・アメリカで17歳のドイツ人交換留学生が再び銃の犠牲に その②
・アメリカで17歳のドイツ人交換留学生が再び銃の犠牲に その①
・アメリカでの交換留学生被害が社会問題化 CNNニュース(動画)
・米のコミュニティサイト「CSFES」で知ることのできる被害情報
・ロータリーは07年に危機管理委員会(外部有識者を含む)を設立
米国モンタナ州ミズーラで去年4月、民家の車庫に侵入したドイツ人留学生が住人の男に射殺された事件で、 裁判所はKaarma被告に対し禁錮70年の判決を(少なくとも20年は仮釈放も認めないという)言い渡しました。 今回の裁判では、被告の行為が正当防衛に当たるか否かが争点になっていましたが、 被告が4発も発射しているなどの理由から正当防衛は認められませんでした。 ロイター通信などによると弁護側は上告する方針のようです。
この結果を受け、ネット上では多くのコメントが寄せられています。 そのなかには「窃盗犯を殺したにしては罪が重すぎる」 「日本人が撃たれても無罪なのに白人だと有罪になるのか 米ルイジアナ州での服部剛丈君の銃殺事件を指していると思われる)」のような意見も見ることができます。
http://abcnews.go.com/US/montana-man-claims-defense-shooting-exchange-student/story?id=23822121 (「ドイツ人男子生徒射殺事件」ABCニュースより)
2014年4月27日に米国モンタナ州ミズーラの田舎町で、 ドイツ人の交換留学生Diren Dede君(17)がもう一人の留学生と散歩中に民家のガレージに侵入し、 家主のMarkus Kaarmaに銃殺される事件が発生しています。 殺人罪で起訴されたKaarma被告は正当防衛を主張しており現在は保釈中で、裁判は2015年1月に行われる予定です。(注1)
交換留学生が銃の犠牲になったといえば、やはり1992年に米国ルイジアナ州バトンルージュで、 日本人留学生の服部剛丈君が訪問する家を間違ったために家主に射殺された事件が思い出されます。(注2) そして今回の出来事も、普段は静かなアメリカの田舎町で夜間に二人で出かけて事件が起きており、 またしても悲劇が繰り返されてしまったのです。
さて、この事件は1992年の事件の教訓を生かすことができているのだろうかという疑問を投げかけます。 答えは、「ノー」と言わざるを得ません。 留学生が銃社会における安全確保の仕方を学び、アメリカの銃文化を考える上で布石となるべき服部君の事件でしたが、 ここでは、事件の「教訓を生かす」とは具体的にはどういうことなのかを、私なりに考えてみたいと思います。
服部君の事件の教訓を十分に生かすことができていない理由は、 このような事件を考える際に、誰あるいは何が悪かったのかに終始するあまり、 留学生の不注意や過失を指摘する意見と、アメリカの銃社会への非難という、 これら二つの支配的な見方にとどまってしまうからではないでしょうか。 今回の事件に関する海外でのコメントでも(このニュースは日本ではスルーされている)、 ドイツ人留学生の不注意を指摘するものと、アメリカの銃社会を非難するものとの、 大きくふたつに分かれています。(その他Castle Doctrineや正当防衛についても書かれていますが) 事件がどのような過程で起こったのかを知ることはもちろん必要ですが、 事件発生時の留学生の行動にばかり注目していては、 高校生の交換留学が教育提供プログラムであり、その教育過程の中で留学生の命を守ることができなかったという、 プログラムの構造的な問題に目を向けることはできません。
私のサイトでは、留学斡旋団体が留学に伴う被害や危険性を十分に留学生に伝えていないことを指摘してきました。 しかし、これまで服部君の事件に直接言及しなかったのは、 一方で、銃社会における安全確保の重要性を留学団体側が留学生にしっかりと教育してこなかったのではないかという指摘をすると、 アメリカの銃文化に対して問題意識を持てなくなり、 他方で、留学生が射殺されるという悲劇を引き起こした原因をアメリカの銃文化だけに求めると、 渡航先での安全確保に必要な最低限の事前教育や渡航中のケアが十分ではないという問題に向き合うことが難しくなるからです。 (事件当時、服部君と行動を共にしていたアメリカ人ホストブラザーは危険を察知して身を伏せている)
