=「美也子」です。
=「ボビイ」だ。
Le Diable au corps (1923), Raymond Radiguet
『肉体の悪魔』は不倫を題材にした恋愛小説です。
舞台は第一次大戦下のフランス。主人公は15歳の少年だ。
少年の名前は明かされません。物語は一人称による回想形式になっていて、15から16歳にかけての恋愛の顛末を振り返っています。
特徴的なのがその語り口だろう。奴の言葉は非常に明晰だ。周囲はおろか自分のことまで冷静に観察し、心の動きをすべて理性で捉えている。
フランス伝統の心理描写ね。一人称というフィルターを通して、そのときどきの心境をロジカルに記しているから、わたしたち女子にとってはとても参考になります。
ストーリーはというと……。
当時15歳だった語り手は、18歳の少女マルトと出会います。
語り手はまだ学生だ。奴は名門校に通う優等生だが、このあとすぐに退学してしまう。
一方のマルトは婚約者もちです。相手の名前はジャック。彼はドイツとの戦争に出征しています。
語り手はマルトに強い欲望を抱いたものの、環境に制約があってまだ引き返せるレベルだった。一緒に家具を買いに行ったり、マルトに薔薇を送ったりするくらいで済んでいた。
このときの心理描写がふるってるわね。寝室の家具を自分のものに置き換えるだとか、薔薇をあげたのは家族に嘘をつかせるためだとか。語り手の行動には支配欲が隠れている。
だが、奴の想いは実らない。予定通りマルトはジャックと結婚する。
これで終わりなら良かったんだけどね。でも、そうは問屋がおろしません。数ヶ月は音信不通だったものの、突然マルトから招待状が送られてきます。2人は彼女の家で再会することになります。
ここで重要なのはジャックが不在であることだ。奴はまた戦地に出ており、新居ではマルトが一人暮らししている。若い燕を囲うには絶好のシチュエーションだな。
ええ。案の定、焼けぼっくいに火がつきます。久しぶりにマルトと再会した語り手は、自分の内面が変化したことに気づきます。
数か月前、マルトに出会ったころ、僕は彼女を愛していると思いこんでいたが、彼女に厳しい評価を下したり、彼女が美しいと思うものの大部分を醜いと思ったり、彼女のいうことの大半を子供っぽいと考えたりもしていた。ところがいま、僕とマルトの考え方が異なると、僕は自分のほうが間違っていると思うようになった。(……)僕はマルトを尊敬しはじめていた。愛しはじめていたからだ。(62)
「欲望」が「愛情」に変わったわけだ。
そして、もうひとつ。
体の触れあいを愛のくれるお釣りくらいにしか思わない人もいるが、むしろそれは、情熱だけが使いこなせる愛のもっとも貴重な貨幣なのだ。僕は自分の友情にも愛撫は許されると思っていた。しかし、女性に対するさまざまな権利をあたえてくれるのは愛だけだという事実に、心の底から絶望しはじめていた。(64)
これは厄介だな。もう引き返せないレベルにまで来ている。
茨の道まっしぐらね。以降、語り手とマルトは逢い引きを重ねていきます。肉体関係を結び、2人の愛は暖炉の火のように燃え上がっていきます。
確認しておくと、こうしてイチャイチャできるのも夫が従軍しているからだ。語り手は自分の幸福が戦争のおかげであることを自覚している。2人の背徳は戦争の暗闇とパラレルな関係にある。
学校を辞めて、人妻と不倫して……。日常を壊す戦争というものに過剰反応しちゃったわけね。自分の将来も考えず、先行きの見えない方へ進んでいる。
語り手は戦争のことを「四年間の長い夏休み」と言っている。いい気なもんだ。
しかしいくら非常時とはいえ、世間は不倫を許しません。まもなく情事は知れ渡り、2人の関係は公然の秘密になります。マルトはご近所から村八分にあいます。
知らぬは夫ばかり。
ええ。ジャックは戦地から一時帰宅するのですが、周囲は気を利かせて何も言いません。ちょっと休んだのち、何事もなくまた戦地に出ていきます。
宙吊り状態だ。これはまずいな。
いっそここでバレてれば良かったのにね。不倫は長引けば長引くほどドツボにはまるから。
うむ。不倫は手を引くタイミングが難しい。
あら、随分と詳しそうねえ。ボビイは不倫したことあるの?
ない。断じてないぞ。
ふーん。
何だ、その泥棒ネコを見るような目は。
別に~。
私は子犬のように潔白だ。
ボビイの不倫についてはまた後で追求するとして、物語はここで急展開です。何とマルトから妊娠を告げられます。
ショックを受けながらも喜んでいるふりをする語り手。だが、内心ではこんな風に思っている。
いまやマルトは、この妊娠のおかげで僕が永遠に彼女と別れないだろうと考えていた。だが、僕のほうは困惑していた。この年齢で子供を持ち、若さを束縛されるのは、無理で不当なことに思われた。(138)
勝手な言い草ね~。許せないわ(拳を握る)。
語り手はこの時点で16歳だ。まだ生計の道が立ってないのだから仕方あるまい。
ふん、女の敵よ。
さらにこの後、マルトは旅行で一時家を離れるのだが、その間、語り手はスウェーデン娘のスヴェアを連れこんでいる。そして、股間の疼きを解消しようとしている。
マルトの部屋でこんなことをするのは不謹慎だとは思ったが、いずれにしても、このことでマルトとの愛がそこなわれるわけではないと心で繰り返していた。僕がスヴェアを欲しかったのは果物を欲しがるようなものだ。恋人がそれに嫉妬するにはおよばないのだ。(152)
何よそれ~。不倫のうえに浮気!? やっぱり女の敵ね(拳を握る)。
要するに奴の愛は独りよがりなのだ。恋愛とは思いやりのはずなのに、相手のことをまったく考えていない。何事も自分の都合の良いように解釈し、欲望に身を委ねている。
そうそう、自分勝手で自制心がなくて、いかにも子供の恋愛って感じよね~。相手の幸福なんかこれっぽっちも頭にないし、大人のお付き合いとはほど遠い。所詮はお子さまと思うと怒りも冷めちゃうわね。語り手は10代としては早熟ですが、まだ成熟はしていなかったようです。
( 2010.12.11 )