることが異常だと思っている。

サイズに迷った。
迷った挙句、LはダメだからLLに決定した。Bは98cmあるというから、まぁ だいじょうぶだろう
と、朝食のとき カミサンに伝えた。

ちなみに、我が夫婦は3年ほど前から寝室別居をしている。
理由、その一
ちりめん教室の生徒さんの為の準備に、深夜まで作業をしている家内。
理由、その二
テレビ番組の選択に関して、カミサンが恐れ気もなく反旗を翻した。(ひるがえした)
口に出して、堂々と謀反を唱えたのだ。夫唱婦随で なくなったのだ。
韓流ドラマが好きになり、長年 夫の顔を見慣れてきたから、男というものはこんなものだと思
ってきたのでイケメンには興味がないが、噛み付くように会話する韓国の女性に快感を覚え、
ああゆうふうに夫を怒鳴るのだと 今 練習中なのだろう。

Bの98cmはとてもじゃないが無理だという。○○○cmは必要だという。
しかたがないので、男の私が再度 電話した。
で、結局、3Lに変更注文したのだが、3Lとは恥ずかしいではないか!!!! 3LとはXLのことだろう
か。私の洋服のサイズはLでじゅうぶんである。通販でもUNIQLOでもLサイズで合う。

結婚前の指輪リング・サイズは9だった。かなり前から結婚リングをしていないのでカミサンに
尋ねたら「あンーなもの、とっくに 何処かへいっちゃったわよぅ」とのこと。
そして、ウエストは58cmだった・だった・過去だった。今?? ボンレス・ハム。糸が巻いたところ
の肉がぷっくりと 膨らんでいる。

キャンセル待ち状態だが、もう まもなくPM:6時になるが、電話が来ない。キャンセルが出た
ら、私宅へ3L品を廻してくれるというのだが、低価格だから好く売れるようだ。世はデノミ時代。
テレビ通販案内の女性はSサイズを着ていた。ウエストはくびれていた。ベルトをかるく締めて
いた。
しかし、そんなことはカミサンに言わない。親しき中にも礼、あり。



2012/7/26 こんどは地球儀
早起きは三文の得か損か。損ということもないが、早起きした為、今朝は19800円の出費となっ
た。その経緯は以下のとおり。
またもやニッポン放送ラジオ通販のカモになった。こんどは何を買ったかというと、地球儀であ
る。
見ないで買うなど、ほんとうにお人好しだと思うが、ニッポン放送が紹介する品物を信じてい
る。

『しゃべる地球儀』(情報更新システム付きのハイテク地球儀)と、私のねぼけ耳に聴こえた。
午前6時半。アナウンサーは、私と同じ歳の、毎朝おなじみの「高嶋しげたけ サン」。
セールスポイントは「データーを更新できる」ことである。但し、パソコンに取り込み、有料で一
年に一回更新するとなると2500円が口座から引かれる。かならずしも毎年更新する必要ない。
地理の教師ではないから、三年に一度の更新でもよい。たぶん、SDカードが付いているのだろ
う。
つまり、各国の国内情勢が刻々と変化している中、それの最新情報が更新できるという地球
儀なのである。もっと詳しく説明すると、例えばカナダを『タッチペン』で触れるとする。すると「カ
ナダの首都はトロントです」と、地球儀から音声ガイダンスがある。そして国の面積・人口・最高
責任者・国歌・歴史・文化・通貨・言語などの特徴を15,000件のデーターが入力されている。そ
して、使用者の年代に分け、5歳→→10歳。11歳→→14歳。15歳以上と年齢別層に、希望の
年齢によって紹介してくれる。また、各国の特徴のある動物や食べ物・発明品なども教えてくれ
るという。
我が家にも30年ほど前に買った地球儀があるが、大陸も島も、それらに大きな変化はない
が、国名や首都名などは変わり、独立した新興国が多いアフリカなどは皆目わからない。意味
なし。
インテリアとしの価値だけ。捨てるのは惜しいが、古い百科事典なども無用の長物である。
こんなに長々とニッポン放送の案内は言わない。注文後、netで検索して、調べた。
いつもわずか1分ぐらいの時間しか案内しない。パッと、「これは買いか、今日はいらねぇ」と
か、判断しなければならない。

家内も次女も地図大好き人間である。先月も次女に付き合って東京駅八重洲口の地図専門
店まで行ったばかり。次女は地球儀を欲しいと言っていたが高くて買えないと。まして、品を見
ずに買う女ではない。石橋の途中でも引き返して帰る女である。結婚も33歳で。「石部金庫」さ
んである。
私は女児孫・小四に与えることにした。私からの形見として。遺品である。小四女児孫は『文字
玩具』で字を覚えた。それがなんと1歳8ヶ月のときである。当然のこと、まだオシメをしていた。
逆さまに新聞の字を見せても正しく読んだ。ウチの四人の子どもたちにもこんなに早く字を覚え
た子はいない。マイコンが入った玩具であった。キーボードを押すと頭(かしら)文字と絵が出
て、間違えばブーとエラーとなり、正しいとピーンポーンとチャイムが鳴った。上の男児に父親
(私の息子)が買った、お下がりのおもちゃであった。カタカナは三歳までかかった。昨夕も日本
列島の地図で遊んでいた。おそらく学校からの教材か?? ジグソー・パズル式に列島や島を嵌
めこむ品。あんなものはすぐに飽きる。すぐにマスターしてしまう。都道府県別であれば高度で
あるが。県庁所在都市名が書いてあるのだろうか??単語帳を作成して学習として強制されて学
ぶのは楽しくないが、おもちゃとして、いじっていればすぐに覚えるだろう。「アイツはパソコンの
検索能力は俺より早いよ」と息子が言っていたから、黙っている子だがきっとすぐにマスターす
るだろう。「なっちゃん、爺ジがいいものを買ってあげたよ。注文しておいたよ」と、朝、言った。
別段うれしそうな顔もしない。ふぅーんと、興味のなさそうな声で答えた。最初はいつもそうだ。
嫁には、モッタイぶった言い回しで、言っておいた。恩を売っておかねばならない。そろそろ私
も被介護年齢。なんどき世話になるかもしれない。昨朝も二人を横須賀の県立グランドまで車
で送った。バスでは二回乗り換えしなければならない場所だから。中二男児の100m競争大
会。6位だったらしい。何人の中??と聞いたら、8人中と答えた。オリンピックはなくてもよい。家
内は「250人余いる中よ」と言っていたが、ビリから二番ジャン!!!であった。がっくり。それから
は、あまり話題にはしないようにしている。



2012/7/21 晩年からの挑戦
「髭の殿下」は高校生の頃から喫煙をしたと、ご自分でおっしゃった。そんなテレビをご逝去
後、観たが自慢することではない。過度の飲酒と同じく健康によろしくない。
古来、名だたる大名たちは自分の跡取り長男を、心ききたる家臣に預け、厳格な教育を依頼
した。教育は厳格と愛情と、両輪のバランスが大切。
人の上に立つ人は、おのずから畏敬の念を感じるような人物に育成してもらわなければならな
い。
ましてや、法律違反とわかっていながら反則するなどとは、とんでもないこと。
今上天皇の英語の教師に、バイニング婦人という方が数年の間 お傍に居たことを記憶して
いる。
近代の皇室はイギリスを手本としたから、さすがに大英帝国の名残のあったあの頃までは、威
厳があったようだ。皇太子様も、浜尾侍従から幼児期の訓育を受けたと聞く。尊敬できる。
私は、会津藩の教育の、『してはなりませぬ』『しなくてはなりませぬ』『ならぬものはなりませ
ぬ』の言葉が大好きで、私の部屋に、自分の墨書きで、大書して掲げてある。白虎隊の少年た
ちは、この言葉の下に教育されたと聴く。白虎隊の隊士たちの墓前にも額づいたのは10年前
か。

長年の喫煙は身体を蝕むことは常識で、愛煙家たちは肩身が狭い。タバコを吸える場所と、
公衆電話の場所が無い。JTこと、日本たばこ協会の社員たちは裏街道を歩く心境ではなかろ
うか。タバコ税はまだまだたくさん徴収できる。
身体に好くないと「わかっちゃいるけど やめられない」各自の自覚を、うながす以外に道はな
い。

このたび、古希を迎えるこの私が喫煙に目覚めたとなると、どうなるのか?? 遅咲きの桜??大器
晩成?? 大器ではないことはわかっているが、すると 突然変異?? 
結論からいうと、今日 タバコを買った。まだカミサンは知らない。(こわい)
葉巻を6本買った。一本が1000円もする奴。吸い口の『口火』を切る特殊なカッターも買った。 
これもピンきりで、高いものもあれば安いものもある趣味性の品物なので、無理して3000円の
を求めた。もっと高価なのは数万円もしていた。灰皿も買った。珍しい形の陶器。
アルカポネか、チャーチル首相か?? ジェームスボンドも吸っていたかなぁ?吉田茂首相も葉巻
をくわえた図が似合ったなぁ。私などは足元にも及ばないのはわかってはいるのだが。

今日、相模原市まで行く用があり、その街の商店街の中ほどに、ステキな喫煙具の店がある。
其処はありとあらゆる喫煙具が揃っている。パイプなどはまるで芸術品である。10何万円とい
うのもある。店主はまだ40歳ぐらいだが、なかなか喫煙に関して造詣が深く、講釈を垂れてもら
った。教えてもらった。しかし、奥が深い道のようで、『喫煙道』と呼ぶべきだと思う。自分で会
得しなければにならない道であろう。パイプなどはまるで芸術品である。10何万円というのもあ
る。
私は若い頃からなんどもタバコに挑戦したが、いわゆる身につかなかった。習慣性にならなか
った。紙巻・パイプ・キセル・はては水パイプまで買ったが、後が続かなかった。続いてタバコを
吸いたいとは思わなかった。ニコチン中毒の入口にも、たどりつけなかった。といって、喫煙者
をとがめる気持ちもない。只、家族のいる部屋では「吸うな!!」と、41歳の息子を、たびたび叱
る。息子も私のいる前では遠慮して庭で吸っているが、ちょっと油断をすると、雨の夜などは小
学生や中学生の子どもの前でも吸う姿を見る。顧客様はみんな女性であるが、女性で吸う人
は三人いる。拒否はできない。副流煙害も叫ばれている今日、タバコなどは非文化人だと思
う。世間様に会わせる顔がない。
しかし、いつか喫煙者もそうでなくても、みんないつかは死ぬ。
私は叫ぼう。大声で。「もう、古希になるんだぁぞぅ!! タバコを吸って なにが悪い!!」と。
そして庭に出て椅子にすわり、草花を見ながらコーヒーを片手に、葉巻をくゆらし、朝の時間を
過ごそう。と、大決心をした。まだカミサンには報告はしていないが。
明日、カミサンは言うだろう。「ね、どうしたの?? オトウサン、気でも狂ったの?? 暑いせいネ」
と。


2012/7/22 桃栗三年 柿八年
「桃栗三年 柿八年 柚子の大バカ十八年」植えてから実のるまでのことは、周知の通り。

ところが、我ら夫婦にはこの三年・八年・十八年の数値は「妻が夫の身内を苦労して世話をし
た」VS「いや、俺だって大変だったんだよ」を、口には出さぬが暗に秘めている『長さ自慢』を表
しているものである。

今、再度 電卓で計算してみた。
亡父は故郷・丹後から逗子の新築の家に呼んで『三年』後に亡くなった。(86歳)
亡母は76歳から90歳までの間だから『十四年』だが、最近はカミサンは、友人たちに15年間と
か16年間とか言っているのを耳にした。鯖をよんだいる。まっ、いいけどネ。
一昨年から施設に入所している独身の姉は『二十八年』同居をした。この数字は正確。(89歳)
大腿骨を骨折して、車椅子生活。認知症も数値が5になったので、致し方なし。

ここで合計を出しても意味はないのだが、45年間という数字になる。

さて、閑話休題。
昨日、相模原市まで行った。恒例の「相模原詣で」である。
半年に一回、義妹(当然、カミサンの妹)(60歳)を検査に連れて行ったのである。半年に一回行
く。光陰矢のごとしとはよく言ったもので、まぁ、半年は実に早いというか、短い。私は、この義
妹の「半年間」を過ぎ行く単位・バロメーターとみている。このあいだ行ったばかりと思うが、あ
れは寒い一月だったのだ。そして次回は来年の1月21日の予約日も決まった。
腎臓が悪いという持病があるらしい。家系的DNAらしく、母方の親や、実の妹は腎臓の片方を
摘出した。(それでも元気で暮らしているが)
昨日の医師の所見では「今よりも良くはならないが、手術などしたら最悪の状態にも なりうる
が、いまのところ心配はない」とのことで、むやみに切らないほうがいいという。

この言葉を聴くだけに、20年間も半年に一度、猛暑の中と厳寒の中を、一日がかりで病院に
連れて行っているのだぁ!!!!!!
某・病のために35年間 入院をしている義妹。35年間、入院費を払っている。金額は月に4万
円から5万円。そしてお小遣いが3万円。ホテルのような冷暖房のある私立病院。毎月、支払に
行くには時間と高速道路料金とガソリン代もかかる。カミサンが一度 自分で行ったとき「貰い
交通事故」をやってしまった。
以後、ワタシは もう 行かない!!! オトウサンが行ってぇ!!1」となった。(ちなみに、事故は無・任
意保険男で泣き寝入り・28万円の修理費がかかった)
一昨年から、netで振り込むことを無理矢理 病院に認めさせた。

しかるに、されど、我がカミサンの態度はデカイ!!!! ぜーんぜん、しおらしい態度などは薬にほ
どもない。
義妹を病院に迎えに行き、九時から午後一時までかかり、昼飯を食べさせ(私たちも当然食べ
るが)また 病院まで送って行ったのだぁ!!!!

今日はこれから次女宅と長女宅と長女の舅姑宅にスイカを届けに行く。そして東京・聖母病院
看護婦長だった姉(修道女)が、もう 余命いくばくもないので見舞いに行く。
当然、カミサンも付き合ってくれる。夫婦だから仕方がない。



2012/7/22 スイカの話
『両脇に スイカかかえて 叶姉妹』
ウーン、ちゃんと季語も入っている。これは完全な俳句といえる。悪くないではないか。

今日はスイカを配って歩いた。「歩いた」は、昔の表記であって、ほんとうは車で廻った。
昨日、三浦市の知人の農家へ行き、10個求めてきた。毎年の恒例になっている。カミサンの生
徒さん(83歳)の実家が三浦市の農家なので、初夏にも春キャベツを沢山貰った。半端な数で
はない。一度に30個40個と持ち込んでくる。生産していないと農地とみなされない為、収穫しな
いまま、ブルトーザーでキャベツや野菜を踏み潰してしまうというから、勿体無い。農地と宅地
では税率は100倍違う。農協に出荷しても安いから、豊かな農家は金の収入にはこだわらない
らしい。
30個40個のキャベツもカボチャも、他のちりめん教室の生徒さんたちが喜んで持って帰る。近
所にも配る。娘たちの家まではキャベツなどは届けない。軽費がかかる。来たときは、持ち帰
らせるが。
スイカは、一本の苗にたった一つだけ実らせた『紅まくら』という品種。新種。ラクビー・ボール
の形で、たいへん大きいが、冷蔵庫の棚に入ることを考慮してラクビー型を開発。一本の苗か
ら、たくさん実をつけたスイカは味が落ちる。(貧乏人の子沢山???)
そして、スイカは早い時期の一番スイカに限る。八月に入ると本当のおいしいスイカはなくな
る。
一個 1400円也。
三浦市の農協直売店(すかなごっそ では 同日の価格で2000円だった)
東京では3000円以下のスイカは小さいらしい。田園調布からの生徒さんも10個 持ち帰った。

「うらなり」という語彙があるが、私の推量で間違っているかも知れないが、裏盆会以後の農産
物のことを言うのではなかろうか?? 語源は、八月十五日以後の、瓜やキュウリやスイカのこと
ではなかろうか?? 国語辞典で見ると、元気のない顔色の悪い人のこととあるが。(夏目漱石の
ぼっちゃんに、マドンナと婚約関係にあったのに、マドンナを赤シャツに取られた男がいた)

カミサンは「ここでも京都??」という近畿北部・久美浜(現・京丹後市)の、れっきとした農家出身
なので、農産物について語らせたら、とどまるところを知らない。田畑は三万坪有している。亡
父は農協組合に勤務。   (今は誰も耕作していない荒地)  

 日本書紀にも近隣の地名の記述が残っているとかで、「私の先祖は、もしかしたら朝鮮半島
から渡来したかもしれない。だから、韓流ドラマが好き。血が騒ぐ。絶対に、邪馬台国は北近
畿だと思う」延々と続く。古墳はたくさんたくさん在る。近年、田畑を耕地整理したとき、黄金の
刀も出土した。 
私の父親の実家は福井県の水飲み百姓だったので、カミサンがそうゆう話に入ると、私は沈
黙。ひたすら拝聴しなければならない。一言、反論などをしようものなら、七代八代前に溯った
ところから聞かせられる破目になる。(講釈師 さも見てきたように 話すなり)

まぁ、そんな訳で、スイカにも詳しい。土地の土質についても、「丹後が日本一」と、信じて疑わ
ない。三人の娘たちも息子も、鼻息の荒くなった母親の前に、これをさえぎることができない。
嫁などは大阪吹田の町の人間なので、蛇すら、カエルすら見たことがない。全員がうつむいて
聞く。

二軒の娘たち宅と長女の夫の両親宅と、茶道の師匠や友人たちの家に無理矢理スイカを置
いてきた。次女は昔からメロンやスイカを好まないが、夫は大好きという。
長女宅にも水羊羹や野菜などを置いてきたが、長女は「財布に、あと小銭の一円玉がいくつか
有るだけ」と、情けないことを言っていたが私は聞こえないふりをしていた。25日の給料日まで
スイカで食い繋いでガンバレ!!!



2012/7/23 オリンピックがやってくる
ロンドン・オリンピック開催まで、あと四日。日章旗を掲げること、金メダルを何個取れるか、大
いに盛り上がっている最中、水をさすのは日本中で臍曲がりの私ぐらいか。

高校生のとき、体育の授業でオリンピック(OP)の歴史を学んだ。
OPが開催されるごとに、ときどきあのときの講義の内容を思い出す。教師のあだ名はゴリラ。
石川先生が本名。どこかの学校から流れてきたのだろう、定年も過ぎた初老の先生であった
が、日本体育協会(連盟?)の理事か役員でもあったようで、その世界では力のある人だと聞い
た。悪ガキの男子生徒たちも体育の教師には一目をおく。黒縁のメガネの奥からギョロと睨ま
れると、こわかった。
古代アテネOPから、近代OPまで、ずっーと長いOPの競技内容を講義した。雨のときだけ。
本当は、そんな教室内の授業よりも、グランドでサッカーやソフトボールやバスケやバレーボー
ルを私はやりたかった。しかし、後年、OP開催ごとにあのときの授業が役にたった。つまり、カ
ミサンはそうゆう授業は受けていなかった。(カミサンも中学高校は女子校で、くしくも『暁星』と
いう名称のミッションスクールだった。やはり、寄宿生だった。女子校ではあまりスポーツ振興
は熱心ではない)。ゆえに、 我がカミサンは、OPについて、まるで知らない。なににでも口を出
し、途中 その話題をかっさらってしまうカミサンであるが、OPの歴史的話題だけは私の独断
場になる。その点では石川先生には感謝している。
戦前のベルリン大会のときには、こうゆう名勝負があった。名選手がいた。ヒットラーが国威発
揚のために国力を注いだとか、「前畑ガンバレ!!前畑ガンバレ!!」の声援のときは、ゴリラこと石
川先生は自分が泳いでいるような興奮だった。それぞれの大会の花の場面を解説した。教養
になった。
私は競技することは大好き。寮の生活では先輩たちのお陰で、どのスポーツもまぁまぁ ほど
ほどには上手くなる。専門に部活に入った生徒にはかなわないが、一般の生徒たちよりかは
上手くなる。特にサッカーなどは得意だった。しかし、私自身の心中では、趣味程度のスポーツ
は好ましいが、プロを憧れてスポーツ馬鹿になるおそれを説いた。ほどほどにするように、子ど
もたちにも孫にも口に出して告げてきた。

カミサンの妹の息子がそうだった。
田舎では4番バッター、ピッチャー、キャプテンで高校野球生活は楽しかっただろう。しかし、甲
子園は遠かった。学業はそっちのけ。我が家に数日宿泊し、受験した大学はすべてパー。で、
大阪の情報学科専門学校へ入ったが、専門学校といえども「ついていけなかったか?都会の紅
灯に目がくらんだか?」 某日、片道切符片手に我が家に転がり込んできたのが16年前の八月
夏のある日。「学校は文化祭で休校デス」の言葉を疑いもせず、昼寝の日々。夜はビールを出
してやれば遠慮なく?み、そして深夜までガンガン音響のレゲエ。10月に入り、「ちょっと、どう考
えても変じゃないの? 親に電話してみろよ」と私にうながされ、こうゆう面では悠々としているカミ
サンがようやく妹宅に電話を入れたら「まぁ、おネエチャンの所にいたのぅ!!!!すぐに迎えに行き
ます!!!」と、義弟義妹そろって翌日、福知山から飛んで来た。聞けば、送金してもらった授業料
もアパート代も遊興に使い込み、家主さんからはドアの鍵も取り替えられ、部屋の荷物も持ち
出せず、尾羽打ち枯らして関東の葉山まで大阪からやってきたというのが、経緯であった。携
帯電話料金も切れ、通信は途絶えていた。(いま思い出したが、数ヶ月の食費は貰ってない)
もう、35歳にもなるが、どんな職に就いているやら、独り身で独居。田舎のこととて、大きな家を
建て、嫁と孫たちとの同居生活を夢見て、父親は公務員生活で頑張ってきたのに。半農・半公
務員生活が田舎では理想とされている。ちなみに、義弟の姉さんは女校長まで行った。ゆえ
に、義妹の肩身は狭い。以来、義妹宅に電話の用件があっても、その長男の消息は聞くこと
ができない。
が、意地悪い私は「亮平はどうしている?聞いてみろよ。心配していると」 電話の傍でカミサン
に聞こえよがしにつぶやく。激怒するカミサン。    「もう あしたからご飯 つくらない」と。
OPもほどほどに。金メダルは金にならない。




2012/7/23 世にも不思議な習慣
今日から少し暑さが、ぶり返した。昨日までの四日間は寒いようだった。東日本の海沿いは内
陸部よりも はるかに涼しい。私の住む三浦半島は海に突き出ているから、風の通りも好いの
ではなかろうか。フェーン現象もない。

私は30歳で独立開業して、月の初めの一日には、かならず京都に日帰りで行った。36年間続
けて通った。一度も休まなかった。
最初の頃は前日の夜の寝台車で行った。朝6時ごろ、京都に到着する。
少し余裕ができたころ、新幹線を利用した。夕方の四時頃には帰りの電車に飛び乗った。
深夜バスも使った。低料金が魅力。

七月八月は暑かった。凌ぎがたい京都の暑さ。
まだクーラーやエアコンもなかった京都には面白い習慣があった。

「丸商染工芸」という名前の卸問屋は某・家の二階の部屋三つを間借りして店舗として営業し
ていた。小売業でないから、不思議なことではない。問屋が集まる室町は土地の値段が高い。
私よりも10歳ぐらい年長の、兄と弟が商売をしていたが、兄貴の方はあまり真面目に仕事をし
ないという、その店を紹介者してくれた人の内緒の話であった。また、その兄弟の母親がいつ
も店舗に出ていた。つまり、兄弟の父親の妻(未亡人)であった。この婆さんが、きれいな京都
弁でよく喋った。そして独立したての私を励まし、応援してくれた。今 思えば、我が家のカミサ
ンの頃の年齢ではなかっただろうか。30歳の私には、かなりの老婆に思えたが。

その面白い習慣・驚いた習慣とは、人前でズボンを脱いでステテコ姿になることだった。
弟の方が私に言った。「嵯峨美屋さん、どうぞどうぞ 遠慮しはらんと ズボン お脱ぎやっし
ゃ。おズボン シワになりまっせ。暑いでっから、脱いで くだはりませ」などと言う。
えっ!!!人前でズボンを脱ぐのかぁ?? かっこ悪う・・・

京都の真夏は暑い。繰り返していうが暑い。誰がなんといおうと暑い。

それで、上の姿はというと、Yシャツにネクタイでなければならない。
あの頃、「ホンコン・シャツ」というのを男性は着ていた。半袖の袖口の上を少しカットしてあっ
て、東レやテイジンなどの大手繊維会社が大いに売ったシャツである。ちなみに、それ以前の
夏のシャツは「開襟シャツ」(かいきん)と呼ばれるもので、古い白黒映画で刑事というとかなら
ず着ているあの白い古い姿であった。スーツの上に衿を広げている姿は、スーツの衿を汚れ
から守る為。
ネクタイを締めていれば下はステテコでも堂々と商取引であろうとできるという不思議な暑い地
域の習慣を、私は30歳のとき初めて知った。東京では、そんなことはしない。人前でやったら、
笑われる。
但し、真っ白の、洗濯したてのきれいな縮み布のステテコでなければならない。
少々年配の、70歳前後の男性はその姿で室町筋といわれる問屋街をあるいていた。片手に
集金カバンを提げて。パナマの帽子を被って。腹には毛糸の腹巻をして。(植木 等のスタイ
ル)
先日、私はこの歳になって、初めて白のステテコを卒業した。大きなチェック(格子柄)の、七部
丈の「ズボン下」(ステテコ)を四枚買った。「若々しいだろぅ??」と、カミサンに問うたら、黙ったま
ま。
ショートパンツよりも長い丈だ。他所で脱ぐことはないが、白のステテコ姿よりも好いと思ってい
る。

あの、京都の丸商染工芸は、その後 倒産。京都の暑さだけは、ますます増しているだろう。




2012/7/19 歌舞伎・襲名披露公演
襲名は人生に於いて、なんどもあるものではない。「古典芸能や伝統的な特殊技術を要する職
業で、先祖、父兄、師匠その他先人の名跡を継ぐこと」とある。
このたび香川照之改め市川中車さんと市川亀治朗改め猿之助さんがめでたく大名跡を継が
れた。
そして周知のとおり、中車さんの息子さんの團子ちゃんも初舞台。
我が家の家内と女児孫が昆虫教室に入会しているので、昆虫界的表現でいうならば「脱皮」で
あるとも思う。サナギが揚羽蝶になり大空に飛翔した。更に大きく飛躍する二ヶ月間興行は決
意の表れである。

テレビで観るのとは違って、生の襲名口上は落涙するほど心に沁みる。そしてまたこれほど楽
しいものはない。笑わせてもくれる。今回は市川宗家の團十郎さんが口火を切り、先の三人を
紹介し、「いずれの方々さまや、ご贔屓様にお引き立てのほど、おん願いたてまつりまする
ぅ・・・」と。

海老蔵さんの口上もよかった。かつての件の禊(みそぎ)も終わったようで、一皮も二皮も剥け
たか、観客はあたたかい声援を大きな拍手であらわした。親子でこれほど恵まれた天与の才
を有している役者も少ないだろう。

猿之助さんが叔父?伯父?の猿翁さんの名跡を継ぐことは、私には複雑な想いがした。途中か
らの歌舞伎界入りをした息子さんに譲らずに、甥にタスキを託したことは賢明であったと思う。
やはり猿之助さんの方が歌舞伎の道では先輩である。安達ゲ原の鬼女を演じた踊りはすばら
しかった。

口上の後、30分間の幕間があり、その間に中車さんの楽屋に招待された。
結婚生活41年で、口と腹では断層(ズレ)がある家内のことを私は好く理解している。「べつに、
行きたくないワ」のセリフは「團子ちゃんがかわいらしくて。よくお声も通って。ハキハキしていら
して、すばらしかったですわ」と、しらっとした顔で中車さんと会話していた。
記念の撮影にも快く応じてくれた。楽屋のスタッフが私たち三組の夫婦のカメラや携帯やスマ
ートフォンのシャッターを押してくれた。ついでにいうと、「オトウサン、カメラなんて持っていっち
ゃあダメよ!!! 先日のペギー葉山さんのコンサートのときも、廊下でカメラを写していた人がスタ
ッフに注意されていたわ! 」「オトウサン、ご祝儀なんて よしなさいよ!! お包みする単位が違う
わよ!!! ウチの千恵(末の娘の名前)が日本舞踊の舞台に出ていた頃でも、ご祝儀の金額は半
端じゃなかったわよ。そんなはした金では恥ずかしいわよ!!」と。しかし、結婚以来、すべてにカ
ミサンの反対論に逆らって成功を収めてきた私は黙ってカメラも持ち込んだ。そして、楽屋では
会見終了まぢかに、そっと祝儀袋を手渡した。貧者の一灯という言葉もあるではないか。「ほん
の気持ちです」と、言って。考えてみれば、疲れている最中、また これから三演目があるの
に、学校の同窓生ですというだけの関係で、ぞろぞろ押しかけて、誰もお祝いお祝儀を出さな
いのは、??と思い、ほんの気持ちだけお渡ししたのだ。

猿翁さんは無事に息子さんとお孫さんが歌舞伎界入りを周囲に認めてもらえて、これほどうれ
しいことはないだろう。石川五右衛門(市川海老蔵)が南禅寺の山門の上で演じた様子は、正
に歌舞伎の華であった。圧巻であった。華麗の一語に尽きる。このシーンの写真が欲しかった
が、購入しそこなった。
カァちゃん、ごめんね。あのときの事は」と、猿翁さん。 浜木綿子さんは偉かった。
女は強い!!ウチのカミサンも強い!! 「暑かったら行かない・車でないと行かない・電車はイヤ」
と、いろいろ言っていたが、「今日は楽しかったわ、また行ってもいいわよ・着物でも全然暑くな
かったわ」と。そして最後に、なんと和服姿の多かったことか!!!!!!! さすが花のお江戸である。
100人までは数えた。絽や紗の着物姿の女性たちが。この七月半ばなのに、驚き かつ うれ
しかった。
ついでながら、
元・総理の小泉さんが二列前にいらした。独り寂しく鎮座。終演後、ミーハーのオバサンたちに
混じって私も握手してもらった。いまでも大人気の小泉さん!!!!!!
「息子さんの新次郎さんのこと、応援しています。私、横須賀衣笠の住民です」と、言いながら。
しかし、横須賀・衣笠に住んでいたのは新婚時代40年前。今は選挙区が異なる葉山町の住民
だ。彼はニコニコしながら「もう 古希ですかぁ。古希なんてイヤだねえ」と。
小泉さんの髪の毛はかっこいい。しかも、トップは丹頂鶴ではない。私はハゲ鷲にだんだん似
てきた。くやしい。そして、お内裏様の顔だ。役者顔でもある。それにしても、そんないい男がな
んで離婚したのか?? 
それは私が元・総理に伝授してあげたい。「負けるが勝ち」と、ぶつぶつと呟き、「アンタが大
将!!」と、奥さんの前では言っておけばよかったのだ。



2012/7/14 イジメ問題と夫婦の関係
また イジメ問題が起こった。滋賀県大津市。
今朝のNHKに「尾木ママ」こと教育評論家・尾木直樹さんは「イジメをしない子や生徒をつくるべ
きだ。教育するべきだ」と、評論していたが、それは理想であり、難しいことだと思う。
犯罪の無い社会・戦争の無い平和な世界を目指したいが『浜の真砂は尽きるとも 世に盗人
の種は尽きまじ」の言葉がある。石川五右衛門の辞世の句であるとか。
こうゆう事件の後、少年法の下、加害者の人権を護るとかで、被害者の方ばかり報道は追っ
かけているような気がする。加害者たちは地元では明らかになっているのだろうが、死んだ子
の親は耐え切れない想いだろう。

昨晩、嫁いだ長女の二人の男児孫たちが我が家に来て、夕飯を共にしたが、私は口には出さ
ないが、以前から、上の男の子(小四生)は、イジメられることもあるのではないかと危惧してい
る。
No,1 身体が小さい。
No,2 気真面目だ。
なんとなく気になっている。なにもなくて卒業まで行けばよいが。
内孫・女児は心配ない。
A 身体も大きい。
  B 態度が堂々としている。
   C 成績が抜群に良い。
おそらく、男の子たちにからかわれても、無視する。無視する態度に威圧感がある。
軽々しく、弁解や反論はしないだろう。黙って うっちゃる(相撲の手)だろう。
外孫は空手も練習しているが、まだ間に合うものではない。
内孫・中二男児は、空手はかなり高段になったから、まったく心配ない。「キミが相手を殴った
らたいへんなことになるから、相手になるなよ。身をカワスだけで、早く逃げるように」と、常々
注意している。
ありがたいことに、女児孫のクラスは、まったくイジメ問題はないようだ。担任教師が良いのだ
ろう。

学校にも社会にも会社にも、イジメはあると思う。何処にでも、形は変わってもあるだろう。
私立校はあまり無い。加害者は罰せられ、退校を命じられる。
教師側が隠蔽したことも立場上 わかるが、担任教師をはじめ、こうなっては責任者たちは弾
劾されるだろう。
加害者たちも、少年院に送られ、更正するどころかますます心を歪めてしまうのではないか心
配。

私も郷里の学校時代、凶暴な同級生がいた経験がある。一度 昼飯のパンを取られたことが
ある。悔し涙が出た。喧嘩したら勝ったと思うが、その子の親父が刑務所の(典獄)刑務官で、
顔は見るも恐ろしい顔。また その子の姉が有名な凶暴女であった。そして、すぐに噛み付い
た。その後、仲良くなった。その子は社会に出てから手の指を工場(?)で作業中、四本か三本 
切り落とすという境遇になっていた。縁が切れたから幸いである。
後年、同期会があり、その子も出席して顔を見たが、当然 私は無視した。

イジメた子に厳罰を与えても、あとからあとから蛆虫の如く出てくるだろう。

夫婦関係でも、ウチのカミサンほど強気でいれば、イジメるなんて思いもよらない。昔のテレビ
ドラマのように、よよと泣く姿を見てみたい。今は韓国ドラマの影響で、女も強い。ヘタなことを
男が言ったら、食ってかかられる。そういえばカミサンも韓流が好き。ニンニクは食わせないほ
うがよい。女優・新珠三千代さんが懐かしい。白黒テレビの時代の『献身』の「小畑絹代さん」
が良かった。
そうだ!!! あんな女性と結婚したかったのだ!!! 今頃 気がついた!!!! もう 古希である。



2012/7/19 虫とのバトル
夏は闘いである。なにと闘っているかというと、ムカデである。ゴキブリやゲジなどは序の口。
ゴキブリはいない。ゲジの姿も見ない。たぶん、夜間に飼い猫が退治してくれているのだろう
か。

ムカデはどうやって部屋に入ってくるのか!!!!  今、私はドアを閉めて、エアコンをドライだけに
して、仕事をしていた。と、肩山が、むずむずする。ごそごそする。ほんの一瞬。肩を少し斜め
にして、パッと手で払ったら、なんとムカデがフローリングに落下!!!!
モバイル・パソコンのソフトケースの角でムカデをつぶした。やっつけた。この間、約2秒!!!
うろたえていたら逃げられてしまう。
テッシュ紙を数枚 手にして、死んだムカデを包み、ゴミ箱へ。この間、約3秒!!!

先日の連休の月曜日も。
次女と次女の婿殿が来た。なにしに来たかというと、通販で買った安い・おいしいサーロインス
テーキを食べにきたのだが、床を何気なく見るとムカデが歩いていた。
私は、瞬間 周りを見たが何も無い。「ごめん、ちょっと!!!!」 と、言いながら婿殿の履いていたス
リッパを無理矢理取り、奪い取り、バシッ バシッと数回ムカデを叩いた。ムカデは死んだ。死
んだムカデを紙で包み、外で火をつけた。焼き殺しである。

次女夫婦は結婚して三年ほど経っていたからよかった。これが新婚だったらどうだろう??? 
変な親父!!!!と、愛想をつかされていること必至である。

また、新婚の息子の嫁が来たときだったら、どうだろう????
嫁だったら「実家に帰らせてもらいます!!!」と、柳眉を逆立てて・・・・・こわい。ムカデも嫁も。

庭に撒くためのムカデ退治のための粉クスリも買って用意してあるのに暑いから、やっていな
い。

山が隣だから、仕方がない。が、蛇はまったく出てこない。蚊もいない。ハエは見たこともない。

庭に昔、アヒルを飼っていたことがある。三匹も。鶏も三羽 飼っていた。放し飼いしていると、
アヒルや鶏はムカデを退治してくれる。彼らは一日中、何やら ついばんでいる。ミミズやダン
ゴ虫などを食べている。
庭には山からの清水も湧いて出ているから、もう一度 飼ってみたいが、カミサンをどうやって
口説き落とすか?? まぁ、実現しないだろう。昔は、私にも権威があったが今はまったく無い。



2012/7/18 安藤さんのこと
すごい人がいるものだと感心した。今、101歳の安藤久蔵さんのことである。耳も達者・目も良
い・ボケてなぞ、さらさらない。足腰は毎日、自転車で三時間から四時間 配達しているという
から健康であるということが証明される。社員は当然 車で走り回っているが安藤さんは自転
車。
(交通安全協会も、101歳の人の運転は自粛してもらいたいと思っているだろう)

安藤さんは、いってみれば平成の伊能忠敬である。安藤さんは50歳で息子さんに水産会社を
譲った。それからは、やりたいと思っていた趣味の登山を35年間、北海道から九州まであらゆ
る山に挑戦した。35年間といえば普通の勤め人の一生ぶんである。
そして85歳のとき、また会社を立ち上げた。
趣味の登山は国内だけにとどまらず外国まで遠征した。南米やヒマラヤやアフリカまで足を伸
ばした。キリマンジェロにも登った。マサイ族の人たちをポーターとして雇ったのが、現在のコー
ヒー豆の輸入・販売会社を創るきっかけとなった。
登山のときのポーターとして雇ったマサイ族の数人は泣いて安藤さんと別れを惜しんだという。
日本に連れていってくれ、日本で働きたいと言ったらしいが、その理由はコーヒー豆を農産物と
して作っているが、商社に買い叩かれ値段が安くて生活が苦しいと訴えた。コーヒー豆は投機
の対象としてリスキーな農産物だから豊作と不作の年があり、商社はいずれにしても売り買い
で利益を得るが、生産者のマサイ族の人たちは常にその下に甘んじていなければならない。
安藤さんは安定した価格で買い取り、日本の国内で販売することが途上国を支援することにな
ると会社を創る決心した。コーヒー豆についてはまったくの素人だった。苦労もあったが、なん
とか続けているという話を聴いた。

そして、結局 安藤さんがどうなったかは私は知らない。まだ、一日三時間から四時間 自転
車で走り回っているのだろう。

尻切れトンボのような話だと思われてもしかたがない。そのあと、私は寝てしまったのだ。
今朝のNHKラジオ深夜・午前四時五分からの『明日へのことば』の番組で聴きかじっただけの
ことである。

それにしても101歳で現役で働いているのだ。利益は度外視しているかもしれないが、社員が
いれば給与を捻出しなければならない。
85歳から起業するという気持ちがすごい。

私は「85歳くらいまで生きられたらいいなぁ」と思っていたが、計画を練り直す必要を感じた。

家内に、今朝 この話をしたら、珍しく賛成した。「そうよ!! やる気よ!! やる気さえあれば、なんと
かなるわよ!!」と。珍しいこともあるものだ。私が新しいことを提案すれば、95%は却下するカミサ
ンである。梅雨が早く明けたからかもしれない。

安藤久蔵さんをnetで検索してみた。たくさんたくさん出ている。戦争にも行き、無事 帰還し
た。慶応大卒。海難事故で二日間、漂流した。鋼(はがね)のような意志を有している人だと思
う。

netを読んで、自分はとても無理と思った。101歳は、絶対に無理。





2012/7/17 梅雨明けの第一日目
梅雨明けを待ちきれない様子の家内。
「オトウサン、梅の土用干しをするから手伝ってよ」と、朝飯前に私に告げた。我が家は朝飯前
の仕事が多い。私の朝の『やらねばならない仕事』は多い。
No,1 なにがなんでも『梅ちゃん先生』を観なければならない。
No,2週に三回の生ゴミと、燃えないゴミ出しの作業。
No,3シャワーと髭剃り。
そして、ようやく朝食となる。
今朝は、それらの前に梅の土用干しを手伝わされた。
今、梅雨明け宣言が出た。

空は抜けるほど青い。ハリウッドの空とはこんなものだろうか。そしてさわやか。
駐車場は西に面していて、母屋の陰になるから朝の中は暑くはない。

大きなプラスチックのバケツ3個に55kg。紫蘇の赤がきれいに染まった梅。重い。二人で運ぶ。
紫蘇の葉と梅を竹のザルに並べる。その光景を眺めている私。手は出さない。口も出さない。
口出ししても、手出ししても家内の意思には反するらしい。言われたことだけをやる。

ところで、昨日も一昨日も、全国的に暑かった様子。
午後からは仕事を終えて、なぁーんにもしないで階下の和室に寝転んでテレビを観ているだけ
だと、涼しいをとおり越して私は寒いくらいだった。
半ズボンと半袖ブラウスでいると、夕方ちかくなると足は冷たくなり、手の肘も冷たくなる。
「歳のせいよぅ。じっとしているからよ。一度 ベランダで洗濯物を干してみてごらんなさいよ」
と、家内は言うが、私はそんなことはしない。

歳のせいということはない。風が部屋をよく通るからである。和室の二面の床からのサッシの
窓を全開にすると風は中庭に抜ける。そして廊下からリビングの方へも流れる。途中、小窓が
二つあり、そこからも風は動いている。窓の外の緑のネットにはゴーヤの葉がいっぱい繁っ
た。ゴーヤの成長は早くて目を見張るものがある。風は流れないと涼しさを運んでくれない。

階下の和室の山側の『犬走り』と呼称されるコンクリートの上を、私は簡易ではあるが屋根を
架けた。
その透明のプラスチック波板の屋根の上に、山から葛(くず)の大きな葉や枝が伸びてきて繁っ
た。これを私は大いに気にいった。葉から木漏れ日と青空が見える。蔦(つた)や、蔓(つる)が、
ゆらゆら垂れている。自然の緑のカーテンである。

なあーんもしないで寝転んでいると、天国・極楽・ハスの うてな(台)の上に座しているようだ。

しかし、明日は仕事で横浜・栄区まで。着物の買取に。
19日は東京・新橋演舞場へ。
21日は義妹のことで相模原市まで。
22日は次女宅へ葦(よしず)の張替え・交換に。
25日は鎌倉市へ(青色申告会)
30日は平塚市まで、着物の買取に。

