市民のイメージ

これはまさにタイムリー!な教材です。なぜかというと、現在市民が一種の陪審員として裁判に参加しなければならない法案が

準備されつつあるからです。つまりすなわち、あなた方にとって他人事ではない。かてて加えて、ハマーがこの1年現代文の、

この教科書を使ってやりたいことには、中心となるテーマがあります。それは、「近代化とは何か」特に、

「日本にとっての近代化とは」ということなのです。もう小説やろうが、評論やろうが、そのテーマにかかわるようにやってしまいま

すので、(笑)、そこんとこヨロシク。でもってこの「市民のイメージ」はその前置きとしてなかなか手ごろな文章なのです。

 

【予習】

教科書左下隅っこに◆語句◆というのがありますね?これは自分で調べておいてください。ハマーは解説いたしません。

それ以外の言葉でもし、解説してもらいたい言葉、言い回し、文章などがありましたら、前もって「ここ」と質問できるように準備し

ておいてください。予習で必要なことは以上です。これだけは絶対やっておいてください。予習はしてあるものとの前提で授業を

しますので、もし指名して、「語句」の解説を求めた場合、「わかりません」ですと、減点の対象とします。

【内容】

1行空きになっています。ということはつまり段落は4つあるわけですね。(選択すると答えが見える)

第1段落では「市民」という言葉にはどういうイメージが付きまとうのか、が話題になっています。これは、「国民」「臣民」「人民」「庶

民」などとの比較でとらえると、わかりやすい。まず、「臣民」はたぶんに戦前っぽい。軍国主義・国家主義っぽい。じゃあ「人民」

は、というと、これは共産主義・社会主義っぽい。国家主義や共産主義では「個」より全体が優先されるイメージがある。「臣民」

も「人民」も自分の意見を持った、とか自由な、とか言う感じではないですね。「庶民」はいかにも貧乏くさい。今普通に使われる

のはやっぱり「国民」ですが、これも国家あっての国民であり、「国民の権利と義務」みたいな、硬くて区切られた印象があります。

それに比して「市民」となると「コスモポリタン=世界市民」なあんていう言葉があるくらいですから、なんかこう、国家をも超越した

趣がある。政府権力やら、大企業やらとも丁々発止とやりあうような、自分自身の意見と行動力を持ち、狭い地縁血縁の利害を

超えて、広く社会に関心を持つ、かっこいい感じがするわけですよ。

第2段落では著者がアメリカの陪審員制度のドキュメンタリーをテレビで見た経緯が語られます。だいたい事実が淡々と述べら

れており、感想としては「驚くべきものであった」があるだけですが、語り口調は肯定的。「率直」「論理的」「決して安易に和合

しない」「過度に感情的になる人はいなかった」と、著者がアメリカの普通の市民の合理性と粘り強さ、冷静さに感銘を受けたこ

とが伺われます。

第3段落ではもっと端的に、「普通のアメリカ人はなんて立派なんだ」という感嘆の文で始まりますが、次第にこう、人が普段から

いつもそんなに立派であるはずがない、しかしアメリカ人は他人の運命を左右しなければならないような状況に置かれれば、普

段の自分とは違う「市民になる」ことができるし、その覚悟があるんじゃないか、そして陪審員制度というのは、その市民になると

いう経験をさせるための教育制度なんじゃないか、と思うにいたるわけですね。

そう、市民である、ということはかっこいいどころではなく、大変厳しいものであることを体験させる、教育制度。

第4段落はまとめです。

結局、地縁血縁共同体では、いろいろな決まりごとがあって、なかなか個人が自由に生きることができなかった。

そこで人間は近代市民社会、というものを作り上げたわけですが、そこでもおのおのが果たさなければならない責任と義務とい

うものは厳然とあって、ワガママ勝手が許されるわけではないのでありました。

それじゃあ、前近代の共同体と、近代市民社会は、何が違うんだろう、ということになりますね。

そこが第4段落なのですが、「われわれは市民に生まれるのではなく、市民になるのだ」というわけです。

市民とは、生まれつきではなく、自分の意志で選択し、そう振舞うことによってかろうじて維持されるものである、という。

そしてその振る舞いは、論理的であり、冷静であらねばならない。

果たして君たちに、それは可能なのでしょうか?