「昨今、こともあろうに、唯授一人(ゆいじゅいちにん)血脈付法を否定せんとする一部の輩(やから)の策謀(さくぼう)がみられることは、御開山上人の厳格(げんかく)・清浄(しょうじょう)な正法護持(ごじ)の御精神に照らして、断じてあるまじき所業でありますと」 (『広布と人生を語る』第三巻七二頁)
「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じにみえるが、それらには唯授一人・法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)の血脈がない。法水瀉瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持(たも)つも無益(むやく)であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」 (『広布と人生を語る』第八巻二二八頁)
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順(ずいじゅん)しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。創価学会は御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」 (『広布と人生を語る』第三巻三二頁)
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告(けんしげんごう)』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」 (『広布と人生を語る』第一巻二三○頁)
「今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。
御法主上人を『軽(かろ)しむ』ようなことがあれば御書に照らしても堕地獄(だじごく)は疑いない。私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに邁進(まいしん)し、僧俗和合を築いていくことを確認しておきた い」 (昭和五十五年十一月二十六日 学会創立五○周年記念幹部登山・北條浩会長指導)
「仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解(しんげ)していない証左なのである」 (『広布と人生を語る』第三巻二九四頁)
「日蓮正宗の根本たる御法主上人を訴えたという、この一事だけで、もはや一切が崩れさったことを物語っている」 (『広布と人生を語る』第三巻二一二頁)
「日達上人御遷化(せんげ)の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭(と)して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤(しった)しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」 (『広布と人生を語る』第三巻一四三頁)