涼しい和室から出て、暑い中を仕事に行く。仕事も楽しい。なぁーにもしないのは、退屈。


2012/7/8タイトルのわからない古い白黒映画
映画鑑賞報告文や読書感想文も、頭がなくてシッポが無いこと、つまり途中から観て(読んで)
途中で止めたものを書くなどはありえないのであるが、それでも私は書こうと挑戦するのである
から、無謀であると自覚はしているものの、ともかく書けるだけ書いてみよう。

7/8日曜日の朝、午前6:50にテレビをつけた。「日本映画専門」BSの有料チャンネルである。
映画のタイトルも監督の名前も、主人公の名前すら思い出せない映画だからどうしようもない。
あまりにも古い映画である。画像は白黒。「ミサに遅れるわよー」と家内が怒鳴ったので途中で
ストップ。
主人公(若い女性)が入社希望の面接試験を受けているところから、私は映画を観はじめた。
入社した会社の名前は『女性の友』という。社の屋上からニコライ堂が近くに眺められた。これ
はどうあっても神田・お茶の水界隈の雑誌社『主婦の友』に間違いない。『主婦の友社』の揺籃
期の編集室が主な舞台であった。時代は戦後の混乱期がまだ落ち着いていない昭和20年代
半ばである。主人公の月給は7500円。
主人公は投稿されてきた一通の投書に感動するところから物語は開始。先輩たちは「若い女
のセンチメンタル感傷だ!! 投書の主人公にいちいち同情していたら、雑誌社も編集者としても
成り立たない。バカバカしいから取り合うな!!」と嗤う。しかし、編集長は「読者が面白いと判断
したら、読者の心を引き付けられたら、反響が強く出るものを書いたなら、成功である。ルポル
タージュを書いてみろ。挑戦してみろ」と告げた。
途中は長くなるから割愛するが、当時の東京の町並み・背景・衣服・駅舎・住宅などを見ること
が最近の私は楽しく思えるようになった。以前は、白黒の画像の映画は嫌だった。陳腐で時代
錯誤と思え、鑑賞の価値もないと思っていたが、加齢のせいばかりではなく、今回の映画も、
私の年齢よりもはるかに上の年代層の俳優たちが演じていて、すなわち、主人公の母親は
故・高峰三枝子さん、主人公の相手役の男性は二人登場するのであるが一人は故・根上 淳
さん(ペギー葉山さんのご主人)、あと一人の名前が思い出せないが、まだ時々テレビに出てい
る方である。
住居は高級住宅地の成城。成城の桜並木の街路樹はあのころから有ったのだ。そして成城で
も空き地がたくさんあった。街路灯はほとんど無くて、夜道は真っ暗。隔世の感あり。
渋谷の駅舎も、プラットホームの上の屋根や柱は木造。渋谷駅からの始発の小田急も二両連
結車両だ。改札口も木の柵。頭上の白い木製の案内板も懐かしい雰囲気。主人公はきれいな
山の手言葉を話す。これがよかった。母親役の高峰三枝子さんも若くてきれい。『三時のあな
た』」の司会者でテレビ出演したころよりも、ご子息が不祥事を二度も起こした頃よりも、当然な
がら若くて輝いていた。お歳は40歳の半ばであろうか。しかし、おかしいと思ったのは、雑誌社
に投稿してきた不幸な身の上の女性は(故・河内桃子さん)下町・佃島に住んでいて、町工場で
輸出用のブリキの玩具の小型自動車の組み立てをしているのだが、品格のある山の手・東京
弁で会話をしていた。あのころはアメリカへ玩具を輸出していた町工場が多かったはず。まだ
佃島大橋が開通していなくて、佃島へは渡し舟で渡った。主人公の名前は「有馬稲子さん」で
あった。『終わり』の字幕のあと、「銀幕のスターたち」という案内で、ようやく思い出した。「主婦
の友社」の石川さんは弊店の大切な顧客様だった。担当は私だった。ご長女様のご主人は衆
議院議員の与謝野薫さん。近くにはお茶の水大学・ロシア教会ニコライ堂・アテネ・フランセ・有
名な喫茶店ジロー、池坊華道短大などが目白押し。九段坂を上がれば母校の暁星や靖国神
社である。東京医科歯科大には次女が医学部研究室へ葉山から通学した。主婦の友ビルを
設計した疋田源次郎氏は私の逗子の最初の家も設計してくれた。社長さんの奥様の義弟とい
う関係で。しかし、大きなビルを建てた為に、また時代の変換のゆえに、ビルはピサの斜塔に
なり、とうとう91年の歴史に幕を下ろした。駿河台といえば大久保彦左衛門の屋敷があったら
しい。むろん江戸時代も初期の頃。みんなみんな眼下の神田川の流れに漂って消えるばか
り。大きな屋敷もビルも美人も、みんなみんな一時的な天からの預かりものである。ゆく川の流
れは絶えずしてもとの水にあらず。





2012/7/9 ドッコイショ
「オトウサン、スーパーまで行くのなら買ってきて欲しいものがあるんだけど」と、カミサンが昨
夕のこと。
しかし、ここには二つの間違いがある。
第一に、ワタシはアンタのオトウサンではない。夫ということになってはいるが、ついでに言わ
せてもらうと最近は権威の失墜を感じる。
そしてワタシはガソリンスタンドに行くが、スタンドはスーパーの近くではあるがスーパーに行く
予定はない。が、そんなことを反論したら、倍に返ってくるから「いいよ、なにを買うのよ?」と。
天ぷらの粉を買ってこいという。
「やっぱりこわいなぁ」と、小声でつぶやいた家内。

それには前科がある。先般、かなり前だが、カレーのルーを頼まれ、私が家内に手渡した物は
レトルトカレーの箱だった。同じ色の箱で、いつもと同じ模様のカレーだから、と確信して求めた
のだが。「まぎらわしい物を売るな!! そんなややこしい物をワタシに頼むな!!」と、怒れた。

昔、子どもたちに童話の読み聞かせを沢山沢山した時、「にっぽん昔ばなし」の中に、『どっこ
いしょ』という話があった。少し頭の弱い子どもが親にお団子を買ってくるように頼まれ、忘れな
いようにと、男の子は「オダンゴ オダンゴ オダンゴ」と、唱えながら歩いていたが、途中 小
川があり、小川を渡るとき思わず「ドッコイショ」と口にした。そのとたん、オダンゴは忘れて、お
店に入り、「ドッコイショを下さい」と、いうような話だったと記憶しているのだが、ワタシはドッコ
イショの話を思い出しながら、しっかりと天ぷらの粉の袋の色と模様を頭の中に入れて買った。

帰宅し、見せたとたんに「オトウサン、ウチの家族は何人だと思ってんのよぅ!!こんな小さな袋
で足りると思ってんの??」と、また難癖をつけられた。天ぷら粉は500gだった。けっこう大きい
が、これでは足りないのか・・・。 8人では。

ああーぁ、俺はドッコイショの男の子と同じだなぁと、自己嫌悪に落ちた日曜日の夕方だった。
天ぷらは野菜ばかり。海老・アジ・イカは無し。
まぁ、それでもおいしかった。埼玉県から贈っていただいたジャガイモも、早速 短冊に切って
揚げた。




2012/7/7 もうすぐ夏休み
梅雨明けもまもなく。あと二週間たらずで孫たちの夏休みがくる。二所帯家族で暮らしていて、
孫たちが二人もいると生活のスケジュールは孫たちが中心。爺ジ婆バはついでに生きている。
自分の子育てのときもそうであったが、夏休みには「自由研究」というのがあって、子供に何か
に取り組む姿勢を訓練づけなければならない。
三番目の子供ともなると学習のカリキュラムが親もわかるようになり、次に勉強する科目もわ
かる。
地図記号は一学期の後半に学習していたから、教科書を見ると、次は簡単な歴史の課題に入
ることが予測された。次女に「地図を作ろうか」と、誘い水をかけた。小学校四年生では自分で
何かに取り組むということは皆無だと思う。地図とはなんのこっちゃという顔つきであったが、
「鎌倉の地図を作ってみようよ」と、通学している鎌倉の中心街だけの地図を製作させてみよう
かと思った。
見本となる「鎌倉風土記」を見ると、お寺がやたらと多いことに気づいた。卍のマークが多い。
小学校の所在地は源氏の頼朝が開府した屋敷の跡地である。そして敷地のすぐ隣には頼朝
の墓が在る。学校を建設したとき、土器や武器がたくさん出土したという。今でも展示されてい
る。足利や新田義貞が北条を攻めたとき、鎌倉中の屋敷は大火になったであろう。跡形もなく
燃えたであろう。

『鎌倉五山』とは鎌倉に五つの山があることを意味しているのではなく、鎌倉に在る禅宗の寺
の格付けを現している言葉で、一位から五位まであり、建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄明
寺は超有名な寺で、私でも知っているぐらいだから、鎌倉には禅宗の寺がいちばん多いと、私
は誤解していた。鎌倉には日蓮宗のお寺がいちばん沢山あることを知った。そこで、次女と二
人で地図を作っているうちに、「鎌倉のお寺調べ地図」を作ろうと、少し地図の意味合い付けを
することにした。それぞれのお寺の宗派を色別に区別して色シールを張り、寺の開祖を書き込
むことにした。
ちなみに、杉本寺というのが鎌倉の寺ではいちばん古い古刹であるようで、天平6年(734年)
行基によって建てられたと伝承される。今では簡単に、こんなこともnetで調べることができるの
だが、当時は知識のない私と小学生ではどうにもわからないことが多かった。そこで、電話を
かけることにした。それぞれの寺に電話をして、お寺の宗派と開祖・お上人の名前を教えても
らうことにした。

現在、35歳にもなっている次女も当時は素直だった。「電話は若菜ちゃんが架けるんだよ」と私
が告げると「ウン、いいよ」と返事した。
今ならなんと言うか。「えっえっー!!! 冗談言わないでよぅ!!! なんでぇ、ワタシがするのよぅ!!」と。
閑話休題  七月の初旬、次女が地図を買いに、東京駅八重洲口の近くの地図専門店に行く
から付き合って欲しいと電話で要請があり、ほんとうは私は面倒で行きたくなかったが車を飛
ばして、東京まで行った。そして銀座アスターで共に食事をした。娘は地図が大好きで、地球儀
も欲しいらしいが、高いから今は買わないと言った。次女のショッピングは本当に慎重である。

ともかく、どこのお寺さんも親切な対応と返事と丁寧な回答をしてくれた。暑い最中、電話した。
次女と私とで、電話の草案を考えて作った。「ワタシは清泉小学校四年ナザレト組の小林若菜
といいます。夏休みの自由研究で鎌倉のお寺のことを調べています。・・・・・」と。
ちなみに各学年にはナザレト組とベトレヘム組とパレスチナ組という名称があった。アラブ諸国
から唾棄すべき憎い敵国と町の名前である。日本の学校にそんな名前の学校があることが知
れたら石油を売って貰えないだろう。

紙粘土を使ってベニヤ板の上に、立体的な地図を作った。地図の評価は良かったようだった。
「学校に永久保存します」と校長に告げられた。永久とは大袈裟だが、今でも保管されている
かもしれない。
しかし、孫たちにはワタシは一切 余計なことは言わない。お節介はしない。
子供たちには長いあいだ いろいろとやってきたものだ。夏休みがくると思い出す。





2012/6/26 知人・知己・親友・
次女が私に告げた。
「ねぇ、こんど ウチに友達を連れてきていい?泊まりだけどぅ」と。
いまさら問うほどのことはない。しょっちゅう泊まりの友人が来ているではないか。先日も大学
時代の友人が静岡県浜松から一泊していたではないか。次女の『一宿一飯の客人』は多い。
ところが、聞いてみるとその友人と言う人は、年齢が40歳で、二人の子持ちであるという。ま
た、葉山の海で知り合った人だという。(次女は29歳)
我が家の家内は『来る人 こばまず。去る人 追わず』の姿勢である。
家内の縮緬細工教室の生徒さんたちは50人とも60人ともいう現状である。もはや私は彼女
たちの名前を覚えきれていない。老若男女というが、さすがに男はいないが、日程も『月月火
水木金金』とくると戦時中の予科練航空隊の軍歌であるが、月曜日と日曜日を除いて毎日 他
人さまが我が家を訪れてくれる。その方たちが朝から夕方まで共に語らい、昼食を一緒に採
り、客用のトイレの便座を共にし、女の砦である一つの方のキッチンは剥き出しに曝し、さすが
に二階の部屋には上がることはないが、たくさんの女性たちの視線に我が家のあばら屋は耐
えている。
こうゆうことが嫌いな人もいるだろう。
しかし、家内の育った家庭はローカルな地で、なにかにつけて田舎は『寄り合い』というのがあ
る。過疎の地域では何事も住民の話し合いによって決定される。今でこそ行政の補助で町内
会館が建てられたが、昔は回り持ちで地区長の自宅に村人は集まった。しかも夜。夕飯や風
呂を使った後というから、九時ごろから話し合いは行われた。終了は午前一時二時。牛の涎
の如く、延々と話し合いが続く。
寺の檀家総代と神社の氏子総代を代々兼ねていた家内の家では頻繁に同じような集まりが家
庭内で行われた。寺の件に関しては町内会館は使用しない。また、村人は全員が同じ神社の
氏子であるが、寺の方の宗派は各自それぞれ自由であるから、同宗派の村人だけが家内の
家の集まりに参加した。また、寺の住職には聞かせられない事前の相談事もある。
それゆえ、家庭内に他人さまが集まるのは家内は慣れていた。そして、子どもの頃から寝床の
中で耳をそばだてて聞いていたという。大人の会話を聞きながら、村の慣習や不文律を学習し
ていく。その地域独特の規則のようなものが根付いている。規則破りするものへの村八分は生
きている。
たくさんの食事を作ることも家内は慣れていた。『正月 三日に、盆 二日、祭り 一日、彼岸 
半日』という言葉があった。それは休むことを指す。ローカルな地域では盆と正月にはその家
から嫁に出た女が夫や子どもたちを連れて「盆礼」と「正月礼」に行く。大切な行事である。彼
岸は墓の掃除も兼ねる。半年に一度の親戚たちの集まりに堂々と出られるように、日々の努
力が大切。恥ずべき事をした者は親戚の集まりに出られなくなる。慶事も弔事も一日で伝播す
る世界。田舎は『恥の文化』。「人に笑われないように」が口癖。それゆえ、正月や盆や彼岸の
日に働く者は嗤い者であった。働き過ぎても嗤われる。親戚の中でも目に余る者は一族の長
から除外された。

私は次女に「その人は、夫がいるのだろう?」と、尋ねた。沈黙したままの次女。
離婚した女性であるなら問題はないが、有夫の女性で、海で知り合っただけの人を、一泊させ
るのは如何か。「オカアサンに相談してみなさい」と、私は次女に告げた。卑弥呼のご託宣に任
せる。

先日、私の中学生時代からの同期生を二人 我が家に招待した。56年間の付き合いではあ
るが、ブランクの期間があるから、私は誰でも彼でもは我が家には招かない。しかし、原則的
にミッションスクールで互いに研鑽した間柄であるから大安心である。S君は明治時代から続
いたミッションスクール専門の制服屋。?む方はまったくの下戸だが、酔わなくても話はエスプリ
の効いた愉快で楽しい内容。何処の席でも自然とリーダーになっている。慶大経済卒。F君は
反対に酒仙の趣。今では神韻を漂わせている。元・電通マン。心置きなく楽しく交際するために
は日ごろの親睦も大切だと思う。年に一度の賀状だけではダメ。今はメールというものがある
ではないか。





2012/6/17生きたい人と自死する人
月に一度しか姉たちの見舞いに行けないが、今日は姉たち二人のセット見舞いに行って来
た。
セット見舞いとは、ついでにという意味ではない。二人ともお互い近くに住んでいるからという意
味だ。

「○○駅で人身事故がありました・・・・」と、ラジオ番組の途中に、先のような報道があれば、1
00%自死の報道である。昔はそのような人様に迷惑をかける死に方は稀であった。何年に一
度か、電車に飛び込む人もあることはあったが、近年は年間3万人を超す勢いである。10年
連続だそうだ。
20年ほど前は交通事故死が、3万人を超すこともあったが、安全ベルトやエアー・マットのお
陰で6千人余に減った。

果は、他人を巻き込んで死傷者を出すバカ者もいる。

政治が悪い結果であろうが、経済の悪化は世界中のことで、民主党内閣だけのせいではない
と私は思っている。原発もそうであるが、解決の糸口も見えない難問が多い。

生きたいと切望している患者が沢山いるのに。一回だけの人生なのに。

昨夜も家内の友人のお通夜であった。ご主人と四人の男の子(成人・既婚)が遺された。68
歳。病死。福岡県梁川まで月に一度の母親の見舞いに通っていた。母親は当然90歳過ぎ。
元気らしい。

私が見舞いに行く姉は79歳で胆嚢癌。修道女。元・東京・聖母病院の看護婦長。
先月、見舞ったときよりも、かなり悪化していた。肺にも転移して、肺に水が溜まり、息苦しそ
う。

修道院から車で5分のところに(施設内)89歳の姉は元気そのもの。顔つやも良い。爽やかに
ボケている。見舞ってもらったことを、うれしそうに、ご機嫌で、ニコニコして会話するが、とんち
んかんで60%しか会話にならない。なんどもなんども同じことを喋る。
白髪はトリートメントをしてもらっているのだろうか、きれいだった。90歳以上 生きるだろう。
車椅子生活。人々の晩年は皆がこんな形になるのだろうか?

昨日、神戸からやってきた姉80歳(修道女)と、家内と三人で行って来た。スイカ二個と、いつ
もフランスパンの食パンを二本 修道院に持参。

肺の息苦しいのは見ている方もつらい。




2012/6/14 機械音痴
電気屋さんが来たかなと思ったら、浄化槽掃除の車であった。

今日は玄関のチャイムの取りつけ工事の約束の日である。昨日は水曜日で、電気屋さんの定
休日だったから今日はかならず来てくれるはず。チャイムが鳴らないとやはり不便だ。

午前中 私は在宅だが、午後は横浜・戸塚区まで仕事の約束で行く予定だ。早く来ればよい
が。

いきなり また 「オトウサン、こんな電話 いらないわ!!」ときた。いわずと知れた我がカミサ
ンが。
「此の子機からは、電話がかけられないわ!」と言うのである。

そんなバカなと思ったが、私は黙って、その子機から私の携帯電話に送信してみた。
ちゃんと通じた。

「繋がるよ」と、いえば「此の部屋からが かからないのよ!」という。
ならばと、家内の「教室の部屋」から再度 携帯に送信したら、ちゃんと通じる。(昨日も通信 
可)

昔 「ああ言えば、上祐」という流行語があったが、某・宗教団体の広報役の上祐史浩氏は口
達者で、国民は口アングリとしていたが、我がカミサンも負けてはいない。

とにかく機械音痴なのである。しかるに、それを認めない。

たしかに、いまの電話や、特に携帯電話は機能が多い。
「黒い電話器を買ってきてよ」と言うのが、いつもの家内のセリフである。「あれはじょうぶで壊
れなかったわ」と言う。

昨日も、
私が最初に電話を外線から受信して、家内のほうの用件であれば家内の子機に転送するよう
にしているが、自分の子機の回線1番を押さなければ受信・会話ができない。そのリズムのよ
うな流れを習慣のようにマスターすれば良いのだが、我が家に電話のメーカー種類が三種類
もあるので、なにがなんやら迷ってしまうらしい。
それで結局、「こんな電話 捨ててきて」とか「黒い電話がいい」とか、言う始末。

Panasonic & Pioner & Sharp と、プッシュボタンの位置が異なり、カーソルの→意味
が異なっている。加えて自分の携帯電話でも四苦八苦している。
『再ダイヤル』や 外線からのナンバーを再確認したい場合のカーソルからの←なども電話器
によって異なっている。統一して欲しい。

口は達者で、手芸は先生ということであるが、機械は、カラキシ だめ女である。

3年4年前の姉がそうであった、などと言おうものなら烈火の如く怒るから言わないが、今89歳
の姉がストーブのスイッチと、温度調整のような簡単なことができなくなった。日本銀行勤務の
キャリア女性であったのに。姉は去年から、車椅子になって、施設でお世話になっている。
カミサンもあぶない!!!!????
さきほど、私の部屋のコピー機を「ようやく慣れたわ」と言い、ニコニコしながら、20枚も刷って
持って行った。先日まで、これにも悪態をついていたが。「拡大が出来ない」コピー機なんてと。
出来るはずでぇーすぅ。 自動車は不思議と運転できる。タイヤ交換は、むろん やったことが
ない。




2012/6/14 父の日?プレゼント
家内から「父の日」のプレゼントを貰った。だから今日は梅雨には珍しく快晴。もっとも私は夫
であって、あんなジャジャ馬のような娘を持った覚えはないが。

思い起こせば、家内から貰ったプレゼントは41年間でたった三個。いやいや、もちろん物心両
面から支えてくれたから、物品いじょうの筆舌には尽くせぬほどの恩恵は受けているが。
まぁ、それは夫婦であれば足らざるところを補うことは当たり前なので、お互い様。

こんなことを言葉に出して言えば、即 中東シリア並みの言葉爆弾の投げ合いになるは必至。
だから内緒で書いている。

結婚直後に手編みのマフラー。茶色と白の毛糸。(糸が太くて気にいらなかった)使用回数
「0」。
「カシミアのマフラーのほうが好きだ」と言ったら、タンスのどこかに『黙って』しまい込んでしまっ
た。
「黙って」というのが、懐かしい。今ならば、1000倍は言葉が返って来る。しかも、炎のような
激しい言葉が。
新婚直後、ネクタイを。紺色地に赤い斜め柄のストライプ。

以上3品。しかし、柄模様を記憶しているだけでも凄いではないか。それほど少なかったという
ことだが。

で、今回は何かというと、革張りの椅子であった。
南葉山と称される秋谷海岸畔にオシャレなマーローという名前のレストランが在って、レストラ
ンの前は以前は陛下の別邸が在った。海岸には大小の岩礁があり、特に夕日の美しい場所
である。

マーローのレストランの裏側に、西洋アンティークや和の骨董品が収集してあり、非売品もある
が販売もしている。みんなセンスが良い。ご主人の趣味が「病膏肓に入る」といったところであ
る。
椅子はオーダーした。半年前に注文してきのう完成してきた。

革張りだから良い品だとは思うが、椅子はたくさんは不要である。とは言えないし、私は正直に
言うとあまりうれしくはなかった。食卓の椅子も特製の私専用の椅子が既にあり、これは7万円
もした。
仕事用のパソコンの前に鎮座ましましている椅子は合皮椅子であるが、回転もでき・車も付い
ていて、背もたれ角度が自由に変化して、しかも安い。maid in Chaina。ホームセンターで
買った。

男児孫に「爺ジの古いほうの椅子を使ってくれない?」と相談したら、「今のでじゅうぶんです。
そんな大きな椅子はいらないです」との答え。小学校へ入学したとき、私が二人の孫に椅子と
机を買った。身体も、私よりも大きくなったから、代用をと考えたが即 断られた。

今、古いほうの椅子には猫が寝ている。
いつもいつもいつも、毎朝毎朝毎朝 私は猫と椅子取りゲームをしている。
朝、パソコンに座ろうとすると既に猫が椅子の上に寝ている。仕事の部屋は静かで、その椅子
は布団が敷いてあり、ゆっくり寝られて安心なのだろう。

猫は家から一歩も出ない。きれい。毛は真っ白と少々の黒毛のパンダ模様。食卓テーブルの
上に上がることも許されている。食卓の上の肉も魚も食べない。ペット餌のみ。

今、古いほうの椅子の上で、猫は丸くなって寝て、私は「夫の日プレゼント椅子」に座って、パソ
コン・キーボードを打っている。




2012/6/14 繁殖力 ヌートリア
今朝のテレビで、京都の鴨川でヌートリアなる動物が大発生しているという報道を知った。

その前に、
私は、風景がテレビで映し出されると、「あっ、○○だっ!!」と、その場所に見覚えがあるとい
う、一種の『風景記憶力』というものがあるような気がする。行ったこともない外国や国内の観
光地の風景などが、写真や映画やテレビ映像で繰り返し繰り返しなんども見せられていると、
頭に風景がインプットされてしまう。もちろん、すべてが判るわけではないが、かなりの確率で
当たることが「自分では」多いと思っている。特に、京都の鴨川は特徴があって、すぐ判る。な
つかしい。

ちょっと脱線したが、
ともかくネズミの一種であるというヌートリアが大繁殖をしていて、危惧されているらしい。しか
し、鴨川地域には田畑がないようで、今のところは甚大な被害はないというが、田の稲や野菜
が荒らされている地域も日本各地にはあるらしい。

ネズミの仲間といっても猫の大きさにまで生育しているヌートリアもいるらしい。9Kgにもなるら
しい。
天敵がいない環境が大繁殖の原因のようだ。そして、何処の地域でも餌付けする人々が出て
くる。
「ほんまは、餌をやったら、アカンのやけど、見たらついついかわいらしゅうて・・・」と、しゃべる
50歳代のオッサンがテレビの画面に出た。こうゆうオッサンやオバハンは何処にでも現れる。

ヌートリアは1年に三回も子どもを生むという。そして一回に平均5匹が生まれるという。仮に5
年間の一生だとすると75匹になる。正にネズミ算である。10年いきていると750匹か・・・

ちなみに、我ら夫婦も繁殖力は強いほうだった。ヌートリアには負けるが12年間に4人が生ま
れた。三年おきではない。
第一子と第二子の間は1年と少々の間隔であり、第三子とは5年の間が空き、第4子とは6年
の間があった。だんだんとペースダウンした。今おもえば、ヌートリアがうらやましい。育ってし
まえば子どもは多いほうが好い。

まわりを見ると、平均2人である。2人ぐらいの子育ては、あっという間に終ってしまう。私の友
人たちも、ほとんどが夫婦二人の生活だ。会話はあるのだろうか。

ヌートリア対策に苦慮するときが近々くると思う。
提案no,1  京都鴨川・川畔に市営のヌートリアレストランを造る。雇用対策になる。
         肉はたんぱく源になる。(動物愛護協会員には肉の内容は教えない)
提案no,2  動物愛護協会に、もしも発覚した場合、即 ヌートリアをシンボルマークに変更
する。
         そして、人口激少対策のシンボルマークに決定する。産科専門病院のポスター

         母子手帳のマークとする。
提案no,3  ヌートリア神社を造る。ヌートリアをご神体として、ヌートリア産土(うぶすな)神社

         ヌートリア子授け神社・水天宮(すいてんぐう)として名称し、お札や岩田帯に、ヌ

         トリアの漫画絵を描いて販売する。
今はこんなアイディアしか浮かばないが、京都府庁の役人たちは英知を絞ってほしい。

ローカル地域ではイノシシ・熊・鹿も頭痛の種。古くはアメリカザリガニ。ブルーギル、ブラックバ
ス、沖縄にはマングースもいる。我が家の庭のミカンは台湾リスに荒らされて困る。植物では
セイタカアワダチソウが有名だ。一時は花粉症の原因といわれたこともある。オシロイバナな
どはきれいだが、大きな声で「ヤンキーゴーホーム!!!」と言いたい。





2012/6/12 襲名披露公演
首都圏に住むものと、地方都市に住むものとの違いは今はほとんど無くなったというが、文化
や芸術に、たやすく触れることができるのが東京近郊に住んでいるものの特権であると、昔 
『暮らしの手帳』の中のエッセイで読んだことがある。
何処に住んでいても、その日のうちに、電光石火の如く、ニュースは知ることができる。
しかし、演劇や美術館に気軽に行くことは地方都市からはできない。宿泊費用や交通費がか
かる。

私の母校の同窓生、香川照之君は22期、市川亀治朗君は32期後輩である。
二人はこのたび めでたく市川中車、ならびに市川猿之助を襲名することになった。

テレビで報じられた香川照之君の言葉で、一番印象的であったのは「恩讐の彼方に」という語
彙であった。それは誰もが周知のとおり、父・市川猿翁との45年間もの隔絶を意味する。どれ
ほどの想いであったであろうか。
母・浜 木綿子への遠慮もあったであろう。だが、血肉を分けられた父親は、病に倒れ、いま 
老いさらばえている。罵倒することもできるであろう。しかし、母方の祖父・三代目市川段四郎
や母方の叔父・四代目段四郎などの名跡は重く、『澤瀉屋』を引き継ぐことは、同じくこのたび
襲名披露した わが子・五歳の市川團子の将来を思えば「堪えがたきを耐え、忍び難きを忍ん
で」こそ、花が咲くというものである。やはり彼は頭脳明晰である。感情的には走らなかった。

六月四日からの襲名披露公演の万感の想いがこもった挨拶。それは鬼気迫る襲名披露の口
上であったと、芸能メディアは好評で受け止めたようである。

浜 木綿子さんは宝塚でトップだった。優秀で勝気でもあったからこそ、我が子を東大・文学部
心理学科へ進学させた。

ともかく、めでたい。
母校の観劇同好会を通して、七月十九日 夜の部のチケットを申し込んだ。家内と二人ぶんだ
から、38,000円。新橋演舞場までの交通費は安い。3,600円弱。宿泊費は無し。だが、幕間の
弁当代が高い。

演目
一、『将軍江戸を去る』   市川宗家の團十郎・中車・海老蔵
二、口上 (市川猿之助・中車・團子)
三、『黒塚』          (市川猿之助・門之助・右近・團十郎)
四、『桜門五三桐』      (市川猿翁・海老蔵)


歌舞伎はなんといっても市川家である。しかし、松本幸四郎氏も一期上の同窓生であるから、
額が揚がれば観に行きたい。

余談ながら、人の噂も七十五日というが、海老さまはどうしているかな?? 
謹慎も解けて、舞台に復帰したようだ。めでたい!!





2012/5/29 電気料金値上げ対策
現代は答えの見えない難問が続出。各国の首脳や元首たちは苦悩している。世界経済の低
下はリーマンショックに始まり、ドルもユーロも下落。為に、ギリシャやスペインの国民たちは疲
弊しているらしい。リビアとイスラエルも一触即発の火種を抱え、石油や液化天然ガスの備蓄
量が少ない我が国は両国の穏便なることを祈るばかりである。
北朝鮮の三代目のお坊ちゃまクンは、このところちょっと静かな動静だが、また なにをしでか
すかわからない。
この夏の電力不足の件はどのように乗り切る計画だろうか??
マスメディアの報道はそのことに明け暮れしているが、解決の糸口が見つからない。多くの専
門家や知識人でさえ 青息吐息だから私など語る資格もないのだが、津波が来た東北地方で
は昔から「てんでんこに逃げろ!!」という言い伝えがあるという。その意味は、津波がきたら親も
子も兄弟も親戚も、一緒に仲良くに逃げましょうなどと言っている場合ではない。一刻でも早く、
自分の身は自分で守り、高い土地に逃げることが肝心だという先祖からの言い伝えだという。
てんでんことは、てんでばらばらという意味だという。
自分の頭の蝿は自分の手が頼りである。他人は追ってはくれない。

閑話休題
10年ほど前、オール電化にした。そのいきさつは以下の如くであった。
某日・夕方、見知らぬ男から電話があった。オール電化の勧誘電話であった。ビールの酔い
の中「明日でも来てくれ」と答えたらしい。次の朝、変な親父が玄関前に立っていた。東京・池
袋から車でやって来たという。仕方がないので居間に上がってもらい話を聞いた。「工事代金
70万円はキャンペーン中だから無料にする」と。詐欺のような話だが、三菱電機と、もう一社が
参入しての工事だというので契約した。工事の人は茨城県からやってきた。七人掛かりで二日
間かかった。風呂とキッチンが二箇所の工事であった。IHクッキングは火の熱が無い。キッチ
ンは涼しくなった。
五年後、エコキュートの大型外付け室外機の雑音が少々うるさく聞こえ出したので電話を入れ
たら、即日新品と交換してくれた。これだけで40万円するらしいが無料だと告げた。メンテナス
モ最高!!

ところが、地震・津波→高熱費高騰が到来するとは誰も予測はしなかった。我が家は50アンペ
アだから、電気料金は本日の報道によると13%値上げになるかもしれないという。冬季は月に3
万円を支払った。加えて灯油が200リットル。5月現在で電気代は24000円だった。ここから13%
の値上げでは、どうすれば良いのか???ガス管を撤去してオール電化にしたのに、またもや液
化天然ガスに頼らなければならない。
ガス屋さんは喜んでいた。「オール電化から戻ってくれるお客さまが増えましたよ」と。しかし、
液化天然ガスの備蓄量は一ヶ月分で、石油は半年分しかないという。

東京電力も政府も一般市民には補填保障はしてくれない。製造業者とは話し合い中だという。
屋根の太陽光パネル設置も前向きに検討しなくてはならない時代がきたようだ。自家発電設
備など、何処かの誰かのことと思っていたが、自分の家で使用する電気は己で生み出さなけ
ればならない時代がきたようだ。余剰電気を電力会社に売電できるは思わないほうが好いらし
い。
風車も地熱も海洋海流利用もかなり先のことになりそうだ。太陽熱が今のところ効率が良いら
しい。

最近は天候も昔とは様子が異なってきたようで、地震・津波・カミナリに竜巻が加わり親父が消
えた。
「晴天の霹靂」とか「一天にわかに かき曇り」など、文語体の頃の語彙が復活した気配だ。




2012/6/6 天体望遠鏡
ビールに酔っ払った勢いで「天体望遠鏡を買ってあげる」と、外孫に告げた。

四年生になった外孫男児の電話の会話が上手に敬語を使うので、急に大人びたと感心したこ
とと、先日の天体ショー・皆既日食で孫たちが大喜びしたと聞いたからである。

三ヶ月も前から日食メガネを買っておき、それがとても好く見えた。感激したというから、「ここ
はひとつ、本格的な天文学者が生まれる要素になるかもしれない???」と、サザエさんの磯野さ
んのような発想になった。

酔いが醒めてから、望遠鏡はかなり高値のものかと思い、ちょっぴり後悔した。

昔の顧客さまに、息子さんに望遠鏡を買い与えた人がいた。(30年も以前のこと)
ご主人は勤め人といっても、兄さんが経営する街の酒屋さんで手伝いをしている程度の人であ
ったが、本業は町の金融業者であった。親が資産家で男兄弟二人にかなりの財産を遺した。
彼はそれを元手に金貸しをやっていた。高利屋である。
亡くなった親も金貸しで財産を増やした人であった。酒屋は隠れ蓑であった。
それで豊かな生活をしていた。男の子と女の子の二人を小学校から私立にやり、男の子は結
局 歯科大に進学させた。家を売って、入学金を支払った。その結果、どうなったのか今は知
らない。

天体望遠鏡は、その当時 そのお宅の子ども部屋にあった。
私は天体望遠鏡を自分が買うなどと、その頃は考えもなかった。
また、ペットにカメレオンを飼っていた。カメレオンがどのくらい高いものか安いものか私は知ら
ないが、冬の温度調整の設備も必要であろうし、小学生のペットとしては贅沢なものだろうと思
う。子どもが買って欲しいといわれればなんでも与えたのだろう。

そんな思い出・記憶があったので、天体望遠鏡が幾らするのかも調べないで空約束したことを
後悔した。

ありがたいのはnetの金額である。そしてMaid in Chainaである。こうゆうときは中国もありがた
い。
天体観測星座版も付けて、一万円と少々であった。かなり立派に見える。

「高かったでしょう?? 」と、外孫の父親(婿)が言ったが私は値段は言わない。

我が家は東南に山が接近しているので望遠鏡は役に立たない。内孫には買わない。

内孫には私の中型デジカメを昆虫研究会に持参する道具用として「貸す」ことにした。
孫はすぐにマスターした。スマート・フォンもPCも操作できる。「検索」能力が凄い。

孫は昆虫研究会から貰ってきた揚羽蝶の幼虫をマクロ撮影していた。接写ができるカメラでな
いと昆虫研究には不適である。旅行用の小型カメラでは接写機能が無い。
 
ガリレオ・ガリレイが苦心して造ったであろう望遠鏡より性能能力のある望遠鏡が手頃な価格
で買える時代に生きていることに感謝したい。
そして、あまり贅沢でないかぎり、爺さん婆さんは孫の将来の為に役に立ちたいと思う。

宝くじに当たることと、どちらが確率が少ないだろうか??? 学者が生まれることと。




2012/6/6試験週間
明日から内孫男児・中二生の中間試験が始まるらしい。

可愛そうなほど、しごかれている。母親にしごかれている。
それにしても、まず母親を褒めてやりたい。よく面倒をみている。

いっちゃぁ悪いが、うちのカミサンもあれくらい子どもの勉強の面倒をみてやっていれば、もうち
ょっと成績が上がっていただろうと思うが、いま そんなことを言ったらカミサンに激怒されるか
ら言わない。しかし、事実だからしかたがない。言わないけど・・・・

「ワタシは嫁の倍 四人も子どもを産みましたァ!!! そして、オジイサン&オバアサンの面倒も14
年間 みさせていただきましたぁ!!!!! おまけに、お義姉さまの面倒もみさせていただきました
ぁ!!!
それも28年間も!!!!」と、いうセリフはなんべんも聞かされているので、カミサンと嫁の比較はぜ
ったいに出来ない。言ったらたいへんである。心の中で思っているだけ。

それにしても母子で頑張っている。
が、頑張っている割には それほど成績が良くない・・・・・らしい。これは愚息に似たのか、爺さ
んである私のDNAを受け継いだのか????

しかし、黙々とがんばっている。
勉強することを嫌がってはいない。文句も言わない。不平も言わない。悪態をつくような言動も
ない。
だから、かえってかわいそうな気がする。

通りすがりに「エライねぇ。ガンバレよぅ!!!」と、意味のない言葉をかけるだけ。

「みんな頑張ってきたんだよ。爺ジだって、パパだって、みんなやってきたことだから!!!」とは言
ったものの、本当はそれほど頑張った訳ではない。
頑張る方向は各自 異なる。ある方面では確かに頑張ったが、頭脳の差があるから仕方が無
い。

愚息は寝言のように「公務員になれ!!! 消防署員になれ!!!」と、何処から聞いてきた情報か知ら
ないが消防署署員がいちばん良いようなことを言って孫を励ましている。
ワタシはあんな危険な仕事は止めておけと言いたいところだが、その頃 私はいないのだから
 ノーコメント。

不景気な時代だから誰もが公務員を目指しているのは当然。

義弟が某・製薬会社の役員(元・営業本部長)現・人事部長であり新入社員の採用担当責任者
であるので、知人の娘さんを採用してもらえないかと相談したら、「何処の国立大卒??」ときた。
なん万人もの応募者が来ているというではないか。「有名お嬢様学校」は、書類審査段階で除
外という。

孫も、九月には成績次第で行くべき高校が決定されるという。
それゆえ、我が家の今年の夏の旅行は早々と取りやめ。塾に金がかかるらしい。

来年には小五生になる女児孫も英語塾に行かせたいと親はいう。ローマ字は完璧。netで覚え
た。
女児孫は今のところ、公文教室だけ。うまく『乗ったならば』女児孫は羽ばたくと思うが、先生と
の相性が難しい子だと思う。これまではずっと波に乗ってきたが。



2012/6/5尺八演奏の男性
今日は横浜・旭区へ男物の着物と袴の買取り行く。77歳男性。元・日産自動車に昨年まで勤
務。男性を相手にするのは女性よりも気遣いを要す。ましてや 自分よりもはるか年配者の場
合は。

趣味は尺八だという。すでに50年のキャリアとか。サキソフォーンも二年前から独学で練習して
いるという。

その男性と私は、音楽ということで「話が盛り上がった」という雰囲気にした。男性は20代の半
ばから尺八の道に嵌まったようだ。男性の亡父がやはり尺八を趣味にしていたと語る。小学生
四年にして父親を亡くした。
私は「息子などというものは40歳を過ぎても父親の有り難味や、親の気持ちを汲み取れない者
もいるが、ご主人は偉いですねぇ」と、おおいに持ち上げた。

私も63歳の12月1日からヤマハ音楽教室に入り、ピアノのレッスンを始めましたと告げたら、相
手の目の色が変わった。
男は自分で尺八を作るところまでになった。「病膏肓に入る」(やまいこうこうにいる)という諺が
あるが、趣味も過ぎれば道楽である。五本も六本も尺八を部屋の奥から取り出してきて私に見
せた。自慢話になっているが気づかない。
とうとう私の目の前で尺八もサックスも演奏しはじめた。尺八の曲は皆目わからない。

尺八道は仏教に由縁するという。魂の鎮魂曲であるらしい。お経と同じで「祈り」であると男は
語った。ゆえに、虚無僧姿で全国を行脚する男はお遍路サンと同じであろう。幼くして亡くした
父親を想いながら、静かに尺八の音色にふけり、亡き父親の菩提を弔う祈りとして無心に練習
したのかもしれない。

私のピアノ練習など、それほど高尚なものではない。嫁に行った娘たちが「置いておく部屋がな
ぁーィ」ということで、捨てるのも勿体無いから私が練習をしはじめたのだ。
オバアサン先生だから、私に与えた練習曲も近江俊郎の湯の町エレジーとか、古賀政男の影
を慕いて・石本美由紀の憧れのハワイ航路などから始まった。五番外のジョニーや青葉城恋
歌 etc,
夏は暑くて、隣の椅子に座ったオバアサン先生の汗ばんだ裸の腕が私の腕に触れると、ぞっ
ーとした。オバアサン先生のお年は72歳。私もまもなくその歳になるが・・・・。せめて、40歳、イ
ヤ、50歳くらいなら喜んで私も腕を密着さるものを・・・・と、思ったものだ。

男性は気分よく何曲も演奏した。サックスは風呂場で練習していると、男性の奥さんが語った。
横浜市営の集合住宅であるから、左右上下の隣室から苦情がこなければよいが。風呂場に
はエアコンが無いから夏は暑いだろう。音は響いて、上手に聴こえるだろうが。

私が練習をしはじめた頃、「どうだった?? 今の曲??」と、隣室に居たカミサンに尋ねたことがあ
る。
「あら、もう 終っていたの?? ずいぶん長いイントロだと思ったわ」と、カミサンは答えた。頭にき
たから二度と批評は 聞かない。

先日、6/3日曜日の同窓会でも、70歳後半に見える大先輩が、シャレた帽子を被り、ギター奏
者を伴奏に伴い、二時間以上の演奏をしてくれた。この先輩は本格的で、プロ並であった。
スローバラードの曲もサンバやジルバのリズムにアレンジして、ジャズ風に聴かせてくれた。
楽しい。自然と体が動く。

音楽の趣味があることは良いことだと思う。人生が豊かになる。

そういえば、その男性の名前は「豊長 豊」と名乗った。




2012/5/28虫の季節
虫の季節である。大型薬局店の季節品コーナーにも蚊取り線香や虫スプレーなどを置きはじ
めた。

しかし、我が家の虫の季節到来とは「昆虫研究グループ」の案内状がきたということだ。夏であ
る。

昨年から我が家の女児孫小四生と祖母である家内が「昆虫研究グループ」に入会している。
そして、今年初めての集会に昨日の日曜日 二人で出かけた。場所は横須賀市の自然博物
館。
午前11時から午後3時まで。四時間の授業。昼食持参。

授業を受ける主体は、あくまでも小中学生であるが生徒よりも指導者・先生の方が多い。子供
8人。

指導者たちは全員が理科や生物の教師ではないが、すべて昆虫マニアである。幼少のころか
ら『虫愛ずるオノコ』たちだった。サラリーマンを続けながら、あるいは定年退職後、これでいよ
いよ後顧の憂いなく虫を追っかけることができる・会社の休暇を気にしながら台湾や南アメリカ
や東南アジアで補注網を片手に走り回ることができる毎日がきたと、喜び勇んでいるオジサン
というよりもオジイサンたちなのである。「カメムシ」の研究にかけては、日本でもこの人の右に
出るものはいないという人もいるそうだ。
東京上野の自然博物館から、月に一回の集会や山野実習の日、蝶や虫を捕獲する日に合わ
せて横須賀まで来てくれる高名な先生もいるそうだ。

去年の夏の我が家の旅行は乗鞍高原だったので、大きな補注網を車に積んで出発した。補注
網の丸い針金というよりも金属の大きさは直径60cmもある巨大なものである。棒も三段に伸
縮する品である。長さは3mにもなる。Netで注文した。

揚羽蝶を数匹 捕獲して、標本箱を作った。夏休みの自由研究として、二学期の初めに学校
に持参したら、担任は「ぜひ これを学校理科室に提供してほしい」と、請われたが女児孫は
断ったという。
標本造りも指導者が懇切丁寧に教えてくれた。

しかし、女児孫はなかなか難しい性格をしている。
最初から誰にでも打ち解ける親しみを表さない。中でもいちばん嫌なことは、自己紹介である。
自分よりも下の年齢の子が、上手に挨拶をしても、自分はブスッとしていたと家内は告げた。し
かたがないので自己紹介は家内が二人ぶんしたという。家内も子供のころは人前で喋ること
が大の苦手だったという。

しかし、昆虫や花の絵を描くことは、大人や先生たちが舌をまくほど、うまい。
余談ながら、学校の成績も良い。入学以来、いまだにテストの成績はほとんど100点ばかり。だ
が、得意気にもならない。自慢もしない。他の生徒のことは言わない。人の悪口も言わない。
遊びに来る子は男子生徒ばかり。「男の子は泣かないし、気楽でよい」と語る。下校後、ランド
セルをポンと置くと、すぐに学校や友人宅に遊びに行く。50年前の子どものようである。六時ま
で帰ってこない。

昆虫研究の会が終わりになるころ、ようやくエンジンがかかってくる。先生たちの質問にも笑い
顔で答えるという。研究グループの先生のお二人は個人的にも親しい方のご主人であるから、
孫の機嫌が悪くならないようにと、ひどく気遣いしてくれるらしい。 
手作りの資料の漢字にはルビは付いていない。わざと、そうしてあるという。専門用語もだ。大
人と同様に扱っているという。「賢い子を育成するのが目的である」と、指導者は語る。
何年生まで続けるのか未定だが、無駄ではないと思う。



2012/6/2電話会社の男性
我が家ほど電話の位置を変える家も少ないと思う。趣味で変えているわけではないが、今回は
一台の受話器の子機・二個を廃棄処分することになった。
そこで、主電話器の場所を変えることにした。自分で配線や差込口を変えたが、二台目の受
話器がうまく繋がらない。原因がわからない。しかたがないの専門家NTTに助け舟の要請をし
た。

30歳ぐらいの男性がきた。
「ははぁ、なるほど。NTTと光フレッツと、二回線が通じているんですね。この家は」と、男。

「あぁ、そうです」と、私。
ところが、私の方は見向きもしないで機械と取り組んでいる。道具箱からテスターを取り出し、
耳にフリーハンズの受話器を付けて、なにやらボソボソ喋っている。

「使っている回線は一本でぇ、・・・それが分配器を通して二本に分かれてぇっっと・・・・、はは
ぁ、
わかったわかった。光フレッツはFAXと兼用になっていてぇっと・・・・、テレビは光フレッツ通信
を利用してるってことか・・・・なるほどなるほど」と、男。

この男は独り言を言っていたのだ。独り言をいいながら仕事するタイプなのだ。私の返事は必
要ないのである。
そういえば、今 89歳になる私の姉がそうであった。ずっと独身だったので独り暮らしの時代も
長かった。私たち家族と一緒に暮らすようになって28年経過したが、独り言は癖になっていた。
家事をするときも、趣味の毛糸編みをしているときも、テレビを観ているときなどはフンフンとう
なづきながら独り言を言っていた。
そしてまもなく認知症になった。

危ない!!!! 危険だ!!!!この男性30歳前後はまもなくボケる危険をはらんでいる。要素がある!!!
そういえば、眼がうつろである??? そうとも思えないが、人は見かけではわからない。

玄関のチャイムとも連動になっているので、たいへん複雑だ。
4芯線というコードを電気店で購入してきて、延長することにした。

一応、NTTの男性の仕事は完了した。出張費4200円也。
忙しい仕事だ。電話は一日どころか、一時間でも不通だと困る。
我が家の場合は一本の回線は通じていたが・・・




2002/5/23黒メガネのリサイクル
明るいニュースなのに、国民の多くが歓喜して観たものは『黒い・暗い影』だった。

それは皆既日食!!!!