例えば、服部君の事件がその後のアメリカの銃規制運動へと発展していった過程で、 銃規制にスポットライトが当たり、実際に服部君を派遣した留学団体や留学プログラムに対して目が向けられることはありませんでした。 2012年に開催されたイベント『服部君事件から20年~銃社会アメリカのいま』についても、 留学団体AFSがHP上で掲載してはいるものの、アメリカから銃をなくそうというメッセージだけに焦点が当てられ、 そこからは生徒を海外に送り出す側としての反省や悲劇を繰り返さないための 留学生の安全確保という教育的な意図を窺い知ることはできませんでした
とくに服部君の事件や今回の事件を一般的な射殺事件として捉えるだけでは不十分なのは、 高校生の交換留学における射殺事件は、銃社会が生み出した悲劇であると同時に、 交換留学という教育プログラムがはらむリスク(=ここではアメリカ留学で銃殺される危険性)を、 プログラム自体が回避できなかった結果とも考えられるからです。 そしてこのことは、銃によって命を落としてはいないけれど、 性的被害やネグレクト虐待、高校生の交換留学では本来あるはずのない金銭問題から生じる様々なトラブル等によって、 自死寸前まで追い詰められている子供がいることと、無関係ではないと思われます。
(注1)ドイツ人留学生射殺事件
(注2)日本人留学生射殺事件について
・AFSの記事:服部君事件から20年語学研修ツアー中にNYで行方不明になった高校生が無事保護されたことは、 最新情報2013年8月31日のところで、すでにお伝えしています(*) ところがその後、当時のメディアが事実と異なった内容の報道をしていたことがわかりました。 高校生が行方不明になった経緯について、プログラムを実施したアイエスエイ社の現地スタッフが誤った報告をしていたことが判明したのです。 ようやく先月の12月25日、アイエスエイ社が被害生徒(行方不明生徒を含む6名)に対し、 書面による謝罪と10万~5万円の解決金を支払うことで示談が成立しています。
じつはこの事故、テレビのニュースを聞いていて、なぜはぐれてしまったのか?他の生徒は気づかなかったのか?携帯電話は?と思った人もいたはずです。 案の定、男子生徒がはぐれてしまったのは、スタッフが集合時刻に遅刻し点呼を怠るという、 引率した添乗員及び現地スタッフのミス(集合場所で待ちくたびれ寝ていた彼を残したまま出発した)からでした。 新聞やテレビニュースでは、彼は地下鉄の乗り換え時にはぐれてしまったと報道されましたが、 そもそも彼は地下鉄になど乗っていないのです。 地下鉄の駅に向かう途中で彼がいないことに気づいた生徒も、現地スタッフに告げているのに無視されています。 そのうえ、アイエスエイ社から携帯電話の所持も禁止されており、 不測の事態が生じた場合の緊急連絡先も宿泊先も生徒はわからないままだったのです。 つまりメディアが、肝心の生徒からの聞き取りを十分にすることなく、現地スタッフの偽りの話をそのまま流したことで、 あたかも彼にも落ち度があるかのような印象を与える報道内容になってしまったのです。 彼も他の生徒にも一切非がなかったことが判明した以上、誤った報道をしてしまったメディアの責任も大きいと思います。
これらのことから、アイエスエイ社側のミスにより命の危険にさらされていた彼の当時の状況、誤報道によって尊厳が侵害されたこと、 彼以外の生徒も深く心を痛めたことを考えると、和解金額の是非はさておき、学校側が責任の所在をはっきりさせたことは、評価に値することだと思います。 学校と生徒の保護者は、帰国した生徒たちから話を聞いてはじめて事の真相がわかったのだと思います。 事実を知るためとはいえ、多くの時間と労力を費やすことは本当に面倒なものですが、 そういえば宮崎駿氏も「大事なことって、たいていは面倒くさいものだ」と口癖のように言ってましたよね。 それにしても、高校生の交換留学被害と同様、大人が自分たちのミスを子供に押し付けてまでトラブルを隠蔽することが一番の問題なのです。
(*)[トピックス]2013/08/31をご覧下さい