CRASH~The end of the world~
(1996)16mm  COLOR
  デンマーク、ドイツ、ノルウェイ、他
ヨーロッパ9カ国、11都市の映画祭で上映

☆東京都内ライブハウスにて自主上映
☆デザインフェスタにて上映




配役

百合...高井 純子
カイ...古本 恭一

 
矢島...今井 健太
雪乃...マスダ マチコ
    
平出 龍男
川相 真紀子

前川 芳昭
石田 一
小林 康雄
                         
森田 小夜子
森 明美
桧山 武広
川根 強
RORO


作業員

原案協力
結城 匡

監修
宮脇 信行


撮影.照明
三本木 久城


音響監督
木原 大海

音 楽
 Helvetica
   伊藤 竜太
編 集   スタジオJeep  
録音   スタジオLA東高円寺

撮影協力
桧山 武広   正根寺 紀子
マスダ マチコ    大路 幸成     大谷 のぶ

 
  
製作の過程
1995年3月
古本恭一.宮脇信行.結城匡らによる16mm長編映画の企画ブレーンストー ミング開始。

同年9月宮脇による脚本第一橋同年11月古本による脚本完成。

同年11月18日     
クランクイン     
監督.製作.脚本 宮脇信行     共同監督.脚本.主演 古本恭一撮影監督 三本木久城

1996年5月    クランクアウト!!
同年10月フィルム本編完成

同年11月
録音スタジオとして使用していたライブハウス『LA東高円寺』にてフィルム本編完成試写。

同年12月古本恭一監督.脚本という体制でビデオ版『CRASH』製作開始。

1997年4月
4ヵ月に及ぶ作業を古本恭一、三本木が
中心になって進め、完成!

同年4月26日
中野『ウエストエンドスタジオ』にて開催されたライブイベント『現在地』にてビデオ版上映。



撮影の憶ひ出  

『ORGAN』の作業を一通り終え、
舞台『活動大写真』を終えて、
さあ、映画やろう!」って事になった。
この映画に関しては、もう、まさしく「戦場」というコトバしかない。
DV,ノンリニアという今の環境を考えると
16mm、長編というハードルは、相当、キツイものがあった。しかも、初心者!
特に相棒、宮脇はそれに加えて「資金の調達」という
仕事もあったワケで、そのストレスたるや半端じゃなかったろう...。

企画の立ち上げから国際映画祭に持って行くまでの
2年半で、俺は3回失業し、バイクも3台壊れた。
仲間も去って行った。それでも宮脇と俺と三本木は
とにかく、走りに走った
毎日が、悔しさの連続!
リテイクの嵐!
編集のやり直し!
ついには、16mmフィルムの1コマを見ても
それがどのシーンの、どのテイクか、分かる位になった。
自分の力の無さを、まざまざと見せつけられた。
 
思い出せるエピソードは、山とある。
俺はとにかく、無理を言う
無理を承知と思っていたり、無理だとは全く
思っていなかったり、する。

ところが、三本木、宮脇、高井、みんな応えてくれていた。
製作当時は、そんな事は露とも思っていなかった。
正に
鬼畜」の形相だったようだ。
この時期、町でも現場でもよく暴れた。
別に酒に任せるわけでなく、白面だから質が悪い
とにかく、なにもかもが気に食わない!


2004年になって、何度か見返す。
映画として成立してない事が良く解る。
だが、これ撮っといて良かったと思う。
好きなモノを思いっきり詰め込んだ。今ならこんな暴走はしないだろう...。
とにかく「強引」!!ドン・キホーテである。
俺は結構、いろんな映画を観るが、こんなにふんばってんのはなかなか無い。
暴走出来た事、其れ自体が俺の「誇り」であり今観る事が出来る最高の喜びだ。
あの時のあのメンバーでしか、実現し得なかったんだと思うと本当に切ない。
だが、それにしても...

何にあんなに猛り狂っていたのか?
都合のいい事によく憶えていない。

粉雪ぱらつく、鎌倉で、どぶ水浴び乍ら、徹夜した
「戦場」場面。

渋谷のホテルで、きっちきちに張り付いて
撮ってた、娼婦の場面。

寒さに凍えて、台詞も出て来なかった
「トンネル」の場面。

宮脇宅をめちゃめちゃにしてしまった「独房」、「面会室」、「バトルシーン」

不法侵入は、正月で、と出かけた川口倉庫。

駐輪場を駆け抜けた、わが町、溝ノ口。

宮脇が青ざめた、犬のスローモーション。

某エキストラの爺さまにも、頭を抱えた!
徹夜、徹夜の連続...。怒号の嵐

殺しのシーンで流れる
「アヴェマリア」
大みそか、紅白歌合戦の画面に飛ぶ血飛沫。
雪が舞う街に流れる「the end of the world」...


まあまあ、濃いわ濃いわ...。

後半のアクションは一晩で撮った。
フィルムだから、撮影時、画面はカメラマンにしか解らないはずだが、
その頃の俺は撮っている画面が手に採るように解った。
単眼レンズだと言う事もあったのだろうが...。
三本木に次はあっちから、そのあとはこっちから、と、どんどん進めた。
そうしながら、役者に動きをつけ、自分も出ているから、役作りをし、
と正に独壇場だ!
その日の撮影がアップした時、三本木が大の字に寝転がった。
彼は滅多に言わない一言を吐いた、「疲れた〜」と。

それでも、撮影中はよく笑った。
三本木との編集中も、脳が溶けるかと思うくらい笑っていた。
「バカボン」で。
一度、あまりにも非道い俺の物言いに対して
三本木が言った...。
『そのままじゃ、誰もいなくなりますよ...。』
普段、物静かな彼のその一言に「ギクッ」とした。


この「戦場」から抜け出したい一心
間髪入れず、『ヒマワリ』の製作に着手するのだった!


それでも俺自身がやった映画の中で、
いつまでも心に刻まれて行くのは「これ」だろうと思う!

数年後

....そして、ヨーロッパの映画祭に招待されたのだが.....。
この映画の元々のアイデアは、宮脇が持っていたある新聞記事の切れ端...

「ベトナム帰還兵の黒人死刑囚が、処刑される時、白人女性弁護士に『I LOVE YOU|』と言い残した」
というものであった。

この話と、アンデルセンの「雪の女王」....更に古いポップス「the end of the world」を
混ぜこぜにして創ったものであった。

この映画が最初に海外で上映されたのが、アンデルセンの生地デンマークであった。

また.....当時、日本人が外国に行って戦争に参加するなど
あり得ない、なんて言われていたが、
その数年後には、自衛隊が派遣された。

更にまた、....主人公は戦地でトラウマを持って帰還してくるのだが
その症状を、戦地でのストレスから来る「頭痛、不眠、難聴、目眩」にした。
(全くの創作)

ところが、映画製作から数年後、阪神大震災の時に、被災者にこういう症状が起きた。
同じような症状が、戦争体験者からも報告があったそうで....
何と、「クラッシュ症候群」と名付けられたそうである。



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