これほど日本中の人々が心を一にして待ち望み、あの時間を待ったものは数少ない。
そして二日後は東京スカイツリーのオープンであった。とにかく、これもめでたい町興しである。

私は孫たちのために、二ヶ月も前から専用メガネを三つ購入していた。

孫たちの為に、その日が晴れることを願っていた。
明け方の二時半から三時にかけて、土砂降りだった。ダメだとあきらめていた。

しかし、『狐の嫁入りのような天候』の中で観えた!!!!

どうでもいいや、と思っていたが、一応やっぱり「観たよ!!」の会話に参加できることを喜びた
い。
あと300年後はやはり無理。




さて、あの黒いメガネのその後の活用方法はないものだろうか??
90%OFFで引き取って、再利用できないだろうか?? リサイクル可能か???



閑話休題
カレーライスに付き物の『福神漬け』を考案した話をご存知だろうか??
野田清衛門という人が考案したというが、
お盆明けの八月十六日の川の橋元には たくさんの野菜が「捨てて」ある。
昔は米俵の両端の「さんだわら」と呼ばれる丸いワラの上に、この野菜を載せて川に流したの
だ。
ナスやキュウリに爪楊枝を刺して馬に見立て、先祖さんが馬に乗って帰って来るのを待った。
そして、また 川や海の彼方の極楽浄土へ先祖様を送ったのである。

お盆が終ればナスもキュウリも用はない。しなびて腐るだけ。

このナスやキュウリを回収して、洗って、漬物にしたという賢い男がいたのだ。それが野田清衛
門かどうかは定かでないが、ともかく、こうして元祖・福神漬けができたと伝承される。
福神漬けの創始者は大儲けしたといわれる。



柳の下のドジョウを狙い、私は「黒メガネ」のリサイクルを考えたいが、名案が浮かばない。

300年 待つしかないか???





2012/5/23裁判員制度について
裁判員制度ができて丸三年目ということだが、私はこの制度の決定には、もっと審議を尽くす
べきだと思っていた。現在の消費税問題ほど、国会で審議を尽くしていないうちに、一部の人
たちで決定された。
国民投票に値するほど、重要だと思っていた。

裁判員制度の目的はなんなのだろうか。
国民が司法に関心を持つため??
裁判官たちが六法全書から学んだ固定観念だけに縛られないで、一般人の常識も兼ね備え
た判断を、判決に生かそうとすることが大切??
子弟を育成するに当たり、全うな教育の大切さを国民に再確認するため??
米国のような、陪審員制度とは どのような点が違うのか??

裁判員制度に招聘されて経験をした人たちは、かなりストレスであったと語っている人が多い。

インタビューされた人たちは、国が決定し・実施している制度であるから、強い反対の人たちの
意見をテレビやメディアでは取り上げていないように見える。
嫌だという意見を出していない。きれい事だけをテレビは写しているようにみえる。

「あんな処へは、裁判所などには絶対に行きたくない」と思っている人たちも多いはず。

私は嫌だ。
その道を学んだ専門家に判断してもらいたい。予備知識もない素人が急に犯罪の成り立ちの
説明を聞いても、判例に基づいた適正な判断ができるものだろうか??

かつての古いアメリカの映画の「怒れる13人の男」であったか、タイトルは間違っているかも知
れないが、秀作の映画だと思うが、あれを見ても「自分も陪審員になって正しい判断をして冤
罪の人を救いたい」とは思えない。

欧州の某国では陪審員が買収されているということも聞くではないか。裁判官でさえ、金に目
がくらんでいる国もあると聞く。

そもそも、検事や弁護士や裁判官たちは、どう思っているのだろう??
「素人になにが判る?? 」とは思っていないのだろうか??

そして、第一審にしか、裁判員制度の判定は生かされないという。第二審以降は裁判員制度
の意見は生かされていないらしい。

何日も拘束されるのが最大に困る。冗談ではない。そんなことに関わりたくない。

映画の木枯らし紋次郎のセリフ風にいえば「あっしには関わりのねぇことでござんす」であ
る。







2012/5/18建替え
衣替えのシーズンである。四季があるから衣服に費用もかかるが、日本のそれは文化でもあ
り楽しみでもある。衣料品店は商いになる。

今日は建替えをした。
建替えとは家具や調度品を来るべき季節にあわせ、迎えの準備をすることである。クーラーや
扇風機などの無い時代の京都では、少しでも涼しいようにと、生活の場を演出した。
麻の薄い布地の暖簾は わずかな風にもゆらぐ。それを見て、「あぁ、風が吹いている・・・」と、
気持ちだけでも安らぐ。夏の京都はことのほか蒸し暑い。

『ウナギの寝床』といわれる京都の町やでは、中庭を造ることを好む。火を炊く、「おくどさん」の
場は天井が高い。土間になっていることが多い。そして天窓が開放になっている。明かりが入
る。

我が家にも中庭は造ってある。中庭は昼前には日陰になる。だから夏でも涼しい。午後は涼し
い。
外からの風が中庭に抜けるのである。抜け道がないと風は通らない。

畳の上に薄べりを敷く。素足になる夏はひんやりとする。
障子や襖を外して、萩戸に替える。(我が家にはない)  理由は収納する蔵がない。
座布団を麻の品と交換する。
または油團(ゆとん)という紙の品に替える。今ではこれはなかなか入手が困難である。和紙を
(渋紙)を何枚も重ねて布団とおなじように糊で貼る。角はなくて丸い。これは涼しい。ひんやり
する。
長火鉢に蓋をする。灰を日向に出して、干す。灰は湿り気を持っている。一年中 灰の中に入
れておいた火箸や灰均しは(はい ならし)錆が生じる。特に夏はダメ。
夏専用の食器は数が少ないが、ホタル茶碗は出すことにしている。
暖簾・スリッパを夏用に替えた。
家内は冬カーテンを洗濯して、レースの夏物に替えた。
麻の蚊帳を吊る。ベッドもテレビも、すっぽりと蚊帳で覆う。本麻の蚊帳はネットで福井県から
購入した。子供の頃は当たり前のように蚊帳の中で寝たが、やはり緑色の麻の蚊帳が懐かし
くて求めた。
蚊帳はエコでもある。ホームセンターでも布団屋にも本麻の蚊帳は皆無だった。

居間と台所との間仕切りに、濃紺の本麻暖簾を二枚買ってきた。縦150cm×横85cmを二枚。
濃紺地の藍染である。中に大きな白の十字かすり模様がある。

葦(よしず)を架けるのはまだ早い。

夏用の帽子も玄関に用意した。外出するときは帽子を。鍔のある帽子でなくてはならない。

今年は節電の夏である。どうなることか。




2012/5/16母の日の花束
母の日には家内も娘たちから花が贈られてきたが、今年のプレゼントの中で感動的だったの
は近所のエミちゃんからの花束であった。
昨日の午後、エミちゃんとエミちゃんの小学校四年生の娘さんが二人で我が家の玄関に立っ
て、「これ、オバちゃまに どうぞ」と言って、きれいな花束を手渡した。
あいにく、家内は茶道稽古日に当たり外出中だったので、私が受け取った。すぐ花を水に入れ
た。

エミちゃんは我が家の末娘と同じ歳の、娘の友人である。そして、今29歳。二十歳で結婚した
から既に10歳の娘さんがいる。
エミちゃんを産んで、エミちゃんの母親は亡くなった。
お母さんは大阪の出身だったらしい。きれいな人だったと聞く。だからエミちゃんも大きな眼の
美人である。自分の命と引き換えにエミちゃんを産み、死別した。
エミちゃんは写真でしか母親の顔を見ることしかできない。当然 記憶にない。

エミちゃんはときどき、「オバちゃま 洋裁を教えて下さい」とか、「パッチワークを教えて下さい」
とか、家内の所にやってくる。家はすぐ近所である。そしてときどき泊まりに来る。

感心なことに、エミちゃんの娘が幼稚園に通園している間の弁当を、毎日まいにち写真に撮っ
て記録したという。ノートは数十冊になった。それは自己満足ではない。おそらく、それは記録
として自分の娘に遺しておきたい気持ちで撮影していたのだろうと思う。娘が大きくなったら、ア
ナタにはこんな弁当を作ったのだよ・また こんなふうに作りなさいよという気持ちが込められ
ているのだろう。

エミちゃんは、まもなく数年後には眼がみえなくなるという。
緑内障だという。
あんなにきれいな二重まぶたのきれいな眼でありながら、遠からず盲目になるという。

数年前、去年であったか、一昨年であったか、末娘たちの友人グループでエミちゃんを誘って
ハワイへ出かけた。エミちゃんの眼が見えるうちに、あのきれいなハワイをいちど見せてあげ
たいと、
相談がまとまって、数人でハワイへ出かけた。

そして、エミちゃんは先日、我が家の末娘に言ったという。
「なんで、チエは(千恵)もっとお母さんに、いろいと教えて貰わないの? 勿体無いよ。私だった
ら、お母さんにぴったりくっついて 傍から離れないよ」と。
常に親が居ると、有り難味がわからないのが普通である。

エミちゃんは数年前、夫と別れた。
夫の暴力に耐えられなかったのだ。夫は葉山町の消防署員だと聞いた。
いま、父親と三人で暮らしている。家事炊事全般をエミちゃんが負担している。

この先、どうなるのだろう・・・・

ウチの末娘は相変わらず、毎日仕事仕事。そして土日はのんびりとくつろいでいる様子。
同じ歳ながらエミちゃんは けなげに生きている。
末娘が結婚を急がないのは周囲の友人たちを見てのことであろう。
末娘も花の植木の盛り合わせと、夜の食事作り(春巻き・おみおつけ・サラダ)を母親にプレゼ
ントした。家族の皆からおいしいおいしいと大袈裟に褒めてもらっていた。エミちゃんにとっては
毎日の当たり前のことであるが。




2012/5/12おもいやり・トリートメント
ふと見ると、洗面所と廊下とをさえぎる暖簾の隙間から明かりが漏れている。風呂場にも電気
がついている。
「誰か風呂に入っているの? 」と、私はカミサンに尋ねた。土曜日の昼間の12時ごろである。
「一成がシャワーに入っているのよ」と。さらに声をひそめて「髪の毛を染めたのよ」と答えた。
続けて、「どう? って一成が聞くから、『いいわよ。でも婆バは白い毛も好きよ』と言っておいた
わ」と。

ふぅーン。なるほど。私は黙って聴いていた。
初孫の男児の頭髪に白髪が混じっているのが気になりだしたのは孫が小学校の終わりの頃
からである。誰でも白髪にはなるが、あまりにも早いではないか。孫の父親である愚息の頭髪
は多いほうである。私も40歳代で、三番目の子の次女が通園しているころ、私のことを「アデラ
ンスのオジサン」と、密かに言われていたと後年 知った。頭髪を七三にきちっと分け、髪もたく
さんあった。

いっちやぁなんだが、愚息の妻である嫁は白髪が多い。最近は、もう 諦めたらしく染めること
もない。ということは、嫁の父親から孫へのDNAなのである。嫁の父親の年齢は私と同年であ
る。

現在の私の頭髪は頭頂部は北海道・釧路湿原の丹頂鶴である。床屋で散髪した後、鏡を後方
から見せられるのが、嬉しくはない。「鏡を持ってくるな!」と毎回言いたい気分である。

孫が中学へ入学したら、イジメにでも遭うかと心配したが、それは杞憂だった。

私の中学生のころ、クラスメートに「火星人」というあだ名の生徒がいた。気の毒なことに、とも
かく頭髪が無い。つるつる てかてかの頭から、ちょろちょろと薄くて細い髪が数本 たれてい
る。誰も面と向かって「あっ! 火星人が来た!!!」とは言わなかったが、彼の本名などは言わな
い。「火星人」といえば彼のことであった。男子中学生は残酷である。完全なイジメであった。
卒業後も彼は同期会に出てこない。住所電話なども明記もない。
彼はNN家の一族であるが、男子中学生にとって大金持ちも大地主も関係ない。
注・私は彼をイジメタことはない。しかし、イジメを止めたということもない。

私の姪の子どもにも、夫である義理の甥のほうからの遺伝子で、髪の毛が短くてクリンクリン
の男の子が二人いた。その祖父である私の亡兄はかなり気にしていたようだが、男の子二人
は立派に成長して一人前になった。

我が家では髪の毛のことは一切 口にはしない。おもいやりの心である。

孫がおとなしいのも、口数が少ないのも、物静かなのも、髪の毛のせいではないだろうとは思う
が、
この私・爺ジの中学二年生の様子とはまるで違う。

自慢じゃないが、私の中学生時代などは いま思えば恥ずかしいかぎりではあるが元気いっぱ
いのハイ・テンションの毎日であった。寮生であったから控えめにしていたつもりではあった
が、まっ、ヒンシュクものであったと思う。
カミサンは理性的である。だから火と水である。




2012/5/12 銀座デビュー
本日 天気晴朗なれば、津波・地震・竜巻もなし。
横浜・戸塚に住むTK君に電話。TK君も現在は奥さんと二人だけの暮しのようだ。

GWも終わった。
日本列島全般から見ると、無事に終わったとは言いがたい。関越道のバス事故から始まり、
北アルプスでの高齢者の遭難や、〆は想定外の竜巻で終了。GWとお盆と年末年始の日本民
族大移動の間を自分や家族や、嫁入りした娘たちが無事に過ごせたら安堵。事故は場所も人
も選ばない。いつ何処で遭遇するかわからない。明日は吾身。

TK君との会話の中で、GWが始まった四月の末に、私が一人で浅草界隈を久しぶりで散策した
ことを伝えたところ、TK君は、自分も街中を一人でブラブラ歩くことが好きだと語った。しかも
TK君の散策場所は銀座であると語った。奥さんと二人で銀座に行くこともあるが、女性は熟年
ともなると自分の付き合いで忙しく、常に夫と行動を共にするとは限らない。誰にも邪魔されな
いで心ゆくまでゆっくりと銀座を胆嚢することを彼は楽しみとしているらしい。

TK君と銀座との縁は幼児期からであったと聴く。
Tk君の御母堂は、昔の表現でいうならば『洋食屋』さんの娘さんであったという。90歳近くで先
年亡くなったとするとハイカラさんである。正真正銘の古き良き時代のモガであったであろう。
TK君は母親に連れられて銀座でショッピングをしたり、映画や芝居を観て、その帰途、千疋屋
フルーツパーラーや資生堂で食事をして、喫茶で締めくくり、その後 帰宅したのが銀座デビュ
ーだったと語った。しかし、TK君には自慢話をしている気配はない。謙虚に、しかも恥ずかしそ
うに、母親と歩いた昔を懐かしむようにしゃべった。

ふぅーム。
私からすると夢のような世界である。誰にもそれぞれの生い立ちがあり、環境が違って育って
きた。
私にとって銀座とは歌謡曲の中の世界であり、小説の中のことであり、エベレストのような手の
届かない高い峰に咲いている赤い花のように思っていた。

TK君との会話終了後、同期会の名簿編纂について、次にSS君に電話を入れた。
SS君に、TK君との会話の内容を伝えたところ、SS君は即「皆で銀座へ行こう!!! 」ときた。
湘南エトワール会のメンバーの同期生が10名余いるが、日程の都合がつくものだけでも行こう
じゃないかというのである。

SS君も東京生まれ東京育ちであるはず。しかも、東京のど真ん中、神田で会社を営んでいる。
神田といえばチャキチャキの江戸っ子が枕詞。神田と銀座は親戚に例えるならば兄弟か従兄
弟の関係。遠くではない、近い。

夜、メンバーにそれぞれ電話をした。
なんと!! 酒仙の雰囲気のあるFT君は銀座でのんでいる最中であった。彼のかつての勤務は
電通であったから新橋界隈や銀座はテリトリーだ。 私は夜の10時だから既にベッドの中。ベ
ッドの中から電話した。
FK君は「行こうよ!!行こうよ!! 銀座で?もうよ」 銀行マンだったST君も「表通りは知っているけ
ど、銀座の裏通りを歩いてみたいな」と。
齢70を目前にして、男ばかりで、近々 銀ブラをすることになると思う。




2010/5/10 日本国籍のネオ中国人
「ワタシ 菊名ニ 住んでマス。 着物 タクサン アルネ。先月 ワタシノ オカアサン 亡くなりマ
シタ。着物 買ってクダサイ。バスの中ノ 広告 見マシタ」

誰が聞いても中華人民共和国の人である。71歳だと私に告げた。
四月29日 みどりの日。日曜日でも自営業者には有難い「お座敷指名」の電話である。

東横線・菊名駅の近くの大倉山には次女夫婦も住んでいる。菊名まで行くのであるなら、なに
かお土産を持っていこうかと次女の携帯電話にコールをすると、「今 安土桃山城の城跡に居
る」との返事だ。そういえば世の中はGWの最中である。
娘夫婦は二人とも理化学研究所の研究員。二泊三日の関西旅行休暇をエンジョイしているよ
うだ。
留守ならばしかたがない。

カーナビが案内して到着した家は「築40年以上と思われるオンボロ アパート」。

期待に胸ふくらませて家を出たのであったが・・・・
まっ、こうゆう日もあるさと、気を取り直しピーンポーンとチャイムを押した。

六畳の間に、まだ祭壇がある。ご遺骨が安置してある。その横のお写真はきれいなお母さん
の遺影が飾ってある。花瓶に花も飾ってある。

ふうーん、と 漏らしたため息を気づかれないように小さく吐いた。まっ、仕方がない。

着物と帯を早速 拝見した。ところがぜんぶいい品物である。三越・高島屋・ますいわや など
の名前のたとう紙に包まれた着物&帯の類は高価な品々ばかりである。
やったぜ!!! 欣喜雀躍!!! 手の舞 足の踏むところをしらず。しかし、顔には出さない。渋面!!!

だいぶ時間が経ってから「ご主人は中国の方ですか??」と、尋ねたら「ワタシ ニッポン人ヨ」と
のこと。しかし、韓国にも中国にも台湾にもそしてハワイにも、しばらく住んでいた」と答えた。
何ゆえ 外国に住んでいたのかとは私は問わない。会社も経営していたというが、どんな会社
であったかとも問わない。
netで為替の取引を商売として、一日で400万-500万の利益もあったとも語った。
このボロ・アパートは母親が先月まで一人で住んでいたのだと告げた。自分の家は別の場所
に在るという。
この男性は独身のような気もするが、尋ねることはしない。相手が語ることについてだけ、ふう
ーんふうーんと相槌をうったり、感心したり、するのが仕事上の会話である。

71歳だと告げたが、よくよく見ればなかなかの美男子。色白。日本舞踊を舞っている母親の写
真は かなり若いときの写真ではあったが本当に美人である。

いろいろと会話をした。韓国や中国の国内事情の話はおもしろかった。

20枚余で17,100円と計算機は示したが、20,000円を支払った。相手は独りっ子の男性てある。
書類に押印してもらい、帰宅の用意をした。

あっ、そうそう、お線香を一本揚げさせてもらった。「安くて、申し訳ありません! 」と、黙祷した。




2012/5/10 日本舞踊の男性
これを書かずにいられようか。今日会った男は私の生涯の中でも記述に値する人であった。
早速 書いてみる。
タイトルをつけるならば「日本舞踊という芸のため、人生を棒に振った男」と言っては言いすぎ
だろうか。何かを得るためには、ほかの大切なものを手放さなければ大成はしないと聴いたこ
とがあるが、それは真実だと思う。

着物と帯がたくさんある。トラック一杯ほどある。見に来て欲しいと、電話があった。
大方、こうゆう話は話半分として右の耳から左へ聴き流しているが、ともかく出かけた。かなり
遠くまで、横浜緑区という地へ。
大きな運輸会社の駐車場へカーナビは案内した。もしかしたら、この大きなビルの社長?? そし
て、男性から電話があったとすると、この社長の奥さんが亡くなった?? こんなふうに想像した。
で、駐車場の端にいた初老の人に「AAさんは、?? このビルの上にお住まいですか?? 社長さ
んですか??」と尋ねた。「あぁ、AAね、あれは管理人だよ。部屋の番号は2号だよ」と、掃除の手
も休めず答えた。男はぶっきらぼうな態度である。

その場から携帯電話をすると、まもなく小太りの男が紺色の作務衣の前紐を結びながら階段
を降りてきた。胸も腹も丸見えである。ぷくぷくに太っている。
私は男に続いて二階の部屋に上がって行った。なんだなんだ!!!!??? この部屋は!!!! 入り口から
物が積み上げてある。玄関なんてものではない。私の靴の脱ぎ場もないではないか。物と物と
の間を、身体を横にしてやっとのことですり抜けた。すり抜けてようやく部屋に入った。
これでも部屋か??!! 畳は三畳だけ。三畳の一間だけ。その畳三畳に、家財道具が山積してい
る。ゴミ屋敷の部屋で寝起きしているのだ。

私の座る場所もない。が、どうにか座った。着物を見る場所どころか点検する広さなど皆無で
ある。
たしかに着物らしきものが、たとう紙に入れてあるらしく、これまた山積みになっている。

「この着物だと、いくらの値になるか??」と、薄いパールグレー地色の手描き墨絵の訪問着を出
した。シツケ糸は付いている。薄暗い部屋の明かりの下で見れば、一応シミは無いが、胴裏生
地に黄の糊カビがいっぱい出ている。即座にノーサンキューであると告げた。
もう、他の品を見る気は起こらない。

男は日本舞踊家であると自己紹介した。奥さんは東京で芸者をしていると。○○大の医学部
の学生であったと。秋田県某市の出身で、昭和36年○月×日 急行○○号で上京した。上野
駅○番線のプラットホームだったと。(集団就職じゃないの??)
ところが、かつての住居は田園調布であるとか、其処はテニスコートも二面あっただの、葉山
の××という蕎麦屋の裏にcanonの保養所があって、其処の土地を親から譲り受けたとか、支
離滅裂とも妄想とも思えるような過去の自分の生い立ちを話した。どこまでが真実なのかわか
らない。
昭和皇后さまから「良い色のお召し物ですね。利休鼠とはその色ですか?」とご下問があったと
か。故・池田隼人元総理夫人に着付けを教えていたとか、舞踊の弟子が200人以上持っている
とか。
私に見せた腕には透析注射の大きな跡があり、「週に三回行く。四時間かかる」などと。

帰るタイミングを計っていたら電話が鳴った。「じゃぁ、ご主人、失礼します! 」と私は即座に立っ
た。
あっ、そうそう。犬がいた。小さな洋犬であった。犬の餌入れや、部屋にはペットの餌も転がっ
ていた。
時間と有料道路金とガソリンが無駄であったが、私の人生に於いて貴重な体験であった。





2012 4/19 古い感覚の女と新しい物が好きな男
これは終活なのか、それともその反対の まだ前向きに生きて行くことの証なのか。

また、我が家に一つと、娘たちそれぞれの家庭にと思い、物品を購入した。
こんどは「山本鍋」というものである。大人数の我が家には27cmと、娘たちの家族へは24cmの
鍋。

テレビ通販で買った。
高温で煮炊きしても、ふきこぼれしないというのがセールスポイントの鍋である。

台所用品に私はあまり関心はないが、今、タケノコのシーズンで毎日のようにタケノコをゆでて
いる。ゆでたタケノコを縮緬細工の生徒さんたちに手土産に持たせて帰らせている。
見れば、鍋の煮こぼれの汁が激しく鍋に付いているのが見える。糠の汁である。

タケノコをゆでるには大きな鍋を使用している。
普段は使用しないが、教会のバザーなどでカレーなどを煮込んで提供するときに使用するホウ
ロウの大鍋はタケノコをゆでるときには重宝だ。

なにゆえ、煮こぼれしないかというと、山本鍋は鍋の縁が垂直でなく、ステンレスのボウルのよ
うに大きくカーブしている。その形の場合は鍋の中の湯が円を画いて流動するそうだ。回転し
ている。
高温になっても、追い水を注す必要はないというのだ。

朝の五時ごろのテレビ通販であったが、こんな時間でも電話で注文を受けてくれた。
IH用・電磁波対応鍋を2個とガスコンロ用を1個頼んだ。

起床後、家内に告げたら「ワタシは従来の鍋でじゅうぶんです。古いものを長く大切に使うのが
好き」との答え。
そうゆうだろうと思っていた。いつもそうである。

いちいち書いていたら枚挙にいとまなしであるから省略するが、考え方が古い。まるでイギリス
人のようである。

便利な物は購入し、大いに使用するのが私の主義である。昭和から平成の時代に生きている
のだ。
お金は生かして使わなければ意味がないと思っている。

家内は石器時代でも生きていけるだろう。木の葉の皿でも石の包丁でも不便を感じない人間
だ。
携帯電話でも、二台目でようやく使用を始めた。
昨日も電波時計を買い与えたが、強制的に腕にはめさせて、ようやくしぶしぶ腕につけた。
家内は反面 骨董品は好きである。家具は古い民芸品の家具ばかりである。縮緬細工教室を
主宰しているが、70年80年以上前の古い布には狂喜する。

そして、韓国が好きである。自分はおそらく朝鮮半島から渡来してきた末裔だろうと言う。韓国
語を韓流ドラマで聴くと血が騒ぐらしい。また、アメリカ人が大嫌いだ。肉食も好まない。

新しい物が好きな私と古い物が好きな家内とは水と火である。私は引っ張っていくのがたいへ
んである。



2012/4/17 タケノコ生活
女竹(めだけ)と雄竹(おだけ)があるから、タケノコにも当然 女の子と男の子があると言えば、
友人たちは「なるほど」と答える。食べてやわらかく、おいしいのは女の子のタケノコであるが、
男の子のタケノコも同値段で売っている。しかし、八百屋はどちらがうまいとは教えない。硬くて
うまくない方だけ売れ残ったら困る。だから、その見分け方も教えない。

京都の嵐山界隈の竹林の竹の子を贈ったり貰ったりしたものだが、この不景気になったら、ま
るっきり贈ってこなくなった。もっとも私も贈らないが。

「朝掘りの竹の子」というが、朝の時間に掘らなければ価値がないのではない。昼間 掘っても
よい。
きのうの朝 掘ったのに、朝、竹林に行ったら また新しいタケノコが出ていたという意味であ
る。

冬が終わり、気温が上昇して、春の雨が一雨降るごとにタケノコは成長する。「雨後の竹の子」
である。タケノコは買ったら、もしくは貰ったら、一時間でも早く茹でなければならない。これが
いちばん大切。

八百屋で並んでいる竹の子で、頭の葉が白か黄色の竹の子は無いと思う。ほとんど緑色であ
ろう。
緑色はすでに古いタケノコで、掘ってから時間も日数が経っている。エグ味があるはず。

また竹林も南斜面よりか北側の斜面に育成されたタケノコを良とする。

我が家ではタケノコご飯のほかに、煮物はシーチキンの缶詰を入れて煮る。そして赤酒と醤油
と隠し味に少々の砂糖を入れるようだ。それに、今年のタケノコは放射能セシウムも隠し味とし
て???
タケノコのてんぷらもおいしい。

「言うばっかりでなくて、食わしてくれよ」と、呑み会で同期生から言われた。翌日の日曜日に8
本を掘ってもらうことを頼み、夕方、三人の友人たち宅に届けてやった。逗子市と鎌倉市と藤
沢市まで宅配した。

旨かったと電話が翌日あった。

旬の食べ物は好い。魚よりも旬は野菜に豊富である。ソラマメもおいしいし、グリーンピースも
出てきた。

我が家では、しばらくタケノコ料理が続くだろう。




2012/4/17 ドライブレコーダー
男子一旦門を出ずれば七人の敵ありという。外には危険がいっぱい。
津波や家具の地震対策もできた。車両の中には救命胴衣まで備えた。飲料水や雨具やヘル
メットまで入ったリュックサックも装備してある。

きのう、JAFの小冊子が送付されてきて、その中の記事にドライブ・レコーダーの案内があっ
た。
(ちなみに私の中学高校からの同級生のF君が社長をしていたが、このたび関連会社の顧問と
なったが、彼も一緒に先日の土曜日に鎌倉で10人ばかりの同期生といっしょに呑んだ)

一昨年、そのJAFの小冊子の記事で、私は初めてドライブレコーダーなるものの存在を知っ
た。便利というか、ドライバーの強い味方ができたものだと思い、いつか購入したいものだと考
えていた。

そして先般、京都の祇園の交差点で、てんかんの持病のある人が8人を事故死させた動画を、
たまたま近くにいたタクシーのドライブレコーダーが(以下 DLと称す) 記録していたという。
あのニュースで、売り上げが倍増したと、自動車部品店・オートバックスの店長は悦に入ってい
た。

新しい物が好きな私は矢も盾もたまらずJAFの雑誌を片手に、DLを買いに走った。
JAFの案内していた機種は25000円少々であったが、自分で取り付けるのが面倒である上、他
店で買った品の持込は喜ぶはずがないので、当然 オートバックス店の最グレード品を買うこ
とにした。取り付け費用込みで60000円弱であった。

これはどんな具合か、試してみることはできない。万が一のときの用意である。保険と同じく、
お世話にならないほうがよい。

閑話休題
私の知人で運転手を雇っている人は二人だけいる。一人は学校時代の級友で、今は大病院
の事務長をしている。彼が我が家に来たときは、事務長になり立てであつたようで自分で運転
してきたが、今月の初め彼に会ったときは運転手付きであった。
あと一人は女性で、子どもの幼稚園生以来の友人であるが、今は東京六本木ヒルズに住むセ
レブに躍進した。実家の親は九州のバナナ王であった。呑み会にときどき葉山まで運転手付
きのベンツで来る。50歳代の男性運転手君は女主人の呑み会が終るまで、二時間でも三時間
でも車の中で待機している。眠っていたらクビになるかもしれない。

立場上、自分で運転などはしないほうが好い人は沢山存在すると思う。
警察署の署長とか、裁判所の判事や検事、弁護士もしないほうが好いと思う。大会社の社長
になれば危険がいっぱいの町中で、運転などやらないほうがよいと思う。
天皇陛下が皇居内でドライブをなさっておられたテレビの報を拝見したが、街中にはお出にな
らぬほうがよいと思う。モナコのお姫様でさえ、事故で母親(グレースケリー)を殺した歴史があ
る。
誰であろうとも、事故など起こしたくない。注意に注意を重ねていても、アクシデントは起きる。
想定外はいろいろある。「予測もしていなかった」と、誰もがそのときは思う。どちらが被害者か
加害者か、水掛論になることもあるだろう。5対5は4対6に変わり、3対7になるかもしれない。
いまのところ、DLは裁判所の物的証拠とは採用されていないと説明書が付いているが、事故
の起こった50秒前から事故発生の5秒後までの動画が存在すれば、論ずるよりも一目瞭然で
あるだろう。
自分の身は自分で護らなくてはならない。
慎重に、気持ちを集中させて運転に努めようと、心を新たにした。



2012/4/15 支払い伝票
金融機関で払い込みをしてきた。
NHK受信料金とJAF日本自動車連盟料金とお墓霊園管理費である。

NHK受信料金支払を拒否してきた人々は多いらしいが、地デジ化された今日、各テレビの台
数ごとに支払わなければならないようになった為、NHKの実入りは好くなったことと思う。知恵
者はいるものである。

車の免許を取得して50年。事故ではないがJAFのロードサービスのお世話になったことが3回
ある。保険のようなもので、支払うことに依存はない。昔は3000円だったが現在は6000円。
JAF出版の小冊子が毎月送付されてきて、旅行記が楽しい。蛇足ながら私の中学生時代から
の同級生がJAF出版の社長をしている。今でも呑み仲間である。

支払をすることに疑問を感じるのは霊園の管理費である。つまり、まだ利用していない。
支払伝票には「管理費」と書いてあるのが気に食わない。
たしかに墓石は挙げた。しかしまだ未使用である。
年間管理費は3000円。これは安いと思う。しかし、墓地を購入してから10年余が経ち、
これまで約36000円を支払ったことになる。
ほんとうに利用する日はいつなのか。待ち遠しいとも思わないが、入っていないのに利用料金
を支払わされていることに合点がいかない。
あと10年間 このままだとすると360,000円が無駄な金のように思える。ホフマン式計算のよう
に、購入後の未使用期間が長かった場合は、金利ぶんを返済してくれるような方式はないもの
だろうか。

「いやいや、申し訳ありませんでした。お待ち申していました。アナタ様は弊社の墓苑セールス
の口車に乗って、高くて・狭くて・遠い墓地を購入後も20年間お入りにならなかったのですか
ら、72万円の中 せめて10万円だけでもお返しさせていただきます。そして、生前に建墓する
事を寿陵といいまして、古くからある風習です。かの聖徳太子サンも自ら築いておられます。 
最近この寿陵が増える傾向にあり、子孫に建墓の負担をかけず、将来の霊の安息所が得ら
れ、家運の隆盛・長寿につながると 言われ、決して縁起の悪いものではありません。と、確か
に申しました。それにしても20年間は無駄な支払でしたねぇ」と、言う墓苑屋はいないものか!!!!

