5/1  「生きている方言」


古民家と同じように私たちが失いそうになっている大切なもの。

なぜか私でさえこのように共通語になっている。
時々、たまにしか出てこない。
小さい時から既にそういう環境ではなくなってしまっていたのだ。

しかしお年寄りと接する機会が増え、いろんな場面で耳にする方言は
その場の雰囲気を良く伝えて、深い味わいを感じさせてくれる事に改めて気がつく。

テレビや環境の変化を原因に上げることは容易い。

それならば、なぜ大阪弁や京都弁が堂々と生き残っているのか。

根本は私たちの劣等感にある。

私も初めて東京の会社で働き出した時には、周りの人の言葉のキレイなことにびっくり。
そして「梅沢君、東北出身だね。」と何度も言われる。

がんばって共通言語を用いても抑揚=イントネーションが全く違うのだ。
その当時は本当に恥ずかしく思い、真剣に直そうとしていた。


数十年の歳月が流れ、今自分の取り組んでいる問題の根っこにある最大の原因は
それらと同じものであることを再認識する。

「自分たちの今の暮しが中央の文化に常に劣っている。」という思い込み。

これは時代を問わず、昔からの日本人の性癖である。
古くは中国に、そしてヨーロッパ、米国と劣等感の対象は変わっているが。

その度に日本人は自分の持っている大切なものを捨て新しいものに飛びついてきた。
特に明治期には外国人が嘆くほど著しく。
「産湯ごと赤ちゃんを流してきた」といわれる所以である。

劣等感は逆にそうでないものに対しては優越感、蔑視に安易に変わってしまう恐ろしい
性質のものだが、ここではそれを論じている余裕はない。


家族にも「お父さん、訛っているよ!」といわれることがある。

私はその度「訛りは大事なんだ。恥ずかしいものじゃないんだ!。」というが
まったく相手にされない。


古き良きものは全てゆったりした時間の流れの中に。

時間をかけて消化吸収そして熟成、地域に根ざした新たな独自のものを創り上げる。

言葉も大切にしよう。

決してこびることなく、無理せず、堂々と主張していこう。


生きている方言、その1。

「この炭はむそいばぃ。」
(この炭はよく長持ちする、急になくなったりしないよ。)

「いだましなぃ〜。」
(もったいないなぁ〜、あんないいものを。)





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