「水の東西」山崎正和

この教材は「評論」に分類されています。
でも「評論」と言うほど、長くもないし、何かをガチガチに伝えようと力んでいるわけでもありません。
かなり「随想」に近い感じ。
著者山崎正和の感性に負うところの多い文章です。
しかしながら、きちんと論理的に構成されており、初心者が評論を読む練習には、もってこいの文章でもあります。

さて、テーマは何でしょうか。
こういった「評論」を読むとき、「何かと何かを対比させて述べているのではないか」と思うと、かなりうまく読めることが多いのですね。
そしてこの「水の東西」はおあつらえ向きに、二つのものの対比で話がすすんでいきます。
・流れる水と噴き上げる水
・時間的な水と空間的な水
・見えない水と目に見える水
この三つのうち前者が日本人の感性を、後者がヨーロッパ人の感性を象徴するものと述べるわけです。(空欄を選択すると答えが見える)
で、それぞれの感性とはいかなるものか、と言うのが結論なのですが、ヨーロッパ人のほうについてはあまり詳しく言及されていない。日本人については、20ページの4行目、5行目で述べられています。「そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏付けられていた」「それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現われではなかっただるか」という部分がソレですね。
ただし、下に「問」がつけられているように、指示語「そういう」「それ」の中身は自分で考えないといけません。

で、端的に「日本人はいかなるものを好む感性を持っているか」と申しますると、「自然なもの」「不定形なもの」、とこうなるわけです。この評論に使われている題材は水ですが、噴水と鹿おどし、つまり「庭園の中の水」ですな。日本の庭園と、ヨーロッパの庭園を比べてみれば一目瞭然、ヨーロッパのお庭というものは、大変に幾何学的な整形を好みます。18ページのイタリア・エステ家のお庭の写真を見てください。きっちりとした左右対称性、右下に見える刈り込みの、コンパスで測ったような整い方。あるいはですね、あなた方がディズニーランドで見るような、トピアリ、樹木を動物だのキャラクターだのの形に刈り込むようなことをして楽しむわけです。大理石の像とかも置きますね。そして肝心の水。水も圧縮したり、ねじ曲げたり、粘土のように造型して楽しむんですね。それがつまり、噴水。自然に対する人間の力の勝利をたたえるのがヨーロッパのお庭です。

クイズ 上の写真のどれが日本の庭でしょうか?

それに対して日本のお庭というものは、ひねくれているんですねえ。もともと人間がつくるものなんだから、自然に反しているに決まっているのに、なるべく自然に見せようとする。自然のものに、直線とか、真円とかないでしょ?ぎざぎざ、でこぼこが普通。そういう風につくろうとする。水も、流れるのが自然なので、流すんです。それの極致が、盆栽かな。盆栽は「自然」じゃありません。木をほっといたら、あんな形にはならない。ものすごい手間をかけて、ミニチュアの「自然」を再現しようとする。ネ?ひねくれているでしょ(笑)
「鹿おどし」もまあ、盆栽みたいなもので、「流れる」という「水の自然」を鑑賞したいわけですね。それでああいう仕掛けを考えるわけだ。「水を鑑賞する」のに、「水を見ない」。仕掛けは人工的なんだけど、鑑賞の対象は自然、なんです。

 


 

ここからは余計かもしれないけれど、こういう「日本対西洋」で文明を語る評論が、大変はやった時期がありました。はっきり言って、30年くらい前です。今はもうはやらない。なんでかって言うと、日本以外のアジア、それから非ヨーロッパ文化、あるいはヨーロッパにしても文化的な交流が盛んになり、その中身を詳しく知れば知るほど、日本対ヨーロッパ、なんていうくくりはあんまり大雑把過ぎて、何か結論を言ったとしても「それが何なの?」となりがちだからです。「ヨーロッパ?ヨーロッパって言ってもいろいろあるよ。ケルト文明と日本を比べてみたらドウよ?」とか、「中国と日本だって自然に対する態度なんかものすごく違うよ」とか。
で、今は入試にもこういう問題の建て方をした評論はあんまり出ません。以上、少々余計な話、終わり