更に怒れることは、墓地を購入し、墓石を挙げて10年間以上経つというのに、家族のものは誰
一人として墓地を下見に行かないことである。
「あそこだよ。此処が入口だよ」と、鎌倉・材木座霊園の下の道を通る度ではないが、車の窓
越しに顎をそっちに向けて口にだしても、「ふーん、へぇー、 そうなの」だけ。「一度 行って、
石を洗ってきたほうがいいんじゃないの」などと、しおらしいことを申し出るものはなし。
カミサンの如きは「駐車場から近いンですって。雨だったら、車の窓から花をポーンと放ればお
墓まで届く所らしいわよ」と、ぬかす始末である。
苦労して買った甲斐がない。



4/15ナンバーディスプレー電話
自分の名前も名乗らないで、いきなり電話で話を始める奴がいる。奴というのは学校時代の同
期生で男性であるから様やサンはつけない。そして奴は自分の話の内容を相手がぜんぶ理解
していると思っているので、どんどん話の中身が進む。訳のわからない話をする。迷惑で仕方
がない。主語や述語はあるが、内容が支離滅裂でわからない。あいつが知っていることを私が
全部知っているはずがないのに、自分のペースで話を進めてくる。

先日、母校に10名ほどの同期生が集まったとき、その話をS君にした。
「そうだろう? 困っちゃうよなぁ。あいつの電話は。最近は小林君のほうへ電話をかけるようで、
俺は助かっちゃうよ」とS君が答えた。
H君は鎌倉でも一番のヒルズ村というべき鎌倉山に住んでいる。豪邸だそうだ。鎌倉山はテレ
ビの司会者「みのもんた」氏の邸宅もある。大邸宅ばかりである。どこまでも桜並木が続いてい
る。江ノ島が遠望できる。

H君は東京・麹町小学校部に入ったらしいが、想像するところ、子どもながらに理屈っぽかった
に違いない。
そしてH君は高校は慶応に転校した。卒業時点では母校にはいなかった。

H君とは一度も同クラスになったことはない私はH君のことはほとんど知らないが、湘南に住ん
でいる10人ほどのグループの一員として呑み会のメンバーに彼を呼んだ。それから少々会話
する程度である。呑み会の席は、なるべく私は離れて座るようにしている。

H君は暇人で大金持ちらしい。
なにしろ、親の代からの、港区六本木にビルを二つと いろいろと不動産を所有しているよう
だ。
ビルにはレストランが7つ入居している。家賃の金は黙っていても口座に振り込まれてくるだろ
う。家賃が滞納されるようなトラブルがあれば弁護士が出ていくだろう。不動産屋も電話一本で
動くだろう。

一日中なにをしているのだろう。奥さんからは相手にされていないに違いない。金持ちの奥さ
んは多忙である。毎日 お稽古ごとや遊びに出でいるだろう。なにしろ、会話が長い。頭脳明
晰ではあるようだ。人の名前や歴史的年代・年号の記憶はすごい。しかし、会話とはキャッチ
ボールでなくてはならない。話題を投げて、相手が受けてくれて、また 投げ返していく。笑い、
うなづき、フムフムと言い、また笑う。楽しい会話とはそうゆうものだ。一方的に演説のように、
うけたまわる会ではない。奥さんも息子も娘も、こんな親父の説教は聞きたくない。早々に逃げ
て行くだろう。

だから彼は級友の集まりの会には喜んで来る。
彼は呑み会の前日から下見聞に出向く。当日は誰よりも早く、二時間も前から呑み会の会場
に行って、我々を待っている。呑み会を楽しみにしているようだ。


閑話休題

昨日、私は庭で作業をしていた。
途中、電話が鳴った。
作業とは、一週間前の大風で犬走りの上の屋根が吹き飛んだ。私が作ったプラスチックの波
板を張った「小屋」と称している部分の屋根のことである。増築した様になり雨が漏らない。
修繕修理には四日間かかった。基礎の木部をすべて解体して、再度 屋根を張り替えた。

多忙な最中の最中の電話だった。廃材をチェーンソーで裁断し、紐で括る作業の忙しい途中で
あった。
走って電話受話器を取ったら、いちばん電話に出たくないH君だった。
「小林君んちはナンバーディスプレーが付いているのだな。すばらしい!!」と言った。

そうだ!! 彼のナンバーをセットしておこう。繋がらないようにセットしておこう!!!
あいつの為にナンバーディスプレー電話を設置したようなものだ。

4月14日は大船で呑み会を開催する。あいつは来るかな? 大船は鎌倉市内である。



2012/4/12志望校
二所帯住宅の条件・憲法を書いてみる。しかし、これとて不文律で規則ではない。心がけとで
も。
NO,1 ある程度の土地と家の広さ。(玄関やトイレの数や厨房や部屋数などのこと)
NO,2 黙視すること。いちいち口にしない。コップにはコップいっぱいの水しか入らない。
NO,3 当番でもなく順番でもなく、気づいたものが動くこと。
NO,5 孫のことを褒めなければならない。反対に叱ってはならない。

今日はNO,5のことについて書いてみよう。

愚息が勢いこんでやってきた。
「爺ジ、見てよ見てよ、見てやってよ!! 一成の成績表だよぉ」
へんだなぁ、今ごろ。もう、四月の新学期に入ってだいぶ経つ。今頃、成績表とは・・・・
「一成の塾からの発表だよぅ。志望高校に入学可能性が90% だいじょうぶだってぇ!!」
・・・・・・  
まだ、中学二年になったばかりじぁゃないの。(陰の声)
「ほら、英語の点数なんか見てやってよぅ、92点だぜぇ!! 国語も88点だぜぇ!!」・・・・・・   
ふぅーむ、なんかぁ いまいち よくわからんがぁ・・・・・(陰の声)
「国語が56点で、ちょっと悪いんだけど」と、(声が小さくなる)愚息の声。


まぁ、要するに、5教科が500点満点中 孫は373点であって、愚息の自分自身のときの点数よ
りも はるかに良いから「がんばったぁ!!!」と、言いたいのである。

愚息が喜んでいるのに水を注すようなことは言ってはいけない。これが同居住宅を和やかに
過ごすための鉄則なのである。
「ふぅーむ、がんばった甲斐があったじゃん!! ママが(孫の母親)喜んでいるだろう。

確かに黙々と頑張っていた様子は認める。それが学校の成績にそれほど反映しないのが不
思議だと思っていた私であるが、もちろん そうゆうことは一言も言わない。
まっ、継続は力なり・努力の花はいつかは実る(?)だろうかと思ってはいたが・・・????
この中学二年と三年の二年間を、継続していければ????とは、思ってい.るが・・・・・

孫の態度が反抗的でないのが なにより良い。勉強することを嫌がる風潮がないのが良い。
それで、あとは二年後の結果が如何にでるかである。

書類を眺めて見ると、この地域ではNO,3の学校が志望校であるらしい。NO,1の高校は、恐れ
多くて希望することを遠慮したようだ。しかし、もしも、もしもであるが、徐々に幸運にも成果が
上がってきたら、NO,1の高校に乗り換えても・・・と、爺ジとしては無責任に思うだけは思うので
ある。口にはしないが。

まっ、大いに褒めて、励ましてやろう。褒めても、それほど有頂天になって、狂うような態度では
ない孫ではあるが。





女は作る人、男は食べるだけ
四年生に進級した女児孫が母親の手伝いをしていた。夕食のメインは餃子のようだ。餃子の
皮に具を詰めている。
「きれいに手を洗ったから、ステンレスのボールとトレイを出して洗っておこうか?」と、餃子の
作業の段取りもわかっているようだ。

私は孫の母親に言った。「女の子が一人いて よかったねえ」と。嫁はハイと答えた。
女性は幼児期から食事作りに慣れておくことは良いと思う。
私は孫にも告げた。「大きくなったら、ママといっしょに餃子を作ったなぁ」って、覚えておきなさ
いよと。孫は40個の餃子を作った。そして、ご飯のお代わりを三杯もした。食べ盛りである。

家内は別の台所で、ゴボウのキンピラだけ作った。味噌汁とサラダは嫁が作った。

15年前から、家内は姑になった。歳は50歳だった。早くから家事から開放された。洗濯はまだ
やっている。掃除もまだやっている。

ところが、近年 土曜日曜は嫁が近くの洋菓子屋さんへ三時間だけのバイトに行くようになった
ため、土日だけ家内が夕食作りを担当することになった。
しかし、人間は早くから楽を覚えると宜しくない。夕食作りが大義になったようだ 。めんどうにな
ったらしい。
昨日は確かに大変な労働をした。材木の残骸を息子と家内と私の三人で片付けた。半日かか
った。チェーンソーで切って、束ねて、紐で括り、山のようなゴミが出た。夕方までかかった。

「夜は、どこかへ食べに行こうか」と、私が気配を察して家内に告げた。とたんに機嫌が好くな
った。
「一成、なっちゃん、爺じが夜はどこかに食べに連れて行ってくれるんですって」と、大声で孫た
ちに告げた。自分がいちばんうれしいくせに。

これが先に、家内の方から「疲れたわぁ、もう、いや! 誰かぁ 晩ごはん作ってよ! それともどこ
かに食べに行くぅ??」といわれると、「俺は家で食べるのが好きだ! ファミレスなんて嫌だ!」と答
えたくなる。 
昔、顧客様夫婦が山梨県の小淵沢に別荘を建て、訪問したことがあった。話せば長くなるので
簡単にいうと、シベリアでの抑留生活から開放されたご主人は、老後の人生を仙人のように静
かに過ごしたいと希望し、小淵沢に引きこもった方だった。壮年期は満州で裁判官の最高位
の長官だった。戦犯として中国から判決を受け、18年間の長期の抑留生活を過ごした方だっ
た。70歳まで公証人として横浜伊勢崎町で仕事をした後、山梨県の山に入られた。
友人の俳優の故・峰岸 徹君と二人で別荘に行った。理由は省略する。

その奥様の忘れられない言葉は こうであった。
「まいにち毎日、朝昼晩と食事作りで女はたいへんよ。もう、私は83歳よ。主人は食事が終わ
ったら、そのあたりを散歩して、俳句や川柳を作って、・・・」と、語られた。 確かに、そのあたり
は散歩には最適な土地だった。南アルプスの麓、駒ケ岳は残雪が輝き、白樺や唐松林が美し
い土地だ。命からがら無事に帰国したときは、美味しい食事を毎日作ってと、大決心したであ
ろうが、何年か後は・・・・。医師の息子さんとNHK勤務の息子さんと娘さんと、子どもたちは三
人もいたが、一緒には住まない主義らしい。101歳まで、ご主人は生きた。毎日5万円かかる
石和市の温泉病院で最晩年を過ごされた。
私は家内が留守のとき、ときどき昼は食べない。作るよりも餓死を選ぶ。



同期会の打ち合わせ (懇談会のようなもの)
久しぶりに中学高校のときの母校を訪ねた。九月に卒業50周年記念同期会の計画があり、そ
のための打ち合わせ役員会であった。
学校の隣といってもよいほど近くの靖国神社へ寄り道をした。春宵値千金。夕暮れながら青
空。
4/5木曜日・平日だというのに、夜桜を愛でながら酒を呑もうかと、いっぱいの人々。さすがは
花の都・東京九段である。本殿までの外陣の沿道は出店・屋台が、これまたいっぱい。折りか
ら満月に近い月が煌々と東の空に上ってきた。一時間ほど散策した。

役員は12名。今日の出席者の中、9名は小学校から上がってきた連中で、私一人が中学から
の入学だ。小学校からの同期生の結束は固い。なにしろ12年間の繋がりである。しかもA(ア
ー)組に主導権があるようだ。私たち外部生(C組)セー組の二人のクラスメートは都合が悪くて
今日は欠席した。
同期会の計画が今日の主目的であるが、会えば久しぶりの「あいつはどうしてる? えっ、死ん
だの?  
行方不明らしい」から始まって、孫は何人だ? 俺んちはまだだよ、来月、長男が結婚するなど
と、にぎやかな話に花が咲き、主題から脱線する。

S君 曰く、「去年、俺 とうとう借金の16億8000万円を完済したよ!」 「でも、死ぬつもりはなか
ったなぁ、借金を苦にして」 「電車の座席に座っている人たちの顔を見ながら、この人たちもな
んらかの悩みがあるのだろうなぁ」と思っていた、などと語ったのが印象的だった。
エライものである。私など、気が狂うか絶望しているか、淡々と語ったS君の顔は悲壮感もなか
った。
S君は慶応の経済卒。奥さんは御茶ノ水大卒の才女。やはり大きく育っている。堂々としてい
る。

「俺んちは まだ孫がいねえんだよ」と言ったA君の頭髪は出席者の中でいちばん薄く、丹頂鶴
の様を呈している。なかなか元気がよく、意見も活発に述べた。日本鋼管に勤務していたよう
だ。

a君とa-a君は沈思黙考型である。人の意見を聞くタイプ。とうとうと述べるタイプではないのは
お利口人間だと思うが、会議であるからアイデアを持つ人は述べてほしい。A君は株式会社ロ
ッテに勤務していたようだ。

a-a君の現在は凄い!! 今日も高級車で、しかも運転手付きでやってきた。学校の正門の前の
大きな洋館はビートルズのジョン・レノンの奥さんのヨーコさんの実家であるが、その前に川崎
ナンバーの車が長時間停まっていることに、私は気づいていた。50歳代の運転手が主人の用
が済むのを待っていた。なにしろ、親父さんから禅譲された大病院の事務長である。親父さん
は92歳まで事務長として病院を切り盛りし、運営に手腕を発揮した。そして、なにがなんでもこ
のポストは他人になど渡すものか、かわいい息子に渡すぞ。息子よ ガンバレ、俺の眼の黒い
うちに早くと。
a-a君は定年退職後にすばらしいポストを手にした。仲間たちは「うらやましいよなぁ。いい親父
さんがいる奴はぁ」と、ささやいた。
a-a君が運営している病院は、a-a君の親父さんのお姉さんのご主人が病院の創立者であった
のだ。そして、その創立者夫婦には幸か不幸か、お子さんが一人もいなかった。それで創立者
の奥さんの弟であるa-a君の親父さんが事務長(実質上の経営者)になったようである。
尚、創立者は我が母校の大先輩であり、某医科大学まで創立した人物である。
私たちがお世話になった寮生は治療費も入院費も手術代も、一切無料にしてくれた。大恩人
である。第一・第二・第三病院まである。
a-a君が事務長になってからの某日、a-a君が葉山の我が家にやってきた。「病院にシスターを
派遣して欲しい。誰か紹介して欲しい」と。私の姉の所属しているシスターが一人希望した。シ
スターになる前、看護婦として該当病院で勤務していたので、本人も喜び 即決定した。

 
某ホテルにて開催予定が決定。某・ホテルはM君の「顔がきく」らしく、交渉はM君が担当してく
れることになった。欠席判定。M君はミュージッシャンである。幼児からハーモニカの特訓を受
けていた。中学生のとき、彼の演奏を聴く機会があったが天才的だと思った。岳父は某・有名
ハーモニカ会社の創立者。自分の顔を会社の商標にしていた。しかし、現・公立小学校の音楽
教育の楽器はプラスチックのリコーダーと呼ばれる縦笛が採用され、今、ハーモニカを吹ける
人は少ないだろう。ハーモニカの方が楽器としては高度で複雑である。メロディーとベースを同
時に入れることができる。ベースとは伴奏のようなものである。しかしハーモニカは価格も高
い。生徒の全員が所有することは困難。リコーダーは 1オクターブしか音階が出ない中途半端
な楽器である。

T君はソニー株式会社に勤務していた。愉しい人生だった様子。自信満々に満ちている雰囲
気。音楽にスポーツに仕事に打ち込んできたと語った。音楽は半プロとしてドラムを叩き、ジャ
ズに明け暮れたらしい。石原裕次郎と同じく慶応卒だから彼に憧れたかもしれない。私たちは
石原氏よりも少し下の世代である。
営業本部長まで上がったと聞いた。常務・専務までは上らなかったが、会社人の花形は営業
本部長がいちばん愉しく、やりがいがあったであろう。ソニーも、井深さんや森田さんからバト
ンタッチされた後は、アメリカと日本と両方に本社を有する会社となり、複雑な想いがあるかも
しれない。

M-M君は、音楽学校を経営していて、芸能人たちが業界に入る前の段階で勉強したり訓練を
受けている学校である。有名な芸能界の音楽家と付き合いがあるようだ。自分は無神論者で
カトリックの信者ではないが、奥さんと息子娘さんは洗礼を受けていると語った。

同期会の当日、ミサを奉げてもらったらどうだろうということに話題が行った。同期生のO君が
神父になっている。世田谷区・三軒茶屋教会の司祭である。彼に頼もうかということで、ところ
で、カトリックの洗礼を受けている人は?? ということで受洗をしている者が挙手したところ10人
の中5人がカトリックの信者であった。やはり都会はカトリックの信者が多い。ミッションスクー
ルが多いからだろう。
学校は男子校だが、カトリック系。父兄にも生徒にも信者が多いはずだ。

ところが、建学の精神・学業のシンボルというべきフランス語が最近はおろそかにされているら
しい。
医師の父兄が多いため、英語を強化しなければ医学部への受験に差し支えるという意見が強
くなったようだ。
また、歌舞伎界の御曹司たちの多くが青山学院に取られているというのだ。別段、歌舞伎役者
の師弟が多く来ることを喜ぶ風潮はないとしても、見限られるのは悔しい。

そんなこんなの70歳を目前に控えた同期生は、「飯を食いに行こうぜ」と、靖国通りを新宿方面
近くの市ゲ谷あたりまで歩き、ようやく中華屋で飲み食いができた。が、表通りは満席の店ば
かり。

春の夜、桜並木は続く。ぼんぼりの明かりが歩道を照らす。コートもオーバーも着ている人は
いない。今年は長い冬だった。東北の被災地はまだ雪かもしれない。

夜も10時を回った。地下鉄で東京駅まで出て、あとは横須賀線に乗車。
「御徒町で人身事故・電車はストップ」という電光掲示板あり。暗い気分になる。
逗子駅まで家内が車で迎えに来てくれた。

私は原則的に断酒したが、今夜はビールの小ビンを一本だけ飲んだ。





アナログ人間
かわいい子には旅をさせろという。65歳の我が家内はとても可愛いいとは言いがたいが、いつ
も助手席に乗ってばかりで、自分で運転をしないと、いつまでたっても道路道筋を覚えていな
い。
それでいながら家内はカーナビを信じない。

家内は、今日は横浜戸塚区まで所用で出かけるという。
その後の予定の、戸塚区平戸から長女の住んでいる神奈川区三ツ沢までの道がわからない
という。

国道一号線を横浜市内の方に戻って、狩場IC交差点を右折すれば、横横高速道路に入れる
よと教えても、そんな道は無いという。
あるのだ!! 1メートルを何億円もかけて造った立体交差の大きな高速道路が20年も前から存在
している。
で、その後 其処を走ったとしたら、「この道なら、知っているわよ。説明が下手だったから わ
からなかっただけよ」などと、かならず屁理屈をいう。

何回も同じコースを走っているはずなのに、「そんな道は無い」と言い張る。家内の頭の中に無
いだけのこと。

ナビをセットしてやろうかといえば、そんな必要はないとの答え。口で説明すればよいという。
こうゆう人間をアナログ人というらしい。回線が存在していない。それでいて頑固である。教え
てもらうことを恥と思っているのだ。

その点、私は素直である。教えてもらうことを別段 恥とは思わない。どんどん新しいことを吸
収しているつもりである。
パソコンや携帯電話などの新情報は際限がないから自分に必要以外のことは知りたいとは思
わないが、便利なことは習得するつもりである。

家内は今更、道路地図を引っ張り出して眺めている。
現代は道路地図などは時代遅れである。あんな細かい字は読むのが大儀である。

私のカーナビは高価ではないがたいへん優れものである。7万円以下の値段だが、何処を走
っても その地域のFM放送局から10分毎に有料で、情報が送られてくる。渋滞情報も事故情
報も、迂回路も指示してくれる。

有料道路のゲートでのATMも便利である。
Netで銀行振り込みができるのもありがたい。入金も知ることができる。いちいち銀行やゆうち
ょへ出向かなくてもよい。

雨天でも家の中で仕事ができるのも有り難い。

明治時代の人たちが聞いたら驚くだろう。






夢の話・曾孫のこと
昔、壽屋のキャッチコピーに「トリスをのんでハワイに行こう!」というのがあった。昭和30年代の
終わり頃か40年代の初めだった。壽屋はサントリーの前身の会社名。
まだ誰も彼もが海外旅行に行ける時代ではなかった。ハワイは夢の島だった。

私も自分を鼓舞するコピーをつくった。
「断酒して 曾孫を見よう!」

酒を断って10日ほどになる。もう 呑みたい気持ちはなくなった。禁断症状もない。イライラする
こともない。妄想もない。幻聴もない。
体調はすこぶる良好。

意志は軟弱の方である。三日坊主のほうである。なにかと理屈を述べて、中断するのがうま
い。

しかし、古希を目前にして酒やビールと決別したことは大英断であったと自分では思っている。

さて、今 我が家の内孫が13歳の男児だから、長生きはあと10年では心もとない。15年後と考
慮しなければ曾孫は見られないだろう。

女児孫のほうは9歳で、6月の後半になると10歳になる。4月から四年生になる。
これとて、順調にいって、やはり15年は待たないと結婚→出産という流れにはならない。

15年後は、私は90歳になる。もしも生きていればであるが・・・・
酒を止めたぐらいでは おぼつかない。認知症の関門が控えている。
私の両親は90歳と86歳だった。長命だったといえる。良い遺伝子を貰っていると思う。それゆ
え、酒やタバコで命を粗末にしたくない。両親とも認知症はまったくなかった。

曾孫とはなんぞや?
NHKの朝のドラマの「カーネーション」の主人公糸子さんは御歳88を演じているが、曾孫とおぼ
しき子役の顔が出ている。88歳になれば運が好ければ曾孫が見られるようだ。

曾孫を見て、どうなるというのだ?
どうってことはないだろう。だんだんと縁は薄くなる。
ドラマの主人公ほど、高名であれば孫の嫁からも尊敬されるだろうが、ただのモウロク爺さん
ではどうしようもない。

まっ、与えられた命を飲酒如きで粗末にすることはやめようかなと、思った次第である。



断酒とLED電球

LED電球を買ってきた。
我が家にはまだ三つ目である。4000円少々という高値であるが「10年間もちますよ」といわれ
ると10年間長生きできることを保障されたような気がしてうれしい。

電波時計を腕にして5-6年経つが、たしかに一秒も狂わない。これは10万年保つという。鶴亀
よりも長生きである。

LED電球と電波時計と、それに加えて「断酒」を決心して・・・・・まだ一週間であるが、もう慣れ
た。

呑みたいのは決心したその夕方だけだった。その後 体調はすこぶる良好。

一日の仕事が終わり、ほっとする夕方の6時から夕食を待つ7時までの間である。この間 一
日のニュースをビールを飲みながら観ることは「癒し」になる。

ところが、この癒しタイムに冷たいビールを飲むと、お腹がゆるくなった。
暖かい日本酒ならばよかろうかと、お燗をした酒にしてもダメ。暖かい中国の紹興酒でもダメ。

整調薬ビオフェルミンは私の座右のクスリで、便秘気味のときも軟便のときも強い味方である
が、ビオフェルミンを飲みながらビールを飲むのはみっともない。

70歳を目前にして、これが神の啓示かなと思い、断酒を決心した。一週間に一日ぐらい休肝日
をつくったらどう? と、なんどもカミサンから言われていたが、わかっちゃいるけど止められない
のが男である。その結果、タバコと酒で男は女よりも短命である。

ビールを飲むといっても500ミリリットルの缶が一本か、日本酒ならば一合だけ。
自分は大酒呑みではないと自負してきた。外での付き合い酒は年に数回だけ。だから肝臓は
丈夫だとカミサンと自分自身に弁解してきたが、やはり加齢であった。腸が疲れてきたのだ。

困ったことに、4月14日に、学校時代の同期生と鎌倉で呑み会をやる予定が入っている。
春秋の年に二回、私が10人余の湘南グループを主宰しているのだが、「どうしたの? コバヤシ
君、気分でも悪いの? 」に、いちいち弁解したり、友人たちに水を差すようなことになっては困
る。
やはり禁を破って、この日だけは楽しく飲むべきかなと、今 思案している。悩んでいる。
ビオフェルミンをガバガバ飲んで、ほんの少しだけ酒を呑もうか・・・・

中庭のLED電球と二階の廊下と洗面所天井の電球は煌々と輝いている。
元気でなくては長生きしても意味がない。元気でいないと、食べてもうまくない。

孫たちの行く末を、しばらくは見ていたい。あと10年ぐらいは・・・
LED電球と勝負したい。





花咲カニの勧誘電話
なにかブログを書くネタはないかなぁと、いつも気をつけている。
カミサンが一言ったとしても、夫婦喧嘩の原因になることばかりで、まいどまいどこれでは面白
くない。

「お元気ですかぁ??」と、親しそうな声の電話があった。ナンバーディスプレイの画面を見ると、
0120から始まる番号だ。そして「お忙しいところを恐れ入りますが・・」とくれば100% なにかの
勧誘電話である。

「北海道の花咲カニって、ご存知でしょ??」ときた。
そんな高そうなものは食ったことがないが、名前だけは知っていると答えてやった。

「おいしいンですよ!!! 北海道でも花咲港でしか水揚げが無いカニなんですよ。いかがですか?」
と。

「オジサンは、もう歳だから、わかんないよ。俺、認知症なんだよ」と、私。

「でも、お声は張りがあって、お若く聞こえますがぁ・・・・」と、女。

「ダメなんだよぉ、もう。88歳だよー、オジサンはぁ。タバコをのまないから声は若いって言われ
るよ」と、私。

「へぇー、そうなんですかぁ。ところで、花咲カニはいかがですかぁ?」と、しつこい女。

「俺ね、こないだも100キロばかり鮭を買ったらしくて、ウチのものに文句言われたよぉ」と、私。

「お爺さん、私も100キロばかりカニを送っていいかしら? ご住所はぁ??」と、激しく詰め寄る女。

「ところで、アンタは幾つ?? 何歳??」と、私。

「私、60歳ですぅ」と、女。

「ふぅーむ、65歳かぁ。ウチの家内とおんなじ歳だな。いや、娘の歳だったかな。いや、孫だった
かな。ところで、俺は今年で何歳になったのかな??  俺に会ったことあるかなぁ??アンタ」と、
私。

だいたいこのあたりで諦めてくれる。

電話は北海道からではないのだ。大阪のどこかからである。時々この会社からカニや海産物
を買っているので、二ヶ月ごとに電話がある。

午後の二時か三時なると眠くなるが、こんな電話は眠気覚ましになるからおもろい。からかわ
れているとは気づかせないで、からかうのがおもろい。

「ところで、カニが200キロは幾らになるの??」と、聞いたら「もう、いいですぅ」と、電話が切れ
た。

ボケは神さまからの贈り物といわれる。毎月一回、89歳の認知症の姉の見舞いに行っている
から、ボケ演技は上手になった。迫真の演技。それとも伝染したかな??



2012/3/19孫の成績

部屋には中学一年生の男児孫と私の二人だけであった。
二学期末の成績表が戻ってきたと聞いた。

「どうだった? 成績表は? 」と、私。
「上がったのもあったしィ、下がったのもあった」と、男児孫。

ちょっと間をおき、
「で、上がったのは、なに?」と、私。
「英語と数学が上がったよ。英語は18点上がった」と、男児孫。

「えっー! すごいじゃん! それで、英語は何点だったぁ? 」と、私。
「60点」

・・・・・・・・・声無し。

もう、聞くのを止めた。              
もちろん、けなすなどはしない私。

あれだけがんばっていたのに・・・あれほど真面目に勉強していたのに・・・ママと二人で、夜も
土日の昼も・・・英語の塾にも通っているというのに・・・

親に反抗的な言葉や態度はまったく無い。素直で真面目で努力している。

じゃ、なぜなのか? 理解に苦しむ。

継続は力なりとか、最後に勝つのは努力したものだとか、コツコツやれば、いつかは実ると
か、 慰めの言葉はいろいろ想い浮かぶが、いったいこれはなんなのだ。

母親がかわいそうである。母親は孫の面倒をよく見ている。キレない。怒らない。
中学生の勉強ともなると、なかなか難しいとも思うが、私が聞くところによると「最初からずぅー
と見ていますから教えられるのです。急に途中からだと難しいでしょうね。教師でもないかぎり」
との答え。

女児孫・小三年生のほうは、入学以来ほとんど100点である。最近は、たまに95点や90点を貰
ってくるが、気にもしていない。屈託がない。マイペースである。自慢もしない。他人のことは言
わない。

兄のほうも、屈託がない。恥じ入るという雰囲気もない。残念だったぁという気配もない。弁解な
ども言わない。妹のテストの成績を羨むということもない。人は人、自分は自分で、唯我独尊の
道。
周りの親や私たちも、女児孫とは比較はしない。

他人を押し退けてもという気概もないらしい。
それでも空手は熱心に通っている。たしか、3級のはずだが、試合になっているのだろうか? 勝
ち負けにコダワラナイ性格なのか? 山奥の仙人のような奥義・心境に達しているのだろうか? 

大学入試や社会人入試のころ、私たち爺と婆は手に汗をして眺めていなければならないのだ
ろうか?       いま、13歳だからあと10年後のことであるが、生きていられるだろうか?
まっ、人生いろいろ。




2012/3/14パン戦争

川柳にある。「行列ができて味が落ち」と。
ところが我が町 葉山町にはますますおいしい味のパン屋さんがある。その名をブレドールと
いう。

私たちが葉山に住まうようになって40数年経つが、そのころからそのパン屋さんはあった。
正確にいうと、そのパン屋さんの前身のパン屋だった。
仮にB店とする。
そして今b店があり、B店は消えた。
b店はB店からの暖簾分けのようなものであるが、正確にいうと正式な暖簾分けではなくて、B
店が破綻したのでb店が生まれたのである。

判りやすくいうと、b店の店主は当時 勤めていた親店のB店が潰れたので、破綻後の三年後
に奥さんと二人でb店を立ち上げたのである。
b店の店主の奥さんがB店のオーナーの妹さんであった。そして独立開業したb店の店主は、当
時のB店のいちばん古くからの職人さんであった。

ややこしい話だが、これでご理解いただけたであろうか。

当然B店とb店は戦争状態に突入した。彼らはそのように思っていなかったかもしれないが、消
費者たちは「どちらのパンの味が良いか、あちらは石釜で、こちらは電気釜だ」などと言い合っ
た。

私はどちらのパンもおいしいと思う。それほど味覚に自信がない。どちらのパンの味も匂いも
良い。

それからというものは、B店のオーナーは次々と替わった。理由は知らない。

先般まで、B店は私鉄の傘下に入っていたが、このほど とうとう閉鎖してしまった。
B店の店先に「パン あります」と書いた木札がぶら下がっていると、「あっ、そうそう、パンを買
っておかなくては」と、急いで買ったものだった。一日に三回か四回か、パンを焼くので、焼きた
てパンを求めるには、急いで買わなくてはならない。

B店が消えて、b店が独り勝ちの状態になった。

ところが、好事魔多しというように、このたびb店の奥様が亡くなったのである。67歳。合掌!!
どんなに店主はがっかりしたことであろう。生涯をかけて、ここまで店を繁盛させてきて、これか
ら後継者に店を託し、ゆっくりと朝寝をしたり、海外旅行をしたり、なんでも好きなことを夫婦揃
ってできる身分であったであろうに、残念なことである。惜しいことである。悔しいことだろう。

私は、顧客様に出向くとき、手土産にここの食パンを持参している。
昨日、夕方近くなり、お店に行ったら、「売り切れ」だった。予約済みのパンだけ、棚の上に寂し
く二本だけあった。

我が家では、ここのパンは高いからあまり買わない。スーパーで、いつまでもカビの生えない安
いパンを買う。

横浜から手作りのパン屋さんが車に載せて売りに来る。カミサンは、そのオジサンが気の毒だ
からといって、男児孫のオヤツ用に そのパンを買っている。私は食べない。気持ち悪いから。




2012/3/7帰宅難民のリュック・サック
嗤いたい奴は嗤えという心境である。言っておくが私は臆病ではない。小心者でもないが、大
胆かというと それほど勇気凛々男でもない。
用意周到なだけである。事前に備えをしている方である。

昨日 リュックサックを買いに行ってきた。
黒くてシンプルな品。色彩豊かではない。派手なロゴ・マークもない。

以後、私は分身のように、このリュックサックを携帯電話の如く 常に肌身離さず、何処へ行く
にも背中に負ぶって外出する決心でいる。(嗤いたい人は、ここで遠慮なく どうぞ)
特に、東京へ電車で行くときは、これを背中に負ぶってい行く決心である。

午前中、netで防災対策グッズを注文した。
netで見ると、いろいろな物が販売されている。よくも考えつくものだ。安い!!! 6500円ぐらいの
買い物だった。お湯を注ぐとスープになる品も二種類買った。呼子笛も買った。簡単なレイン・
コートも買った。へルメットも買った。ヘルメットは車両の屋根の上の「ジェット・ボックス」の中に
も一個用意している。懐中電灯もフォーク&スプーンも付いたナイフも買った。
飲料水は重いからリッュクサックには入れない。まさかの時は、コンビにで買う。(水ぐらい買え
るだろう)
歩き良い靴もリュック・サックに入れておくと良いようだ。革靴では歩行困難となる。

なにゆえ、リュックサックを買い、防災グッズを準備するかと申すならば、以後なるべく東京へ
は車両では行くまいと思うからである。
地震が「もしも」おきたら、私は悠々と折畳み式自転車をジェット・ボックスから出し→空気ポン
プでタイヤの空気を入れなおして→ヘルメットを被り→乾パンや飲料水を背負い→衣服を改め
→懐中電灯を夜ならばつけて→雨ならばレイン・コートを羽織り→帰宅難民者たちを横目で見
ながら、悠々と自分だけ生き伸びようと思っていたのであるが、東京地域の直下型地震であれ
ば帰宅は無理であるかなと、思い直したのである。

テレビで観ると、あの日の3月11日の東京から各地へ急ぐ人々は明け方まで続いたと埼玉県
の老人が語っていた。災害地が東北でなく、東京近辺ならば帰宅は無理だと思う。地獄絵図に
なると想像する。自転車でも、数日後でなければ走れるものではないだろう。火事・車両の火
災などおきて、歩くどころではないだろう。一応、自転車は車両から降ろして、携帯するつもり。
車両はドアの鍵を開放にしておき、車検証を持ち出すことが肝心であると識者は語る。

私の寝室にはベッドの下に靴と、別のリッュクサックが用意してあって、土地や建物や墓地の
権利書などが入れてある。我が家は地震では倒壊しないと思うが、恐れるのは火事の類焼で
ある。
津波もおそらくだいじょうぶだと思う。(天皇さんの御用邸は絶対に免れない)

本棚もタンスも茶箪笥も金具で固定した。トイレ用水として、ポリタンク20リットルを8個 用意し
た。
しかし、山からの湧き水もとうとうと出ているから、水道が止まっても補給は可能である。
次女が簡易トイレを買ってくれた。ガス・ボンベもたくさん用意した。反射板式灯油ストーブも3
個あるので煮炊きはできる。



2012/3/7 いきとし生けるものは
大きく成長していた金魚の一匹が死んだ。小学五年生だった男児孫が 二年半前の夏祭の夜
店で、金魚スクイして求めてきたものだった。二センチに満たなかった金魚は四十センチを越
すまでになった。
生き物は死ぬから飼うのは嫌だとは、ときどき耳にすることであるが、私は幼児にはその逆だ
と思う。死ぬことを見て、体験することも大切だと思う。
孫たちの金魚ということになっていたので、死んだ金魚を見た女児孫がどれほど嘆き悲しむか
と思ったが、冷静に対処した。女児孫が大きな金魚をラップで包み、男児孫がスコップと鍬で
穴を掘り、山に埋めた。そして目印としてブロックの石を置いてきたと報告した。

四匹の金魚は、二匹になった。
私は十人の兄弟のうちの一人として生まれたが、生存者は五人となってしまった。
今、一人の姉の病気がおもわしくない。
私からいちばん歳が近い姉である。といっても、八歳も上であるから、年子のようにじゃれ合っ
て育った記憶はないし、喧嘩もなかった。私が十歳のときには、姉は東京の大学に行ってしま
った。
そして大学卒業後、ただちに修道院に入った。
以来、幾星霜 
東京・聖母病院の看護婦長、札幌・天使院病院看護婦長、奄美・老人施設院長を経て、ようや
く振り出しの横浜・戸塚聖母の園の閑職に落ち着き、八十九歳になる姉が入居している近くの
施設を見つけてくれて、認知症の姉の世話を引き受けると意気込んでいた矢先に重い病が発
見された。

胆嚢管癌から肺に転移している。肺に溜まった水を抜くのが辛いという。
(今、今上天皇も肺からの水を抜くという治療をなさっていると)
担当の医師は「もう 打つ手はない。退院できる元気があるときに、退院して下さい」と、今日 
退院する予定。
あとは自然治癒・食事療法で闘う。玄米食に切り替える。
『癌に負けるな・あきらめるな』の本をお見舞いの人が持参し、姉は読んでいる。
私もnetで、青汁を30日分 注文して送付してもらった。家内も早速、ニンニク醤油を作った。ニ
ンニク味噌煮込みも作るという。身体の中の免疫を上げることが大切であるらしい。

入院した横浜医療センターは修道院から徒歩約15分とはいえ、院長様はじめシスター諸氏が
毎日まいにち 数人が見舞ってくださる。

3月2・3・4日と、京都・聖母女学院ヌヴェール会本部から八十五歳の姉と、神戸・愛徳学園カル
メル会の八十歳の、二人の姉が泊りがけで見舞いに来た。
三日間は病院見舞いに明け暮れた。しかし、姉二人を吊るし雛の展示会にも連れて行き、外
孫たちの家も(横浜の長女宅)訪問することもできた。
次女夫婦が頻繁に見舞ってくれた。住居の、東京に近い横浜・東横線大倉山から藤沢に近い
横浜・戸塚まで、電車バスで行くと二時間半はかかると思う。次女の夫もしばしば同行してくれ
た。心やさしい学者さんである。
末娘と長女と、長男と長男の嫁は一回だけ。(記録しておく)
八十九歳の認知症の姉には、入院中の姉のことは伝えていない。報告しても、瞬間的記憶で
あるから、混乱すると困る。彼女は、そのときの瞬間だけのことしか理解できない。
人は、いつか、この時を迎える。姉たちは生涯をかけて、奉仕の生活をおくり、この時を より
よく迎える為に その道を選んだのであるから、嘆くことはないのである。とは、思うものの。



2012/2/23
慈母観音
孫の母親が中学一年生・男児の腰や背中をさすっていた。朝、私が二階から降りてきた時の
様子。

「どうしたの? 具合でも悪いの? 」と、私の問いかけに答えたのは相変わらず、本人ではなくて
母親のほう。
「疲れているんですよ。学期末試験前だから、毎日まいにち塾塾塾で・・・」と、母親。

なんだ、そんなことか。
それにしても、王侯貴族のお坊ちゃまクンではあるまいに。ましてや、病気でもないのに。
「そんなに甘やかすな!!」と、言いたいところだが、賢明な爺さんは黙視。
しかし、やっぱり一言 いっちゃった。
「一成、まだまだこれからいっぱい大きな山が待ってるぞ。高校入試や大学入試が」とだけ。

二人しか産んでない母親は子どもは貴重品扱い。四人五人となると必然的に手が回らない。
私のように十人目ともなると、母親も育児にも飽きていただろうし、舐めるようには育てられた
記憶はない。
亡母が76歳のとき、郷里から亡父とともに呼び寄せ、90歳で没した。
亡母は私の孫たちに対しても、淡々とした接し方だった。亡兄の子どもたち(孫)も既に五人も
いた。超年寄り婆さんだったから、お年玉も無し。孫たちに玩具や服すら買い与えることはなか
った。
それに対して、私はなんの不満もなかった。必要なものは親が与えるべき。
(私たちは今 孫に買い与えているが)

しかし、四人とも私立小学校に入学したから、中学に上がるときは50万円を二度をお祝い金と
して貰ったことがある。車両を買い換えるときも少々支援してもらった記憶がある。過不足なか
った。

昔の知人にN君一家がいた。
N君は次女の、幼稚園→→小学校卒業までの同期生だった。(男女は中学校では別れた)
問題はその親と、なかんずく、その婆さんだった。N君の父親は新潟県からやってきたご養子
で、自衛隊の教官殿。自衛官の幹部候補生たちを鍛え、訓練することではベテランでも、婆さ
んと家付き娘の嫁には白旗を掲げた連戦連敗の教官殿であった。
N君の婆さんは、N君に望むものはなんでも買い与えた。孫がフランスに渡り、画家になるとい
ったときも渡航費を出した。N君の絵が卓越していたという話は聞いたことがない。その後の果
は知らない。婆さんが発した嘆きの言葉がある。「ウチのマー君を、まともに教育してくれたら
100万円だしても惜しくない」と。戸塚ヨットスクールを紹介してやればよかったと思っている。

私の亡兄の長男も溺愛育児の産物だった。
記憶にある傑作な出来事は、甥が初めての幼稚園のお遊技会に出ることになり、楽器のパー
トはチェロということで、亡兄は息子に30万円のチェロを買った。現在61歳になっているはずの
甥が5歳~6歳の頃の話である。楽器の音色は三日間だけ家屋内に響いていたという。
その長男だけは他の四人の子どもたちとお菜が違った。常に女中さんが住み込みで三・四人
いた。
30歳になっても愛称は「坊や」だった。今、その甥はホームレス国に住民登録している。三回の
結婚と三回の離婚の果て。

私も男児孫のためと思い、なけなしの金で多少の改築などをしているが、「売り家と唐様で書く
三代目」と、なってほしくないなぁと願っているが、あとは野となれ山となれである。




2012/2/23
セールス電話
「お忙しいところを 恐れ入ります」とくれば10中8~9はセールス電話に間違いない。
「私 4月初旬に横須賀市中央にオープンする予定のリサイクル店○○○○と申します」
立て板に水の如く、間 髪を入れず、次から次へと喋る若い女性の声。

私も仕事柄、同様のセールス電話をする身であるから、ガチャリと電話を切るのはかわいそう
に思え、また 相手がリサイクル・ショップということで一応聞いてみることにした。

「今回、オープン前に、葉山地域の皆様方のお宅で、なにかご不用の物が お有りでありまし
たら買取りをさせていただくことで、お電話をさせていただきました」

「フム、フム、なるほどなるほど。で、何を中心に取り扱い販売をしているの?」と、私。

「ハイ、なんでも取り扱いますぅ」と、女。

「へぇー、なるほど。すると、着物なんてものも取り扱いしているの?」と、私。

「まぁ、着物でもかまいませんけどぉー。洋服やバッグが主ですねぇ」と、女。

「オジサンちは、着物なら沢山あるんだけど。どうせ二束三文なんでしょ?」と、私。

「えっ?? 二束三文って、なんですか?」と、女。

「・・・・・・絶句!!! 」私。  「二束三文って言葉  知らないの?」と、私。

「知りません。二束三文って、どうゆう意味ですか?」と、女。

「あっ、そうなの。それじゃぁさァ、十把一絡げっていう言葉は どう?  知っている?」と、私。

「すみません。それも知りません。申し訳ありません」と、女。

「いやいや、悪かったねぇ。オジサンは もう 60歳の後半だけど、あなたはお幾つ?」と、私。

「ハイ、24歳ですぅ」と、女。

「じゃぁ、こんど ウチの家内によく言っておくよ。じゃぁネ、またネ」と、電話を切りました。
良心的なリサイクル・ショップだと思いました。






2012/2/23
臭い魚
食事中、出されたお采やおかずを、拒否することや、途中で食べない意を示すようなことは、
私はしない。
しかし、今回は別だった。

何? この味?? と、思った。昨晩はなんとか我慢して食べた。
同じものが今朝の食卓に また 出た。半分食べたが、残りを黙って洗い場に持って行った。

「臭いねぇ。あの魚・・・」とだけ言った私。

「やっぱりぃ??? 鯖の味噌煮なのよ。スーパーで安かったのよぅ。古かったのかな? 」と、カミサ
ン。
古い魚など食べさせるなよぅ、といいたかったが黙っていた。
ゴマ鯖は安いらしい。

昨日は、誰も食べなかったらしい。鍋にいっぱい まだ残っていた。
カミサンは、その魚を 自分自身は食べなかったようだ。そして、私だけに食べさせたというこ
と。
大体において、孫たちは魚よりも肉を好む。ハンバーグ、カレー、シチュウ、スパゲッティー、ピ
ザ、マックのチキン、焼きソバ、etc,

私たち高齢者が好まないものばかりを若い人たちは好きだ。

我が家の夜の食卓は、老人向きと10代の若い成長盛りの子ども向きと、息子たち夫婦と、ま
だ家に居ついている末の娘と、いろいろに考慮しながら作る為、主婦はたいへんである。
台所が二つあるので、メインは息子の嫁が作り、家内があと二品か三品を手伝う形である。
なにもできない私は文句をいう訳にはいかない。息子も食事には文句を言わない。

まっ、平和を保つには食は大切である。




2/11 思い出シリーズ 鼻のこと

中学一年生の男児孫が鼻を詰まらせ、ぐずぐずさせながら勉強している。
それを見て、自分の過去のことを思い出した。

男子寮の舎監は私に告げた。専門家でもないのに、鶴崎先生という名前のバカな舎監は「キミ
は蓄膿症に違いない。手術をしたほうがよい。成績に影響する。頭が悪くなる」と。
時は昭和三十年、春まだ浅き三月末。グランドの隅には沈丁花が強く香りを放っていた。
朝の学習時間には、ちり紙を丸めて鼻の穴に突っ込んで勉強していた。チィシュ・ペーパーは
その頃は無かった。
その夏休みに、大阪の耳鼻科に入院して手術を受けた。大阪出身の先輩の親御さんが、耳鼻
科医院を紹介してくれた。耐え難いほど大阪の夏は暑かった。まだ、医院にさえエアコンは無
かった。(食欲が無くなり、毎日 うどんばかり食べ、便秘になった)
ともかく手術をした。麻酔はしていたが、鼻の骨をガンガンと鑿(のみ)のような器具で叩き壊し
た。医療用電気ドリルではない。もう一度いうが、たしかに鑿である。頭蓋骨に響いた。

閑話休題。
ちょっと脱線するが、フランス語の教師に仮宿先生という教師がいた。「もしも」という意味を表
すとき、仏語の教師の仮宿先生は常に「もしも、クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の
歴史は変化していただろう」という文章を書き、絶対に暗記しろと新入生に教えた。パスカルの
パンセの中の一節。肝心なことは忘れ、つまらないことは覚えているものである。

