9/25  フクシマ報告43、除染の限界。



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<松元保昭:パレスチナ連帯・札幌>

みなさまへ    松元

政府は「緊急時避難準備区域」を9月30日に解除すると発表しました。
その「解除の要件」は、各自治体の「除染方針」によって復旧計画ができたとしているだけです。

除染評価が綿密な放射線量計測に基づくものではなく、
単なる期待、根拠の無い「安心」政策、補償費用削減などを意図して
子ども女性を含む住民を高汚染地区に帰宅させるとしたら、
これは恐るべき犯罪的な施策と言わなければなりません。

20日、神戸大学の山内知也教授が、国際環境NGO FoE Japan、
福島老朽原発を考える会の要請をうけて実施した渡利地区における除染の調査結果を発表しました。

それによれば、「除染」のモデル地区でさえ高い線量が計測されており、
『文字通りの「除染」は全く出来ていない』と報告しています。
小出先生も何度も指摘しているように、
「除染」には大きな限界があり安易な期待は住民をかえってさらなる被ばくに曝すことになります。

■放射能汚染レベル調査結果報告書:渡利地区における除染の限界

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<童子丸さんのコメント>

これは大変な事実です。
福島市渡利地区は今まで除染作業が非常に熱心に行われてきた場所なのですが、
ほとんど下がっていないばかりか上がっている場所すらある、
要するに「右のものを左に移した」に過ぎないことが明らかになったデータです。
小出先生がおっしゃるように、除染は基本的に無理でほとんど意味が無く、
せいぜいが「やるに越したことはない」という程度のものだということがよく分かります。

汚染された土などをどこに保管すればよいのかという問題に加えて、
作業自体がほとんど無駄な努力に終わっている、
さらに、ここにはありませんが「フレッシュな放射能」が常に加わり続けている問題も含め、
原発事故というものの底知れない恐ろしさがひしひしと伝わってきます。

このようなデータが大々的に広められない限り、「除染作業をしているのだから安心してよい」、
「もう戻っても大丈夫」という、人間を危険地域に放りっぱなしにする棄民が当たり前になってしまうでしょう。
何せ、さまざまな放射線障害の実例が出てきても、
山下大先生のお力によって全て「精神的なもの」にしてしまえば、八方丸く収まるわけですから。

また、これが何か「対策の目玉」であるかのように絶対視され、
そこに大型の業者がつぎ込まれて利権あさりの場になっていく構図ができつつあるのではないかと思います。
そして「万一事故が起こっても、すぐに除染できるから安心してよい」などという風潮まで作られるのではないのか…。
私には、日本人が「同胞の人肉を喰らう」おぞましい光景にしか思えないものです。
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何も言うことはありません。

童子丸さんのコメントが全てです。


9/14  フクシマ報告42、メディア。



福島市一帯にはこれまで多数のマスコミ、メディアが取材に訪れている。

日本ばかりでなく、世界中から。

受ける側も言いたいことがあるし、何か話題の人になったような気分で高揚し、丁寧に取材に応じる。

時には除染で、こんなにがんばっていることを訴えようとする。

しかし記事になると読んだ側は、別な印象を持つ。

「こんなにひどい汚染なんだ!。怖い。」…と。

メディア、雑誌は売れることが一番の目的である。

どうしても受けるようなストーリーを予め頭の中で描いて来る。

だから自分に都合がよいセンセーショナルな部分がどうしても増えてしまう。
これは写真でもヴィデオ撮影でも同じ。

そこが取材に応じた側と視聴者、読者側の微妙な乖離を生む。

またそこが最も大事な部分だったりする…。

そこをよくよく注意していないと、思いがけず足を掬われることもある。


真実を伝える、在りのままのドキュメンタリーとは、とてつもなく難しいものなのかもしれない。



9/9  フクシマ報告41、過小評価。




今回のフクシマ事故を過小評価しようとする人たちが大勢いる。

やれ、冷戦時の核実験の方が凄かった、チェルノブイリの何分の一、…。
はたまたヒロシマでもナガサキでも除染などしていない等々…。

確かに数十年間の東京のモニタリング環境放射能のグラフを見ると、そうなのかもしれない。

しかし、私はやはりそれは間違っていると思う。

別な資料には世界中の原発の増加数と比例して増えるガンの発症数のグラフがある。

つまり、私たちは既に多くの放射能に汚染され更にチェルノブイリ(1996年)で、そしてフクシマで汚染されたのだ。

例えていうなら私たちはそれぞれ別な人物から腹を蹴られ、腕の骨を折られ…、そして顔をなぐられ…。

今回だけみて、顔をなぐられた位で、大したことはないだろうと…。

それは加害者側に立つ見方、論理…。

私たちは既にさんざん痛めつけられた上に、更にひどい目に遭っているのだ。



9/4  フクシマ報告40、心優しき人々へ。



やはり、フクシマでは除染する側でも大きく二つに分かれている。

避難するまで、出来るだけ放射能の被曝を低くしようとする「応急的除染」。
避難をしたくない、できないと思っている人たちの、避難の代わりとしての「代替除染」。

やっている事は同じなのだが、意味合いが全く違う。

もちろん前者が採るべき道なのだが、後者も少しでも安心を得たい人たちには一見有効かもしれない。

しかし福島市の渡利地区のような年間10ミリシーベルトを超えるような地域では
いくら市民ががんばっても限度がある。
空間線量が1.1位に下がった現在でも雨樋や石塀の所からは8〜10マイクロシーベルトという値が出る。

とても子どもが居られる数字ではない。

安全な値にするためには、それこそ街を一から造り替えるくらいの「根本的除染」でなければ線量は低減できない。

これは国や県、市と市民が一緒になり大胆に細やかに行わなければ絶対無理である。
もちろん莫大な費用と時間がかかる。
でも、それは、国の責任として断固やってもらわなければいけない。

私たちは今は、常に「応急的除染」であることを宣言しながら除染して行く必要がある。

そうでなければ、心優しき行為が逆に避難を遅らせ更に被曝を大きくしてしまう…。

それにしても0.4μSv位でも下がったと安堵する福島市民の「慣れ」も怖い…。





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