その子二十・・・近代短歌
まず、「短歌」って何かな、というところから復習をしましょう。
5・7・5・7・7と文字を並べれば、「短歌」になります。
これは日本の最も基本的な「詩」の形です。
しかし、古文で「詩」といえば「漢詩」のことですし、現代文で「詩」といえばいわゆる藤村以来の文語定型詩や口語自由詩、つまり57577にこだわらないほうの詩を指しますから、注意してください。
上で「最も基本的な詩の形」と言ったのは、普通の言葉以上の力を持つ不思議な言葉(散文に対して韻文と呼びます)という意味で「詩」である、ということです。
さて、この57577の詩形が日本に生まれたのは、ほとんどその起源を特定できないほど古い。
しかし、残っている一番古い歌集「万葉集」(奈良時代)には既にその詩形が最も数が多いので、「確立していた」といって差し支えありますまい。
次の平安時代には「古今和歌集」、またその次の鎌倉時代には「新古今和歌集」が編まれ、それぞれ時代の最高峰の歌集となっています。
ではその次の室町時代には?
そしてまたその次の安土桃山時代は?
江戸時代は?
日本人は短歌を作らなくなったのでしょうか?
いや、そんなことはない、そんなことはないのです。
室町時代から江戸時代にかけても、ほんっとにたくさんの人が短歌を作り、すばらしいものも多い。
しかし、やはり全体としてみると、万葉古今新古今を超えるような斬新で力のある、大きな潮流にならなかったのですね。
室町から安土桃山に掛けては、「連歌」、江戸時代には「俳諧の連歌」(これがいずれ「俳句」になります」)に人々の興味が移っています。
そしてさあ!明治時代です。
日本が近代へと方向を変えた特別の時代。
短歌や俳句も今までの伝統を守るだけでは、もはや新しくなった人々の気持ちを捉えることはできません。
改革の機運が起こります。
短歌も俳句もまとめて新しいものにしてしまった人、それが「正岡子規」です。
彼は「古今和歌集」を否定し、日本の優美ではあるが決まりきった花鳥風月観を否定し、凝った修辞を否定し、「万葉集」と「写生」を重んじました。
いわば、もっと素朴に、ものそのものに即して、男っぽく歌う歌を目指したのです。
彼によって、短歌は再び力を得、ほとんど明治の文壇を引っ張るくらいの隆盛を見せました。
便覧の347ページに歌人の系譜が載っていますが、彼から出発した一派(根岸短歌会系)はすぐ「アララギ派」へと続き、伊藤左千夫・斉藤茂吉・長塚節・島木赤彦と万葉長の重厚な歌を作った高名な歌人を輩出します。
現代でもシロート歌人の大半はこの派の影響を強く受けた先生・弟子関係の中にあるといえます。
しかししかし明治時代の人全員が、子規派の歌に満足していたわけではありません。
伝統的なおとなしい短歌には飽き足らないが、そうかといって子規派の歌はあまりにも朴訥でごつごつしてて、どうも自分の気持ちにはしっくり来ない。
あまり写生写生というのも窮屈だ。
もっと自由に、もっと激しく、もっとロマンチックに自分の気持ちを歌えないか、という人たちが拠ったのが、与謝野鉄幹・晶子を中心とする新詩社。いわゆる「明星派」です。
こちらはアララギ派に比べるとかなり女性的。ロマンチック。自由。若々しい。
クイズです。
教科書の歌人たちを、歌の感じからアララギ派と明星派に分けて見ましょう。
答え アララギ派・・・島木赤彦・斉藤茂吉
明星派・・・与謝野晶子・若山牧水・石川啄木・北原白秋
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