Le nez de Cleopatre : s'il eut ete plus court, toute la face de la terre aurait
changee
ここで言いたいのは、私の鼻も手術さえ受けなければ、鼻の骨を叩き切らなければ、もっとイ
ケメンで、人生も変わっていたかも知れないと言いたいのである。
今では蓄膿症などいう語彙は無いのではないかと思う。鼻の骨の中に膿が溜まると脅かされ
た。学習意欲がソガレルと言われた。頭脳明晰でないのは鼻のせいではない。自慢じゃない
が元々である。そして、蓄膿症と告げられたことは「鼻炎」だったと、今では自己診断をしてい
る。空気のきれいな丹後の田舎から東京に出てきて、たくさんの自動車の排気ガスを鼻腔が
吸うことにより、過敏に反応したのだ。東京の空気に慣れるに従って、鼻水も止まった。私は環
境適応能力がある。

男児孫の母親に一度だけ、アレルギー性鼻炎の治療の件を提案したが無視された。もう、言
わない!!
私は片方の鼻腔だけ、治療してもらった。50歳を過ぎてからである。治療費3000円。要した時
間は3分。無痛。とても楽になった。

いよいよ楽しみな、花粉症の季節である。

「和代さん、ほらほら、あそこの杉の木も、いっぱい実がなっているよ。あっ! 風が吹いた!! あ
っ!!
飛んでる飛んでる!! すごい!! 黄色い粉だねぇ。けっこう 飛ぶもんだねえ」
マスクをした嫁は「ワタシ、杉の木を見ただけでクシャミをしたくなるんです。見たくないです!!」

大阪・吹田の町中から葉山の田舎に来た嫁は、今年は足骨折と花粉症の二重苦の春である。




2/11 早春賦

この季節になると思い出すことがある。そして、毎年 思うことがある。

東南の山陰に位置する我が家は、湘南地方特有の暖かい日差しを受けていない。南関東は
冬でも滅多に降雨がなく、大方の家々は毎日燦燦と太陽の恵みを受けているのだが、いちば
ん太陽の明るさと暖かさが欲しい11月後半から2月の半ばまで、我が家は陽が当たらない。空
は青々としているが、庭は氷室のようである。

それでも新嘗祭(建国記念日)がくると、ようやく山を覆った木々の枝から、わずかづつ陽が刺し
てくる。

「そんなわけでネ、我が家では、2月11日の朝、皆で庭に出て、太陽の方を向いて『太陽サン 
ありがとう、太陽サン ありがとう、太陽サン ありがとう』って、三回唱えてお辞儀をするんだ
よ。それから皆で、早春賦の歌を歌うんだよ」と、新婚まもない息子の嫁に告げた。

当時は まだ素直だった息子の嫁は、「ワタシ、その早春賦の歌を知りません。本屋に行って
買ってきます」と答えました。
そこへ、カミサンがやってきて、「ウソよ、嘘嘘!!  オトウサン、 いいかげなことを言っちゃあダ
メよ!!」と。

それからというもの、しばらくの間 嫁は私がなにを言っても、疑い深そうな目をして、カミサン
の方を見るようになった。


春は名のみの風の寒さよ// 谷のうぐいす 歌は思えど//
文語体の見事な詩である。

作者は中田 章氏。 氏は「夏の思い出」などの作者である 中田喜直氏の父親である。
 
  (私もピアノで猛練習した)



2012/2/1
暖房器具にも歴史あり

吉田兼好は記している。
「家の造りようは、夏をむねとすべし。冬はいかなる処にも住まる。暑き此わろき住居は、堪え
がたきことなり」と。
たしかに我が家は夏宮殿である。山際に建っているから山からの冷気を感じ涼しいが、冬の
庭はまるで氷室。
これまで暖房には金を惜しまなかった。この冬も灯油はどれほど購入しただろうか。
しかし、貴重な化石資源の石油を暖房だけのために消費することは勿体無いと思う。

いま ペレット・ストーブを購入しようかと、悩んでいる。ペレットとは間伐材をチップス状に細か
く砕き、乾燥させ、固めたものである。小指の先ほどの大きさ。灯油の半分以下の価格であ
る。しかしストーブ自体がまだ高価で、高いものは40万円前後。安いものでも20万円前後する
上、強制換気のための穴を壁に開けなければならない。ストーブは鉄制鋳物。ファン・ストーブ
よりも長持ちすると思う。ファン・ストーブは精密器具だから、毎年の冬の前に掃除が必要であ
る。電気と灯油の両方の費用がかかる。

我が家にはファン・ストーブが三台あるが、昨年から原始的な反射板式ストーブを三台購入し
た。この三台とファン・ストーブ二台で、今年の冬はこれでしのいだ。毎朝灯油を注ぐ。

他に、エアコンが三台あるが、家内がエアコンを嫌うので使用しない。
管理が楽なのはなんといってもエアコンである。しかも安全。スイッチONor0FFでよい。

学生の頃、寮では石炭ストーブだった。廃材でかなり大きな石炭小屋を作ったら、舎監が泣か
んばかりに喜んだ。石炭ストーブや薪ストーブは、事前の用意と消火後の掃除が面倒である
が、雰囲気は良い。
昔、顧客様に、ホテル・オークラと東急ホテルの支配人さんの奥様がおられて、居間の暖炉に
白樺の薪を燃やしてくれたのが強く記憶している。かっこ良かった。雰囲気も良い。

勤め始めて、初ボーナスを貰ったとき、対流式石油ストーブを親への土産に買って帰った。暖
かいなぁと、親たちは喜んでくれた。あのころは炬燵だけだった。そのことを某・顧客様に話し
たら、古いオイル・ヒーターを下さった。その顧客様宅は全館集中暖房(セントラル・ヒーティン
グ)を設置した。高砂熱学の副社長さんの奥様。しかし、田舎の我が家のアンペアは低くて、ヒ
ューズが飛んだ。ご好意はありがたかったが、ご返却した。

その後、オイル・ヒーターも買ったが隙間風のため効果は少ない。三菱の強制換気型ガススト
ーブも二台買った。これは良かった。長く使用した。アラジンのストーブも愛用した。

ペレット・ストーブがもう少し廉価になれば購入したいが、ペレットは、今のところはnetで注文し
なくてはならない。愚息や嫁は、そんな面倒なことはやらないだろう。私は雰囲気を大切にし
て、楽しんで生活をしょうと考える人間だから、そうゆうことへの努力や向上心は惜しまない。
家内はシンプル・ライフが良いという。物は増やさない主義である。私はその反対で『新し物 
好き』である。なんでも買ってくる。意見が合わない。




家に歴史あり
2012/1/30
去年のちょうど今頃、一月の終わりから二月にかけて、駐車場の拡張工事をやってもらった。
車両は四台入るようになった。息子や孫が喜ぶだろうと思い決心した。

また 隣接の山の木を一本 切り倒してもらった。ピサの斜塔のように、家屋に倒れるような気
配を感じながら、40年過ごしてきた。台風のときには心配であったがこれで後顧の憂いがなく
なった。
職人さんは八万円の見積もりを提示したのに、どうしても二万円の値上げをして欲しいと告げ
られた。納得し難いが、妥協した。喧嘩しても仕方がない。まっ、これで安心。

大屋根の雨樋を除去してもらった。山際の別荘や山小屋では、落葉が雨樋を詰まらせてしまう
ことがあるので、雨樋を設置しないのが常識であるようだ。

次いで、今回の屋根の工事である。
見積もりを、しっかりとした。
追加として、雪の落下を防ぐ対策もした。
「お前も少し金を出せよ」と、息子に告げたら、たった10万円だけ出した。もう、年齢は41歳の
はず。腹がたつというより、情けない。

今の場所の住居は新築以来、五回の増改築をしてきた。

私が土地を初めて取得し、新築したのは28歳のときであった。
今は昔、奇特な方が、私に土地をほんとうに安く分けて下さった。当時の顧客様であった。横
須賀市のロータリークラブのガバナーといって、各支部の会長たちの その上の会長職であ
り、誰もが紳士的な人と評価する方であった。横須賀市上町の某・書店のご三男さんであっ
て、某・酒屋さんのご養子さんに入られた。酒屋さんといっても、そんじょそこらの酒屋のオッサ
ンではない。慶応経済学部卒で、某・銀行の理事でもあった。私立学校の代表や、裁判所の
調停員など、名刺には肩書がいっぱい。

新築した場所は逗子市の神武寺駅のプラットホームの隣といってもよいほど、駅から徒歩3分
の近さ。
その某・紳士が婿入りした先のお宅が、昭和25年の農地改革のとき、小作人に一時的に取ら
れた土地であったからあまり未練もなかったのであろう。五人の小作人たちに私が出向き、一
人ひとりと渡り合い、返還に応じてもらった。五人の人たちの印鑑を集めた。怖い者知らずで
あった。
そして、大きな家を建てた。東南に面して、桂離宮のような・三段面の雁行の形の大きなアルミ
サッシのガラス窓。おおよその図面は私が書いて、設計士が本格的に訂正してくれたのであ
る。広い芝生の庭であった。居間は30畳の床フロア。

が、実兄が運転資金借金の担保に入れて、結局 銀行に取られた。私から騙し取ったのであ
る。
怒り心頭に達し、絶交→独立開業→そして今日に至る。怒りを仕事へのバネとして、がんばっ
た。
因果応報。亡兄の長男は現在 ホームレス人。この寒空の下、何処にどうしていることやら。

11ヶ月間の借家生活。二間のアパートで過ごした。現在の葉山町に新築した。小さな家だった
がうれしかった。故郷から両親を呼び寄せた。40年の間に5回の増改築をした。土地は86坪。

息子へ残すというより、孫に託してやりたい。存続できるように「がんばれ!」と告げている。




2012/1/15
電話にも歴史あり

いきなりカミサンが言った。
「オトウサン、電話器を処分してよ」と。

なんのこっちゃ? 電話器を処分しろって。おだやかではない。

「うるさくて しょうがないわよ。いったい この部屋に何台電話器があると思ってんのよ」

電話器が何台って、・・・何台あるかなぁ、・・・一台、二台、三台っと・・・
親機が二台と子機が二個あるが、それがどうした。別段 趣味でたくさん電話器を増設してい
る訳ではない。必要上、そのように設置したことと、また、自然の流れで今の状況がきただけ
の話である。

最近、電話器が増えた訳は、姉の使用していた電話器を捨てるのは勿体無いので そのまま
使用した。88歳の姉とは28年間の同居生活が終った。一昨年、転倒して大腿骨骨折、手術後
は車椅子生活になったので、今は施設でお世話になさっている。

No,1 居間には主電話器の子機(a)がある。
No,2 台所のカウンターの壁にも親機(B)がある。これをせっちしたのは10数年前で、その理
由はたまたま掃除機を使用しているとき、電話が鳴って、台所の換気扇の音や水道の音がう
るさいことがある。その音で遠くの電話の音が聞こえないことがある。それで台所の壁に設置
したのだ。
NO,3 さきほど述べた姉が使用していたFAX兼用電話器・(親機)(C)が来た。
NO,4 それの子機(d)がある。

四台の音が一斉に鳴り出す。電話のコール音は配列的順番がある。No,1からno,4まで次々に
鳴る。間を空けずに鳴る。音と同時に電話器のライトが賑やかに点滅する。
受話器を取らない限り 鳴っている。誰が取るか??? 家族全員七人が揃っていると、お互いに
様子をうかがっている気配がある。独りだけのときは、パッと近くの電話器に飛びつけば良い
のだが、できるだけ電話に出たくないときがある。居間・兼・食堂である為 食事中のときはお
互いの顔や口の中の動きを察知して「しかたがないなぁ。じゃぁ、自分が出るか・・」と、電話器
に向かう。

電話には苦労した。零細企業ほど、一本の電話も大切なのである。注文の電話がどれほどあ
りかたいことか!!!
30歳で独立開業したときは時代は『電電公社』だった。設置を希望しても、すぐには回線の需
要が追いつかなかった。今 思うと、「親方日の丸」的の 生半可な体制であったことが理由で
あろうと思う。民営化された現在では考えられない怠け者の仕事ぶりであったと思う。ともかく、
仮住まいのマンションに8ヶ月間住んだが、とうとう電話は設置されなかった。

同マンションの階下の親切な方が『親子電話』を開設してくれた。私方にかかってきた電話の
用件は、子機を使って、電話を切り替えてくれた。8ヶ月間の電話代金は当然 私が負担した。
葉山に越してきてからも、半年間は電話は設置されず、同じような形で、お向かいのお宅の人
が好意で対処してくれた。

それゆえ、電話は機械ともども大切にしている。
家内の縮緬教室にも二台と、私の仕事場にも三台(一台はFAX兼用)ある。私は電話の音はう
れしいと聴いている。                 だが、私の寝室には無い。早寝早起きであ
るから。



2011/11/23
独り言のように家内がつぶやいた。「11月11日はお爺ちゃんの命日だったわ。忘れていた
わ。・・・・・でも、ワタシ、なにも後悔することないわ」と。
お爺ちゃんとは私の父親のことである。つまり家内にとっては舅。
実は私も父親の命日を忘れていた。母親の命日も記憶していない。たしか、春の三月だったと
は思うが。
しかし、私もなんの後悔もない。やるべき介護や親孝行の真似事もやった。

私は常々思っている。死んだあとの命日の墓参りや供養などは簡単なこと。生きている間の孝
養こそ肝心であると。
そして、自慢にもならないが、いまだに両親の墓参りはしたことがない。魂は天国にいるから、
墓の中になど、いないと思っている。
墓は滋賀県草津市にある。場所はだいたいは知っている。そのうち、行くつもりだが。

亡兄に両親のお骨を渡したのである。亡兄は顔が立ったといって喜んだ。
その兄も故人となった。

両親は私たちが結婚した翌年に、丹後の田舎から当地に呼び寄せた。そして父は87歳まで、
母は90歳まで永らえた。施設に入居することもなく、自宅で天寿を全うした。
そんなわけで、なんの悔やみも反省もないと私は言うのだ。

私も家内に言った。「俺もさぁ、アナタの両親にも、やるべきことはやったつもりだよ。いっちゃ
あ悪いけど、義弟よりも(家内の弟)よりも、義親への努めを果したつもりだよ」と。

義理の親たちが生きている間は盆と正月はかならず孫たちを連れて帰省した。
東名高速・名神高速を10時間かかって走った。旅費だけでもかなりの出費であったが、親孝行
のつもりで帰省した。そして、帰省のたびにぜんぶの部屋の蛍光灯の蛍光管を交換した。テレ
ビも二回、冷蔵庫は一回、掃除機も一回、風呂釜の煙突も自分で交換したことがある。
日曜大工が好きなので、家内の実家で退屈しのぎに、あまりでしゃばらない程度のことはやっ
た。あの頃は若かったから、薪割りなどは楽しかった。
別れの際は、かならず10万円を置いてきた。食い扶持のつもりで。

ウチの娘の婿殿たちは、なぁーんにもしてくれない。いまのところは・・・・
まっ、いいけどね。




2011/11/20
「イッセイ、その荷物の梱包を解いておいてちょうだい」と、私は中学一年の男児孫に仕事を命
じた。そして、「あとでも いいよ」とも付け加えた。
私が部屋から出るとき、すぐに荷物の梱包を解きにかかる孫の姿が見えた。
まだお眼にかかったこともない、奈良県の宇陀市から「金ごぼう」と「黒醤油」などが送られてき
たのである。感激である。
仕事中の私の所へ、荷物の中に入っていた品々の報告にもやってきた。

三・四日前のこと、同じように私は孫に頼みごとをした。配達されてきた重い飲料水を機械に設
置するように命じた。
「婆バの足が痛いから、イッセイがやってあげてね」と。
そのとき、孫はゲームかなにかをやっていた。
そしてその夕方、家内が同じことを孫の父親に頼んだ。水は直ちに機械に設置された。
たまたま、その現場にいた私は孫を叱った。滅多に叱られることのない素直な孫で、私も叱る
役目は両親に任せているから、孫には褒める言葉だけにしているが、今回は少々厳しく叱っ
た。
「キミが大きくなったとき、就職して、上司になにか命令されて『忘れていました。スミマセン』で
はすまないのが職場や社会というものだよ。一度でもそうゆうことがあったら『こいつは使えな
い奴だ』と烙印を付けられるのだよ」と。

その場にいた孫の父親も黙って聞いていた。
珍しく、なんでもすべてに口出しする家内もそのときは沈黙していた。

今朝は、英語塾に行くべき時間にギリギリになって飛び出して行く男児孫を父親が叱責してい
た。男親のカミナリは偶には必要である。
そして、小学校三年の女児孫には、朝食後の食器洗いと、寝室の布団を押入れに片付けるよ
うにと命じていたが、小さいときから家事の手伝いをさせることは良いことだと思う。

いつか機会があったら、もう一つ男児孫に伝えておきたいと思っていることがある。
「おいしいという言葉を口に出して食べなさい。黙々と食うばかりでなくて。
ヨメサンを貰ったら、そのとき爺ジの言葉を思い出しなさい」と。
どんな嫁が男児孫には来るか? 先は遠い。



2011/11/18
主よ、みもとに近かずかん/のぼる道は十字架に/ありともなどに悲しむべき。

慈しみ深き友なるイエスは/罪とが憂いを取り去りたもう/心の嘆きを包まず述べて/などかは
おろさぬ負える重荷を。

神ともにいまして/ゆく道をまもり/あめのみ糧もて/力を与えませ/また会う日まで/また会う日
まで/神のまもり/なが身を離れざれ。

私が暁星中学三年のとき、彼は一年生として入寮してきた。
昨晩は、その彼のお通夜だった。
東京・四谷の聖イグナチオ・カテドラルの中の聖マリア小聖堂で、しめやかに執り行われた。
四年来の闘病生活。肺が繊維状態になるという難病。エベレストやマナスルなどの高山に酸素
ボンベ無しで登頂を試みるような苦しい毎日だったらしい。偉丈夫で、たいへんなイケメンだっ
た。彼の闘病や末期のことを知ったのも偶然だった。
先月の二十日、大阪で学校時代の先輩同期後輩が親睦を目的として集う集まりの会があっ
て、電話で私は彼を誘った。
翌日、彼の奥さんから電話が入り、彼の再入院と、彼は今年いっぱいを永らえることはないだ
ろうという知らせを受けた。
私は即、神父様の派遣要請した。彼の入院先と携帯電話や固定電話番号を知らせた。
神父様は私の一年後輩で、彼の一年先輩という間柄。神父様はブラジルに33年間宣教のた
めに赴任していて、今年帰国したばかりである。そして某・修道会のトップとして着任した多忙
極まりない毎日を過ごしているはずだが、すぐさま行動に移した。そして、彼の魂を天国に送る
ため、臨終の儀式と、告白と称する罪の懺悔をさせ、キリスト者が信じるキリストの身体を白い
小さなパンのような形に表したものを彼に授けた。
彼は心からの安らぎを得て、数日後 やすらかな死を迎えた。
カトリックの神父はどんなに多忙でも、要請されれば、死を待つ人の所へ走る。魂を救うために
は拒否することは絶対にない。ちなみに、費用の金は不用。

余談ながら、私は家内の父親と母親にも、いわゆる『天国ドロボウ』をさせたことがある。
兵庫県福知山市立病院に入院中の義父へ、福知山市内のカトリック教会の神父様を頼んだ
ら、神父様は快諾した。
また、義父はそのときまで仏教徒で、檀家総代であったことも、義父が神父様を受け入れるか
どうか、不安であったが、案ずるより産むは易しというが如く、うまく運んだ。
義父も肺癌だった。呼吸困難の状態は見ていても辛かった。

今、友人は、すべての苦しみから開放され、天国で安らいでいると私は信じている。
彼の奥さんもたいへん喜んでくれた。彼の奥さんは昔、ワタナベ・プロに所属していて、往時は
三人娘の一人として大活躍していた。(キャンディーズのようなもの)
まだ テレビは白黒の時代・揺籃期であった。『黄色いサクランボ』などの歌が流行っていた。





20011/11/15
式のとき神父さんは言った。「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのと
きも、富めるときも、貧しいときも、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつま
で、愛し慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?」と。
あいにくと、外人の神父さんの発音は聴き取りにくかった上に、なにしろ もう、40年も前のこと
だから霞の彼方。でも、おぼろげにハイと答えたような気がする。
丈夫で長持ちいたしますというから結婚したが、足の骨を折った。
誰がって? 家内がである。お産のとき以外、床に就いたことがないのが自慢。
この11年間、ちりめん教室は一度も休んだことがない。しかし、足の骨を折っても生徒さんの
来訪は拒まない。その翌日もその翌日も、何人もの生徒さんが今日も来ている。
我慢強いのはわかる。意地張りなのはいちばんワタシがよく知っている。アクシデントに強いこ
とも知っている。火事場の馬鹿力のような、いざというときに強いのも知っている。
しかし、しかしである。整骨院の先生もレントゲン撮影に行った整形外科の先生も「奥さん、自
分で思っている以上に重症ですよ。お正月までにギブスがとれたらというところですよ」とのこ
と。
私はこの際、なんの役にも立たない。松葉杖は肩が凝るから嫌とか、拒否する家内に「だった
ら杖ぐらい使えよ」と、ぼやきながら杖を勧めるぐらい。
しかし、幸いなことに我が家には心やさしい嫁がいる。晩飯に食いっぱぐれることはない。家庭
内に主婦が二人いると、便利である。主婦も不死身ではない。80歳すぎて老齢になっても朝昼
晩の食事や家事労働は難儀である。
その日の翌日は京都からの泊まり客の予定もあったが、いつものように家庭内は回っていた。


その日は生徒さんの多い日で、家内は生徒さんに椅子を譲っていて自分は畳に正座して作業
をしていた。あまりにもシビレがきれていて、急に立とうとしてシビレていることに気づかず、足
の甲の足首から接地したというのが、家内の骨折の会見であった。

そのような患者さんはときどきあるようで、その接骨院ではその日の二人目であったという。
まっ、足は大切である。足だけでなく、歯も目も認知症の頭も賞味期限は限界寸前である。
「洗濯ものぐらい 私が干すよ」といっても、嫁がさっさと既に干してしまっている。嫁は庭の落
ち葉掃除も朝のゴミだしもがんばっている。むろん、私も手伝うが。

芸能人の加藤 茶さんのように、40歳以上も年下の妻だと、足首の捻挫ぐらいですんだだろう
か。



2011/11/10
最終列車に間に合ったような気がする。発車のベルが鳴っている最後尾の車両に飛び乗った
私であった。
なんのことかというならば、運動不足に悩んでいたが、まだ一ヶ月間ぐらいであるが、このとこ
ろ、朝六時に起床して、競歩をやり始めたのである。
バス通りの向こうの山を開発した住宅地の坂道を登り、早足で歩いている。ノルデック・スキー
競技のように両手には革の手袋を嵌め、二本の杖を持って歩いている。
杖は金剛杖というのだろうか、富士などの霊山詣りの修行者が持つような白木の杖。それと革
の手袋・革の帽子を被っている。これであやしい雰囲気はない。誰が見ても、「このお爺さんは
朝の三時に目が覚めて、早くからガタガタさせたら家人から文句を言われるから、朝食ができ
るまでの間 散歩をして時間を潰しているのだなぁ。空き巣の下見聞に来たのではない」という
ことが自然とわかり、眼と眼が会うと互いに挨拶を交わす。出会う人たちは笑顔を送ってくれ
る。
犬に引かれて善光寺ならぬ散歩人が多い。犬は首の綱をピンと張り、ハァハァいって張り切っ
ているが、飼い主は嫌々顔である。今日は土曜日曜だぜ、たまには休ませてくれよと言っても
犬は六時になるとお構いなし。ワンワン吼えて飼い主を起こす。「犬を飼ってぇ!!!ボク、かならず
犬のお世話するから」と言った言葉も何処へやら。あのとき小学生だった子どもは中学生とな
り部活の練習に早くから登校し、犬の世話どころではない。
「今日はお前が連れて行けよ。あなたが買った犬でしょ? ワタシは最初から買うのを反対したで
しょ!!!」と、お互いに犬の散歩を押し付けるオトウサンとオカアサン。
犬はそんなことは知っちぁあいない。散歩の途中、うんことおしっこをして、さらに元気を増す。

私はこれまで少しの坂道でもはぁはぁ喘いでいたが、人間とは続けることにより肉体は改善で
きる。
早足で400mほどの山を切り開いた住宅地の坂道でも、いちども止まらずに頂上まで登れるよ
うになった。
朝の空気を胸いっぱいに吸う。心肺機能も復活したようだ。
東からの太陽の光に西方の相模湾が輝いて見える。冠雪の富士とその手前には箱根連山。
伊豆半島がくっきりと眺められる。そして江ノ島。早い時間から釣り船が点々と浮かんでいる。

七時半には間に合うように帰宅する。
家内の寝ている寝室のドアをノックもしないで開ける。
「朝だ朝だぁーよ、朝日がぁーのぼおるぅ。きょおぉも元気で 陽がのぼおーるう。みんなぁ 起
きよぉ」と、いつもの朝の歌を歌う。
最初のうちは「もう、やめてぇーぇ。うるさいわよぅ」と言っていた家内も最近は諦めたか、なんに
も言わなくなった。しかし、まだ起きない。八時までは絶対に起きない。
NHKの朝のドラマ・カーネーションを観て、朝食が始まる。これが最近の一日のスタートとなっ
た。


2011/8/17
猛暑の中、お盆も終わった。京都五山の送り火も故郷・丹後の宮津の灯篭流しも好天の中に
終了。
まだ、五千人の遺体が見つからない被災地では、万感の思いの新盆であったであろう。
この日本的大行事のお盆を私は加齢とともに意義深く思うようになった。
それはすなわち家族の絆である。
地方の旧家では一族への力を誇示する行事である。正月礼と盆礼という言葉をなんども聞か
された新婚のころの私は奇異に聴こえた。
終戦間近に疎開者として京都市内から宮津市という町に、流れ者のようにやってきた私宅は、
その地には親戚のものが一人もいなかった。加えて、仏教徒ではないのでお盆に対する認識
もなかった。
家内の実家がある地域は日本書記に地名が記述されているというほど、古くから変化のない
過疎の田舎である。先祖代々動いていない。お墓もそのころからあったのだろう。
お盆を迎えるのはまず墓の掃除から始まる。そして13日14日15日の三日間、朝と夕に墓参り
をする。墓参りの途中で、都会に出たもの達は懐かしい知人にばったり顔を合わせることがあ
る。涼しい川の橋の上は最高の場所である。蚊もこない。延々と立ち話が続く。これがお盆の
楽しみであるようだ。
お盆の中日の15日は、その家から外に嫁いだ女性たちが夫や子どもや孫たちまで引き連れて
やってくる。手土産を持ってやってくる。
親戚の人たちは、まずは仏壇詣りというのをやる。お線香を上げ、鈴の鐘を鳴らし、しばし瞑
目する。それからその家の当主に・次に当主の妻であるその家の主婦に・それから長男と長
男の嫁に挨拶をする。順番は大切である。女性の一番目は長女にである。それから長女の連
れ合いである夫の私の番となる。私よりも年上で、社会的にも立派な男女が、畳に額を擦り付
けんばかりに挨拶をされると困ってしまう。まだ若かった新婚間なしの頃は返答にまごついた。
しかし、それは私にではなく、お盆の行事の礼であった。
昼になると山海の珍味というべき大ご馳走の祝宴となる。普段は質素な地方の人たちも、盆と
正月は大盤振る舞いをした。
親戚一同の話題は、その席に出席できなかった者が話題になることも多かった。息災である
か、嫁を貰ったか、養子に行ったか、何人目の孫で誕生したか、大学入学から就職から、話題
は尽きることがない。そして高校野球・甲子園の熱戦を観ながらだから忙しい。
親戚づきあいとは、この盆礼と正月礼に、堂々と胸を張って出席できるように、日々の生活を
送っていなければ出席することは気兼ねすることになる。親戚から白眼視されるような生活者
は肩身が狭いから、おのずからひかえるようだ。だから日々はがんばって仕事に励む。
広い畳の部屋で、男も女も身を横たえながら、昼寝も兼ねて、エアコンなどなかったが、広い部
屋には涼しい風が通った。
「昔とは父母がいませし頃をいう」という言葉があるが、幸せとは過ぎてしまってから感じるもの
である。


葉山の拙宅のお盆は、横浜から長女が二人の孫を連れてやってきた。夫は仕事であった。
そして夜、十時過ぎ、渋滞も終わったと思うころ、「大漁大漁 大収穫」といいなから帰宅して行
った。
お米10kg・肉・デパート券・少々の現金がそれである。

「ワタシ、高速道路の1700円しか持ってなかったの」と聞けば、致し方ないではないか。
夫はJR東日本の某・駅の助役だから、給料もきちんと貰っているはずなのに。
そういえば手土産は一切無かった。



2011/5/20
われら夫婦は一月ほど前から家庭内離婚というほどでもないが、夜は別居生
活をしている。
夫婦喧嘩しているわけではない。むしろ夫婦の関係が円滑にいくようにという理
由で、夜になると家内は布団とマットと枕を、離れの自分の作業場兼教室にせ
っせと運んでいる。
夫婦関係が円満にいく為という理由は、家内が最近観たテレビの番組というの
が、これぞわが意を得たり・良くぞ言ってくれたと、自分の言いたいことを代弁し
てくれたらしい。
今朝、家内から聞いた話によると、今、欝状態で苦しんでいる女性が多く存在し
ているらしい。その番組では、女性の欝を具体的に解説してくれたというのであ
る。日本でも唯一 東京女子医大でそのような女性専科の治療教授も出演して
解説していたという。そして、そのような状態で苦しんでいる女性は、即 家庭
内寝室別居をお勧めするというのである。

どうしてなのか、このなんとなくうっとおしい理由が判らなかったが、ある日それ
はサラリーマン生活を定年退職した夫が毎日毎日 自分のそばにいることに辟
易した自分に驚き、気がついたのである。

現役の頃は、夫Aは牛乳一本を自分で冷蔵庫から出して飲んで、夫Bはコーヒ
ーか紅茶とトースト一枚を食べて、あるいは夫Cはベーコンと卵を焼いて食べて
出かけた。
それだけでよかった。そのあと、朝寝の続きができた。

それが今はどうだろう。
それらすべてぜんぶ食べた夫A+夫B+夫Cは「リンゴは無いのか?昨日のケー
キは残っていないのか?今朝はパンではなくてうどんが食いたいなぁ」などと
うそぶく。

夫が出勤したあとは自由解放であった。
テニス教室・陶芸教室・昼間のカラオケにも行った。茶道に謡曲・香道・お習字・
和歌の教室・川柳・華道、なんでも齧った。かじっただけで何一つものにならな
かったが、今そのことは問題ではない。

今は外出がしにくくなった。
「月の一日から出かけるのもじゃない。何処へ行くのだ? 今日も出かけるのか?
また行くのか? きのう行ったばかりじゃないのか? 今日は雨が降っているぞ。
風邪がはやっているぞ、止めたほうがよくはないのか」
挙句の果て、放射線が今日は厳しいらしいぞとまで言うようになった。

夕餉の買い物にも付いてくるようになった。運転と荷物持ちには都合が良いか
と思いきや、食料品はいいかげんにしろと言って大工道具ばかり買い込む夫で
ある。


夜も安らぎがなくなった。
好きな韓流ドラマのイケメンに会えない。日曜の大河ドラマでさえは「最近はつ
まらない。『おしん』や『おはなはん』は良かったなぁ」などと言う。
『おはなはん』は朝ドラで、そのころ私はまだ幼稚園だった。そんなの知るかぁ!!
いちばん頭にくるのは夫がパチパチ手元チャンネルで変えることである。
一時間に7-8回も変える。
「いやいや、もっと面白いのをやっているはずだ。こんなつまらない番組を観て
いたら時間が勿体無い。時間は有効に使わなければならない。時は金なりだ」
と言いながらパチパチやる。

そんなこんなで、夫婦円満の秘訣は夜の寝室別居ということになった。

まっ、いいけどね。





2011/4/20
今日の夕方、次女が泊りがけでやって来る。
明日の土曜日に、次女は友人の結婚式(披露宴)に和服で出るという。
母親に着物を着付けしてもらう為に、前日金曜日に実家に一泊するというのである。

そこで私は、前もってネットで本を数冊 注文しておいた。
次女の夫に読ませる為の育児の本である。

しかし、次女夫婦には、まだこどもがいない。身ごもってもいないらしい。
私は「パンダに負けるな。パンダに先を越されるな」と、言いたいところだが、面と向かっては言
えない。

ネットで購入した本というのは、「IQ 200」が1円
                     「超天才児」が1円
                       「早教育と天才」が1円
                               「幼児は算数が好き」が1円である。
中古の本ながら、こうゆう類の本は1円で購入しても、価値は落ちない。
普通に新刊本価格で買うと一冊\2000前後はする。

いずれも『七田チャイルド教育』のサイトからリンクして「教育出版」のサイトから注文したもので
ある。

web.の巧みな方々で、興味のある方々は次の言葉から検索してごらんになるといいと思う。
孫が生まれたばかりの方々・自分が出産したばかりの方・まもなく出産する予定の方々で、頭
の悪い子よりもできれば良い子がいいと思っている方々には、一読の価値があると思う。

『早教育』の語彙で検索して、上から二番目を開いて見るといい。
『早教育と天才no,1」がヒットする。ここをプリントアウトして、通覧するといいと思う。
そして、もっと実践してみたい方は、古本をネットで購入して、自分の子供や・孫にやってみると
いい。
「鉄は熱い中に打て」「雀 百まで踊り忘れず」というように、乳幼児のときがチャンスである。
頭を金髪に染めたガングロ娘や、鼻や唇に金属リングを付けた息子になってからでは難しいと
思う。

学歴や学校の成績だけが、人間の幸せではない。それが災いをもたらす場合もあるだろう。
しかし、美男美女は10中8・9はラッキーであると、そうではない私は思っている。
海外旅行にパスポートがぜひとも必要なように、しかるべき環境に於いては学歴が必要であ
る。頭脳明晰であらねばならない職場や職業がある。そして、私から眺めると、高い峰は、
ほとんどが、そうゆう人たちで占めている。
隣国の中国や韓国は周知のとおり、教育は猛烈である。問題点もあるだろうが、事実は事実
であるから仕方がない。負け犬が遠くから吼えていても悲しいだけである。

180年前のドイツ人「カール・ビュッテの教育」。
 古代ギリシャ・アテネでは哲学が生まれ、早教育が盛んであったと聞く。
音楽ではモーツアルトの父親の教育はご存知のとおり。バイオリンの鈴木チルドレンの故・鈴
木慎一氏やソニーの創立者・故・井深 大氏、石井式漢字教育、公文式も幼児の教育に尽力
なされた方々である。

私が初めてカール・ビュッテの名前を知ったのは、今から33年前である。
第三子が生まれた頃である。その本は某・幼稚園の園長をしていた実姉から私の為に贈って
きたのである。しかし、表紙を見ただけで、教育になど興味はなかったので、無視していた。

しかし、数ヶ月後のある日、パラパラと読んでみて驚いた。生後間なしの乳児がいるので、試し
てみようと思った。
二親の学歴や職業が、そのままでは子には伝わらないところが、面白くて、怖いところでもあ
る。
乳幼児といちばん早くから・頻繁に接する母親がいちばん子に影響を与える。
地球上が天才児だらけになっても、こわいものがあるが。





2011/4/4
今回のわれ等の夫婦喧嘩はNHKの朝ドラ・「てっぱん・最終回」で始まり、新番組・「おひさま・
第一回」で終結した。

八時過ぎ、「てっぱん」の最終回をカミサンが観ていた。七時半にBS放送で、さきほど観た番
組なのに、また観ている。
テレビのドラマなどは一度観ればいいと思った私は掃除を始めた。

掃除といっても私が殊勝に掃除機を掛けるのではなくて、ロボットのルンバがやるのだ。

最近、購入したルンバは私のお気に入りである。実によく働く。
部屋中を隈なく、ぐるぐる回り、ゴミを吸い取る。
掃除が終わって、三日に一度ぐらい機械内の掃除(手入れ)をしてみると、中からたくさんのゴミ
が採れている。綿埃・糸屑・猫の毛・人間の毛・パンや菓子の屑のようなものが沢山沢山出てく
る。

ルンバを購入するにあたって、カミサンに相談はしなかった。相談すれば「そんな物はいらな
い」の返事は必至であると思った私は内緒で買った。

そして、テレビを観ていたカミサンは、こともあろうに「音がうるさい!!テレビの音が聞こえない!!」
と怒鳴った。
私はキレタ。
そして二日間、会話をしなかった。掃除はおろか、朝の食器洗いもしなかった。朝のゴミ出しも
手伝わなかった。
すると、昼食は「避難所配給食事」に変化した。つまり、梅干入り海苔巻きオニギリが二個とお
茶だけが私の昼飯になった。
夕食は同居の息子の嫁さんが作るので、普通の献立で食べることができたが、オニギリ二個
だけでは悲惨である。

夫婦喧嘩を早く終わらせなければ私は痩せてしまうと思ったが、白旗を掲げるのは男の沽券
にかかわるし、カミサンは結婚以来、謝ったことがない。自分が謝る必要は一切無いと言う。

新ドラマの風景は信州の安曇野を映し出した。きれいな所である。三度ほど行ったことがあ
る。中でも、映画監督・黒澤 明氏が「夢」という作品でロケの場所として選んだ川の畔は、最
初に見たときは本当に感激した。夏でも手の切れるように冷たい水。そして川底まで透明な、
透き通った流れ。川藻が一本一本まで見える。

テレビの第一回目が終了するや、私は叫んだ。「行こう!!! 安曇野へ!!! お茶(茶道の稽古)は 
さぼっちまえ!!! お茶は毎週ある!!来週 行けばいい!!!」
朝からすばらしい天気だ!!!
すぐに出発した。

カミサンも機嫌を直した様子。カミサンは旅行が好き・温泉好きである。しかし、今日は日帰り
の小旅行である。
かくして、夫婦喧嘩は三日目に終結した。
これで文章の本題は終わりであるが、ついでに言うと、いつもながら、中央高速道からの景色
は良い。桜は二分咲き・勝沼あたりの桃の花はピンク色。なによりも南アルプスや中央アルプ
スの残雪が清清しかった。
アフガニスタンの戦争もこの程度ならば、死傷者も少なくてすむと思うが。



2011/2/28
昔の詩に、佐藤春夫であったか、「フランスに行きたし、されどフランスは遠し」などと書いてあ
ったかと思う?? 佐藤春夫ではなかったかもしれないが、この際 あまりそのことは関係ない。

私は寒い季節には温泉に行きたいと思うが、箱根や伊豆は金がかかるし遠いし暇もあるよう
で無いが、そのうち、いちばん無いのはやはり金である。

そこで庶民の味方・庶民の温泉なるスパをネットで探した。

有った。鎌倉の外れ・大船フラワーセンターと藤沢市の中間の『湯の市』というのを見つけた。
家内と女児孫と私の三人で出かけた。

その地は、私の88歳・認知症の姉が入居・お世話になっている場所から約3キロの近くである。
また、今、膵臓胆道癌を患っている75歳の姉の修道院からも近い。

閑話休題 
先日、テレビで飲料ココアが身体の抵抗力を高めるのに有効であるという番組を観たので、バ
ンホーテンのココアの缶を3個購入し、届けることにした。
また、家内はフランスパンの長いパン(バケット・パン)を6本用意してくれた。

修道院の玄関先で手渡し、認知症の姉の施設も訪ねた。
いつものように・いつもの質問を受け・いつものように答え・いつものように約10分間で退去し
た。もう少し長く傍に居てあげたいと思うが、堂々巡りのやり取りではキレてしまいそうになる。
女児孫は30秒前の質問にも再度 丁寧に答えているので、これ以上は孫が可哀想に思えてく
る。嫌な嗤い顔は見せないで、ニコニコしながら答えている。
憐憫の情が孫に育つように、人間教育の為にもなると信じている。
私たちが居なくなった将来、小学校の頃の幼児の体験や経験は、かならずや影響を与えてい
ると信じている。

スパの温泉は家内と孫の好みに適ったようだ。ようだ、というのは私は大ジョッキでビールを飲
んだため、風呂は棄権した。畳の部屋で昼寝をしただけで温泉には入っていない。

露天風呂も四箇所あるとか。死海の塩や日本酒入りの風呂もあるらしい。生姜湯もあるとか。

老人見舞いセット温泉と名づけよう。


2011/2/28
小学校二年生女児孫の答案用紙が四枚、リビングルームの丸テーブルの上に置いてあった。
私はそっと盗み見した。大きなプリントで、算数二枚と国語が二枚。全部100点であった。

孫が二階から降りてきた。

「100点の人 けっこう居た??」
「居たよ。四人。ぜんぶ100点だったのは私だけだった」と、こともなげに孫は答えた。

会話はそれ以上は続けなかった。
我が家の四人の子供たちにはこうゆう変り種はいなかった。

彼女は入学以来のいままでのテストがすべて100点である。

昨年末の二学期終業式の日、孫が学校から下校してきた。部屋に私のほか誰もいなかった。
私は初めて孫に「今日は成績表を貰ったでしょ?? 爺ジに一度見せてくれるかな??」と尋ねた。
これまで、六年生男児孫の成績表も一度も見たことはない。

女児孫は「いいよ」と気軽に答えて、天使の羽なるピンク色のランドセルから成績表を出した。

担任は女の先生である。年齢は37-38歳ぐらいの、若手であり中堅でありベテランの前といっ
たところだろう。以前、家庭訪問に来たとき、ちらっと顔を見た。広島県の出身であるとか。

成績表は大昔のような甲乙丙丁ではなく、数字の5段階でもなく、「到達した・到達未然」という
ような表現であった。
孫はすべて「到達している」という側に印が付いていた。
しかし、これではあまりにも変化がなくて面白くもない。

担任の手書きの評価の文章を読んだ。すると、いいことばかり書いてある。普通、成績表とい
うものは、「此の面は良く出来ましたが、この部分はもう少し頑張りましょう」と書いてあると思う
が、褒めすぎだと思うぐらいベタ褒めである。
孫が褒められて気分を悪くすることはないが、極め付きは「リーダーが困っているとき、目立た
ない様子で、そっとリーダーを助けてあげていることは良いことですよ」と書いてあった。


私は尋ねた。
「リーダーっていうのは、学級委員のこと?? 先生が選ぶの?? それとも選挙して決めるの??」
今はそうではないようだ。やりたい人が挙手して、ハイハイハイと声が大きいとその人がリーダ
ーに決まるという。
「私はなりたくないの。そういうの好きじゃないの。みんなの前で喋るのは嫌い。でも、私が意見
を言うと、みんなその通りに決まるのよ」と静かに言った。

どうも この孫は産科病院で取り違えられてきたらしい。
私の孫ではないかも知れない。




2011/2/28
今日は上の孫 小学校六年生男児が休校である。孫は朝からリラックスした顔つきである。
先週末の土曜の夜は卒業前のエベントとして六年生全員が学校に一泊したので、代休として
月曜日の今日は授業がないという。

午前中から三人の同級生たち男児がやって来た。

しかし、いつまでたっても静かである。おとなしい。12歳の男の子たちが4人も集まると、大騒ぎ
の声が普通だと思うが、見れば全員がゲームをしている。
押し黙っている。息も殺さず、ゲームに集中している。黙々と、指先だけを動かしている。
それぞれの会話もない。これではなんのために友達の家に来たのか。
爺ジこと、私は怒れる。

孫の母親は、今日は月に一回の「パンの会」であって、数名の若い母親たちが集まって手作り
パンを習っている。それも、二時半には終わったとみえ、母親たちが子どもを引き取りにきた。

ところが、こーちゃんだけは母親が迎えに来ない。来たくても来られない。母親は下の男の子
二人を連れて福島県に帰っているのだ。

こーちゃんは父子家庭なのである。クレーマー・クレーマーの葉山版なのである。

こーちゃんのお爺さん(母親の父)の介護の為、小学校二年生と三歳の男の子二人を連れて実
家で生活していると聞く。
私は間違っていると思う。老いた父親のことも大切だが、将来ある六年生の長男の教育こそ
優先すべきではないか。

こーちゃんの父親は、こーちゃんの面倒を良く見ていると聞く。
孫たちが学校に泊まったその夜も、夕食のカレーライス作りに母親たちに混じって学校に出て
きて手伝っていたという。

しかし、なんといっても父親は仕事を優先しなければならない。夜の七時の夕食に帰宅できる
とは思えない。
近年は土曜日は学校はない。父親は土曜も日曜も完全休業とばかりにはいかないだろう。
まして、こんな突発的な休校日は子どもが不憫と、後ろ髪を引きずられる想いで仕事に出かけ
るであろう。

他人の家庭のことだから我が家に関係ないことではあるが、このような判断をした親たちに私
は怒っている。




2011/2/5
私が住んでいる三浦半島の葉山は山々が入り組んでいる。平地が少ない。
我が家も庭から続いて東南側が山になっている。いちばん太陽の暖かい日差しが欲しい時期
の11月半ばから2月の終わりまでが、日当たりが悪くなる。
鎌倉辺りでも山と山が互いに向き合い、だんだんと道は細くなり、谷間のいちばん奥まった場
所でもかなりの住宅があって、住宅は斜面に建っている様子がうかがえる。
そこは「谷戸」(やと)と呼ばれていて、夏場は早くから西日は陰り涼しいが、冬は悲惨である。

この時期になると思い出すことがある。
まだ此処に住み始めた30歳の頃である。

昔、旭ガラスの研究所に電話を入れた。

我が家の建物の北側に高い塔を立て、それに大きな鏡を取り付けて角度を山の裾に向け、山
の裾にまた一枚の鏡を置き、光を送って反射させると邸内は明るくなるのではないだろうか??

問題は、太陽の移動によって鏡の角度を変化させることであるが、それにはどうしたら良いだ
ろうかと問い合わせた。
鏡はパラポナ式にして、光線と温度の調和をもたらせなければならない。

旭ガラスの研究員は答えた。答えたというより、小バカにしたように「素人さんは愉快なことを
思いつきますねぇ」とだけ言った。すぐ電話は切られた。

たしかに邸内は眩しいだろう。家族全員のサングラスが必要である。
そしてレンズ状になった太陽熱で我が家は火事になる恐れもある。

しかし、後年 フランスでは太陽を追尾した太陽光発電所があると聞いた。
そして、私のアイディアどおりの品が製品化されている。

必要は発明の母という。
有刺鉄線は牧場のバラの刺のある場所からは羊が脱走しないことを牧童が見て発明品となっ
た。
鉛筆が六角形になる以前は丸型だった。転がって落下することを防いだ結果が今の形になっ
た。
単なる思い付きを、どのようにして製品に結びつけるかが岐路になる。
誰か私の とんでもない「単なるおもいつき」を製品化して、パテント料金を折半しようではない
か。



2011/2/5
「いつまでもあると思うな親と金とビールと灯油」
また灯油が無くなった。厳しい寒さのこの冬はしかたがない。
しかも我が家は山陰に家が建っていて、いちばん太陽が欲しいときに暖かい太陽の恩恵に浴
していない。南関東・湘南は 毎日 青空。太陽は燦燦と日差しを注いでいる。
12月23日から降雨はない。
節分もきて、立春。暦の上では春。しかし まだまだ寒い。

この冬 5回目の灯油の購入に出かけた。
ガソリンスタンドの兄ちゃんは、8個のポリタンクを私の車に積み込みながら、『一つのタンクの
蓋が壊れかけていますが、取替えますかぁ??」と言った。
私は答えた。「あぁ、そうしてもらえると助かるなぁ」
「サイズが合うのが有るかどうか、ちょっと調べてみます」と、兄ちゃんは車両修理場の方へ走
って行った。
その辺に転がっていたのを持ってきてくれたと思った。

「ありがたいよ。助かったよ。これで安心したよ・車の中に灯油が漏れたら臭いならなぁ。サン
キューサンキュー。どうもどうも、ありがとネ」と、何回も礼の言葉を述べた。

そして、支払いの伝票を見ると、一枚の請求書は11000円で、もう一枚に210円とある。
「この210円ってのは、なんなの? 」
兄ちゃんは「タンクの蓋の代金です」と答えた。

愕然とした。
「愕然としたのは、お宅さんの勝手です」と、言われてもしかたがないが、勘違いとは恐ろしい。
こんな蓋一個に210円も取るのかよぅ!!!と、言いたいところだが、相手も商売だから210円の蓋
は210円で売らねばならない。

お礼の言葉を言い過ぎた。少し返してほしいとも言えないが、需要と供給は正反対だから仕方
がない。
朝から疲れがどっと出た。
帰宅して、カミサンに報告したら、ただ黙っていた。哀れなものを見るような目つきであった。



2011/1/18
去る十二月六日の診察予定は一月十五日に変更された。
昨日のことだった。
私は一昨日、京都まで日帰りでお通夜に行って深夜に帰宅したばかりであるが、幸いに疲れ
は無い。健康でありがたいが、相模原市の病院まで行ってきた。
早朝に横浜まで行って、検査予約をしている人間を車に乗せて、相模原の病院まで行った。
こんなことを十年間続けている。
カミサンは「忙しくて、妹に付き合っている暇はない」と言う。
二十日から、縮緬教室の生徒さんたちの作品発表会が控えていることは確かである。
生徒さんの製作に、夜遅くまで手を貸していることは確かである。
そうすると、いかにも私が暇のようであるが、暇といえば暇で、忙しいといえば忙しい。

カミサンの妹の、半年に一度の定期健診。
義妹は自分の腎臓に石が在ると信じている。言い出したら人のアドバイスも聴きいれない。
思い込みが激しい。腰が痛いのがその証拠であるという。私や家内の思うには、腰痛は太り過
ぎと、寝てばかりいて、運動不足のせいだと思っている。
義妹はもう、三十五年間、入院している。

最近の語彙でいうと統合失調症である。彼女は今年六十歳になる。
ベッドの上だけが自分の居場所であるが、トイレや洗面所に行くこともできて、近くに買い物や
美容院に行くこともできる。つまり、開放病棟の入院患者である。
病院はホテル並みの建物で冷暖房は完備。去る夏の猛暑も涼しく暮らせたはず。(働かない
で)
二度も言うが、三十五年間である。
毎月、高額入院費を支払いに行かねばならない。小遣い金も含めて、月に七ー八万円。これ
は血税で賄われている。障害者年金支援である。

そもそも、なんで精神に障害をきたしたかというと、誰でも人間は弱いものであるが、一定の条
件が伴い、それが複合的に重なった場合、障害として発生するのではなかろうか。
しかし、彼女には幼児期からの素地はあったような気がする。いちばん大事な幼児期に、はぐ
くまれるべき情緒の育成と呼ばれるようなものが、母親の忙しさの為に欠如されたのではなか
ろうか。

実家は農家であった。飼い牛もいた。人間よりも牛に餌を与える方が優先されたらしい。
しかし、牧畜養豚家業内で、かならずしも障害者はうまれないが、四人兄弟の三番目として、
ほおっておかれて育ったのか。幼児期に、彼女が一度泣き出すと半日でも泣き止まなかったと
聞く。

職場にいた頃、某・男と同棲が始まった。のちのち聞いた話だが、男の母親が自分の所有物
を盗んだと言う。こだわりの塊のような人間にとって、所有物への侵害は絶対に許せない。も
う、この頃から異常をきたしていたのかも知れない。職場の仕事が多忙を極めたのか。今の言
葉でいうとストレス→鬱→精神障害である。この段階で治療を開始すれば完治したであろう
か。

しかし、本人の居所が不明だった。数年後、住所番地が判明し、私と母親と分家の主人との三
人で強引に連れ戻した。本人が二十五歳の頃であった。
そして、神奈川県の我が家に連れて来た。その男の捜索から逃げるためである。我が家から
通勤できるような職場を探した。葉山カントリークラブ・ゴルフ場の支配人に直訴したら受け入
れが認可され、即 決定された。(私はゴルフはしない) しかし、本人は就職を拒否した。
私は怒り、匙を投げた。親元に帰って相談するようにと、新幹線の切符を与えたが、元の男の
所に舞い戻った。そして数年後、本格的に狂って実家に帰ってきた。

二親は三年を経ずして亡くなった。おそらく、娘の不幸を気にして、細胞の活性が萎えたので
はなかろうか。
ローカルな土地に於いては、こうゆうことは一日で伝わってしまう。その田舎では代々 寺の檀
家総代なども受けていた父親は誇り高い気位人間であったが、絶望に打ちひしがれたであろ
う。

父親に続き、母親の葬儀の夜、親族会議が開かれた。しかし、全員 口を閉ざした。
家内の弟もサラリーマンで転勤が伴う身である。結局、家内と私が受け入れることになった。
一年三ヶ月間、我が家で生活させたが、病状は好転しない。民生委員や役所の福祉課に相談
した結果、数ヶ月後に今の病院に入院が決まった。

そして三十五年が過ぎた。義弟は一度だけ、見舞いに来た。それも、私が強引に来させたか
ら。
末の義妹夫婦は一度も来ない。

近々、義弟も退職するが、一部上場会社の重役といえども、兄弟愛は無い。
人情 紙の如しである。義弟は妹に贈り物もしたことがない。薄情なものである。
義弟が退職後は今生の別れになると、私は思っている。

昨日、私は義妹を横浜の病院に戻した後、看護士さんや相談員に告げた。彼女の後々のこと
を、今から手配して欲しいと頼んだ。つまり、転院である。特別養護老人施設に転院できるよう
に、申し込みをして欲しいと頼んだ。私たちも、いつまで義妹の世話ができるか不明であるか
ら。
月々の支払いもインターネットで支払えるように、手続きを構築して欲しいと告げたが、「現金
封筒」で送金して欲しいと答えた。
次の予約日は七月二日だそうだ。義妹の記憶力はすごい。白痴ではない。





2011/1/16
レースのカーテンのすきまから庭を覗いて見た。愚息と愚息の友人数人が、この寒い冬空の
下、駐車場でバイクをいじっている。
三台入るように駐車場は造成したはずなのに、軒下貸して母屋をとられた形で、日曜日は私
の車は駐車場から除外されているのだ。つまり、入れるスペースが無い。

屋根の下のいちばん良い場所はバイクが二台、そのうちの一台はご丁寧にバイク用テント小
屋に入っている。そして、孫たちの自転車が二台と、娘のアメリカ製大型自転車が二台とスク
ーターが一台ある。これだけで車両一台ぶんがふさがっている状態である。

「しかたがないようなぁ。アンタの乗ってきた車は外の道路に置いてきたの?」と、帰宅してきた
カミサンに、聞くともなく独り言のようにつぶやいた。
「他人の息子じゃなくて、自分の息子なんだから、仕方がないでしょ」と、カミサンが答えた。

愚息の唯一の趣味はバイクである。走ることよりもエンジンの手入れに凝っている。
最近は自分の職場の仲間たちや、昔からの友人たちに修理を指導しているのだ。一つでも得
意や分野があることは幸せである。毎週、友人たちが来てくれるのも賑やかで良い。去る暮れ
には宿泊付き忘年会も我が家で二回やった。

外の道路といっても生活道路であるから、駐車違反になる処ではないが、住宅地だから多少
は近所の人に遠慮がある。
その上、来客様や、家内のちりめん教室の生徒さんが車でやって来る。
また、ときどきは娘たちが横浜からやって来る。泊まりがけでも来る。

どうしてももう一台ぶんの駐車場を造る必要性に決心した。

去る夏、自分で作るつもりで挑戦してみたが、時間がない。ついに放棄した。

そして職人さんに依頼した。先週の木曜日、一月十三日から工事は始まった。機械(小型ユン
ボ)が活躍した。削岩機も二台、フル回転した。残土は二トントラックの一台になった。門とレン
ガタイルを壊した。水道屋さんも来た。全員、七名であった。そして、生コン車でコンクリートが
金属ネットの上に流し込まれた。三日目には90%完成した。

今日の日曜日は職人さんたちも休みで、その間 コンクリートが乾くはずである。
明日の月曜日は、レンガタイルを張ってもらう予定である。

十二歳の男児孫も二十歳になれば運転免許も採るだろう。あと八年後。そうすれば、常にでも
三台は必要になる。
孫への遺産と思って決心した。


2011/1/16

棺に蓋をするとき、人はそれぞれのドラマの幕が閉じる。
甥の母親(義姉)八十六歳が亡くなった。
義姉には結婚後、前半と後半の二幕の筋書き劇があった。

電話があったのは午後二時十五分。もう少し早く連絡があればと思いながらも、私はその二十
分後には家を飛び出していた。
滋賀県草津の式場に、開始時刻の七時の三十秒後に入場した。とても無理と思ったが、あき
らめなかった。 
そんなに無理をして行くほど、義理の姉から私は良くはしてもらわなかった。美人で冷淡な人だ
った。
しかし、喪主の甥は次男ながら良く母親の面倒をみたといえる。甥を褒めてやりたく思い、遠路
を駆けつけた。
義姉の晩年は、悲劇の最高峰リア王を勝るほど不幸だったと思う。夫に盲従だった。
自分によく似たイケメンの長男を溺愛。比べて、夫に顔が似た憮男の次男を邪険にした。献立
にさえ差があった。
長男カインと次男アベルは親から偏愛を受けて育った映画「エデンの東」の京都版といえる。
世にイケメン男は両刃の剣である。天与の宝が身を滅ぼす原因にもなる。長男は大学生のこ
ろから湯水のように金を使った。金が有る男にはバカな女がなびく。
やりたい放題だった。祇園の御茶屋遊びも半端ではなかった。一晩で、あのころでも七十万は
かかったと聴く。社員や取引先を引き連れて、何度もゴルフコンペも主催した。
最初の結婚式は二人だけでハワイで。親が嫁を認知しなかったからだ。当然、嫁いびり。
結果、三度の結婚と離婚で、ブライダルサロンのリピーター様。
ここからの転落坂は急勾配。
泣き面に蜂が何匹もいた。禁止のバイクを男児に買い与え、高校生男児は事故・即死。保険
金は放蕩息子長男に群がっていたヤクザたちに搾取された。
バブルの塔は高くそびえた時代もあったが、バベルの塔と化した。見事、倒産。
その後、再起を期し、河原町でバーを開いたが、客に負けじと本人のマスターが酒で胃癌・入
院・手術。家賃滞納で閉店・追放。
あげく、寸借詐欺と食い逃げで逮捕で京都五条堀川警察署のご常連さま。今は定住も無し。
行き方知れず。
四人の弟妹家族に金銭的迷惑をかけまくった。
某日、はるばる我が家にもやって来たが、賢い嫁は本人を玄関から一歩も入れず、二階の部
屋から旅先の私の携帯電話に問い合わせてきた。追い返すように指示をした思い出がある。
桜見物に出かけていた五年前の春だった。
和歌山県田辺警察署内留置所から六回も、金の無心のハガキがきた。
この寒空の下、六十歳の初老甥は何処に居るやら。

人が老いることは致し方ないことであるが、行く末に暗雲を抱いて逝きたくない。
義姉の長女の夫は財務省キャリアで、憂いなし。次女家族も良い時代を一応経験したが、現
在、夫は倒産後、二次的仕事に従事。しかし、孫たちには憂い無し。
三女は鳴り物入りで歯科医に嫁いだが、夫の亡父が女と・投機の失敗で莫大な借財を抱え、
歯科医夫は返済に終始。跡継ぎの長男は歯科大に合格せず、とうとう放棄。傲慢で贅沢な義
母と我侭な離婚・出戻り子連れ義姉とバトルをしているらしい。

 棺の中の、胸の上で組んだ指に、二センチ角のエメラルドかアクアマリンが燦然と光ってい
た。
亡兄は惚れた弱みで、義姉に宝石を買いまくっていた。「あれ、ちょつと勿体無いンじゃない?」
と、甥に言おうと思いながら、失念したまま帰宅した。

次男の甥の妻を、大げさに褒めまくった。よくやった、偉かったと言っておいたが、真実は義母
と不仲であったらしい。その証拠に、精進落としに、寿司はおろか、白湯一杯出なかった。

空き腹は新幹線の車内弁当ですませ、帰着したのは深夜十二時五分であった。



2010/12/15
「有料駐車場から出庫するとき、コイン支払い機の番号を間違えて押してしまった」と、いうこと
はありませんか?
ない? そっかぁ! ・・・・・やっぱり前期認知症かぁ!! 私は!!

夕方近くになって、東京へ行く用ができ、車で行くと渋滞は必至と思った。(ここまでは冴えてい
た)
駅の近くの有料駐車場TIMSに車を入庫させた。(ここまでも冴えていた)

約4時間半後、東京から戻り、車の駐車番号を見た。(ここで突如 認知症が発症したのだ)
番号は9だと、思った。そして1500円のコインを投入し、9番を押した。

9番のストッパー跳ね板は下りていない!!
う?? どうしたンだ?? 
よく見ると、駐車場6番のストッパー跳ね板が、下がっているではないか!! 

6と9と、逆さまに見間違えのだぁ!!!

数字の6には親切にもアンダーラインが描いてあった。9にもアンダーラインがあった。
アンダーラインのほうから見れば、6は9でないことが確認できる。
暗かったことは弁解にならない。やはり、そそっかしかったのである。

一瞬、再度ほんとうの自分の方の番号にコインを入れて、1500円は反省授業料と思い、あきら
めようかと思ったが、コイン機に電話番号が書いてあるのに気づいた。0120から始まるフリー
ダイヤルである。恥をしのんで電話をした。

返金してくれるという。
間違えた方の9番の領収書と、自分が利用した6番の両方の領収書をコピーして、FAX送信す
れば、2-3日後に振込み返金をしてくれると、TAIMSの電話対応の女性は答えてくれた。
但し、初回に限って、返金すると言うのであった。つまり、犯罪でいうならば、前科持ちはダメだ
というのである。

そして、FAXに添付した私の金融機関に1500円は戻ってきた。

わずか1500円。されど1500円である。

そそっかしい私は再犯の恐れがある。
それで考えた。
カミサンの金融口座に返金してもらえば良いのである。
つまり、「そそっかしいウチのカミサンが間違えまして・・・・・家内?? 家内は今、コンビで買い物
をしています。すみません。ウチのカミサンはあわてんぼうでして、トンチンカンばかりやるんで
すよ」と、セリフまで用意した。

これで安心である。
ちなみに、TAIMSは良心的である。「最大料金」は1400円である。それ以上は取らない。
先般、横浜の中華街の有料駐車場では8000円取られた。長時間の利用であったが。





2010/12/2
男の壮年期は40歳から54-55歳だろうか。女性の円熟期は30歳から42-43歳だろうか。
国でも町でもいちばん栄えた時代というものがある。エジプトやメソポタミアやギリシァやローマ
などは今よりも古代のほうが栄えていたようだ。消滅したわけではないが、どんなにがんばって
も、過去に遡ることはできない。

群馬県桐生市と足尾銅山へ行ってきた。

群馬県は温泉地が多いが、今回は入浴もしなかった。気まぐれな日帰り旅だった。
桐生市は、嘗ては絹織物の一大産地だったが、今は往時の面影はない。その証拠に、当時は
芸者さんが200人以上いたと町の人が語った。
過疎のような町は今 日本中いたるところに存在する。風が吹けば桶屋が儲かるように、力の
ある産業が興るとあらゆる商売・商店がにぎわい住民も潤うが、一度 閑古鳥が鳴き出すとド
ミノ倒しのようにバタバタと連鎖反応で倒れる。

六大都市に人口は集中して、今 地方の町は町輿に必死である。
田中角栄氏の列島改造論を当時のマスメディアは悪いことのようにののしり あざけったが、
都市とローカルとの格差は永遠の課題である。時の移ろいで、どんなにあがいても 手の下し
ようがない。国や県の自治体に頼っても、どうしようもない。自分の城は自分で守るより仕方が
ない。

一人の男が立ち上がった。約二ヶ月前に聴いたNHKラジオ深夜放送・心の時代。その時間に
聴いた話の処へ行ってきた。
男の名前は武田敏央さんという。武田さんは絹織物業者の三代目である。
「売り家と唐様で書く三代目」という、お坊ちゃん的三代目を揶揄する言葉があるが、武田さん
はそうではなかった。絹織物が低迷時代に入り、既に33歳になっていた武田さんは、八王子市
のパン屋に弟子入りをした。
八王子市の絹織物は桐生市ほどではないが元気な時期があり、武田さんは某・取引先を仕事
で訪れたが、取引先の亭主は「近々、絹織物の業務を廃業しよう思っている。息子がいるが、
最近パン屋を開業した」と言った。パン好きの武田さんは大きなショックを受けた。そして、熟
慮の上、自分も転職を決心した。無給で弟子入りを頼んだ。何度も断られ、何度も頼み、とうと
う相手は根負けし、一年間という期限付きの弟子となった。10年修行しても一人前になるか?
と、言われたが、自分には10年の猶予はない。母と妻と二人の子がいた。
朝の四時から夜の十時まで、必死で働いた。

桐生市に戻り、開業した、大当たりした。
そしてそれから10年後、武田さんは町の名士的人物になった。
町の長老たちは武田さんに、ある話が持ちかけた。
桐生市には、いたるところに、かつては織物工場があった。壊したものも多いが日本で唯一
の、桐生市のシンボルというべきレンガ造りの工場が存在していた。
工場は『ノコギリ屋根』と呼ばれ、屋根の北側は採光用に窓が垂直になっており、東南側は屋
根瓦の載った傾斜になっていて、連続しているので『ノコギリ屋根』と呼ばれた。東南は太陽の
移動によって、時間によって光線に変化があるため細い絹糸が見えにくいのである。むしろ北
側こそ、光線に変化がない。

町の長老や銀行はレンガ工場の建物を武田さんに買ってほしいと告げた。武田さんは大借金
をして購入した。『レンガ』の名前がついたパン屋はまたまたヒットしたが、今はパンやコーヒー
だけを売るのでなく、グランドピアノを置き、ときどきコンサートを開く。町の人たちが描いた絵
を展示している。文化を提供する場所とした。町のサロンというべき場所となった。

呉服物の衰退は他人事ではない。私も身にしみて体験してきた。
そして、嘆くばかりでなく衰退から己の知恵と努力で跳ね除けてきた武田さんに共感を覚えた。
そうゆう理由で桐生市の元レンガ工場を見学してきた。
じきじきに武田さんと会話もできた。

桐生市から一時間半 車で走り、足尾銅山まで行った。
当時は、足尾銅山の煙突から出た煙で山々の木が死んだ。あたり一面 枯れ木になったとい
う。また、渡良瀬川の水は毒に変化した。足尾銅山は公害の元祖というべきシンボルとなっ
た。話には聞いていたが、足尾銅山とはどんな様子か見てみたかったのだ。
廃墟のようであった。
銅は電気の電線に必要なものであるが、文明の発展の産物を享受した陰にはたくさんの犠牲
があったのだ。

今回の小旅行は物見遊山ではなかった。



2020/11/26
仕事以外に趣味を持つことは豊かに生きることだと聞くが、人生の残り時間が少なくなった。
利益がないのに没頭することを趣味といい、「下手の横好き」が趣味を代表する言葉ように思
うが、「玄人はだし」の人も存在する。
 私の場合、余暇の時間をたくさん取ることができない。ゴルフや釣りや陶芸のように、半日も
一日中も趣味に拘束され、打ち込むことができない。
 仕事上の取引成立できた相手に、疾風雷神のように迅速に対応しなければならない。それ
も、途切れとぎれではあるが、大げさにいえば一日中 パソコンの前に座っているのだ。
朝は九時半ごろから夜は「食事ですよ」と告げられる七時までである。夜間は早く休むことにし
ている。いつまでやっても限度やキリがない。

 昨晩、HHKテレビで楽しいドラマを観た。芸大音楽科を目指す男の子と、聾の母親の物語で
あった。母親役は女優・松雪泰子さんだった。音楽ドラマではないので演奏を楽しむほどのこと
はなかったが、私はしばらく休んでいたピアノを再開することにした。
あまりにも夢中でやったため、加齢のせいで(63歳から開始)私の左手親指がバネ指になった
ことと、先生が80歳近くになられたため、心躍る気分にならなくなったためである。

 美人で40歳後半?の先生にアクセスできた。
電話での様子はきさくで、よく話す。携帯電話の番号も先方から教えてくれた。
電話番号の入力は息子の嫁にやってもらった。久しぶりの携帯電話の操作は忘れていた。
うまい具合に、カミサンは音楽家会に出かけていた。今日は、カミサンは二つの音楽会の掛け
持ちである。
とりあえず、12月2日の午後 家に行くことになった。
作曲家 故・團 伊玖磨氏が生前 住んでおられた湘南の海が180度 開けて一望できる高台
の住宅地である。

「どんな曲でもよい」と言うので、谷村信司氏の『昴』と、森山良子さんの『サトウキビ畑』と、フラ
ンク永井の『公園の手品師』を練習した。

いまひとつの趣味の大工仕事は、「駐車場造り」は本職に頼むことにした。私一人でやると半
年はかかる。
人生の残された時間がない。



2010/11/25
モグラ叩きゲームのように

菅総理大臣は頭を抱え込んでいると思う。名誉とお金が欲しい人だから大臣の椅子を手にし
た当座は喜び勇んだだろうが、今頃は毎朝ベッドの中から出られないのではなかろうか。
「オトウサン、早く起きて下さい。時間ですよ」と、奥さんの叫び声が聴こえるようだ。
よくもこれだけあるものだと思うほど、次から次へと津波のように菅さんを襲っている。
我が小林家も、菅家ほどではないが、やはり解決しなければならない出来事がある。

過日、隣接している隣町まで出かけた。
ナビが付いているのに、右折するべき道を一本早く曲がってしました。だんだん狭くなっていく。
いきなり狭い道だと、入れないことがわかるが、気づいたときには泣きたいような状態だった。
当然、バックした。私は車をバックさせるとき、うしろを振り返らない。左右のサイドミラーだけを
頼りに、そろりそろりとバックさせるのだが、右と左に一本づつ街路灯のポールが立っていて、
進入するときはサイドミラーを電動で折って入ったが、バックは困難。道の左右はブロック塀と
コンクリートの壁で、左右の余裕は15cmほど。そして少しカーブしている。
悪戦苦闘の結果、出られたことは出たが、途中ガリガリッという音が聞こえた。車両のリア・バ
ンパーを引っ掛けてしまった。ボディーのフェンダーからバンパーが大きく飛び出してしまった。
これでは危険で走行不能である。
前々からバンパーの止め具ビスが痛んでいたのだが、応急処置だけですましていた。
怒り心頭に達した私はバンパーを思いっきり引きちぎってしまった。手で引きちぎれるほどの
状態であったということである。
フェンダーと一体型になった最近のバンパーは、車両から外してみるととてつもなく大きい。す
べてプラスチックである。私の車はトヨタ・ウイッシュ・ミニバンであるが、普通のセダンだとバン
パーは大きくて積み込みできないかもしれない。
だいたい、バンパーとフェンダーと一体になった車両のデザイン性は良いが、あれではバンパ
ーの役を果たしていない。格好は良いが、バンパーとはボディーを保護するもののはずである
が、バンパーそのものが弱弱しい気がしてならない。交換するにも大金を要する。
昔のように、フォルクスワーゲン・ビートルのようなバンパーが懐かしい。
一日二日はそのままで走行していたが、家内が「オトウサン、ネクタイ締めてスーツ着て、下半
身はパンツ一枚って感じよ」と、言うので、しかたがなくパンツだけでなくズボンも穿くことにし
た。

ネットで探すことにした。(車部品ウイッシュリアバンパー黒)と記入し、検索した。
それにしても品番や型番が多すぎる。
ついでに、サイド・スポイラーと、フロント・バンパーも探した。

5年間も使用し、9月にローンも終了したから新車を入れたいところである。





2010/11/20
一日中 仕事部屋から出ないので、話題がない。話題がないということは書くべきことが見つ
からない。天気は良いのに、暗い仕事場に篭りっきりである。


昨日から郵便局へ行くべき所要があったが、昨日はとうとう一歩も外に出なかった。追い立て
られるように、今日はとうとう出かけることにした。

郵便局まで、わずか500mぐらいだが、そこへ行くのにも車を使ってしまう。
郵便局の駐車場で、生後まだ日数も浅いような赤ちゃんを抱いている人に出会った。こうゆう
場合、赤ちゃんを抱いているのは、たいてい若いお母さんだが、今日の場合は男性だった。

「わぁ!かわいい!」と、私は声を上げてその男性に近づいた。声を上げて近づけば、誰も警戒は
しない。そして、かわいいと声をかければ、怒る人はいない。

私は赤ん坊が大好きだ。
ちょっと、話は脱線するが、最近、老人ホームへ行く機会が多くなったが、悪いけど、老人より
も断然 赤ん坊のほうが100倍も1000倍も良い。

だが、ちょっと待て! この男性はパパなのか、オジイチャンなのか? 
私の口から出た言葉は柳田法務大臣と仙谷長官を足して2で割ったような発言だった。
「貴方、オジイチャン? それともオトウサン?」

オトウサンって、尋ねた語尾を上げたところで、相手はうなずいた。なるほど、パパということで
ある。
よくよく相手の顔を見るならば、40歳・・・・??? 40ちょっと いっているかなぁ??? 
たしかに、まだオジイチャンという年ではないな。

で、また 更に言ってしまった。
「何人目のお子さん??」と、私。

「初めての子どもです」と答えた。

そっかぁ・・  晩婚だったのかな? それとも、なかなかできなかったのかな? と、これは尋ね
なかったが。

「がんばって、赤ちゃん 育ててね」と、言って別れた。


今日は変な爺ジイに会ったよと、奥さんにぼやいているだろう。当然である。私でもそう言う。



柳田法務相も仙谷長官も悪気はなかったのだ。
国会で答弁する前に、国会の駐車場で一度 口に出して、秘書に聞いてもらうといいかもしれ
ない




2010/11/17
 「安い!近い!時間が無い!」という人たちに支持されている吉野家の牛丼のような、一泊半の温
泉旅行をした。(一泊二日ではない)
箱根温泉は安い旅館ばかりではないが、夕刊新聞広告に6800円と案内されていた。

六月後半に、同居していた姉87歳が大腿骨を骨折し、手術・リハビリ、その後入居施設のお世
話になり、本人も落ち着き、一応一段落した。
姉が28年間住まっていた我が家の離れ部屋も、その後 私が猛暑の中を改築した。トイレも台
所も改築した。当然、仕事もやらねばならなかったので多忙を極めた。
ようやく安堵したと思った矢先、76歳の姉が胆嚢癌になり、毎日曜日、掛け持ちで二人の姉た
ちを現在も見舞っている。人生にはいろいろなことが待ち受けているものである。

これまでの感謝の気持ちを表す為、カミサンを温泉に連れて行くことにした。

「箱根往路」の出発は意気込んでいた。カミサンは勇み立って意気揚々と喜んで、ご機嫌だっ
た。
紅葉は強羅の『箱根美術館』に的を絞った。此処は宗教法人『世界救世教』(熱海のMOA美術
館と同じ)の施設建物だったが、庭園は筆舌に尽くせぬほどにすばらかった。此処だけで今年
の錦秋は堪能した。『強羅公園』が近くなのでついでに立ち寄ったが、此処は洋風公園。

強羅公園には思い出がある。私が東京・暁星中学一年のとき、全寮生は箱根・湯本駅まで東
京から電車で来て、湯本駅から強羅公園まで徒歩で登った。正月二日目の大学駅伝でおなじ
みのコースである。昭和三十二年当時は国道一号線のこの七曲がり・つづら坂道も車両は少
なかったが、制服制帽・革靴であった。何時間かかったのだろう。車で登ってもキツイのに。
私は、箱根のこの旧道に車を乗り入れるたびに、カミサンにこの思い出昔話をするが、カミサ
ンは二回目から、反応を示さぬようになった。
強羅公園も昭和三十年初頭は今のように整備されていなかった。そのときの私の恥ずかしい
思い出がある。丹後から出てきた山猿のような私は、公園で草を一本抜いた。マムシ草であっ
た。どこの山にも生えている雑草と思った。私にはそう思えた。先輩の大学生からひどく叱られ
た。今でこそ「公園の一木一草も、折る抜くなど」・・・。当時は私の育った田舎町には公園など
というものは無かったし、野生児のような私には叱られたことが理解できなかった。大学生の
父親は英国大使館に勤務していた、いわゆる外交官であって、彼も東京・番町麹町から横浜・
山手の、セント・ジョゼフ・インターナショナルスクールに中学生から通ったような人だった。彼
は今カナダに住んでいる。
強羅から大涌谷までも歩かされた。どうやって電車に乗って寮までたどり着いたかは記憶して
いない。中学一年生だったから、電車の中では正体なく寝入っていたであろう。

箱根の秋も、ここらで限界である。夕方近くなると寒くなった。
三時からがチェックイン。
6800円の旅館のような、よく見れば民宿以下の建物に到着。カミサンは施設の建物を見て、静
かに言った。「わかったわ。お姉さまを28年間お世話した集大成が、此処なのね」と。
「悪りい・悪りい。申し訳ない。HPでは建物の画像が無かったので・・・」と、私は答えたが、「奈
良の吉野千本桜を観に行ったときの旅館も悲惨だったわね」と、言った。よく覚えているもの
だ。
6800円ではあまりに安いと思ったので「食事は一番よいものをお願いします」と、電話で申し込
んでおいたが、夜の食事も翌朝の食事もバイキング式で、泊まり客全員同じであった。翌朝の
支払い金額は二人で13600円を支払った。(ビールを一本頼んでいた)吉野家の牛丼よりも少し
高かった。
夜は八時に寝た。41年前の、北海道でのハネムーンを思い出しながら。フル(古)ムーンはやる
ことがない。
翌日の、「箱根復路」は九時に出発。行く当てもないので、神奈川県秦野の大山へでもケーブ
ルカーで登って、名物の豆腐料理でも食べようかと出発したが、あと20分でケーブルカー入り
口に到着する寸前で「農協直営販売」の建物と看板が眼に入った。農協の文字に過敏に反応
するカミサンである。ローカル京都府丹後の田舎町で長年 農協組合長をしていた父親の娘で
あるカミサンは、此処に立ち寄らぬ訳はない。大根など、何処でも買えるのにと思ったが、一切
口出しはしない。「安い・安い」と、カミサン一人 感激をしていた。
急遽、「もう、帰りましょう」ということになって、大山もケーブルカーも中止。
一旦、帰宅し、横浜の長女宅に行くとカミサンが宣言した。米20キロはじめ、たくさんの野菜類
を届けた。
近年は何事も反対はできない雰囲気になっている。

こうして、癒し・慰め・御礼の旅行は終わった。





2010/11/16
「俺、勉強なんか やンねぇよ。ぜったいに やンねぇよ」と、言っていたのはコタである。
コタというのは横浜に嫁いでいる長女の家の次男の名前である。正式の名前は冴太郎(こたろ
う)といい、幼稚園児の年長組。三歳ごろから、そんなことをいっていた。

次男なのに太郎がつくのはおかしいと思うが、外孫だから余計な口出しはしない。
ともかく、コタロウを略して皆はコタと呼んでいる。

そのコタが勉強をやりだしたと、娘から電話があった。
とうとう、公文教室に通いだしたというのである。

「へぇー、よかったじゃない。大げさにでもよいから、褒めてやるんだよ。ちょっと、電話口に出
してくれない? オジイチャンもコタを褒めてやりたいから」と、私。

「ダメなのよ。今 時計を計って やっているところだから。そうちゃんが、よく面倒を見てくれる
のよ。できたプリントをチェックしてくれているのよ」と、娘が答えた。

そうちゃんとは、総一郎といい、どこかで聞いたような、なにやら偉そうな名前であるが、長男
の名前である。婿殿の父親(むこうのお爺さんは、きちんと『総一郎君』と呼んでいるらしい。
長男といっても、小学校の二年生であるが、こっちの方は真面目で、努力家である。ウチの内
孫・同学年女児に公文の勉強も追つこうと必死でやっていると聞く。

幼稚園年長組からは、遅いとも思ったが、まぁ、ともかく良かった。

自分の学年よりも二年上の段をやっていなければ公文教室へ通っている意味がないと言いた
いところだが、これをいうとカミサンに叱られる。だから沈黙は金。





2010/11/15

こりゃ 驚いた。女児孫が「お友だちを迎えに行ってきます」と、自転車に乗って迎えに行った
のは、男の子だった。
六年男児孫の友人である。なんでだぁ??
Kちゃんという名前だ。
Kちゃんは月曜日だけは遊びに来てもよいということになっている。それまでは毎日毎日、土曜
も日曜日も、夕方から夜の七時まで我が家に留まっていたのだ。
月曜日は何のお稽古もない日である。だから、遊びに来てくれるのはいいが、月曜日だけにし
てくれと、私がKちゃんに告げた。

Kちゃんはかわいそう。親子鷹である。父子家庭である。父親と二人だけで生活している。
去年の夏、母親は下の子 二人を連れて、東北の実家に戻ってしまった。
理由は、母親の父実の介護のためと聞いているが、その件もあろうがそれだけではないと私
は睨んでいる。私が孫の友人の親の「別れ」を詮索しても仕方がないが、腹が立つのだ。
母親は最初、Kちゃんも連れて四人で実家に帰った。(母親・一年生男児・二歳男児・Kちゃん)
 ところが、Kちゃんはお父さんが独りぼっちになってかわいそうと言って、新幹線に乗って岩手
県から正月に、一人で戻ってきた。
学校から帰宅しても誰もいない。父親は夜の何時に帰ってくるのだろうか?七時か、八時か。
男が後顧に憂いを抱くようなことがあって、良いしごとができるだろうか。

Kちゃんはいつも我が家の玄関でこう言う。「便所を貸してください」と。
私はこれが気に入らない。
そして本当にトイレを使用する。頻尿の年でもないだろうに。
そのことをカミサンに言うと、「いいじゃないの。気の毒に。子どもながらに気をつかっているの
よ」と。
子どもなら子どもらしく、「一誠君 いますかぁ?」と、言えばいいと私は思う。
姑息な言い方が気に食わないというよりも、そんな気をつかわなければならない子どもに追い
やっている親たちが悪い。
年寄りの介護も大事であろうが、将来のある子どもの方にこそ 眼を向けるべきである。
夫婦の間に問題があるにちがいない。

Kちゃんが大きくなって、私が既に死んでいた某日、ウチの孫たちに告げるだろう。
「一誠君のオジイチャンはイジワル爺さんぽかったなぁ」と。



2010/11/15
小学二年の女児孫が帰宅した。
いつもなら二階の自分の部屋にまっしぐらに行くはずなのに、私の仕事場にやってきた。
「ママ どっかへ行ったぁ? 部屋にいないの。トイレにもいないの」と、いいながら。

「まだ布団が敷いてあるの。部屋を片付けなくちゃぁ。お友だちが来るンだぁ」
「玄関や門の所の、落葉の掃除もしなくちゃぁ」と言った。

私は驚いた。
私も家内も嫁も、落ち葉が汚く散乱していたのが見えないはずないのに、掃除を怠っていた。

外で話し声がした。
一分もしない間に嫁が帰宅してきた。下校の時間を把握していたが、ちょっと遅れたのだ。

カーテンを少し開けて、門の所を見ると、本当に孫が掃除をしている。嫁は手伝っていない。孫
ひとりでやっている。

『お友だちを迎えに行ってきまーすぅ」といいながら、自転車をアプローチの処から道路まで出
している。

だんだん成長していく。女の子らしくなっていく。




2010/11/15
今日は書くネタがないなぁと思っていたら、かろうじてあった。
ガソリンスタンドで出会ったおネエチャンのことを書かせてもらうことにする。悪いけど・・・

冬支度として灯油を買いに近所のガソリンスタンドに行った。112リットルを購入したが、これだ
けでは年内には十分ではないだろうが。
持参したポリタンクに112リットルを注入してもらう間、どっこらしょと私は椅子に腰を下ろして、
そのおネェチャンを眺めていた。
おネエチャンは独楽ネズミのように駆け足で走りまわっている。ポリタンクの蓋を閉め、私から
お金を受け取り、レジまで走り、また領収書を取りにレジに向かって走る。

ここでまた、68歳のオジサンは、若い娘を見ると何か一言いいたくなる癖が出た。幸い、カミサ
ンはいない。さきほど、茶道のお稽古に車で送って行ったばかりである。

「元気がいいねぇ。幾つ?」
「えっ! 24 ? とても24には見えないよ」

ここで、よしとけばいいのに、会社や役所だったらセクハラといわれるような質問をした。
「へぇー、そうなんだぁ。で、まだ結婚はしてないンでしょ?」
と、どうだろう。結婚はしているが、近々離婚するというのである。
 なんてことだ! そのおネエチャンの父親の代弁をするような、怒りにも似た気持ちがむくむくと
持ち上がってきて、「なんで離婚なんかするんだ! 離婚なんてするんじゃないよ!」と、お節介なこ
とを言った。

おネェチャンは夫が行く方知れずだと答えた。「・・・・・・・・・・うぅーーむ」と、私。

やおら、「しょうがねぇなぁ。アンタの旦那はぁ・・・」と、だけ言った。小さな声で。

で、運転席に入ってハンドルを握った。怒れてきた。気分悪い。

「お客さぁーん、どっち行きますぅ?」と、おネエチャンは車と道路との間に立って、右や左から
次々と走り来る車を注視している。

「まいどぅ、アリガトウございましたぁ」

しょうがねぇなぁと、口の中でぶつぶついいながら運転した。たしか、三年間 居所がわからな
いと離婚は自然と成立するはず。

そういえば、ウチの末っ子娘の同じ歳の友人は三人か四人 離婚している。はなはだしいのは
子どもが三人いるのもいる。親の気持ちになったらと思うと、こちらまで陰々滅滅になる。

30歳までは結婚のことなど絶対に催促などしないでくれと、末娘は言う。
複雑な気持ちが交錯する昨今である。






2010/11/14
内孫とは可愛いらしきものなり。男児孫は小学六年なるも、身長170cm近くになりても、性格お
となしく、爺ジ婆バにいささかも口答えなどせじ。乱暴なる言葉もいっさいなし。長く空手道場に
通ひしもきょうだい喧嘩なく、妹に優し。
一昨日、認知症4・更に車椅子生活になりて、九月初旬、特老施設に入居せる87歳の姉が「姪
の様子は如何なるや」と言ひし言葉を女児孫に伝えぬ。
小学二年の女児孫いわく、「私もちょうどオバチャンに会いたい思っていたところなのよ」と言へ
り。心やさしき孫になりぬと内心 よろこべり。

爺ジ婆バの役目は褒めることのみにて、親たちの前にて、孫へのいらぬ口出しは一切なしに
て候。

たくさんご飯を食べしとき、褒めて候。
韓国産・マツタケご飯を、子ども用茶碗なれど五杯食べし女児孫を褒めぬ。
温泉饅頭6個、シュークリーム8個を食べし男児孫も褒めぬ。
食事のあとの食器を台所流しへ運びし折りも褒めて候。
米を洗ひて、炊飯器のスイッチを入れし時、大げさに褒めて候。
食器洗いをやりし時、褒めて候。
二人並んで食卓テーブルにて勉強姿ありし時、頭をなでて褒めぬ。
100点の答案用紙を見せし時、感動のきわみの様子にて褒めぬ。小二の女児は、入学せし以
来、答案用紙はすべてパーフェクトにて候。(我が孫にてはあらずや?)
六年男児も、まれに100点・90点の答案用紙を食卓の上に置きし時、大げさに褒めてやりぬ。

孫たちの母親へは毎日 褒めまくりなり。

家内は言へり。「石の上にも三年は愚かし。石の上には十年よ」と。
我が家の同居生活は十五年を経たり。




2010/11/14
このところ、日曜日は病人見舞いと介護施設詣でをしている。ミサに参列した後、その足で横
浜・戸塚まで出かけた。11/14の今日は、オバマ大統領が子供の頃はじめて見物した鎌倉大
仏と再会したいという希望をかなえるため、警備のため、東京羽田横浜をはじめ、何千人の警
察官が配備されたことだろう。警察官移送車両のナンバーを見れば秋田県・熊本県なども見え
た。警察官たちの宿泊と食事の費用などはすべて我々の税金で賄われるわけだ。迷惑と言い
たい。
ナビが示す最短距離の道に逆らって迂回道路を走りだしたが、逗子市池子の米軍家族住宅
正門の前にはものものしい数の警察官たちの姿があった。やはり隣町の第七管区横須賀米
軍ベースキャンプ前にも、ここ以上の警察官たちが警備しているにちがいない。
何事もなければそれで良しであるが、終わってみれば「宴のあとの寂しさよ」を感じないだろう
か。

75歳の姉を先に見舞った。私たちと同時に、姉の所属する修道院のシスターが二人、姉を見
舞ってくれていた。
86歳と70歳と告げられ、よくよく礼を述べた。
と、また、常に見舞ってくれる同期のシスターが、また来て下さった。皮を剥いた果物をはじ
め、いろいと細やかな品々を持参して下さった。
家内は、柔らかい大きな柿二個・ブドウ一房・アイスクリーム三個を。私は歯間ブラシを一パッ
クだけ。
幸いなことに、抗癌剤投与が三日前から開始されたが、いちばん心配した嘔吐感はないとい
う。そして食欲もあるという。ほっとした。一週間後には一時退院するという。



87歳の、認知症4の、六月末に大腿骨骨折した、車椅子生活になった姉の施設を訪れた。
以下、そのときの会話。

あら、どうしたの? なんで来たの? (車で来た・見舞いに来た)私
何処から来たの? (葉山から来た)私
どのくらいかかるの? (今日は50分ぐらいかなぁ)私
どこに住んでいるの?                  (葉山町一色に住んでいるの)私
あんた、元気そうね。幾つになった? (68歳。元気ですよ)私
美和子さんは幾つ? (63歳です)家内
若く見えるわねぇ。アンタたち 夫婦? (夫婦ですよ)家内
幾つ違うの? (5歳です)家内
私は幾つだっけ? 80歳? (お姉さんは87歳ですよ)家内
そうするとアンタと幾つ年が違うのか? (19歳くらいかなぁ)私
何処から来たの? (葉山から)私
ふーん、何処に住んでいるの? (葉山)私
私も葉山に帰るわ。車で来たんでしょ?        (・・・・)沈黙
元気そうね。白髪もあまりないわねぇ。        (おかげさまで)私
美和子さんは幾つになった? (63です)家内
白髪が目立つわねぇ。染めないの? (自然のままでいいです)家内
カッチャンと私と幾つ違うんだっけ? (19ぐらいかなぁ)
同志社に行っている頃、あんたをいつも背中に負ぶって、ラジオ屋さんの前まで よく 歩いた
わ。
ねんねこに負ぶって。それで、寝入ったら、そっと布団に寝かして。あのころ、おかあさん 忙し
そうにしていたから。
何処に住んでいるの? 沈黙
  ( アイスクリーム食べる?)私
1/4食べて・・・もういい。年寄りだから。残ったアイスを家内が食べて、その残りを私が食べて。
30分ぐらい居て、帰宅しました。
今度、なっちゃんや一誠を(孫たち)連れて来るよ。今日は咳が出るので・・・と、約束して。





2010/11/11
新しいガールフレンドできぬ。その女性の齢八十三なり。世間狭しとは良くぞ申しけり。縁の糸
 複雑に絡みしことに不思議を覚えけり。
まず安堵したりしことは同じ天を仰ぎしことなり。
次に、彼女の青春時代の無二の親友は後年 我が家内の学びし学校の教師になりて、しかも
担任なりぬ。

彼女は静岡県出身にして静岡双葉学園の教師の経験もあり、結婚後の住みかは神奈川県葉
山に定めぬ。
夫君は早稲田大学の教授なりしが、十年前脳梗塞に倒れ、いまは施設に入りぬ。まさにきのう
今日知り合ったばかりなれど、夫君に会ってくれと、二人して施設を訪れぬ。夫君の様子を見
るに、胸痛みぬ。かつての大学教授も哀れ枯れ木の如きなり。
さりながら、彼女の夫への介護の様子は感動というべき二時間なり。
巷間、夫あるいは妻が元気なりし時は、また多額の給料を持ち帰りし時は夫婦の関係は満た
され波風立たずも、一旦 役目が終わりて相手を必要迫ることなき日 来たれば、相手を邪険
に扱い、果ては邪魔者とし、冷たくなりしと聞くことあり。
彼女は夫の介護にこの十年間、施設にほとんど日参せりと聴きぬ。

元気にありし時の過ごしき関係が後年の結果に至るかやと、小生は大いに反省せり。

次なる縁は、東京に住まいし ご長女夫婦の二人の男児孫の通学せし学校が、小生の出た学
校と同じにして、話題会話は大いに盛り上がりぬ。ラ・マルセーユを所望され歌いぬ。
彼女は宝生流仕舞を良くなせり。かつて、伊勢神宮内宮の能楽舞台にても舞けることは稀有
のことなり。
広い世間にはいろいろと珍しき方もありと存知そうろう。

2010/9/27
「子供は褒めて育てよ」というが、若いときはそんな気持ちの余裕がなかった。
「早くしなさい」が家内の口から機関銃のようにでていた。四人の子供を追い立てていた。四人
とも私立小学校だったから、朝も六時四十分には家を出した。下校後、帰宅は四時半過ぎに
なった。冬はすでに暗くなりつつあった。夜も九時には就寝させなければならなかった。その間
に、おやつ・お稽古の送り迎え・塾・宿題・夕食・風呂と、いつも時間に追われていた。

孫たちは徒歩10分の所にある公立小である。二所帯住宅生活をはじめて十五年経つが、家
内も私も気持ちにのんびりと余裕が出てきて、これまで一度も孫を大きな声で叱ったことはな
い。孫は子ではない。孫にとって、爺さん婆さんとはなにをしても褒めてもらえる親とは別の人
種である。「エライエライ」と、なにをしても「褒めまくり千代子」である。
朝は食欲がないのが小学二年生の女児孫だが、少しでも食べれば「よく食べた。エライ!」と褒
められる。
下校後、下の食堂の食卓で、独りで宿題の勉強をしている姿があると「へぇー!なんてお利口さ
んなんだろう!」と絶賛を浴びる。
六年生男児孫は、すこぶるおとなしい子だが空手が4級になった。紫色帯である。寒くても暑く
ても、自転車で空手の稽古から帰ってくる。やっぱり褒めてもらえる。
妹に足でキックされても、逃げまわっていて、「よせよぉー」と、言いながら相手にしない。身長
は167cmである。

そして二人の孫たちは、テンションが低い。いつも大げさに褒められすぎていて、うれしそうで
はない。はにかむ顔はない。
人間は偶に褒められてこそ、嬉しく思え「いやぁー、とんでもないです。偶然ですよ。大したこと
ではないです」と答えて、頭をかきかき、そして嬉しそうにニコニコする。
ところが、二人の孫たちは平然としている。女児孫は小さいときから絵がうまい。クラスメートた
ちからも漫画や絵を書いてと頼まれ、担任教師の個人面談のときも、そのことを褒めてもらえ
たらしい。
学業の方も、一年生のときからテスト答案はすべて100点ばかり。そのうち、挫折を知るだろう
が、今のところは「簡単だった」と答える。六年生の男児孫は、100点ばかりという訳にはいか
ないから、女児孫を褒めるタイミングがむつかしい。

しかし、私が少々気にくわないことは、女児孫はなんでも「もう、知っている。もう、わかってい
る」と答えることだ。
小学校の二年生で、世の中のことぜんぶを知っている訳がないだろうが・・と 内心 腹が立つ
が、私は知らん顔をして、「ふーん、そうなの」ということにしている。
プライドが高いというか、素直ではないというか、子供らしくないというか、かわいげがないとい
うか。
まあ、そのうちわかるだろうと思っているが。




2010/9/26
旧友 0君のこと

友人の見舞いに行ってきた。郷里の小学校時代からの旧友である。友人はスポーツ万能、陸
上競技の花形であった。郷里の小学校の体育館には、彼の昔のスポーツの記録が、破られて
いなくて今だに木札が揚げてあるようだ。
中学校では軟式の、高校では硬式野球部でもヒーローだった。当然、バッター4番、エース・ピ
ッチャーであった。
卒業後は社会人野球からプロへと躍進した。しかし、スポーツに怪我はつきもの。肩を壊し、
放出となった。金の切れ目が縁の切れ目というが如く、金が目的の女とは離婚となった。

しかし、またまた泣き面に蜂が刺した。脊椎に病が生じた。脊椎狭窄症という、神経が圧迫さ
れ、激痛が走るらしい。一か八か、危険な場所であるが手術を受けることを決心した。
手術は今月の末になる。

病になると気が弱くなるのは誰でもある。彼は郷里に帰りたくなった。帰巣本能が生じたという
ことである。郷里は過疎の町で、大都会よりも生活費が軽くすむようだ。大都会ではちょっと出
るとすぐに五千円一万円が飛んで行くが、田舎町では自転車が活躍する。
無事に手術が成功すればのことであるが、田舎でのんびりと暮らしたいらしい。

私は郷里で暮らしている他の友人たち、10人余に手紙を書いた。彼の希望を伝えた。空き家
がないか、低家賃で貸してくれるような空き家がないか、探してくれと依頼した。自分のことなら
気恥ずかしいが、友人のことであるから書けた。不動産屋をとおせばネットでも探せるが、縁を
頼りの情報に期待した。
ともかく、手術は来週である。無事に成功してほしい。
もしも、本当に郷里に帰るならば、荷物の梱包や輸送は自分が引き受けると、約束した。





2010/9/26
ビジネス商売で大切なことは信用である。
今回は保証期間ということについて考えることがあった。
一件は私の仕事のことで、他の一つは我が家の家電の故障のことである。
某日、十年間以上お取引のなかった昔の顧客様から電話があった。
黒地の絽訪問着が汗でシミになり、そのシミが帯や白の長襦袢に滲んで色が移ったということ
である。
今年は猛暑であった。真夏に和服の着用は汗になったであろうと思う。
約十年前に納品した絽訪問着は、もともと古い着物に黒の色をかけた。色が焼けていた古い
訪問着の地色に、模様は消さないで地色だけ黒色に替えたのである。
そして、この十年間に3-4回の着用をしたという。色が滲んだのは猛暑の今回が初めてであっ
た。

我が家の家電の故障とは、台所のIHクッキングヒーターが一基だけ故障した。四年目であっ
た。我が家の台所は二箇所あって、二基のIHクッキングを入れた。そのとき同時に風呂のヒー
トポンプ式にした。
プロパンガスは無くなった。いわゆるオール電化ということである。光熱費は激減し、夏でも台
所からは火の熱が消えて、涼しくなったのはありがたいと家内は言う。
電気製品の保障期間は一年間と書いてある。そして台所製品は毎日の使用で、しかも朝昼晩
である。着物は十年間といえども、使用頻度は少ない。
某・電気メーカーの代理店がやってきた。直ちに変わりの品物・中古品らしいが、設置して、
「16000円でいかがでしょうか?」と尋ねた。即 承諾した。クッキングヒーターは一基で15万円し
た。
量販店では95000円の値札が付いていたが、取り付け設置料金は別途だろうと思う。


着物のアフターケアは無料で承ることにした。実際に染めの作業をした職人の言葉は渋ってい
たが、色止めの加工が甘かったのが理由であろうと思われる。
「損して 得しろ」という言葉がある。喧嘩別れをしたら無益である。ビジネスは顧客様にリピー
ターさんになってもらうことが大切である。



2010 8 13

残暑お見舞い申し上げ候。
拙宅家族一同七人は変わりなく居り候得ども、六月後半に28年間同居の姉87歳が転倒・大
腿骨骨折・入院・手術・退院後はリハビリの為、老健施設に入居し 約一ヶ月間経しところにて
候。 その間 多忙極めし候。

家内は22歳にて結婚、以来 郷里丹後より両親を呼び寄せ、四人の育児、両親の世話介護
すること16年。
その後、独身の姉の介護の義務なかりしども、今日に至れり。ようやくにして晴れ晴れの心境
や。このところ、元気はつらつの様子 顔に現れおるなり。

私義 此の夏は本業の合間に趣味と実益を兼ねし作業に着手。駐車場拡張工事を手はじめ
に、床板フローリング工事・家の前道路と「犬走り」のコンクリート工事、「犬走り」に屋根を架け
る工事を致し候。

夏の旅行から帰宅後の翌日から、壁クロスを板に張り替える工事に挑戦。毎日 午前九時よ
り午後一時まで致しおり候。
熱中症はメディアが取り沙汰する以前の一昨年八月に経験済み也。一瞬の失神と、失禁は初
体験也。今夏は元気張り切り申し候。

諸々工事も、家を受け継ぐ孫の為と想うと、滝の如き汗も暑さもなんのその。

今年の夏のバカンスは「奥の細道」東北の松島巡り、気仙沼大島泊りと栃木県の那須高原泊
り。長男家族と長女家族で10人に也。中尊寺や金色堂はあまりの暑さにて途中断。夏の旅行
は高原に限る也。
齢40の息子や嫁・孫たちと共に元気で旅行できる幸せを痛感せり。

次女夫婦は新婚中につき、夏の旅行には声を掛けず。八月末の「学会」に参加する夫と共に
関西行きの予定。
次女は猫と金魚の世話の為、葉山の実家に泊まって、葉山から通勤の二日間也。毎晩、猫の
様子報告電話ありき。
体力とパワーの余りある三女は会社休暇の毎土日は葉山海岸「海の家」でバイトに専念。普
段も朝晩、往復32キロの道程を自転車で通勤する由、腕や足の日焼けは並ならぬものありし
が、顔はあまり焼けぬが不思議なり。
二階の寝室はさすがに寝苦し。毎晩の冷房使用はこの30余年間で初めてなり。階下の「離
れ」で就寝する家内とは家庭内別居状態なり。階下離れは山際の冷気にて、全窓閉めてさら
に涼し。

この暑さも限りあるものと信じつつ、乞 暑気の乗り切りを。

2010/6/16   更新
2010/06/16 三台入る我が家の駐車場にもう一台ぶんの、拡張工事をすることにした。
愚息のバイクが二台・修理のために預かっている娘婿のバイク・末娘の原付自転車・二人の
孫たちの自転車が二台あるが、当然、私の車両と息子のワゴン車もある。
余分のスペースが無いので、あと車両一台ぶんの拡張工事をすることにした。
簡単に「することにした」と言っても、金がないからDo it yourselfである。自分でやることにし
た。

こんな大工事は私の遺作になるだろう。
42歳のとき、やはりガレージを造った。友人から急に車両を購入することになって、隣の空き
地に駐車場を造成したことがある。八月いっぱいかかった。炎天下、朝から夕方まで汗みどろ
になってやった。
書類の確認にきた警察官は「すごいですねぇ。一人で?」と、感嘆の声を挙げた。
スコップと鶴嘴とバケツだけが道具だった。
ダンプ一台ぶんの土砂を除いた。

今回は文明の利器のすごい物がある。ドイツ製のボッシュ製・削岩機である。これでコンクリー
トの門を壊す。コンクリートブロックとレンガ塀も壊す。長い敷きレンガタイルも壊す。
そして廃棄残土は隣接した山に捨てる。山との境は7mの高さのコンクリート建地で土留めに
なっていて、そこに梯子を架けて、バケツに入れた残土をロープで引き揚げて、山に捨ててい
る。
まだ、経過途中である。
100中の10だけ壊した段階である。
鉄製の敷きネットを張って、生コンを打つ予定。
水道の止水栓と蛇口の移動もしなければならない。
嫌になっても途中で放棄するわけにはいかない。

今のところ、腰も痛くないが、背中が痒い。アセモがいっぱいできた。夜はカミサンに背中を掻
いてもらっている。めんどくさそうに、わずか一分間だけである。しかし、絶妙な快感である。
2010/5/26   更新
2010/5/23 更新
2009/11/1        更新
2009/11/1 二枚目 更新
2009/11/6       更新
2009/11/9      更新
2009/11/16  更新
2009/11/18  更新
2009/11/23   更新
2009/11/25   更新
2009/11/27   更新
2009/12/9 更新
2009/12/14   更新
 20101/1/10 ,no,1  更新
2010/1/10 no,2   更新
2010/1/15 更新
2010/1/18  更新
2010/1/18 no,2 更新
2010/1/18no,3   更新
2010/2/6   更新
2010/2/8    更新
2010/2/23    更新
2010/3/3   更新
2010/3/15   更新
2010/3/15,no,2    更新
2010/3/18 更新
2010/3/26 更新
2010/4/13   更新
2010/4/24      更新
2010/5/19 更新
2010/5/21     更新
2010/05/26
訃報があった。
夜中の10時半。10時半は私にとっては「まだ宵の口」ではない。白河夜船よろしく爆睡してい
るところを、女児孫8歳の「とうとう金魚が死んじゃったあぁぁ・・」の泣き声で目が覚めてしまっ
た。
カミサンが孫を慰めている声がだんだんはっきりしてきた。金魚はここ二三日、泳ぐ力が弱っ
ている様子だった。ときどき身体を横にして泳ぐ様子に、家族全員が心配。息子も昨日、勤務
先から様子を聴く電話を入れてきた。「ダメかも知れないなぁ」と、口にはしないが。

息子の嫁もガンバレガンバレと呼びかけしている。

去年の夏、孫が神社の祭りで、200円で金魚スクイしてきた。すぐに死ぬだろうと思っていた
が、小さな命でも生きているものは大切にしなければならないと思い、孫たちの手前、金をか
けることになった。
水槽も大きくした。大型の酸素装置を購入した。小さな二匹の金魚は、みるみる大きくなった。

餌代はペットの猫のよりも安いが、10年前、兵庫県・明石市でクラス会があったとき、嘘だと承
知で・遊び心で買ってきた6000円の鎌倉時代という蛸壺も入れた。
コメットという金魚を二匹加えた。

食べる力がなくなってきた。そして、昨晩とうとう死んだ。死ぬもの・生まれるもの・結婚式も葬
式。
そうだ!23日に結婚式を挙げた三女に、早く生んでもらおう!!
赤いべべ着たかわいい金魚のような赤ちゃんを、早く生んでもらおう!

去年の12/6に入籍して共に生活しているから、もしかしてもしかして?

「オマエ、聞いてみろよ」とカミサンに告げたら、カミサンに怒鳴られるかな??




2010/05/23 パパパパーン パパパパーン、パパパ パパ パパ パンパンパパ パ
ン!!!!
メンデルスゾーン作曲の結婚行進曲のつもり。
33歳の娘と久しぶりに手をつないだ。娘が幼稚園のとき以来。

今日は次女の結婚式。場所は長野県軽井沢。カラマツの緑がむせかえる様。
カトリック教会は白樺林の中。故レイモンド氏の設計の丸太小屋・丸木造り風。レイモンド氏は
旧帝国ホテルを設計したライト氏と同時代に活躍した人。 

パイプルオルガンの音が堂内に響く。聖堂内の先頭を進むのは花婿の父親と花嫁の母親。次
に新郎とその母親。花嫁とかるく手を握りあった私たちは神父様の前に額づく。

ここは年間500組も挙式がある人気ブライダル教会。

神父様の講話は身に浸みた。「健やかなときも・病めるときも・豊かなときも・貧しいときも・死
が二人を分かつまで、互いに尊敬し・愛しあい・子を養育し・・」と、神父様は若い二人に説き、
また、数十年前に挙式し、愛を忘れつつある私たち老夫婦の心にも初心に戻る説教講話を。

披露宴は楽しかった。親戚のみの、わずか30名。会社関係の招待者なし、仲人なし、お色直
しなし。和気藹々あり。
親たちと、兄姉の夫婦、伯父叔父伯母叔母たち。幼稚園生と小学生の姪甥の四人がにぎやか
さと楽しさを倍増させてくれた。

新郎新婦は地味な仕事。二人とも理化学研究所の研究員。金には縁無し。 
花嫁である娘は多忙の中を、自分たちの生い立ちの記を写真とコメントを製本して、6種類を
配置した。婿の祖父母93歳88歳の写真も沢山あった。

新郎新婦は猫犬ペットが大好き人間。これが縁結びとか。葉山の我が家に二人来て、いつも
猫と遊んでいる。

トラブルもアクシデントもなく終わり、安堵した。

最後の新郎の挨拶は「両親や伯父伯母たちに今日、祝福されたように、自分たちも甥姪たち
の披露宴に駆けつけ、祝えるように人生を頑張っていきたい」と締めくくった。          



2009/11/01 
冤罪ほど口惜しくて・腹立たしく・辛いものはないだろう。疑いが晴れて無罪放免になったとして
も、失われた日々年月をどうやって返してくれるのか。責任のトップが頭を下げただけでは、腹
の虫が治まるものではないだろう。
今回、ワタシの場合は、まったく身に覚えがないとはいえないが疑惑がおきた。

カミサンが私の仕事場・部屋にやってきて、ときどき言った。
「なんか変よ。この部屋。変な臭いがするわ」から始まって、とうとう「オトウサンの体からだと思
うわ。ちゃんとお風呂で身体を洗っている?老臭よ!石鹸をつけて洗わなくちゃぁダメよ!汗を
かいていないと自分では思っても、毎晩 お風呂に入らなくちゃぁ!もう、お布団で寝かせてあ
げないわよ!」と、そこまで言われるようになった。

しかたがないから、せっせと石鹸で洗った。しかし、疑惑は晴れない。部屋にやってきて、くんく
んと臭いをかぐ。そしてまだ部屋が臭いという。

原因がわかった。元トイレからだった。

今は、荷物発送用の梱包材料・段ボールなどを入れている元トイレの、排水パイプに、半年間
異常も水を流していないために、そこから臭ってきたのだった。

5−6回、タンクの水を流したら臭気は消えた。
我が家にはトイレは4つ有る。この部屋は亡母の部屋だった。
隣接のトイレは亡母の専用だった。

今は私が自分で改築改造して、仕事部屋にしている。

事件後、毎日 思い出すたびに、排水をしている。

私に疑惑をかけたことを、露ほど詫びるカミサンではない。


2009/11/01 
次女の引越しを手伝いに行った。
結婚を前提としての引越しだから、慶事。忙しいからなどと断ったら一生恨まれる。
向こう三軒両隣りというが、八年間住んでいて、お世話になった方に、鎌倉・豊島屋の鳩サブレ
ーを娘は用意していた。手土産として携え、両登隣りの住人に、別れの挨拶に行った。

横浜・多摩プラーザのマンションから、東横線沿線・O駅近隣のマンションへ移動することにな
った。
本格的な家財の搬入は業者たちが来週にやるという。
三階建の低層マンションの000号室。
偶然、隣の敷地に住んでいる大家さん夫婦に挨拶をすることができた。
大家さんへと思い、葉山のパンを用意して行った。
大家さんは隣の敷地で、豪邸。先祖は350年前からというから、江戸時代に住み着いたと聞
いた。
今でこそ、静かで便利で環境も良く、土地価格も高騰し、大長者だろうが、江戸時代はどんな
荒れ野であっただろうか。

娘たちの住む部屋数は、広いリビングと寝室と、彼の書斎だけである。
婿殿は、書斎はどうしても必要だという。仕事柄、たえず勉強をしなければならない。

建物は、築10年にしてはきれいだ。森と林に囲まれた静かな場所であるが、娘は、夜の住宅
地を独りで帰り道を歩くのが恐いという。
バス停から徒歩15分。朝は車で彼といっしょに会社まで行くという。
来週からいよいよ新生活が始まるが、入籍するのは12/10だという。

妙な気分である。

33年間が走馬灯のように浮かんだ。



2009/11/06 
神無月、八百万の神様たちと共に出雲路を下る。
男女合わせて総勢20名。還暦も半ば過ぎたオジン11名・オバン9名の同期会。
京都府00で学窓を共にした仲間たち。
バスを借り切って、中国道高速を玉造り温泉に向う。

私は朝から晩まで、net,net,netの毎日。気分転換息抜きが必要。
丹後グループに飛び入り参加。
電話したその夜、東京から丹波・福知山までの深夜の高速バスに跳び乗った。
そして、出発の朝の八時に間に合った。

貸し切りバスの中は早朝から大酒盛り。
車窓から、優美な伯耆大山の姿も遠望。既に冠雪。
照る山々はかえでや紅葉の錦織り。
しかし、「うらにし」と称される、低く重く垂れた黒い雲。
日本海側の冬は間近。
「何事か おはしますかは知らねども勿体無さに涙こぼるる」出雲大社は荘厳。

玉造り温泉の長楽園が宿。こんなに広い露天風呂は初めて。
素晴しい日本庭園の中、なんと!混浴!昔のお姫さまたちも全員同時に入浴!但し、バスタ
オルを着用!
姫を待ち焦がれて、長湯して湯当りする男も出た。

私はその夜から、左眼が腫れてきた。ほぼ、治っていたのに、とんでもないものを見た為、眼
が潰れたかと思った。
(注)温泉湯は雑菌の巣窟。
混浴で心身共に開放された元同期生・オジンオバンは宴会場で更に盛り上がる。
自称「oo会のマドンナ」こと、oo和子さんは今回一番の「乗り」だった。
あれは既に芸術の域である。貴重な存在。会の宝である。
次回から会費は徴収してはならぬ。
酔ったか、酔った振りの演技か?あとで聞いたところによると天然だそうだ。
私は千賀さんの毒気で更に眼が悪化し、出雲空港から帰宅を決意。
フライト料金3万円が70%OFF、9千円也。
「眼の毒」とは、本当に存在した。

羽田11時着。午後、受診。

20日には新潟へカミサンと一泊旅行。



2009/11/09 
「法外な」という形容詞の意味を辞書で調べると、「度はずれ・度がすぎること」とある。
その言葉の後には大抵、金額や数字が付随しているような気がする。
「法外な金額」であれば、人によってその差は多種多様であって、財務省の役人ならば64兆円
は法外な予算であるか、当然か。

男女の差や年齢差、育った環境の差、ものの相場や、現在の収入によっても差は出てくるだ
ろう。

「きのうね、遅くに、電話があったのよ。オトウサン、もう寝てたでしょ。あのね、向こうのお父さ
んと大阪のお祖父さんから『法外なお金を頂いた』って、電話があったのよ。『将来、使いなさ
い』って」と、今朝、カミサンが私に告げた。

誰からの電話だったかというと、昨日、結婚する予定の彼といっしょに、新しいマンションに引
越しを完了した次女からだった。
要するに、婚約者の父親とお祖父さんが、息子(孫)と、未来の嫁に「法外の」金をくれたという
ことである。

娘は金額を言わないだろう。 聞いても答えるような娘ではない。
oo万か、000万か。私の法外な金額はその程度である。
しかし、聞く気もない。お返しができるものでもないし、する必要もない。
有難く思い、生涯の恩と受け止めておけばよい。

先方の父親は退職金を、手付かずのまま有しているのだろう。
昨日の引越しには、埼玉県から先方の両親が来たという。私たちは、先週の日曜に行ったば
かりで、かち合わなくてよかった。

「法外な」ものの用意が無かった。




2009/11/16 
中学高校のときの、同じ窯の飯を食った寮で暮した仲間たちが、東京町田市の某所に集合し
た。
男性ばかりの20名以上の先輩後輩と、二人の神父様。
目的は、帰天した物故者たちの為の追悼ミサと、その後の親睦会である。会費\4000。
見渡したところ、最高年齢は70歳後半とおぼしき方々から、50歳後半のまだ現役就業中の後
輩もいる。

ところで、11月になると、巷ではハロウィン・セールと称し、カボチャのお化けや黒マントの魔女
のコスチュームを見かけるが、それは西洋キリスト教で、オール・セントス・デーという、先に逝
った故人たちを偲び祈念する日が、11/1 と決まっているからである。
また、第一次世界大戦の終戦記念日がその前後だった。
在校の当時、毎年その日はフランス大使館から、大使たち一行が母校のチャペルで、ミサに
参列した。
そんな50年ほど前のことを思い出しながら、駅からとぼとぼ歩いて行った。昨日とは打って変
わった好天。空は雲ひとつ無い澄み切った青空。

先輩や後輩たちと会話した内容は、寮生活を懐かしむことではなかった。社会に出てからのこ
とや、現役を退職したのちの、現在の日々のことを、自己紹介しながら、起立して次々と披露し
た。
ビールとお寿司は余るほどあった。
健康を維持する為、サッカーや散歩の日々のことを語った。ボランティアや趣味三昧の話もあ
った。毎日が休日の人も当然いる。

まもなく一年が終る。今日は七五三のお祝い日。人生は長いぞ!そして短いぞ!!




2009/11/16 
七五三の祝い日。私は着物に携わる仕事柄、11月のこの日は、ことのほか天気のことを気に
している。
幸い、今年は絶好の好天。着物を着た親子が、好天に恵まれよかったということよりも、11/15
の日もいろいろな年があるなぁ、という想いがあるのだ。
寒い冬の北風の日もあった。雨天の日もあった。
まもなく一年の終りが近い。来年のカレンダーや手帳も売っている。
一つの区切りのような想いで眺めている。

我が家も内孫七歳女児と、外孫男児五歳が該当。
七歳にもなると女の子は基本的には大人と変わりない。
カミサンの母親が、糸から紡いで生地にした布を、私が京都の友禅屋で黒地の折鶴柄に染め
させた。
最初は、現在33歳になった次女が七歳で着た。
そしてその着物を昨日は孫が喜んで着た。
唇に紅を塗る。私は大袈裟にきれいだ・かわいい・美人だと騒ぐ。女児孫はニコリともしない。
なにをそんなに騒いでいるのという風情だ。そして、プイと横を向く。

また、一昨日は、外孫五歳児の家へ、カミサンが朝早くから羽織袴の着付けに行った。
うっかりと、祝い金の熨斗袋を男児孫に手渡したところ、「俺がもらったンだから、一枚はカア
サンにやる、一枚はトウサンにやる、一枚は俺がもらうンだ」と、言張り、金の値打ちも価値も
わからないくせに返さない。
「あとで、千円札2枚と交換させるから。数で誤魔化すよりしかたがない」と、娘が言ったとか。

男児孫は「俺は公文なんかやンないよ。ジェタイにやらないから」と言う。
上の長男のほうは努力家で、私が孫たちの家に行くごとに、私が授業料を出してやっているの
を、知ってか知らずか、に公文のプリントを見せにくる。

内孫女児も、国語では6回も表彰状を貰った。
この男児孫は頑固者だ。
まだ5歳になったばかりだと思ってはいるが。




2009/11/17 
友だち友人には、いろいろなカテゴリーがある。竹馬の友・同郷の友・同期生・呑み仲間・趣味
の友・メル友など、多種多様。

このたび、私は鳩山さんと友だちになった。あの鳩山サンですよ。鳩山総理サン!!
 どうしてって??
なんでかって? あちら様は私のことは知らない。私が勝手に、仲間になったと思っている。
理由をいうと、実につまらないことで、まぁ、あんまり言いたくないけど、言ってしまえば「税務申
告漏れ・追徴金仲間」だということである。

今朝、再度、招かざる客が来た。約束どおりやって来た。
きっちりと、忘れずにやって来た。来る途中、交通事故に遭遇すれば・・いいなぁと、思っていた
が、調査員はバスにも轢かれず、駅のプラットホームから転落もせずに、一ヶ月前の調査の結
果を告げにやってきた。

だいたい、税務調査係官も、公認会計士・税理士など、すべてネクラ族である。
明るくて豪快で、付き合っていて楽しい男たちではない!! 一緒に酒を酌み交したい友ではな
い!! これは断言できる!! あんな数字ばかりいじくっていて、なにが楽しいのか!!

 鳩山クンの結果はどうなるか??野党に転落した自民党が追及中だが、鳩チャンはお金持ちな
ので、屁でもないだろうが、私は、私は厳しい。

19日に、税務署まで出向いて、書類にサインをすることになっている。

20日には、憂さ晴らしに温泉に行くことになっている。
新潟の、なんとかという温泉にカミサンと行く。
イヤなことは、湯で洗い流したい。



2009/11/23 
旅に大切なものは、元気と天気と現金であると、以前、北海道を旅行したときのバスガイドさん
が言ったことを記憶している。
幸い、越後・上州の旅は好天気。また、三連休に入る前だったので、なにかと好都合だった。

今回の旅は東京電力の「柏崎原子力発電所見学」が目的で、私たちはこの企画に三度目の
参加。オール電化IH設備の普及に応援して欲しいとのこと。
IHに改築して、光熱費は格段の低料金に、月に2万円は安くなった。
我が家は二所帯住宅なので台所は二箇所あるが、86歳の認知症の姉のこともあり、ガスの
事故の心配も無くなった。

原子力発電所見学も三回目ともなると、ようやく、そのシステムも理解できた。
群馬県水上温泉の近くの「玉原水力発電所」(たんばら)の地下も三度目の見学。
エジソンが電気を発明して、わずか130年余。以後、目覚しい成長。人間の英知はどこまで進
歩するのか。

宿泊地は、新潟県「当間高原」(あてま)の、ベルナテイオ・ホテル。東電の子会社である。部屋
の空調設備の音が静かで快適。設備と料理は優良。

赤城・谷川岳・妙義山・浅間山が関東平野と上州の壁になって、関越トンネルは本当に国境で
あった。快晴の真っ青な空は一変し、氷雨と黒い重い雲になった。上州の風は冷たい。

バス旅行は終りに近づくと、ようやく周囲の人たちと親しくなる。個人情報を秘す時代であるか
らか。
昔は、袖すり合うも多少の縁と言ったが、さみしいような気もする。




2009/11/25 
京都に住む同期生の友人と電話で会話した。
この夏以来、7年前に求めたPCの調子が悪いという。PCも人間も、寿命が近づくといろいろ
支障が出てくる。

私は彼女に「システム復元」という裏技を伝授した。PCの「スタート」→「すべてのプログラム」
→「アクセサリー」→「システムツール」→「システムの復元」→「次へ」で、→カレンダーが出てく
る。復元したい年次・月日の、カレンダーの中の太字の日付をクリックすると、PCはその時の
状態にリセットできるのである。

 私は彼女に尋ねた。「戻れるならば、何歳のときに人生をリセットしたい?」と。
彼女は答えた。「二十歳の頃に戻りたい」と。

私は、即興で、昔話を披露した。昔々、ある処にお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある
日、お爺さんは山へ柴刈りに行きました。日が暮れて夕方、帰ってきたお爺さんは30歳のよう
な若者になっていました。聞けば、山の泉の水を飲んだら、若くなったと答えるお爺さん。その
夜、お爺さんは久しぶりでお婆さんを激しく求めました。腰が抜けたお婆さんは、自分もお爺さ
んに負けないようにと、翌朝、早速、山へ行きました。ところが、夕方になってもお婆さんは帰っ
てきません。お爺さんは山へ探しに行きました。泉の傍で、オギャーオギャーと泣いている赤ち
ゃんだけがいました。
彼女は「うそ!うそ!そンなぁー」と、しかし、なぜか嬉しそうでした。

60歳も半ば過ぎ、夫婦二人だけで静かに京都で暮しているのに、忙しい夕方、突然、長距離
電話で長話をしてくる同期生の私は、迷惑だったか親切だったか、電話を置いてから少し反省
しました。
薬局で、うがい薬を購入。歯ぐきの腫れも治ったと思ったら、今度はインキンの疑いあり。皮膚
科に行こう。

リセットができたらいいなぁ・・・




2009/11/27 
私の性格特質は、良くいえば「進取の気質」を持つ。悪くいえば「おっちょこちょい」。
テレビのCMの影響は甚大。
これまで通販で買った品々、そして捨てた品々(ぶら下がり健康器・金魚運動)など数しれな
い。
しかし、省みれば、人生での「大失敗」が無かったのは投じるような「大資金」は無かったからで
ある。

今回はトイレの便器のこと。我が家にはトイレが四つある。水洗の水・節約型が存在することを
TVで知った。

例の如く、カミサンは言下に「そんなの無駄!」と。皆が持つようになってから買えばいいと言
う。日本人全員が持つ頃、私は居ない。

カミサンから反対されると俄然ファイトが沸く私。
当時買った留守番電話は10万円。電子レンジ・コピー機(3年間リースで45万円)・FAX・ポケ
ベル・ワープロ・PC(リコー製品・5年間リースで150万円)・携帯電話(当時19万円・電波状
態最悪)・カーナビ(3年月賦で30万円・今も使用・パイオニアの優れもの)
相談したらすべて却下されたがすべて買った。

話を便器に戻すと、今、カミサンの縮緬細工の生徒さんが増加の一途。
8人家族の按分計算の必要はあるが、ともかく水道費・月額13,000円余。
水と空気は只のような日本だと言われるが。

約25年前の改築の時、設計士が大型タンクを設置した。我が家のタンクは、一回のオシッコ
でも15Lの水が流れてしまう。
TVで、6Lで処理できる便器が存在することを知ったのだ。
流れる程度のウンチをするようにと嫌味を言われたが、縄文人のような妻とは問答無用。
業者に見積もりをさせた。11万円也。一年間で元が取れる。

ソクラテスも悪妻のお陰であったのだ。
妻とイチャイチャ仲良くしていたら、深遠な思考・哲学は生まれなかったのだ。




2009/12/09 
「今朝は元気に学校へ行きました」と息子の嫁から報告があった。
小学一年の女児孫がこの秋から、学校をたびたび休み、早退も頻繁にしている。
新形インフルのせいで、全国的に何処の学校も出席日数は崩壊寸前らしい。

昨日、熱が出た、早退したいということで、急いで嫁が学校まで様子を見に行き、私が二人を
迎えに車を走らせた。
孫は本当に体調が悪くて熱が出るのだろうか? 
親の分野なので、爺や婆の私たちは口出ししないが、精神的なものが関与していないだろうか
と、心を悩ましている。
一見、元気に見える子だが、ナイーブな面もあるので、心が敏感すぎるのではないか。

今のところは少しぐらい休んでも心配ないと楽観視しているのは、テストの答案用紙はいつも
100点ばかりである。
入学後、第一回目のテストだけ100点ではなかった。
「テストという意味がわからなかった」と孫は答えた。
「それ以後は、よく読んだら全部わかる」と答えた。
公文教室でも国語は6回も表彰状を貰ったが、算数は苦手だと言う。

NHKの元アナ・鈴木賢二さんは小1から高校終了までテストはオール100点だったと著書『気く
ばりのすすめ』にあった。卒業後、何十年も経っての同級会で会った恩師は、自分のことの記
憶が無かったことにショックを受けたという。教師は成績の甲乙よりも、手を焼かせた子の方
が記憶に残るのだろうか。

小1では既に引き算に入っている。学校のカリキュラムは消化不良生徒を生産しないだろう
か。




2009/12/14  
1962年にワトソンとクリックが共同研究の成果によって、ノーベル賞の生理学と医学賞を同時
に受けた時からDNAや遺伝子なる言葉は一般に知られるようになった。
二本の螺旋構造を図解し、発表したということぐらいしか、私には判らないが、親から子へと受
け継がれる生理的肉体的分野ばかりではないということは、長女が産んだ小学一年男児孫に
よっても歴然とわかる。

男児孫は直截的にいうならば、よきにつけ悪しきにつけ、こだわりが並ではない。
彼はテレビを観ながら言った。「カアサン、北海道の蟹と北陸の松葉蟹とでは、どちらがおいし
いかなぁ?」「北海道の○○○?へ、行きたいなぁ。婆バが連れて行ってくれないかなぁ。蟹を食
べに行くンだよ」などと言う。
生後まだ7年目だから、蟹をそれほど何回も食べたわけではない。回転寿司で季節外れの蟹
を食べたぐらいのものであろう。

歳末、正月用の海産物のカタログに、冷凍の、剥き身だけの蟹の案内があった。
3kg\9800だった。即、注文した。
これで積年の孫の「爺ジ、ボク、蟹が食べたいンだぁ」から解放される。

どんな設備の工場で、蟹が剥き身にされているのだろうか?想像すると恐くて食べられないが、
蟹は生で食べることが多い。熱湯のシャブシャブにした方がよいだろうか。

12/10に入籍した次女たち夫婦はDNAを専門に研究しているが、二人とも「こだわり」は男児孫
の比ではなく2乗3乗。
二人の間にどんな子が生まれるか心配である。




2010/01/10 
「臭い!腐敗臭がする!」と叫んだ。
悲鳴のような叫び声を上げたのは車の助手席の次女である。
正月二日。昨年12/10に結婚入籍をしたばかりの次女が、夫の両親に元旦の挨拶に行くと
いうので駅まで送る為、車に乗った途端に叫びを発した。

正月早々、「腐敗臭」などという普段あまり使わない語彙の言葉を聞いて、私は気分を悪くし
た。普通、「なんか、臭いなぁ。魚の臭いかなぁ?」と会話が始まると思うが、娘はいきなり腐敗
臭と三字熟語できた。
その後も臭い臭いと騒ぐ。なにかが車の中で死んでいるとまで言う。ネズミか魚が死んでいる
はずだと言う。
研究職が仕事の娘は、常々実験に二十日ネズミを使っているが、あまり気分のよい話ではな
いので私は黙っていた。
しかし、私も確かにちょっと臭いなぁとは感じていた。
原因はわかっていた。暮の30日に、三浦三崎という所まで正月用の海産物を買いに行った。
市場のような建物で、コンクリートの床は魚や海老や蟹の汁が垂れていたであろう。それを水
で流していたので、靴は濡れ濡れであった。買い物に付き合った全員の靴が、その水に濡れ
たまま、車に乗ったので、魚臭かったのである。

今日は1/10。まだ臭気はとれない。臭いを消すという薬剤を噴霧しても臭気はとれない。し
ばらくすると臭気というものは慣れてしまうものであるが、車に乗った途端は、「ム!臭い!」と
感じる。

カミサンも臭気には敏感である。私の口の中までチェックしてくる。オトウサン、口臭がするわ
よ!と、時々言う。聞けば私は気分が悪いが、仕方がないから歯磨きの後、イソジンという薬
剤でウガイをしている。
暮れに、韓国系の家内の友人に本場のキムチを貰ったが、いまだに食べさせてくれない。
キムチなど食べたら、同じ部屋に寝てあげないわよと言う。いまさら・・とも思うが黙っている。
風呂にも入れ入れとウルサク言う。鼻が敏感なのも ほとほどであればよいと思う。



2010/01/10 
同居の孫にとって祖父母というものは、褒めるだけでよいと思っている。
二学期が終了。学校で書いた作品を小学一年の女児孫が自宅に持ち帰った。大きな版画で
ある。驚いた!実にうまい!身内を褒めてどうするかと言われるだろうが、女児孫は常々から
絵がうまい。
誰に似たのか、母親はやはり絵が上手で、その部門の学校を出ているが、別段教えたわけで
はない。母親が絵を描いている時間もない。
女児孫は時間があれば絵を描いている。クラスメートからも依頼を受けている。担任の教師か
らも褒め言葉を貰っている。

今回は虎の版画を学校で制作してきた。大きな画用紙いっぱいに、左右上下のバランスも良
く、白黒の版画で、虎の特長もよく捉えてある。
感激した爺の私は額を誂えてやった。そして内玄関の下駄箱の上の壁に飾った。

で、今度は五年生男児の話。
正月休みが明日で終わるという夜、男児孫は母親に叱咤激励されながら宿題をやらされてい
た。
ちなみに、妹の女児孫は休みに入って二日目には「ワタシ、宿題はぜんぶ終わった」と言って
いた。

ところで、お習字の「書初め」は『希望の春』がお題である。
食堂の壁に、恥ずかし気もなく張ってあった。男児孫の書いた『希望の春』は、ほとんど「絶望
の冬」といってもよかった。さすがに、爺も褒める言葉に困った。元気がいい字だなぁの言葉も
ない。うームとうなっていた。もうちょっと、なんとかならンかなぁと思ったが、むろん口にはしな
い。
せめて、「五年生」の文字の所にシール紙を張りたくなった。「幼稚園・年中組」ならば理解でき
るが。
カミサンもなんにも言わない。

閑話休題。私の小学生時代は、疎開していた田舎町では習い事といえば算盤と習字ぐらいで
あって、書道塾へ行っていた子はさすがに上手だった。
しかし、現代のカリキュラムではどのようなものか?パソコンや電卓の時代になると習字は省
みられないのではなかろうか?その反面、手書き文字の大切さを再認識する人も多いと思う
が、便利なものや機械に頼ってばかりではなく、文化や伝統を守りたいものである。




2010/01/15 
今、我が家で心を痛めていることがある。
五年生男児孫の友人oーちゃんの両親が離婚した?。
oーちゃんの弟一年生男児と、まだ二歳にならない男児二人を連れて、母親はOO県の実家に
帰った。
正月は福島県で過ごしたOーちゃんは正月明けに東北新幹線に乗り、たった一人で神奈川県
まで帰ってきた。
東京駅では迷子になったらしい。携帯電話で連絡を受けた父親が東京駅に迎えに走ったとい
う。
新学期も始まったが、下校後から父親が帰宅するまでの間、どうしているのだろうか。「冷凍食
品があるから、大丈夫です」と答えていたらしいが、不憫である。

原因?原因などはわからない。
「オンナの人だと思いますよ」と、推測・憶測ではあるが、離婚被害者兼経験者である息子の
嫁がつぶやいた。
実は息子の両親も嫁が19歳のときに別れている。
親の離婚は子供たちにはこの上なく迷惑である。

15年前、息子から結婚したいという旨を聞いたとき、私は内心、驚いたが、カミサンの「そうゆ
う人ほど、幸せになってもらわないとね」という一言で決まった。
我が家はメス鶴がいて、元・丹頂ツルの一言でなんでも決定する。丹頂ツルは白髪になった
が、卑弥呼のように貫禄が出てきた。

話は脱線したが、阪神淡路大震災の早朝が、息子夫婦が新婚旅行に出かけた日だった。

あれから15年。嫁姑のトラブルは一度も無い。
愚息を補って、嫁は子育てを良くやっている。舐めるように二人の子供を可愛がっている。

「Oーちゃん、いつでも また遊びにおいでよ」と、全員で玄関まで送っていくことにしている。夕
食も、食べさせてもいいよと、私は嫁にも告げたが、あまりで過ぎたことも、Oーちゃんの父親
の面子もあることだし、難しいことではある。

「覆水盆に返らず」か「元の鞘に収まる」か、諺もいろいろある。
Oーちゃんはまだこんな諺は知らないだろうが。




2010/01/18 
初めての体験をした。
私はヤフオクに参加し、まだ丸一年だから、まだまだ知らないことがある。
先日、家内に頼まれて、家内が主宰している縮緬教室の為の材料用着物をネットで探してい
たところ、適当と思われる赤い着物が見つかった。

そのサイトは66枚の子供用着物を出品していた。
そのときの価格は8500円で、入札者は10人だった。私は思い切って16000円を入れた。
最高入札者である旨の連絡がヤフーからあった。終了の直前、私の入札価格以上の入札者
が出現したということなので、その入札者の金額よりも上の価格で再び入札した。ところが、そ
の入札金額よりも上の価格が瞬時に出たのだ。更に、500円を増額してみたら、またもや、
『瞬時』に、上の金額が出るではないか! 
さすがに変だと思った。最高額の入札後、数分か数時間の後であるならば、誰かが更に入札
したと思うが、『瞬時』に金額が上乗せして変化することに私は疑問をもった。
これは怪しいと思った。そうゆう『仕掛け・からくり』をセットしてあるに違いない!自動的にドン
ドン跳ね上がるように仕組まれているのだと思った。
これでは詐欺である。正しいオークションではない!!即決価格を提示しておくべきだ!これで
は早晩入札者から相手にされなくなる。
広い日本にはこうゆうサイトも存在しているのだ。

 文芸春秋の創始者でもあり文豪・菊地寛の短編に『入れ札』というのがある。
博徒・国定忠司が捕り手たちに追われ、赤城の山を下りる場面。新国劇でも有名なセリフを思
い出す。
菊地寛はこの場面を「入れ札」という短編にまとめた。
忠司は子分たちに告げた。大勢でまとまって逃げると目立つから、自分と共に行く者と、一の
子分の某と、二手に分かれて逃げることを提案した。
そして、自分か子分の某かを『入れ札』で示せと命じた。開票の結果、員数と札数が一致しな
かった。一の子分某が自分の名前を自分で書き、入れ札をしたのであった。
これは恥ずべきことである。忠司と一の子分某は当事者であるから、入札してはいけないの
に、一の子分某は自分への支持者が少ないことを心配して、自分の名前を書いたのだった。

日本人が、まだ恥じるということを自覚していた時代の物語である。

現在の政治家たちの報道を見る限り、手段を選ばぬやり口は「なんでもあり」である。

 今回、ワタシが引っかかりそうになったサイトは、岡山県の某とだけ告げておこう。




2010/01/18 
昨日は阪神淡路大震災から15年目のメモリアルデー。
南米ハイチからも痛ましい報道の動画がテレビで届く。

思いついたが吉日とばかり、日曜日の午後は遅まきながら我が家も地震対策に半日を費やし
た。
私たちの寝室にはタンスが六竿あり、その中の四竿は和服である。
娘たちの着物も預かっているから、洋タンスよりも和ダンスのほうが多い。

タンスに押しつぶされてペッチャンコにならないように、六竿のタンスを移動することにした。
タンスの中の、一棚一棚を引き出して、二人でタンスを移動することは難儀中の難儀である。
何年に一度もやりたくない。
しかし、ウチのカミサンは「狭い室内の家具移動名人 兼 数字パズル名人」である。
タンスとなるとさすがに私の手も必要とするが、階下のリビングルームの家具テーブルは、しょ
っちゅう移動させている。

趣味は数字を埋め込パズルである。新聞や雑誌に載っている数字を嵌めこむクイズにいつも
挑戦している。
そんな訳で、タンスを移動させる指示命令は当然カミサンが発している。

数年前、この寝室の床はワタシが自分でフローリングにした。床材を買ってきて、夏の台風の
日だった。たしか、三日間かかった。
その後、一昨年に、この寝室の壁紙を薄い板壁に張り替えた。そして天井の布クロスも板壁に
張り替えた。きれいになった。10日間以上かかった。
そのときは、カミサンはまったく手伝うことはしなかった。

ともかくこれで安堵。家屋が倒壊しないことを願う。




2010/01/18 
水槽で金魚が泳いでいる。寒いのに、冷たい水の中を。二匹いる。
金魚の名前はポニョとソウスケ。女児孫が名付け親。
昨年夏、地元の神社の夏祭りで、孫たちが紙の網で獲ってきたものだ。
安い金魚で、たぶん種類はコメットだろう。
半年間で驚くほど大きくなった。

それにしても冬場は冷たいだろう。私は快適な温度にしてやろうと思った。
湯沸かしポットの熱湯を入れることを思いついた。

ところが、タイミングの悪いことに、私の行動をカミサンがじっと見ていたのだ。
「オトウサン、よしてよ!!オトウサンのやることは失敗ばっかりだから」と言うではないか! 

私は反論した。冗談言うな!この齢になるまで、大きな詐欺に引っかかることなし・株で大損し
たこともなし・土地の取得も家屋の建築も、その後5回にわたる増改築もぜんぶ間違いなくや
ってきたではないか!!と、喧嘩になった。
「お金が無いから、そうゆうことには無縁でよかったわねぇ」と、涼しい顔で言う。

腹が立ったから、水槽に熱湯を入れることにした。金魚が水槽の下にいる時に、さっと入れ
た。
二杯入れた。まだ湯気は出ていない。
大丈夫のようだ。まだ生きている。泳いでいる。
優しい飼い主だと感謝していると思う。
餌もやっている。
今年の夏は、殺したハエや蚊もやってみようと思う。
カミサンの見ていないとき。




2010/01/25 
「ベスト・ドレッサー賞」というのがある。それを我が家の末娘が貰ったという。
「パパぁ、貰ったのぉ! 賞品はァ、エステの無料券なのぉ!」と、寝入りばなの私のベッドの傍に立
ち大声で告げた。

詳しく言えば、結婚式披露宴での、座興の一つであった。出席者たちから選ばれたらしい。

昨日日曜日、夜の七時、横浜の中華街の近くのホテルで友人の結婚式があり、娘は招かれて
出かけて行った。
着用した着物は戦前の作品だった。今から70-80年余前に制作された品である。黒地・五つ紋
付き・袖は長くて1尺8寸(68cm)ある。袖裏胴裏は紅絹。赤色が黒地と良く合う。模様は松竹梅
の図。昔、中国では「歳寒三友」といって、君子の節操を象徴するものとされた。大柄な笠松紋
は重厚な雰囲気。幅太に常緑の竹の幹が豪快に描いてあり、百花の先駆けといわれる白梅も
大きく大胆な構図。胸袖肩には柄はまったく無い。元は、裾模様振袖であったかも知れない。

昨年、家業であるリサイクル業の買取りとして、某・○○郵船の創立者さんの、某・お孫さん宅
から買い取った着物である。
今の制作費では100万円以上するだろうと思う。すごい着物だと思った。
手入れをして、末娘に着せた。帯は家内の古い白地の龍村を締めた。
背は160cm。友人たちは以前から安室奈美恵さんに似ていると言う。オデコが大きく、髪が長
いのと、眼が大きいところだけが似ているかなと思う。
ともかくごきげんだった。

「あの子、着物を畳めるのか?」と家内に尋ねた。「脱いで、ハンガーに掛けてあるンじゃない」と
家内は答えた。
着物を畳むぐらいは教えておけよと言いたかったが、私は黙ったまま寝室に戻った。
寝入りばなを起こされて、酔い覚ましの冷水を飲んで、トイレに行って、またベッドにもぐりこん




2010/02/06  
世の中には自分と瓜二つの人間が三人いるという。
とある日、
「やぁ、しばらくです。お元気ですかぁ!」と、大きな声をかけられた。
見れば50歳を少し出たくらいの男性が目の前に立っていた。

ここは横浜駅西口の近く、東急ハンズやヨドバシカメラなどが引きめき合っている繁華街。日
曜日でもあり、歩行者天国になっていた。
私はケンタッキーフライドチキンの店の前の歩道を歩いていた。
その男性は「森ですよ! ほら、私、森です!」と、自分の鼻を指しながらさらに言った。「ええっと、
何処でお会いしましたですかねぇ?」と、私は頭の中をくるくる回転させ記憶を巡らせた。「ほら
ぁ、お互いに入院していたとき、隣のベッドで寝ていた森ですよ」
ええっ! 入院って、いつのことだぁ? 私は人生で、この齢になるまで、それでも4回ほど入院もし
たことはしたが、最後に入院をしたのはもう5年も前のこと。ヘルニアの簡単な手術をして、医
者は五日間と言うのを、退屈なので勝手に四日で退院してきたことが最後の入院だった。

怪訝そうな顔をしている私の顔に、さすがにその森という男は「高橋サンでしょ?」と、確かめる
問いをした。おもわず笑いながら、自分はタカハシ姓ではないことを告げた。

目の前の男は恐縮して、謝りながら立ち去った。
たったそれだけのことであったが、あまりにも自信たっぷりに・確信をもって、人間違えをした
森という男性はどうゆう性格をしているのか、いぶかった。
そしてまた、高橋サンと信じているのだから、高橋サンになりきってみたらどうだっただろうと思
った。高橋サンになって、入院中の昔話に合わせ、高橋サンになって演技をしたら面白かった
かもしれないと思った。
実際にはできないが、あとでふと、そんなことを考えた。





2010/02/08 日曜日の朝の番組NHKの「小さな旅」は私の楽しみの一つである。
昨日は長野県下諏訪町のオルゴール制作会社を紹介していた。
番組修了とともに「行くぞぅ!」と、ベッドの中から叫んだ。すぐに出発。
カミサンの良いところは、旅行に行くときはかならず一緒について来てくれることだ。
「ワタシぃ、あんな所、嫌だわぁ、パパ一人で行ってきてぇよ」と、二回続けて言われたら、もう絶
対に誘う気がしないだろうが、どんな安ホテルであろうとも、民宿であろうとも、一緒に来てくれ
る。特に温泉があれば大喜びである。
田舎、ローカルであれば更によし。オルゴールを一つ求める計画であったが、それはまだ秘し
ておいた。
次女を誘った。
学業や就職のため親元から離れたり、結婚した娘は更に親の自由にならない。
次女は12月に入籍し、既に夫と一緒に東横線・OOで暮らしているが、夫は友人の結婚式で、
土日から九州へ行っている。幸い、今日はさしたる予定がないらしい。
我が家の長男夫婦と孫たちも朝早くから、東京浦安のDLへ行った。
雲一つない冬の好天気。OOの娘宅から、再度の出発をしたのが10時半。首都高から羽田・高
井戸・新宿・調布を経て山梨県に入った。左手には冠雪で真っ白な南アルプス連山がまばゆ
い。右側にはやはり雪の八ゲ岳を遠望。談合坂STでちょうど昼。休憩・簡単な昼食。
長野県・諏訪湖の湖岸は流氷で覆われている。最初に『原田泰治さん』の美術館に行った。こ
こは予想外のグッドであった。現在、原田泰治さんは69歳。周知のとおり、日本の原風景のよ
うな絵を、実に細かい描写。朝日新聞の日曜版は、あの頃としては珍しい色刷りであった。懐
かしいような素朴な田舎の風景が多い。
ローカル出身の私たち夫婦は複製画を六枚求めた。
更に圧巻だったのは、原田泰治さんの絵を模して、パッチワークキルトが制作されていた。こ
れは原田さんに絵に感動した全国の女性たちが、自分の趣味の布細工で緒戦してみようとい
う気持が始まったものだろう。制作日数は九ケ月とか六ケ月とか要していた。
次に目的のオルゴールの館・泰鳴館を訪ねた。
副主任という女性が、展示してあるオルゴールの音を聴かせてくれた。シューベルトとグノーの
アヴェマリアに感動した。今年の五月に挙式をする次女の為に、今日の記念として一台のオル
ゴールを求めた。58000円也。
副主任の女性は説明が良かったこともさることながら、人の心をとらえることを言った。次女
が、どのようにすることが保管や保存にいちばん良いかと尋ねると「オルゴールを常に聴いて
あげることです。しょっちゅう使用してあげることです。注油の必要なし。20年でも30年でも、も
ちますよ。物置などにしまい込んでしまわないで」と答えた。20年30年後はいない私たち。
次女は物を大切に長い間 使用する。小学生の時買ったバッグを、いまだに使っているのが
その例である。今日のオルゴールと原田泰治さんの絵は、長い間 次女夫婦の部屋を飾るこ
とだろう。




2010/02/23  
こんなことは書くべきことではないかとも思う。しかし、我が家の歴史上、先週おきた開闢以来
の出来事を、事実だから思い切って書くことにした。

三女がバリ島から帰ってきた。有給休暇を取って友人たちと十日間の旅行。一月もハワイにも
行ったらしい。青春をエンジョイしている。
土曜日に帰ってきて、翌日にたくさんの衣類を洗濯し、ベランダに自分で干したという。
そこまでは良かったのだが、夜になって「下着が無い」と、母親に訴えていた。何時頃だったろ
うか、私はベッドの中で、その声をうつらうつらと聞いていた。その時はこんなに大騒ぎになると
は思いもしなかった。しかし、事は深刻になった。
娘は警察に一応届けるという。私は嫌な気分がして、もっとよくよく探してみてからにするように
と、カミサンに告げた。
我が家のベランダはかなり広い。八人家族の洗濯物が十分干せて、普段使用しない靴や傘な
どがプラスチック箱に詰めて置いてある。
ベランダの屋根は私が架けたので雨の心配もなく、夜間も洗濯物は出しっぱなしである。ベラ
ンダに洗濯物を干しに行くのは家内と息子の嫁と娘と、あとは88歳になる認知症の姉だけであ
る。
男は私と息子と小学五年の孫だけで、ベランダに用はない。
私は88歳の姉が間違って衣類を取り込んだものだろうと邪推した。姉のいない時間に、姉の部
屋の下着入れタンスなどを探すように家内に頼んだ。結果、何も無かった。また、姉の衣類を
干す場所は決まっていて、洗濯物を入れた籠に若い娘の下着のような物を入れて歩いている
様子を見たことはない。

三女の会社はオーストラリアに本社がある貿易会社で、業界では世界で二番目のシェアだと
か。大阪に日本の総代理店があり、衣類ファッションの展示会が頻繁に東京で開催され、展示
した衣類は希望すれば格安で買えるらしい。アウトドアの製品も扱い、水着なども豊富であるら
しい。バリ島には3着の水着を持参したとかで、それがまた、私に言わせると異常に高く、4万5
万もするとか
。娘はタンスの中を徹底的に調べたところ、今回の洗濯物だけではなく、相当数の下着が無い
と言う。金額に換算すると30万円だと言う。下着を何枚所有していたかを本人も把握していな
いことはしかたがないが、PGとかいう会社から荷物が時々代引き料金で送付されていて、それ
が下着の会社であることは私も知っていた。

警察官がやってきた。最初の日の朝は4人も来た。夜は夜で若い人が1人来て、居間で質問式
の調書を書いていた。そのまた翌日も6人来て、そのうち2人はベランダに上がり、ベランダの
手すりから指紋を採取する作業をしていた。
「こうゆう事件は、この町では頻繁にあるか?」と私は質問したが、「滅多に無いです。3年ぶりか
な」と答えた。
ベランダの横に大きな白モクレンの木があって、その木を登れば簡単にベランダに達すること
ができる。1人の警察官が眼の前で登ってみせた。中年の警察官であったが、靴のまま、苦も
なく登った。
しかし、
ベランダとの境のサッシの窓は私たちの寝室につながっていて、我が家は24時間、たいてい
誰かが居る。コソ泥が入るチャンスはないように思うが、不思議なこともあるものだ。
近所にも怪しい人・不審者は居ないと思う。警察官が言うには、普段、なんということない普通
の人が、色情の癖を有していることは頻繁にありえると。
オバサン用パンツは持って行かない。
また、ストーカーということも考慮しなければならないと言う。ストーカーであれば、近所だけの
住民とは限らないと言う。
ともかく、夜間のパトロールをしてくれることになったが、気味が悪いことになったものだ。

三女は職場への行き来は自転車である。海岸線の湘南遊歩道を、毎日往復36キロ走ってい
る。雨の日もカッパを着て自転車である。体形を保持する為だとか。
自転車は2台有って、2台ともアメリカ製で、ブレーキは足でペダルを逆回転させる方式。ハンド
ルも大型。
娘は耳にヘッドホーンをして、かなり派手なデザインの洋服。目立つ。

葉山→逗子→小坪を周って鎌倉→材木座海岸・稲村ガ崎→藤沢へと走る。

夜になって、無事な姿で帰宅するとホッとする。花の金・土は深夜も頻繁。
不穏な時代である。嫌な事件の報道が毎日のようにある。
早く嫁に行って欲しいが、「30までは絶対に結婚なんかしないから!!」と、言う。
この結末はどうなるのだろうか・・・。



2010/03/03 
ようやく風邪が治った。今年の冬は二度も風邪と闘った。風邪は自己管理の不行き届きと感
冒の二種類があるが、私の場合は常に感冒である。

それにつけても思うことは、加齢に伴う抵抗力・免疫性の低下である。一度風邪に見舞われる
と、なかなか完治しない。私は治療を迅速に受けるほうである。まず、私の場合は喉が痛くな
る。こうなると赤信号である。頭痛はない。倦怠感もない。食欲はある。まず最初に、鼻腔から
バイ菌は喉に入ってくるようである。次の症状は鼻汁である。これに対する医者から出る薬
は、鼻汁とは言わないで、痰に対するものであるが、痰はバイ菌の死骸だろうと私は考えてい
る。リンパ線で、粘液がバイ菌の増殖と、他の臓器に侵入することを食い止めてくれていると考
える。

今はティシュという便利なものがあるが、昔はチリ紙だった。若い頃、学生寮で過ごした頃、チ
リ紙で鼻が赤く腫れあがったものだ。若い頃は薬も飲まず、寝ているだけで治った。

同居の孫たちも、しばしば風邪をひき休校するが、一日か二日で完治している。咳や痰の症状
はない。
先週も、末娘が「新型インフル」に見舞われたが、三日間で治った。

私も家内も、もう一ヶ月近く風邪と闘っている。咳の症状が出るようになると苦しい。十分な会
話ができない。電話が辛い。これは仕事に差し支える。他人に対して不愉快な思いをさせる。
それゆえ、私は必死で風邪を治そうと努力するが、家内は医院に行かない。そして、私が貰っ
てきた薬を飲んでいる。それも、毎食後、私が家内に薬と水を持って行かないと、自分から服
薬しようとはしない。

私は寒い処や、なるべく人ごみの中に出ないようにしているが、レジャーとして気晴らしとして、
週末にホームセンターやスーパーに家内と買い物に出かける。泊りがけの旅行には、昨年の
12月に行ったが、1月には日帰りで長野県諏訪市に行っただけである。しかも、それは車であ
るから、あまり人とは接触がなかったはず。しかし、それにしても諏訪湖の畔は寒かった。私な
らば、即 毎日肺炎である。慣れれば平気なものだろうか。

湘南地方は比較的、避寒地でもあるが、できることなら冬は奄美や沖縄で暮したい。



2010/03/06 
古今東西、男が財を成した結果、やることは大方決まっている。
古くは藤原道長に平清盛。海の彼方でもクリントン元大統領など、男はみな同じことをする。
趣味によっても異なるが、大型クルーザーや別荘を買い、愛人を囲う。
齢をとってくると、季節外れの別荘・冬期のヨット・婆サンになった愛人と手を切りたくなるが、
翻って、私の場合は幸か不幸か、蓄財には縁がなかったのでそうゆう悩みはなかったが、今、
購入しようかどうしようか、思案しているものがある。それは「薪ストーブ」である。

別荘はこの先も、手に入れられるはずもなし。せめて薪ストーブだけで別荘の雰囲気をと思う
が、例によって我がカミサンに相談するまでもなく、却下されることは確実。
スイッチ一つのオール電化の時代に、なんでまた酔狂なことを言うのだと。「大草原の小さな
家」の100年前に戻るつもりか。時代錯誤だと、口から出るセリフはわかっている。

しかし、このところ、ネットでいろいろと勉強した。薪ストーブは近在のホームセンターで下検分
をした。ネットでは価格を学んだ。問題は「薪」の購入方法であるが、我が近隣に、三浦半島で
唯一の製材所がある。価格を問い合わせると、一束500円との答。灯油よりもはるかに高い
と先方も言う。理由は「二年間以上も乾燥させているからだ」との答。
更にネットで調べると、北関東の群馬県から、送料込み、一束350円程度で送付されてくる。

しかし、壁に穴を開けて煙突を出し、耐熱防御壁の設置をしなくてはならない。天井にも床にも
必要である。そうゆう大工・左官仕事は私の最も好きな作業であるが、上手にできるとは限ら
ない。
「素人だから、この程度でいいかぁ!!」と、自分は納得してもカミサンの怒り狂った顔を想像
すると、決心が鈍る。

薪に火をつけるのも一仕事であるし、薪の保管場所も必要である。なんだかんだと考えると、
だんだん決心がゆるんできた。
あと何年生きているかわからないということが、いちばんの問題である。
「別荘もオメカケさんも縁がない男であった」と、墓碑銘に書いてもらおう。




2010/03/15 
「どうかなさったのですか?最近、数値が低いですよ」と、水道のメーター検針員が告げた。つ
まり、水道の使用量が減ったということである。

「湯水の如く使う」という言葉があるが、地球環境を考えなければならない時代となり、水も空
気も金で買うことになったら困る。

テレビを見ていたら、水洗便器の排水容量は便器によって、さまざまであることを、初めて知っ
た。
昔の排水量は一回で32リットルを要していたが、今は13リットルで流してしまうという。

我が家に大勢の来客様と、縮緬教室の方々が来訪して下さるが、26年前に改築したとき、設
計士は私に告げた。「お宅は大家族だから、大型の水洗便器を設置しておきましたよ」と。

私は直ちに行動に移った。すぐに上下水道の会社に電話をした。ことは簡単だった。
即座に13リットルの少量排水型便器に交換した。13リットルで、ウンチが詰ってしまったら大
変であるが、だいじょうぶだった。
そして、水道料金は半額になった。カミサンは喜んで私に報告した。
長い間にはずいぶんと差が出てくるはず。

私は内心、「それ見たことか!!いつも俺をバカにして、なんでもかんでも反対ばかりしている
が・・・・そりぁや、たまには失敗もあるさ。しかし、これでも考えてやっているンだぁ!!」と、い
いたかったが、黙っていた。
静かに、「よかったね」とだけ答えておいた。




2010/03/24  
今年の春の彼岸の入りはおもいがけない春の嵐だった。台風並で家屋の被害は続出。
怪我をした人たちは全国で15人とNHKは告げた。しかし、NHKはたいへんな誤報をした。
怪我をした真実の人数は16人。ウチの娘が漏れていた。
NHKはウチの娘を員数に入れていなかった。

三連休にもなるとウチの末娘はいつも行方不明になる。とうとうかどわかされたか?それとも
旅行か?と、少々になる頃、ひょこっと電話がある。

娘は3人いるが、娘というものはいつも「オカアサンに代わって・・」と電話のとき言う。
なんでオトウサンではいけないのか!
で、しかたがないから電話を家内に代わる。「千恵がバイクで怪我をしたンですって」と、家内
の弁。落ち着いている。狼狽していない。
「自爆ですって。風に煽られて、ガードレールに衝突したンですって」「足首の骨を、削っただけ
らしいわよ」まくし立てるわけでもなく、泰然自若としている。
それでも母親か!!と、言いたかったが「何処で?」と「入院しているのか?」とだけ、私は尋
ねた。「たいしたことはないらしいわ。茅ヶ崎ですって」とだけ告げて、あちらの部屋に行ってし
まった。薄状な女である。

茅ヶ崎市の、いつも娘が走る湘南ビーチロードといわれる道は、江ノ島から藤沢・茅ヶ崎・平
塚・大磯・小田原までの長い海岸道路で、天気が良い日ならば太陽は燦燦と輝きすばらしい風
光明媚な地域である。目の前は相模湾。浪打際からの砂浜も広く、黒松の松並木が長く続い
ている。その目的は防砂林である。年中、海からの南西の風が吹いている。しかし、その防砂
林もはところどころ切れている所もあり、殊に今回は橋の上では猛烈な風であったと思う。突
風に煽られて、ガードレールに衝突したという。
松葉杖で帰宅してきた。いつかこうなるであろうと思っていた。大難の前の小難と思うことにし
た。以後、注意して、往復38キロの道を会社まで、毎日50ccバイクで通勤するだろう。




2010/03/26  
久しぶりで娘を車で送った。
先日の大風の日、末娘はバイクもろとも転倒、足を怪我し松葉杖状態。
以来、通勤の送迎を朝夕、家内がやっているが、今朝は私が代わって会社まで送ることにし
た。

藤沢市までは車で30分足らずの道程の海岸線を走る。二日続いた雨もあがり、湘南ロードの
気持良い波打ち際を走る。
運転しながら横目でちらっと娘を見れば、助手席の末娘は朝の化粧に余念がない。まつ毛の
手入れのようだ。まつ毛に、なにやら塗っている。

左手に見える逗子海岸の広い砂浜には、近くの逗子開成高校の生徒がたくさんいて、今日は
ヨット操縦訓練授業のようだ。同じ色の体育服と救命胴着着用の生徒たちが、小型のディンギ
ーに乗っている。

岬のトンネルを出ると目の前がパーッと開け、鎌倉材木座海岸。鎌倉時代に「七座」が開設さ
れ、材木の外、米・絹・相物・博労などが取引されたことにより名前は由来する。
また、この辺りは和賀江島とよばれ、潮の干満で浅瀬はときどき海底の姿を見せる。
今は昔、三代将軍・源実朝が宗(中国)に渡る計画を立て、この地で大きな船を建造させたが、
浅瀬と波で船は転倒したとは史実が伝える処である。
源実朝といえば、やはり先日の大風で鶴岡八幡宮の石段の途中にあった大銀杏の陰で、甥
の公暁に暗殺されたと伝えられる。時は流れ、800年後の先日、大銀杏が倒木したニュースは
周知のとおり。

なにしろ末娘は無駄口をきかない。普段からあまりしゃべらない。車中で二人だけのときに会
話がないのは、私は苦痛である。
30歳を越えた次女や長女は普通に会話をするが、三女は私と会話するよりも猫と会話するほ
うが好きのように見える。

思えば、小学校から私立だったので、毎朝、逗子駅まで車で送った。それは私の役目だった。
6時40分には家を出た。3人の娘たちの歳の差は、5歳6歳と離れていたので、通算何年間 駅
まで送ったのだろうか。大学に通うようになっても、朝の車両送りを私は続けた。
なにしろ、葉山町という処は電車がないので、通勤通学の夫や子どもたちを、妻や親が送迎を
する人たちで渋滞に拍車がかかる。

稲村ガ崎海岸にかかると、娘はモバイル電話を取り出した。メールを送信しているのだろう。
「誰に?何を?」などと、賢明な私は聞かない。

沖には白帆のヨットの群。メインもジブセールもスピンネーカーも満杯にふくらんでいる。

黒い数百の、海鵜のように見えるのは黒のダイバー姿のサーファーたちである。
まだ朝の九時半。「こんな時間から、オマエたち、仕事はどうなっているンだぁ?会社に行かなく
てもいいのかぁ?」と、怒鳴ってやりたかったが、聴こえないだろうからやめた。この海岸は湘南
海岸でもサーファーたちのメッカ。嵐のでも波乗りしている。親の顔が見たいものだと思ってい
たら、中年とおぼしきオッサンたちもボードを片手に歩道を歩いている。

鎌倉高校の前まで来て、まだ自分も結婚前の若かった頃のことを思いだした。
女友だちが此処の音楽の教師だった。近々、自分は結婚することになった。結婚後の姓は『越
中』になると告げた。「おかしいでしょ?変でしょ?」と言ったが、私は笑うのを必死でこらえた。
「越中」といえば越中フンドシ!!笑うなというほうが無理。しかし我慢した。
そして私にピアノを弾いて聴かせてくれた。その頃、私はピアノには興味がなかった。
私がピアノの練習を始めたのは60歳を過ぎてからだった。
女友だちの家は、その日、親たちはいなかった。訳の判らない高度なピアノを聴いて・紅茶を
飲んで帰宅した。
越中サンと名前が変わった友人は今頃どうしているだろうかなと、鎌倉高校の前を通過しなが
らぼんやりと考えていた。
何処かの総合病院で「エッチュウさんぅ、3番の内科入口にお入りくださぁーぃ」と呼ばれて、な
んでウチの主人の名前は越前か越後にしなかったンだろう??と、うらめしい想いで、内科の入
口に向って歩いていると思う。

とうとう江ノ島に到着。信号を通過したら、ようやく娘の会社。
「ぱぱぁ、ありがとうね」娘はリュックを背負い、松葉杖をつきながら、ひょっこりひょっこりオフィ
スの方へ向った。
夜は家内が迎えに行くことになっている。




2010/04/13 
私がホームドクターと頼りにしているクリニックはケアが良い。
受診後の二日か三日目に、かならず看護婦さんから「その後いかがですか?」と、病状の問合
せ電話が入る。
この冬は三回目も風邪をもらって、つまり、毎度 同居の孫が小学校から強烈なウィルスを伝
播させてくれる。抵抗力の低下した老人は小学生たちのように簡単には完治しない。
私の風邪はプロセス・流れがあって、頭痛や高熱はないがそのつど、咳・痰・鼻汁の攻撃を受
ける。私はカミサンと違って早めに診察を受けることにしている。
今回の「病状・問合せ電話」に対して、私は答えた。「いやぁー、今回の診察代は安かったです
よ。計算 間違っていませんでした?」と。「えっ?どうして?」と、顔なじみの看護婦さんは驚い
た様子。
実は40歳前後の女医さんが診察してくれた。40歳が30歳であっても、ロバやカバのような女
医さんでは、今日のこの文章は書いていないが、女医さんは美形だった。四月から新しく入所
した医者なのであろうか。私の胸と背中に聴診器を当てて、大きく息を吸って・・・吐いてぇ・・。
診察はこれまでと変わらない。
最後に脈を診ますと言って、私の手首をとった。なんと女性の手というのは冷たいのだろう。氷
のようなという表現は大袈裟だが、血が通っているのだろうか?しかし、カミサンにさえ手など
握ってもらったことがないので私は感激した。女医さんは私の手(正確には手首)を握ったまま
一分間ほど自分の腕時計の秒針を睨んでいた。その後、私になんか言って、私もなんか答え
たが上の空だった。
私は、今日の診察代は元を取ったなぁと頭の中で考えていた。毎週、金曜日は、その女医さん
がやって来るという。
そうか、診察に行くならば金曜日だなと思った。海坊主のような院長よりも、優しく手を握ってく
れる女医のほうが同一料金ならばいいに決まっているではないか。

ウチに帰ってカミサンに報告した。「そうなの、良かったわねぇ。毎週金曜日ね」と答えた。




2010/4/24
カード決裁をすれば金を持っていなくても困るということはない時代である。
スイカ・カードがあれば電車もバスにも乗れる。
自動車を走らせているとき、ETCゲートを通過すればフリーパス。
時計・カメラ・計算機・地図は携帯電話から見ることも使用することもできる。

私の財布の中味は5000札が一枚だけ。

その日は土曜日で、時間は夜の七時半。

貸し駐車場の請求金額は8500円であった。
こんな時、貸し駐車場から出るにはどうすればよいか?

この時間では銀行のATMも閉まっているだろう。しかも、近隣の銀行には私は不案内である。

その駐車場の在所は横浜・山下公園と中華街東門の中間の地点で、ホテル・ニューグランド
の付近である。

順を追って説明をすればこうゆうことである。

午前10:30 私は依頼者の住まいを訪れた。そして作業が終了したのは午後7:30であっ
た。

依頼者へは、和服・帯の買取りの仕事で訪問した。

依頼者の年齢は75。年齢的には平均的である。

聞いて驚いた。20歳代のころから、某人の秘書を20年間勤めたという。

驚いたのは、その某人の名である。故人であるが、○下○器産業・○下○之助氏であった。
ご長寿の天寿を全うされた。ともかく、謙虚で立派な方であったようだ。おだやかで、常に、「あ
りがとう、ありがとう」と、些細なことにも礼の言葉を忘れない方であったようだ。

自身は秘書を辞してから、会社を立ち上げた。なんの会社か、私は聞かない。

そして独身を通した。

独身ということは、子供の養育費や教育費も不要である。夫のスーツの支払いに頭を悩ますこ
とはない。自分の生活や趣味にのみ、惜しみなく経済を投じられる。

かなりの贅沢が許されたのだろう。和服類は高価な品ばかりであった。
家庭のない寂しさを、購買ということで、心を満たすこともあるだろう。

そんなことで、たくさんの帯や着物の点検に、長時間を要した。私は「一山 いくらで」という買
取はやらない。良い品しか買取はしない。シミ汚れの点検に、夜までかかった。

ありったけの金を出して支払った。駐車場の使用料に5000円を財布に残しておいた。

しかし、駐車場の使用料請求金額は8500円也。3500円足りないではないか!!!

こうゆうときはどうすれば良いか?!!私も初めての経験である。

清算機には電話番号が書いてあった。「ただちに、スタッフが駆けつけます」と、電話のむこう
は答えた。

40分待った。ようやく来てくれた。ヘルメットを被った若い兄ちゃんである。

「寒いのに、悪かったねぇ。何処から来てくれたの?」と、私は尋ねた。

なんと、「世田谷の駒沢からです」と答えた。

ええっ!!東京から来たのかよう!!そりゃぁ、時間がかかる訳だぁ。第三京浜高速を走っ
て、横浜・中区の此処まで来たのか!! 気の毒に!! ワタシのようなバカな駐車場利用者
はときどきいるらしい。

5000円をその場で支払った。兄ちゃんは、私の車の写真や免許証やナンバープレートを撮
影して、ようやくゲートのバーを開放してくれた。

帰宅までの途中、一銭も所有していないということは不安であったが、車はETCを通過しなが
ら、ようやく自宅に帰り着いた。

夜、ただちにネットで相手の銀行に残金を振り込んだ。
後日、領収書が郵送されてきた。

一件、落着。




2010/05/19
ストーリーの内容は忘れたが、戦後のアメリカ映画に「花嫁の父」というのがあった。
洋の東西を問わず、花嫁の父は泣いた・笑った・パニックになったなどを経験する。

長男・長女に続き、三度目ともなると私は泣くこともないだろうと思う。(たぶん)
海のむこうのハワイよりもマシであるが、娘たちは長野県軽井沢の教会で式を挙げるという。
新緑の軽井沢は私も初めて。
近場の○○殿とか××閣で挙げてくれれば楽であるが、娘は何事にもこだわり、安易に妥協
する性格ではない。
研究職という仕事柄、「これくらいの目分量で、まっ いいか?」では許されない毎日であろうか
ら、コダワリには磨きがかかっている。
新郎も同じ研究所員。新郎は30歳で新婦は33歳。

ちなみに長男の妻は5歳年上。長女の旦那が4歳年下。
これは我が家の伝統の2010/05/19 これは我が家の伝統みたいなもので今更だれも驚かな
い。
いちばんいい例が、私のカミサンは5歳年下であったはずが、40年経つと女帝と臣下の関係
になった。
最期にまだ三女が残っているが、いかなる男性を連れてくるか?

前の日の、土曜日 車で出発する。
その夜 ホテルでは前夜祭の宴会になるはず。
披露宴では乾杯のシャンペンも口がつけられないのは、その夕方、車で帰宅する予定である
から。
新郎のほうの先方さまは、初めての結婚式である。




2010/05/20 
私は埋蔵金を探し当てた。群馬県赤城山に行って来たわけではなく、伊豆の韮山山中で鍬を
ふるったわけでもない。

認知症が重くなってきた88歳の姉の、ゆうちょ銀行通帳と印鑑・カードを預かることにした。

88歳の独身の姉のバッグの中に、金融機関の窓口でくれる現金を入れる古い封筒が三つも
入っていた。

女性のハンドバッグは外出する用途に合わせてバッグの種類を替えることが多いであろう。洋
服や靴の種類や色彩を考慮して、バッグを取り替える。

ウチのカミサンがバッグの中味をドサドサドサと畳の上に撒き散らし、AのバッグからBのバッ
グに総入れ替えしている様子は滑稽なものだと時々見ているが、認知症の重傷者は、そう簡
単ではない。
玄関の鍵が無い!保険証書が無い!印鑑が無い!と、そのつど大騒ぎ。
バッグの中にはありとあらゆるものが入っていた。平成12年の書類をはじめ、解約済みの通
帳や、不必要な物がゴミ屋敷のように入っていた。
これでは本人も見分けがつかない。仕分けするだけでも大変である。

今、必要とするものが見つからない。
この状態で、病院の窓口やスーパーのレジで、うろうろしていたら後のお客さんはイライラす
る。

私は意を決して、姉の重要な物を預かることにした。すると、先に述べたように、現金が三つの
封筒に30万円近く見つかった。
必要な金額だけを手渡すことにした。
埋蔵金は私のものにはならない。
バッグも一つだけに決めさせた。

さぁーて、明日からはどうなるか???